兵庫県明石高等女学校
校歌
一
、
こ 昇 霊 黎
れ る 仰 天 光 明
ぞ 朝 ぎ 地 の
永 日 見 甦 東 丘
遠 子 る り よ
に の そ り
生 明 の 万 群
き ら 栄 象 照 松
む け 耀 動 り の
我 き そ く 渡 上
等 生 の れ
の 動 尊 ば
心 厳
二
、
こ 匂 素 八
れ ふ 和 万 光 重
ぞ 夕 み 有 潮
永 月 行 静 西 の
遠 の く ま 空 海
に 清 そ り に
生 ら の て 島
き な 静 暮 影
む る 穏 重 れ の
我 平 そ 波 残 果
等 和 の 息 れ
の 慈 ふ ば
心 悦
明石高等女学校長
生沼 勝
作詞
東京音楽学校教授
信時 潔
作曲
平井
保喜
作曲
田村
英夫
作詞
一
、
平 お こ わ 明
和 丶 こ が 石
あ ら に 学 の
り か 集 舎 瀬
平 に え の 戸
和 る に
あ
り
桜 澄 我 照 光
か み 等 り 満
丘 て の 映 ち
に う 心 え
平 る ば
和 わ
あ し
り
明石市立明南高等学校
校歌
二
、
真 あ こ 自 よ
理 き こ 律 き
あ ら に を 師
り か 学 旨 よ
真 に べ に き
理 る 友
あ
り
緑 啓 我 い 相
の け 等 そ 和
丘 て の し し
に 敏 叡 め て
真 し 智 ば
理
あ
り
三
、
栄 ひ こ 理 新
え ろ こ 想 ら
あ や に を し
れ か 生 め き
栄 に い ざ 世
え 立 し を
あ つ
れ
わ 世 我 手 築
が 界 等 を か
明 に の と ん
南 向 希 れ と
に う 望 ば
栄
あ
れ
草野
心平
作詞
兵庫県立明石南高等学校
校歌
小山
清茂
作曲
一
、
燐 お 自 摩 朋 鳥 日
と お 主 耶 が 羽 輪
し 明 独 六 ら 台 は
て 石 立 甲 よ に
南 の を 天
未 眉 陽 に
来 わ 理 は あ は あ
か れ 想 る げ ふ ま
が ら に か よ り ね
や が 燃 に そ く
く 母 え の そ
校 ん ぞ ぐ
み
二
、
大 お 高 協 朋 コ 淡
い お 鳴 同 が バ 路
な 明 ら 親 ら ル 島
る 石 さ 和 よ ト
南 ん の に 白
未 か 腕 き
来 わ 輪 組 海 雲
ぞ れ 若 を ま は 沸
展 ら き つ ん か き
く が 胸 く が
母 ぬ り や
校 ち く
二
、
今 熱 み
明 こ 勝 汗 未 よ
南 そ 利 鍛 来 紺
明 示 の へ の 青
南 せ 決 し 雲 の
わ わ 意 わ に 海
が が み が 夢 ひ
明 力 な 腕 を ろ
南 ぎ は の く
り せ
ぬ
明石南高等学校
応援歌
一
、
今 真 あ
明 こ 若 紅 桜 あ
南 そ き の が 黎
明 示 血 校 丘 明
南 せ 潮 旗 に の
わ わ は 仰 は 空
が が 高 ぐ た は
明 力 な と め 晴
南 り き け れ
る
玉田
文江
作曲
3回生
橋本
京一
作詞
生沼 勝 | 信時 潔 (1887-1965) |
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国漢教諭 39歳の若さで明石高等女学校の校長に抜擢される 明治16年(1988) 三重県桑名市で誕生 三重県師範学校卒業・広島高等師範学校卒業 兵庫県明石女子師範学校教諭となり、その後、鹿児島県女子師範学校教諭に 大正10年(1921) 明石高等女学校の校長となり、昭和23年(1948)まで、その職を全とうする。後、明石教育委員などもつとめる。 |
明治43年東京音楽学校本科器楽部を卒業後、大正4年研究科作曲部を卒業 大正9年ドイツに留学、ゲオルク・シューマンに作曲を学び、大正12年から東京音楽学校の作曲科の教授として、昭和7年に至る間、多くの門弟をいくせいした [主要作品] 「信時 潔 独唱曲集」 歌曲「沙羅」「北秋の」 [唱歌 「一番星みつけた」「電車ごっこ」「兵隊さん」「海行かば] |
平井 康三朗 |
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明治43年 高知県に生まれる。保喜(やすき)は本名。東京音楽学校(現・東京藝術大学)バイオリン科を卒業。1936年、研究科作曲部を修了。在学中に交声曲「大いなる哉」でデビュー 1947年以来、文部省教科書編纂委員として音楽教科書編纂に携わる。また、NHK専属作曲・指揮者、合唱連盟理事、日本音楽著作権協会理事、大阪音楽大学教授等を歴任 1965年、「詩と音楽の会」を結成。1973年紫綬褒章 1982年勲四等旭日賞。1992年よんでん芸術文化賞、毎日出版文化賞を受賞 <代表作品> 交声曲「大いなる哉」/同 「不尽山を見て」/etc. <愛称曲> 「ひなまつり」「とんぼのめがね」「合唱賛歌」「木曽節」「よさこい」「お江戸日本橋」etc. その他、NHKにんなのうたで「おお牧場はみどり」の編曲 |
草野 心平 (1903-1988) | 小山 清茂 (1914〜 |
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大正10年頃から詩作を始め、昭和3年、「第百階級」を発表 昭和10年から北郊された雑誌「歴程」では、中心的な存在となり、詩壇に確固たる位置を固めた 特に蛙の詩人として名高い |
新音楽の会に属し、信濃の民謡を基盤とし、大衆に愛され、芸術作品としての風格を保つ好作品を発表しつづけている 主要作品として「管弦楽のための木挽歌」・「管弦楽のための信濃囃子」(音楽コンクール第一位) |