ふと木々の間を通り抜けてきた風が、目の前の男の前髪をサラリと撫でていった。

 寺の本堂に上がる階段の中ほどに置かれた碁盤の上で白い石が、パチンと軽い音をたてる。

 俯いた顔。伏せた睫毛が濃く長い。

 綺麗な男だ、と朝から碁の相手をしていた多魏(たぎ)は、風が露わにした男の顔を見て、心の中で呟きを漏らす。

 初めて会った時、まるで役者のような整った顔の男だなと思った。

 しかし、多魏が引かれたのは、その整った顔にではない。

 顔が美いだけの男など、それこそ芝居小屋に行けば腐るほどいる。

 実際、目の前の男が率いるこの隊にも、女が騒ぎまくるような美男子は何人もいる。

 この鬼兵隊を率いる男が特別綺麗な男というわけでもない。

 多魏が引かれたのは、男の持つ精神と輝き。いうなれば、この男にならついて行きたいと思わせるカリスマ性だ。

 こればかりは誰もが持てるというものではない。

 生まれつき備わった人の魅力だ。

「何?まだやってたんだ」

 やや小柄で、少女のように愛らしい顔をした男が、跳ねるような足取りで碁を打っている二人の前にやってきた。

 頭の頂きで一つにまとめた黒髪がゆらゆら左右に揺れる。

「なんだ、綾(あや)?」

 多魏に綾と呼ばれた男は答えず、ん〜?と碁盤を覗き込んだ。

 しかし、綾は将棋はやるが碁は全く打たないのでどっちが勝っているのかさっぱりわからない。

「ねえ、今どっちが勝ってんの?」

 多魏だ、と鬼兵隊を率いている男、高杉晋助が答え、今の所はな、と多魏が続ける。

「気を抜けば逆転される」

 だから邪魔するなと言われた綾は、肩をすくめた。

「いや、オレは報告に来たんだけどよお」

 なんかあったか、と碁盤から目を離さず、白い碁石を指先で摘みあげた高杉が問う。

「坂本と桂んとこに白夜叉がついたみたいだぜ」

「・・・・・・・」

 ピタリと高杉の手が止まる。

「白夜叉って、あの白夜叉のことか?」

 他にはいないだろ、と綾がツンと顎を反らして多魏に言い返した。

「ほお〜驚いたな。坂本と桂が手を組んだ途端、白夜叉までもか」

「その白夜叉だけどさあ、マジ本当にいたんだってのが正直な気持ち」

 だってよお、と綾はくいと首の後ろに両手を回した。

「ただの噂でも、すげえ話ばかりなんだぜ」

 天人の一個小隊をあっというまに潰したとか、血に染まった姿が天空を駆けていたとか。

 こと白夜叉に関しての噂は、およそ信じられない話ばかりであった。

 闇の中、白銀に姿が浮かび上がるとか、瞳が地獄の業火のように赤く光っていたとか。

 どう聞いても人間に対する表現ではない。妖(あやかし)の類だ。

 だから誰からともなく、自然に”白夜叉”と呼ばれるようになったのだろうが。

 その白夜叉が桂と坂本の同盟部隊についた。となれば、これまでと戦況がかなり変わってくるだろう。

「本当に噂通りならな」

 長身で髪を短く刈り込んだ男がそう言ってゆっくりと歩いてきた。

「あれ?竜虎(りゅうこ)。戻ってた?」

 竜虎と呼ばれた男の後ろから、腰までの長髪をなびかせた男が続いてるのを見て、綾が目を瞬かせる。

「なんだよお。鬼童(きどう)まで、いつ戻ったんだよ」

「おまえが戻るのとほぼ同じだ」

「おまえが門の所でドジってコケたのを、後ろからバッチリ見てたぜ」

「コケてねえぇぇぇっ!」

 ケツまずいたのは確かだが。

 竜虎はクククッと笑っている。

 二人は乳兄弟で、小さい頃から知ってるせいか、竜虎はよく綾をからかって遊ぶ。

 綾がすぐに反応を返すので余計に面白がられるのだが。

 フッ・・・と高杉が笑う。

「久しぶりに鬼兵隊の”四鬼(しき)”が揃ったな」

 高杉晋助が総督として率いる鬼兵隊には”四鬼”と呼ばれる四人の侍たちがいた。

 彼らは隊の中で飛びぬけた実力を持っていて、高杉から直に命令を受けて兵を動かしている。

 高杉の身近にいて彼を守り、そして戦う彼ら”四鬼”は、高杉の親衛隊ともいえる存在だ。

 だが、彼らは兵を指揮して、それぞれ天人を相手に戦ったり、情報を収集したりしていて常に一緒にいるわけではない。こうして四人が揃うのは本当に久しぶりなのだ。

「おまえらも、白夜叉のことを聞いて戻ってきたのかよ?」

「まあな」

「桂と坂本の同盟にも驚いたが、白夜叉までとなると無視はできまい」

 竜虎と鬼童が答える。

 噂半分としても、攘夷志士の間で白夜叉のネームバリューはかなり高い。

 兵の士気を高めるにはいい存在だ。

「どうする、晋助。坂本辰馬から三度めの誘いがきているが」

 今度も無視するか?と多魏が高杉に訊いた。

「もう無視はできねーなぁ。戦況は確かによくねーし」

 鬼兵隊は頑張っているし、戦況が悪いとはいえ、そう簡単に潰されるほど弱くもない。

 手を組んだ桂と坂本の隊もここ最近負けはない。といって勝ったともいえないが。

「じゃあ、鬼兵隊も奴らと手を組んで戦うのか」

「そうだな。いい時期かもしれん」

 高杉が口端を上げると、綾は目を輝かせた。

 鬼兵隊以外の隊と接するのは、実は初めてで、綾としては興味津々だった。

 しかも、噂の白夜叉に会えるかもしれないのだ。

「では、坂本に承知したと伝えよう」

 いいな?と立ち上がって多魏が確認するように聞くと、高杉はああ、と頷いた。

 多魏の姿が消えると、鬼童が興味深そうに碁盤を覗き込んできた。

「なかなか面白い展開だな」

「やるか、鬼童。多魏の続きを打ってオレに勝ったら、とっときの酒をやるぜ」

「ええっ!だったらオレがやる、オレが!」

 酒に目がない竜虎が鬼童を押しのけようとしたが、おまえじゃ弱すぎて相手にならんと高杉にあっさり切り捨てられた。

 

 


 

「桂ァ!鬼兵隊が来るぜよ!」

 ドカドカと騒々しい足音を立てながら桂のいる部屋の前まで来た坂本が大声で報告する。

 つい先ほど鬼兵隊の使いの者が手紙とともに伝えてきたのだが、坂本としては待ちに待った時が来たという気分だった。

 畳の上で地図を広げていた桂が、満面に笑みを浮かべて入り口に立っている坂本の方に顔を向けた。

「鬼兵隊が我らと手を組んで共に戦うと言ってきたのか?」

「その通りじゃ!いやあ、なかなか返事をもらえず、シカトばっかしくらっとったから、こりゃおまんが言うように駄目かと思うたが」

「鬼兵隊って・・・高杉の?」

 桂と向かいあう形で胡坐をかいて地図を眺めていた銀時も坂本を見る。

「おう、金時。おまんも知っちょうか。そうじゃ!高杉晋助が率いとる鬼兵隊じゃ!」

 金時じゃねーっつーの。

 ムッとしながら、銀時は桂の方に向き直る。

「あいつ、来んのか」

「そのようだな」

「・・・・・・・・・」

 沈黙した銀時に桂は困ったように眉間を寄せる。

「おまえも、もうわかってるな、銀時?オレたちはもう小さなガキじゃないのだから」

 高杉も大人になり一軍を率いている。

 くれぐれも、揉め事を作ってくれるな、と桂が言うと、銀時はフンと鼻を鳴らして立ち上がった。

「おい、銀時」

 入り口に立っている坂本の横をすり抜けて出ようとした銀時が桂を振り返る。

「そいつは約束できねえなあ。あいつにゃ、貸しがあっからよ」

「何の貸しだ。きさまら、どっちもやりたい放題だったろうが」

「オレの方にも言い分はあんだよ。オレと高杉をひとくくりにすんな、ヅラ」

「ヅラではない。桂だ」

 銀時が出て行くと、桂は深々と溜め息をついた。

「なんじゃ、今の会話は?おまんら、もしかして高杉をよく知っちょーかよ?」

「昔・・・な」

 はあ〜?

「まさか、おまんら・・・高杉とも幼馴染みとか言わんじゃろな?」

「オレたち三人は子供の頃、同じ師に学んでいたんだ」

 坂本は目を丸くする。

「マジか?んで、金時は高杉と仲が悪いとか言うがか」

 はぁっと、桂は吐息を吐きながら眉間を押さえた。

 仲が悪いというのではなく、あいつらは似たもの同士で気は合うくせに我が強くてな・・・

 よくぶつかっていたのだと桂は言う。

「とにかく坂本。オレもできるだけ見ているが、おまえも銀時には気をつけておいてくれ」

 鬼兵隊ともめたくなければ、な。

「あ・・ああ、わかったぜよ・・・・・」

 しかし、おまんらを教えていた師って、どんなぜよ。

 


 

「鬼兵隊だ!」

「高杉が来たぞ!」

 里の入り口を見張らせていた兵から次々と知らせが届く。

 おお〜おお〜皆、興奮しちょるなあ。

 鬼兵隊の勇猛なる戦いぶりは攘夷志士たちの中ではよく知られていたし、若い侍たちなどにとっては憧れの存在だ。

 ここにいる者は、その存在は知っていても、これまで鬼兵隊と遭遇したことがない者が殆どであるから、興奮するのも無理はないだろう。

「高杉は何人連れちょる?」

「四人です」

 四人?

 坂本は意外そうに目を瞬かせた。

 確か鬼兵隊の兵は五十を下っとらん数じゃと聞いとるが。

「四人・・・か。あ、もしかして、その四人っちゃあ”四鬼”か?」

 鬼兵隊が誇る四人の最強の侍”四鬼”も有名だった。

 僅か二年かそこらで天人にも名をしられる部隊となったのは”四鬼”の力も大きいと聞く。

 まっこと、鬼兵隊ちゅうんは、いい兵を持っちょる。

 それも、高杉晋助という男が優れた指導者だからだろうが。

「お、いかん!」

 坂本はふと思い出してまわりを見回した。

 先ほど銀時が門の脇の白壁にもたれて座り込んでいたのを坂本は確認していたが、今もちゃんといるかと確かめる。

(お〜、いちょった)

 銀時の白い姿を見つけた坂本はホッとする。

 鬼兵隊を迎える時に、確かに問題があっては大変だ。

 こちらの兵も鬼兵隊と高杉に注目している。

 そんな状況で白夜叉が鬼兵隊の総督と喧嘩騒ぎなどされては頭が痛いどころではない。

 あの四鬼がついてるとなれば、それこそ天人と戦う前に内部で一触即発だ。

 やがて、坂本が見つめる道の先に、こちらへ近づいてくる人影が見えてきた。

 来たか。

 五つの影は高杉と、彼に付き従う四鬼だろう。

 坂本は腕を組んでじっと近づいてくる五人を見つめた。

 まだよく見えんが、いったいどんな男であろうか、高杉という男は。

「ん?」

 ふいに傍らを白いものが通りぬけたような気がして坂本は眉をひそめた。

 げっ!

 坂本は風のように走る白い後ろ姿と、さっきまで銀時が座り込んでいた背後の壁を見て、うわわ・・っと声を上げた。

 ちょ・・・マジか?おい〜〜〜

 ついさっきまで、おとなしく座わっちょったろうがよ!

きんとき〜〜!!

 待つんじゃあぁぁぁ〜

 坂本は大慌てで銀時の後を追いかけた。

 しかし、白夜叉の足の速さは狼よりも早く追いつけるものではない。

 前にいる男たちも向ってくる銀時に気づいて、刀に手をやるのが見えた。

 あぎゃあぁぁ〜〜やめるんじゃあ、金時〜〜〜!

 坂本が悲鳴を上げる。

高杉ィィィ!

 うおっ!

 げ・・っ!

 なっ!

 ひっ!

 高杉の前に出て、突然の暴漢者を排除しようとした四鬼だが、突進してくる勢いを全く殺せず、刀を抜く前にいずれも弾き飛ばされた。

 白い羽織の裾がなびくと、刀同士がぶち当たる鈍い音が響き渡る。

 晋助!

 高杉さん!

 四鬼たちの表情が、恐怖に引きつった。

「よお、銀時ィ。えらく過激な出迎えだなぁ」

 血の気が引いた彼らの耳に、聞きなれた薄笑いまじりの声が入る。

 高杉は抜いた刀で相手の刀を止めていた。

 防いでいなければ、頭がぶち割られていた体勢だ。

「貴様ぁっ!」

 激怒した四鬼が刀を抜くが、高杉を襲った白い男は気にもしてないようだった。

 それどころか、暢気な声で高杉に語りかけている。

「なあ、高杉。オレ、おめーに貸しがあったよなあ」

「ああ?んなもんあったかよ。てめーに貸したのは一杯あるけどよお」

「ボケてんじゃねーよ、バカ杉。てめーのおかげで、オレは三日寝込んだぜ」

 その間、メシも食えなかったんだからなあ。

「ああん?そうだったか。忘れたなあ」

 銀時は、ムッとなって顔をしかめた。

「いっぺん死ね!そうしたら思い出すだろうぜ!」

「死ねるか、バ〜カ」

 高杉は銀時の刀を振り払った。

 本気ではなかったのか、銀時の刀は軽く高杉から離れる。

「金時!」

 ようやく追いついた坂本が、ぜーぜーと息を切らせながら足を止めた。

 間に合わなかったのはわかっている。結果を見るのが恐ろしい。

 それでも、坂本は殺気だっている四鬼の前を恐る恐る覗き込んだ。

 二人とも刀を抜いているが、どちらにも怪我はないようで、とりあえずほっと胸を撫で下ろす。

 銀髪?

 四鬼は、高杉に襲いかかったくせに子供のような言いがかりをつけている男の髪が白いことに気づく。

 髪は白いのに、男はかなり若い。

 白い羽織をはおっているせいか、全体に白いイメージを与える男だ。

 この男・・・まさか!?

「銀時!揉め事を起こすなと言っておいたろうが!」

 騒ぎを聞きつけて走ってきた桂が、銀時を叱りつける。

「約束はできねーっつったぜ」

 しれっと答えて刀を鞘におさめる銀時に、桂はムッとした顔になった。

「よお、ヅラ。元気そうだな」

「ヅラと呼ぶな。もう子供ではないぞ。いい加減大人になったかと思えば、相変わらずだな、高杉」

「何言ってんだ。先につっかかってきたのは銀の方だぜ」

「貴様も煽ったろうが」

 さあてね?と高杉はくすくす笑う。

「ったく・・・先が思いやられるぞ」

「なんだよお。呼んだのはそっちだろうが」

「わかってる。来い、高杉」

「はいはい」

 高杉はくっくくっと喉を鳴らすと、すれ違いざまに銀時の手首を掴んだ。

「行こうぜ、銀時ィ。つもる話でもしようや」

「離せよ。てめーと話すことはもうねーよ」

「オレに貸しがあんだろ?ゆっくり聞いてやるぜ」

「はあ〜?バカですか、てめー。言ってることわかってんの?」

「バカはおまえだろ、銀」

 高杉はフフンと鼻で笑い銀時の手を掴んだまま引っ張っていった。

やっぱ死ねぇぇ!くそったれ!

 

 茫然とした顔で取り残された四鬼には、坂本が声をかけた。

「遠い所からすまんかったのう。しかも、驚かせてしもうて・・・・」

 ほんにすまん。わしの手落ちじゃ、と坂本は謝った。

 気をつけろと言われていたのに、つい気を抜いて銀時の暴走を許してしまった。

(いや、まっこと、刀を抜くとは思わなかったぜよ・・・肝が冷えてしもうた)

 それでも、やはり幼馴染みというべきか、高杉の銀時のあしらい方は手馴れた感すらした。

「わしゃあ坂本辰馬じゃ。おまんら、鬼兵隊の四鬼じゃろ?」

 四人の男たちは、まだ殺気を残していたが、前髪を後ろに流した短髪の男がふっと短く息をつき口を開いた。

「私は多魏だ」

「おお!今回手紙をくれたのはおまんか。ほんに許しとうせ」

 坂本がもう一度頭を下げたが、四鬼の一人がきつい表情で不満を口にした。

「謝って欲しくねーぜ!バカにされた気がする!」

「竜虎!」

 多魏が嗜める。

「だって、納得できるかよ!オレたちは刀を抜くこともできなかったんだぜ!」

 しかも、我らの大事な御大将を失うところだったのだ。

 四鬼と呼ばれ、高杉晋助のために戦い、護るという役目をずっと担ってきた自分たちがなんてザマだ。

 腹を切っても許されることではない。

「あ〜まあ、ごもっともで・・・・いやその」

 きつい目で睨まれ坂本は口ごもる。

「アレも本気だったわけじゃ・・・」

 って、ますます駄目か。

「う〜〜ありゃ、白夜叉じゃきなあ」

 四鬼の表情が変わる。驚きと困惑。

「やはり、あの男が白夜叉なのか!」

 ああそうじゃ、と坂本は頷いた。

「なんで、白夜叉が高杉さんを殺そうとするんだ!?」

「アレに、殺す気などなかったきに。本気なら、あんなもんじゃすまん。おまんらも、そうやって立ってはおられんかったぜよ」

 坂本はまだ一度だけだが、戦場で白夜叉の戦いぶりをその目でみている。

 白夜叉の強さを知るのは、その一度で十分だった。

 アレはまさに夜叉。情けも容赦もない鬼だった。

「それを信じろと?」

「おまんら、高杉が平然と白夜叉の手を引っ張っていくのを見たぜよ?」

「・・・・・・」

「ありゃ、子供のじゃれあいとおんなじじゃ。まあ、二人は幼馴染みじゃいうきのう」

「・・・・・!」

 四鬼は今度こそ絶句して言葉が出てこなくなった。

 

 

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