松室猛のTMニ水会定例講演・資料

 平成22年11 戻る






はじめに
 尖閣諸島を巡る問題が火を噴き日中間の雲行きがおかしくなってきた。しかし、いくら考えてもこの問題をめぐる中国側の対応や日本側の反応について理解できないことが多過ぎる。日・中両国ともに、尖閣諸島をめぐり領土問題は存在しないといっているが、こんな不可解なことがあっていいのだろうか。島の帰属の問題はおくとして、事後処理に関する中国側の対応は、他を顧みず力づくのごり押しでしかないのは明らかである。しかし、この問題に限らず、わが国には未解決の領土問題が存在する。ロシアとは歯舞・色丹・国後・択捉の北方領土問題があり、11月1日にロシアのメドベージェフ大統領が国後島を訪問し実効支配を誇示する挙に出たのは中国との尖閣問題の間隙を付く絶妙のタイミングというべきだろう。韓国との間では竹島問題、そして尖閣諸島問題である。さらに尖閣諸島をめぐっては台湾までが領有を主張していることである。これらの領土問題のすべては理不尽極まりなく日本側の対応は、いじめられっ子が泣き寝入りをしている状態でしかないのはまったく情けない限りである。何よりも不甲斐ないと感じるのは、政府の対応もさることながら日本国民が実に能天気な受け止め方をしていることだ。

 太平洋上に存在する沖ノ鳥島をめぐって領有権の主張ではないが、中国が「あれは島ではなく、岩である」と主張し日本が主張する排他的経済水域に妥当性はないと発言している事実がある。問題は、何故こんな小さな島が国際問題になるのか、この件に関する国際法はどうなっているのか、排他的経済水域とは何なのか、さらには大陸棚とはいかなるもので、その権益とは何かなどについて改めて学習する必要があることだ。
その前に考えねばならないことは、領土とは何か、国家とは何かについての基本的認識が必要であることだ。この稿では数ある領土問題の中で日・中間で争いがある尖閣諸島と、韓国との竹島問題を取り上げ検証することにした。

領土としての「島」の要件とは
 まず、領土とは何かについて考えるにあたり、「沖ノ鳥島」の例から基本的な領土についての国際法の定めを見てみたい。これらに関する国際法として国連が制定した「国際連合海洋法条約」がある。領海および接続水域・公海・漁業および公海の生物資源の保存・大陸棚に関する4つの条約のことである。全447条、本文320条と9議定書で構成され、海の憲法ともよばれるものである。1982年、第3次国際連合海洋法会議で制定され国連総会で採択された条約で、1994年に発効した。わが国は1996年に批准した。
 国連海洋法条約第121条第1項では「島とは自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、高潮時においても水面上にあるものをいう」との規定がある。
 沖ノ鳥島は日本最南端の島で、東京から南へ1,730キロ、北緯20度25分、東経136度04分、北回帰線より南にある熱帯に属する島である。この島は1931年の第1次世界大戦後、南洋群島委任統治として日本領となった。第2次世界大戦後はアメリカの信託統治下におかれていたが1968年に小笠原とともに日本に返還された。
 沖ノ鳥島は東西4,5キロ、南北1,7キロ、周囲約10キロのサンゴ環礁で北小島と東小島の2つからなる島で、満潮時には北小島は16センチ、東小島は6センチだけ水面に頭を出す島である。地番は東京都小笠原村沖ノ鳥島1番地と2番地である。このように小さな島であるが、これを島といえるかどうかが議論されているのである。「島」すなわち領土であるとするためには、人が住んでいるか、経済活動をしているかが問題となる。沖ノ鳥島は人が居住することは不可能だが経済活動をしているかが問題となる。経済活動とは何かも問題だが、科学実験や観測、沿海における漁業活動の拠点であれば問題はない。現実には観測のための施設があるのとサンゴ礁が台風による高波などで破壊され水没を防ぐために、水に囲まれている条件を満たすために一部を除く周囲に護岸壁を構築しチタン製の柵を被せて防護しているだけである。サンゴ礁の上にコンクリートなどで嵩上げすることは自然の構築物でなくなるのでしてはならないからである。

〔写真・左「日本の国境」から転載〕  〔写真・右「日本人が行けない日本領土」より転載〕

 この島に関しては沿岸国がないので大した争点となっていないが、中国は島ではなく岩であるとして排他的経済水域を認めようとしない。高潮時にはわずかに6センチと16センチ海面に出ているだけの二つの島(サンゴ礁)が領土であるか否かによって漁業資源として大変大きな違いが出てくる。
排他的経済水域とは
 
何故このようなことまでして島である状態を守るのかは、領土であればその周囲に200海里まで排他的経済水域が設定することができ、水域で海底資源の探査、開発の主権的権利の管轄権を持つことができるからだ。排他的とは自国の主権以外、外国の権利を認めないことを意味する。漁業に関しては漁獲量の分配、漁期、魚種等を決定できる。沖ノ鳥島の場合は排他的経済水域は約37万キロ平方の水域となりマグロ・カツオの漁場として水産資源の貴重な地域となる。この島を巡り先述のごとくロシアは島ではなく岩であり、従って排他的経済水域は認められないと主張しているのである。

排他的経済水域内調査の取り決め
 
領域内の海洋調査については国連海洋法条約の第246条第2項において沿岸国の同意を得て実施すると定められている。日・中間においても2000年8月の日・中外相会談で海洋調査について相互に事前通告制度をとることを合意しており、船名、調査概要、期間などを2ヶ月前までに通報することになっている。しかし中国はこの合意を一方的に破り国連海洋法条約に反する調査を続けている。度重なる違反に対し日本の外務省は中国に抗議をしているが、まったく意に介する様子がないのが現状である。

領海に関する国際規定
 領海とは海岸線(基線)から12海里の範囲をいう。一海里は1,852メートルで緯度1分の長さである。従って領海とは基線から22,224メートルをいう。この範囲は陸地と同様に完全に沿岸国の「領域」である。ところがこの領海に関しても例外規定がある。日本近海の海峡(宗谷海峡・津軽海峡・対馬海峡・大隈海峡)は特定海峡として領海幅を3海里としている。その理由は海峡を通行する外国船の便宜を図るためである。(このような水域以外にも大陸棚に関する権益があるが、この問題はテーマと若干ずれるので本稿では割愛する。)
 わが国は領土の全面を海に囲まれているだけに海域に関する権益に大変大きな関心をもっている。関心があるだけではなく漁業者は死活問題であり、日本人の蛋白源である海洋資源の枯渇は由々しい問題となる。それにも拘らず、中国の海に関する無法としか言いようがない振る舞いに対し日本側は極めて卑屈な対応をしているとしか思えないのが問題なのである。

日本と中国の違い
 
日本と中国との違いについてユニークな論評をしている文献に、清沢洌(きよし)の「日本外交史」がある。その中で清沢は「危険が身に迫ると考える時、これに対処するのに二つの態度がある。一つは手を上げてしまって相手のなすままに委ねる方法である。これが大体において支那の態度であった。もう一つは危険に対して直ちに身構えることである。これが日本の態度だった」と説いている。米国・ロシア・英国フランス・ドイツなどの列強に食い物にされた中国と、清沢の表現を借りれば「国民的自覚と団結心に基づいて」危機を突破した日本との相違ということになるだろうか。
 ジャーナリストを経て杏林大学教授になった田久保忠衛は、第二次大戦の終結前の中国について、著書「日本の領土」で次のように述べている。「中国は支那の時代に列強に主権を奪われ惨憺たる状況下にあった。日本は国際的な圧力を跳ね除けて明治維新を断行し、沖縄、小笠原の日本主権を確立し樺太千島交換条約によって千島全島を手にした。問題は先の大戦後の日・中両国の歩んだ方向である。中国は『弱かった』ために国家がどのような辛酸を嘗めたかを学んだ。日本は強かったのを反省の出発点にした。(略)強いとか弱いとか言ってもその内容はなんだろうか。軍事力は最も重要だが、中国は軍事力だけは一貫して増強してきた。1989年以降世界にハッキリさせた数字は軍事力二桁増である。米国防総省やロンドンの国際戦略問題研究所の報告書でも中国の実際の軍事費は公表された数字の2倍ないし3倍だと述べている。核、海洋、宇宙の三戦略は手を抜かずに続けている。それに対し日本は『国家』とか『主権』にはなるべく触りたくないとの戦後一般的な風潮があった。国旗や国家対する姿勢がどうであったかを考えれば明らかだろう。」
 他国の不当な侵害に対しては外交交渉によって問題を解決しなければならないというのは理屈としては理解できる。しかし、領土に対する侵略に対して国際的にも認められている自衛権の発動をためらう必要などあり得ないのである。国際紛争の解決手段として武力行使をしてはならないという大義名分が一人歩きしているが、同時に自衛のための武力行使は認められていることは周知の事実である。現に不審船から発砲を受けた際に反撃している事実もある。外交交渉によって解決というが、この度の尖閣諸島をめぐる日中の対応は外交交渉などと言えるものではない。誰がいった言葉か失念したが、「外交とは言葉の戦争である」ともいわれるが、充分な話し合いもせず相手国の要求を事実上認めてしまうのが日本の姿であり、「冷静な対応が必要である」との言葉でお茶を濁すのが日本の外交姿勢ではないか。こんな状態ではそう遠くない将来、竹島と同じように尖閣諸島も中国に実効支配を許してしまうことになるだろう。
 自民党・民主党はいうに及ばず政界、経済界の中国詣では何を意味するのだろう。特に小沢一郎が国会議員を160名、関係者を含め300人もの団体を引き連れて中国訪問をしたのは朝貢そのものではないのか。まず、普段からこのようなふざけた対応をやめ毅然たる態度を執ることである。
 古くて新しい問題として、拉致問題はまさに主権の侵害であるが、これに対する政府の立場は一貫していなかった。外務省高官や社会党党首の土井たか子は「拉致は存在しない。日本人のデッチ上げだ」と明言していた。後にこの発言を撤回し謝罪しているが、これが日本の政・官の実態であることを思い起こす必要がある。

尖閣諸島とはどんな島か
 尖閣諸島は東シナ海に浮かぶ8つの島の総称である。一番大きな島が魚釣島で、石垣島の北北西170キロに位置し、台湾からもほぼ同じ距離にある。中国大陸からは330キロ離れており、尖閣諸島は魚釣島の他、久場島、大正島、北小島、南小島、沖の北岩、沖の南岩、飛瀬からなっている。この島が注目されだしたのは1969年(昭和44年)の国連アジア極東経済委員会が前年に東シナ海の海底を調査した結果、海底に埋蔵量の豊富な油田がある可能性が高いと発表してからである。この調査を受けて中国と台湾が1971年に初めて石油の利権を求め相次いで尖閣の領有権を主張しだしたのである。このことが示すように海底資源の存在が明らかになってから島の領有を主張するという「ずるさ」は今に始まったことではないが、これも日本という国は高圧的かつ恫喝的主張に対して主権国家らしい発言や対応ををしないことから「舐めきった」態度に出てきているとしか思えないのである。

〔写真地図とも「日本の国境」より転載〕

尖閣をめぐる領有の歴史
 尖閣の歴史は比較的新しいものである。江戸時代に林良平の書いた「三国通覧図説」の琉球三省その三十六島之図の中に、福建省と沖縄本島の中間の位置に「魚釣島」が記載されているが、この図の精度はかなり低く伝聞により書かれたものだとされている。当時の日本の社会制度は石高制であり米の取れない無人島に誰も関心を示さなかった。琉球の人々は尖閣諸島を「ユクンク・クバジマ(魚が獲れ、ビロウが茂る島)」と呼び、中国航路の道しるべとしていた。「三国通覧図説」において魚釣島が中国本土と同じ赤で塗られていた。このことが中国が尖閣諸島の領有を主張する根拠に使われているのである。この図では琉球、台湾、魚釣島が一体と感じられ、島の大きさもまちまちであり、実際の地形とは乖離している。
 1884年(明治17年)福岡県出身の実業家古賀辰四郎が人を遣い尖閣諸島を探検
させ、自らも明治28年に探検し開発許可を求め翌年から30年間国から無償貸与を受け開拓に乗り出した。古賀は尖閣でアホウ鳥の捕獲をし羽毛を採集して巨額の富を手にした。政府は1895年(明治28年)尖閣諸島を日本領土に編入する閣議決定を行ない、翌年沖縄県八重山郡に編入した。編入に際しては同諸島が無人島であり清国の支配権が及んでいないことが慎重に調査されている。それ以後、1971年に台湾が領有権を主張するまで尖閣諸島の帰属に関していかなる国も領有を主張していなかった。
 有史以来尖閣は日本以外の国に領有されていない日本固有の領土である。第二次大戦後は米国の信託統治領とされ、1972年沖縄返還協定に基づき返還されている。しかし中国は1971年に発表した尖閣諸島領有声明において、尖閣諸島は台湾の一部であるため中国に帰属すると主張しているのである。中国皇帝が琉球に派遣していた「柵封使」の記録の中に航海中魚釣島を目印にしていたとの記載があり台湾から琉球への途中に地名が出てきているがその帰属が明確に示されている訳ではない。中国の書物の中に尖閣諸島が出てきたから中国領であるとするのは暴論である。
 現在尖閣諸島の中で大正島のみが政府の所有地で、他の島は埼玉県に住む民間人が所有する私有地である。魚釣島、北小島、南小島の三島は総務省が借り上げ、久場島は防衛施設庁が借り上げている。この島は米軍の射爆場に利用することになっているが現在は使われていない。
魚釣島には鰹節工場の建物跡や日本の団体が作った灯台が残っている。このような歴史をもつ島であり、かつては200人を越える人が暮らしていた。政府は現在尖閣諸島への立ち入りを禁止しているが、無人島のままでは他国に不法占拠されてしまう可能性があり、一刻も早く、更なる実効支配の事実を明確にすべきである。
 かつて二度にわたり中国人が上陸したことがあった。最初に尖閣諸島に不法に上陸したのは1996年である。2回目が2004年3月24日で、中国の反日活動家グループの7人であった。この7人の中国人は沖縄県警により出入国管理法違反の現行犯で逮捕され那覇に連行され入国管理局に引き渡された。入国管理局は不法入国を確認し中国へ強制送還した。この時にも那覇地検は送検する方針であったが外交的配慮により急遽強制送還になったのである。今回の尖閣問題で逮捕し拘留延長までしていた中国人船長を釈放したことにはこのような前例があったのである。彼等は必ず事前に予告をしてから抗議船に乗ってやってくる。今回の事件に際しても2ヵ月半後に日本領海に入るとの情報が流されていた。だから公務執行妨害で現行犯逮捕できたのである。中国側はこの地域に領土問題があることを国際的にアピールしようとの狙いがあり、逮捕され騒ぎを大きくすることが目的だったのである。

「領土」「領有」とは何か
 国際法上「固有の領土」という定義はない。従って領土と称されるものは隣接国の力関係によって度々変動した歴史をもっている。日本は周囲をすべて海に囲まれ
ているから陸地である領土を侵犯されたことがない。従ってわが国が抱えている領土問題はすべて「海がらみ」である。基本的に領土とは「人間が住み」「主権が行使され」「統治権が存在」している地域をいう。従って海上の孤島の場合は悩ましい問題が持ち上がる可能性があるのだ。無人島については「先占」が重視され、他国が領有を主張していないこと、すなわち、「先占」を前提に領有を主張する国がないことが重要となる。「無主地先占」は国内法では認められない。所有者が存在しない土地はすべて国有地とされるからである。
 尖閣諸島の領有に関して日本以外には、歴史的にも国際的にも他国の「先占」の事実は
ない。ところが尖閣諸島は、「日本が侵略的な帝国主義国家として膨張する過程で『無主物先占』を宣言し領有した土地であることは疑いない」との主張もある。「その行為は、白人がアメリカ大陸やオーストラリアを先占・領有した行為と本質的な違いはない。白人列強は、現に人が住んでいる新大陸の土地を『無主物』として先占し領有してきた。だから、彼らの侵略は『単なる無主物先占』で、今なお有効だとされている。この野蛮な歴史については説明する必要がない。国際法上の無主物先占の法理はそのような植民地主義ないし帝国主義の蛮行を合理化し合法化するために創りだされたものである」との主張もある。
 また、朝日新聞の社説「尖閣列島と我が国の領有権」(1972年3月20日)では、「もし、釣魚諸島が清国領であったならば、清国はこの地の日本領有に異議を申し立てるべきであった。当時、清国が異議を申し立てなかったことも、このさい指摘しておかなければならない。中国側にその意思があったなら、日清講和交渉の場はもちろん、前大戦終了後の領土処理の段階でも、意思表示できたのではなかろうか」という。ここまではその意味はわかるが、同社説では「日清講和会議の際は、日本が釣魚諸島を領有するとの閣議決定をしていることは、日本側はおくびにも出していないし、日本側が言い出さないかぎり、清国側からはそのことを知るよしもなかった。なぜなら例の『閣議決定』は公表されていないし、このときまでは釣魚島などに日本の標杭がたてられていたわけでもない。またその他の何らかの方法で、この地を日本領にすることが公示されてもいなかったから。したがって、清国側が講和会議で釣魚諸島のことを問題にすることは不可能であった」と報じている。この文脈の不可解さは何を言いたいのだろうか。朝日新聞は社説の中で島の呼び名を中国名である「釣魚島」としていることも注目すべきである。しかし、少なくとも清国側の先占の事実はない。もし瑕疵があるとすれば先占と領有の事実を内外に公表しなかったことであろう。それでも第二次大戦後の講和条約によっても尖閣諸島は日本の領土と宣言されている。いずれにせよ、清国側に先占の事実はないし中国側のいう「固有の領土」説は説得力を持たない。

尖閣諸島の現況
 中国、台湾との軋轢を恐れて沈黙を守り続ける政府に代わり「政治団体・日本青年社」が1978年にこの島に灯台を設置し、ここは日本の領土だと主張し続けてい
る。青年社はさらに1996年(平成8年)に同じ尖閣諸島の北小島に2基目の灯台を設置している。2005年2月になって初めてこの灯台を正式に認定し海図にも記載し国の管轄下におくことを決定した。
 この灯台をめぐる日本政府の対応にも問題があった。すなわち弱腰外交以上に問題なのは政府が日本人に対して国境地域の情報を提供していないことである。石原慎太郎が灯台を海図上に明記すべきであると主張したのに対し、関係国を刺激するからとの理由で永らく設置の事実すら認めなかった経緯がある。石原自身が衆議院議員時代に尖閣への上陸を企画したが、元運輸大臣が上陸することは問題が大き過ぎるとし海上保安庁は認めなかった。この時に新進党の衆院議員であった西村信吾は石原慎太郎らに支援されて1997年(平成9年)に尖閣諸島の魚釣島に上陸した。この時も海上保安庁は強硬に反対した。その理由は、日本人が魚釣島に上陸すると中国を刺激するから辞めろというのである。本末転倒も甚だしいが、政府は海上保安庁や海上自衛隊を常駐させて島をも守ろうとはせず中国人を上陸させてしまっているのである。これでは、日本人を上陸させないために尖閣諸島を警戒していると批判されても仕方がない。今回の漁船の衝突事件もそうであったが、中国は軍人や警官ではなく漁業者を先兵に遣い、このような事件を積み重ね、国民の意識を領土問題に向けさせる姑息な方法を常套手段としている。仮に逮捕されても直ぐに力で釈放させ、その漁民は帰還後ブラスバンドで迎えられ英雄扱いされる状態である。これが日本の領土に対する対応なのである。日本で唯一国際常識に見合った国境政策がとられているのは日本の最南東の島「南鳥島」だけだ。この島には合計40名近くの海上保安庁と自衛官と気象庁の職員が常駐している。領土問題が存在しないからこそこのような対応ができるといえばそれまでだが、安全な国境は守り、危険な国境は守らないというのは本末転倒も甚だしい。問題はまだある。南鳥島という絶海の孤島を守っている自衛官や保安庁の職員がいるという事実を知っている日本人がほとんどいないことだ。日本政府は国境や領土問題に関心が薄く、教育の場においても国家観についてはもとより、国旗・国歌についても未だに腫れ物に触るが如き対応を繰り返しているようでは到底中国に対抗できる国内世論は醸成されない。中国はむしろ政府が国民をけしかけて領土権の既成事実化を図っているのに、日本は外交交渉の場でもアリバイづくりのような発言を繰り返すだけで良い筈がない。

日韓の領土問題、竹島の経緯

1952年 海洋主権宣言(李ライン設定)
領海200マイルの設定には米・中も抗議をしたが無視。
竹島(韓国名・独島)を不法占拠し実効支配下においた。
李ライン侵犯で日本漁船拿捕329隻・死者44人・抑留漁民3,929人
日本漁民開放の条件として収監中の凶悪犯を含む韓国人犯罪者の釈放を要求。
在日韓国人の在留許可を要求−日本側はこれを受け入れた。
1960年(昭和35年)李承晩失脚、ハワイに亡命。ハワイで客死。

竹島(韓国名・独島)とはどんな島か
 所在地−島根県隠岐郡隠岐の島。竹島は北緯37度9分、東経131度55分、隠岐島の北西157キロにある。東島(女島)、西島(男島)と呼ばれる二つの小島とその周辺の総計37の岩礁からなり、総面積は約0.23km2で、東京の日比谷公園と同程度の島である。

図−3−

〔地図は「日本の国境」より転載〕 〔写真はWikipediaより転載〕

 1905年(明治38年)他国においてこれを占領したと認めるべき形跡のないことを確認の上、閣議決定で日本領として島根県告示40号で公示した。したがって竹島の領有は日韓併合以前からの日本の領土である。1952年(昭和27年)韓国は一方的に領有を宣言し李ライン内に取り込んだ。最頂部は西島が海抜168m、東島が海抜98mの島である。周囲は断崖絶壁で通常は人の住むことができる環境ではないが、軍に準ずる装備を持つ韓国の武装警察官(独島警備隊)40名などが常駐し占拠している。日本側はその都度抗議をしているが実効性はない。そこで日本は国際司法裁判所に提訴して決着をつけようと韓国に呼びかけたが韓国側は固有の領土であるとしてこの申し出を拒否し現在に至っている。領土問題に関し国際司法裁判所は当事国双方が訴えない限り対応できないのである。
 1951年の講和条約で日本固有の領土と認められた。韓国は鬱陵島、済州島、巨
文島を領有するとされたが、韓国は3島の他、竹島、波浪島、対馬を返還するように米国に要求した。対馬は言うまでもなく日本固有の領土であり、波浪島は伝説の島で実在せず、竹島は日本領で韓国が領有した史実はないので連合軍は受け入れなかった。講和条約で日本領が確認されたから韓国は武力占拠に出たのである。
 最近韓国では官民挙げての広報が盛んであり、反日政策の一断面として国民に竹島問題に強い関心を向けさせている。例えば竹島が韓国の領土であるという内容の“独島はわが領土”という歌をつくり幼稚園児にまで歌わせている。これは国際法上の紛争として扱うことを避けつつ、国内外で韓国の領土であることを周知させ、実効支配を既成事実化しようとする狙いである。
・ 2005年3月 島根県議会は「竹島の日」条例を制定
・ 2005年6月 韓国の馬山市「対馬の日」条例制定
さすがに、韓国政府は「対馬の日」条例の撤回を要求するコメントを発した。
韓国外交通商省報道官は「馬山市議会が、対馬の日の条例を可決したことは愛国心から十分に理解できる」との立場を示した上で「独島(竹島)を守ろうとする助けにならず、むしろ不必要な混乱を誘発する可能性があり自制すべきだ」と指摘した。

フォークランド紛争に見る英国の領土感覚
 
1982年(昭和57年)4月、アルゼンチンがイギリス領フォークランド諸島へ
侵攻し島を占領したことがあった。フォークランド諸島は南米大陸の南端、アルゼンチンから約500キロ沖合いの島で、面積12,173平方キロ、人口2,967人の小さな島である。サッチャー首相は直ちにアルゼンチンとの国交断絶を宣言し、この島を奪還するため軍隊を派遣し戦った。その際チャールズ皇太子が一軍人として出兵したことは世界中の話題になった。イギリスは本国から遠く離れた小さな島に対してでも「領土」のなんたるかを国民に明確に示し、敢えて戦争に踏み切ってまで領土を護ったのである。領土とはこのようなものである。
 しかし日本は国際紛争を解決する手段として外交交渉以外の方法を持たない。そ
の手段の正当性は理解できるが、相手側が軍事力を持って理不尽な対応をしてくるときに、日本国憲法の前文に記された理念だけを唱えることしかできないのだろうか。数々ある政治課題の中で、一番不条理だと感じることは中・韓に対する謝罪外交と、言うべきことも言えない弱腰外交であると度々指摘してきた。この問題は中・韓だけに問題があるのではなく、日本の政財界、マスコミにもある。あたかもそれらを容認するが如き風潮があることに我慢のならない思いを抱き続けてきた。

尖閣諸島での衝突事件の経緯
 平成22年9月8日海上保安庁が公務執行妨害で中国漁船の船長を逮捕した。
その後の経過を簡単にたどれば、

9月10日  中国外相が丹羽駐日大使を呼び出し抗議
9月11日  中国が東シナ海ガス田交渉の延期を通告
9月13日  中国全人代李建国常務委員の訪日延期を通告
9月19日  中国船長の拘留期限を10日間延長
同日、中国は閣僚級以上の交流停止を表明
9月20日  中国招待の日本人青年1,000人訪中受け入れ計画を延期
9月21日  温家宝首相、船長の即時無条件釈放を要求
9月23日  レアーアースの対日輸出の禁止措置
9月24日  処分保保留のまま船長釈放を決定。翌25日船長を釈放
同日日本に謝罪と賠償を要求
9月26日  菅総理、中国の謝罪と賠償要求を拒否

 アメリカ政府も中国の海洋侵出には懸念を表明している。96年9月に、時のモンデール駐日大使は「米軍は尖閣諸島の紛争に介入する日米安全保障条約上の責務は有していない」語ったことがあった。これが尖閣諸島をめぐる中国・台湾の活動を活発化させる素地を作ったといわれている。2004年3月に中国人活動家7人が尖閣に不法上陸したが、小泉純一郎総理は「日中関係に悪影響を与えないように大局的判断」をした結果、起訴せず強制送還したことは既に述べたが、これらのことが中国政府による強硬な開放要求につながっているのである。不法行為に対する日本の甘い態度が中国を増長させているのである。これに類似するケースとして金正日の長男が偽造パスポートで日本に不法入国したことがあった。空港で拘束し、そのままチャーター機で国外追放したのがそれである。外務省の職員が付き添ったようで、チャーター機の費用は誰が払ったのかなど国民には一切公表されていないのは何を意味するのだろうか。国交のない北朝鮮に対してすらこのザマである。
 今回の尖閣問題についてはアメリカ国務省は尖閣諸島は日米安保の防衛範囲であると明確に発言しているが、この発言に対しても中国はアメリカに対しても理不尽な発言をし日・中・米の会談を拒否しているのである。

外国人の日本領内の犯罪について
 法律の執行に対して国際的に認められている慣習として属地主義の原則がある。属地主義とは、人はその地域の法律に従うことを意味する。いかなる国の人間であっても犯罪発生国の法律によって裁かれるのである。属人主義を容認している国はない。従って今回の尖閣問題の司法対応は当然日本の法律によって裁くべきところを無条件釈放したのである。それも10日間の拘留期間が過ぎ、拘留延長までしながら釈放した理由は、どう説明しようとも外圧に屈服したこと以外にない。この措置自体が法治国として、また主権国家としての権利放棄を意味するのである。

大津事件の教訓
 
属地主義、属人主義をめぐる歴史的な話題に明治24年に起きた大津事件がある。当時大変な国力を誇っていたロシアの皇太子の訪日中に刃傷事件がおきた。慌てふためいた日本政府はロシアの権勢を恐れ犯人をロシアに引き渡すことを司法当局に強く求めた時、属地主義を盾に「法は正義なり、正義を権力から守れ」と大審院
 院長であった児島惟謙が抵抗し三権分立を守った有名な事件である。この頃の日本には筋を通す人間がいた。今更、大津事件を持ち出すまでもなく、法治国家ならせめて属地主義の筋を通すのが当り前なのに、それすらできないのが現在の日本なのである。前原外相は「粛々と日本の法律に沿って処理する」と明言していたが9月25日に無条件釈放した。この釈放に至る経緯にも大きな問題があった。政府は一貫して検察当局の判断であると発言していた。ところが検察当局の記者会見における発言内容を読み返して見るとトンでもない文言がある。沖縄地検は「我が国の国民への影響と・・今後の日中関係を考慮した」と述べているのである。これに対しても菅総理以下は異口同音に「検察当局が総合的に考慮し、国内法に基づいて粛々と判断した結果だ」等と述べ政府の関与を否定している。だとすれば、司法の一セクションである検察当局が、「国民への影響」と「日中関係」について、いつから政治判断をすることが出来るようになったのかが問題となる。三権分立の基本理念は司法は、政治や社会的立場にも左右されず、粛々と法に基づいて行動すべきが鉄則である。法に基づかず政治判断をするのは司法当局として、あるまじき対応である。どうやらこの判断は沖縄地検だけの判断ではなく霞ヶ関で協議しているようであり「検察庁」の判断と言えるだろう。検察庁の判断となれば長官更迭ぐらいではすまない問題である。大阪地検特捜部の証拠改竄事件など、司法までが腐りきっているのが日本の現状なのである。

むすび
 
国内政治情勢も惨憺たる状態であり国際社会においてまったく評価されていない日本は、これからどうなるのだろうか。国際会議に行けば必ず財政支援と称するバラマキをしているのは、金持ちのアホぼんが金だけで評価を得ようとしていることと何ら変わりがない。ところが日本は、アホぼんが金をばら撒く余裕など全く無いのにそれをしていることを国民は黙っていて良いのだろうか。

 やがて税制改革と称して消費税をはじめ国民負担が増えることは避けられない状態である。このままでは日本が沈没する日が必ず来ると考えるのは決して取り越し苦労ではない。領土問題に関して中国や韓国と戦争をしようというのではない。せめて国家として当たり前のことを堂々と言うことを求めて、合法的に日本政府に対して強く要請することをしなければ今の政府はさらにダメになると考えるものである。                          (文中敬称略)

平成22年11月10日                   松 室  猛

参考文献
山田吉彦「日本の国境」新潮書房
清沢冽「日本外交史」東洋経済新報社                  田久保忠衛「日本の領土」PHP
山本皓一「日本人が行けない日本領土」
下條正男「知っていますか。日本の島」自由国民社


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