「出奔したおまえが京にいるらしいという噂を聞いて、探したことがある」 丁度その頃、京の叔父の所に使いに出されたんでな、ついでにだ、と桂が言うと、高杉はそうかい、と答え猪口に注がれた酒を口に含んだ。 坂本が手に入れてきた酒は、とっときじゃあと自信満々に出してきただけあって実に美味かった。 その坂本は、しばらく一緒に酒を酌み交わしていたが、隊の奴らにも振舞ってくると言って部屋を出て行った。 銀時も最初は話に加わっていたが、坂本が酒を出してくると、ふいと部屋を出てどこかに行ってしまった。 「結局、貴様を見つけることは叶わなかったがな」 「京も広ぇからな。だいたい、んな簡単に見つけられちゃこっちが困る」 桂はジロリと高杉を見た。 四年ぶりに会った幼馴染みは、やはり昔とは違う雰囲気をまとっていた。 やはり四年ぶりに再会したもう一人の幼馴染みが、根本的なところは全く変わっていなかったのとは対照的に。 「やはり京にいたのか、貴様」 高杉はニッと笑っただけで、否定も肯定もしなかった。 桂は眉間を寄せただけで、それ以上は追求せず話を続けた。 もう今更だが、どうしても聞いておきたいことがあった。 「貴様が高杉の屋敷からいなくなってからしばらく、オレは家から一歩も出られなかった。オレが貴様と示し合わせていてオレも出奔するんじゃないかと疑われてな。父に京へ行けと言われた時、ようやく疑いが解けたと思ったが、オレは叔父の屋敷に着いた途端、萩に戻れなくなってしまった」 高杉は手酌で注いだ猪口から酒を飲みながら、無言で桂を見つめる。 「萩を出る時、銀時には、元旦までには戻れないが正月は一緒に過ごそうと言っていた」 もし京でおまえを見つけたら、必ず一緒に連れ戻って、三人、これまでと変わらずに一緒に過ごそう、と。 「オレは・・・本意ではなかったとしても、銀時をあの場所に置き去りにした」 「どっちみち、あそこにはいられなかったさ。オレも、おめーも」 そして銀時も。 「高杉。貴様、銀時が萩を出たことをいつ知った?」 「多分、おめーと同じ頃だ。一度だけ戻ったからな。オレたちしか知らないあの場所に花があった」 おめーだろ?と高杉が言うと桂は目を眇めた。 自分にも高杉に対しても腹を立てる時期は過ぎた。 だが、これだけはずっと抜けない棘のように残り、じくじくと苛み続けていた。 あの日見たあれが・・・・ 「高杉!」 桂はいきなり片膝を立てると、向かい合う高杉の胸倉を掴んだ。 「貴様!銀時に何をした!?」 怒りの表情で問い詰める桂を、高杉は薄笑いを浮かべた顔で見つめた。 「ヅラァ・・・おめーには関係ねーこった」 「関係ないだと!」 「関係ねーよ。おめーは、オレでも銀時でもねーからな」 桂は眉をひそめる。 「・・・どういう意味だ?」 「おめーが関わるこっちゃねーってことさ。おめーだけじゃねえ。他の誰もオレたちには関われねえよ」 「何故だ?」 フッと桂に胸倉をつかまれたまま、高杉は鼻を鳴らした。 「そうだなァ。これだけは教えておいてやるよ、ヅラ。オレと銀時はあの日・・・先生の命を奪った奴と出会ってんだよ」 なっ・・・ 「なんだと!?」
唐突に障子が大きく開かれ驚いて顔を向ければ、そこには男たちの御大将が立っていた。 高杉は酒が手付かずに置かれたままなのを見て肩をすくめた。 「なんだ、おめーら。せっかくの酒を飲んでねーのか」 畳の上に置かれた酒は、坂本がとっときの酒だと言ってたものと同じ酒のはずだ。 鬼兵隊の四鬼が案内された部屋は、高杉たちが話をしていた部屋とは渡り廊下で繋がった場所にあった。 桂や坂本が自分たちと同じ攘夷の侍ではあっても、これまで単独で動いたことしかない鬼兵隊としては全て信じていいものやら疑問を持つのは仕方がない。 しかも、着いた途端あんな光景を見せられたのだ。 坂本が本気ではないと言っても、そう簡単に納得できるものではなかった。 しかし、高杉の身に何もなかったのを確かめると彼らは一様にホッとする。 気にしすぎだと言われようと、鬼兵隊にとって、高杉は絶対に失うわけにはいかない存在なのだ。 ただ単に、鬼兵隊を組織したのが高杉だというだけではない。 高杉がいてこそ存在している鬼兵隊なのだ。 「話は終わったのか、晋助」 まあな、と高杉は後ろ手で障子を閉めると、多魏の隣にどっかと腰を落とし胡坐を組んだ。 「天人の情報はオレたちとあまり変わらねーが、優先する戦地も戦い方もこれまでとは変わってくるな」 「もしかして、オレたちの自由には動けないってことか、高杉さん?」 だとすれば、面倒だなあ、と綾は唇を尖らせる。 「別に束縛されるわけじゃねえよ。鬼兵隊には鬼兵隊の戦い方ってもんがあるからな。戦闘が大きくなれば、鬼兵隊は単独で動かせてもらう」 ほれ呑め、と高杉は多魏の手に猪口を押し付けると、酒の入った徳利を取って注いだ。 「おめーらにも入れてやっから猪口を取んな」 高杉が手ずから酌をしてくれるという珍しさに彼らは目を丸くし、慌てて目の前の猪口を掴んだ。 どうやら今夜の御大将はかなり機嫌が良いらしい。 酒のツマミとして、炒った豆と大根の漬物が皿にのっている。 四鬼に酒を注ぎ終えると、高杉は炒った豆を摘んで口に入れた。 「高杉さんと白夜叉が幼馴染みってホントなんですか?」 くいと一息で酒を飲み干した竜虎が高杉に聞いた。 高杉は口の中の豆を噛み砕く。 「ガキの頃、同じ塾で学んだ仲だ。もっとも、あの野郎は寝てばっかだったがな」 桂ともそうなのか?と鬼童が聞くと、高杉は、ああと頷いた。 「高杉さんはそんなこと、一言も」 高杉は、ニッと意地の悪そうな笑みを浮かべた。 「おめーらの驚く顔が見たかったからな」 はあ?と彼らは目を瞬かす。 オレたちが驚く顔って・・・・確かにめちゃくちゃ驚いたが。 「言わなかった理由はそれだけか、晋助」 「理由の一つっちゃそうだ。それ以上は聞かねーで欲しいな」 四鬼は黙る。 彼らは、高杉が聞くなということをあえて聞こうとはしない。 だからこそ、高杉は四鬼を信頼し、ずっと背中を護らせてきた。 「おめーらは、明日兵を待たせている陣に戻れ」 「高杉さんは?」 「オレは、明日もう一日坂本たちと話しておくことがある。明後日の昼には戻るから心配すんな。それより、新たな天人の一隊が進軍してくるってー情報がある。気を抜くなよ」 はっ、と四鬼は胡坐を組んだ両膝に拳をおいて頷いた。 じゃ、と高杉は立ち上がる。 「オレは用があるから行くぜ。明日はオレの姿が見えなくてもさっさと戻れ」 いいな?と高杉は四鬼に言うと、障子を開け部屋を出て行った。
桂のいる部屋には坂本が戻ってきていた。 丁度四鬼のいる部屋を出た高杉とは反対の廊下を歩いてきたため、坂本は高杉の姿を見ていない。 「高杉はどうしたがや?」 「出て行った」 「ああ、四鬼のとこかよ。あっちにも酒をたんまり持っていっておいたきなあ」 坂本は言って、ドスンと畳に腰を落とした。 「いや、高杉っちゅー男、さすがにあの鬼兵隊を率いてるだきゃある。おっとろしく鋭いし、そして」 食えん男じゃと坂本はカラカラと笑った。 人見知りせず当たりのいい男だが、実は相当に人の好みの激しい所が坂本にはあった。 つまり、好き嫌いがハッキリしているのだ。 とりあえず坂本は高杉を気に入ったようだった。 「向こうでメザシを焼いちょったから、もろてきたが」 いらんか?と坂本は皿にのった小振りの干物を突き出したが、桂はいやいい・・と首を振った。 坂本は、ほおか・・とすぐに皿を引っ込め一匹取って口に入れた。 「久しぶりに会った高杉と十分話せたかよ?」 「奴と話してるとやたら疲れる・・・・」 「ありゃ、そうかよ。さすがに、昔話で花は咲かんがったか」 昔話・・・・・ 高杉が最後に言った話は、桂には初耳で衝撃的だった。 まさか、そんなことが・・・・ 「坂本。銀時を見たか?」 「いや、見ちょらん。部屋には戻っとらんようだし、庭でも散歩しとるんじゃないがか?」 銀時はたまに夜ふらふらと出歩いてることがあった。 本人が言うには、月が綺麗な夜は部屋にいるのがもったいないのだそうだ。 今夜は満月にはまだ間があるが、綺麗な月が出ている。 「酒、まだ残っとるき、もうちょっと呑もうがや、桂」 坂本に猪口を持たされた桂は、ああと頷いた。 (銀時は・・・・聞いても答えまいな・・・・) 銀時に話す気があれば、とっくに桂に言ってる筈だ。 閉じられた障子の向こうは真っ暗ではなかった。 庭は月明かりに照らされて歩くのに支障はないだろう。 出会った頃・・・銀時は月が明るい夜に外に出ることはなかった。 いつからだろうか。外に出て銀時が月を眺めるようになったのは。
石の上に腰掛けてぼんやりと見上げていた空には、満月には僅かに足りない、少し欠けた月がぽっかりと浮かんでいた。 僅かに視線を流すと、明らかに星ではない白い点のような光が右から左へと移動しているのが見えた。 (江戸に向ってんのか・・・・) 江戸では既に、天人の船が傍若無人に空を行き来しているという。 空はもう、月や星だけのものではなくなってしまっていた。 「焼け跡の前で月見とは、趣味が悪ぃな、銀時ぃ」 覚えていた声よりもやや低くなった幼馴染みの声に、銀時は面白くなさそうに眉をひそめた。 「なんで、てめーに見つかるかなァ」 「オレから隠れるこたあ、できねえってことさ、銀」 くくっ、と高杉は喉を鳴らす。 「ふん。抜かしやがれ」 銀時はさっきまでの戦装束から白い着流しに着替えていた。 風呂にでも入ったのかもしれない。 ゆったりと白い素肌に羽織った着物の襟元から、月明かりのもと、青白くすら見える首と鎖骨が覗く。 行儀悪く曲げた右足を石の上に乗せているので、裾が割れて白い大腿が丸見えだ。 たった一人の月見としゃれ込んでいたため、格好など無頓着でいたのだろうが、さすがに女っけのない隊では勘違いする者も出てくるのではないか。 もっとも、白夜叉を襲うなど、次の瞬間命を落としても文句は言えまいが。 白い着流し姿の銀時の背後には、真っ黒に焼け落ちた建物があった。 あまり大きな建物ではなく、焼け残った造りからして、何かを奉っていた祠か。 今銀時が腰を下ろしている石も、かつてはあった鳥居の土台だったのかもしれない。 名も知らぬ神を奉っていた祠の残骸の前で、白い夜叉が月を眺めているというのは、なかなかに意味深でシュールな光景だ。 そいつぁ酒か、と銀時の右手にある竹筒に高杉が手を伸ばす。 おい・・と顔をしかめた銀時だが、伸ばされた手を払うわけでもなく竹筒を渡す。 ぐっ、と高杉は竹筒の中の酒を喉に流し込んだ。 「オレたちが飲んだ酒とは違うようだが、これもいい酒だ」 「だろう?辰馬の野郎が隠し持ってた奴をちょいと失敬してきた」 得意そうに言う銀時に高杉は目を細め、 「坂本辰馬か・・・能天気に見せて腹に一物持っていそうな男だな」 「てめーは、見てくれも中身も陰険そのものだがな」 油断も隙もありゃしねえ、と銀時は高杉から竹筒を取り戻す。 「それにしても、銀時ぃ。てめえが白夜叉とはな。大仰な二つ名じゃねーか」 「オレがつけたわけじゃねえよ」 「んなこた、わかってる。だが、今のおめーには似合った呼び名だ」 どういう意味だ、と銀時は自分の隣に立つ高杉をジロリと睨んだ。 昔から姿勢のいい男だったが、今も洋装の戦装束を身に着けた高杉は背筋が伸び、見惚れるような立ち姿だ。 「鬼姫と一緒にいたそうだな」 銀時は溜め息をつく。 「なんで知ってんだよ」 「結構流れてた噂だぞ。知らぬはおめえだけだったか」 「・・・・・・」 「で、鬼姫と寝たのか?」 「んなわけあるか!鬼姫には想い人がいたし、オレなんか鼻もひっかけちゃくれなかった」 そりゃ残念だったなあ、と高杉はくくくと笑った。 「色っぽい美女だったってぇ噂だったのに。オレだったら、速攻でモノにしたぜ」 「その前に、オレがてめーを斬る」 ハッ・・!高杉は噴き出した。 「ほんとに変わんねーな、銀」 ああ?どう変われっつんだ?と顔をしかめた銀時は、ふと伸びてきた高杉の手に着物の襟をつかまれ、ぐいっと強く引っ張られた。 そのまま唇が重なり、銀時の瞳が丸くなる。 一瞬強く唇を押し付けられてから、僅かに離された。 近すぎて焦点が合わないほど間近にある整った顔。 「悪かったな、銀」 「・・・・」 大きく見開いた銀時の瞳が、今度は驚いたように瞬く。 「三日寝込んだんだろ?」 ああ・・・ 銀時は高杉が何を謝ったのかを知る。しかし。 「てめえが謝るなんてどうした?天変地異の前触れかあ?」 再会してすぐに文句を言いはしたものの、高杉に謝罪を期待したわけではない。 第一、高杉は塾生時代から、先生以外には絶対に頭を下げない強情な子供だったのだ。 実際、昔の記憶を思い返しても、高杉に謝られた記憶はない。 「オレがおめーに謝んのは、これが最初で最後だ。もう二度と謝ることはねえよ」 高杉の唇がうなじに触れ、銀時はピクリと震えた。 「ん・・・それって、この先もうオレに謝るようなことはしねえってことじゃねえよな」 銀時が言うと、高杉はうなじに唇を這わせたままくすくすと笑った。 「そりゃおめー、オレも先のことがわかるわけじゃねえからな」 ・・・・・だと思った。けど、最初で最後だろうと、こいつが今謝ったってのはきっと奇跡と言っていいだろうな。 高杉の唇が顎を辿って再び銀時の唇に重なる。 唇が割られて、高杉の舌が忍び込んできた。 口腔内をくすぐられ、舌を絡められる。きつく吸われて銀時の眉がひそめられた。 「ん・・・っ・・ふ・・・」 慣れた巧みな口付けに、離れていた四年間というものを銀時は改めて思う。 男前な高杉を女は放っておかないだろうし、不能でない限り無視を決め込むようなこともないだろう。 なのに、自分は随分と寂しい四年を過ごしたかもしれない。 女にもてない理由を、この色素の薄い肌と銀髪、赤い瞳という異形の容姿ではなく、天パのせいにしている銀時ではあったが、全く女と縁がなかったわけではない。 女との経験はそれなりにあったし、甘く疼くような想いも経験した。 だが、楽しい記憶というものは全くといってなかった。 「あ・・・ぅ・・ん・・・」 ちりちりとこもってくる熱を逃がそうと反らした背を、高杉の腕が抱きとめる。 熱い唇が頬をすべり、耳朶を舐められ細い息を吹き込まれる。 背筋を走った官能に、ん・・っ!と銀時はぞくりと身を震わせ呻いた。 「なあ、銀時ぃ。おめーは知ってっか?自分がなんなのかってこと」 「・・はぁ?自分がなに・・って?」 耳元で喋んなって・・くそっ・・・ 抱きしめられ閉じ込められた銀時の手が、窮屈そうに高杉の洋装の胸をさまよう。 「オレはなんとなくわかったぜ。あの夜、おめーと初めて繋がった時にな」 なに言ってやがる、と銀時は毒ずくが、あの夜のことは傷のように深く記憶に刻まれている。 それは、銀時が三日も寝込むハメになった原因だ。 「オレとおめーはおんなじモンだ。生まれも姿も違ってっが、おんなじもんで出来てんだよ、銀」 「ああ?なに、それ?」 濃厚な口付けに潤んだ赤い瞳で見上げると、高杉は面白そうに喉を鳴らして笑った。 「オレとおめーがいったい何者なのかってーのは、そのうち嫌でも知ることになるだろうぜ」 オレァ、そいつがわかるのが楽しみだ。 「な・・に言ってんの、高杉?・・・・おまえ酔ってんの?」 そう・・だな、と高杉はクスクスと笑う。 「おめーの匂いに酔っちまったのかもなあ」 「・・・・・」 何クサイ台詞吐いてんだよ、こいつ?と銀時は呆れたように赤い瞳を眇め、己を抱いている高杉を見つめた。
結局、あれから高杉の姿を一度も見ることなく、明け方、四鬼は綾一人残して鬼兵隊のいる陣へと戻っていった。 高杉は四人とも戻れと言ったが、さすがに鬼兵隊の総督を一人残すわけにもいかず、綾が残って一緒に陣に戻ることになった。 高杉の命令は絶対だが、こと高杉の身に関しては四鬼は独自の判断を下すことがある。 それは、高杉も一応認めていることだ。 残ったのが綾なのは、見かけから大仰に見られないことだ。 四鬼の一人なのだから腕は生半可ではないのだが、見かけが子供っぽいため誰もが気を抜くのだ。 綾はそういうこともしっかり利用している。 「明けてきたなあ・・・」 仲間を見送った後、フラフラ庭を歩いていた綾は白々と明るくなってきた空を見る。 この屋敷の主が逃げ去ってからは、庭の手入れをする者がなく荒れ放題ということだったが、ふと綾が踏み入れた場所は何故か綺麗に草が刈られていた。 歩いていくと鼻腔をくすぐるような甘い花の香りがし、どこから?と顔を巡らすと、ふと白い影が視界に入りドキッとなった。 え?まさか、白夜叉・・・! 背の低い花木のそばに立つ白い人物が、綾に気づいて顔を向けた。 朝の光を弾く銀髪に純白の着流し。 まるで現実ではないような姿に、綾はらしくなく呆けてしまった。 「誰だ、おまえ?」 綾を訝しげに見つめる瞳は赤い。 (本当に赤いんだ・・・) 初めて白夜叉の噂を耳にした時は、そんな人間、いるわきゃないと笑い飛ばした。 だが、白夜叉に関する噂は増えることはあれ、消えることはなかった。 それどころか、どんどん人間離れした噂が流れ、綾は、白夜叉など強い侍を望む者たちが作り上げた架空の存在だとさえ思ったくらいだ。 戦争は侍側には不利な状況ばかりで、だからこそ人々は強い者を求める。 つまりは英雄願望だ。 だが、夜叉と呼ばれる男は残虐で血みどろで味方にすら恐れられる存在で、決して英雄と呼ばれる類ではなかった。 それでも、この戦争には絶対に必要不可欠な存在。 (若い・・・・) 噂で聞いた限りでは、こんなに若い男だとは想像もできなかった。 「あの・・・オレは・・・・・」 えっ?と目の前の白い男が大げさなくらい驚いたリアクションを見せる。 「え?え?男?」 綾はムッとした。 「男ですけど」 「あ・・ああ、そうなんだ。なんでこんなとこに女がいるんだってびびっちまったよ。て、ゆーか、ホント誰?」 マジ驚いて心臓がドキドキしてるって仕草が、なんだかやけに子供っぽい。 とても、噂に聞いた白夜叉とは思えない。やっぱ噂なんてあてにならないものなのだ。 とりあえあずあっているのは、銀髪と赤い瞳だけかも。 (いや、初対面の時、オレたち四鬼を弾き飛ばした力は・・・あれは本物だった) 「誰って、一度会ってるでしょ?高杉さんと一緒にいましたから」 「高杉と?おまえいた?」 本当にわからないのか? 「いきなり刀抜いて飛び掛ってきたでしょ。オレはあなたが弾き飛ばした四人のうちの一人です!」 あ、なんかむかついてきた。なんで、こんな説明しなきゃならないんだ? 鬼兵隊の中で畏怖もされてる四鬼が、あっさり負けてしまったということを。 そりゃあ、本当に噂通りの白夜叉なら、仕方ないと思わないでもないが。 いやいや、やっぱり悔しい。 (おいおい・・本気で考えこんでるよ、この人) 「わりぃ・・オレあん時、高杉しか見えてなかったからさあ」 「そ・・うですか。まあ、ご挨拶もしてませんでしたからね」 ぴきぴくと引きつる顔をごまかすこともできず、綾はぶっきらぼうに自己紹介した。 「鬼兵隊、四鬼の一人、綾之介です。呼び方は綾で構いません」 「四鬼?」 白夜叉は、赤い瞳をパチパチと瞬かせた。 四鬼のこともどうやら知らないらしいとわかり、綾はガックリと首を折った。 さすがに綾の態度を見て悪いと思ったのか、白夜叉は素直に無知を謝り、坂田銀時と名乗った。 「本当に白夜叉ですか?」 「いや、それ、オレがつけたわけじゃねえから」 まあ、そうなのだろうが。そう呼ばれるのはあまりいい気分ではないのだろうか。 なんだか嫌そうだ。 「オレたち四鬼は、いわば高杉さんの直属の部下で親衛隊みたいなもんです」 「親衛隊?へえ〜高杉の野郎、シャレたのをそばにつけてんだなあ」 まあ、桂や坂本にも、身近に置いてる力のある部下はいるが。 つまり、己の隣に立たせてもいい、信頼できる部下ってことか。 隊を率いてない、常に一人で戦う銀時には関係のないものだ。 「しっかし、こんな子供をよく傍に置くよなあ。あいつのそばって、やたら命の危険がねえ?」 綾はまたもムッと口を尖らせた。 ずっと鬼兵隊の中にいたので、四鬼の一人として認識され子供扱いされたことはなかった。 実際、自分は子供ではない。そりゃあ、童顔だというのはよく言われるし自覚もしているが。 「オレは21ですけど」 「ええぇぇ〜〜!嘘!オレより年上!見えねぇぇ〜〜」 そこまで露骨に驚くことは・・・って、まてまて、オレより年下? 「坂田さんはいくつなんですか?」 「いくつって・・・おめえんとこの高杉と一緒だ」 「あ、オレ、高杉さんがいくつか知らないので」 「え、マジ?あいつ、言ってねえの?」 「・・・・・・・」 ちょっと待て。この人がオレより年下ってことは、高杉さんも年下ってことだよな。 (オレ、ずっと高杉さんは年上だと思ってたんだけど・・・) なんか若いなあと思わないこともなかったが、見掛けで年が判断できないのは自分の例でわかってたし。 それに、あの多魏となんか知らないけど、同期だってずっとタメはってたし。 多魏は26だと言ってた。高杉さんがそこまでいってるとは思わなかったが、それでも、そんなに変わらないだろうと。 (思ってたんだけど、違うのか?) なんか頭がくらくらしてきた。 「銀時!」 ふいに、名を呼ばれた銀時が振り返る。 「ヅラ!ここだ!」 「銀時!早めに起きたんなら、顔を出せ!」 説教モードで現れたのは桂小太郎だった。 綺麗な長髪で、どちらかといえば女顔。こっちも若く見えるが、態度が老獪なので年齢判断がむつかしい。 「君は四鬼の一人だったな。高杉の護衛として残ったのか?」 はい、と綾が頷くと、桂は「そうか。高杉なら今坂本と一緒に離れにいる」と教えた。 「ありがとうございます」 「銀時。貴様はオレと一緒に来い」 「朝飯は?」 「後だ。戦闘が近い。もうのんびり構えてはいられんぞ」 へ〜い、と銀時は溜め息をつきながら桂の後に続く。 「あ、坂田さん!いくつか教えてくださいよ!」 ああ、そっかと銀時は思い出したように綾を振り返り、18だと答えた。 それは、綾には衝撃的な現実であった。
日暮れが近い。 さっきまで明るく地上を照らしていた陽の光が弱まり、薄闇が近づいてくる。 沈む太陽と反対に月が天空に昇る。 崖の上に立つ、洋装の戦装束の高杉が、腕を組んで陽の沈む方を見つめていた。 頭に巻いた鉢金の先が長く風になびく。 「兵の配置は終わったか」 前を見据えたまま高杉が背後に立つ四鬼に問う。 「はっ!指示通りに」 「坂本んとこはもう戦闘に入っている。来るぞ」 高杉の薄い唇に、ニッと笑みが刻まれる。 高杉と四鬼の視界に、天人の軍が入ってきた。 まもなく闇に包まれる間際、その光景はかなり異様だった。 実際、天人はいずれも人の姿をしていない。 巨大な牛の頭だったり、トカゲのようだったり、黄色の目をした猫のようなものもいる。 人くらいのもいるが、たいていはニメールはある巨体どもだ。 それらが、巨大な剣や斧、棍棒や槍を持って侍たちに襲いかかる。 初めて天人との戦場に出た者は、一様にその姿に驚き怖気ずく。 自分たちが今持っている刀で、あの異形の天人と戦えるのかという疑問。そして恐れ。 その恐怖を克服しなければ、天人とは戦えない。 現れた天人軍の数は、ざっと五十ばかし。 情報では百前後ということだったから、思った通り分散したか。 「高杉さん。このまま奴らをいかせるつもりですか?」 鬼兵隊が待機しているのは、里に近い場所だ。 しかも、予想したよりも天人の数が多い。 ここで少しでも数を減らしておかなければ、不利にならないか。 フッと高杉は笑った。 「はたして、あの連中のどれくらいがオレらの所まで来れるかな」 は? 四鬼は自分たちの頭目の言う意味がわからず首を捻った。 時々、彼らでも高杉の言ってることがわからない時がある。 高杉は大きく瞳を見開き、ニィと口の両端を引き上げた。 「夜叉だ・・・夜叉が来るぞ」 四鬼は高杉の呟きに目を瞠った。 すると、唐突に天人たちの塊が崩れ始めた。 蜘蛛の子を散らすように天人たちが四方に散らばり始める。 その中心で、鋭い銀の光がきらめいているように見えた。 天人たちの咆哮が聞こえる。 天人たちが武器を振り回している中、白い何かが恐ろしい速さで動いているように思えた。 まるでかまいたちでも暴れているかのように、次々と体から血を噴出しながら天人たちが地に伏していく。 抵抗していた天人たちも逃げ出そうとする者が出てきたが、見逃すほどソレは甘くなかった。 フワリと白い影が浮き上がり、きらめいた光が天人の頭を真っ二つに割る。 気づけば、立っている天人の姿はなく、銀の髪をなびかせた侍一人がその場に立っていた。 天人の返り血で全身を赤く染めた男の姿は壮絶で、悲惨な戦場に慣れている四鬼も息を飲んだ。 たった一人で、あの数の天人を倒した。 怯えて逃げる敵にすら容赦のないその刀に、四鬼は戦慄を覚える。 あれが白夜叉なのか・・・・
まさしく、夜叉! |