満ちる月〜Oscar Side〜




「じゃあな」
 言ってクルリと踵を返した瞬間、込み上げてくる苦い想いに俺は唇を噛み締めた。
 動揺を悟られるよう完璧なポーカーフェイスを演じて見せたつもりだが、瞳にくゆる未練と後悔は隠しようがなかっただろう。
 7年ぶりのオッドアイ……変わることのないその姿を目にした俺は、自分のアリオスへの愛情が些かも失っていないことに、すぐに気付いたのだから。


『だっだらお前は?お前はどうしたいんだ?』
 あの日のお前の姿が瞼に浮かぶ。
 お前が何を欲していたのか、俺には痛いほど分かっていた。俺の想いも、きっとお前と同じだったから。
 欲しかったんだろう? 己の迷いを断ち切る言葉が。
 聴きたかったんだろう? 俺の口からその言葉を。
 そうと分かっていながら、結局、俺は何も言わなかった。何も言えず、まるで逃げるように聖地を後にした。

 ただ怖かった。満ち欠けを繰り返す月のように、日々揺れ動くアリオスの心が……。
 ただ怖かった。たとえ俺を選んでも、必ず後悔するであろうアリオスの心が……。
 そして、その苦しむ姿を傍らで見つめ続けなければならない自分自身の未来が、堪らなく怖かった。

 そうだアリオス。
 月が満ちるのも欠けるのも、それは人の目に映るただの幻。
 真実(ほんとう)の月は球体(まるい)まま、形など少しも変えてはいないのに。
 俺は、自分の目に映るお前だけが全てだと決めつけて、その背後にある真実の姿に気付こうともしなかった。
 ……気付いた時には、すでに7年の歳月が流れていた。
 なあアリオス。
 俺を憎んでいるか? それとも恨んでいるか?
 お前の苦しみを一緒に背負ってやれず、卑怯にも逃げ出した俺を、お前はどう思っているんだ?
 若さゆえだと必死の言い訳をしてみても、お前の手を離してしまった事実は変わらない。犯した過ちを消すことなど出来はしない。
 それなのに、俺を食い入るように見つめるお前の瞳の奥に、昔と同じほどの熱を感じてしまうのは何故なんだ?

 どうして、どうしてそんな目で俺を見るッ!


 ――今ならば、言葉に出来なかった“想い”を、戸惑うことなく口にすることが出来る。
 ――今ならば、お前の揺れる心ごと、その過去全てを受け止められる。
 ――今の俺ならば……。

 そう思った瞬間、俺は何かに突き動かされるように、アリオスの姿を求めて走り出していた。


 行き交う人々の群れ。俺は必死の形相で、アリオスを探す。
 しかし再び出会うには、俺達は離れすぎたのかもしれない。時間も距離も、何もかも……。


 時が刻々と過ぎてゆくにしたがって、俺はいつしか諦めにも似た焦燥感を抱き始めた。急ぐ歩調は次第に速度をゆるめ、ついには止まってしまった。
 仕事の都合で、初めて立ち寄った惑星(ほし)だった。
 ホテルの名前さえ覚えてれば何とか成るだろうと思い、あてもなくフラフラと街を彷徨っていた途中、偶然アリオスに出会ったのだ。
 その後、アリオスの残像を振り切るように闇雲に歩き続け、気が付けば、見覚えのない建物に囲まれて立っていた。
 地図もなければ、道も知らないこの街で、再びアリオスに会うことなど叶うのだろうか?
 一縷の望みに掛けて、仮に別れた場所へ戻ったとしても、アリオスが居る可能性はゼロに等しい。いや、恐らくゼロだろう。そう考えると、自分の行動が酷く滑稽な気がしてならない。


「こんなことをして、いったい何になるんだ。どうせ無駄だ」
 自嘲と共に弱気な言葉が零れ落ちる。
 ……その言葉に、俺は一瞬デジャヴを感じた。

 ひどく懐かしさ感じる言葉だった。
 確か以前にも口にしたことがあったはず。今と同じような、こんな気持ちで…あれはいつのことだっただろう?
 守護聖?
 いいや違う。もっと前だ。もっと……。

 そう、あれは子供の頃だ!
 大切にしていた宝物をなくして、いくら探しても見つからず、すっかり投げやりになった俺が母親に言った言葉だ。




『どうせ無駄だよ』
『オスカー…』
『これだけ探しても見つからないんだ。もう何処にもないよ』
『もう少し探してみたら?』
『もういいッ。どうせ見つかりっこない!』
『オスカーはそれで諦められるの?』
『……』
『じゃあ頑張りなさい。お母さんが探し物を見つけるコツを教えてあげるから』
『コツ?』
『ええそうよ。それはね……』




「“必ずある”と信じて探すこと」
 俺は、あの時の母の言葉をなぞるように口にした。
 あまりに遠過ぎて、すでに顔さえも朧げにしか思い出せない家族との記憶。
 忘れていくことが辛過ぎて、今まで意識的に記憶を閉ざして生きてきた。
 それでも…言葉に込められた想いは時を越える。

 ――必ずあると信じて。
 その言葉に励まされるように、俺は再び走り出した。

 見つけられるように、と。
 想いが伝えられるように、と。
 この聖夜の奇跡が、ただの偶然で終わることがないように、と。
 祈りながら走り続ける。

 あいつに、アリオスに、“必ず会える”と信じて。



 どれぐらいの時間が経ったのだろう。
 人混みを掻き分けて、通りの角を曲がった瞬間、ようやく見覚えのある景色が目の前に飛び込んできた。
 遠くの方に、アリオスが見ていたショーウィンドウの大きなマネキンが見える。
 俺は僅かな可能性に縋り、月明かりを頼りに目を凝らす。


 そこには……アリオスが“別れた時”と、寸分違わぬ姿で立っていた。
 心臓が、ドクンと音を立てる。

 ――見つけた、やっと見つけた。

 思わず、顔が泣き笑いに崩れた。
「アリオス!!」
 俺は大声で叫んだ。
 振り向くアリオスの姿が、まるでスローモーションのようにもどかしく見える。


 遅過ぎる告白。
 お前の中では、すでに終わったことなのかもしれない。
 何もかも手遅れなのかもしれない。
 それでも、言わずにはいられない。
 あの時言葉に出来なかった真実の“想い”を。
 それでも、伝えずにはいられない。
 7年経っても、なお変わらずにいる自分の願いを。

 これは我儘なのだろうか?

「来いアリオス!俺は…俺はお前と一緒にいたいんだッ!!」

 迸る感情のままに叫んだ俺の声は、不覚にも涙で微かに震えてしまった。

 零れる涙を隠すように、俺は天を仰いだ。
 漆黒の闇に浮かぶ孤独な月が、俺を見て笑っていた。

 愚かな俺を笑っていた。

 でも……その光は優しかった


Arios Side