ここ数日天候不順が続いていたが、この日は朝から晴れ上がり澄んだ青空が広がっていた。

 朝飯を食べてから姿が見えなくなったという男を探していた女は、村の外れに高くそびえる木の枝で暢気に惰眠を貪っている男を見つけた。

 雲ひとつなく、抜けるような青い空を背景に、揺れる緑の葉の間から銀の糸が覗く。

 銀、と呼ぶと、陽に透けて輝く銀糸が揺れた。

 下を覗き込んで見知った女の姿を認めると、男はゆっくりと唇に笑みを形作った。

「帰ってたんだ、鬼姫」

「ついさっき戻った。おまえがいないとサキが探していたぞ」

「けど、オレを見つけたのは鬼姫ってわけ?」

 女は、フッと笑った。

「バカと煙は高いところに昇りたがるっていうからな。多分ここだと思ったのさ」

 え〜、ひでえ言い草じゃね?、と銀の髪の男はくくっと楽しげに喉を鳴らす。

「銀」

 十代後半のまだ幼さの残る顔を、女は眩しげに目を細めて仰ぎ見る。

 陽に焼けた自分の肌とは対照的に抜けるような白い肌と、一度気づけば誰もが囚われてしまうだろう紅い瞳を持つ男に向けて女は右手を差し伸した。

 

 ここにおりておいで。わたしの美しい銀猫ーーーーー

 

 


 

 

 いやはや人の噂などつくづくアテにならんもんだ、と土佐の男は今現在顔をつきあわせて座る長州の男に酒をつぎながらぼんやり思う。

 緻密な戦略と同時に、その老獪でえげつない戦い振りから様々な噂が飛び交ってもいたし、手を組むにあたって部下に調べさせてもいたのだが、実際顔を合わせてみたら想像に反し、まるで女のような顔をした優男だった。

 しかも自分より年下だ。

 そりゃ詐欺じゃろうが、と思わず頭を抱えて唸りたくなった。

 いったいどこの桂小太郎を調べたんだと、部下に問いただしたくなるほどにショックだった。

 まあ、報告を鵜呑みにした自分も間抜けなのだが。

 しかし、部下に調査させる前から耳にしていた噂では、桂小太郎という男は六尺を越える大男で、顔も身体も岩のようにごつく、無口で威圧感のある四十くらいの侍・・・であったのだ。

 なので部下の報告を疑う要素は全くなかったわけで。

 ・・・・いやいや。やはり物事はなんでも疑ってかかるべきぜよ。特に噂なんちゅーもんは。

 空から天人が降りてきてから既に十数年。

 天人と侍との間で攘夷戦争が勃発した時は土佐の男、坂本辰馬もまだ洟垂れ小僧で、それは長州の男、桂小太郎も同様だったろう。

 あまりにも長く続いた戦い。

 攘夷を胸に、侍の世界を守ろうと戦いを始めた者たちの殆どは姿を消し、変わって若い世代が戦場を駆けるようになってからも早や数年。戦いはさらに泥沼化の様相をみせている。

 実際、攘夷志士の中にもこの戦争を疑問視する者も出てきている。

 戦っても戦っても後から湧いて出てくる異形の天人たちとの戦いに、終わりが全く見えてこない。

 侍の世を脅かす天人たちを力でもって追い出すことこそ正義であった筈なのに、このところ状況が変わってきていることに彼らも気づき始めた。

 長く続きすぎた戦い。

 それが有利に働いたのは攘夷志士か、それとも天人か。

 おそらくその結果は遠からず見えてくるだろう。

 だからこそ、坂本は桂と手を組むために海を渡り、桂もまた、同じ攘夷志士というだけでこれまで接点のなかった坂本と会う決心をした。

「さっきから何度溜め息をついている。言いたいことがあるなら言え」

 うっとおしくてたまらん、と桂が坂本を睨む。

 床の間の前に座る坂本と桂の前では、二人の部下たちが既にかなりの酒が入って大いに盛り上がっている。

 最初はそれぞれの大将の会話に聞き耳をたてていた彼らだが、今はもう誰も聞いてはいなかった。

 今夜は無礼講だと酒を用意したのは桂であるから、いつもは規律に厳しい桂もよほどハメを外さない限りは黙認するつもりでいる。

 いやな、と坂本は首をすくめてニヤリと笑った。

「おまんが、あんまし噂とかけ離れちょったからビックリしてもうたんじゃ」

 すまんのう、と坂本は自分の首の後ろをペシペシ叩いて笑う。

「俺の噂か。いかつい大男だとでも聞いたか」

「おうその通りじゃ。なんでそないな噂が流れちょったかの〜?わしんとこのが調べても結構な歳の侍だっちゅーし」

 よほど、俺が指導者らしく見えなかったようだな、と桂は杯に口を寄せながらフッと苦笑を漏らす。

 まだ二十歳そこそこの若さに加え、艶のある長い黒髪と女のようにも見える繊細な顔立ちの男が、兵を指揮して天人と戦っているという姿はあまり想像できるものではない。

「ま、今更年が若すぎるの、なんちゃ眉ひそめるもんもおらんがろうがの」

 兵はどんどん若くなっていく。

 いつの間にやら十代の兵が続々と前線に出て戦うのが当たり前の状況となっていた。

 戦が長引けばそれも当然の成り行きなのだが。

 天人に全滅させられた隊は数知れず。今は生き残った侍たちが小規模の戦闘を繰り返しているだけであった。

 天人とまっこうから戦えるのは、もはやこの国では片手に足る部隊しか残っていない。

 その一つが土佐の坂本が率いる隊であり、長州の桂が率いる隊であった。

 中でも高杉晋助が率いる鬼兵隊の強さは噂半分としても群を抜いている。

「鬼兵隊が来てくれりゃ、戦力がさらに倍増するんじゃあのう」

 坂本の溜め息交じりのそんな呟きを耳にした桂の眉間が僅かに寄った。

「高杉が来ることはまずないな。小数精鋭がヤツの信条だ。しかも、鬼兵隊はヤツの命令しかきかん。加わってもらっても、やっかいなだけだ」

 なんじゃあ?と坂本は目をパチパチ瞬かす。

「おまん、高杉を知っとおか?」

「いや、聞いた話だけだ。戦場で鬼兵隊と遭遇したことはまだ一度もない」

 そっちは?と桂が顎をしゃくると、わしも同様だというように坂本は肩をすくめた。

「しかし、いつまでもバラバラで戦うわけにはいかんじゃろ」

 戦い慣れんもんまで前線に出てくれば、犠牲ばかり増える一方じゃ。

 いずれは鬼兵隊とも手を組んで戦わねば、天人たちにいいようにされるだけじゃ、と坂本が言うと、桂は目を伏せ押し黙った。

 しばらく無言で酒を酌み交わしていた二人だが、ふいに坂本が顔を上げポンと膝を叩いた。

「おおそうじゃ!そういやあ、ここに来ぅ途中、面白い噂を聞いたんが、おまん知っとおかな?」

 何を?と桂は目を眇めて坂本を見る。

「白夜叉じゃ」

 白夜叉?

「どこの誰かは皆知らんようなんじゃけんど、誰が言い出したか、そん男は白夜叉と呼ばれとおらしい。また聞きのまた聞きじゃっちゅうて、話してくれた男がおったんが、そりゃもう、おっとろしいくらい強い侍じゃったそうぜよ」

「夜叉と呼ばれるくらいだから、鬼のように強いとわけか。だが単なる噂だろう?」

「そう噂じゃ。噂っちゅーもんは、どこまで信じてええもんか、ほんにわしもわからんようになってもうたがな」

 なにしろ、目の前の桂小太郎に関する噂がとんでもないデタラメであったし。

 それでも男の話は坂本の興味をそそるには十分過ぎるほどだったわけで。

「天人の一個小隊を、た〜った一人であっちゅーまに片付けたっちゅーがよ。信じられん話ぜよ」

 まさに鬼人の仕業。

「噂のまた聞きのまた聞きでは殆ど信憑性はなかろう」

 天人の一個小隊をたった一人で全滅させた?そんな人間がいるわけがない。

「おまんは聞いたことがないがか?」

「知らんな。白夜叉などという名は今初めて聞いた」

 ・・・・・白夜叉、か。

「だいたい、何故”白”なんだ?」

 さあ?と坂本は首を傾げる。

「襲い掛かる天人たちの中で、そん侍だけが白く目立ったからだ・・・とかなんとか言うとったかのう?」

「白く・・?」

「まさか白装束で戦っちゅうんとは考え辛いがよ。まあ、一人で天人を全滅させたちゅうんは嘘くさいが、んでもおっとろしいくらい強かったんは間違いないぜよ」

 そう言った後「から、おしいぜよ・・・」と坂本は吐息と共に呟いた。

「もうちーっと早く、そん侍んこと知っとったら絶対仲間にいれちょったんだがに」

 え?と桂は目を見開いて問うように坂本を見た。

 いやな、と坂本は話を続ける。

「そん侍は、鬼姫っちゅー女に率いられた野武士と一緒におったらしいんじゃけんど、十日くらい前にそん連中の村が天人の襲撃を受けて全滅したそうなんじゃ。それから、まったくそん侍の姿を見んちゅーから、おそらく・・・・・」

「・・・・・・・・」

 いや、まっこと残念じゃと坂本は首を左右に振ると、手にした酒をぐいと飲み干した。

 


 

 

「桂さん!」

 突然転がるように庭に飛び込んできた侍に、桂は弾かれたように立ち上がって濡れ縁に出た。

「どうした?」

「たった今、天人の姿が里近くで目撃されたという知らせが入りました!」

「なんじゃと?天人がかや?んな情報は聞いとらんぜよ!」

 騒ぎを聞きつけてやってきた坂本が眉間に皺を寄せた。

 天人に関する情報はできる限り報告させている。

 天人の部隊は今現在この近辺にはいないはずだ。それがいつのまに里近くまで?

「いったいどこから来たがや?」

 それが・・・と侍はわけがわからないという顔で伝令から伝え聞いた話を報告する。

「どうも天人の様子がおかしいようで・・・見た者によれば、何かに怯えているような動きだったとか」

 視線が定まらずキョロキョロとあたりを見回したり、時々奇声をあげたりと不可解な動きをしていたという。

「怯えてる?天人たちが何かに追われてるとでもいうのか?」

「わかりません・・・天人以外の姿はどこにもなかったということですが」

「・・・・・」

 桂は考え込むように腕を組んで俯いた。

「なにやら奇妙な状況ぜよ。とにかく、この目で確認した方が早やか」

 坂本は言うが早いか濡れ縁から庭に下り立つ。

 そのまま駆け出そうとしている坂本に、桂は慌てて呼び止めた。

「待て坂本!一人で行く気か!?」

「心配いらんぜよう。天人とやりあうつもりはないがや。まこっと追われとお言うなら追ってるヤツらの正体を確かめておきたいがじゃ」

 で、もしそれが人間の部隊であるなら貴重な戦力になる。

「バカを言うな!危険だ!だいたい、手負いほどやっかいなものはないのだぞ!」

 大丈夫じゃき。慣れとるぜよ、と坂本は笑いながらあっという間に駆け去っていった。

 坂本ーっ!

チッ!

 短く舌打ちすると桂もまた濡れ縁から勢いよく飛び降りた。

「村の入り口に兵を待機させておいてくれ。もし万が一天人共が村まで来るようならなんとしても止めるんだ」

 一歩たりとも天人を村に入れるな!

「はっ、わかりました!すぐに村へ向います。・・・桂さんは?」

「オレは坂本の後を追う」

 言って桂は、刀を腰に差すと一人坂本の後を追っていった。

(まったく・・・噂通りの男だな、坂本辰馬という男は)

 なんでもすぐに思ったことを行動に起こす。しかも好奇心がやたら強い。

 とはいえ、桂も気にはなっていた。あの戦うことを楽しんでいるとしか思えない天人の兵が怯えて逃げ惑っているということが。

 何度も天人の兵と戦ってきたからわかる。連中は人を脅威の存在とは見ていない。

 脆くて貧弱な肉体を持った人間が、自分たちに戦いを挑もうなど片腹痛いと思っているのだ。

 たとえ自分たちの仲間が倒されても、連中は人間を恐れることは決してない。

 では、いったい天人たちは何を恐れてここまで逃げてきた?

(なんであろうと・・・天人たちが怯える存在が、我らの敵ではないとは言い切れん)

 坂本が言うように、もし人の部隊であるなら、確かに戦力にはなるのだが。

 駆けながら向けた視線の先では空が赤く染まり始めていた。

 この時期、日が落ちると一気にあたりは暗くなる。

 暗くなってから天人たちを探すのは困難であり危険だ。

 それに、村に逃げ込まれるのはなんとしても避けなければならない。

 やはり坂本を見つけて戻った方がいいだろう。

 坂本のヤツ、いったいどこに・・・と桂がその姿を探してまわりを見回した時、どこからか血の匂いが流れてきた。

 桂は緊張した表情を浮かべる。

(この匂い・・・・・)

 天人たちとの戦で何度も嗅いだことのある匂い・・・・

 流れてくる方へと歩いていくにしたがって、その匂いは強くなっていく。

 むせ返るような匂いで思わず咳き込みかけた桂は眉間の皺を深くした。

 おい・・・冗談ではないぞ。

「坂本!どこだっ!?」

「しぃっ!大声出すんじゃないきに!」

 坂本?

 足を止め、桂が声のした方を向いた途端、いきなり手首を掴まれ強く引かれて前につんのめった。

「身体を低ぅしてしゃがむんじゃ!」

「ど・・・」

 どうした?と桂が問うより早く坂本がくいと顎を動かして存在を教える。

 生臭く息がつまる匂いはその方向から漂っていた。

 既に日が落ちてあたりが暗くなりだした中、桂が目にしたのは何十体もの天人の死体だった。

 木々が生い茂る中、そこだけぽっかりと開けた場所を覆うように血まみれで倒れている、明らかに異形の天人たち。

 その天人の死体の中で唯一立っている者がいる。

 天人よりも身体が小さく、まるで人のような姿。

 薄暗くなった中で、その姿は何故か白く浮かび上がって見えた。

 夜叉じゃ、と坂本は低い声で言う。

「ありゃあ・・・白い夜叉じゃ」

「白夜叉?まさか、おまえの言ってた・・・・」

 噂の?奴は死んだのではなかったか?

「ああ・・・生きとったんじゃのお」

 しても、たまげた。噂は紛れもなく事実だったか。

 アレが噂として聞いた”夜叉”であるならば、だが。

(いやいや、確かにありゃあ”白夜叉”に違いないきに!)

 でなきゃ、あの天人どもの死体をどう説明する?

 あの白い姿は噂に聞いた通りじゃないがか。

 う〜〜と坂本は唸った。

 まっこと信じられんぜよ・・・たった一人であの数の天人を殺したって言うがか?

「天人どもが怯えながら逃げちょった相手は、白夜叉じゃったんじゃなぁ」 

 ありゃあ戦力としては申し分ないのう。なあ桂?

「あ、ああ・・・」

 そうだな・・・・

 桂の目は、天人の死体の中にいて、全く動かない白い立ち姿に釘付けとなっていた。

 あれは・・・・・まさか・・・・

「しっかし・・・マジ白ずくめぜよ。正気か?髪も・・ありゃ白・・・銀髪かや?若く見ゆーが」

 若白髪ちゅーてもなあ。ありゃ銀色に光って見えるぜよ。

 マジ綺麗じゃあ・・・なあ。

「・・・・・・・」

「なあ、桂よ。ヤツはわしらと来てくれるがかなあ」

 ちょっち声かけてみゆうか?と坂本が同意を求めるように尋ねると、隣で息をひそめていた桂が、何を思ったか突然茂みから飛び出した。

 へ?と虚を突かれた坂本はポカンと目を見開いた。そして慌てたようにバタバタと手を振り回す。

「お・・おい、桂!ちょ、待て!」

 いきなりか!いきなり突撃するがか!?

 それはちょち無謀じゃないがかあ。

 相手は夜叉と呼ばれる得体の知れない男だ。

 いきなり声をかけて相手がどう反応を返してくるか予想もつかない。

 もうちょい考えぇぇって!

「 桂ぁぁ! 

 おい、待たんか、こらあ!

 放っとくわけにもいかず、坂本も茂みから飛び出して桂の後を追った。

 鳥の声すら聞こえぬ静寂に包まれた中で大きく響き渡る坂本の声に、天人の返り血にまみれた男の顔がゆっくりと上げられた。

 男の、血に染まったかのような赤い瞳が桂小太郎の姿を捉えると、やや驚いたように瞳を瞬かせる。

 男の唇が”ヅラ?”と小さく問うように動くと、桂は緊張して溜めていた息を吐き出した。

「やはり銀時、おまえか」

「よお・・・」

 久しぶり、と桂と向き合った銀時がぼそりと呟く。

「久しぶり、じゃないぞ銀時!おまえ・・・・今までどこで何をしていたんだ?」

 違う・・・と桂は問いかけた自分をすぐに否定する。自分が銀時にこんなことを問う資格などありはしないじゃないか。

 銀時は僅かに首をかしげ、ふっと笑って溜め息をついた。

「生きてた。おまえらがさあ、生きろっつーから、ずっと生きてた」

 桂はその答えに瞳を大きく見開く。

「銀時、おまえ・・・・」

 ふっと目の前の血に染まった白い姿が前に傾いだ。

 銀時!

 ギョッとした桂は、とっさに両手を伸ばして倒れ掛かる銀時の身体を抱きとめる。

「どうした、銀時!やられたのか!?」

「・・・ねむ・・・・・」

「は?」

「・・ここんとこ、まともに寝てねーから・・・・も、目ェ開けてらんね・・え・・・」

「なんだ、そうか・・・じゃないぞ!こら、銀時!こんなとこで寝るな!寝るんじゃない!」

「てめーのせいだ、ヅラ・・・・オレは寝る・・・寝ちまうから・・・・もう・・無理・・・・・」

「銀時!」

 なんで、オレのせいだっ!

 抱きとめた銀時の身体から急速に力が抜け、その重さに桂はよろめいた。

 既に銀時は寝息をたてて起きる様子は全くなかった。

 おいおい・・・と桂はズリ落ちそうになる銀時の身体を抱えなおし途方にくれる。

 こんな、日の暮れた山ん中で寝られてオレにどうしろと・・・

「こりゃあ起きんぞ。完璧熟睡しちょる」

 ひょいと横から覗き込んできた坂本に桂は驚いた表情になった。

「さ・・坂本」

 どうやら、ついさっきまで一緒にいた坂本の存在を完全に失念していたらしい。

 それだけ意外な再会だったのだろう。

「起きるまで待っちょるわけにもいかんしのう」

 しかも、天人の死体が山になってるところにいつまでもいるわけにものう、と坂本は顎に手をかけ考え込んだ。

 とはいえ、考えたのはほんの数十秒程度。

 しょうがない、と坂本はくるりと向きを変えるとその場で膝を折った。

「わしの背にそいつをのっけ。わしがおぶうて連れて帰るが」

「それは・・・・」

 ためらう桂に坂本が、ほれ、はようせい。真っ暗になっちまうぜよと背にまわした手をくいくい動かして急かした。

「どうみても、わしの背中ん方が安定感があるじゃき、おまんの知り合いを落っことしたりはせんじゃが」

「・・・・・・」

 しばらく迷っていた桂だが、頷いて、眠っている銀時を坂本の背にのせた。

 よっ、と気合を入れた声を出して、銀時を背におぶった坂本が立ち上がった。

「んじゃ、帰るぜよ」

「ああ」

 


 

 障子が開いて、坂本が、どうじゃ?と顔を覗かせてきた。

 現在陣として使っている屋敷は、この地の庄屋のものだったが、天人の襲来で家人は一人残らず逃げ去り廃屋となって久しいものだった。

 頑丈な門と蔵、部屋数も多いのでしばらくの滞在場所として使っている。

 桂も坂本も一つところに長くいることはできず、敵の情勢によっては数日で移動することも当たり前にあった。

 それが今の彼らの戦いである。

 陣に戻った時にはもう真っ暗になっていたが、見張りの兵の前を通る時には坂本の背におぶわれた銀時の頭から桂が羽織をかぶせていたので白夜叉に気づいた者はいなかった。

 怪我人を連れ戻ったくらいにしか今は思われていないだろう。

 坂本がその方がいいと言ったからだが、本気で存在を隠しておくつもりはないらしい。

 白夜叉は得難い強力な戦力じゃからのう、と坂本は言った。

 ただ、今夜は煩くない方がいいだろうということらしい。

 銀時はずっと眠り続けている。

 本当に長い間まともに眠っていなかったのだろう。

 もともと銀時の肌は白いが、蝋燭の明かりに浮かぶ顔の色は疲労の見える青白さだった。

 血で赤く染まった着物は既に着替えさせ、今は木綿の着物を羽織らせて布団に寝かせている。

 枕元には水の張った桶が置かれていた。

 水は血を拭った布をひたされて赤く染まっている。

 部屋の中へ入ってきた坂本は膝をついて、眠る銀髪の男を覗き込んだ。

「怪我しちょったか?」

「いや。怪我らしいものはしてなかった」

 擦り傷とか打ち身程度だと聞いて坂本は目を丸くした。

「あの数の天人(いや、もっといたかもしれんが)を相手にして怪我なしっちゃあ、びっくりぜよ。おまんの知り合いは、まっこと鬼のように強いな」

 桂は苦笑する。

「昔から、むちゃくちゃで型もなにもあったもんじゃなかったが、確かに誰にも負けたことはなかったな」

 オレも、戦って勝ったことは一度もない。

「ほおが。おまんの年からいって、昔っちゅーは子供ん頃かのう。もしや幼馴染みがや?」

 桂は坂本を見、そして眠る銀時を見下ろしてから吐息を一つ吐いて、そうだと頷いた。

「奇遇じゃのう。わしが噂に聞いた白夜叉が、おまんの幼馴染みじゃったとは」

 桂は再び坂本の方を見た。

「坂本。銀時がおまえの言う白夜叉だとは限らんぞ」

 違うかもしれん。

「んなことはないじゃろうが。あれだけの天人を一人で片付けられる侍が、そうそういるわけはないぜよ」

 それに、白夜叉が野武士たちといたという村は、ここから十里と離れてないのだ。

「ま、こん”金時”が起きれば聞いてみればええじゃろう」

 銀時だ、と桂がすぐに間違いを訂正する。

「お〜お〜金時な。おまんもつもる話があんじゃろう。しばらく仲間にゃ白夜叉のことは黙っちょるから、ゆっくり話をしたらええが」

「すまんな、坂本」

 なんの、と坂本は笑って立ち上がると部屋を出て行った。

 

 

 久しぶりに懐かしい夢を見た気がした。

 暖かい背中と懐かしい声。

 揺れる身体と、耳に聞こえる生きている鼓動。

 そして、目が覚めた時、自分は布団の中にいて、見回せばそこは知らない場所だった。

 

「おお〜目が覚めちょったか!気分はどうぜよ?」

 布団から起きだし濡れ縁に腰をおろしてぼんやりしていた銀時の前に、硬そうなもじゃ頭の男が笑顔全開で現れた。

 銀時は眠そうな目で男を見やる。

「・・・・誰、あんた?」

 銀時の腕には刀が抱えられている。

 かなり使い込まれた刀のようで、坂本が銀時を背負うと、桂は大事そうに刀を抱えていた。

 その刀は、昨夜坂本が部屋を覗いた時、枕元におかれていた。

「あ〜、わしは坂本辰馬というもんじゃ。おまんの味方じゃき、安心しとおせ。桂はおらんがや?」

「ヅラ?いたのかよ?」

 ヅラっちぃ、桂のことかや?

「明け方までおまんについとった筈じゃが」

 ふ〜ん、と銀時は鼻を鳴らす。

「どこ行ったんが・・・・まあ、すぐ戻るじゃろう」

 ところで、と坂本は濡れ縁に腰かけている銀時の方にずいと身を乗り出した。

「おまん、このままわしらと一緒におる気はないがか?」

「オレに攘夷志士になれってか」

「おまんも、これ以上天人どもに好き勝手されたくはないと思うとるじゃろう」

 ヤツらは、わしら侍のプライドをズタズタにする気じゃかんのう。

 そんなことは絶対許せない。

「だから、おまんも天人を追ってたんじゃろ?」

 ちげえよ、と銀時は即座に否定する。

「ありゃ、私怨ってヤツだ。奴ら、オレの大事なもんを奪いやがったからな」

「大事なもんって、鬼姫のことがか?」

 銀時の眉が険しく吊りあがる。

「話は聞いちょる。天人どもに村を襲撃されたんやが」

「・・・・・・・・」

「よく、おまん生きちょったなぁ。村は跡形もなく破壊され焼かれたと・・・・」

 るせぇ・・・と銀時は、坂本の顔を睨みつけた。

 え?

 坂本は初めて、目の前の男の瞳が赤いことに気がつき息をのんだ。

「おまん・・・綺麗な瞳をしとるのう・・・まるで石榴(ざくろ)石じゃ」

 あぁ〜?と銀時は一瞬呆気にとられた顔をしたが、すぐに瞳を眇めて坂本を睨んだ。

「この、銀色の髪も陽に透けてごっつぅ綺麗じゃあなあ」

 坂本の伸ばした指先が髪に触れると、銀時は嫌そうに身を引いた。

「触んな。てめー、変態か?」

「変態じゃないぜよ。わしゃ、正直じゃけ、綺麗なもんは綺麗だと言うじゃき」

 当然、汚いものはちゃんと汚いと言う、と坂本は言って笑った。

 なんだ、そりゃあ?と銀時は呆れた。

「てめえ、オレを口説いてるつもり?」

「お〜よ。思いっきり口説きまくるつもりぜよ。おまんは、今のわしらにはとてつもなく貴重な存在じゃきなあ」

 そうかよ・・・と銀時は、もう坂本に関心ないというようにそっぽを向いた。

「口説きの一歩。まずはあったかい飯を持ってこようかのう。腹ば減っちょるじゃろ」

 言って坂本は、小走りに庭を抜けていった。

 途中、戻ってきた桂とすれ違いざま、軽く肩を叩く。

 銀時は桂を見ると、よ、ヅラ・・と口端を上げた。

「マジでいたんだな。オレ、あん時とにかく眠かったからよお、夢見たんじゃねーかって思った」

「・・・・・」

 桂は眉間に皺を寄せ、唇を噛んだ。

「銀時・・・・」

 なに?と銀時は刀を抱えた姿で小首をかしげた。

 それは、桂が覚えている昔の姿そのままに。

 桂の両手が銀時の頭を抱きしめるように回った。

「すまん・・・銀時・・・」

 すまん!

 

 オレは・・・おまえを置き去りにした・・・・

 松陽先生がいなくなった、あの場所に・・・!

 

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