松室猛のTMニ水会定例講演・資料

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「破壊か、改革か、新しい時代の到来か」




 民主党の代表選挙が9月14日に行なわれることになった。よもやと思われていた小沢一郎が出馬し激しいバトルが繰り広げられている。今日に至る経過の中で一番面白いのはやっぱり鳩山の動きである。早々と菅直人支持を表明していたが、一転「お世話になったのだから恩返しをするのは当然」と小沢支持を打ち出した。いつまで経ってもこの人の軽い発言と、その場限りの発言癖は治りそうにない。鳩山は自分が辞任するときに幹事長であった小沢も同時に辞任することを求めた理由を思い出すべきではないか。
 小沢は不正献金疑惑と、権力の二重構造が招いた数々の問題点に対する反省もなく、検察審査会の結論を待たずに再び政権の座を目指す神経は理解しがたい。
この事態を受けて民主党の改革が進むのか、破壊への道をたどるのかについて検証してみる必要がある。
今回の二水会では、民主党問題だけでなく「新しい時代の到来か」と疑問を投げかけつつ、論点は違うが地方自治体で異変が起きていることも合わせて検証することとした。

民主党の代表選の仕組み
 被選挙者と選挙人
・中央および地方の選挙管理委員を除く20人以上25人以内に推薦された党所属国会議員が被選挙者となる。
投票と当選者
・投票は無記名投票で行われる。国会議員と国政選挙の党公認予定候補者は代表選挙当日に設けられた投票所に候補者に直接投票を行う。(今回は公認予定者は選挙権なし)
その他の党員とサポーターは郵便投票を行う。
民主党の代表選挙はポイント制が採用されており、国会議員と党員・サポーターにより票の扱いが異なる。
・国会議員は1人1票で、得た票数の2倍がポイントとなる。
国政選挙の党公認予定候補者は1人1票で、得た票数がポイントとなる。
 民主党所属国会議員総数は412人。
・地方自治体議員である党員は、100ポイントが割り当てられ、議員全員による全国単位で投票をし、ドント方式によりポイントが配分される。
民主党の地方議員は 2,382人。
・上記以外の党員およびサポーターには300ポイントを与え、各小選挙区の総支部に1ポイントずつ配分される。
党員サポーター数は342,493人
・党員およびサポーターの投票は各小選挙区の総支部ごとに投票を行い最多得票数を得た代表候補者がその小選挙区総支部でのポイントを獲得する。
当選者はポイントを合計して、ポイント総数の過半数を得た者が当選となる。
総計1,224ポイントとなる。過半数を得た者がいない場合は得票数の上位2名により党所属国会議員と国政選挙の党公認予定候補者による決選投票を行い、得票数の多かった者を当選者とする。
このとき、各人の持ち票は党所属国会議員が2票、国政選挙の党公認予定候補者は1票である。
当選者は党大会、もしくはこれに代わる両院議員総会で承認を経て民主党代表となる。

選挙情勢の予測
 8月末現在における民主党の派閥(グループ)は次の通りであるといわれている。
但し、自民党全盛期の派閥と異なり、複数のグループに所属している者が多く、より緩やかなグループとされているので単純にこの数が各派の勢力とは断定することはできない。

(新聞各社別グループの勢力) 朝日新聞 産経新聞 読売新聞
小沢に近いグループ
 小沢グループ 150名 120名 150名
 鳩山グループ 45名 45名 60名
 旧社会党グループ 30名 25名 30名
 旧民社グループ 30名 20名 30名
 羽田グループ 20名 20名
菅に近いグループ
 菅グループ 30名 40名 60名
 前原グループ 30名 30名 60名
 野田グループ 35名 30名 40名

 派閥と目されるグループの数は上記のとおりであるが、いずれも数字が合わない。無派閥もあれば、複数のグループに参加している議員がいるためである。
平成22年8月30日のマスコミ各社の世論調査と、9月6日の読売の調査結果は下記のの通りである。   

8月30日(各社の調査) 9月6日(読売の調査)
菅 直人 60〜67% 66% 党内調査 74%
小沢一郎14〜16% 18% 〃   20%

9月4日時点の読売の序盤調査では、地方議員の50,1%は菅支持、23,7%前後が小沢支持となっている。依然として20〜25%は未定だそうである。国会議員については鳩山グループの50%は小沢支持で、旧民社は40%が菅支持となっており、前述したグループ分けでの支持率はあまりあてには出来そうにない。また、小沢派の議員は比例選出が多く、選挙区の党員・サポーターと繋がりが強くない傾向がある。終盤にかけてどんな展開になるかは未知数であるが、小沢にとっては厳しい状況ではないか。

ポイント制による選挙結果はどうなる
 国会議員の支持がどうなるのかも見ものだが、一般党員やサポーターの評判は世論調査に影響されるだろうから菅が優勢ではないかと思われる。しかし、その数は地方議員100ポイント、党員及びサポーターは300ポイントだから菅が7割、小沢が3割と計算したら280対120となる。その差は160ポイントとなる。この場合国会議員の支持が80人上回らねば小沢は勝てない。
仮に6対4なら120ポイント差で国会議員を60人上回らねば勝てないことになる。前述のごとく世論調査は党員だけではなく一般人も参加しているので支持率がどうなるかは不確実なものだが、地方議員・一般党員・サポーターの支持が少なくとも互角に近くならねば小沢は勝てないだろう。
それほど菅が強いとも思えないのだが、菅を支持する声には、「総理をコロコロ変えることは良くない」といった程度の声しか聞こえてこないのも問題である。この声は国会議員の中にも多いことは、菅の資質に対する評価ではなく、変えないほうが良いといった程度の支持であることは情けないことである。

上記のポイント制選挙を表にすれば
国会議員票 地方議員票 党員 サポーター票
412名 2,382名・人数に関係なく 342,493人
824P 100P・全国一括 衆院選挙区別1P・合計300P

合計1,224Pの過半数を獲得した者が民主党代表になる。

民主党代表選をどう見るか
 選挙選の前半で世論調査の結果は、民主党関係者だけでなく一般に問いかけて調査集計したものであり、もしこの数字と違う結果が出るとすれば、民主党内の意見と国民世論との乖離が問題になるだろう。
 代表選出馬までの経緯を振り返れば、かなり本人や周辺にも戸惑いがあったことは事実のようだ。何が小沢を出馬に踏み切らせたかといえば、菅代表が就任の時点で、小沢に対して「静かにしていて欲しい」と発言したことに端を発し、閣内では反小沢の仙石由人を官房長官に選任したことや、党役員では枝野の幹事長選任など、小沢色の一掃をはかったことによる疎外感が大きかったからだろう。
「子どもの使い」程度の調整能力しかない鳩山は、調整役を買って出て挙党体制が必要であるとして菅と会談をした。そのときに彼が言ったことは「挙党体制を作るために小沢さんをきちんと処遇しないといけない」であった。小沢を幹事長に据えるしかないと考えていたようであるが、こんな話を菅が受けるはずがないのがわからないところが鳩山の限界である。
菅は、挙党体制には異論はないが、精々「党最高顧問」と称する名誉職であったようだ。仙石はずしを明確に拒否し、脱小沢体制の継続を打ち出した時点で小沢は出馬の意向を固めたようだ。もしこのまま静かにしていたら、小沢の存在感が党内で消え失せることになると感じたからであろう。
ロシアから帰国した鳩山は、鳩山グループの幹部と対応を協議した際に「まず首相と小沢氏がしっかりと話し合うことだ」と述べ直接対話で事態打開を図るしかないとの考え方を示した。党分裂を避けるために菅が小沢に頭を下げるべきだと伝えたようだ。ペレストロイカ方式で党運営を行なうことで調整していたようだが、こんなごまかしを小沢が呑めば、その時点で小沢の求心力は決定的に弱まるだろう。

民主党の代表選が実施されるのか否かによって、この資料を大きく修正しなければならなくなるので8月31日の菅・小沢会談を、固唾を呑む思いで待ちわびていた。31日の午後6時少し前に会談が終り記者会見が行なわれた。テレビで本人が発言している姿を目と耳を凝らして眺めていたが、まったく、しどろもどろな会見であった。日本の総理を目指す人物の重要会談後のコメントとは到底思えない、何を言っているのか判り難いものであり驚いた。これほど稚拙な政治家の発言を聞いたことがなかっただけに驚きを禁じえなかった。
 こんな経過を経て民主党の代表選挙は実施されることになったのである。

選挙結果は何をもたらすか
 大胆な予測になるが、菅が勝てば小沢は党に留まらないだろう。その逆に小沢が勝てば党内の亀裂は一層深まり分派行動が進行するだろう。いずれにしろ党の分裂は避けられないし、挙党体制など実現する可能性は皆無とみるべきだろう。
 この際は、政界再編がどうなるかまでの予測は置くとしても、過激なほどの多数派工作が各党に及ぶことは考えられそうだ。

選挙がなかった場合はどうなったか
 まず、何より小沢に対する党内評価が極端に冷え込むだろう。菅は懐柔策としても仙石をはずすことは避けるだろうし、はずせば、仙石は既に話題になっている小沢の党代表時代と幹事長時代の党費の使途に不透明な部分があったことを暴露することに専念するのではないか。いずれにしろ泥沼の戦いが党内に残ることになる。だから菅が呑める策は枝野幹事長更迭くらいだろうと思われた。
鳩山グループの中山義活前首相補佐官らは、ぎりぎりまで対決回避を主張していた。ある意味では見識ある対応だが、鳩山の求心力はますます消え失せ、グループとしての影響力は胡散霧消するだろう。彼は次期選挙での引退を表明したが、直ぐに取り消している。いずれにしろ、物欲しげな議員は残ってもグループとしての影響力はなくなるだろう。
 仮にペレストロイカが容認されたとしても、憲法改正問題、安全保障政策、消費税改革などの基本問題で三者の意見が違い過ぎるので、今後の党運営は波乱含みとならざるを得なかっただろう。
 これほど、理解しがたい党内争いをしているのに、野党である自民党が国民から支持される機運が高まらないのは日本の政治にとって悲劇的ですらある。
 
地方自治体の混乱

 中央政界における混乱は地方自治体にまで及び、かつては見られなかった混乱が生じている。混乱を引起している自治体の問題に共通するものは、議会と首長の軋轢である。財政健全化策をめぐる議論が、ここまでこじれれば、二元代表制の基本的なシステムに問題があると言えなくもない。さりとて制度改革は簡単ではないが自治体にも数々の制度上の問題があることを示している事例である。

鹿児島県阿久根市の混乱
 
最近地方自治体の運営を巡りかなり混乱が生じている。その最たるものは鹿児島県阿久根市議会(定員16名)と市長の軋轢である。

阿久根市は人口23,800人の鹿児島県北西部の海に面した自治体である。
主たる産業は農業と漁業であるが最近は漁獲量が極端に落ち込み活力が急激に消え失せた。新幹線の開通により在来線が三セク路線となり過疎化が急激に進んだのも大きな原因である。

話題の竹原信一市長(51歳)の経歴を簡単にたどれば、防衛大を卒業し航空自衛隊に配属されていたが、家業の都合で阿久根市に帰り建設業に従事していた。

2005年12月 市議会議員に当選
2008年8月 市長に当選
2009年2月 不信任可決、議会解散
〃   4月 議会が再度不信任可決 市長失職
〃   5月 出直し市長選で再選
〃   7月 人件費を張り出した。張り紙を撤去した職員を懲戒免職
〃  10月 鹿児島地裁が処分の効力停止決定
2010年1月 命令に従わない職員は辞めてもらうと発言
〃   3月 「マスコミがいる」と議会出席を拒否
〃   5月 職員賞与半減を専決処分
〃   6月 反市長派が臨時議会の招集請求
〃   7月 鹿児島県知事が2度にわたり是正勧告
〃   7月 副市長の選任を専決
〃   8月 臨時議会招集
〃   8月 市長リコール要求活動署名開始
8月 17日署名開始、9月17日署名終了、選管がチェックし、本請求から60日以内に住民投票、過半数で解職成立。
50日以内に選挙。

 2009年5月31日に行われた出直し市長選で、8,449対7,887の僅差で竹原前市長が再当選した。
2010年8月25日から2日間、約4ヵ月ぶりに市議会が行われた。この間に竹原が行った専決処分19件について、仙波敏郎を副市長に選任した処分を含む14件に関して不承認となった。
現在市長リコール運動が行なわれており、既に有権者の3分の1である6,700人を上回る8,420人の署名が集められ、住民投票が行なわれる。
住民投票でリコール賛成が過半数となれば市長は失職する。

問題点としては議会の招集をしないことや、専決処分を繰り返していることである。専決処分とは議会に諮らず市長が決定することであるが、本来緊急事態に対する便法であり、その場合は直近の議会で承認を得ることが必要とされている。
給与や賞与のカットなども専決で次々行なっているが、いずれも議会開催時点で否決されいる。
これら一連の動きに対して総務省は、違法ではあるが想定外の事態であり、勧告はできても直ちに改善させる方法がないとのことである。やがて司法の判断が示されるだろうが、地方自治体の首長と議会の運営に関する二元代表制の問題点を指摘する見解もある。

名古屋市長と議会との軋轢
 現名古屋市長河村たかしは昭和23年生まれ。一橋大学商学部卒。春日一幸の秘書を経て家業を継承。その後、県議選、衆議院選に挑むも両方とも落選。
その後、日本新党公認で衆院選に初当選を果たし5期衆議院議員を務めた。
平成21年1月名古屋市長に初当選、現在に至る。

河村市長の市政改革案の主なものは3点である。
市民税を10%減税、
市議会議員定数と議員報酬を半減
地域委員会の創設。
・「市民税10%減税」は、わが国の地方自治史上、前代未聞の公約といえる。
名古屋市の市民税収は約2,500億円、その10%の250億円を減税し、納税者本人とその家族180万人(全市人口は225万人)に還元するというものだ。これは名古屋市の予算総額2兆6000億円の1%相当で、減収分は行財政改革で吸収するとしている。
・「議員定数の削減」について、名古屋市議会は定数75名であるのを38名に削減する条例案を提案した。同時に議員報酬が年間約1,600万円であるのを800万円に半減する条例案も提案した。
・「地域委員会」の意図は、学校区などの地域ごとに住民が選んだボランティア
委員による意思決定機関を置き、福祉や防犯、街づくりなどの生活に密着した事業の決定権と予算を委ねるという構想である。

この施策は平成16年の法改正により地域自治区の制度が認められたことを受けての提案である。この制度を導入している自治体は全国にかなりあるが、政令指定都市では初めての提案である。
「地域のことは住民が自ら決める」という原則は地方自治の精神に則ったものである。ところが、市民自治が浸透すれば、1人当たり2000万円も支出されている市議会議員(75人)の役割が問い直されることは必至で、河村は市民自治の充実を図りながら、併せて形骸化が指摘される議会の自覚も促そうとしているものといえる。

それぞれの政策の検証
 選挙の公約として市民税の10%減税の実施を打ち出し歳入減となったので市債の発行高が増加した。これは、市債は借金ではないという持論に基づくものだが、市議会での理解は得られなかった。それでも当初減税は行政改革で補うという方針を示し、市議会側は了承し、恒久減税は条例化されることとなった。  
しかし、実際には河村市長本人が行政改革を先頭に立って行うことはなく、名古屋市役所の役人に丸投げを行ったため、無駄な予算のカットではなく、一律の予算カットが進んだ。また、市長本人も福祉・子供・教育関係予算だけで150億円以上カットを指示。消防予算も10億円カットの指示を行った。
そのため市議会側は、「第3子以降の保育料無料制度復活」などの予算修正を行うとともに、減税を単年度とし、各年度ごとに予算内容を確認したうえでチェックするという方針に出た。
一方、市長側は当初の公約では1割削減であった議員報酬を半額に削減するなど極端な案を出したため、議会側の反発を招き、両者の対立は決定的となった。
恒久減税、議員報酬削減など市長の提出する条例案は次々に否決されることとなり混乱を招いている。
国会議員時代から名古屋弁でテレビ出演などを通じ知名度のあるユニークな議員であった河村は、数々の議会との軋轢から脱するために、市長は自ら議会解散の署名活動を行うことを表明し、8月27日、名古屋市選管に対し署名活動に必要な証明書の交付を申請した。
議会解散のリコールの成立には9月27日までに有権者の5分の1(約36万6千人)の署名が必要となる。
(地方自治法等の一部を改正する法律(平成14年法律第4号、2002年3月30日公布)により「その総数の3分の1(その総数が40万を超える場合にあつては、その超える数に6分の1を乗じて得た数と40万に3分の1を乗じて得た数とを合算して得た数)以上」と改正されている。)
市民税減税の恒久化や議員報酬削減を目指す河村と市議会との対立は深刻で関係修復は困難な状態である。河村は議会のリコールが成立した後、出直し選挙に自らが代表を務める政治団体「減税日本」から多数の候補者を擁立し、「河村派市議」で過半数獲得を目論んでいる。

河村市政の評価
 
河村市政開始後、河村サポーターズ代表であった柳川喜郎元御嵩町町長、経営アドバイザーであった後房雄(うしろ ふさお)名古屋大学教授、藤岡喜美子市民フォーラム21・NPOセンター事務局長など次々と辞任した。
後房雄は中日新聞の寄稿の中で「河村市長は議会との対立を演出するなど政治家としての資質は高いが、マニュフェストにある政策を実行していく行政経営者としての資質は著しく低い」と述べている。また、「マネジメントの資質と関心がこれほど乏しい人が市長をやっていてよいのかという根本的な疑問がある一方で、次の市長選挙ではそれにもかかわらず勝ってしまうであろうというのが困ったところである。」とも述べている。
また、柳川喜郎元御嵩町町長は「民主主義は話し合いと説得だ。河村さんにはそれができていないと思う」と述べている。
市長就任1年後の中日新聞の世論調査では市長の支持率は61%となっており依然高い。一方で、愛知県内の自治体の首長に河村市政の評価を聞いたところ平均50.9点と低い評価であった。評価できない理由は「議会制民主主義の根幹である議会との対話がほとんどない」「地方行政や議会への注目度を高めたが、市民生活に寄与する具体的な成果に乏しい」など議会との対立やそれに伴う市政の混乱を指摘する意見が多かった。
この辺りの問題点や評価は大阪府の橋下と大変似ている。しかし、橋下の方がマネージメント力はあり、パフォーマンスと独断専行、話し合いを重要視しない点や、議会を牛耳るために自らが政治結社を立ち上げる手法などはまったく同じである。
地方自治体運営をめぐるこれ程の混乱は、かつてなかったことである。急に各地で問題が出現するようになったのは「新しい時代の到来」なのだろうか。
制度上の問題点も含め、何が原因なのかを検証する必要がある。

平成22年9月8日 (文中継承略)
松 室   猛


大阪都構想とは何か
 橋下が目論んでいる「都制」とはどんなものかについては、未だその詳細はわからない。そこで東京都とはどんなシステムで、府県とどう違うのかについて述べることにする。

都誕生の経緯と府県の違い
東京都の誕生
江戸府 - 1868年7月1日(慶応4年5月12日)に設置。東京府の前身。
東京府 - 1868年10月2日(慶応4年8月17日)、江戸を東京に改称。
東京市 - 1889年(明治22年)5月1日に設置。
東京都 - 1943年(昭和18年)7月1日、東京府・東京市を廃止し設置。

東京都の都制移行の経緯
 1871年  廃藩置県
当時の自治体数は、3府302県
それ以前は東京府であった。府とは都の意味であった。
昭和18年まで東京市があった。
東京府は東京市が税収面でも強大であり行政能力的に東京市を監督していたものの実質的な影響力をもち得なかった。
都制に移行することで行政権を掌握した。
都制施行で、旧の東京市を特別区とし23区に分割した。
特別区は独自の行政を行なう自治体である。
都は固定資産税および都民税を徴収することで行政力を強めた。
特別区に対して交付税を交付するシステムにした。

大阪都構想とは
大阪都制の現在の案では、大阪市の24区を8区にする。
堺市を7区から、3区にする。
豊中市・吹田市・摂津市・守口市・門真市・大東市・東大阪市・八尾市・松原市の近隣9市を特別区にする。
合計20行政区に再編する案である。

以 上



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