富 山・渋 川・成 田・茅 野

〜新線乗り歩きと美術館・博物館めぐり〜

2010.08.13〜08.16



[旅立ち]今年(2010年)7月、成田空港への新しいアクセス路線が開業したのにあわせて、東京付近の美術館や大宮に開業して以来、盛況が伝えられる鉄道博物館にも立ち寄りたい、東京方面に向かうなら、せっかくなので、昨年(2009年)12月に富山市の路面電車、環状運転にも、あわせて乗ってやろう、と考えた。

富山から東京に向かう道中にある美術館として立ち寄ってみたいのは、ハラミュージアムアークである。案内によると、ここは上越線渋川駅からタクシーを使わないといけないようなところにあるようなのだが、地図を見ると、伊香保温泉の途中にあるようなのでバスの便がありそうだ。
 さらに茅野市民館、ここにはいっている茅野市美術館で、ちょうど藤森さんの作品展が行われているようなので、あわせて見学してみようと思う。

出発を予定していた日に台風がやってきて、旅行を取りやめようかと思ったのだが、たいしたことなく、台風が遠ざかったので出発を1日遅らせての実行となった。

駅で夏休み期間定番企画切符、「青春18きっぷ」を購入、スタートする。
 京都で米原経由の編成と切り離され、山科から湖西線にはいる敦賀行新快速電車に乗る。「青春18きっぷ」が発売される時期、普通列車を乗り継ぎながら旅行する人が多い。駅ごとに下車していく人たちがいるものの、立ち客は終点の敦賀までなくならなかった。

敦賀9:50到着。3分の待ち合わせで金沢行に接続。座席にゆっくり座っていたので、乗り換えた電車に座る席はなかった。けっきょく、福井まで1時間ちかく立つことになってしまった。
 途中で、特急に追い抜かれたりしながら、金沢12:29到着。次の富山行まで25分ほどの待ち合わせ時間があって、その間を利用して「立喰いうどん」をすする。

金沢駅から北陸線に沿って新幹線の高架が伸びている。今年(2010年)12月には東北新幹線が青森まで伸びるらしいが、あと何年かしたら金沢にも新幹線がやってくるのだろう。
 倶利伽藍峠を抜けて富山平野へと進む。新幹線も倶利伽藍抜けて石動から富山へと工事が進められている。

高岡で特急の追い越しがあって富山へ。富山平野にはいり、田園が広がっていたと思う北陸線沿線にも住宅など増えたな思う。ただし、並んでいる住宅は特徴的なものでなく、富山平野といえば、散村を思い浮かべるが、そんな車窓風景も失われつつあるのかもしれない。

新幹線の新しい神通川橋梁の工事を間近に見ながら、富山13:58到着。
 富山駅は新幹線工事のため、いまの駅ホームは北側に寄っており、南側にあったステーションビル側のホームの取り壊し工事などが進められていた。駅は仮駅舎で集改札などが行われているが、ステーションビルの商店、食堂は営業していて、切符の発売はされてないものの、改札口が設けられている。

富山14:05発高山線越中八尾行の列車が接続していたので、まだ訪れたことのない八尾に行ってみることにした。
 高山線に乗るのは久しぶりである。高山線の活性化対策として、富山−越中八尾間、1時間に2本ほど走るようになっている。
 神通川をふたたび渡り、呉羽山東側の住宅街を進む。次の西富山駅のそばにはかつて大きな工場があったはずだが、すでになく住宅が並んでいる。高山線沿線も宅地開発されてきたのだろう。

西富山と速星の間には婦中鵜坂という臨時駅が設けられている。近くに北日本新聞社の新聞印刷工場 創造の森「越中座」という施設がある。建物の周囲には芝生広場やビオトープが設けられ、地域に開かれた情報発信拠点なのだそうだ。日本建築学会2009年度の作品選奨のひとつに選ばれた建物である。

速星には日産化学の大きな工場があって、貨物列車も行き来しているようだ。最近は専用タンク車ではなく、コンテナ貨車に薬品タンクを積んでいるみたい。 千里で富山行の特急「ひだ」と行き違い、30分あまりで越中八尾に着いた。

[越中八尾]越中八尾というと9月はじめに行われる「おわら風の盆」が有名である。八尾の街並みは駅から1.5kmほど離れたところが中心地であることを知らなかった。列車に接続する連絡バスもあったが、ゆっくり歩いて行く。

駅前通りから川を渡ると街並みが緩やかな坂道となって伸びている。古い町屋も残っているが、修景のために昔風な外観にした建物も多い。
「日本の道百選」に選ばれた諏訪町の通りは古い町屋も多く残っており、なかなか風情がある。町内には、八尾曳山展示館やおわら資料館があるが、時間の都合でパス。
 八尾の街から駅に戻り15:56発富山行で富山に戻る。

[セントラム]昨年(2009年)12月23日環状線が開業した。環状線といっても、大半は既設の富山地方鉄道市内線を使い、新設されたのは、丸ノ内電停から分岐して、国際会議場前などを通り西町交差点で合流する、約900mほどの単線路線である。

運転方向は、富山駅前電停から丸ノ内、国際会議場前などを通り、荒町から駅前に戻る一方向運転、使われている車両は、富山ライトレールと同タイプの軽快な路面電車である。運賃は、200円均一で、大学方面へは丸ノ内電停で、南富山方面とはグランドプラザ前電停で乗り継ぎできる。

セントラム路線に西町電停はなく、西町交差点から少しはなれたグランドプラザ前に電停があって、次の電停は荒町である。地鉄市内線富山駅方面行の西町電停は、交差点南側にあって、北側に新たに設けてないから、グランドプラザ前電停が乗り継ぎ電停になっている。

駅前からやってきた環状線電車に乗る。大学前へ向かう路線を丸ノ内電停で東に折れ、富山城の堀端を少し進み、国際会議場、市民プラザの並ぶ通りを南に折れ、不二越方面に伸びる道路に出て、また東に折れて西町交差点で地鉄市内線に合流して富山駅前方向へと進む。荒町電停で下車する。乗車時間は15分ほどだった。

富山市内に路面電車が走り始めたのは、1913(大正2)年富山電気軌道の手になる。その後、富山市営を経て、大戦中の1943(昭和18)年に交通統合されて、富山地方鉄道になった。
 この戦争末期、富山市は空襲で大きな被害を受け、市内電車は壊滅状態に陥ったようだ。戦後、市内道路復旧計画にあわせて軌道線の復旧も進められた。だから、昔の地図と比べてみると、戦前と戦後とでは、路線の位置がかなり違っているところがある。

詳しく調べてないが、昭和40年代にはかなりの路線があり、その後、徐々に廃止されていった。1984年3月末で西町−不二越駅前間が廃止されると、残るは南富山−大学前間だけになっていた。今回、開業した区間は、かつて路面電車が走っていた区間と重なる部分もあるようだ。

西町・総曲輪というと富山の繁華街である。西町交差点南西角にあった大和デパートは1932(昭和7)年に建てられた建物だが、デパートのほうは、道路北側に新築移転していて、古びた建物は、取り壊しを待つかのような状態で残っていた。

ぶらぶらと富山駅まで歩いて戻る。きょうの宿は糸魚川に取ってあるので、早めに夕食を取って、富山17:59発直江津行で糸魚川に向かう。通勤帰りの人たちが多く乗っているが、立ち客が少し出る程度で、たいした混雑ではない。
 日が暮れ、しだいに暗くなり、糸魚川19:12到着。まだ、午後7時を過ぎたばかりだというのに、商店の明かりもほとんど消え、人気もなく、寂しげな駅前であった。

[上越国境を抜けて]朝、小雨が降っていた。糸魚川6:36発直江津行で出発。新幹線工事のため煉瓦車庫などが取り壊されている。
 糸魚川と梶屋敷の間で電化方式が交流から直流に変わる。そのため、車内の電灯が消えるのだが、そのことを車掌が説明していた。

朝方の雨もあがり、天気は曇り、日本海沿いに走る。しかし、少し山側をトンネルで抜けるので、あまりながめがいい路線というわけでない。筒石駅はトンネルのなかにホームがある。
 直江津7:13到着。この先、特急なみの停車駅しか停まらない新潟行快速「くびきの1号」が接続していたけれど、久しぶりに北越急行ほくほく線に乗ってやろうと、いったん下車。

北越急行ほくほく線は、越後湯沢−金沢間に特急が走り、富山、金沢から上越新幹線に連絡し、東京と結ぶ重要な路線である。1997年3月に開業した。あと何年かすると長野行新幹線が金沢行新幹線になるはずで、そうなれば、この路線、ただのローカル路線になってしまうのかな。

直江津7:33発越後湯沢行2両編成のワンマン電車に乗る。犀潟で信越本線と分かれ北越急行ほくほく線にはいる。高田平野の穀倉地帯から東頸城丘陵を突っ切り、トンネルのなかの信号所で特急に追い抜かれたり、行き違い待ちをした。

六日町8:45到着。「青春18きっぷ」では北越急行線には乗れず、別途運賃を支払う必要がある。六日町駅は、駅構内でJR線ホームとつながっているので、そのままJR線電車に乗り換えてしまえば無賃乗車もできてしまうが、犀潟から運賃950円を改札口で渡して外に出る。

ここは、NKH大河ドラマ「天地人」で有名になった上杉景勝・直江兼続生誕の地ということだ。駅から坂戸城があった坂戸山を一望できる。
 駅近くで「戦国EXPO」というイベントをやっている。大河ドラマの次をねらったイベントで、映画や漫画、ゲームソフトなど「戦国時代」をあつかったものを、紹介するものらしい。

すこし駅前周辺を散策したがたいした発見はなかった。六日町9:22発水上行に乗車する。この電車は、ふだんは越後中里までなのだが、週末とか夏休み期間中は、水上まで走ってくれる。この電車がないと、上越国境を抜ける電車は、8時台の次は12時台までなく、この電車があるので助かる。「青春18きっぷ」で乗り通す人も多いことだろう。

沿線はスキー場だらけである。越後湯沢駅周辺には巨大なリゾートマンションなどが建ち並んでいる。
 越後中里を出ると上り線はループ線になり第2、第1松川トンネルを抜ける。次の土樽を出ると清水トンネルで、谷川岳を抜ける。トンネルを抜けると土合、下り線はトンネルのなかにあるという駅だ。そして、眼下にこれから通る路線がちらりと見えて、ループ線になり、第2、第1湯桧曽トンネルを抜けて、湯桧曽へ、そして終点の水上に着く。

水上では4分の待ち合わせで高崎行に接続。1編成の両数は短くても、クーラーのきいた座席に座れるのがありがたい。上牧を出てしばらくするとSL「みなかみ」号とすれ違った。上越線は複線だからすれちがえるのだが、煙をはき、汽笛を鳴らして疾走するSLの姿は迫力がある。あっという間にすれちがい、各駅に停まりながら渋川11:11到着。

[ハラ ミュージアム アーク]この美術館は、渋川から伊香保温泉に向かう道中にあるグリーン牧場の一角にある。駅前のバス乗り場で、グリーン牧場を通ることを確認して伊香保温泉行のバスに乗った。

ちょうど渋川の街では祭りが行われており、市街地に交通規制がなされているせいか、それとも時期的な、また別の原因があるのか、よくわからないが、駅前から伊香保温泉に向かう道路はすごく渋滞していた。街を出外れると渋滞はなくなったが、ふつう15分ほどで行けるところが、25分ほどかかってグリーン牧場に着いた。

グリーン牧場は、動物とふれあえたり、パターゴルフ場があったりする観光牧場である。家族連れなど多くの人たちが訪れている。その一角に「ハラ ミュージアム アーク」がある。観光牧場と美術館をセットにした入場券もあるが、牧場のほうは興味ないので、牧場の外周を沿う道路を美術館へと向かう。牧場の入場料払って、牧場を突っ切ると近いのかも知れないが、バス停から歩いて10分ほど。

この美術館は、東京・品川にある原美術館の分館として、1988年に磯崎新の設計で建てられた木造の小規模な美術館である。2008年に磯崎らの手で増改築プロジェクトが行われ、それが2010年度の日本建築学会作品選奨に選ばれている。

最初に設けられた3つのギャラリーに今回、古美術を展示する「觀海庵」、収蔵庫などが増築され、エントランスの位置などに変更が加えられているそうだ。
 既存の2棟の矩形のギャラリーは、西側の榛名の山塊に向かって開くハの字に配置され、その奥にピラミッド型屋根が載っかる正方形のギャラリーがある。いたってシンプルであるが、屋根の格好や外壁の素材など、周辺の山々や自然との関係がいい。

東側に新築された収蔵庫棟があって、芝生広場が見下ろせる長い廊下でつながる先に觀海庵がある。現代美術とはちがう古美術を展覧する觀海庵へのアプローチを意図しているのだろう。
 改修前は西側がエントランスだったようだが、今回の増改築で、南側にグリーン牧場があるのだが、そちら側からのアプローチに変更されたようだ。ピラミッド屋根が3つ並んで見える様は、絶妙。

訪れたときは、「美術な物語」というタイトルのコレクション展をやっていた。3つあるギャラリーでは、長期的に展示されている草間彌生らの作品のほか、内外の作家による写真作品が、觀海庵では、狩野探幽、雪村らの作品が並べられていた。
 カフェは、もともとどこにあったか知らないが、ギャラリーとは少し離れ、緩やかな芝生の斜面上にあって、矩形のギャラリーやピラミッド屋根を見渡せる位置にある。せっかくなので、このカフェでランチを取る。

バス停に戻り渋川駅前行バスに乗る。少し早めにバス停に行くと、遅れているらしい1本前のバスに乗ることができた。駅に向かう側のクルマの流れは混雑もなく、15分ほどで渋川駅前に運ばれる。
 高崎行の電車まで40分ほど待ち時間があったので、祭りだという街に行ってみる。

この祭は、「渋川山車(だし)まつり」というもので、駅前に案内所が臨時に設けられている。街はひっそりした感じなのだが、山車をもつ各町内の詰所には、老いも若きも男も女も、祭り装束の人たち、寄り集まり賑やか。駅前でもらったパンフによると山車は19台あるようだ。

新町五差路という交差点に行くと数台の山車が集まってきて、何やら口上を述べたりしている。それらを見物する多くの人たちに山車は取り囲まれていた。
 山車の屋根の上には、上下する舞台があって、そこに人形が載っている。はでなポーズをとっている人形ではないが、「神功皇后」などと記された人物は山車ごとにちがう。人形がせり上がったときは、けっこう高い。

電車の時間を見計らい、駅に戻る。
 渋川14:14発高崎行きに乗り、25分ほどで高崎に着いた。

[群馬県立近代美術館]美術館があるのは、「群馬の森」という、高崎駅からだと、かなり離れたところにあって、駅前から「ぐるりんバス」という市内循環バスが出ている。高崎駅東口→西口、西口→東口の循環バスと、それに新町駅行のバスがそこを通る。

最初、東口の乗り場でバスの時刻を確認、発車まで少し間があるので西口のバス乗り場へ行ってみた。バスの本数は多くなく、けっきょく、最初見た東口からのバスが早いことがわかった。線路を跨ぐ自由通路を行ったり来たりして時間を過ごしたのであった。

やってきたバスは小ぶりなバスである。乗客は10人たらず。乗客をあちらこちらで降ろしながら、高崎市街地の東側を走っていると思いながらも、どこをどう走っているのか、よくわからないまま、40分あまりかかって「群馬の森」にやってきた。

美術館は、群馬の森公園のなかにあって、1974年の開館、建物の設計は磯崎新。隣接して歴史博物館もある。閉館まで1時間ほどしかなかったが、常設展と「もうひとつの場所 野又穣のランドスケープ」という企画展を見てまわる。そうそう、無料の「群馬青年ビエンナーレ2010」という展覧会もやっていた。

常設展のほうは、西洋近代絵画では、ルノワール、モネなど、日本近代絵画では、福沢一郎ら群馬ゆかりの画家など、それに近世の墨画など。
 企画展の野又さんは、遺跡のような、未来都市のような、空想の建造物を描く画家で、ありそうで、なさそうな不思議な光景の作品100点あまりが並べられていた。

群馬の森からふたたび「ぐるりんバス」で高崎駅西口へ運ばれる。このバスは、JR高崎線南側の旧街道沿いに走り、20分あまりで着いた。
 高崎駅前ですこし早めに夕食を取って、高崎18:00発上野行に乗車する。

上野に向かって各駅に停まって行くうちに、浴衣を着た人たちなど、どんどん乗ってきて、かなりの混雑。熊谷で花火大会があるらしい。熊谷で、がらりとすいた。
 上尾19:09到着。きょうは、上尾駅近くのBHに泊まる。

[成田空港へ]7月17日に成田空港までの新しいアクセス線が開業したので、きょうは、まず、これに初乗りしてやろうと思う。
 上尾6:29発上野行からスタート、浦和で京浜東北線に乗り換え、次の南浦和で武蔵野線に乗り継ぐ。きょうは、日曜日だが、けっこう乗り降りする人が多い。平日だったら、もっとすごいの状況なんだろう。

前に武蔵野線に乗ったのは、かなり昔のことになるが、沿線には、接続する私鉄駅を中心にビルや住宅など増え、開発しつくされた感じ。いまは、その中間あたりにあった越谷レークタウンといったあたりが開かれているのだろう。常磐線接続の新松戸を経て、南浦和から35分ほど、北総鉄道接続駅の東松戸で下車する。

北総線の電車は、印旛日本医大までの電車が多く、その間に成田空港行がある。東松戸に着いた時刻の間がわるく、25分ほどの待ち合わせとなる。 
 新線の開業によって、京成電車の空港連絡特急「スカイライナー」はこちらを経由するようになった。

この路線は、京成、都営地下鉄を経由して京浜急行とつながっている。やってきた成田空港行は京浜急行の車両だった。
 千葉ニュータウンを突っ切り、印旛日本医大から新線にはいる。高架から印旛沼が見える。我孫子方面への成田線のそばに駅が設けられている。

銚子方面への成田線を越えると、JR電車が走る成田空港連絡線が近づいてくる。複線の高架線となるが、JR線とは線路幅が違うので、別々の路線が2本並んで空港に向かう。しばらくすると京成成田方面からの電車が走る連絡線と合流して、空港第2ビル駅に着き、そして終点成田空港である。

空港ビルの下に駅が開業したのは、1991年3月だから、成田空港を訪れるのもそのとき以来19年ぶりということになる。
 改札を抜ける前に、警備員から旅券か身分証明書の提示を求められた。前回も旅券を見せた記憶があったので、今回も旅券をもってきて正解だった。身分証明できないと、改札を抜けられないまま引き返さなければならないのだ、たぶん。

成田空港駅の上にあるのが第1旅客ターミナルである。改札を抜けて、4階の出発ロビーにでも行こうか、と思ったのだが、次に乗るJR線、特急は30分おきに出ているが、「青春18きっぷ」で乗れる電車は1時間に1本なので、混雑している空港ビルをうろうろするのはやめ、次の快速電車で早々 に立ち去ることにした。

成田空港9:04発東京行快速電車に乗る。けっきょく、成田空港にいたのは30分ほど。
 成田空港をあとに、東京に向かう。冷房の効いた車内は心地よい。佐倉、千葉、船橋、この辺りを通るのも久しぶりだ。

海側の席に腰を落ち着けていたのだが、荒川を渡る辺りで右側の車窓を見ると、工事中の「東京スカイツリー」が見えた。確か、もう400mくらいの高さまできているはず。
 都内に入ると線路沿いは、高い建物が並び、その姿はほとんど見えない。気がつかなかったけれど、かなり遠くからでも見ることができたのかもしれない。
 錦糸町を出ると地下にもぐり、1時間半ほどで東京駅の地下ホームに着いた。

[東京からさいたまへ]地下ホームからエスカレーターを上り、地下にある改札を抜けて、適当な階段を上がって丸の内側の地上にでた。
 丸の内界隈も大きく変わった。東京駅の丸の内側駅舎は、復元工事が進められている。東京中央郵便局も外壁を一部残す工事と解体が進められているし、丸ビルなどすでに建て替えられた。

南へすこし歩くと、復元された三菱1号館が建っている。昨年(2009年)竣工し、この4月から美術館として公開されはじめた。
 広大な丸の内一帯の土地を陸軍から1890(明23)年に払い下げをうけた三菱が、ヨーロッパの街並みをモデルにして、ビジネス街をつくりあげた最初の建物が三菱一号館であった。設計は、J・コンドル、1894(明27)年に竣工している。

しかし、明治建築として文化財的価値があったにもかかわらず、1968年3月、突然解体されてしまったという。
 日本建築学会の『建築雑誌』2010年1月号の特集に「検証・三菱一號館再現」が取り上げられている。当時と同じ製法で、230万個の煉瓦を中国で造った、といった話などが紹介されていたけれど、ただの復元ではない意気込みが感じられる建物ではある。
 美術館として公開されているが、訪れたときは次の企画展までの休館期間だったので、中にははいれなかった。

このあと、まず、埼玉県立近代美術館に行こうと思い、東京駅に戻り、JR京浜東北線の電車に乗り、北浦和に向かうことにした。山手線と並んでいる区間は快速運転、荒川を渡り、キューポラの街川口へ。京浜東北線沿線には大きな工場が並んでいたと思うのだが、高層マンションなどに建て替えられているように思える。今朝、武蔵野線に乗り換えた南浦和を経て、北浦和駅で下車する。

昼食の時分となった。関東地区の駅前には、たいてい、どこかの牛丼屋チェーン店があって、メニュー、値段などわかっているから利用しやすく、手っ取り早い昼食にはもってこいである。

北浦和公園のなかに埼玉県立近代美術館がある。1982年の開館で、建物の設計は黒川紀章。そんなに大きな規模の美術館ではない。
 企画展では、1950-60年代のイギリスのファッション、工業製品、音楽などにスポットをあてた「スウィンギン・ロンドン '50s-'60s」というのをやっていた。<ジミー・ペイジのギター&ステージ衣装を日本初公開!>といっても、いまいち、興味がわかないので企画展パスし、常設展だけ見学する。

常設展もそんなに広いスペースがとられているわけでない。モネの「ジヴェルニーの積みわら、夕日」は有名な所蔵品である。ここの収蔵品には、デザイナーや建築家が設計した椅子のコレクションがあり、実際に座ることができるのもある。

木立に囲まれた公園の中にあるとはいえ、冷房のきいた美術館から屋外に出ると、気温は35℃を越えているだろうなという、ぼわっとした熱気を感じる。
 北浦和公園から南へ1.5kmほど住宅街を歩き、埼京線中浦和駅の近くにある別所沼公園へ行く。それにしても暑い。
 この公園の中に「ヒアシンスハウス」という小さな建物がある。
片流れ屋根、15u(5坪足らず)ほどの狭い木造平屋建ての住宅だ。1938年に描かれた立原道造のスケッチをもとに実施設計が行われ、2004年に建てられた。
 彼は、詩人として有名であるが、東京帝大の建築学科出身の建築家でもあった。この別所沼のほとりに、実際に建てるつもりだったらしいが、建てることなく1938年、24歳で早世する。この建物は、没後65年の時を経て実現されたものである。

本人が計画した敷地は、いまは別人の家が建っているそうだ。窓の配置など、別所沼へ眺望を考えて設計されているはずだが、いまの建物からは、それがわからず、計画された場所に建てられたら、もっとよかっただろう。
 別所沼から埼京線中浦和駅に出る。埼京線の電車に乗って大宮に向かう。

[鉄道博物館]大宮13:41到着。地下ホームから埼玉新都市交通「ニューシャトル」の乗り場に向かう。
 埼玉新都市交通は、新幹線の高架に沿って設けられた案内軌条方式の鉄道である。1983年12月に大宮−羽貫間11.6kmが開業、その後、90年8月に内宿まで1.1km延長された。

大宮を出るとJR東日本の大宮工場が広がっている。ニューシャトルに3分ほど乗って、次の鉄道博物館で下車する。博物館ができるまで「大成」といっていた駅である。
 鉄道博物館は、高崎線と東北・上越新幹線の高架線の間に設けられている。建物のすぐそばを高崎線の電車や新幹線が走る。

この博物館は、JR東日本が創立20周年記念事業として設けたもので、2007年10月14日に開館した。博物館のベースになっているのは、東京・神田にあった交通博物館で、こちらは06年5月に閉館した。
 大きな建物のなかに、実物の鉄道車両が並べられているのがメインスペースであるが、大まかにいえば、歴史、運転・設備関係の解説、コレクション、運転シミュレータ・鉄道模型ジオラマといったゾーンに分けられる。

広いフロアに実物の鉄道車両が、大小取り混ぜ40両ほどあろうか。交通博物館で展示されていた鉄道記念物に指定されているSLをはじめ大井工場に保管されていた御料車、JR東日本を中心に走っていた在来線の特急電車や機関車、それに新幹線車両などが並ぶ。

2階に上がると展示車両が見下ろせ、壁には鉄道歴史年表が長々と掲示されている。
 鉄道模型の運転時間になるとそれを見に行き、あまり細かく説明もなく、整理されているようにも見えないコレクションを見学し、子どもでもわかるように体験まじえて、鉄道の原理や設備、運転などを説明するコーナーなどをまわる。

屋上に上がると、ちょうど新幹線の高架が見える高さにあって、新幹線がすぐそば通過する。そのための時刻表も掲示されている。
 ひととおり見て回るだけで1時間くらいすぐに経ってしまった。
 ニューシャトルに乗って大宮に戻り、川越線に乗って、川越に行ってみる。

[川越から八王子へ]川越は、土蔵造りの商家が残る「小江戸」として有名なところである。1999年に重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。次の電車までの1時間ほどで、行って帰ってこれるかな、という感じで駅から歩き出したものの、けっこう離れていた。地区の端に着いたあたりで引き返さなければならなかったのは少し残念。

川越駅に戻り、川越17:27発高麗川行に乗る。八高線で何かトラブルがあって、ダイヤが乱れている、という案内があったけれど、高麗川で接続する八王子行電車は定刻で出た。非電化区間のほうで乱れているようだった。

しばらくこのあたりに来ないうちに、八高線も高麗川−八王子間は電化されている。次の東飯能は、西武線との接続駅だけれど、初めて降りたときは、ひなびた木造駅舎があったが、いまは橋上化され、大きな施設が駅そばに建っている。
単線だから行き違い電車待ちで長く停車したりしながら、暗くなったなか八王子18:43到着。きょうは、ここのBHに泊まる。

[茅野市民館]八王子6:29発、始発の松本行に乗る。電車のトラブルか何かで電車の回送が数分遅れた。この程度の遅れなら問題ない。
 下り方面行きなのでガラガラかと思っていたが、座席がさらりとうまるくらい乗っている。八ヶ岳方面へ向かうハイカーが多いなか、この電車で、大月、甲府方面へ通勤している人たちがいる。東京方面に向かう人たちばかりかと思っていたので意外な感じがした。

高尾を過ぎ、山間に分け入る。神奈川県をかすめ山梨県にはいる。富士急行線乗り換え駅の大月、この駅始発の東京行特快が走っているくらいだから、このあたりも東京圏なのだろう。
 笹子トンネルを抜けて甲府盆地へと下っていく。富士山が見える。甲府8:10到着。甲府盆地から八ヶ岳へ、小海線乗り換え駅の小淵沢で多くの下車客があって、長野県にはいり、茅野9:24到着。

駅の東側、線路沿い、駅プラットホームと向かい合うようにある建物が2005年竣工した茅野市民館である。設計は古谷誠章で、日本建築学会2007年度の学会賞(作品)を受賞した。市民館は、茅野駅に直結し、ホールや美術館、図書室などからなる複合文化施設である。

茅野駅の橋上自由通路にある入口をはいると、1階に下る緩やかなガラス張りの明るいスロープには、図書室などが設けられている。ガラスを通して、駅を出入りする電車や利用者が見える。  ここの美術館で「藤森照信展 諏訪の記憶とフジモリ建築」という展覧会が行われていたので見学する。藤森さん設計作品の写真パネルやスケッチ、毛深い建築をめざすフジモリ建築の材料見本、それに路上建築学会の面々が茅野で採取した物件の紹介など。

また、市民館の緑地部分には、「空飛ぶ泥船」という茶室が新たに建てられた。4本の木の柱で飛行船状の茶室を吊るというもので、市民参加のワークショップで造られたものだ。展覧会場では、そのときの模様をビデオで紹介していた。
 ここで、ゆっくりしていたかったのだが、中央西線の電車のことを考え、早めに切り上げ松本に向かうことにした。

[帰路]茅野11:01発長野行に乗車、諏訪、岡谷、塩尻を経て松本11:44到着。中央西線に乗り換えるには、塩尻で下車すればいいのだが、始発の松本まで向かったのは、座席を確保したいためである。「青春18きっぷ」だと、乗り降り自由に行き来できるのがありがたい。電車の発車までの間、駅前の牛丼屋で軽く昼食を取っておく。

松本12:18発中津川行に乗る。車両は2両しかなく、座席はあらかた埋まった。始発から乗れば、座れるのだ。冷房のきいた車内で木曽のながめを楽しむ。
 中津川14:56着、特急が追い越し、これに接続する15:13発名古屋行快速に乗る。名古屋から普通電車を乗り継いで帰ってもいいのだが、ここは、乗車券と特急券を買って新幹線にしよう。


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