当山は大阪市の南部、平野区の杭全神社に隣接するお寺で開山は天長元年(824年)と言う長い歴史を持つ浄土宗の古刹です。
見松山 満願寺
547-0046
大阪市平野区平野宮町1丁目9番14号
TEL/FAX 06-6791-0072
当山は見松山成就院と号し、天長元年(824)暁心比丘尼の開基による真言宗の尼寺として始まります。
その後、室町期に大翁が住持し、現在の浄土宗に改宗したと伝えられてます。
この地は、江戸時代の元禄期には杭全神社の境内に社僧十二坊と十王堂・満願寺があったとされていますが、
明治維新の神仏分離により取り払いや廃寺となり、当山だけが残りました。
また、現在の平野小学校の場所はもと古河藩(現在の茨城県古河市)の陣屋であった為当山には古河藩ゆかりの壇信徒や、
墓石も多数残っています。このような縁からか、当山の寺紋は古河藩主・土井家の家紋である六つ槌車を使っています。
ところで、文久3年(1863)尊王攘夷派の同士が堺で挙兵した「天誅組の変」が起こるも、わずか2ヶ月で幕府軍に壊滅されます。
くしくもその5年後、明治維新へと繋がりますが、その影の首謀者といわれる中山忠伊(ただこれ)は、光格天皇の第二皇子で長仁親王といい、
中山忠頼の養子となり、天誅組壊滅後、当山で身を隠していました。ところが、翌元治元年2月10日幕府の手の及ぶところとなり、
当山が忠伊自刀の地となりました。その辞世の句を「今日かぎり 平野の露と消ゆる身も 心に懸かる 国の行く末」と詠んでおり、
忠伊の位牌は今も当山の本堂に祭られており、現在はその墓地跡も残っています。
ちなみに義父忠頼の父、忠能の娘・慶子の実子が明治天皇となります。
さらに当山は、大正9年12月に平野で最初の私立幼稚園を設立(現在休園中)し地域の青少年育成の一環を担ってきました。
当山では納骨される方自身で、お骨を納めて頂いた後(納骨式)ご回向いたします。宗旨、宗派は問いません。
また、ご希望の方には石製プレートに戒名等の名入れもおこなっておりますので、
お墓が遠方の方、お墓の無い方にはお墓参りとしてもご利用いただけますとともに、永代供養墓としてもご使用いただけます。
霊標(石製プレート墓)
ご用命サンプルは田中家へ
納骨費(回向料込)5万円 石製プレート名入れ代金 5万円(希望制)
上記以外の費用は一切かかりません
ご連絡先 満願寺 TEL 06−6791−0072
取扱店 (株)田中家 TEL 0120−11−0548
前項の納骨墓と同じ費用で、生前にご自分の石製プレート墓をご予約の上、ご購入いただけます。
後継者の無い方、お子様に迷惑をかけたく無い方等、様々なニーズに対応いたします。
詳しくは直接ご相談させていただきます。
受付随時。 電話にてお申し込み下さい。日時相談の上、本堂にてご回向いたします。
・ご費用 回向料 一万円
・ご連絡先 TEL 06−6791−0072
詳しくは(株)田中家 TEL0120−11−0548
(株)大阪石材工業 TEL0120−1114−90
までご連絡下さい。
墓地内に人とペットのお墓を建て、一緒に納骨できるお墓です。
但し、人とペットのお骨は別の場所に納めます。
*ペットの納骨は墓石後方から納めます
・ご費用
1聖地(90cm×90cm)
墓地・墓石・ペット墓セット価格
¥1,900,000-(税込) *別途、墓地管理費 年¥10,000円かかります
・動物供養碑のみの建立
すでにお墓をお持ちの方には、墓地内に動物供養碑のみの建立も可能です。もちろん納骨もできます。
詳しくは(株)田中家 TEL0120−11−0548までご連絡ください。
毎年、春秋のお中日(春分の日、秋分の日)の午後2時〜4時の間で随時ご回向をいたしております。
事前にお申し込みいただければ本堂にて、ご回願させていただきます。
当日ご都合の悪い方は回向料をお送りいただければ、後日粗供養をお送りさせていただきます。
・費用 回向料 5000円(仏様の数は関係ありません)
申し込み内容
申込者氏名、住所、電話番号
○○家先祖代々之霊
戒名(ご自分より2代前位を目安とします)
・連絡先 満願寺
547−0046
大阪市平野区平野宮町1−9−14
TEL 06−6791−0072
尚、お盆のご回向も8月15日の午後2時〜4時の間で
お彼岸同様ご回願いたしておりますので、お参り下さい。