「おはようございま〜す」

 いつものように万事屋の引き戸を開けて上がりこんだ新八は、珍しく起きて朝ご飯を食べている銀時と鉢合わせし目を丸くした。

「あ、あれえ?早いですね、銀さん」

 本気でびっくりしたという顔の新八に、味噌汁をすする銀時が上目使いで睨んだ。

(あ・・やっぱ機嫌悪い?)

 酒を飲みすぎてダウンした銀時は、翌朝必ずといっていいほど二日酔いでなかなか起きてこず、おまけに機嫌がすこぶる悪くなるのだ。

 昨夜は、銀時を知り合いらしい男にまかせて帰宅した新八だったが、やはり身元が確認できてない人間を万事屋に勝手に泊めたのはまずかったかと気になっていた。

 いつもならとうに寝ている時間まで起きて銀時を待っていた神楽を残していったのも気になっていた一つだ。

 とはいえ、神楽を女の子だからと気にするのは新八くらいだろうが。

 銀時も気にするが、それは神楽が女の子だからというのが理由ではなさそうだ。

「おや、眼鏡くん。早いね」

 台所から現れたのは、昨夜長谷川と一緒に酔いつぶれた銀時を連れ帰ってくれた男だった。

「君も食べるかい、朝ご飯?」

「あ、いえ・・・僕は食べてきたので。もしかして、これ用意したのは、あなたですか?」

 卓袱台の上には、ご飯と味噌汁・漬物と干物を焼いたものがのっていた。

「まあね。一人暮らしが長いんで、このくらいはやれるんだよ。料理に関しては、銀時が得意なんだが」

 いつかまた作って欲しいもんだね、と男は言いながら、自分と銀時の湯飲みに茶を注いだ。

 銀時は、フンと鼻を鳴らしてご飯をかきこむ。

「神楽ちゃんは、まだ寝てるんですか?」

 和室に神楽の姿がないというのは、まだ寝ているということなのだろうが。

 昨夜は遅かったからなあ、と新八が神楽が寝ている押入れの方を見る。

「起こさなくていいぞ、新八。今朝は仕事ねえしな」

「はい。でも、昼前には元さんとこに行かないと。掃除頼まれてるんで」

「ほお。結構仕事があるんだね」

 男は新八にも茶を入れて渡した。

 銀時の右隣に腰を下ろした新八は、ペコリと頭を下げて湯飲みを受け取る。

「いえ。ここ数日仕事の依頼が重なっただけで、普通は暇なんですよ」

「余計なこと言わんでいい。それより新八。こいつ、いくつに見える?」

 え?と新八は唐突な質問に目を瞬かす。

「いくつって、年ですか?」

 え・・と、と新八は銀時の向うに座って茶を啜っている男をじっと見る。

 そういえば、まだ名前も聞いてなかったなぁ。銀さんとはどういう知り合いなんだろ?

「銀さんと同じか、ちょっと上・・くらいですか?」

 新八が答えると、銀時はバン!と音をたてて持っていた箸を置いた。

 新八は、びくっと首をすくめた。

「やっぱ、おまえにもそう見えるよな!なんだよ、薬屋!どうなってんだ?てめえ、若返りの薬でも手に入れたってか!?」

 は?と新八は目をパチパチさせる。

 薬屋?え?この人薬屋なの?若返り?

 こいつはなあ、と銀時は薬屋だという男に向けて、ビシッと指をさす。

「俺より十以上年上なんだぜ!」

 少なくとも、俺がガキの頃まではそうだった!

「この人、銀さんが子供の頃の知り合いなんですか?」

 え?でも、銀さんより十以上、上って・・・まさか四十?

「えぇぇぇっ!この人、長谷川さんと同年代なんですかあ??」

 うそっ!ぜっんぜん見えない!どう見ても三十そこそこだよ!?

「まあ、今の世の中いろいろあるのよ。いちいち気にしてたら生きていけないよ、銀時くん」

「てめえに言われたかねえよ」

 薬屋に思わず抱きついていた自分が恥ずかしい。

 てっきり夢の続きだと思ったのだ。

 酔ってたし、丁度昔の夢を見てたし。そこに、昔と殆ど変わらない顔の薬屋がいれば、当然夢かと思うじゃないか。

 だいたい、酔ってつぶれるほど飲んだ覚えはなかった。

(変だ。なんでいきなり意識なくしたんだ?)

 こいつに話かけられてすぐに意識が飛んでいる。

「おい、薬屋。おまえ、酒になんか入れたか?」

 さあて?と首を傾げて笑う薬屋に、銀時は一服盛られたと確信した。

 薬が効きにくい体質である自分を、速攻眠らせるなんて、いったいどんな薬だ。

「ああそうだ。昨夜土方さんと沖田さんがずっと銀さんを待ってたんですよ」

 薬屋を問い詰めようと身を乗り出しかけていた銀時だが、ふいに新八から話題を振られ、え?となった。

「あ・・あ〜と、そういや、家で待ってろとか言われてたっけ」

「銀さんが酔って帰ってくるから、怒ってましたよ。今夜絶対に屯所に来いって言っとけって」

「ああ〜?ちょっと待て。俺が行くのか?」

 めんどくせえ〜〜

「しょーがないですよ。銀さんが忘れて飲みに行っちゃうんですから」

 う〜〜と銀時は唸った。

 そういや、なんかあったなあとは思っていたのだ。

 それが真選組との約束だとまでは思い出せなかったが。結局どうでもいいと切り捨てた。

 行くのは面倒だが、今夜もすっぽかすのはやはりマズイだろう。

「真選組と仲がいいようだな、銀時」

 なに?と銀時は眉をひそめて薬屋を睨む。

 薬屋は、フッと笑う。

「他のくそガキ二人は敵認識のようだがね」

 銀時は目を細めた。

「会ったのかよ?」

「小太郎とは、まだだな。今日あたり、会いに行ってみるか」

「つまり晋助には会ったってことか。薬屋、てめえ、なんのために俺に会いに来た?」

「たいした意味はない。気にするな」

「気にするわ!あの野郎は、今どこにいる!?江戸に来てんだろうが!」

「会いたいか?」

 はっと、銀時は息を詰める。

「・・・・・・」

「会いたいなら教えてやってもいいが、会いたくないなら聞かない方がいい」

 どうする?と聞かれ、銀時はムスッと口を尖らせた。

「今はまだ会う気はねえよ」

「賢明な答えだ」

 薬屋はニッコリと笑った。

 一人会話に入れない新八は、眼鏡の奥で目を瞬かせながら二人を見ていた。

 やはり、銀さんとこの人は昔なじみらしい。

 二人の口から出てきた名前は、新八には聞き覚えがなかったので、この時は聞き流したが、後日二人が誰だかわかり新八は苦悩することになる。

 

 

「あれェ、旦那?どうしたんです、今頃?」

「今頃ってなあ・・・・」

 屯所の前で山崎と出くわした銀時は、ぼんやりと視線を上にあげ首の後ろをポリポリかいた。

「来いっつーから来たんだけどよ・・・」

 やっぱ遅すぎだよなあ。

 何時だ、今?そろそろ日付けが変わるか?

 本当はもっと早く来るつもりだったのだが、仕事中にまた仕事を頼まれ、終わったらもう結構いい時間で。

 終わったその足で来りゃ良かったのだが、一度帰ってひと休みしたらなんか寝てしまって。

 新八は遅くなってたんで仕事先から帰ったし、神楽も帰った途端グースカ寝てたしで、誰も起こす人間がいなくて目が覚めたらこんな時間に。

 催促の電話くれぇかけてきてくれりゃあ、こんな時間にならなかったかも。

 ああ、いやいや、俺が悪ぃんだけどね。

 だいたい、なんで呼ばれたんだっけか?と思うだけで終わってね?

「今日は一日忙しくて、副長は夕方戻ってからずっと自室でお籠もりなんですよ」

「忙しいって何?そういや、昨日会った時、事件だったみたいだよなあ」

「ええ。攘夷志士が八人、あの宿で斬り殺されてたんです。犯人は相当な手錬れのようで」

「ふうん。それって、仲間割れ?」

「まだ調査中なんですけど、どうも、あの攘夷志士の中で最も過激だと言われてる男が関わってるんじゃないかと」

 そうなると、調査するのもかなり厳しいんですよね、と山崎が言った。

 攘夷志士の中で最も過激で危険な男と言われているのは、攘夷時代に狂犬と呼ばれた高杉晋助だ。

 あの朝、宿に入った途端感じた血の匂いは己にまとわりつくような不快さを覚えた。

 おそらく、血に染まった惨状が、宿の二階にあったのだろう。

(高杉の奴・・・いったい何をやってやがる?)

 攘夷志士といっても、組織はいくつもあってピンキリだ。

 攘夷戦争を生き残った桂や高杉のような男たちが組織したのや、戦争を知らず、ただ天人を嫌い、幕府の態度に苛立って集まった者たちなど様々だ。

 時々、妙な憧れだけで攘夷を志しテロ行為に走る組織もあって、それが高杉のためとか称し調子にのりすぎて奴の逆鱗に触れることもあるという。

 だが、たいていは、高杉に利用されて終わる。

(そういや、高杉にちょっかいをかけてる奴らがいるってぇ、ヅラが言ってたな)

「山崎!部外者にペラペラ喋ってんじゃねえよ!」

「あ、副長」

 まだ屯所の入り口にいた銀時と山崎の前に、眉間に皺を寄せた土方が姿を見せた。

 銀時と顔見知りの隊士から、屯所の入り口の所で山崎と話しているのを見かけたと聞いてやってきたのだ。

「すみません。これから旦那を案内しようかと」

「もういい。こいつとちょっくら出てくっから、てめえは仕事続けろ」

 はい!と山崎は敬礼すると、バタバタと屯所の奥へと駆けていった。

「おいおい・・まだ仕事なんかよ」

「今、人手が足んねえんだ。そこへ連日やっかいごとがおきやがるからな」

「やっかいごとってなあ・・・意外と忙しくしてんだな、おまえら」

「意外とってなんだ、てめえ」

 土方が顔をしかめて銀時を睨んだ。

「だって、毎日ぷらぷら道歩いてるじゃん」

「あァ?見回りってえ言葉知らねえのか、てめえは」

「お宅のお子さん、ちょくちょく団子食ってたりすんぜ?」

「誰のお子さんだ!そりゃ、総悟のことか!?あの野郎を基準に考えんな!」

「へえへえ。ま、いいけどね」

 よかねえぞ!と土方は目尻を吊り上げる。

「で、どこ行くわけ?調書とるんじゃなかった?」

「もう遅ぇから、また日を改めらあ。しばらく、てめえを構えるほど暇じゃねえしな」

 そっ?と、苛立つように煙草に火をつけた土方の隣を歩きながら、銀時は肩をすくめた。

「酒飲むのつきあえ」

「いいけど。奢り?」

「てめえにゃ、借りがあるから、奢ってやるよ」

 そいつぁ嬉しいな、と銀時はニッと笑って土方の後をついていった。

 

 土方は、いつもの居酒屋に入ると、カウンターではなく奥の座敷に上がった。

 制服着てっからなと土方が言うと、銀時はなるほどと納得した。

 やはり、真選組、しかも幹部とはっきりわかる制服姿じゃ、まわりも気にするだろう。

 たとえ、酒の相手が胡散臭い男だとしても。

 二人は、まずは運ばれてきた酒を飲み、いくつかの小皿に盛られた摘みを口にしながらたあいのない会話を交わした。

 いつもは、顔をあわせるたびに険悪ムードを漂わせる二人だが、この夜はなんとなくそういう雰囲気にはならず、くだらない話題で盛り上がったりした。

「あ、そのドラマ俺も見たぜ〜〜くだらないベタな内容のくせに、なあんか最後まで見させる面白さがあんだよな」

「何言ってんだ。そのベタな展開がいいんだよ」

「ああ、そうかもね。あ、ここで女くるわ、とか、犯人とすれ違うとか、もう予想通りに進むのがたまんねえ」

 銀時は、一つ一つ場面を口にしながら、ゲラゲラ笑った。

「そういやさあ、ドラマに出てきたアニキの昔馴染みだっけか。おめえにソックリだったよなあ」

「あ、そうか?どんな奴だっけか」

 土方は思い出そうと首をかしげた。

「五話にちょっとしか出てねえキャラだったけどよお。なあんか、印象に残っちまったんだよな。考えてみりゃ、おめえに似てんだよ。馬の尻尾みてえに黒髪垂らしてさあ。世を拗ねたような態度のくせに、挑むような目をして」

「・・・・!は?何言ってんだてめえ?」

 髪を長くしていたのは、江戸に出てくる前のことだ。

 土方は江戸に着く前に、それまで長く伸ばしていた髪をバッサリと切った。

 真選組を結成した時にはもう土方の髪は短かったし、伸ばすこともなかった。

「俺が昔髪が長かったって、なんで知ってる?近藤さんが、そこまでてめえに話したってか」

「んなことゴリラから聞かなくたって知ってる。俺ぁ、髪長かった頃のおめえに一度会ってっからさあ」

「・・・・・・!」

 なに!?

「おい!万事屋、てめえ・・・武州に来てたってえのか!いつだ?いつ、てめえと会った!?」

 教えなあい、と銀時は頭を反らし子供のようにケラケラ笑った。

「おまえ、覚えてねえのに、なんで教えてやんないといけないわけえ?俺は、おめえの瞳孔開いた目を見て一発でわかったってえのにさ」

「万事屋!」

「ま、教えてもわかんねえと思うけど?俺はおめえの顔見たけど、おめえは俺を見てねえし」

 え?と土方は目を瞬かせた。

「どういうことだ、それは?」

 俺は見てない?

「むかーし、昔の話だし、暇な時でもゆっくり思い出せばぁ?」

 土方は、むっとした顔で銀時を見つめた。

「ああ、そうする」

 うん、と銀時は眠そうに目を細めながら頷くと、手を伸ばして土方の猪口に酒を注ぎ足した。

 

 

「ごっそさん。美味い酒だったぜ」

 店を出ると、銀時は並んで歩いている土方に向けてご機嫌な笑顔を向けた。

 土方が選んだ酒は確かに美味かったし、会話も楽しかった。

 おまけに奢りとなれば文句のつけようがない。

 顔を合わすと大声で言い合いするのが二人の関係であったが、最近はそれが少し違うものになっていた。

 言い合いはなくならないものの、たあいない会話をしながら酒を酌み交わしたりする時間が増えた。

 土方にとって、いまだに坂田銀時という男は謎だらけで、疑いがなくなることはないが、話をして楽しいと思えるのも本当だった。

 土方は、酔って少しハイになっている銀髪の万事屋主人を見つめた。

(武州で、俺はこいつに会っているのか?)

 銀時は、自分は顔を見たが土方は見ていないといった。

 それは、いったいどういった状況だったのか。

 銀時と酒を飲みながら思い出そうと何度も試みたが、やはり何も思い当たることがなかった。

 江戸に出る前といえば、まだ土方は二十歳そこそこといったところだ。

 銀時がいくつなのかは知らないが、見た感じでは自分と同じくらいか少し上というところ。

 土方たちが住んでいたところは、あまり余所者が立ち入らない場所で、知らない人間が歩いていればすぐに噂になるくらいだった。

 こいつのように、銀髪で赤い瞳の男が誰の目にも止まらなかったということは、実際ありえないように思える。

「おっ・・あんた真選組かい」

 前から足元をふらつかせながら歩いてきた中年の男が、制服姿の土方を認めて声をかけてきた。

 酔っているようだが、口調はしっかりしているので、そんなにひどく酔っているわけではなさそうだ。

「役人に知らせようかと思ってたとこだから、丁度いい。あんた、ちょっと行って助けてやってくんないか?」

「は?助けるって誰を?」

「若い男前のにーちゃんだよ。ついそこの神社の下んとこで、刀持った数人の浪人みてえな連中に取り囲まれてんのを見たんだ。そのにーちゃん、木刀しか持ってないようだったから危ねえって」

 浪人・・・まさか、まだいたのか。

 つい最近まで、鬼兵隊を名乗って辻斬りや強盗をやらかしていた連中は、誰かはわからないが腕のたつ何者かに切り殺されたはずだが、まだいる可能性はなくはなかった。

 また始めやがったか!

 土方は刀の柄をぐっと握ると、酔っ払いの男が言った場所へと向った。

 俺もつきあうぜ、と銀時は土方の後についていった。

 連中の姿は、酔っ払いの男が言った場所をやや外れたところで見つけた。

 一人の男を取り囲むように、五人の刀を持った男が立っている。

 その場所は灯りがなく、月明かりに頼るのみだったが、昨日は満月だったいう夜であったので、男たちの顔もはっきり確認できるほどだった。

 土方が男たちを確認した時には、既に全員が刀を抜いて、真ん中に立つ男に襲いかかろうとするところだった。

「おい、待て!真選組だ!てめえら、刀を引けえ!」

 土方の声は浪人たちの耳に届いたのか、一瞬ひるんだように見えた。

 だが、次に起こったのは、襲われていたはずの男が突然刀を抜き浪人たちを斬りふせた光景だった。

(仕込みだったのか・・・!)

 男が持っていた木刀に見えていたものは、刀が仕込まれていたのだ。

 まさに、一瞬のうちに加害者だったはずの浪人たちは、身体から血を噴出してその場に倒れこんだ。

 とんだ被害者だった。

 最初から腕が違いすぎた。襲う相手を間違ったというしかない。

 その場に一人残った男は刀をひと振りしてから鞘におさめると、ゆっくりと土方たちの方を向いた。

 確かにまだ若い男だった。

 とはいえ、土方とそう変わらないだろう。

 だが、格好は奇抜だ。黄色い蝶の柄の派手な紫の着物を着崩しているところは、世間で言うカブキ者。

 それがひどく似合うのは、体型の良さと整った美しい顔によるものが大きいだろう。

 惜しいことに、その左半分は白い包帯に覆われて痛々しくもあったが。

 よお、と包帯の男は顎を少しあげ、薄く笑みを浮かべた。

 その向けられた視線が自分ではなく、斜め後ろに立つ銀時に向いていると気づき、土方はハッとなって首を回した。

(万事屋?)

 銀時は眉間に深い皺を作り、派手な包帯男を睨みつけていた。

「真選組と一緒たぁ、趣味がわりぃぜ、銀時ぃ」

「ほっとけ。てめえにゃ関係ねぇだろ」

 変わらねえなあ、と包帯の男は、くくくと喉を鳴らす。

「けど、いい加減にしねえと、そのうち拉致って閉じ込めんぞ」

「あぁ?誰に言ってんだ、てめえ。そこまで甘かねえぞ、ごら」

「おめえら・・・知りえーか。何物騒なやり取りやってやがる」

 土方は包帯男と銀時を交互に見て言った。

 てめえ、と土方は刀を仕込んだ木刀を持って立つ男を睨んだ。

 見てるだけで、ぞっとするような戦慄を覚える。

 銀時にも感じたが、この目の前に立つ男にもまた勝てる気がしない。

「いったい何もんだ?」

 土方は新鮮組を嫌悪しているような男に訊いた。

 そもそも、トラブルの多い武装警察真選組に好意を持つ者などあまりいない。

 しかも、銀時と顔見知りとなれば、おおよその予想はつく。

「てめえも攘夷志士か」

「フン。俺が誰かわからねえってんなら、横から口を挟むんじゃねえよ、狗」

「・・・・・・」

 見下すようなその視線に、土方は、まさかと思える人物の名を思い浮かべる。

 情報収集にも力を入れている真選組ですら、顔も年恰好も不明という指名手配犯。

 真選組が最も危険視し追っている人物が目の前の男であるなら、万事屋との関係はいったい・・・

 人を馬鹿にしたような薄笑いを浮かべていた男は、ふいに険しい表情になって薄い唇を引き結んだ。

 なんだ?

 柱ダ・・・柱ガイタ・・・柱ダ・・・・

 チィッ!と舌打ちする音と同時に、男の手にあった仕込み刀が銀色の光を放ちながら空を切り裂いた。

 続いて、ガシャ・・と何かが草むらに落ちた音が響き渡る。

「やっぱ、狙いはこっちかよ」

 ふざけやがって!

 忌々しげに吐き捨てた男の目が、驚いた表情を浮かべている土方を捕らえた。

「ふん。てめえくれぇなら、ある程度奴らぁ邪魔できんな」

おい狗、と包帯の男は土方に向けて顎をしゃくった。

「そいつのそばから離れんじゃねえぞ。そしておめえもだ、銀時。その狗の死体を見たくなきゃあ、一歩も動くんじゃねえ」

 言ってること、わかんな?

「・・・・・・・」

 銀時は、怒ったような顔で包帯の男を睨むと、男はふっと笑った。

「近いうちにまた会おうぜ、銀時ぃ」

 男は口端を引き上げて言い放ち、そしてくるりと背を向けて走り出した。

 あっと思うが、土方の身体は男の言葉に縛られたかのように動かなかった。

 くっそおっ!いったいなんだってんだ!?

 それに、さっき聞こえた声は?

 奴を追った方が良いのか。もし、正体が考えていた男であるなら、土方は自ら捕縛のチャンスを失ったことになる。

 たとえ、捕まえられなくても、あの男の正体を暴くこともできた筈。

「・・・・!」

 ジレンマにギリギリと険しく表情をゆがめる土方だったが、ふいに腕に触れてきた手の感触に、ドキッとなった。

 いつのまにか、背にくっつくほど接近していた銀時の手が、土方の腕に指をかけていたのだ。

 万事屋?

 戸惑う土方に気づかぬように、銀時は制服の腕を掴んだまま何かを探るように視線を動かした。

 いったい何を探っているのか。

 しばらくして、銀時は息を吐いた。

「わりぃ・・もう動いていいぞ。っつっても、あの野郎を追いかけるのはなしだ」

「ああ?奴ぁ、攘夷志士じゃねえのか?追いかけんなってことは、てめえも仲間ってことになんぞ」

「仲間じゃねえけど、今あいつ追いかけたら、土方、おめえがヤバいんだけど」

 土方は眉をひそめる。

「俺がやられるってのか?そんなに奴ぁつえってのか!」

「違うって」

 銀時は苦笑いする。

 あ、まあ、あいつ、つえーけどさ。

「あいつじゃなく、あいつを追ってったのが、おめえには問題なんだよ」

「追ってったって、いったい何が?奴を追ってったのなんかいなかったぞ?」

 少なくとも、土方にはさっきの男を追う者の姿など見えなかった。

 ただ、声が聞こえただけだ。

 柱だ・・という声が。

(わけがわかんねえ)

 だが、土方が聞いたとしても、こいつははぐらかすだけで、答えはしないだろう。

 土方は、さらに密着するように両腕で土方の制服の右腕に抱きつく銀時を見つめた。

 こんなに接近したのは、毒を飲まされたあの夜以来だろう。

 いつもなら、怒って振り払うところだが、この夜はそういう気がおこらなかった。

 沖田に見られたら、また盛大に毒舌を吐かれまくるのだろうが。

 万事屋が、こんなに密着するのは、あの男の言葉のせいか。

 

 その狗の死体を見たくなきゃあ、一歩も動くんじゃねえ。

 

(あの野郎は、高杉晋助だ。勘でしかねえが、そうとしか思えねぇ)

 あの腕と、背筋に冷たい汗が流れるほどの威圧感。

 ただの攘夷志士などであるものか。

 万事屋は、桂だけじゃなく、高杉とも顔見知りだってか。いや・・こいつがもと攘夷志士なら、それもありだが。

 しかし、桂ともだが、あの高杉とも単に顔見知りってだけの関係には思えない。

 もっと身近な。

「万事屋。奴ぁ、てめえのなんだ?」

 銀時は、は?と赤い瞳を見開いた。

「俺のなんだって言われてもねえ」

 どう答えていいやら、わかんねえと銀髪の男は肩をすくめた。

 それにつられるように、土方の腕に絡んでいた銀時腕が離れる。

 それを土方は少し残念に思った。

 今夜はどうかしてる。

 土方は銀時から離れ、さっきの男に斬られた浪人たちの死体を検分した。

 いずれも、一刀で斬られていたが、その切り口は宿で見た攘夷志士の死体とは違っていた。

 宿の下手人とは違うのか?

 だが、高杉晋助が江戸にいるなら、アレも奴の仲間がやったに違いなかった。

 高杉が組織した鬼兵隊には、人斬りと呼ばれる男がいる。

 土方は懐から携帯を取り出すと、屯所にかけた。

「おう、山崎か。今すぐ二〜三人連れて出れるか。殺しだ。ああ?沖田?あの野郎なんかいなくていい。いても連れてくんじゃねえぞ」

 まだ何か言ってるらしい山崎に眉をひそめた土方は、ふとおかしな気配を感じて顔を上げた。

 パタンと手の中の携帯をたたみ、ゆっくりとまわりに視線を巡らせる。

 なんだ?

 視界を照らすには十分な月明かりだが、土方はその気配がなんなのか確認できなかった。

 だが、何かが近くにいる。

 そして、また、わけのわからない声が聞こえてきた。

 柱ハイルカ?柱ハイナイカ?

 

「万事屋?」

 いつのまにか腰から抜かれ手に握られていた万事屋の木刀が、空気の層を切り裂くように振り下ろされるのを見て土方は目を瞠った。

 またもガシャ・・・という音と共に何かが草むらに落ちた。

 店を出るまではご機嫌だった万事屋の顔は、これまで見たことがないほど不機嫌な表情になっていた。

 

「柱、柱って、うるせえんだよ」

 

 

 夜、万事屋の引き戸を開けると、最近見慣れた長髪に笠の坊主の姿の桂小太郎が立っていた。

「話がある、銀時」

 だろうな、といつにも増して真剣で、そして強張った表情の幼馴染みを見て銀時は溜め息をつく。

「おまえ、薬屋に会ったの?」

「会ったってものではない!なんなんだ、あいつは!?ガキの頃会った時と殆ど変わってなかったぞ!」

 う〜ん、と銀時はうなじをポリポリかきながら、桂に入れと促した。

 眉間に皺を寄せた桂は、中に入って後ろ手で戸を閉めると、銀時の後をついていった。

「えらく静かだな。ガキ共はどうした?」

「新八と神楽は、お妙の仕事先で内輪のパーティがあるからって誘われて出かけた。今夜は帰ってこねえよ」

「おまえは行かなかったのか」

 桂は、事務所兼居間の長椅子に腰掛けた。

「女ばっかのパーティなんざ、やかましいだけだからな。いくら酒が飲み放題でも遠慮するわ」

「そうか。けど、新八くんは行ってるんだろう」

「あいつはお妙の弟だし」

 それに全く男がいないわけじゃねえからな。

「パーティのスポンサーは辰馬だ」

「坂本が?こっちに来てるのか、あの男」

 そういえば、あの店には辰馬が気に入ってるという女がいたなと桂は思い出す。

「坂本がいるなら、行けば良かったのではないか。おまえは昔から、あの男に懐いていただろうが」

「はあぁぁぁ?何言ってんのかな、桂くん。おまえ、今の辰馬を知らねえわけねえよな?昔はまだマシだったが、今の辰馬は歩く迷惑男以外何者でもないぜ」

 この万事屋も何度、奴のおかげで破壊されたことか。

「おまえは歩くトラブルメーカーだろうが、銀時」

「何言っちゃってくれんのかな、ヅラ。おめえだって、歩く変態男だろうが」

「変態ではないし、ヅラでもない。桂だ」

「いちいち訂正すんなよ。まあ、奴と飲むのは嫌いじゃねえよ。けど、薬屋と再会したら、なあんかガキん時のこと、いろいろ思い出しちまってなあ」

 こう、ついついしんみりとしちまって。

「確かに。俺も思い出した。覚えてるか銀時。薬屋が山ほど花火を持ってきたんで、先生が庭で花火大会をしようっておっしゃった」

 暗くなってから、子供三人は花火ではしゃいで、松陽先生と薬屋は縁側に腰掛けて楽しそうに酒を飲んでおられた、と桂は懐かしそうに語った。

「ああ、覚えてるぜ。高杉のバカがおめえの言ったことで怒り出して、火のついた花火を振り回しやがった」

 えらい迷惑だったと銀時は言う。

 それは覚えていないらしい桂は、そうだったか?と首を傾げた。

「とにかく、あの夜のことは、俺にとって楽しかった記憶の一つだ」

 桂の向かいに腰掛けた銀時は、じっと桂の顔を見つめ、そして息を吐いた。

「ま、俺もそうだけどよ。薬屋と再会した夜、夢に見ちまったしなあ」

 そうか、と桂は頷いた。

「あの夜は、俺たち三人と、先生。それに薬屋もいて、みんな楽しそうに笑ってたからな」

 特に銀時。おまえが一番楽しそうだった。

「そっか?おめえらも楽しそうだったじゃん」

 もう夢で見るしかない、二度と戻ることのない時間。

 しかも、五人一緒だったのは、あの夜が最後だった。記憶に残るのは当たり前かもしれない。

 その記憶に残っていた姿と変わりない薬屋が、突然会いに来たのだから、たまげるなという方が無理だ。

「奴は、不老長寿の薬でも見つけたのか」

 かもな、と銀時は答える。

 不老長寿どころか、銀時は一時桂共々老人にさせられた経験がある。

 普通なら笑いとばす所だが、天人という存在がある以上、不老不死はありえないことではなかった。

「そうだ。その薬屋からおまえに渡してくれと文を預かっている」

「文?」

 銀時は、桂が懐から取り出した白い封書を受け取った。

 メモ書きのような短い文だったようだが、読んだ途端、銀時は思いっきり嫌そうに顔をしかめた後、ガックリと首を落とした。

「どうした、銀時?悪い知らせか?」

 しばらく無言で首を折っていた銀時だは、突然顔を上げて桂の顔を見つめた。

「ヅラァ・・・酒付き合わね?摘みも用意すっから」

 なんか、飲まねえとやってらんねえんだけど。

「あ、ああ?構わないが、どうした?そんなに嫌な文だったか」

 ん・・・と銀時は白い癖ッ毛をガリガリと指でかき回した。

「まあ、どうでもいいんだけどよォ」

 言って銀時は椅子から立ち上がり、薬屋からの文を持ったまま台所へ入っていった。

 

 

 いつもの団子屋で金剛と待ち合わせた土方は、やはりこの日も団子を頼まず、お茶だけを啜った。

「まだ、手がかりらしいもんは掴めてねえ。悪ぃな」

 金剛が探す天人の犯罪者。

 それは、真に金剛が追う者に繋がる重要な手がかりとなる天人であったが、最近の攘夷志士殺害に追われていっこうに捜索が進んでいなかった。

 それは金剛もわかっているのか、気にするなと土方に言った。

「前も言ったが、これは私の仕事。手伝ってもらえるのは有難いが、君たちが優先すべきは真選組の仕事だ」

「すまねえ・・・一応わかったことは後で伝えるが、その前にあんたに聞きてえことがあってな」

「なんだ?」

「あんた、柱って聞いて思い当たることがねえか?」

 金剛は沈黙した。

 相変わらず、凍ったようにその表情は動かないので感情を読み取り辛かった。

 ただ、目だけは土方に感情を読み取らせるが、伏せられてはそれも出来ない。

 短い沈黙の後、金剛はふっと伏せていた目を開けた。

「君が言う”柱”がわたしの知る”柱”のことであるなら、なんとも答えようがないな」

「どういうことだ?柱ってのは、言葉通りのもんじゃねえんだな?」

「そうだと思わなかったからこそ、私に訊いたのだろう」

「まあ・・・そうだ」

 土方は、新しい煙草を口にくわえ、ライターで火をつけた。

「そいつは、柱はいないかとまるで生きてるもんのように言っていたんでな」

「ほお?誰がそう言ったのだ」

「わからん。声は聞こえたが俺には何も見えなかった。ただ、現場でおかしなもんを見つけた。壊れていたが、大きさはテニスボールくれえの楕円形のもんだ。なんなのか調べようと屯所に持ち帰ったんだが、いつのまにか消えちまった」

「小さな楕円形の造り物か」

「おそらく、そいつは宙を飛んでいた」

「思い当たるものがあるが、それがこの江戸で使われているというのは聞いたことがないな」

「やはり天人のもんか」

「そうだが・・・いや、それは私が調べてみるから、君はこの件には関わらない方がいい。本当に”柱”が私の知るものであるなら、やっかいな問題が起こりかねん」

「そんなマズイもんか?いってえ”柱”とはなんだ?」

「柱は家を支えるもの。それと同じように世界を支える”柱”というものがある」

 は?と土方は目を瞬かせた。

「ただの古い伝説だがね。”柱”を敬う宗教もかつてはあった。その伝説があるのは一つや二つではなく、たいていの星には似た伝説が残されている。大昔には確かに存在したという者もいるが、私も、そして私が知る限りの祖先もそれを実際見たことはない。だから、それがどんなものであるかもわからないから、君に教えられることはないが」

「その”柱”ってのが江戸にあれば、いってぇどうなる?」

 金剛は土方の方に顔を向けた。

「小さな水場が一つ。それを欲する者が無数にいれば、最悪どうなる?」

 土方は大きく目を見開き、そして眉をしかめた。

「争いが起こる・・・か」

「そうだ。”柱”はその争いの果てに姿を消したとも言われている」

「・・・・・・」

 

 

 欠け始めた月はそれなりに明るかったが、夜半から雲が出て時々月を隠して地上を闇にしていた。

 そんな空を見上げては溜め息をついて、銀時は細い道を進んだ。

 銀時が住むかぶき町は眠らない町とも呼ばれ、夜でも灯りが煌々と灯って明るいが、一歩町を外れると灯りは殆どなくなり、人とすれ違うことすらなくなる寂しい通りが続く。

 闇ってのは嫌だなあ。

 夜目がきくから、よっぽどの闇夜でない限り灯りなんか必要じゃないが、用事でもなきゃ、こんな寂しいとこなんか誰が歩くかっつーの。

 あ〜、やだやだ・・・と銀時はぶつぶつ言いつつ、それでも止まることなく歩き続けた。

 そして、ようやく見えてきた待ち合わせ場所の様子に、銀時はこのまま向きを変えて帰りたくなった。

 崩れかけ、左にやや傾いた大きな門。

 かつては羽振りの良かった武家の屋敷だったというが、天人の襲来よりさらに十数年前に幕府の不興をかい、当主は切腹、家は取り潰され、以来人が住んでいない屋敷はまさにいつ崩れてもおかしくない廃墟だ。

 そういや、当主だけでなく、妻や子供も一緒に死んだとかなんとかで、幽霊が出るって話を聞いたことがある。

 まあ、この江戸では、そんな悲劇ネタは腐るほどあるし、幽霊話なんか、それこそ一人でも百物語が語れるほどそこらかしこに転がっている。

 銀時は、いったん門の前で足を止め、じーっと屋敷のある方を見ていたが、チッと舌打ちしハネた前髪をイライラした指でかき回してから門をくぐった。

 住む人間がいなくなってからは、誰も足を踏み入れなかったのか、雑草がはびこり、かつては美しい庭園だったろう庭木も惨憺たる有様となっていた。

「なんで、こんなとこを指定すんのかなあ。てめえ、ほんと趣味わりぃよ」

 自分を呼び出した男の姿を認めた銀時は、思いっきり相手を責めるように文句をたれた。

「あぁ?余計な人間はいねえ。こんな静かな場所はねえだろが」

 濡れ縁に片足を上げて腰掛けていた男が、やってきた銀時に向けて口角を上げる。

「俺ぁ、幽霊が苦手なんだよ。見るんだよ。でもって、ここぁ江戸の幽霊屋敷ベスト十に入るっつーとこなんだよ」

 ハッ!と男は鼻で笑った。

「なんでぇ、銀時。てめぇ、幽霊がコエーのか。戦争やってた頃ぁ、こんな屋敷珍しくもなんともなかったろうが」

「あん時は、んなの怖がる余裕なんかなかったからな。っつーか、幽霊も出る気が失せるほどみんな正気失ってたじゃね?けど、今は余裕あっから見ちゃうの。でもって、最近幽霊(スタンド)でえれ〜目にあったのよ」

 そうかい、と薬屋を使って銀時を呼び出した高杉は、さほど興味がなさげに頭を傾けた。

 銀時の文句など全く気に留めてもいないような幼馴染みの一人に、銀時は諦めたように息を吐いた。

 銀時の一言にいちいち反応してはつっかかってきた幼い頃の高杉が懐かしい。

 で、なんだよ?と銀時は高杉の前で立ち止まり呼び出した理由を聞く。

「理由はいろいろあらぁ。てめえもわかってんだろが、銀時」

 だから一人でここに来たんじゃねーのかと高杉が言うと、銀時は目を細め、左半分を包帯で覆った男の顔を見つめた。

「大丈夫だったのかよ。おまえ、正体バレちまったんじゃねえ?」

「んなのぁ、とうに知られてるさ。餓鬼の頃にな」

「・・・・・・」

 ああ、やっぱそうかあ・・・と銀時は顔をしかめるとバリバリと白い頭をかいた。

「結局、俺らぁ泳がされてたってわけ?もしかして、ずっと見張られてたりした?」

 あ〜やだやだと、銀時は駄々をこねる子供のように頭を振りながらグチる。

 高杉はフッと笑んで右手を伸ばすと、前に立つ銀時の腕を掴み、ぐいと自分の方に引き寄せた。

 わっと小さく声を上げたものの、銀時は抵抗せず高杉に引き寄せられるまま腕の中に納まった。

 一見細身で華奢に見える高杉だが、実際は鋼のような筋肉を持ち、銀時を受け止めてもビクともしないほどの胸板もあった。

「血の匂いがする・・・高杉、おまえ怪我した?」

 高杉の肩口に顎をのせた銀時が、くん・・と鼻を鳴らし眉をひそめる。

「たいした怪我じゃねえ。追ってくる奴らぁ片付けるのに、ちょいと荒っぽくやっちまったんでな」

 銀時は呆れたように小さく息を吐いた。

「高杉よお。おまえ、京に戻れよ。なんで江戸に来てんだよ。おめえがいると、ぜってえ騒動になんだから。ってか、何しに江戸に来たんだ?」

「俺が江戸にいちゃ邪魔か、銀時。てめえ、いつのまにか真選組と仲良くなっちまいやがって。あの鬼の副長がそんなに気に入ったか」

「どうだっていいだろが、んなこと」

 それより、と高杉の腕におさまった銀時がそろりと指を動かす。

「どこ怪我したんだよ?手当てしてねえってことはねえよな」

 だが血の匂いがするということは、まだ出血してるのだろう。

「治してくれんのか、銀時ぃ?」

 高杉はぼそりと言うと、腕の中の銀時をくるりと回し濡れ縁に仰向けに横たえた。

 いきなり天地がひっくり返った視界に、銀時は赤い目を瞬かせ、上から見下ろす高杉の顔を見つめた。

 眉間に皺を寄せ、ふっといったん高杉から視線を外してから、再び見つめる。

「似蔵に受けた傷なあ・・・ほんとは致命傷でマジやばかったらしいんだよ」

 そうかい、と高杉は唇を弓なりにして笑う。

「なあ高杉、おめえ、俺んとこ来たんじゃね?」

 ふ・・と高杉は、残った目を細めて笑う。

「てめえが馬鹿すぎっから、さすがの薬屋も泡くって飛んできやがったのよ」

「あぁ?何言いやがる。暴走しやがったのは、てめえんとこの人斬りだろうが」

 だから、と高杉は口を開き鼻を鳴らした。

「死なないよう治してやったろ」

 だが、ついやり過ぎて銀時が動けてしまったのは失敗だったが。

 死ぬことはない程度で、だがすぐには動けないくらいの治癒に留めたかったのだが、どうやら銀時の体力を甘く見すぎたようだった。

 まさか一日もたたないうちに鬼兵隊の艦にまでやってきて、紅桜に侵食された似蔵と再び一戦交えるとは高杉にとって予想外だった。

 ほんとに、いつまでも馬鹿な男だ。

 高杉は自分を見上げる赤い瞳をとらえながら、むっつりとしている銀時の唇に己の唇を重ねた。

 高杉が舌先で突付くと、銀時はうっすら唇を開いて侵入を許した。

 二人は舌を絡め、互いの唾液を啜りあう。

 重ねた体は、ほんの僅かな重さと体温を銀時に感じさせた。

「高杉・・・やっぱ京に帰れよ」

「バカ言ってんじゃねーよ、銀時。俺ぁ、まだなんにもやっちゃいねえぞ?」

 だから、やめろってえの、と銀時は疲れたように息を吐き、幼馴染みで同じ運命を持つ唯一無二の片割れの背に両腕を回して抱きしめた。

 

 

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