平成17年9 戻る

松室猛のTMニ水会定例講演・資料



政治の世界におけるハリケーンの来襲

最近の政治情勢で一番気になるのは、わが国を取り巻く国際情勢ではないだろうか。
外交課題として懸命に取り組んできた国連の常任理事国入りは国連改革そのものが先送りされ白紙に戻り、中・韓との屈辱的な関係改善は期待薄、アジア諸国との関係も決して良好といえないことなど、これからの日本はどうなるのか、どうすべきなのか真剣に問いかけ検討する必要があると思う。
こんな大事な時に国の基本方針とはいえない郵政問題の決着のために解散総選挙が行われることの妥当性や、与野党の選挙に臨むスタンスの違いなどからして、「・・やっぱり今度の選挙は普通じゃない・・」と感じていた人は多かったのではないだろうか。

しかし、選挙結果はそんな気楽な予測を覆し、トンでもない流れをつくりだした。
自・公で過半数どころか、憲法改正の発議や参院否決をひっくり返すことが出来る3分の2の議席を得たのである。これぞまさしくハリケーンの来襲であろう。

価値観の変化、政治形態の変化が選挙を大きく変えたのでは・・・

従来と違うことが随所に感じられたのが今回の選挙だが、選挙そのものが変わってきただけでなく、政治の形態が大きく変わってきたのも事実である。
広井良典氏(千葉大学教授)が指摘するように、現代の主要な政治潮流(哲学)を「保守主義」「自由主義」「社会主義」の三つに仕分けするとすれば、保守主義、すなわち伝統的な家族共同体に価値をおく思想を信奉してきた自民党が、自立した個人に価値を見出す自由主義的、市場重視型の政治哲学へ脱皮しつつあることが顕著になってきた。戦後60年を迎え政治に限らず企業や教育、果ては家庭生活の形態までが大きく変わりつつあるが、その中で価値観の二極化傾向が選挙の形を変えるに至った。
従来にはなかった党内の政策遵守の是非による分裂選挙の仕掛けが話題を呼び、現行選挙制度の特徴と相まって、かつてない選挙結果をもたらした。

この流れを強く推進したのは小泉氏独特のポピュリズム型の絶叫、即ちワン・フレーズ・ポリティックスによりつくり出されたもので、一人のスーパーヒーローにより醸し出された選挙といえるだろう。さらにそれを助長したのは例によってマスコミであった。
「劇場型」などと揶揄し、郵政一本やりの争点を、年金問題に方向転換させようとしたのは野党各党とマスコミの連携プレーであったが、選挙結果はマスコミの思惑や世論調査を超越した形で決着したのも、いろんな意味で興味深く、選挙とマスコミの関係も随分変わってきことを痛感する選挙であった。

それともう一つ、今回選挙の特長は、「小選挙区比例代表並立制」が持つ制度の特質がフルに生かされ機能した選挙であったことである。
小選挙区制は、勝つか、負けるかの選択制であるが、従来は並立制での敗者復活が多かったが、これほど投票率が上がり片方の陣営が勝利すると惜敗率で救われる者が減少するから勝敗が際立ってくる。政権交代が容易になるといわれた制度の特質が従来以上に顕著になった選挙であった。
しかし、冷静に考えてみると、冒頭にも書いたが、アジア諸国の急速な近代化と経済成長の中で、各国のナショナリズムの高まりが顕著であるが、国際協調路線を重視するわが国が、こんな時期に重要課題である憲法改正問題や自衛隊の位置づけ、教育基本法の改正などをどうするのか問われることのない選挙がどれほどの意味を持つのだろうか、数々の疑問を感じさせる選挙でもあった。

何故これほどの差がついたのだろうか

大波乱が起きた原因は野党各党が、いずれも唯我独尊的で人気とり施策の羅列と相手を攻撃する発言に終始する未成熟さがシラケを感じさせ、その中で、「郵政民営化が改革の中核」であると決め付け、この問題に対する是か非かだけを問いかけるワン・フレーズ・ポリティックスが国民には判りやすいと感じさせた。改革のためなら、かつての同志も切り捨てる短絡的とも思える対応が、「潔さ」と映るのは小泉氏の人柄のなせる業だろうが、必死の改革姿勢と映った結果であるとみるべきだろう。
従って今回の選挙は自民党が勝ったというより小泉氏個人が勝利したようなものだ。

こんな特異な選挙がどんな結果を生んだかを検証してみるとおもしろい。
具体例を挙げると、自民党の大阪2区は35歳、7区は43歳とどちらもが若い女性で、地域との関わりがまったくない移入候補が勝利したのである。
2区の候補者は大阪に在住してはいるが、昨年和歌山県で民主党から参院選に出て負けた候補者を急遽擁立したものであったが造反組の現職に2,500票差で競り勝った。
大阪2区は、閣僚を経験したあと大阪府知事を務めた左藤義詮氏の地盤であり、その後複数回閣僚を務めた岳父左藤恵氏から禅譲を受け出馬した左藤章氏が3度目の議席を目指していた。彼は郵政改革に反対をした議員であったが、大阪2区は左藤義詮元知事から左藤恵氏に引き継がれた強力な後援会組織を誇る地域であった。そこで勝利したのが川条しか氏である。
7区は杉並区議から東京都議選に出て負けた候補者であったが、選挙期間中は住まいもなく、ホテル住まいをしながら選挙期間中満足に演説会すら開催できなかったにもかかわらず民主の現職に14,000票の差をつけて勝利する結果になったことをどの様に理解すべきなのであろうか。
当選をされた両国会議員に対して失礼を顧みずに書くが、国会議員が単なる地域代表ではないといえども、まったく地域と関係のない者が当選をするのは、小泉氏の指示に従っただけで選ばれたとしか言いようがなく、こんなのは本人が当選したのではなく小泉氏が当選したとしか言いようがないのではないだろうか。こんなことが起きる選挙がかつてあっただろうか。
学生時代から政治を志し自分自身の選挙を8回経験してきたが、選挙とは何か、選良とは何かを懸命に考えてみたが、考える程に判らなくなり遂に馬鹿らしくなってきた。

こんな候補者に負けた民主党が多かったが、自らは「野党」ではなく、「政権準備政党」だと言い出した民主党であったが、あの惨敗振りは小手先だけでなく抜本的な改革によらねば現在の閉塞感が拭えないと感じている国民に、端的にアピールするものを示せなかったことに起因すると見るべきだろう。
簡単に言えば、選挙中に郵政改革に反対ではない、自民党案に反対だなどと子どもじみた言い訳がむしろ国民からそっぽを向かれる原因となったのである。
こんな論理の裏に見え隠れするのが支持母体である関係労組とのしがらみではないだろうか。
現在の自民党との根本的な違いはこの点であり、自民党は従来の支持母体との関係を超越し、利益誘導、地域代表的な体質から脱却し、派閥と族議員を解消させるなど、「自民党をぶっ潰す」と叫びながら政党改革のイメージを演出したことが評価されたと見るべきではないか。
事実、ぶっ壊すほどの改革を成し遂げた印象は国民を惹きつけるに充分であった。

郵政反対派の選挙区のすべての選挙区に賛成派の候補者を擁立したことに関して、「仁義なき戦い」だなどと品のない言い方がされていたが、同じ次元で議論をすれば、それなら党総務会で採決が行われ多数決で決まったことに対する信義(仁義と言い換えても良いが)違反にはどう答えるのだろうか。
総務会は多数決ではなく、全会一致が原則だなどといっていた人があるが、これが慣習であったかどうかではなく、重要法案に対して賛否がないことの方がおかしいのであって、天下の公党が全会一致以外の決め方がないなどといえば、そんな政党は全体主義的独裁政党というべきだろう。

理由はともあれ、あれほど自民党執行部に抵抗し否決に追い込んだのだから、反対した議員は潔く離党し新党結成か無所属で選挙に臨むのが筋である。
ところが党本部が選挙に関して強硬な手段をとることを表明した途端に、棄権組は今後は賛成するとの誓約書を提出し公認を願い出たり、反対投票をした者までが参院における審議が衆院で行われていたら、などと未練がましくいっているさまは論理の欠落以前に見苦しさを感じさせた。
政治家として政治生命をかけて反対したのなら、なぜ離党しないのか、少数といえども同志を募って新党を立ち上げて国民に信を問おうとしないのか、このあたりの政治的対応が出来ないのなら、「大きな口を叩きなさんな!」と言いたい気がする。

「小選挙区比例代表並立制」と政党との関わりについて

現行選挙制度は人を選ぶのではなく、政策を中心に政党を選ぶ制度である
反対が自らの政治信条であるというのなら、それはそれで理解できるが、これを受けて選挙になれば、小選挙区制という選挙制度は「政策を中心に政党を選択する制度」であるから、党の政策に賛同しない候補者は当然公認されないだろう。
こんな制度が日本の政治風土に馴染むかどうかは別次元の問題であり、この制度を選択している限りは一人一党制は避けられない厳粛な制度なのである。従って同じ政策を支持する候補者を擁立するのが政党としての務めなのである。
「仁義なき戦い」とはマスコミがいいだした言葉だろうが、仮にも反対派議員が口にする言葉ではない。こんなことすらわかっていない代議士が如何に多いことか、これが日本の政治家の現状かと思えば心許ない限りである。

しかし、現実の選挙戦略となれば無所属では政見放送が出来ないことや、比例代表との重複立候補は不可能である。当選確率の低い自民党候補者が出た場合でも、自民党の元議員を利することにはならないから、政党人なら公職選挙法の諸規定を熟慮の上で政治決断をすべきなのではないのか。
郵政採決の際に演壇の上でパフォーマンスをしていた程度の悪いのがいたが、彼などは真っ先に淘汰されることになるのではないかと直感したが、結果はその通りであった。
政治的決断とは、そんな情緒的感覚ですべきことではないことを知るべきである。

「政党純化」を加速させた価値観の変化

37選挙区のうちホリエモンこと堀江貴文氏だけは無所属であったが総てに賛成派候補の擁立を実現させた。今回の選挙の最大関心事は造反組の選挙区に擁立した自民党公認候補の当選確率であった。いや、むしろ反対に造反組の当選確率であった。 
単なる関心事でなく、無理やり出せば当選確率は期待できず、結果的に利敵行為になるとすればこんな政治手法が選挙制度上の対応としては正しくても、政治手法・選挙対応として正しいといえるのかどうかにあった。

それでも党内を「純化」するのだという強硬な政治手法は、わが国にはかつてなかった手法だけに複雑な反響を呼んでいたのである。しかし、選挙結果は刺客の半分以上(比例を含めると)が当選をし、擁立によって他党を利することも少なく、造反組が淘汰されたから執行部責任は問われないで済んだが、従来の選挙に関する常識からすれば相打ちになって利敵行為になる筈のものがそうはならなかったのは驚きであった。
従来には見られなかった選挙の結果は別表の通りであるが、簡単に記すと33選挙区のうち淘汰されたのは17人(造反組当選15名。刺客組当選14名、民主に移行4議席)であった。半数以上が議席を失った。まさしくハリケーン並みの風が吹き荒れた選挙であった。

今までは選挙によって示される民意には絶妙の平衡感覚があるとされていたのが日本の選挙であったが、体制温存型の保守主義が衰退し、自立した個人に価値を見出す、自由主義的、市場重視型の政治哲学が広がりだした現在ではこんな論理は通用せず、是否を端的に選ぶことや、体制を変革することにさほどためらわない個人が増えてきたのが選挙を変えたと見るべきべきではないだろうか。


連立政権と選挙協力について

小泉総裁は選挙の議席獲得目標として自・公で過半数確保を表明していたが、自民党単独で何議席確保するのかが言えなかったことにも問題を感じた。
連立政権で政権運営をすることを決めている場合、選挙の前段でその事を明確に示すことは政治手法として間違いではないだろう。しかし、連立の在り方にはかなり詰めねばならない議論があるはずだ。
そのことが未整理だから自民党の支持者は言い知れぬ不満を感じていただろうし、公認候補の多くは、小選挙区は自民党に、比例区は公明党になどと平気で演説をさせる結果となっているのである。

政策協力と選挙協力の違いを、ここに至るも真剣に検討しようとしない自民党に将来が存在するのだろうかと思われてならない。
これほど単純に是否を明確化させる反面、選挙で自党以外を支持させる発言を規制出来ない政党が、いくら凌ぎを削ったとて現行選挙制度の持つ矛盾を拡大させるだけだろうし、健全な政党に育つ筈がないと思うのだが・・・。

大阪では自・公は4選挙区において住み分けと称する選挙協力区を設けている。
大阪3・5・6・16区がそれであるが、この区には自民党候補は出馬していないので自民党員は選挙協力で公明党の候補者に投票することになる。比例区だけは政党名による投票だから自民党に投票を呼びかけることになる。
このような約束のもとに全選挙区でお互いに補完し合うはずだが、現実にはそうなっていない事実がある。
大阪の例では2区と7区、11区の新人候補はともに公明の推薦がない。
幾ばくかの理由はあるのだろうが、ずばり言って民主との組織上の関連があると思わずにおれない。小選挙区は一人を選出するのだから自公の選挙協力をここまでやるのなら徹底すべきではないのか。公明党に較べて自民党は選挙協力が希薄だなどとよく耳にするが、小選挙区に候補者を擁立しないことが最大の選挙協力ではないのか。
大阪では3区において自民党府連会長を3度にわたり比例単独に回してまで協力しているのに、相互に譲り合う協調性がないのを何と説明するのだろうか。
大阪3区にコスタリカ方式の話し合いがなかったのだろうか。ない筈はないと思うが、今回は郵政改革に棄権したことから間髪をいれず公明が選挙区で出馬を決め、またまた比例単独になったと思うのだが、いずれにしろ、この区の選挙対応は自民党員にとっては理解しがたいものといわねばなるまい。

地方選挙は小選挙区制ばかりではないので、この間の事情がかなりハッキリしてくる。
2議席の選挙区で自民、民主、共産が立候補した場合などは、隣接区の公明を支援させるために、いわゆるバーター方式で自民を推さず明確に民主を支援することを機関決定していた事実がある。1人区でも、自民党の候補者を推さず自主投票と称して、隣接区の公明候補支援をバーターとして民主党を支援するケースは数々あった。
大阪では、今なお一昔前の社公民体制を引きずっているケースが多々あるのである。
本来は、他党が支援してくれないからといって文句が言えるものではないが、連立政権を組み選挙協力をしようというのなら、お互いの誠意と信頼にもとづいて徹するべきではないだろうか。この、ご都合主義的中途半端さが不信感を増幅させているのであり、自民党単独政権を阻み、こんなに格差の大きい連立を余儀なくさせているのではないだろうか。

「連立」は政策協定として行うべきである

連立は政策協定として行うべきであり、選挙協力などといったあいまいさの中で凭れあうことにより政党の独自性を喪失せしめ、組織の弱体化に歯止めが掛からなくなることを知るべきである。
こんな悪弊を今日まで引きずっているのは、日本新党が出現し、その後新進党、新政党の時代に始めて小選挙区比例代表並立制で選挙をした時に、大阪19区の中で勝利をしたのは3選挙区だけで16選挙区で敗北した経験によるものだろう。
比例代表の惜敗率で辛うじて復活当選をした議員がいたが、あの時の後遺症から抜け出せないでいるようだが、考えてみると、あの時は自民党以外の政党、すなわち社会、公明、民社、日本新党など、共産党を除くすべての政党を相手にして戦ったからあの結果であって、その後公明は離れ、社会党は極端に勢力を弱め、民社も実態的には埋没していることからすれば自民党も堂々と全選挙区に候補者を擁立し戦うべきである。
それでは選挙に勝てないというのだろうが、制度的には問題があるとしても比例代表の惜敗率での復活制度をフルに活用すべきが選挙に臨む政党のあるべき姿ではないのか。

この点に関する読売新聞の調査がある。このデータは2003年11月選挙の際の出口調査だが、その結果は公明党支持の63%が自民党に投票していたとなっている。
大雑把ながら、比例選で公明に投票した半分が小選挙区で自民党に投票したと計算し、もしこれが次点候補に流れたとすれば、単純計算でしかないが自民党議席の168のうち85選挙区で自民が議席を失うことになるそうだ。公明から民主に流れた場合に想定されるケースがこれだが、棄権した場合でも46減となる試算がある。この試算が正鵠を得ているかどうかは疑問であり、単純な算術計算でしかないことは言うまでもない。

前回選挙の比例区で公明党は873万票を得たが、自民の「比例は公明党へ」発言がおよそ100万票はあるだろう。いわゆる「比例は公明党へ」と呼びかけたバーターの結果である。
このような連携の結果、選挙区ではわずかに9議席しかないのに比例区で25議席確保し公明党は政策的にも自己主張が顕著となり、自民党との協議の中で党是である憲法改正問題や防衛庁昇格問題などには否定的であるため先送り的対応しかしていないのはいかがなものだろうか。

今回選挙の結果、公明の比例区得票数は898万票で過去最高の得票であるが、議席数は比例で2議席、選挙区で1議席減り、自・公の議席数の比較は296対31議席で、公明党の議席占有率は自民の1割強でしかない。
何よりも全国に300ある小選挙区の中で、わずかに9選挙区しか候補者を擁立できない状態なのである。今回選挙では沖縄で1議席落として8名の当選であった。
大阪が4議席、兵庫2議席、東京と神奈川が各1議席であるが、公明党の牙城は関西なのである。だからこそ、この問題については大阪が然るべき対応をしなければ改革できないのではないだろうか。

連立は協力関係の構築が主眼であるが、この差を無視して対等合併のごとき政策協議は小が大を潰すことになり、これでは選挙を通じて示された政党に対する民意をないがしろにすることになるだろう。
このような事実から、健全な連立のあるべき姿を模索するとき、政策ごとの論点を整理し、それぞれを体系化して議席数に応じた妥協の姿を見つける協議会を設置し、徹底的な議論をするべきである。
但し、議席数按分は前回までは7分の1、今回選挙の結果公明は10分の1強であるが、そのままの数では協議会の設置に応じないだろうから、お互いに知恵を出し合い、何とか公平な議論の場を作る作業から始めるべきあろう。
大変難しい作業ではあるが、一つの試みとして比例代表選挙における得票数を按分の基礎にすることなどは検討に値しないだろうか。
因みにこの数字は、自民の25,887千票に対し公明は8,987千票で、約3対1の割合である。いずれにせよ両党の言い分を明確に裁定する仕組みをつくる必要がある。

政策協議にみる自民と公明の違い

政策協議のありさまを報じている文書を読むと真偽のほどは定かではないとしても、およそ見当がつく両党のやり取りに次の問題がある。
年金改革・児童手当問題・教育基本法改正問題・そして憲法改正問題である。
簡単に記すと、年金問題の意見の違いは一本化と財源対策であるが、これなどは党の政策として云々するよりは国民的課題として虚心に話し合うべきであり、「わが党が・・」式の功名心を抑えるべきである。
児童手当も同様であり公明党は少子化対策として中学3年生までを対象にしようと主張するが、これも財源との兼ね合いであり、向こう受けだけを狙い過ぎる傾向がある。
教育問題、憲法問題での公明の主張はバックにある支援組織の意向が強いようで、未だに「論憲」などといった言葉の遊びから抜け切れない状態では駄目である。
憲法改正発議は国会の3分の2以上の同意が必要であり、むしろ民主党の改憲論の方が筋が通っており、発議は自・公だけで可能となったが、それだからこそ自・公の政策協議が重要度を増してきたのである。
本来政治的決断は政策を中心に話し合われるべきであり、時には大連立の可能性を探る議論が早晩出てくるであろう。極端に小さい第3勢力が、すべてにイニシアティブを握る政権が国民に支持される筈はないからである。
「恫喝と、擦り寄り」や「我田引水」のみが横行しているとは思わないが、今こそ、本格的命題に取り組むための議論をする環境を整備すべきではないだろうか。

今後の政局を握る二つの勢力

9月11日の深夜に開票速報を眺めていると、自民の圧勝に関する公明党の見解が流されていた。「いかに衆議院で自民が過半数を得ても参院があるから公明党の影響力は変わらない」と、党としてのコメントを発していたが、この奢りを感じさせる発言は選挙を通じて示された民意を真摯に受け止めたものとは言えず、いわゆる永田町の論理を振りかざしたものといわねばならないだろう。又、選挙前の時点ながら公明党の幹事長は、選挙後の趨勢によっては民主党との連携を口にし、物議をかもしたこともあったっが、この辺に公明党に対する不信感があることを彼ら自身が知るべきであろう。少数勢力が影響力を発揮するためには相手のウイークポイントを抑えておく必要があるだろうが、だからといってこれほどの差がつく支持基盤を無視するような対応を許してはならないのではないか。

問題はこれからの政権運営である。国内的には財政赤字は支出削減では補えないところまできており、国民負担増は避けられず、税制改革議論と平行した抜本的な歳出削減は避けられないだろう。また、イラク撤退問題や自衛隊の位置づけ、防衛庁の昇格問題、憲法、教育基本法改正問題や果ては靖国参拝問題など連立与党内でも懸案事項が多過ぎ、いつ破裂してもおかしくない状態でもある。
自公の協調路線が今後も円滑に進むか否かはかなり流動性がある。お互いが毅然たる態度とともに互譲の気持ちを持ちながら難局に立ち向かう心意気が不可欠であろう。

党内的には来年9月の総裁任期以降は恐らく小泉氏は続投しないだろうから、後継選びでの挙党体制つくりが極めて大切となる。
当面の問題としては造反組の処遇や地方組織の亀裂の修復、2年後の参院選対策など、まさに重要課題山積である。
結党50周年を迎えた自民党は、かつてない勢力を手にしたが、その一方で今日ほど自主性、独自性に欠けるものを感じさせるのは何によるものだろうか。
これは記述したとおりの連立のあいまいさによるものと言わざるを得ない。
ルールと節度のない連立は野合である。
いまこそ、連立の当事者同士が疑心暗鬼にならずに虚心に話し合うルールづくりの必要性を強く感じるのである。
歴史的勝利を得たとはいえ浮かれてばかりはおれないのが自民党の現状であることを認識した上で、新たな一歩を踏み出さねばならないだろう。
次の選挙で、台風やハリケーンがそんなに都合よく吹き荒れる保証は一切ないのだから・・・・。

    平成17年9月                       

松 室   猛

第44回総選挙総合資料

※下記資料をクリックすると大きく表示されます




戻る