「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」  (新約聖書 ヨハネの福音書3章16節)


 この「お与えになった」と訳された言葉には、自分のものを放棄したという意味があります。

 創造主なる神様はイエス・キリストを放棄することによって私たちをお救いになられたのです。

 あるクリスチャンのご夫妻は、愛するひとり息子を事故で亡くされた辛い経験をお持ちです。一人息子の彼は、難関大学に進み将来の目標もあったでしょうが、突然のバイクの事故で帰らぬ人となってしまったのです。あれから長い年月が過ぎましたが、その日のことは決して忘れることはないでしょう。

 私たちは未来が分からないから、普通に生きていられるのかもしれません。 もし、時間を巻き戻すことが出来たなら、先程のご両親は、あの事故が起こる前の時間帯まで戻り、何としても息子に行くなと無理やり止めたことでしょう。でも、未来が分からないから、いつものように、送り出してしまったのです。

 しかし、このご両親はクリスチャンだったので、自分たちが信じている神様を見上げることができました。この天地万物をお造りになられた偉大な神様もまた、御自分のひとり子を亡くされた神であった。それも、御自分のひとり子をこの世界に送り込んだら、どれほどひどい目に遭うか、どんなに愛を尽くしても裏切られ、最後は十字架で殺される結末になることが分かっているにもかかわらず、送り出してくださった方であった。普通、そこに行けばひどい目に遭うということが分かっていたら、絶対にそこに行くなと阻止するはずなのに、なぜでしょうか。

 アリの巣コロリという滅びの箱に向かうアリを救うには、アリになって、その黄色い粒は危険だと教えてあげることです。同じように、この罪のない方が、あの十字架の上で、私たちの罪の身代わりとなる以外に、私たちが罪の結末から逃れる方法はないからです。

 神様は、十字架の上でイエス・キリストをお見捨てになるほどにあなたを愛してくださいました。ひとり子の命と交換してでもあなたを失いたくないと本気で思い、それを実行に移してくださったお方なのです。
 あなたはそれほどまでに愛されているのです。

 先程のご夫妻のひとり息子もイエス・キリストを信じていました。だから、滅びていません。永遠のいのち、よみがえりのいのちを持っています。天国で再会できる希望があります。

 あなたも、この御子イエス・キリストを信じる者となりませんか。

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MB平野キリスト教会牧師 笹田文章

コラム
 
「クリスマスにひとり子をお与えになった神」