松室猛のTMニ水会定例講演・資料

 平成23年11 戻る



(本稿は23年11月9日に行なう講演会のために執筆したものである)



同時選挙が大阪都構想の実現を早めるか

 橋下知事は、同時選挙を度々口にしながら知事辞職や市長選出馬について一切具体的な発言をしていなかったが、かなり慎重に維新の会の政策集や都構想を読んでみても同時選挙などある筈がないと考えていた。しかし、彼は大阪市を解体しなければ大阪の再生はないと確信していたようであった。
  9月8日に橋下は「平松市長と方向性がまとまれば知事を辞職しない」と発言していた。そのための「落としどころ」は、特別自治市化を市域だけでなく大阪府下全域に広げることが条件であった。この提案自体に無理はあったが、橋下と平松がこの問題を中心に話し合えば「落としどころ」を見出せる可能性があると考えた。いくら考えても、彼が市長になることで都構想が進展するとは到底考えられなかったし、橋下がこの提案をしたことから、なんとしても同時選挙をしようとしていない気配が感じられたからである。
 特別自治市論争の時点で、両者を同じテーブルに着かせ、調整をするフィクサーを探すように経済界にパイプのある某氏に提案した。結果的には、関西の政財界や学会にはそのような人材が無く、僅かに調整らしきことを提案したのは市長会だけであった。ところがその提案がシンポジュームに両氏を出席させ手を握らせるというものであった。これほど犬猿の仲の両者を公開討論会の場に引っ張りだしても仲直りのきっかけになると考えること自体がナンセンスであり、攻撃的物言いを続ける橋下と同じ舞台に立つことを平松が了解するわけがないと思っていた。やはり平松は日程が合わないとの理由で応じなかった。
 しかし、10月22日未明に橋下は知事を辞職し市長選に出ることを表明し、予測は大きくはずれた。
 今日に至る経緯の中で彼の心情を思えば、かなり苦しんでいる様子が窺えた。
彼をそこまで追い込んだのは橋下の自縄自縛でしかないが、都構想の実現のために、橋下と志を同じくする人物を市長に就任させ、府・市連携を強化することの方が都構想実現の早道であることは維新の会の議員にも判りそうなものなのに、誰も橋下を諌めようとはしなかった。
このような状態が続く中で橋下は「政治は独裁が良い」などと言い切ったのは正気の沙汰とは思えない発言であった。
 月刊誌「新潮45」の11月号のなかで、精神科医でノンフィクション作家の野田正彰は、『大阪府知事は病気である』とのセンセーショナルな標題の論文を発表しおり、その副題に「橋下の挑発的発言、扇情的な振る舞い、不安定な感情−それらから導き出せるのはある精神疾患である」と断じていた。
 こんな経過をたどり、遂に橋下は知事を辞任し同時選挙が行なわれることになったのである。

知事候補決定の前段における維新の会の動き

 まず知事候補の選任について顧みれば、維新の会は外部からの人材を考えていた。その筆頭が辛坊治郎だった。彼は何度も否定していたが、橋下自身も以前に200%ないと言いながら立候補したいきさつがあり、マスメディアとの関係でそのように言っているのかと思われた。橋下は9月末日までの期限付きで返事を待っていたが結局出馬を拒否された。元経産省の古賀茂明も国政志向のために知事選出馬を拒否した。大阪府の顧問を辞めて、維新の会の顧問に就任した上山信一が市長候補で、知事はそのまま留まるのではないかと憶測する向きもあった。しかし、仄聞するところでは彼の評価は決して高くなく、そのような動きは一切なかった。
そんな動きの中でも橋下は、外部から擁立すると言い切り「意中の人はある。立候補に関する同意も得ている」と言っていたのも全くの嘘だった。
 結局、手詰まり状態の中で万策尽きて側近擁立を決断をしたようで、維新の会の幹事長である松井一郎(47)の起用となったのである。
 橋下は内部からの起用に関し新聞が推測記事を報じだしてからも一切明確な発言をしなかった。そんな経過もあり、松井の擁立決定に関して、いつ、どこで、誰が決めたのか、などをめぐり維新の会の中でかなり話題になっていた。しかし、いずれも水面下の「くすぶり発言」でしかなかった。

知事候補選考に関する各党の動き

 橋下の人気が依然として高いことから民・自・公三党は不戦敗のような状況であった。この件で民主党の複数の幹部と意見交換したことがあった。
 市長選は平松で行くことを決めていたが、同時選挙はあると言いながら知事選に関しては全く対応していなかった。民主党は、連合やその他の運動団体とは連携が密であるが、地方議員や一般党員を含めた府連としては、ほとんど見るべき対応をしていなかった。
維新の会が松井一郎を決定した時点で、彼が相手なら候補者によっては勝てると考えたようで、慌てて候補選定に取り掛かった。自民は参議院議員で弁護士の丸山和也に声をかけ、民主党は九州電力の「やらせメール事件」で第三者委員会委員長で弁護士の郷原信郎に声をかけていた。郷原は「知事の仕事に興味がある」と語っていたが地縁がないのを理由に結局は辞退した。自民党は丸山和也に対して10月11日に府連会長の谷川秀善から出馬要請をしたが即答が得られず立ち消えのようになっていた。
 公明党は候補者が揃った時点で対応を決めると言い、主体的な対応をしようとはしなかった。
  10月28日になって谷川が声をかけていた丸山和也から出馬する意向が伝えられた。この件に関する新聞報道におもしろいものがあった。新聞に報じられたものをそのまま引用すれば、谷川秀善は、「倉田なんかでは勝てんのや」、自民党の府議団が倉田の推薦を決め、29日の府連大会で報告し拍手で了承されたことに対して、「あんなものは了承やない」といったことが新聞で報じられていた。【10月30日・サンケイ朝刊】また、10月29日の読売・朝刊では、谷川が「府議団は倉田氏支援を決めたが府連全体でまとまったわけではない。丸山氏が無所属で出るなら党は関係ない」と報じていた。ところが10月29日のサンケイ夕刊では、「丸山氏と政策協定を結んで支援するのは当り前」と述べるとともに「倉田氏支援を決めている自民府議団に対して丸山氏支援で理解を求める意向を示した」と報じられていた。
 これら一連の報道から読み取れる自民党府連・前会長の谷川のコメントは支離滅裂で、何が真意なのか理解できなかった。丸山が無所属で出るのなら党は関係ないとはどういうことなのか。自分が出馬要請をした時に自民党の公認で出るように要請したのならともかく、知事選に党の公認などあり得ないのではないか。また、「政策協定を結んで支援するのは当り前」と述べたのが、同じ人物のコメントとは到底思えないのであるが、この一連の報道は新聞の書き方がおかしいからだろうか。2紙が報じていることにもかなり差があるし、新聞の報道に問題がるのか、コメントをする谷川の不用意な発言に問題があるのか、読者である我われとしては迷わずにはおれないものであった。
 ともあれ丸山問題は彼が出馬しないことで落着した。
 民主党は政権政党でありながら、知事選に対して弁護士の郷原信郎に出馬要請をしたことがあっただけで、維新の会に対抗するために、他党との共闘はしないといっていた党是をかなぐり捨てて自・公との相乗りを模索しだした。
 倉田が出馬の意向を示したことに対して民主党府連の中村哲之助副代表は「決断を重く受け止めたい」「今後の対応を早急に協議したい」と述べたていた。
 公明党府本部の佐藤茂樹代表は「候補者が出揃ってからスタンスを表明したい」と発言していた。既に候補者は出揃ったが、果たしてどんな対応をするのだろう。このスタンスは知事選だけではなく、市長選でも同じである。

 自民党と公明党は次の衆議院議員選挙の際に、維新の会の府議の応援が欲しいので、真っ向から維新の会に立ち向かえない弱さを秘めている。
既成政党は国政選挙のみに固執し、知事選挙といえども衆議院選挙との関連でなければ動こうとしない。これでは府民の理解が得られる筈がない。
 一番筋を通した対応をしているのが共産党である。共産党は知事候補として弁護士の梅田章二(60)と、市長には元市議の渡司孝一(59)の推薦を早々と決定していた。ところが、11月5日になって、独裁を阻止し反橋下の勢力を結集するために市長選出馬を見送ることを決定した。政令市の市長選挙を見送ることは、およそ50年ぶりのことがそうで、この決定は多方面から勇気ある撤退として評価されていおり、約11万票から19万票の共産支持票の行方は双方の陣営に影響を及ぼすことになるだろう。
 また、共産党は選挙で直接対決はしないが、選挙で平松が当選しても与党入りはしないと明言している。

倉田薫の出馬表明の背景

 各党が候補者を模索している間に市長会の顧問である倉田薫(63)が市長会の30名以上の推薦を前提として出馬に意欲を示しだした。
 紆余曲折があったようだが10月26日に倉田は正式に出馬表明をした。
 倉田薫の出馬に関するいきさつを探ってみるとおよそ以下の通りである。
 彼は当初市長会の30名以上の推薦を前提としていた。彼にすれば、それ位の人望があると自分で思い込んでいたようだが、この自惚れが彼の最初の誤算であった。さすがにそのハードルが高過ぎたと感じた彼は3分の2以上の推薦で良しとしたのである。
現在大阪府域には政令指定都市を含めれば33市9町1村、合計43市町村ある。池田市を除くと42市町村であるが、30市町村の推薦は橋下の影響力もあり、まず困難であることは容易に推測できた。そこで3分の2としたのだろうが、これも極めて困難で、実際には21市町村の推薦しか得られなかった。 
 倉田陣営が公表したその内訳は、大阪市、寝屋川市、箕面市、八尾市、豊中市、枚方市、富田林市、大東市、羽曳野市、門真市、高石市、藤井寺市、泉南市、交野市、大阪狭山市の15市と、島本町、豊能町、能勢町、忠岡町、熊取町の5町、千早赤阪村の1村で、合計15市5町1村の21首長であった。
 この推薦母体の数に対して、松井陣営では「30市町村の賛同が嘘であるなら有権者への裏切り行為だ」とけん制していた。当初推薦自治体の名前は公表しないと言っていたが、ここまで言われると発表しない訳にも行かず発表した。
 倉田陣営の推薦首長数は42分の21でしかなく、3分の2に届いていないのは事実である。
各首長が推薦を渋った理由も様々なようで、その理由として、首長の方からぜひ出て欲しいと言えばその責任を負わされると感じるとともに、他力本願で「ずるい」という意見があった。出馬するから応援をして欲しいといわれるのと、こちらから出て欲しいと言うのとでは全く立場が違うというのが本音であった。
 「自分は、このように考えるから是非支持して欲しい」と言わないのが彼の常套手段であるが、果たしてこのやり方が評価され通用するのだろうか。
 出馬要請も市長会の付き合いの中から出てきた程度で当初目標の30から3分の2に引き下げたが、いずれにも届いていないのに、それでも彼は格好をつけて出馬に踏み切った。ところが橋下は支持表明者が3分の2に達していないことを指摘し、推薦状況は「有権者にとって選挙で投票する際の超重要判断材料」であり、もし虚偽事項の公表だとすれば公職選挙法違反の疑いがあると批判している。因みにこの件に関する公職選挙法の規定は第235条(虚偽事項の公表罪)である。
 倉田にすれば橋下がそこまで言うとは思わなかったのだろうが、こんな足かせが嵌められたのも知事選挙の激しさとシビアーさを物語るものである。
 選挙に出る者の感覚として、「表面に出るのは憚るが、陰で応援する」と言うのは信用しないのが常識であり、それを「けしからん」とは言えないのも常識なのである。

 彼は、橋下が市長に出ることに反対していたが、やがて国政に進むであろうとの憶測のもとに彼からの禅譲を期待していたようだ。
彼が書いた『拝啓 橋下徹様』の中でもそんな雰囲気が随所に感じられた。
 もっと穿った見方をすれば、辛坊がダメ、古賀もダメとなった時点で橋下から声がかかるのを待ちわびていたようだ。しかし、橋下は、明確に彼では府政運営はできないと早くからコメントしていた。この話しは単なる推測ではなく維新の会に最も近いといわれている某首長から伝え聞いた情報である。倉田は「利巧ぶって、見え見えの策を弄する」人物だと言うのが評価であった。
 倉田の出馬が決まってからの橋下のコメントはもっと厳しくなったのは当然である。「倉田さんに改革は絶対にできない」と断言し、大阪都構想に賛意を表していることについても「選挙戦略でしょう。賛成なら維新を直接応援していただければいい」と突き放している。【サンケイ10月27日】

倉田手法の分析と問題点

 彼は今回の出馬に際しても従来同様の手法を駆使しているようだ。
 まず、自ら名乗らず担がれたから出る形をとり、その動機を他に求めているのは象徴的である。マスコミからも同じような見方をされていた。
彼の出馬表明についての新聞報道は「この日の会見では、報道陣の目の前で、首長有志による異例の「公開出馬要請」が行なわれた。市町長たちの出馬要請に聞き入っていた倉田氏は「断ったらこの政界で通用しない」と予定通り要請を受諾。したたかな政治家としての側面をのぞかせた」【サンケイ10月27日】

 それまでにいろんな根回しを自らがしていたのに、自分は絶対に出ないなどと言っていたし、これほど請われたら政治家冥利に尽きると感動して見せて出馬したのは彼の本来の政治姿勢である。30名以上の首長の支持がなければ出馬しない筈なのに、自らハードルを下げた際も自分の意思ではなく取り巻きの首長の意向であったとする姿勢があった。ハードルを下げてもなお届かなかった支援首長の数で出馬に踏み切ったことを彼はどう説明するのだろうか。

 今回は複雑な選挙情勢であるために、彼の選挙戦略はそれ程単純には機能していないようだ。橋下との真正面からの敵対は得策でないとの思惑からだろうが、「やんちゃだが、大好きだ。純粋さ、スピード感はいい」「都構想も決して反対ではない」などと、先輩ぶったリップサービスをしているのもその一例である。
 ところが同じ口で、橋下の政治は「恐怖政治」と激しいことを言ったり、「相手が誰であっても大阪再生に向け都構想に進む」などと言ったりするから、どっちが本音なのか、聞く人を疑心暗鬼にさせるのだ。こんな右顧左眄する姿勢は、まずプロの世界では通用しない。それが証拠に、このもの言いに対して見事に揚げ足を取られていた。都構想を進めると言うのなら、維新の会を応援しろとなり、また、都構想に絶対反対である自民党大阪市会議員団からは距離を置いた発言を誘発していた。彼の調子の良い「両にらみの物言い」は、双方に不信感を醸し出し、双方から信用されない状態を作りだしたのである。
 彼のこの種の手法に対する嫌悪感は市長会の中にも存在する。
 その上に、平松との共闘に対しては距離を置くとしているのも橋下に対する配慮からだろうが、この辺りにも姑息さが感じられ、市会の自民党のみならず民主党からも疎まれ、彼の思惑が随所ではずれていた。特に自民党市議団からは「都構想への賛同発言をやめてもらうことが条件」と明確に発言するに至ったのである。

惜しまれる倉田の政治手法

 選挙とは、勝つか、負けるかしかないのだから、主義・主張を明確にして、はっきりとした姿勢を示すべきであるのに小細工を弄するからこうなるのだ。
 当初は、平松とは連携しないとはっきりと言っていたが、それでは大阪市会議員は承知をしないことを予測出来ないのが彼の限界である。また、政党に対する対応の仕方も、当初は政党推薦は受けないとしていたが、かなりトーンダウンしてきた。すべての面で変節を感じさせるのは旨いやり方ではない。
 彼の一番悪い点は、熟慮せずに思いつきで発言する癖があることだ。自分では、その場、その場を旨く凌いでいる積りだろうが、池田では通用しても大きな舞台では通用しないことを今回の一連の発言を巡る反応で身に沁みてわかったことだろう。行政運営に関しては総務省から出向してきている若手のキャリアを手元においているから大きな間違いはなくても、大阪府域を舞台とする政治的対応に関してはまだまだ認識は浅く、知事選挙がどんな選挙なのかがわかっていないし、彼にはその辺を仕切れる参謀がいないのが致命的である。
 先に述べた某首長は、同じ池田の住人としては聞きづらい話しだが「所詮は田舎侍だ」と切って捨てる発言をしていた。
 しかし、この選挙は緻密に戦略を組み立てて戦えば、充分勝てる可能性があるだけに、迷走し続けている倉田の選挙手法が惜しまれてならない。

選挙は相手との違いを際立たせることが大事である

 橋下は、仲間内からも強引過ぎると思われるほど自分の思いを貫く手法を常套手段とするが、倉田は常に「いいとこどり」を画策する。橋下には強烈な反対者もあるが、それでも突っ走る強引さに対する強烈な支持者がある。ある意味では、この「やんちゃ振り」が彼の魅力となっているのだ。倉田自身が言うように、橋下はある意味では「純粋である」のに比べるその差は歴然である。
 都構想に賛成なのか反対なのかも明確にしないのは、橋下におもねる姿勢でしかなく、選挙なのだから、その事をメインにした政策論争で支持獲得を目指すべきである。それなのに平松との協調や市会議員対策として都構想は選挙の争点にしないなどと言ており、その理由が、なんと、彼らの言う期限内に実現しないからだと言うのだが、どう考えてもピントがずれている。
 それともう一つ指摘しておきたいことは、かつて産経新聞の取材に対し、平松市長が区長公選を選択しないのなら議会内閣制に準じて、その地域選出の市会議員を区長にするくらいのことを考えるべきだと滔々と述べていたが、現行法制上できもしないことを軽々しく発言することで却って評価を下げることになっていることを知るべきである。
 本稿の結論部分で見解を示すが、都構想には問題があり実現の可能性は皆無だと考えているだけに、今回の知事選ではこの争点をぼかすことなく明確に見解を示さねば選挙にならないだろう。
 出馬会見の際に、余り知恵があるとは思えない記者が、知事になって何をするのかと倉田に問いかけていた。それに対して「いくらでも言うことはある」と言っていたが、これ程の規模の選挙で細かいことを言う必要はないが、端的に争点を明確にできないようでは話しにならない。

松井一郎とはどんな人

 松井一郎は、昭和39年1月生まれの47歳で、父親の後を受けて八尾市から府議会議員に当選した現在3期目の世襲議員である。耐震上の問題で庁舎の全面移転を断念することになったWTCへの庁舎移転に関する府議会の議決の際に、自民党議員団が団で決した事項を本会議で覆したことに異議を唱え自民党府議団を離団し維新の会を結成した中心人物である。彼は福岡工大電機工学科に学び民間企業を経て議員になっただけに、政治・行政に関しての法律的な議論についてはあまり得意でない感がある。彼と議論をして感じたのは、窮すると「見解の相違だ」と発言することがあったが、この言葉を頻繁に使えば議論にならない。換言すれば彼はアカデミックで論理的な発言は得手でないようである。しかし、彼は事業家としての一面を持つだけに、決断の速さと行動力には素晴らしいものをもっているようだ。
 維新の会の幹事長として統一地方選に際して、新人の発掘に尽力し府議会で過半数を獲得する大役を果たした。しかし、若干思い込みの激しさもあり会派内でも反目するグループもある。彼が橋下の後を受けて知事選に立候補することになったが、会派内の議員をどれだけ纏めることができるのか注目されている。
 父親の松井良夫は八尾市会議員を経て府議会議員を6期務め、議長にも就任した。現在も尚、自民党八尾市部の支部長に就任しているようであるが、息子である松井一郎が自民党と対決姿勢をとっている維新の会の大幹部であることから、その対応を訝しがる向きもある。

倉田が勝利するための戦略とは

 最近の選挙は強烈な個性に対して反応する傾向が強く、このようなタイプに対して選挙民は、従来になかった人物と捉え、それがカリスマ性といわれるものに成長するようだ。
 今求められているのは「両にらみの政治家」ではなく、決断をし断行するタイプの政治家である。倉田に筋を通す気迫が欠けていることは惜しまれてならない。知事選の相手は松井であり、都構想の実現に向かって遮二無二戦いを挑んでくるのに、都構想に反対ではないが争点にはしないとはどう言うことなのか。
 この選挙は都構想の是非を問う選挙ではないのか。ある意味では体制選択論が選挙の争点であるはずだ。
 選挙は、倉田対橋下の一面もあるが、目前の相手は橋下ではなく松井一郎である。いかに倉田が全方位外交で府議会議員に愛想を振りまいても維新の会57名を取り込むことは不可能である。それに対して自民党は13名、民主党は10名しかいない。公明党は21名だが、現在の時点では日和見をしており、どんな対応をするのかは未知数だ。自民党と違って公明党は上部組織からの指令には絶対的に服従するが、府議団の中には強烈な反維新の動きもあり、この辺りのことから国政選挙がらみで自主投票にする可能性が高いのではないだろうか。自民党の府議はそれぞれの地域の国会議員に対して、さほど忠誠心がない。だから、国会議員と違って府議レベルでは維新の会を敵に回したくないなどと考えてはいない。これらを総合的に考えれば、結論的には政党支援はそれほど意味がないと彼が受け止めているのは判らなくはない。
 しかし、選挙は味方を作ることより、敵を作らないことが大事なのである。この辺りのことが、明確な物言いをすることとの兼ね合いで一番難しいことなのである。しかし、これが選挙なのである。
 だからと言って「両にらみでは」本当の味方をつくれない。これが選挙の難しさなのである。
 最近の選挙情勢は大きく様変わりし、漠然とした雰囲気や停滞しきっている現状に対してドラスティックな変革を提言するか、あるいはワンフレーズで決め付ける物言いが「風」を巻き起こすのである。几帳面な演説をさせたら倉田に分があるが、倉田流の調子のよい物言いより端的に言い切る演説が受けるのである。彼は演説は旨いが、説明的であり決してワンフレーズの演説は得意ではない。だから討論会や会場での演説なら分があっても、街頭演説では、一つのこと(大阪都構想)を言い続け、言い切る泥臭さでは松井に分があるだろう。
 どんな姿勢を打ち出すのか、どんな物言いが良いのか、何をメインにするのかは彼自身が熟慮し決めるべきである。
 選挙には、「空中戦」と「地上戦」(ドブ板選挙)と呼ばれる両面がある。
 知事選は完全に空中戦であり、この違いにどう対処するのかが重要となる。
 また、選挙では、それぞれの地域に、いかに網が張れるかも重要である。今回の選挙の支持母体を眺めてみると、松井陣営は維新の会の府会議員57名に対し、自民と民主をあわせて23名でしかない。公明は恐らく最後まで態度を明確にしないだろう。このハンディをどう埋め合るのかが課題となる。
 そこで倉田が期待するのが市長会であるが、メディアを通じての選挙戦と市長会の動きが選挙を決することになるだろう。
 果たして市長会が集票マシンとして機能するだろうか。この辺りが勝敗のキーポイントである。

どうなるだろう、大阪都構想の行方

 前回の二水会でも大阪都構想について見解を述べたが、端的にいって都構想の実現可能性は極めて低いだろう。確かに当初の構想からすれば、かなり具体的な政策となってきたが、この構想の実現のためには特別法の制定が不可欠である。維新の会では自民党の石原幹事長も理解を示しているし、民主党の幹部とも意思疎通が出来ているとのことだが、こんなのは全く当てにならない。
 何よりも特別法の制定のためには地域住民による住民投票での同意が前提条件となっており、このハードルがクリアーできないことは平成の大合併の際に住民投票が明確に示しているからだ。
 また、維新の会が全面的にバックアップした堺市の竹山市長は、市を解体し区に移行することに反対をしているし、吹田の井上市長は中核市を目指すと発言していることなど、内部からの不協和音が大き過ぎる。
 広域自治体と基礎的自治体に分割し、広域自治体としての都は経済活性化策に重点をおくと主張しているが、府と市が合体したくらいの財政規模で経済振興策が効果的に実現できるのかは大きな疑問である。
 確かに二元行政による二重投資などは多少効率化されるだろうが、国の施策がらみでなければ実現は不可能である。しかし、大都市の制度がこのままでよいのかといえば、随所に制度疲労と機能不全を引起しており、改革の必要性は喫緊の課題となっている。それでも橋下流の荒っぽい手法では彼らの言う期間内での都構想実現はまず不可能である。
 ともあれ、類稀なキャラクターの持ち主である橋下に期待する府民は多いが、果たして同時選挙でどんな判断を下すのだろう。
 同時選挙で、知事・市長のどちらを落としても維新の会は空中分解することになるだろう。その意味では大都市行政のあり方を掛けた「大阪秋の陣」である。
11月27日は眠れない夜になるだろう。

(文中 敬称略)
平成23年11月8日 松 室  猛



戻る