令嬢と苦学生
その8〜いちょう並木のセレナーデ
「襟居さん・・・何もないけど、いつかきっと幸せにします」
「ええ。私は、礼府さんと一緒にいられたらそれで幸せです」
笑顔で輝く二人のまわりを、いちょうが祝福するようにはらはらと舞っていきました。
淑子さんが、礼府さんをまっすぐ見つめて言いました。
「私では・・・ダメですか?」
「礼府君、留学するそうだね・・・淑ちゃんのことはどうする気なんだ?」
「・・・!?」
「君、淑ちゃんのこと、好きなんだろう・・・淑ちゃん、卒業したら親の決めた人と結婚してしまうぞ?どうするんだ?」
「どうするって・・・たとえどんなに好きでも、僕のような苦学生に、襟居さんのような令嬢を幸せに出来るだなんて、とても思えないよ・・・」
礼府さんはため息混じりに諦めたような顔で言いました。
「礼府君!・・・もう、身分とか言ってる時代は終わったじゃあないか?」
賢一郎さんは思わず声を大きくして言いました。
驚いた礼府さんが尋ねました。
「襟居さん・・・僕には、何もありませんよ?お金も何もないんですよ?
・・・それでも僕に付いてきてくれますか?」
「何もなくなんてないわ。礼府さんには、才能があるんですから」
主人の論文が賞を頂いて、受賞パーティに行ったとき、久しぶりにダンスをしまして、賢さんが開いてくれたパーティを思い出しました。
主人も、あの時のパーティのおかげでこんな場面でも焦らずに済むなぁ、と感謝していました。
賢さんにもよーくお礼を仰って下さいね。
こうして二人幸せにしていられるのは、綾子さん、賢さんを始め皆様のおかげです。
綾子さんと賢さんが新婚旅行にこちらに来られるの、楽しみにしています。 かしこ』
淑子さんは手紙を書き終えて、礼府さんとにっこり見つめ合いました。
ほんの少し、時は流れて。
『拝啓 綾子様
お元気ですか?私たちもこちらの生活に慣れて、元気に暮らしています。
結婚式の写真送って下さってありがとう。式に参加できなかったのは残念でしたが、賢さんも綾子さんも幸せそうなお顔でステキでした。
主人はこちらの研究室のポストも得て、順調です。
私は子供達にピアノを教えながら、聴講生として大学で勉強もさせて戴いています。
綾子さんは女学校なんてつまらないって仰ってたけれど、女学校で習ったピアノも身をたすくことがあるのよ?
「・・・よろしく」
「こちらこそ、よろしくお願い致します」
少し照れながら、二人は固く握手を交わしました。
「襟居さん・・・卒業したら、お輿入れされるそうですね・・・」
寂しそうな目で礼府さんが言いました。
「・・・礼府さん、お一人であちらに行かれるのね。淋しくないですか?」
せつなそうな顔で、淑子さんが答えました。
「淋しいですけど・・・海の向こうには、襟居さんのような美しくて頭の良い女性が居るかも知れません・・・いつか僕もそんな伴侶を探しますよ」
季節がめぐり、秋。
キャンパスのいちょうが色づいて、淑子さん達の卒業も近づいて来ました。
『こうして、礼府さんと勉強するのも、あとわずか・・・この背中を追うのも』
「淑子さん・・・礼府さんに、貴女の気持ち、打ち明けたの?」
「綾子さん・・・そんなこと、怖くて出来ないわ
・・・このまま、礼府さんへの気持ちは綺麗な思い出として、我慢してお嫁に行くのが私の人生かもしれない・・・」
淑子さんが諦めたように言いました。
「淑子さん!女が帝大に行く時代でしょ?そんな弱気でどうするの?
・・・淑子さんには、これからの女性として今までとは違う生き方があると思うの」
綾子さんが強い口調でそう励ましました。
「・・・綾子さん・・・」