松室猛のTMニ水会定例講演・資料

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第21回参議院選挙の総括
平成19年7月29日に執行された参院選挙の結果は自民党の大敗で終った。
与党による過半数確保には64議席必要で、自民党単独で51議席以上が必要であった。ところが選挙結果は自民党は38議席にとどまり、公明党も9議席しか確保できず、民主党は60議席を得て参院第1党となった。
・29区ある1人区の選挙区で自民党は群馬、福井、和歌山、山口、大分、鹿児島の6県でしか議席が確保できず、6勝23敗の惨憺たる結果に終った。
・定員が2~5名の複数区は18区あり、各区において1議席は確保したが、複数候補を擁立した東京、千葉でも1名づつの当選しか果たせなかった。
・ 比例区での投票結果

民主党 23.256.242票(39.48%) 当選者 20名
自民党 16.544.696票(28.08%) 当選者 14名
公明党  7.762.324票(13.18%) 当選者  7名
共産党4.407.937・3名 社民2.637.716・2名 国民新1名 新党日本1名
比例区でも自民は民主に671万票引き離される惨敗であった。

内閣と政党支持率の推移
内閣や政党に対する支持率は世論調査によって多少ばらつきはあるが、70%近い支持率で発足した安倍政権は選挙時には30%台に急落し、度重なる閣僚の不祥事によって不支持は遂に50%超えた。政党支持率でも他党に追い越されることはなかったのが、投票直前には民主党に首位を奪われるに至った。

自民党支持者の投票はどうであったか
選挙の度に関心が寄せられるマスコミの当落予想の最大の根拠とされる出口調査の結果をみても尋常ではない数値があった。
投票に行った自民党支持者のうち、自民党に投票したのは60%程度にとどまり、民主党へ25%が投じられたのである。言い換えれば自民党支持者の4人に1人が民主党に投票したことになり、これでは勝てないのは当然で、政党そのものの存在が危ぶまれる事態と捉えるべきだろう。
無党派層の投票についても約50%が民主党に投じ、自民党は15%程度でしかなかった。

自民党にとってこの壊滅的な支持率低下が何によるものかを検証してみる必要がある。マスコミなどはもちろん、自民党の選挙総括の中でも「逆風3点セット」と称して「年金問題」「政治とカネ問題」「閣僚の失言、不祥事問題」をその原因と捉え、これらが国民の大きな怒りと失望を買う結果になったと指摘している。

「年金記録漏れ問題」は、発覚した時点で初動対応の誤りに加え、年金に対する不安と政府の管理能力の欠如に対して深刻な不信感を植え付けてしまった。
この問題は老後の生活に直接関わる問題だけに、このような杜撰な扱いを受けていることに対して国民は猛烈に怒りを表明したのである。

「政治とカネ」の問題は、昨年末から政治家の事務所費計上のでたらめさが暴露され、国民に対して明確な説明責任を果たすことなく日増しに政治不信を高めるに至った。この問題は政治家の収支報告のシステムを説明しなければ理解しにくいので、そのあらましを説明すれば、政治家の事務所費とは政治家本人の本拠地や後援会事務所、資金団体などの各種政治団体の事務所にかかる経費のことで、暦年単位で毎年選挙管理委員会に届出ねばならないことになっている。選管に届け出る収支報告書に記載する項目は、経常経費と政治活動費に大別して報告するようになっている。

経常経費の内訳は4項目で
(1) 人件費(2)光熱費(3)備品・消耗品費(4)事務所費

政治活動費の内訳は6項目
(1) 組織活動費(2)選挙関係費(3)機関紙誌の発行その他の事業費
(4)調査研究費(5)寄付・交付金(6)その他の経費

事務所費は「経常経費」とされ領収書の添付の必要がなく、一括して計上すればよいことになっている。
政治活動費については5万円以上の支出に対して、支払日時、金額、住所氏名が記載された領収書の添付が義務付けられている。

事務所費について、公設で無料の議院会館を事務所として登録していながら、家賃や光熱水費を計上し、松岡農水大臣は「何とか還元水」を購入しているからとの理由で常識はずれの金額を計上していた。これらは一括報告で領収書の提出義務が無いことから、法に従って報告をしてるとの釈明を繰り返し、ひんしゅく(顰蹙)を買う結果になったのである。

「閣僚の失言、不祥事問題」は記憶に新しいところだが、先ず失言として取り上げられたのが柳沢伯夫厚労大臣の「女性は子どもを産む機械」発言である。次いで九間防衛大臣が「原爆投下は仕方なかった」発言であった。
不祥事としては先ず最初は佐田玄一郎規制改革担当大臣が7800万円の架空経費計上騒ぎで辞任、次いで松岡農水大臣が不適正な収支報告と献金疑惑による自殺、その後任の赤城農林水産大臣の事務所費問題と絆創膏事件などが矢継ぎ早に起きたが、それに対する任命責任者である安倍総理が庇い続けたために、不信感のみならず総理の統治能力や決断の無さが批判の対象となった。

マスコミなどが取り上げた敗因のあらましは以上の通りであるが、今回の参院選挙敗退の本当の原因はもっと根深いところにあるのではないだろうか。
小泉後継内閣として発足した安倍政権は、功罪相半ばする前政権によって大きく変えられた政治・経済情勢に縛られながらの船出であったが、小泉の負の遺産であるあらゆる分野での格差や地方の疲弊に対して、「生活第一」を全面に打ち出した民主党にこっぴどく叩かれた結果となったのである。

小泉政権の5年半で日本はどう変わったか
小泉政権の基本路線は「構造改革」であり、規制緩和、小さな政府を前提に従来のしがらみを断ち切り、あらゆる分野で競争原理を取り入れる改革路線であった。小泉は福田赳夫直伝の緊縮財政派であり、先ず財政健全化のためには公共事業などを容赦なく削減した。その結果、かつての自民党の支持団体であった建設業界などの各種業界団体の利益誘導型政治を根本的に打ち壊した。
この動きは旧田中派、経世会の勢力に対する全面戦争を意味し、大きな抵抗を生んだが、彼はそれらをものともせず、逆に抵抗勢力と決めつけその動きを緩めなかった。これが出来たのは国民の圧倒的な支援があったからである。

小泉の政治手法は政治学的イデオロギーとしてはネオリベラリズムと称される「新自由主義路線」であった。
この考え方は、かつてレーガン政権による「レーガノミクス」、サッチャー政権による「サッチャリズム」で顕著な例があるが、経済への政府の介入を縮小し、規制緩和等を通じて従来政府が担っていた機能を市場に任せるものである。
ケインズの「総需要管理政策」に対して、新自由主義では供給サイドの活性化を目指すものであるが、経済財政諮問会議を中心に小泉が目指したのは新自由主義路線そのもであった。

小泉の金融・経済改革
国民に対しては「改革なくして成長なし」と訴え続け、「改革には痛みが伴う」ことは避けられないと訴え、国民に耐えることを求めた。
具体的には財政諮問会議の竹中平蔵、本間正明などをフル活用して、先ずバブル崩壊の後遺症である銀行が抱える不良債権の処理を最優先課題として取り組んだ。信用不安の払拭のためとはいえ、限りなく0に近い預金金利で年金生活者を苦しめた。また中小の融資先には貸し剥がしが行なわれ、中小弱小企業は資金繰りに苦しみ倒産する企業が増えた。
信用組合などの地域密着型の金融機関は、小泉の登板以前にバブル崩壊の影響を受けて淘汰されていたが、考えられないような旧財閥系の都市銀行までが合併によって統合されていった。公的資金も投入され、確かに不良債権処理が進み信用不安はなくなり景気浮揚の原動力になったが、大企業中心の施策であるとの謗りを招いた。しかし、財政出動を伴わない景気浮揚策が功を奏し株価の上昇、税収増も顕著になり、失業率の減少などから景気浮揚が取り沙汰されるようになった。これらは小泉政権の功績である。

しかし、その反面小泉政権によって政治情勢は勿論、社会経済情勢は大きく変化し、従来の日本とはまったく異なる形の日本になっていることを見逃してはならない。

グローバルスタンダードの名のもとに国際化を進め、あらゆる分野で競争原理を展開する政策を採用した結果、外資がどんどん日本の企業を侵食し、生産部門の海外移転が進み、従来の大企業と中小企業との「系列化」などの日本的経営構造が大きく変化するに至った。この施策によってもたらされたものは、競争社会につきものの勝者と敗者であり、二極化であり、各分野で格差が拡大した。
設備・雇用・負債の3つの過剰を克服するため、リストラ、企業再編、終身雇用の衰退など雇用形態の変化、正規雇用の減少と非正規雇用の増大、ニートの増加などが顕著になっているのに、セーフティネットである社会保障制度の後退などの結果、自殺者が3万人を上回っている現実がある。
「日本ほど格差のない国はありません」と題する金美麗の著書があるが、ヒルズ族とワーキングプアーの存在など、現在の日本には許容範囲以上の格差が存在するのは厳然たる事実であり、小泉の残した負の遺産である。

行政面では地方分権のための三位一体改革と称して、自己責任の原則のもとに税源移譲と引き換えに交付税と国庫負担金を削減した。機関委任事務をなくし自治事務に置き換えることなどによって地方の自主性を求めたが、その効果は表れず地方を財政的に疲弊させ大都市圏と地方との格差を増幅させた。

何でも強引に行なった小泉がやり残したこと
小泉はアジアの諸国が何と言おうと靖国参拝を繰り返し在任中に5度参拝した。
従来の米軍との関係は周辺事態法でその活動はわが国の周辺に限られていたが、彼は「テロ特措法」、「イラク特措法」などを制定し「国際貢献」「人道復興支援」のキャッチフレーズを多用し自衛隊の海外派遣を実現し日米新時代をつくった。
しかし、サマワに派遣された自衛隊は憲法の制約があるため武力行使ができず、そのために外国の軍隊に守ってもらわねばならない状態であった。
ラムズフェルド米国防長官は「自衛隊はボーイスカウト」と酷評した。
これらの制約は集団的自衛権の行使に関する制約など、憲法問題そのものであった。この足かせを取り除けなかったことが小泉政権がやり残した最大の問題であった。
安倍はこの流れを受け、憲法改正を何としても実現したいと願って登板し、まず、国民投票法を制定し教育基本法改正も実現したが、スタート時点では国家の形を中心とした理念論が主であり参院選での争点にはならなかった。

安倍政権の誕生と課題
山口県第4区選出・衆議院議員。当選5回。戦後生まれの53歳。
この当選回数と年齢だけでも安倍は特異な総理大臣であることは間違いない。
森内閣で官房副長官を務めた後、小泉総裁の時にいきなり幹事長に抜擢され、その後、官房長官に就任、それ以外には閣僚経験はない。
小泉とのコンビで人気を博した安倍信三は第21代自民党総裁に選ばれ、第90代総理大臣に就任した。
2006年9月10日、安倍は戦後初めて所信表明演説で明確に憲法改正をとり上げた画期的な総理である。安倍政権に関する資料はたくさん出回っているが、彼が安保条約の改定を実現した岸信介の孫であることから、彼のDNAがそうさせるなどとうがった見方もあるが、北朝鮮問題に見られる彼の姿勢などから、諸外国に対しても堂々とものが言える国家像を抱いているようだ。
そのために新しい形の対米協調路線の構築に腐心していることは容易に察せられる。しかし、それにもかかわらず彼が総理に就任後最初に訪問したのはアメリカではなく中国と韓国であったことは、両国との関係が冷え切っていただけに高く評価された。ところが、彼のその場における発言は、はっきりとものを言う姿勢とは程遠く、靖国問題などでは「曖昧戦略」に終始した。特に対中関係では「戦略的互恵関係」などといった意味不明の合意をとりつけたが、相変わらず大戦の反省、侵略の是認、従軍慰安婦問題では河野発言の容認などで、かなりの後退が感じられた。一国の総理として外交交渉が筋論だけでは行かないことは理解できるが、この曖昧路線が内政では墓穴を掘ったのである。

小泉と安倍を政治姿勢から比較すると小泉が新自由主義であるのに対し、安倍はネオコンサバティブといわれる「新保守主義」の政治家であるといえよう。
「戦後レジームからの脱却」を前面に打ち出し、自主憲法制定、教育基本法改正を通じて「美しい国」をつくろうと主張し、久し振りに国の形を話題とした保守派の政治家である。しかし、これらの基本施策はいずれも理念的であり、参院選挙に際して負の遺産を背負った安倍は世論調査に振り回され、小沢に対してわずかにリードしていた両者の好感度を持ちだし「安倍を選ぶか、小沢を選ぶのか」と発言したことは完全にフライングであった。
参院選を政権選択の選挙の如くにしたのは彼本人であり、だから大敗が決まった時点で続投を宣言した時に、身内の自民党からも退陣論がでたのである。
年金問題と閣僚不祥事の弁解に追われている間に「生活が第一」を主張し続けた小沢が国民に受けたのは当然であった。
これなども、取り巻きが幼な過ぎたせいもあるが、安倍は第2次組閣で、従来形に近い派閥均衡型実務者内閣をつくった。これで良いのである。
最初の組閣で安倍は小泉と同じようなつもりで官邸主導を考え総理補佐官を5名もつくったが、これなどはまったく機能しないで格好だけに終ったのは茶番であった。今回の改造内閣は小泉の手法とはかなり違い、このやり方が従来の自民党的だと批判もあるが、仲良し型ではなく実務型・堅実型の内閣を中心に党内で話し合うことを大事にし、党内をまとめる努力をすることは決して後退などではない。
小泉の真似は安倍ならずとも誰にもできないものだが、その跡を継いだ彼は、この「業」を背負っているのであり、これが彼の宿命でもある。

安倍に必要なもの
相次ぐ閣僚の不祥事に対して優柔不断な対応をしたのは事実であり、これから安倍は「大儀、親を滅す」といった骨太のセンスを身につけるべきである。

本当の意味で安倍を支えるのは誰なのか
振り返って見ると小渕内閣を支えたのは森幹事長ではなく幹事長代理の時代から文字通り心血を注いで支えた野中弘務であった。小渕を支えるためなら宿敵であった小沢一郎にも頭を下げ、自・自連立を成し遂げたのは有名であるが、安倍に小泉ほどの度胸も度量もないのは仕方ないとしても、彼を支える本当の意味での腹心がいないことは彼にとって致命的ではないだろうか。
森が存在感を維持するためにいろんなことを言っているが、ほとんど影響力がないことは衆目の一致するところであり、安倍にとっては不幸なことだ。
町村は安倍の出身派閥である成和会の会長であるが、派閥を本当の意味でまとめあげているとは言い難いし、どの派閥の会長も昔と違ってカネとポストを仕切れないから統率には限界があるようだ。
一方で、カネとポストを求めず政策実現を目的とした政策新人類が出現したのは結構なことだが、NAISの会(根本匠・安倍信三・石原伸晃・塩崎恭久)などの若手が育っては来ているが、政策に関する知恵はあっても物事をまとめ上げる人脈と調整力、説得力が乏しく小渕政権の野中弘務のような役割は果たせないのは安倍にとっては物足りないだろう。

これからの政局運営は
衆・参の「ねじれ現象」をどう裁くのか
参議院で与党が過半数割れとなったことから、与野党がすべてに対決姿勢をとるなら衆議院で可決した法案はことごとく否決されることになる。
このアンバランスな状態は選挙で大きな風が吹いたとしても少なくとも6年間は変わらない。もしかすると9年掛かっても改善されないかもしれない。
参院無用論もあるが二院制の本来の意義は、衆議院は政権の評価を行い、参議院は政策論議をしっかりするのが制度本来の意義である。だから参院には解散はなく任期も6年と永いのである。
従って参議院は本来政局争いの場ではないはずであるが、近年は参院が完全に政党化し衆院のコピーと化しているのが問題なのである。この現実を何とかしなければというのが参院改革の核心であるが簡単に変わることはないだろう。

民主党の小沢は参院選に際して進退をかけて戦うことを宣言し、政権交代の一里塚と表明していた。11月1日のテロ特措法の期限切れに関し民主は早々と反対を表明しているが、これに対し自民党はどう説得するのだろうか。
選挙後初の対決場面だが、小沢は「足して2で割るよう妥協はしない」といっているだけに簡単に結論がでるとは思えないが、安倍は憲法改正なども関連する日米新時代の構築をしようと考えているだけに、こちらも簡単に引けないだろう。
安倍はAPECに参加した際の9月9日にシドニーでの記者会見で、インド洋での給油活動の継続問題について「野党の理解を得るため職を賭していく。職責にしがみつくということはございません」と明言した。法案が成立しなかった場合、政治責任を取り退陣する意向ともとれる発言をしたことは、決意のほどを語ったつもりだろうが、総理の発言としては少し軽いのではないだろうか。

参議院での採決の前に、国家的課題であるこの法案に関して粘り強く交渉し、国民に安倍政権の誠意と真剣さを示すことが必要であるが、それでも民主が頑なに協議に応じないとすればわが国の二大政党制は育たないだろうし、政党そのものの存在が問われることになるだろう。
参院選前の国会では、数の力によって採決を強引に進めるケースが多発したがこれからは国会において、政党同士が国家的責任を分かち合う大局的な議論を展開する必要があるだろうし、そのような国会であって欲しいと願っている。

両院協議会の役割
手続き的には衆・参で議決が分かれた場合は先ず両院協議会を開き話し合いにより接点をさぐるのだが、決裂したら衆院に差し戻し改めて3分の2の賛成で議決されれば可決となるが、さてさて、どうなるだろうか。
制度として差し戻し裁決の方法はあるが、この制度は本来衆院解散を前提とするような案件に際して行使すべきであるとする見解があり、両派の話し合いで決着をつけるべきだろうが小沢の出方次第である。
すでに与党側は修正もしくは新しい法案の提出を含めた柔軟な対応を示唆しているが、小沢が参院の勢力を背景に自説に固執すれば政権狙いのための対応として国民から評価されないだろうし、その対応が過ぎると民主党内からも不協和音がおきることになるだろう。しかし、それでもこのことが直ちに多数派工作や連立の新しい形にはつながらないだろう。

恐らくこの法案は部分的に修正され衆院に差し戻され3分の2で再可決することになるのではないだろうか。この間の与野党の話し合いが見ものである。
いよいよこれからが、民主党の出番であるが、二大政党制の本来の姿を9月10日からの臨時国会で示してもらいたいものである。
小沢も、あまり強引な駆け引きをすれば民意がどう判断するかを見極めねばならないだろう。このように考えてくると、ここしばらくは国会の動きに対し国民の反応の仕方が政治に大きな影響を及ぼすことになりそうだが、問題はマスコミの誘導が気に掛かるところである。

政党のあり方について
これからの国会運営は、官邸主導の政治から国会主導の政治、即ち政党間の政策論議がメインの政局となるだろうが、政党間の勢力が拮抗する時代には、政党の独自性や、あり方が重要性を帯びてくるのは当然である。
自民党は前政権時代に随分と様変わりしたが、今回の選挙の結果を受けて早々と敗因を総括して解党的出直しの必要性を自ら示しているが、後述する選挙の総括の中で政党の独自性に関する記述が欠落しているのが気になる。

参院選敗北で変わった自民党本部
自民党は珍しく今回の参院選敗北を受けて8月23日に早々と「参議院選挙総括委員会報告書」と題して「敗因の分析と今後の課題」を発表しているが、その中で「党の存立の危機に立っている」と語り、「安倍内閣の組閣にあたっての論功行賞と受け取られてしまった人事、(中略)政治とカネの問題発生以来の一連の発言や対応が国民の側ではなく永田町の政治家の側に立っているようなイメージを持たれたのではないか」と自ら指摘し、さらに「我々が掲げた政策の優先順位が民意とズレていなかったか」等など、極めて率直な反省をしている。
また「地方の反乱」の項目では、「都市部で苦戦したとしても従来であれば郡部において強固な支持基盤によって盛り返し敗戦を免れてきたが、いまやこの郡部における防波堤は決壊し大敗を喫した」「構造改革の推進による痛みの先にある将来展望を提示できずにいることや、地方では景気回復が実感できないことや、深刻な財政難に陥っている自治体も多く、首長の反発を招いている。(中略)
都市部との格差や置き去り感から地方の反乱とでも言うべき猛烈な反発が拡がっている」と敗因を分析している。
「敗因の分析と今後の課題」の中で「国民の切実な要望や、声なき声に心耳を澄ましこれに誠実に応えて、民意に即した政治姿勢の原点に立ち返らねばならない」「セーフティネットの強化や国民が不公平を感じない税制や予算執行などの具体的な政策が必要」と、至極当たり前のことを言っているが、このことは裏を返せば、今までそうしていなかったことの証であり、何を今頃に、との思いがしてならない。
問題はこの解決策である。「反省だけなら、猿でもする」と言うフレーズが一世を風靡したことがあったが、安倍政権が小泉から引継いだ構造改革と、ある意味では二律背反の施策をどう実現していくのか、かなりハードルの高い課題である。

公明党の敗北は自民の巻き添えだけだろうか
参院選挙後も公明党は自民党との連立を表明し閣僚を送り込んでいるが、不敗を誇っていた選挙戦で目標を4議席下回ったことは敗北と言わねばならないだろう。前回選挙で公明党は選挙区で5議席確保していたが、今回は2議席しか取れなかった。(神奈川で自民党議員が辞職し、公明の松あきらが繰り上げ当選し、1議席増え3議席になった)
もともと公明党は比例区に重点をおいているが、今回の比例区での選挙に自民党が非協力的だとの声があった。しかし、それでも自民党は一人区で協力してもらっているので、「比例区は公明党」へと呼びかけをする「ねじれ選挙」をしていたが、これが相互に大変不評であった。
大体このような選挙戦略自体が不自然であり、さほどお互いを利していないようであるが、衆参ともにこのような形の協力をしているが、政権での連立と選挙協力とを仕分けするべきではないか。

現実に参院の1人区では自民を支援したというが、6勝23敗では創価学会が当落のキャスチングボードを握っているとは言えないし、政治的影響力に翳りが見え始めているとの説もある。
今回の参院選で公明党が自民党に引きずられる形で敗北したとの論評は言い過ぎで、問題を抱えていた自民党と連立を組んでいるのだから、その責任は一蓮托生で政権担当政党として受忍すべきである。都合の悪いことは相手の責任だと言うのでは、調子の良い時だけのお友達に過ぎないではないか。

これからの政局は本格的な連立の時代では
衆議院における自民党の議席は過半数を有しているが、この状態は次の選挙で大きく変わることになるだろう。
いつ行なわれるか判らない選挙の予測などできる筈がないが、この前の衆院選挙の議席を維持することは先ず不可能であることは予測がつく。そうなれば、衆議院においても現在とは違った形の連立になる可能性があるだろう。

連立の形はこのままでよいのだろうか
今回の参院選で自民党の巻き添えで敗北したと感じている公明党は、今後は党としての独自性を発揮し生活重視政策にシフトすることを表明しているが、集団的自衛権に関しても早々と容認には反対だ表明しているし、設置が決まっただけでメンバーも決まっていない憲法審査会で3年後に発議を前提とした一定の結論を出すことにも早々と異論を唱えているのは如何なものだろうか。

国の根幹に関わる重要施策に反対するのなら連立を離脱すべきではないのか。

与党なるが故に施策の実現も可能だとするなら、もっと真剣に政策論議を自・公両党間ですべきであり、政策を中心に連立を構築すべきではないのか。
数合わせでイニシアティブをとっているなどとの思いがあるなら、この機会に離脱し自・公ともに政党とは本来如何にあるべきか真剣に検討すべきである。

中央における公明党の対応はマスコミを通じてしかわからないが、地方組織における公明党は実にいい加減で、未だに社公民時代の影を引きずっていることなども含め、今回選挙の総括の中で「政党とは何か」「連立のあり方」を自・公ともに真剣に考えてみる必要がある。

連立政権の政策形成のあり方
二階俊博自民党総務会長は大連立も視野に入れた対応も選択肢であると発言していたが、選挙に圧勝した直後だから小沢民主党は応じないし、かつてのような一本釣りによる多数派工作もあり得ないだろう。
そうなれば、両院協議会での妥協点をめぐる綱引きになるだろうが、なんでも反対では民主が国民からそっぽを向かれことを承知しながら小沢は政権交代を目指して衆議院の早期解散を仕掛けてくるだろう。そのために政局にらみの対決路線がこれからしばしば顔をだすことだろう。
いずれにしろ安倍が考えていた官邸主導は完全に消え去り与野党の最前線での話し合い、すなわち国会主導になったことだけは確かである。
与野党の連立の形とあり方についてもこの際考えてみる必要がありそうだ。

連立にはさまざまな形があるが、大体のところは最大会派と3ないし4番目の弱小勢力が組むケースが多いようだ。文字通り議会対策のための数合わせがその主眼であるが、その場合圧倒的な勢力の差がありながら小政党が存在を誇示するためにかなりの部分で引きずられる傾向があり、もう一方の会派から不協和音が起きやすい傾向がある。
自・公連立の中で一番欠落していると感じる部分は、政策協議について乖離がある場合の協議機関である。公明党は直ぐにマスコミに発表するのではなく事前に両党で政策協議会を常設し、合意形成に向けた話し合いをすべきである。

17年9月に発表した「第44回総選挙の総括と今後の課題」と題する拙論の中で、自・公の連立のあり方に関して私見を述べたが、そこでも、それぞれが独立した政党なのだから個別の政策に多少の違いがあることは当然であるが、国家の基本に関わるような政策については、自・公が比例代表で獲得した得票数に比例した人数で政策協議会を設置し話し合いの場を持つべきであると提言した。この協議会の人員配分の根拠は前回の衆議院選挙の獲得議席数は公明党は自民の10分の1でしかなく、この比率では公明党が応じないだろうから、比例区は自・公の得票比率が3対1だからこの数字で協議会立ち上げて政策協議をするルールをつくるべきであると提言したのである。
この協議会での議論の仕方は、自民党総務会の申し合わせと同様に多数決ではなく徹底的な話し合いをすることである。

どうなる安倍政権の近未来
小泉は経済成長を成し遂げれば財政再建は実現できるとして、改革路線を強引に推し進めたために数多くの分野で歪が生んだが、この是正は並み大抵のことではない。
安倍政権の課題を列挙すれば、内政面では先ず財政再建であるが、これの足を引っ張りかねない問題に、医療危機に対する対応、介護の財政負担増と人材不足問題、地方の振興、年金不信に対する対応、消費税をめぐる税制改正問題、さらに外交面では対米協調路線の第一関門としてのテロ特措法の延長問題、中国・韓国・北朝鮮問題などなど、これらを乗り切るためにはかなりの「腕力」が不可欠である。
これ以外にも、彼の政治目標である憲法改正のための審査会の設置、教育基本法改正を受けての教育正常化問題などにどれだけ手が付けられるだろうか。
衆・参ねじれ現象の中で、これらをまとめ上げる難しさは想像に難くない。

蛮勇を奮って大胆極まりない予測をすれば、早晩、安倍政権の破綻は避けられず、短命政権に終るのではないないだろうか。
時期的には、来年度予算は何としても乗り切らねばならないが、これを乗り切ったとしても洞爺湖サミットまでもつだろうか。
サミットを乗り切れたら次年度中はもつのではないかと思うのだが・・・。

政治の世界は水物と言われ、一寸先は闇とされているが、余程のことがない限り安倍政権での次期総選挙はないだろう。
誰がやるかによっても違ってくるが、問題はこの次の衆議院選挙だろう。時期も確定してない選挙の予測などできないが、この次の選挙結果から帰納されるものは、ほぼ間違いなく大連立の時代ではないだろうか。
この予測が外れた場合でも政界再編が起きるのは避けられないだろう。

いずれにしろ、連立の時代の到来が予感される現時点で、連立政権での政策決定のプロセスをより判りやすくすることは不可欠であり、まず、自・公の間で政策協議をガラス張りにする必要があると思う。
それができないようでは大連立の時代にキャスティングボードを握ることはできないだろう。

混迷の政局が続くだろうが、その先に曙光が見えるのはいつになるのだろうか。

(文中敬称略)
平成19年9月
松 室  猛
参考文献
安倍政権論
官邸崩壊
政権交代
渡辺治
上杉隆
板垣英憲
敗因の分析と今後の課題
(自民党参院総括委員会)
Wikipedia
雑誌・世界・文春・選択他

 



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