5.「かやの木山」(詩:北原白秋)
榧は「山の宝石」とも言われ、碁・将棋盤、仏像彫刻などには最高の材料
として貴ばれてきた。その実は喘息などに薬効があり、正月などに食された。
今は「まぼろしの木の実」と言われる。囲炉裏の匂い、オバサの懐ろの温も
り、猿の鳴き声ともども、今は喪われた山村の原風景が、この曲を歌い継ぐ
ことによって五感を通じて記憶されていくだろう。
(編曲:林光)
山田耕筰 日本抒情歌集
第1ステージ
1.「中国地方の子守歌」(詩:日本古謡)
岡山県井原市高屋町を発祥の地とする子守歌の編作である。「お七夜」「宮
参り」「七五三」など通過儀礼の多さは、赤子が成人することの困難 を今に
伝える。「ねんねこさっしゃりませ(お眠りなさいませ)」という敬語も、七
歳までは神のうち、夜泣きは前世の記憶、と考えられていた子供に対する畏
敬の念も込められているだろう。このような民俗と四七抜き音階という日本
的背景を持つこの曲は、母の愛と祈りの深さによって普遍性を得ている。
2.「待ちぼうけ」(詩:北原白秋)
旧守の愚かさを説く故事成語「守株」(『韓非子』)を出典としているが、
白秋は、間抜けた音韻とユーモアを含んだ「待ちぼうけ」という和語をリフ
レインさせることによって結末の悲劇性を弱めている。信賞必罰を説く法家
の教訓性は詩人によって換骨奪胎され、あくまで切株の周辺の風景の変化と
という叙景の中に人の営みの哀愁が込められた。林光の編曲はそのような白
秋の詩の味わいを適切に表している。「ペチカ」と共に『満州唱歌集』所収。
3.「ペチカ」(詩:北原白秋)
ペチカは元々北欧地方の暖炉から発達し、ロシアで普及し、明治になって
技術が北海道に伝わったという。ロシア式ペチカの中でも、丸型は大正時代
に日本で主流になり別荘などの高級住宅に設置され、壁式は、満州で使われ
ていたことで戦後日本に普及した。白秋も40日間満州を旅したことがある
のでその時見た可能性もある。「petika」という外国語の響きは、子供たち
に北国の冬への幻想を抱かせるとともに、火を囲む人々の心の温もりも伝え
ている。
4.「曼珠紗華」(詩:北原白秋)
「gonshan gonshan」・・・白秋の故郷柳川の「良家のお嬢さん」を表わす方
言は、この詩によって永遠の謎を秘めた言葉となった。詩集『思ひ出』には、
少年白秋の感官にとどめられたさまざまな光景が描かれるが、特にこの詩の
「赤」は印象的だ。七歳での初恋の少女、子を喪い正気を失った女、不義の
子を生した女、生と性と死の大きな謎の中に立ちすくみながら彼女らを見つ
めた少年白秋の心の震えが、曼珠紗華の炎のような花弁に化生している。
高村光太郎 作歌
・智恵子抄巻末のうた六首
・待ちぼうけ
・ペチカ
・曼珠沙華
・この道
・かやの木山
・中国地方の子守唄
・合唱組曲「京都」より
安水 稔和 作詞
多田 武彦 作曲
谷川俊太郎 作詞
武満 徹 作曲
1.「智恵子抄巻末のうた六首」(清水脩 1911−1986)
長沼智恵子は、明治44年創刊『青鞜』の表紙画を担当して、まさしく
「新しい女」の先頭に立った。彼女の人生は、愛情と創作との、高村光太郎
との愛の形を受け入れない社会との葛藤の連続だった。日本のロダンを目指
した芸術家が、智恵子にカミーユ・クローデルのような運命を辿らせたのは、
二つの異なる芸術の魂がぶつかる危機と奇跡の必然を示している。そして、
二人の芸術家の逅邂は、光太郎の文学・彫刻、智恵子の切り画、『智恵子抄』
として結晶しただけでなく、彗星の尾のように音楽・演劇・小説へと新たな
創作の原動力となってきた。昭和16年に『智恵子抄』に出会い、「異常な
ほどの感動を覚え」た作曲家清水脩の作品群も、その美しい結晶と言える。
※※歌詞に差別用語が含まれていますが、原詩の通り演奏致しました。※※
2.合唱組曲「京都」より(多田武彦 1930−)
男声合唱の大家、多田武彦が1963年(昭和38年)に発表した最初の
混声合唱組曲。若き日、京都大学男声合唱団の指揮者として合唱にのめりこ
み、映画監督を夢見てもいた氏の作品は絵画的性に富み、日本情緒漂う美し
い旋律と独特のハーモニーで根強く多田武彦ファンの心を捉え続けている。
「およそ、千年の長い間、京都は『みやこ』であった。そして今、こうし
た長い伝統の重みにおされ、近代都市としての様々な悩みをかかえている。
この組曲は、その矛盾をぬって発展し、誇り高く生き抜こうとする京都の姿
を、そこに住む人々の喜びや悩みを通して、様々な視点から描こうとするも
のである。」
初版の「合唱名曲コレクションD5(廃盤)」に綴られた作成者意図より。
(新版出版に当り省略)
3.「死んだ男の残したものは」(武満徹 1939−1996)
ベトナム戦争が烈しさを増し、60年安保の嵐の吹き荒れる1965年
(昭和40年)4月。「明日の市民集会のために曲をつけてほしい」との詩
人・谷川俊太郎の依頼に、現代日本を代表する作曲家がその日の晩に曲をつ
けた。翌日の4月22日、お茶の水全電通会館ホールで行われた「ベトナム
平和を願う市民の集会」で、バリトンの友竹正則の歌で発表された。井上陽
水夫人の石川セリはじめ、多くの歌い手によって歌い継がれてきた静かな反
戦歌。
J.S.Bach MotetV「Jesu, meine Freude」(BWV227)
「バッハは小川(ドイツ語でBACHは「小川」を意味する。)ではなく、
大海である。」ベートーヴェンはバッハの偉大さを讃えてこう言ったという。
今回の演奏会では「音楽の父」というテーマで、古今東西、その時代時代
の先駆的かつ重要な音楽を作り上げてきた人の曲を取り上げている。中でも、
近代音楽史上で重要な役目を果たしたのはバッハであり、一般的に「音楽の
父」と呼んだ場合は、バッハのことを指している。
バッハは1685年にドイツで生まれている。バッハの一族は類まれな音
楽家の一族であり、多くの音楽家、作曲家を輩出している。中でも傑出した
存在が、このヨハン・セバスチャン・バッハであり、このため他のバッハと
区別するのに、しばしば「大バッハ」と呼ばれる。
バッハはバロックと呼ばれる時代に活躍し、後に続く古典派のモーツァル
トやベートーヴェンに多大な影響を与え、音楽が教会のものだけでなく、純
粋に音楽として成立していく基礎を築きあげた。
彼はその生涯に、実に1100曲にも及ぶ曲を残しており、創作のジャン
ルは声楽曲のみならず、管弦楽やオルガン、ヴァイオリンなどのための器楽
曲など多岐にわたり、いずれもそれぞれの分野で、今なお最高の作品として
重要なレパートリーとなっているが、やはりその中心をなすのは、教会での
礼拝や式典のために書かれた200曲にも及ぶカンタータやモテット、受難
曲などであろう。
バッハの音楽の多くは、いくつかのメロディーが絡み合って音楽を形作っ
ていくポリフォニーと呼ばれる形式によっている。これに対し、古典派以降
の音楽ではホモフォニーと呼ばれるメロディーに和音を付ける形が一般的に
なってくる。
ポリフォニー音楽の一つの頂点ともいえるのが「フーガ」で、バッハはこ
のフーガを一つの様式として完成させ、多くの曲を書いた。バッハ以後の作
曲家においても、モーツァルトのレクイエム、ベートーヴェンのミサ・ソレ
ムニス、ブラームスのドイツ・レクイエムなど、主としてミサ曲やレクイエ
ムなどの声楽を伴う宗教曲において、全曲の中心的で最も盛り上がる部分を、
このフーガの技法により作曲している例が数多くある。
本日演奏するバッハの曲は、その膨大な作品の中のほんの一握りであるが、
バッハの音楽の魅力の一端にでも触れていただくことができれば幸いである。
Johann Sebastian Bach
(イエスよ、我が喜び)
・Jesu, meine Freude
指揮 : 松阪 康久
ピアノ : 松阪 香織
ピアノ : 松阪 香織
指揮 : 松阪 康久
指揮 : 松阪 康久
オルガン : 松阪 香織
清水 脩 作曲
「ここが美しいそれは」
・死んだ男ののこしたものは
林 光 編曲
MotetV(BWV227)
6.「この道」(詩:北原白秋)
白秋は、大正14年に北海道・樺太などを旅した。翌年その体験をもとに
児童雑誌『赤い鳥』8月号に発表した。耕筰の作曲は昭和2(1927)年。
日本語のアクセントをそのままメロディーに置き換えた傑作と言われる。郷
愁というにはあまりに瑞々しいある場所の記憶。耕筰にとっては幕張の枳殻
の垣根のある、白秋にとっては柳川の運河の土手の、そして、だれもの故郷
の道への既視感(デ・ジャ・ヴ)をもたらす曲となった。
・Gloria sei dir gesungen
(天は、神の栄光を語り)
F.J.Haydn 「天地創造」
(我ら主をほめたたえ)
・Laudamus te
2.コラール「Gloria sei dir gesungen」(栄光の賛歌が、歌われますように)
(カンタータ「目覚めよと、われらに呼ばわる物見らの声」BWV140より)
この第140番のカンタータは、キリストがエルサレムの街に真夜中に到
着し、物見たちが到着を告げる情景や、それを迎える人々の喜びを描いてい
る。このコラールは終曲に置かれ、喜ぶ人々の気持ちを表している。
1.コラール「Jesus Bleibet Meine Freude」(主よ,人の望みと喜びを)
(カンタータ「心と口と行いと生きざまは」BWV147より)
バッハは、毎日曜日の礼拝で演奏するため、コラール(賛美歌)と数曲の
独唱で構成されたカンタータの作曲をライフワークとし、200曲余りの教
会カンタータを残している。
この曲は、バッハのカンタータの中でも最もよく演奏される曲のひとつで、
聖母マリアがキリストを身ごもった喜びが歌われている。このコラールは
「主よ、人の望みの喜びよ」という題名でよく知られており、3連譜の伴奏
音型の上で、コーラスが美しいコラールを歌う。そのメロディーと伴奏の美
しさから、種々の編曲がされており、オーケストラや楽器でもよく演奏され
る。
J.S.Bach Kantate Nr.140
歌われますように)
(栄光の賛歌が、
J.S.Bach Kantate Nr.147
(主よ、人の望みと喜びを)
・Jesu Bleibet Meine Freude
A.Vivaldi 「Gloria」
・Die Himmel erzalen
ピアノ : 松阪 香織
アルト : 大垣華代暦
ソプラノ : 今井 順子
指揮 : 松阪 康久
4.「Die Himmel erzalen die Ehre Gottes」(天は、神の栄光を語り)
(オラトリオ「天地創造」より)
交響曲の父、ハイドンは生涯に104曲の交響曲を作曲し、古典派音楽の
様式を確立した。1791年に訪れた英国で、ヘンデルの「メサイア」に激
しく心を奪われ、その後4年の歳月をかけて書き上げたのが、オラトリオ
「天地創造」である。旧約聖書・創世記とミントンの「失楽園」をテキスト
とした作品は、ガブリエル、ウリエル、ラファエルの三天使が聖書の言葉を
歌い、壮大な天地創造の物語を一日ごとに描いてゆく。第一部のしめくくり
に、神の偉業を讃えてこの合唱付き三重唱「天は神の栄光を語り」が歌われ
る。
この旋律を基に作られた讃美歌74番「涯しも知られぬ天つ海原」は讃美
歌中の逸品である。
3.「Laudamus te」(我ら主をほめたたえ)
ミサ「Gloria」(RV.289)より
「Gloria」はローマ教会で行われるミサの通常文(Kyrie−Gloria−Credo
−Sanctus−Benedictus―Agnud Dei)の2番目の部分にあたるが、この曲
は「Gloria」だけで独立している。全体は12曲で構成され、演奏時間が
30分を超える大作である。3曲目の「Laudamus te」は、ソプラノの二重
唱で「我ら主をほめたたえ」と歌い上げる。
モテットBWV227「イエスよ、我が喜び」
モテットとは、キリスト教に基づく宗教的な歌詞に、ポリフォニーによる
合唱音楽を付けた曲のことで、バッハ以前のルネッサンス期に確立し、多く
作曲されている。バッハのモテットは、いずれも、教会における記念の式典
や葬儀の際に演奏されたもので、このBWV227「イエスよ、我が喜び」
も、ある女性の葬儀の際に演奏されたものと考えられている。
全体は11曲で構成されており、奇数番号の曲はホモフォニーの音楽であ
るコラール、偶数番号の曲はポリフォニーの合唱になっている。歌詞もコラ
ールの6曲はフランクという人の詩によっており、偶数番号の曲は新約聖書
の「聖パウロによるローマ人への手紙」から採られている。特に全曲の中央
に位置する第6曲は、ポリフォニーの極致とも言うべき、2つのメロディー
がそれぞれに追いかけあいながら複雑にからみあっていくダブルフーガで作
られており、「神の御霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは
肉によって生きているのではなく、霊によって生きているのです。」(ロー
マ人への手紙第8章第9節)という、全体のテーマとなる詩が充てられてい
る。
また、音楽的な構成もこの第6曲を中心として、拍子やメロディーなどが
シンメトリックな構成になっている。こうした構成になっていることは、曲
を聴くだけでは理解しにくいが、全体の構成に安定感を与え、大きなテーマ
を訴える上で重要な役目を果たしている。