「何をやってるんだ、銀時?」

 いつものように門をくぐった小太郎は、畑に向ってしゃがみこんでいる銀時を見つけ、首を傾げながら歩み寄った。

 火事で母屋は焼け落ち、三年近くたった今ほぼ更地となっていて、わざわざ門をくぐらなくてもどこからでも踏み入れることができるかつての松陽先生の屋敷。

 しかし、銀時も小太郎も、そして面倒くさがりの晋助でさえわざわざ門の方に回って中へと入る。

 それは、門が敬愛していた松陽先生に会うための唯一の入り口でもあったから。

「見ろよ、ヅラ。この青虫、コロコロ太ってさあ。よっぽどうめえんだな、オレの野菜」

 はあ?と小太郎は呆れたような声を出した。

「何を嬉しそうに見ている。せっかく育てた野菜を食べられているのだぞ」

「いいんだよ。どうせ、食べるのはオレ一人なんだし。半分くらいなら、虫ケラにやったって構わねえ」

 小太郎は溜め息をつく。

「まあ、おまえがそれでいいなら構わないがな」

 言って小太郎は手に提げていた風呂敷包みを銀時の方に、ほらと差し出した。

「今日は墓参りの日だから、母上がお供え用に餡餅を作った。おまえにもお裾分けだ」

「餡餅!」

 銀時は目を輝かせて立ち上がると、満面笑みを浮かべて包みを受け取った。

 ズシリとした重さから、お裾分けというには十分過ぎる量が詰められていると知れる。

 小太郎の母は、銀時が甘いもの好きなのを知っているから多めに入れてくれたのだろう。

 かつて、銀時と一緒に松陽先生の教えを受けた塾生たちの親は、たいてい銀時の見かけに眉をひそめ関わろうとはしなかったが、小太郎の母親だけはなにかと気をつかってくれた。

 多分、小太郎の母親が松陽先生の幼馴染みだという関係だったからかもしれないが。

 彼女は銀時のことを、幼馴染みの養い子と思っていて、自分のもう一人の息子のように思ってくれていた。

 ただ、身体が弱いせいで、あまり外に出られないので、常に息子の小太郎に様子を見にいかせている。

 小太郎も銀時のことは友達だと思っていたので、別に母親の使いだけが理由で足しげくやって来るわけではなかったが。

 茶っ葉も新しいの持ってきたから、と小太郎は、大事そうに餡餅を抱えた銀時と一緒に小屋へ入っていった。

 小太郎が茶を入れている間に、銀時は早速餡餅を口に入れていた。

「うま〜い。ヅラの母ちゃん、マジで料理うまいよなあ」

「ヅラではない。ちゃんと名前を呼べ」

 小太郎はむっとした顔で、銀時の前に湯呑みを置く。

 しかし、晋助もだが、何度訂正しても呼び方を変えないので、言っても意味はない。

 だいたい、名前が”桂(かつら)”だからヅラというのは愛称としても情けない。

 それでも、小太郎自身が本気で怒ってやめさせないのだから、二人が呼び方を変えないのはしょーがなかった。

 呼ばれるたびに訂正しても、実際は黙認しているようなものだ。

「最近、高杉が来たか?」

 小太郎が聞くと、銀時は餡餅を頬張ったまま首を振った。

 湯呑みを手にとって、お茶で口の中の餡餅を飲み込む。

「先月の終わりくらいに、ちょっと顔見たくらいだぜ。何あいつ、そんなに忙しいのか?」

「まあ、城に上がっていろいろあるんだろうけどな。それに、来年は元服だし」

「元服・・・そうかあ、大人になるわけね。あいつ、前髪剃っちゃうのか?」

「最近は元服しても、必ず髪切らないといけないわけじゃないから。高杉はあのままだろ」

「そうだよなあ。あいつ、髪だけは綺麗だから、切ったり剃ったりしたらもったいねえ」

 今銀時の目の前にいる小太郎も、女も羨む綺麗な黒髪を一つに束ね背中に流している。

 自分の、あちこち跳ね回っているクセ毛とは全く質が違う。

 腹立つくらい羨ましい。

「おまえも元服すんの?」

「いや、オレは高杉の家みたいじゃないからな。改まって元服というのはないが。でもオレももう十五だし、将来のことを考えないといけないがな」

「将来って・・・やっぱり医者になんのか、ヅラ?」

「親はそのつもりだが、オレはまだ決めてない。それよりも、オレはもっと勉強したい。近いうちに、長崎へ行こうと思ってる」

「長崎?」

「蘭学を学びたい。長崎には珍しい本が一杯あるっていうし。なあ、銀時。オレと一緒に長崎へ行かないか?」

「え、オレも?」

「長崎にはカステーラとか、オレたちが見たこともないようなお菓子がたくさんあるっていうぜ」

 見たことのない菓子と聞いて、銀時は赤い目を輝かせた。

「すぐにってわけじゃないから、よく考えておけ、銀時」

 わかった、と銀時は頷く。

「高杉は行かないかなあ」

 高杉は・・・と言いかけて小太郎は考え込んだ。

「そうだな・・・あいつもここを出た方がいいかもしれないな」

 何か起こる前に。

「なんだよ?あいつ、何かあるわけ?」

「あ・・ああ、ちょっとな・・・・・詳しくは知らないが、なんか父親とうまくいってないみたいだ」

 あの性格だからな、と小太郎が言うと銀時は、ああと納得がいったような顔をする。

 高杉は昔から性格がきつく、トラブルが絶えないところがあった。

 親とのいさかいも、実際昔からで珍しいことではない。

 一応つるんではいる銀時や小太郎とでさえも喧嘩することがよくあった。

 それでも、今もつきあいが続いているのは、三人とも何故かウマが合うからだ。

 晋助が唯一従順だったのは、松陽先生だけだった。

 

 

 

 くそっ、くそっ!

 晋助は、重い身体をひきずるようにして暗い道を歩き続けた。

 苦痛に顔を歪め、歯を食いしばり、時々悪態をつきながら先に進む。

 両手できつく押さえた腹部からは血が絶え間なく流れていた。

 くそおっ!死んでたまるもんか!あんなクソ親父のせいで!

 

 死んでくれ、晋助!おまえが死なねば、この高杉の家は崩壊するのだ!

 

 ふざけんなよ!オレは人身御供かよ!

 

 父親に呼ばれ話をしていた晋助は、突然激昂した父親に刀で腹を刺された。

 殺すつもりで狙われたのは心臓だったが、かろうじて避けた晋助は、とっさに父親の脇差を抜いて下から斜めに切り裂いた。

 父親は血しぶきを上げて倒れた。

 死んだかどうかは、すぐにその場から逃げたので晋助にはわからない。

 踏み込みが浅かったから、死んではいないかもしれない。

 あんな奴、死んだって構わないが。

 くっ・・と晋助は唇を噛んだ。足が止まる。

 狙いをそらしたとはいっても、結局急所をやられ出血が止まらない。

 医者に駆け込んでも自分は助かりはしないだろう。

 晋助はガクリと膝を折り、その場に座り込んだ。

 出血とともに力が抜けていく。

 死ぬのか、オレ・・・このまま、一人で・・・・

 晋助はふっと息を吐いて暗い空を見上げた。

 さっきまで見えていた月が雲に隠れ、黒い雲が空を覆い始めていた。

 稲妻が空を走る。

 オレの上に落ちてくれねえかなあ。雷に打たれたら、あっさり逝けるかも。

 晋助は地面に座ったまま目を閉じた。

 瞼の裏に、切り裂くような光を感じる。

 そして。

 

 

 ひゃっ!と銀時は稲妻の光の後に轟いた雷鳴に首をすくめた。

「すんげえなあ。もしかして、今のどっかに落ちたか?」

 雨の音はまだ聞こえないが、すぐにも激しい雨が降り出してきそうな気配だ。

「頼むからここに落ちてくれるなよなあ」

 雷が落ちて、この小屋まで燃えてしまえば、もう銀時が落ち着ける場所はなくなってしまう。

「銀時・・・・」

 窓から外の様子をぼんやりと眺めていた銀時は、突然名前を呼ばれ、え?と振り向いた。

 いつ木戸が開いて入ってきたのか、そこに見知った男がまるで幽霊のように立っていたのを見て銀時は驚いた。

「た・・高杉?」

 驚きすぎて、やや声が裏返る。

 久しぶりに姿を見せた高杉が、あまりにも異常な姿だったので、銀時はすぐには言葉が出てこなかった。

 しかも。

 蝋燭の灯りだけなので、高杉の深緑色の着物の腹部あたりが汚れのように黒く染まって見えるが、明らかに血の匂いがした。

「怪我してんのかよ、高杉!」

「ちょっと転んだ」

「転んだって、おまえ・・・・」

 んなわけあるか!どう見たって重傷に見えっぞ!

「傷見せろよ!傷!手当てするから!」

 それとも、医者連れてきた方がいいか?

 銀時は怒ったように眦を吊り上げると、晋助の腕を掴んで小屋の中に上げた。

 見れば晋助は素足だ。

 草履も履いていない白い素足が土に汚れ、ところどころ血が滲んでいた。

 いったい何があったんだ?

「んだよ。たいしたことねえって。派手に出血してっけど、擦り傷程度だ」

「擦り傷程度でそんなに真っ赤になるかよ!おまえ、どんだけ血の匂い振りまいてるかわかってっか?」

「大丈夫だ」

 晋助は掴まれていない手で、銀時の肩を掴んだ。

 まだ少年の華奢な肩が晋助の刀を持つ手につかまれ、痛みに眉をしかめる。

「おめえがいれば、こんな傷なんかなんでもねえ」

「オレは医者じゃねえから、たいした手当てはできねえぞ?」

「手当てなんかいらねえ」

 言って晋助は銀時の身体に抱きついた。

 いきなり体重をかけられた銀時は、晋助の身体を支えきれず尻餅をついた。

「いってえ・・・」

 思いっきり腰を打ちつけた銀時は涙目で、自分の腹にある晋助の頭を睨んだ。

「やっぱりおめえ、キツイんじゃねえの?」

「だから、たいしたことねえって言ってんだろが、銀時ぃ」

 腹から顔を上げた晋助はニィと笑うと、銀時の肩を押して仰向けに倒した。

「お・・おい、高杉?」

 銀時は、自分の上に馬乗りになった晋助の顔を見上げる。

 なんで、こうなるんだ?

 確かに本人が言ってる通り、怪我はたいしたことはなく、こいつは自分を驚かしに来たのではないかと銀時は疑い始めた。

「傷、見たきゃ見せてやるよ」

 晋助は、馬乗りになったまま銀時の顔を見下ろしニヤリと笑った。

 帯を解き、晋助は前を肌蹴て自分の腹部を銀時にさらした。

「た・・高杉!その傷・・・!」

 腹の皮膚がぱっくりと裂けて、内臓が飛び出しかけているのを見て、銀時は思わず出かかった悲鳴を飲み込む。

 晋助は、くくくと喉で笑った。

「どうしたよ、銀時?おめえの方が痛そうだなあ」

「おまえ・・・平気なのか、それ・・?」

 急所やられてんじゃねえか?なんで、そんなに平気な顔してんだ?

「ああ、心配ねえって。傷はこれ以上ひどくはなんねえし、血も出ねえ」

 オレは守られてっからな。

「守られてるって・・誰に?」

「わかんねえけど、人じゃねえのは確かだな」

 もしかしたら、あやかしの類かもしんねえなあ、と晋助は冗談のように言って銀時を怯えさせた。

 なんだよ、これ?こいつ、ほんとに高杉か?

 晋助は、銀時を押さえつけたまま、直接腹に帯をぐるぐる巻きにして傷を隠した。

「・・・・何があった、高杉?」

 なにも、と晋助は答えると、身体を倒し銀時の両の二の腕をおさえつけた。

「おい・・・離せよ。何する気だ?」

「本能がさ・・・」

「あ?」

「本能がオレに訴えかけるんだよ」

 何を?と言いかけた唇が晋助の唇に塞がれる。

 銀時は赤い瞳を大きく見開いた。

 重なっただけでなく、唇を割られて晋助の熱い舌が入り込んでくる。

「んんっ!」

 銀時は驚いて足をバタつかせるが、体勢が悪すぎて起き上がることも出来ない。

 口内を舌に蹂躙され、銀時は呻くが、初めての経験ではどう対処していいのかわからなかった。

「銀時ぃ〜一つなろうぜ」

 

 高杉っ!

 

 

 

「銀時!」

 三日振りに銀時のもとを訪れた小太郎は、昼を過ぎているというのに布団にもぐりこんでいる幼馴染みに驚いた。

 ここ最近、銀時の姿が見えないという話を聞いて、心配になってやってきた小太郎であったが。

 もし母が銀時のことを耳にしていなければ、小太郎はまだ家から一歩も出られなかった所だ。

 父親を説得してくれた母に大感謝だ。

「ああ・・ズラ〜?」

 頭からすっぽり被っていた掛け布団から、亀のようにもぞもぞと顔を出した銀時が小太郎の顔を見上げる。

 声を出すのも辛そうなかすれた声。

「風邪か、銀時?」

「あ・・まあ、そうみてえ」

 喉いてえし、身体だりぃし。

「すまん、銀時。おまえがそんな状態なのにずっと来られなくて」

 いいけどお、と銀時は小さく息を吐いた。

 熱は?と小太郎は枕元に座ると、布団から顔を出した銀時の額に手を当てた。

 ひんやりした手の感触に、銀時は気持ち良さげに目を細める。

 少し熱い感じはするが、それほど高くはなく小太郎は安堵した。

 ひどければ、父親は無理でも知り合いの医者を引っ張ってこようと思ったが、これなら安静にしてるだけで大丈夫だろう。

「おまえ、忙しいんじゃねえの?」

 三日も顔見せないというのは、これまでになかったことだし。

 もっとも、昨日までは熱で頭はぼお〜としてるし、時間の感覚がまるでなかった。

 今朝、ようやく頭の中が晴れた感じで、そういやヅラ来てねえな、と初めて気がついたくらいだ。

「別に忙しくて来れなかったわけじゃ・・・」

 答えて、小太郎は眉間に皺を寄せる。

「・・・なんだよ?」

 銀時、としばらく考え込むようだった小太郎が口を開く。

「高杉が来なかったか?」

 銀時の表情が瞬間しかめられたのを見て、小太郎は、やはり・・と溜め息をついた。

「なに?あいつ、なんかしたか?」

「高杉はおまえに何も言わなかったか?」

「あいつは・・・・いきなり来ていきなり出てった」

「どんな様子だった?おかしくはなかったか?」

「あいつはいつだって変だ」

 銀時は口をムゥと尖らせて小太郎の顔を見やる。

「高杉の奴・・・三日前に父親を斬って家を飛び出したんだ」

 え?と銀時の赤い瞳が瞬く。

「父親との口論が日ごと激しくなるんで、家の者は心配していたようなんだが」

 ついに、あんなことを。

「高杉が、父親を斬った?それって、マジ?」

「本当だ。幸い傷は致命傷にならず助かったみたいだが」

 助かったのか。でも、高杉が受けた傷は、間違いなく致命傷だった。

「おい、ヅラ・・・おまえ、それ信じてる?」

「信じるも何も、事実だからな。何があったかは知らないが、高杉は父親を斬りつけて行方をくらませた」

「・・・・・・」

 あの傷でここまできた高杉だ。

 あの時は出血は止まっていたが、家を飛び出した時はかなり出血していた筈。

(ああ、そういや、あの夜はすげえ雨が降ってたなあ)

 雨は一晩中降ってたみたいだから、血の跡は全部消されただろう。

「高杉の家は、もうあいつを高杉の者とは認めないと言っているみたいだ。行方を探すこともしないって」

「当主を斬り付けたのに探さないって・・・なんかもう、高杉が生きてないって思ってるみたいだな・・・・」

「それはないだろうけど・・・やっぱり、血の繋がった息子だから」

「・・・・・・・」

 高杉の父親がそういう感情を持つだろうか。

 やっぱり、高杉は死んだと思ってるんじゃないか。

(あの傷を受けて、生きてるって思う方がおかしいよなあ)

 あの夜、銀時は意識を失って、気づいたら高杉の姿はなかった。

 それから約三日、起き上がることもできなかった。

「ヅラ・・・なんか食うもんねえ?」

 小太郎は、あっという表情をすると、懐から竹の皮に包まれた握り飯を出した。

「時間なかったから、こんなのしか持ってこれなかったけど」

 食えるか?と小太郎が聞くと、銀時は食えると答えた。

 小太郎は竹の皮を開いて、握り飯を一個銀時の手に渡した。

 銀時は、海苔も巻いてないただの塩むすびを、寝たままパクリとかじりついた。

 口に食べ物を入れたのは、ほぼ三日振りだった。

 小屋の中に食べるものが全くないわけではなかったが、とにかく身体が動かなかったのだ。

 這うのも面倒と思うくらいに。

「銀時・・・またしばらくここには来れないかもしれない」

 銀時はお握りを食べながら、小太郎の方に顔を向ける。

「高杉のとばっちりというか・・・オレも高杉と同じことを考えてるんじゃないかと疑われてる」

「なんだよ、それ?」

「高杉の奴、こっそり攘夷志士と会ってたらしいんだ」

 攘夷志士・・・・

 江戸城が天人の攻撃を受け陥落したという話は江戸から遠く離れた場所にも聞こえてくる。

 幕府は天人に負け、侍から刀を奪おうとしていることも。

 侍の世界を守ろうと戦いを始めた攘夷志士たちは、今や幕府の敵扱いだ。

「父親との言い争いの原因はきっとそれなんだろうが、おかげでオレも見張りつきでないと外にも出られない」

「見張りって・・・外か?」

「小屋の外にいる。父の弟子だ」

 全く・・・と小太郎は目を伏せ、深く息を吐いた。

「ヅラ・・・オレのことはいいぜ。明日には起きられっから」

「本当に大丈夫か、銀時?」

 平気だ、と銀時は言ってから、右手を伸ばす。

「メシ」

 小太郎は、ああ、と握り飯をまた一つ取って銀時に渡した。

(・・・・・ん?)

 握り飯を伸ばされた銀時の手に渡すとき、小太郎は肌蹴た襟元から見えた痣に目をとめた。

「何?首んとこ・・・・痣?」

「ん?」

 気づいていなかったのか、銀時は小太郎の指摘した痣を見ようとしたが、位置的に見ることはできなかった。

 鏡があれば確かめられるが、小屋にはそんなものはない。

「・・・・・わかんね」

 銀時はどうでもいいという顔で呟くと、握り飯にかじりついた。

 

 

 小太郎が次に銀時のもとに姿を見せたのは、それから一週間ほどたってからだった。

 銀時、と呼ぶと、小屋の屋根にのぼって昼寝としゃれこんでいた銀時がムクリと起き上がって下を覗き込んできた。

 日の光があたって、銀時の銀の髪がキラキラしている。

 銀時の銀髪を気味悪がる者もいるが、小太郎は陽に透ける銀の髪は綺麗だと思うし、気味が悪いと思ったことはただの一度もない。

「なに?ヅラ、今日は一人かよ?」

 一週間前は父親に見張りをつけられていた小太郎だが、今日は見張りの姿はどこにも見えなかった。

 小太郎は、それには答えず、銀時に向けて右手を差し上げる。

「母に重箱持たされた。食べるか?」

 見ると、小太郎の手には重そうな荷物がある。

 重箱というなら三段か。銀時の瞳が喜色に輝く。

「食う!」

 銀時は叫ぶと、屋根からピョンと飛び降りた。

 小屋のまわりは枯葉がびっしりと積もり、飛び降りても足に衝撃はあまり感じない。

 銀時は、小太郎から重箱の包みを受け取ると、小屋ではなく黄色く色づいた銀杏の木の下に座り込んだ。

「中で食べないのか?」

「天気がいいから外で食べる」

 一緒に食べようぜ、と銀時が言うと、小太郎は肩をすくめ、銀髪の幼馴染みの隣に腰を下ろした。

「おお〜vだし巻き卵が入ってる!あと、鳥肉の煮付けとご飯は炊き込みかあ」

 重箱を開けた銀時は歓声を上げ、すぐに箸で摘んで口に運んでいった。

 弁当を作った母親は、二人で食べられるように箸を二膳用意していたし、おかずも多めに入れてくれていた。

 小太郎は、銀時と一緒に母の手作り弁当を摘んだ。

「銀時。実は、来週父上の使いで京にいる叔父の所へ行くことになった」

「京へ?」

「うん。だから、しばらく、ここには来れない」

「そうか・・・・」

「正月までに戻るのは無理だけど、でも、帰ってきたら一緒に祝おう。土産を一杯買ってくるから」

「京の土産っつったら、やっぱ和菓子かなあ。八つ橋とか」

 話には聞いたことがあっても、実際に食べたことは勿論、見たこともない。

 だが、食べるのが惜しいくらい綺麗な和菓子や、上品な餡が詰まった餅があるという。

「舞妓より菓子か、おまえは」

「オレは花より団子派なんだよ。っつっても、舞妓にも興味あんぜ?」

 男だから当然。

「どんなのかしんねーけど、すげえ可愛いってっからなあ」

 一度は見てみたい。

「やっぱ祇園とか行くのか」

 遊びに行くわけではない、と小太郎はピシリと言う。

「叔父は若い頃、長崎で医術を学んだことがあるから、いろいろ話も聞けるから楽しみだが」

「長崎・・・今も行く気なんか、ヅラ?」

「当たり前だ。おまえも絶対来いよ、銀時」

「・・・・・・・」

 銀時はう〜んと小さく唸り、サツマイモの甘煮をパクンと口に入れる。

 それに、と小太郎は話を続けた。

「もしかしたら、高杉は京にいるかもしれない」

 もくもくと重箱を突付いていた銀時が顔を上げる。

「高杉が?」

「ああ。ずっと行方がわからなかった高杉だが、京で似た奴を見たって話を聞いた」

 高杉の家の者は、人違いだと相手にしてなかったが。

「ほんとに高杉なら、絶対に萩に連れ戻す。で、また三人で正月を祝おう」

 小さい頃から、毎年三人一緒に初日の出を見て正月を祝ってきた。

 出会ってから、一度だって欠かさなかった。松陽先生が亡くなってからも。

 

 また三人一緒に。

 

 

 

 銀時は、ポツンと残された吉田家の門にもたれながら、チラチラと降り続く雪をじっと眺めていた。

 小太郎が京に旅立った時は、まだ紅葉が残る時期だったが、今はもう葉を全て落とし、神経のような枝だけを残した木々が雪を被っている。

 年はとうに明け、早や立春も過ぎた。

 小太郎は、まだ萩に戻ってきてはいない。

 小太郎の家の使用人が、奥方さまの使いだと何度か銀時のもとへ来たが、先日彼は、小太郎はもう萩には戻ってこないと銀時に告げた。

 小太郎はしばらく叔父のいる京都にとどまり、来年には横浜へ、そして異国へ留学ということになるだろうと。

 長崎じゃなく、横浜かよ。

 確かに、最近では長崎より横浜に商人や知識人が集まり栄えているという。

 銀時は、止むことなく降り続く白い雪を見つめながら深々と溜め息をついた。

「何やってんだろうなあ、オレは・・・・」

 自分をこの場所へ連れてきてくれた松陽先生はもういない。

 そして、いつもそばにいた高杉晋助も桂小太郎もいない。

「オレがここに残る理由なんて、もうどこにもねーじゃねえか」

 んー、と銀時は雪が積もった自分の銀髪を、指でガシガシとかき回した。

 何やってんだよ、ったく・・・・

 銀時はもう一度同じ呟きを漏らすと、ズルズルともたれたまま腰を落とし、その場にうずくまるように座り込んだ。

 

 小太郎が、雪の日に銀時がもたれて立っていた門の前に立ったのは、桜の花が満開の、日差しの暖かい昼下がりだった。

 京からようやく戻った時、銀時の姿は萩から消えていた。

 銀時が住んでいた小屋は、銀時自身が萩を出る時に火をつけ燃やしたという。

 小太郎が行った時は、既に片付けられ何も残されていなかった。

 ただ一つ、あの日、焼け残った門だけがそこにまだあった。

「・・・・・銀時」

 

 

 

 三日に一度、大切だった人との思い出に浸るために訪れる場所に見慣れない男の姿を認め、女は眉をひそめた。

 旅人はおろか、土地の者もめったに立ち入らないこの場所に、いったい誰だ?と女は眉間を寄せながら近づく。

 男が膝を抱えて座り込んでいる場所には墓があった。

 名前も何も刻まれていないただの石があるだけだが、それは女にとって大切な人の墓だった。

 銀髪?

 遠目だが若い印象に見えたのだが、女の目に映ったのは銀髪であった。

 老人なら乱暴に追い立てるのは気の毒だ。

 しかし、膝を抱く手は老人のものではなく若々しかった。

 女が墓を背に膝を抱えて座る男の前に立つと、男は伏せていた顔をゆっくり上げた。

 思った通り、男は若かった。

 それも、どう見てもまだ十代半ばの子供だ。

 そして、女を見るその瞳に、彼女は息を飲んだ。

 血の色にも似た赤い双眸。

 じっと立って自分を見下ろす女に、銀髪の男は何?って顔をする。

 その表情がまだ本当に幼くて、女は思わず笑みをこぼしそうになった。

「そこ、どいてくれないか。墓なんだが」

「墓・・・?」

 えっ、墓!

 銀髪の子供はびっくりしたように振り返り、その場から飛びのいた。

「ご・・ごめん!墓ってわからなかったから・・・」

 まじぃ・・・思いっきりもたれちまった!

「あ、ああ・・そんな慌てなくていい。名前も彫ってないし、知らない人間にはただの石だ」

「でも・・・お姉さんの知り合いの墓なんだろ」

 若い男の子に、お姉さんと呼ばれるのは初めてで、女は苦笑する。

「わたしの夫だ」

 銀髪の子供は、うわあっと叫んで、申し訳ないというように石に向って手を合わせた。

 本当にまだ子供だ。しかも実に可愛らしい。

(雪のような銀髪に赤い瞳の少年・・・・)

「一人なのか?」

 女が問うと、少年はコクンと頷く。

 と、いきなり少年の腹の虫が大きく鳴き出した。

「腹が減ってるのか」

 少年が頷くのを見てから、女は懐にしまっていた包みを取り出し開いた。

「供えようと持ってきた饅頭だ。食べるか?」

 えっ?と少年は赤い瞳を瞬かせ、いいの?と目の前にしゃがみこんだ女の顔を問うように見つめる。

「構わない。どうせ、供えてもカラスか野良犬が食うだけだ。饅頭は嫌いか?」

 メシの方がいいなら、村に戻ればあるが。

「好物!」

 銀髪の子供は、嬉しそうな顔をすると、竹の皮に包まれた饅頭の一個を掴んでかぶりついた。

「全部おまえにやるから、ゆっくり食べろ」

 コクコクと何度も頷きながら、少年は口いっぱいに饅頭を頬張った。

 女は、しばらく饅頭を食べる少年を眺めた。

「どこから来たんだ、坊や」

「銀時。坂田銀時」

 坊やと呼ぶのが気に入らなかったのか、即座に名前を名乗った少年に女は笑った。

「そうか、銀時か」

 女の綺麗な笑顔に、銀時は瞬間見惚れた。

 女は、銀時が見たことがないほど美しい女だった。

「わたしは、鬼姫だ」