早春賦:吉丸一昌・詩/中田 章・曲(1886-1931)
Amadeus心の旅
第1ステージ
Miserere mei, Deus(神よ、我らを憐れみたまえ)
:Gregorio Allegri(1582-1652)
作曲者グレゴリオ・アレグリは、1582年にローまで生まれた。少年聖歌隊
員だったが、去勢手術を受けてカストラートとなり、礼拝堂歌手としてローマ
教皇に仕えた。
この曲は、1638年にシスティーナ礼拝堂のために作曲されたが、その美しさ
ゆえに、門外不出の秘曲として当礼拝堂だけで歌い継がれていた。1770年、14
歳のモーツァルトが父と共にローマに旅した折、この曲を聴き、宿に戻って記
憶だけで楽譜に書き取ったという逸話がある。モーツァルトがいなかったら、
今でもこの曲はヴァチカンでしか聴くことが出来なかったであろう。
曲は2部構成のコーラスが互いに呼び交わすアンティフォーナの形式で書か
れ、残響の長いヨーロッパの教会では素晴らしい効果が生み出される。
モーツァルトの子守歌:Bernhard Flies(1770-?)
第2ステージ
「Miserere mei,Deus」
「モーツァルトの子守歌」
「早春賦」
「僧侶たちの合唱」
歌劇「魔笛」(K.620)より
モーツァルトの初めての合唱曲。当時9歳。こんな少年期にもうこのような
素晴らしい曲を作曲している。もっとも、既に8歳で最初の交響曲を作曲して
いるから、まさに早熟の天才と言える。
また、この曲は、作品番号のついた曲の中で初めての短調曲でもある。彼は、
生涯600余曲を作曲しているが、短調曲は希有で20数曲しかない。それらはい
ずれも名曲として知られており、彼の音楽を語る上で短調の曲は非常に重要な
位置を占めている。ニ短調、ト短調、ハ短調の3つの調は彼が特に好んで用い
た調で、この曲は、41曲ある交響曲のうち2曲だけの短調曲と同じく、ト短調
で書かれている。
モーツァルトは亡くなる年の7月、灰色の服を着た謎の男からレクイエム作
曲の依頼を受ける。当時すでに病状が悪化し、精神的にもかなり鬱の状況にあ
ったモーツァルトは、この依頼に自らの死を予感させる運命的なものを感じ、
引き受けた。現在、この依頼者はウィーンの貴族シュトゥパッハ伯爵であるこ
とが知られている。亡き妻の追悼演奏会で自分の作品として演奏するため、匿
名で依頼したのだ。
レクイエム作曲に着手した時、モーツァルトは『魔笛』や『皇帝ティトの慈
悲』などを作曲中だった。病状は進行し、二つのオペラは完成したが、12月5
日に帰らぬ人となった。レクイエムは未完のまま、彼の最後の作品として残さ
れた。夫の死後、妻コンスタンツェは作曲料の半額を前金で受け取っていたた
め、J.L.アイブラーはじめ、幾人かに作品の完成を依頼するが、結局、この重
責は弟子のF.X.ジュスマイヤー(1766-1803)に引き継がれることとなった。
このレクイエムのうち、モーツァルト自身が完成させたのは、最初の入祭唱
イントロイトゥス1曲。その後の半分程度までは、合唱部分や低音パートのみ
作曲され、最も感動的な「ラクリモサ」の8小節目が絶筆となる。後半のサン
クトゥス、ベネディクトゥス、アニュス・デイは、ジュスマイヤーの作曲によ
るものだ。終曲・聖体拝領唱は、モーツァルト自身が完成していた第1曲の歌
詞だけを変えて使用している。
ジュスマイヤーが、師の生前、どの程度構想を聞き、指示を受けていたかは
分からない。彼はモーツァルトが残した合唱のみの部分にオーケストラを付け、
スケッチや断片をもとに創作を加え、全曲を完成させた。
ジュスマイヤーにとって、かなり困難な作業であったことは想像に難くない。
師の作曲方法を可能な限り研究・踏襲し、自らの才能を尽くして完成させた
のであろう。
モーツァルト自身が全曲を作曲していたら、という思いは残る。しかし、現
在に至るまで、この曲は「モーツァルトの『レクイエム』」として演奏され、
愛されている。とすれは、それはモーツァルトの最晩年に到達した音楽性の高
さと、それに触発され補作に全力を注いだジュスマイヤーの情熱の賜物であろ
う。
本日の演奏は、ジュスマイヤー版による。
REQUIEM(K.626)W.M.Mozart
ピアノ : 松阪 香織
ソプラノ : 蔵田みどり
指 揮 : 松阪 康久
テ ナ ー : 清水徹太郎
バリトン : 石原 祐介
管弦楽 : アンサンブルM
歌劇「魔笛」(K.620)より
「フィナーレの合唱」
ブラームス、シューベルトと並ぶ名曲「モーツァルトの子守歌」の作曲者は
実はモーツァルトと同時代の作曲家、B.フリースである。フリースは1770年頃
にベルリンに生まれ、医者を本業とした。1796年頃にF.W.ゴッターの詩に拠っ
て「お眠り、私の可愛い王子様」を作曲した。この曲がモーツァルトの伝記の
付録に掲載された事により、「モーツァルトの子守歌」と題され、K.350とい
え番号まで付されることとなった。実際の作曲者が判明した今、ケッヘル目録
のも「補遺」に納められている。
「こんな美しい曲を作れるのはモーツァルトしかいない」と当時の有識者達
に言わしめたこの曲は、これからも子守歌の名曲「フリース作曲、モーツァル
トの子守歌」として、歌い継がれていくことだろう。
この『魔笛』はモーツァルトが作った最後の歌劇である。「春への憧れ」、
「ピアノ協奏曲第27番」より更に後、モーツァルトが亡くなる年の9月に完成
した。
この歌劇は、当時彼が所属していた秘密結社「フリーメイソン」の教義を題
材 にしていると言われている。大蛇や、夜の女王、鳥刺しのパパゲーノなど、
親しみやすいキャラクターも登場し、誰もが楽しめる作品になっている。音楽
も親しみやすく、素晴らしいもので、「フィガロの結婚」とともに最もよく上
演される歌劇だ。
「僧侶たちの合唱」は、火と水の試練を受けて王子タミーノの成功を、僧侶
たちが神に祈る歌で、深い愛情を湛えた男声合唱で歌われる。
フィナーレは、王子と王女が魔法の笛の力を借りて試練に打ち勝ち、無事結
ばれてハッピーエンドとなる場面で、「太陽が夜を追い払い、美と叡智には永
遠の王冠がふさわしい」と歌いあげる。
歌劇『魔笛』(K.620)から「僧侶たちの合唱」、「フィナーレの合唱」
ア ル ト : 大垣加代子
コンマス : 増永 雄記