松室猛のTMニ水会定例講演・資料

 平成21年11 戻る


「歴史にみる自民党再生の厳しさと、民主党の問題点」


= どうなる、新政権と、自民党の行方 =

政権交代の経緯

 平成21年8月30日に執行された第45回総選挙で自民党が惨敗し本格的な政権交代が実現した。昭和30年(1955)の自民党結党以来、選挙を通じての政権交代は初めての出来事であった。55年体制といわれた自民党単独政権が長きにわたって維持できたのは何によるものなのか、改めて検証してみたい。

 小選挙区制が施行されるまで、衆議院議員の総定数は500前後であった。ここに500前後としたのは衆議院の総議席数は467から486、491、511、512、500議席と増減を繰り返し、現在は480議席となっているからである。当時の選挙制度は中選挙区制で、全国を130前後の選挙区に分割し国会議員を選出していた。すなわち一選挙区で複数の議員を選出する制度であった。
 政権を担当するためには、衆議院でその過半数である251以上を確保しなければならず、議長や委員長ポストを確保し、安定した政権運営のためには260以上の議席が必要であった。その議席を確保するためには、一選挙区で、単純平均2名以上の当選者を出さねば政権確保が出来ない。従って、政権政党であるためには多くの選挙区で複数の候補者を当選させねばならなかったのである。
 ところが当時の野党第一党の社会党は、各選挙区に1名の候補者を擁立するのが精一杯であった。これでは、何回選挙をしても絶対に政権確保は不可能である。
時代によって異なるが、民社党や公明党、共産党などの政党がそれぞれに議席を確保していたが、大勢に影響するほどの勢力ではなかった。

自民党政権の推移

 永久政権化していた自民党が下野したことがあった。平成5年(1993)8月6日に、自民党は結党以来38年ぶりに政権の座から転落したのである。選挙で過半数割れしたのが直接の原因であるが、それでも過半数に近い勢力があった。自民党に代わって政権を担当したのは日本新党の細川護熙連立政権である。新生党、新党さきがけ、日本新党、民社党、公明党、社民連、社会党と民主改革連合の7党1会派の連立で、細川護熙政権が誕生し自民党は結党以来初めて下野したのである。細川政権の誕生まで自民党は38年間政権の座にあったが、細川政権は263日で崩壊した。細川総理辞任の原因は、佐川急便に絡む献金疑惑と発言のブレによるものであった。その直後に誕生したのが羽田孜政権である。しかし、社会党の連立離脱によって羽田政権は在任期間64日間で、新憲法下では史上最短の内閣となった。
 羽田政権崩壊を受けて、平成6年6月30日に晴天の霹靂ともいうべき村山富市政権が誕生したのである。小沢が率いる新興政党に対抗して、自民党は政権離脱をした社会党に働きかけ再編を目指し、一般党員が想像もしなかった奇策を考え出したのである。今まで、対立する野党第一党として凌ぎを削っていた社会党に総理の座を譲り、最大会派である自民党は、なりふり構わず連立を組み村山富市総理大臣の下で11月ぶりに政権に復帰したのである。
 国会における勢力分布は変わらないのに、弱小政党の離合集散を経て、第一、第二政党とプラス・ワンの自民、社会、さきがけの三党連立政権が誕生したのである。その際、自民党の海部俊樹は社会党党首に投票することを拒否し、中曽根康弘も同調した。反自民連合が海部俊樹を擁立し指名選挙に臨んだ。選挙結果は決選投票にもつれ込んだが、僅差で海部は敗れた。これを機に海部は自民党を離党したのである。その後、平成7年1月11日村山総理が辞任し、1年7ヶ月ぶりに橋本龍太郎が後継に指名され本格的な政権復帰となったのである。

選挙制度改革への歩み

 顧みれば、昭和45〜46年頃から相次ぐ金権腐敗事件が相次いだ。ロッキード事件で離党に追い込まれた田中角栄が、自民党を離れてもなお田中派を率いて強大な権力を握り、反田中派と大平擁立をめぐる権力闘争を繰り広げた。世に言われる40日闘争である。しかし、その一方で野党を懐柔し、特に公明党、民社党と連携する自公民路線を進めたため、自民党政権への致命傷とはならなかった。
 平成元年のリクルート事件や平成4年の東京佐川急便事件により国民の政治不信が増大し、自由民主党単独の長期政権による金権体質が度々指摘されるようになった。平成4年の第15回参議院選挙では、社会党を10議席下回る36議席しか獲得できず、史上初めて参議院での過半数を失った。平成2年の第39回総選挙では自民党は安定多数を確保したが、政治改革が必要との議論が党内外に高まっていった。

 政治改革に関して、政治資金規正法や公職選挙法の改正も行なわれたが最大の改革は選挙制度改革であった。中選挙区制では同一選挙区で同じ党の候補者が争うことによって、政策論争ではなく後援会主導型の選挙となるためサービス合戦となり、選挙に膨大な「カネ」が掛かることを防ぐ必要があったからである。

 「カネ」が必要なため、その「カネ」の調達をめぐり金権腐敗が問題となり、同一選挙区で同じ党の候補者が競うことを避けることで、きれいな選挙となると想定されたのである。そこで、一選挙区一人の候補者が、政策を中心に政党を選ぶ制度として小選挙区制が採用されたのである。

 しかし、ここにも問題があった。政策を中心に政党を選ぶとは言え、政党間の政策にそれほど大きな差がないのに、この制度に妥当性があるのかという点である。選挙の際に発行される政策ビラを政党名を伏せて見てみると、ほとんど変わらない政策が並んでいた。すなわちカレーライスか、ライスカレー程度の差しかないのに政党を選ばせる制度が正しいと言えるのかである。
 さらに、小選挙区制度の最大の問題点は、得票率と議席占有率が大きくかけ離れることである。民主党が圧勝した今回の衆議院選挙でも、民主党の選挙区における得票率は47,43%であるのに、議席占有率は73、67%であり、自民党は38,68%に対し、議席占有率は21、33%でしかないのである。

 平成8年8月30日、第41回総選挙が小選挙区比例代表並立制により初めて施行された。大阪は19区選挙区に分割され初めての選挙が行なわれた。選挙結果は小選挙区で3勝16敗となり、当選者は中馬弘毅、竹本直一、中山太郎の3名であり、比例代表並立制により当選した中山正暉、谷畑孝、柳本卓治の3名を含めても大阪府選出の自民党所属国会議員はわずかに6名であった。
 このように選挙制度によって議席獲得数が大きく変わり、政権が安定することもあれば短命政権となることは勿論、それによって政党そのものが大きく変わることがあるのである。急激な政変にうろたえた当時の議員に「政党渡り歩き」が多く見られた。

選挙制度改革による政権交代

 大戦終結後のわが国は、幾たびか社会・経済情勢の激変を経験したが、それでも政権交代に至らなかった。その原因は、民意による選択の結果ではなく選挙制度に起因するものが大半であった。前述した通り、体制選択を望まない民意もさることながら、130選挙区に複数候補を擁立できなかった野党の非力さが政権交代に至らなかった原因である。
 しかし、政治改革が実現し小選挙区比例代表並立制が採用されてから情勢が一変した。自民党単独では過半数が確保できなくなり、社会党、さきがけとの連立に始まり、その後は公明党との連立が恒常化したのである。すなわち小選挙区制では自民党単独では勝てない選挙区が多く、公明党との選挙協力をしなければならなくなったのであった。
 それ以前に参議院で与野党が逆転していた。このような情勢下で参議院対策として公明党との連立は不可避となった。自民党の勢力が段々と衰退化の道をたどり、遂に今回の衆議院議員選挙の惨敗で政権明け渡しとなったのである。

 ここで自民党時代の小沢一郎の象徴的な選挙戦略を思い返してみたい。
 宇野宗佑総理時代に参院選で敗北し、当時の幹事長であった橋本龍太郎も引責辞任した。その後、平成元年8月に海部俊樹総理が誕生した。その時点で橋本龍太郎の後任として小沢一郎は自民党幹事長に就任した。参院選敗北を受けて彼は幹事長として日経連・他の経済団体を集め、もし次の衆院選挙で敗北することがあれば連立などせずに潔く野に下ると発言し、そうなれば困るのは経済界であろうと発言した。それを防ぐためにカネと票を出して欲しいと選挙協力を強く要請した。これが恫喝だと噂された一件である。その後、彼が海部総理とともに幹事長として戦った衆議院選挙で圧勝したのである。

党を選ぶのか、人を選ぶのか

 現行制度の小選挙区制は日本人の選挙感覚にそぐわない点がある。政策を中心に政党を選ぶのが制度の趣旨であるが、日本人の選挙感覚は、党を選ぶよりも人を選ぶ習性が強い。たとえば自民党は嫌いだがA候補は好きだとか、逆に自民党は好きだがA候補は嫌いだという感覚的かつ情緒的な判断がしばしば行なわれるのである。自民党なら、あるいは民主党なら誰でも良いという選択をすることは稀であった。日本人は一般的に政党に対して距離をおこうとする傾向がある。政党所属に関して拒否感すらある。特に後援会主導型の選挙では、候補者の所属政党などどうでも良く、この候補者が好きだとの感覚が根強いのである。ここに政党所属の意味や、政党の機能と存在価値そのものを政党所属議員が真剣に考えてみる必要があったのである。しかし政党も所属議員もその検討を真剣にやろうとはしなかった。そして遂に、今回の選挙では自民党はダメだとの雰囲気が漂い、今度は民主党にやらせようとの「風」が吹いたのである。
 この現象は、既存の政党間の争いというより無党派層の拡大がこの風を増幅させ、選挙での選択の基準も大きく変えたのである。この傾向を受けて、選挙を戦う側も、劇場型だとかいわれるパフォーマンスを多用し、単一目的のアピールが選挙の帰趨を決めるようになってきたのである。この傾向にどう対処するのかも政党の再生にとって不可欠な要素である。

 選挙の勝因、敗因にはそれぞれに理由と原因がある。ここではその問題には触れないが、選挙制度が政党を変質させるのは事実である。選挙民の民意も、選挙の都度、かなり変動する傾向は随所に見られる。

「民意」とは何だろう

 新政権の誕生を機に、政党の役割考える前に、選挙民の意向としての「民意」とは何かを考えてみる必要を痛感する。
 今回の選挙で、「政権選択ではなく、政策を」と訴えた麻生自民党は支持されずに敗れ、「政権交代」を訴えた鳩山民主党が勝利した。
 民主主義とは、「民意」によって動く政治であるといわれることがある。しかし、「民意」とは何だろう。政党が政策を示し、それを選挙民が選択した結果が「民意」だと言えるのだろうか。政党がそれぞれ政策を示し、選挙民が選択すれば「民意」になるとすれば、「民意」は政党によってつくられ、選択の結果として確定することになる。
  しかし、本来、「民意」とは選挙民の価値観や諸々の欲求に表れるものである筈だ。だから「民意」とは、私的な関心事に集中することが多く、何よりも自分自身の安全や、安定した生活、利益が優先されるのが一般的である。従って、「民意」が、国の大計や国家の将来といった大きな政治目標に関心を示すことの方が奇妙なことなのである。そうなると政党は少しでも「民意」の歓心を買おうとするだろう。税金は安いほうが良い、さまざまな補助金や給付は多い方が良く、福祉を手厚くするのは国民が喜ぶだろう。そうなると、人々が嫌がることはやらず、聞こえの良い公約を並べることになる。かくして、どの政党も、生活の安定と向上をもっとも重要な争点にすることになる。
 しかし、「政治」が本来あるべき姿は、「人々が欲しがっているものを与える」のではなく、「その国の将来がどうあるべきかか」を問うべきである。ケネディ大統領の就任演説が懐かしく思い出されるが、日本の政治家との違いは、政治家が民意を指導し主導することの有無ではないだろうか。

 硬苦しくいえば、私益を公益に屈服させるのが政治もしくは統治というものの基本的な機能であり、その際、どうのようなスタンスから公的利益を追求するかを示すのが政党であるはずだ。政党は、綱領のもとに、志を同じくするものが集う集団であるが、なぜか民主党には綱領がない。政党に確たる政治理念がないのは、同一の理念で形成されていない証である。いわゆる寄り合い世帯でしかないのである。
 綱領なき政党にとって、分裂を防ぐ“かすがい”(鎹)は「反自民」であったり「政権交代」であるようだ。しかし、そんなお題目はその場限りのスローガンでしかなく、政党の理念といえるものではない。
 理念なき政党が存在すればすれほど訳のわからない「風」で選挙が左右される傾向が強まるだろう。前回の郵政選挙も同じだったが、日本の政治は「気分」によって揺れ動く傾向がますます顕著になってきた。
 しかし、その「民意」や「風」も、かなりいい加減で、鳩山由紀夫の政治資金規正法違反、虚偽記載はそれ程影響しないのはどう言うことだろうか。小沢一郎の西松建設からの献金問題も、秘書の責任だけで良いものだろうか。こんなことがまかり通るのも「民意」なのであろうか。

 「民意」に関して京都大学の佐伯啓思教授は、21年3月30日のサンケイ新聞のオピニオン欄で「『「民意を問え」という政治暴論』と題して極めて率直な見解を述べている。その概略を引用すれば、
 「民意なるものは正確でなく、せいぜい世論調査の結果である。従って、大きな政治的論点について、「国民」が、確かな「民意」を形成することはむつかしい。だからこそ一握りの政治家に政治の主導を任せるという代議制が成り立つ。従って、政治家は大きく民意からそれることは不適切だとしても、短期的な局面でいちいち民意によって動く必要はない。(略)第一に政党の基本的政策が「民意の反映」では意味をなさない。第二に、もし「民意」を本当に反映したなら、政治は「民意」とともに極めて不安定に漂流するだろう。今日のように大衆化した社会では、「民意」は情緒と、スキャンダルと、映像的な効果によって大きく動く。「民意」を絶対化してしまえば、政策対立する二大政党は不可能である。どちらも「民意」につこうとするからである。「民意」をめぐる綱引きは、政策論争よりもイメージと人気の争奪戦になるだけであろう。政治とは政治理念を打ち出して、「民意」を動かす指導行為である。今日の政治は「民意」が反映されていないことではなく、政治を「民意」に預けることで、政治家が政治から逃げている点にある」
 少し論点がずれるが、議会における知事の不信任決議を受けて再選出馬した知事が再度当選することは民意のずれの典型的なケースである。議会議員が選ばれたのも民意であるとすれば、知事が選ばれたのも民意であるはずだからである。この選挙民の判断の捩れ現象をどう理解すればよいのだろうか。こんなケースは選挙の度に散見される。知事には革新系候補が選ばれ、議会の過半数が保守系であることなどがそれである。極論すれば、「民意」とは、この程度のものでしかないのである。繰り返しになるが、民意に迎合することは政治家のなすべきことではなく、「民意」を主導することが大切なのである。選挙においてクロス・ボーティングといわれる民意の捩れ現象が発生する原因は、投票時の判断が知的に行使されるのではなく、情緒的に行なわれる傾向に起因しているからである。だからこそ、佐伯教授が主張するように、「政治とは政治理念を打ち出して、民意を動かす指導行為」であらねばならないのである。
 この観点に立脚してこそ、新政権のこれからの課題解決や、野に下った自民党の再生の可能性が具体化するのではないだろうか。

政治と選挙のむつかしさ

 従来の自民党が、なぜこれ程支持を失ったかについて考えてみたい。
 経済成長期には、その果実を公共事業や農業保護などの形で農村部に重点配分してきた。従って第1次産業や建設事業従事者の比率が高い自治体では自民党の支持率は高かった。しかし、このような自民党の従来からのシステムが小泉政権の構造改革によって破壊された結果、従来の支持者が離反したことが安倍政権での参院選の惨敗となったのである。

 安倍政権が本気で取組んだのは「憲法、財政、教育、地域再生」といったような21世紀の日本の国家としての存立を決する改革であった。60年ぶりの教育改革など評価すべき結果を残したのに、多くのマスコミは、年金問題、政治と金の問題、閣僚の失言問題ばかりを取り上げた。これは完全に「争点のすり替え」であった。今回の選挙で、「国家基軸の改革」よりも、「生活が第一」スローガンを打ち出した民主党が躍進したのは、国民は「国家的セキュリティ」よりも「生活のセキュリティ」を欲した結果である。政治に求められるのは、政治の本筋だけでない。国民の素朴な願いを軽んじてはならないのである。そうしなければ今回のように選挙民から手厳しい批判を受けることになるのである。「民意」と、「国家としてなすべき役割」という、二律背反的な欲求を満たすことは至難の業である。ここに政治の難しさがあるのである。

 繰り返し強調したいことは、政治家は民意の在りどころに従ってのみ行動するのではなく、民意を指導し主導する必要性があることだ。ところが、以前から政治家は、声の大きな方に引きずられる傾向がある。声の発生源として大きなものに、興味本位なマスコミ、特に電波を媒体とするメディアであることは紛れもない事実である。

新政権の行方はどうなるのだろう

 鳩山新政権が誕生して2ヶ月が経過した。新政権初の臨時議会が開催され本格的な論戦が展開された。現時点で感じる最大の関心事は、それにより支持を得たマニフェストの実現可能性についてである。財政破綻状態の国政運営を引継いだだけに困難が待ち受けていることは誰しも承知のはずだ。だから、直ちに実現できない施策がたくさんあることも承知しなければなるまい。しかし、それにしても選挙前のマニフェストが、時間の経過とともにかなりの部分で怪しくなってきたことを見逃すことはできない。

 まず、身近な次の問題を抽出し、、具体の問題について、みんなで議論をしてみよう。
高速道路の無料化について、
マニフェストによると無料化によって物流コストが下がり、地域経済が活性化するとのことであった。ところが最近になって議論されていることは、渋滞によるCO2の増加、渋滞による物流コストへの悪影響、関連交通機関の疲弊、そのための必要財源1,3兆円の捻出の可能性などについて。
既に、年末の無料化は渋滞による混乱回避のため年始だけにすることを発表していることの是非について。
子ども手当ての支給について
中学卒業までの子どもに対しつき学26,000円、所得に関係なく支給。
但し、来年度は半額支給でも必要財源2,7兆円。平常年度は年間5,5兆円。
この財源の一部にサラリーマンの扶養控除を廃止することの是非について。
高等学校の授業料相当額を助成し実質的に授業料の無償化。
私学生には年額12万円〜24万円助成。大学生には希望者全員に奨学金支給。
モラトリアムについて
支払猶予、支払延期、一時的な停止のことである。中小企業に対する借入金返済猶予をすると亀井大臣が主張して話題になっている案件の是非について。
最低賃金の引き上げ
すべての労働者の時間給を、一律800円に引き上げ。目標1,000円に。
派遣労働者の製造現場への派遣の原則禁止。
CO2を2020年までに25%削減。
2050年までに60%削減。(いずれも1990年比)
八つ場ダム(群馬県長野原町)の廃止について
 昭和27年に計画。地元住民は半世紀にわたり建設に反対。62年に現地調査受け入れ。総事業費は4,600億円。既に3,210億円支出済み。残事業費1,390億円。(さらに1千億円ほど増額の可能性あり)中止の場合の下流受益都県が負担している事業分担金の返還(1都,5県)や、生活再建関連費などで2,230億円が必要とされている。

どんな政策にも賛否両論がある

 どんな施策にでも必ず賛否がある。しかし、選挙の際にそれらの実現をマニフェストで示し選挙に勝利したのだから、軽々しくは扱えないはずである。そうでなければ、公約は選挙のためだけの詐欺的な嘘になるからである。
例としてあげた施策は選挙民が喜ぶことばかりのようであっても、その裏には大きな問題を抱えているのである。このことを執行権者として、どのように決断し、実行するかが新政権の行方を決することになるだろう。

社民党・国民新党の連立について

 さらに危惧することは、社民党と国民新党との連立である。
社民党は旧社会党の左派より左であることはほぼ間違いない。福島瑞穂党首の思想的背景についてはネットのWikipediaによると、中核派の逮捕者の弁護活動をしたことや、同派が関連する集会に出席したことなどから福島は中核派シンパだとする公安関係者のコメントが週刊新潮に掲載されたことがあった。
 また、彼女自身の政党観について、2005年8月21日付の彼女のブログ「福島みずほのどきどき日記」で、「自民党と民主党はカレーライスかライスカレーかの違いでしかなく、私たちの社民党はオムライスであり、カレーライスでもライスカレーでもないのだ」と語っている。
 具体的には安全保障政策や沖縄基地問題などに関し、民主党とはカレーとオムライス以上の乖離があるのに、彼女を内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全・少子化対策・男女共同参画担当)として入閣させているのは、どう考えても政策面で整合性がなさ過ぎる。因みに社民党所属国会議員は衆院7名、参院5名でしかないのである。

 国民新党についても同じである。亀井静香代表率いる衆院3名、参院5名のミニ政党であるのに、亀井静香は内閣府特命担当大臣(金融担当・郵政改革担当)とは恐れ入った人事である。これも偏に民主党の参院対策で、社民と国民新の参院議員計10名が加わらねば参院が乗り切れないからであろう。
 同じ亀井性であった前幹事長の亀井久興は津和野藩主の末裔で、中々の論客であったが今回の選挙で落選した。前代表の綿貫民輔も落選したので、かなり軽量級の感じである。しかし、彼のラフで強引な発言は既に物議をかもしているが、これからが心配である。連立解消は時間の問題だと思われてならない。両者とも、いつまで閣内にとどまれるのかは最大の関心事である。しかし、参院対策のために、両代表の入閣が条件だとすれば茶番もいいとこだ。いつまでこんな遇し方をするのか見ものだが、民主党の泣き所であることは間違いない。

結び

 「民意とは何か」、「政治と選挙とむつかしさ」の項で指摘したように、野に下った自民党再生の道は極めて厳しいものがある。成すべきことは多いが、まず「民意」に対する対応の仕方を根本的に考え直すこと、人材育成に本腰をいれることを真剣に考えるべきである。政党の役割の中に、代議制民主主義の担い手を国民に示す責任があることを思い起こすべきである。静岡と神奈川の参院補選ではともに民主党が勝利した。これらの現実を直視し、早急に解党的出直しをしなければなるまい。
 「自民党政権の推移」の項でも書いたが、自民党の凋落は急に来たのではない。金権腐敗問題に端を発した党勢衰退から何年経過しているかを見つめな直すべきである。参議院の与野党逆転から何年経ったのか、その間に再生に向けて何をしたのかを改めて自らに問い直すべきである。このことができなければ自民党の再生は覚束ないだろう。やるべきことをしっかりと実施したとしても、自民党の蘇生は最短でも4年以上、下手をすると10年位はかかるのではないだろうか。 

民主党の近未来も大変厳しいものがある。
 「友愛」などと夢のようなことを言ってるだけではダメである。
党首と幹事長がそろって政治資金疑惑があるような政党が続くのだろうか。おまけに、玉石混交の寄り合い所帯のむつかしさは自民党の比ではない。野党時代と違って政権政党である限り、もっと真面目に国民が嫌がることでも、「言うべきことは言う」当り前の対応をすべきである。今は、多少浮かれ気味のようだが、この勢いで景気回復が実現したら民主党は評価されるだろう。しかし、今年度の歳入見込みが46兆円であったが、景気低迷で40兆円割れがほぼ確実といわれている状況にある。予算の抜本的組み換えで余剰財源が捻出できるいっていたが、来年度の概算要求が史上最高の92兆円であることからしてもそれほど簡単ではない。そうなれば民主党はどうするのだ。このように考えてくると民主党の近き将来はきわめて厳しいものとなるだろう。

 自民党がなすべきことは、筋を通すことに躊躇いは不要であるが、それが「揚げ足取り」に終始することなく、野にあっても正論を貫く政党であるべきである。今までの日本の野党は、批判のみに終始したり、遠吠え的であったり、一人よがりであった。そんなことではダメで、いつでも政権交代に応じられる「野党力」をもった政党として自ら出直すべきである。ここにいう「野党力」とは、いつでも政権を担える気概と、政権に対する威嚇力をもち、政権に肉迫する力のことである。
誰かが、連立与党はあっても、連立野党などあり得ないといっていたが、自民党は独立政党として自らの道を謙虚に、ひたすら歩み続けるべきである。

平成21年11月
松 室  猛

 

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【面白データ】

歴代総理のなかで、就任期間の長い総理と短い総理が生まれるのは、その背後の議員数によるものであるが在任期間を表にすれば下記の通りである。

就任期間の長い総理

佐藤栄作    2,798日
吉田  茂   2,616日
小泉純一郎  1,981日
中曽根康弘  1,806日

就任期間の短い総理

羽田 孜       64日(不信任可決が避けられないため辞任)
石橋湛山      65日(脳梗塞により辞任)
宇野宗佑      69日(不祥事と参院選敗北により辞任)

最近の総理の在任期間

麻生太郎     358日(衆院選敗北による引責辞任)
福田康夫     365日(国民のために新しい布陣で・・・)
安倍晋三     366日(健康上の理由により辞任)

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