市場にてCollet Side〜




「やあ、お嬢ちゃん」

 セレスティアにある市場の中で、わたしはふいに声を掛けられた。
「お嬢ちゃん」との呼び名で、この甘く響く低音ボイスの持ち主が誰なのかをはっきりと確信しながら、わたしはゆっくりと声のする方を振り返った。
 そこには想像どおり、燃えるような緋色の髪に、冴えた光を放つ氷蒼の瞳を持った人物が、老若を問わず市場中の女性の視線を集めて立っていたのだった。

「お久しぶりですね。オスカー様」
「おいおい、俺に“様”はないだろう? 仮にも聖獣宇宙の女王陛下が……」
「だったら、その女王陛下に“お嬢ちゃん”はないんじゃありませんか?」
 そう強気に言い返すわたしに、オスカー様は数回瞬きを繰り返して「やられたな」と言った表情で笑い出した。
 その笑顔にドキリとする。
 特別な恋愛感情は持っていなくても、やはりこの人は誰が見ても魅力的な人なんだと再確認したようで、わたしは少し胸が痛くなるのを感じた。

「どうしんたんだ?」
 わたしの顔に、ほんの少し影が射したのを敏感に感じ取ったのか、オスカー様は心配そうにわたしの顔を覗き込んだ。
「大丈夫です」
 そう言って、努めて明るく返したけれど、この人にこんな誤魔化しは効かないことくらい長い付き合いだからよく分かっていた。
 自他共に認める自信家で、時には挑発的な言葉をも平気で使う人だけど、それは全て強さゆえの優しさに裏打ちされている。だからこそ人の弱さをとても敏感に感じ取れる人なのだ。
 そんな二面性のあるところが魅力なんだと、わたしは最近ようやく気付いた。いいえ違う。ようやく認められたと言った方が正しいのかもしれない……。

「時間があるなら、栗毛色の髪をした綺麗な“お譲さん”を、お茶にお誘いしても構わないか?」
 黙り込んでしまったわたしに、オスカー様は変わらず優しく話し掛ける。
 その言葉に小さく頷くと、オスカー様はわたしが両手に抱えていた荷物をひょいと持ち上げてカフェテラスへと真っすぐに歩き出した。



 二人でテラスに腰掛けて、他愛もない会話が続く。
 お互いの宇宙のこと、守護聖のこと、レイチェルのこと、神鳥の女王陛下のこと、ロザリア様のこと。

「ところで女王陛下であるお嬢ちゃんが、自ら市場へ足を運んだ理由は何だ?」
 会話が途切れたところで、オスカー様がわたしの荷物を指さしながら聞いてきた。
「お料理を作ろうと思って……」
「料理?」
「ええ。今日の夜、聖獣の守護聖の方々を集めて晩餐会を開くんです。それでその材料の買い出しに来たんです」

「今日?」
 少し上擦った声で聞き返すオスカー様の瞳が、一瞬複雑に揺れたのをわたしは見逃さなかった。

「なるほどな。お嬢ちゃんの心のこもった手料理が味わえるなんて、あいつらに嫉妬してしまうな」
 戯けたように言葉を続けるオスカー様の声はいつものトーンに戻っていたけれど、鉄壁の仮面をつけられるこの人を、ここまで動揺させた訳を知りたくなった。
 次に話す言葉を頭の中で必死に探しながら視線を動かすと、ふとオスカー様の足元に置かれた荷物が目に入った。それは市場で声を掛けられた時、オスカー様の持っていた荷物だった。
 すると、わたしの視線に気付いたオスカー様は、少し戸惑ったような表情を浮かべ、
「今日は俺の誕生日だからな」
 と呟いた。


 12月21日。
 その日付を思い出し、わたしは慌てて立ち上がって「忘れていてごめんなさい」と頭を下げると、オスカー様は笑いながら「気にするな」と返してくれた。

「それで、どうして主役がお買い物なんですか?」
 わたしは疑問に思ったことを率直に口にした。
「残念ながら料理を作ってくれそうにはないんでね。俺が作るしか、な…」
 遠慮がちに言葉を濁すその答えに、わたしの胸に嫌な予感が走る。これ以上何も言ってはいけないと、頭の中に警告のシグナルが点灯した。
 それでもわたしは、決定的な言葉を聞くために口を開いてしまった。

「でも、オスカー様のお誕生日を手料理で祝ってくれる女性なら、星の数ほどいるんじゃないですか?」
 普通に、普通に、と自分に言い聞かせていたけれど、声が震えるのを抑えきれなかった。
 オスカー様の眉間が僅かに寄る。どう言っていいのやら逡巡している様子が手に取るように分かる。
 時間にして思えば15秒ぐらいの空白の時間。それでもわたしにはそれが永遠に思えた。まるで死刑宣告を待っているような、そんな途方もない感覚に捕らわれる。
 握り締めた両手には、ベットリと汗が滲んでいた。

「……それでも、祝ってほしいと思う奴は一人だけだからな」
 どこか遠慮がちな、でもキッパリとした「奴」という答えに、今日一番晩餐会に来て欲しかった“あの人”のために用意した席が、決して埋まらないことをわたしは瞬時に悟ったのだった。

 気がつけば、日はすでに傾いていた。
「わたし帰ります。レイチェルが待っているから」
 そう言って立ち上がるわたしを眺めながら、オスカー様も無言で立ち上がった。


「素敵なお誕生日になるといいですね」
 わたしが別れ際に言った社交辞令に、オスカー様の顔が見る間に曇り、苦しげな表情へと変化する。それがわたしは無性に悲しかった。

 クルリと踵を返して歩き出すわたしの背中で、
「すまない」
 という声がした。
 わたしは振り返ることなく、首をいっぱい左右に振ってそれに答えた。
 その言葉が、こんな時間まで引き止めたことへの詫びなのか、今日の晩餐会のことなのか、どちらを意味するのかは分からない。
 でもきっと後者なのだろう。

『すまない。だがアイツだけは譲れない』と、わたしにはそう聞こえたから。


 胸にチクリと傷むものを覚えながら、わたしはレイチェルの待つ家路へと足を速めた。
 今日は、たくさんの料理を二人で作らなくてはならないのだ。大切な人達への感謝を込めて…
 そして、今夜絶対に現われない“あの人”への想いも込めて……。

 真っ赤に燃えさかる夕日が辺りを包み、空には冴えた銀色の月が夜の訪れを待っている。
 きっと“あの人”も、恋人と過ごす一年に一度の“特別の夜”を緋色の光に照らされながら楽しみに待っているのだろう。他の人には決して見せない嬉しそうな笑みを浮かべながら。

 言いそびれた一言を、わたしは滲む夕日に囁くような声でそっと呟いた。


「Happy Birthday オスカー様。そして……お幸せに」