ちっちゃな約束(後編)

 

 高木刑事から“翠の夢”と呼ばれるエメラルドのことと、キッドから届いたという予告状の詳しい話を聞いた平次は、とりあえず少女を無事に保護したことを大阪にいる母親に伝えた。

 本当ならそのまま連れて戻るべきなのだろうが、怪盗キッドが狙っているのが毬乃の父親が所持していたものだとわかっては知らん振りして帰るわけにはいかず、そのことも一緒に伝えると平次はその夜はホテルに泊まることにした。

 翌朝ホテルで朝食をとった後、平次は前日コナンと別れる時に約束した通り毬乃を連れて阿笠博士の家に向かった。

 行くのは初めてだが、だいたいの場所は聞いていたので迷うことなく阿笠邸につく。

 そこは閑静な高級住宅地で目を瞠るような家がいくつも並んでいたが、阿笠邸もかなり広い土地に建てられていた。

 なんか、どっかで見たことあるなァと首を捻れば、なんのことはない、昔みたアニメでやはり風変わりな科学者が住んでいた家に似ていたのである。

 平次はふと隣の家に目を向けた。

 阿笠邸の隣は、あの工藤新一の家だということを平次は蘭からも聞いて知っていた。

 工藤邸は大きな古い洋館だった。

 うっそうと茂った木々の合間から覗く館は、そこだけ見ればどこか日本とは別次元のような印象を受ける。

 東京の住宅事情は大阪よりも厳しいとは聞いているが、しかしこの一帯の住宅を見れば庶民の感覚からは大きくズレてんなあと平次の口からつい溜息が漏れ出る。

 こんなデカイ洋館に、あの工藤新一は両親がロスに移った後ずっと一人で暮らしていたのだ。

 呼び鈴を鳴らすと阿笠博士はすぐに顔を出し平次と少女を中へ招き入れた。

「あいつは?まだなんか?」

 ここへ来るように言ったのはコナンだから、先にここへ来て待っていると思ったのだが、姿が見えないので平次が阿笠に訊いた。

「新一君は二階じゃよ。その子も連れてくるよう言っとった」

 平次はわかったというようにうなずくと、毬乃を連れて階段を上っていった。

 新一・・・隣同士で子供の頃から知っている阿笠だからそう呼んだのだと平次は思った。江戸川コナンという子供の、それが本当の名前だから。

 本名を呼んでもらえないというのはどういう気分なのだろう。

 事情を知っている阿笠だからこそ“新一”と呼び、平次もあの子供を“工藤”と呼ぶ。

 コナンと呼べるわけはない。

 あの子供が、自分と並ぶ東の高校生探偵であることを知っているから。

 本当は何も知らない人間の前で呼んではならない名前なのだろうが。

 平次が工藤と呼ぶと、咎めるように睨んでくる子供。

 それを面白がってる所がないとは言えない平次だが、常に対等な立場にいたいと思っているのも確か。

「入るで」

 阿笠から教えられた部屋の扉を一応ノックし、声をかけてから平次はノブを回し押し開ける。

 部屋の中で平次たちを待っているのは江戸川コナンと名乗っている小さな子供の筈だった。

 どうしても毬乃から依頼の内容を聞き出さなくてはならないという意見は一致しているから東京に残った。

 昨夜、平次はホテルの部屋で少女に依頼内容を教えてくれないかと頼んでみたのだが、結局ダメだった。

 少女の口は思いのほか堅い。

 それだけ少女にとって重大なことなのだろう。

 どうやってそれを聞き出すか。実際簡単なことではない。脅して聞き出すわけにもいかないのだから。

 よお、待ってたと部屋の中にいた人物が入ってきた平次に向けて笑いかける。

「く・・工藤!?」

 その人物を見た途端平次の瞳が驚愕に大きく見開かれた。

 毬乃も驚いたようだが、その顔は会いたい人物に会えたことで嬉しそうだった。

 白い綿のシャツに濃紺のジーンズを身につけた少年。

 平次はこの東京で2度会ったことがある。

 どちらも殺人事件の捜査の中であったが。

 サッカー少年だというには色白で、髪は漆黒、瞳は間近で覗き込んで初めてわかる深い蒼。純粋な日本人ではないのだろう。だが、瞳の色はよく見なければ黒にしか見えないし、外見に混血など感じられないから気づいた人間は少ないかもしれない。

 しかし、彼の母親である有希子の家系を調べれば何代か前に英国人がいたことがすぐにわかるから、その綺麗に整った顔立ちに誰もがああ成る程と納得するだろう。

 実際、昔彼女が人気女優だった頃にそのことを書いた週刊誌があった。

 だが、彼女が結婚で芸能界を引退し完全に世間から姿を消してからはもう記事になることはなかったし、工藤新一が探偵として有名になっても両親のことは世界的に有名な推理作家と元美人女優と書くだけに留まっていたから知っている者は殆どいない。

 もっとも、工藤にしてみればそんなことはどうでもいいことなのだろうが。

 しかし、シャーロック・ホームズに心酔し、偽名にコナンとつける所なんかは、僅かに自分の中に流れる英国人の血のせいとも言えなくもない。

「なんで・・・・」

 工藤新一は困惑している平次に向けてチラッと視線を流しただけで、すぐに毬乃の方に腰をかがめた。

「やあ。遠い所から一人で大変だったね」

「お兄ちゃんが工藤新一?」

「そうだよ」

 毬乃はちょっと戸惑ったように瞳を瞬かせて新一を見つめた。

 優しそうに微笑む少年の顔は間違いなくクリスマスの夜に会った人だと思うものの、何故か違うようにも思えたのだ。

 あの人も優しそうに笑ってくれたが、その笑みは身近に感じられるような本当に『お兄ちゃん』という印象だった。なのに、今自分に向けて微笑んでいる少年は綺麗すぎて、どこか印象が異なる。

 新一は毬乃に向けてニッコリと笑った。

「ああ、気がついたんだね。そうなんだ。毬乃ちゃんがクリスマスに会った工藤新一は僕じゃない」

「ええっ?じゃあ・・・」

「人違いしたんや、毬乃。こっちがホンマもんの工藤新一や」

「その人、僕に似てたのかい?」

「そっくりだった!あ、髪の感じはちょっと違ったかもしれないけど・・・・」

 どうしよう・・・と今度は不安そうに毬乃は顔をしかめる。

 彼が本当に工藤新一なら自分は全くの別人に秘密を打ち明けてしまったことになるのだ。

「毬乃ちゃんから見てその人は悪い印象じゃなかった?」

「・・・・・うん」

「毬乃ちゃんの話を真剣に聞いてくれたんだね?」

「うん。大丈夫だから・・・心配しなくてもちゃんと最もいい方法で解決して上げるからって言ってくれたの」

「そう。だったら気にすることはないよ。その人は毬乃ちゃんをからかったんじゃなく、本気で相談にのってくれたんだと思うから」

「ほんとに?」

「ああ」

 新一は少女の瞳をまっすぐに見つめて頷く。

 毬乃が会った、工藤新一に似た少年が誰なのかはわからないが、決していい加減ではなかったと新一には思えた。

 いい加減な人間なら、雪が降りだした凍えるような寒い夜に、明らかに人違いだとわかる小さな子供の話を最後まで聞くなんてことはしないだろう。

 それにその時だけの約束だとしても、その人物は少女を安心させる言葉を与えている。少なくとも、そこに悪意は感じられなかった。

「毬乃ちゃん。僕を信じてくれるなら、君が抱えている問題を話してくれるかい?」

「毬乃を助けてくれる?」

「勿論できる限りのことはするよ。平次兄ちゃんも君を助けてくれる。誰にも言わないで欲しいなら、僕も彼もそう約束するから」

 少女は新一と平次の顔を交互に見つめるとコクンと小さく頷いた。

 

 

 毬乃を連れて一階に降りた平次は、いつのまにやら賑やかになっていることにびっくりする。

「兄ちゃんが大阪から来た探偵かあ?怪盗キッドともやりあったんだろう。すげえよなあ」

 阿笠博士のまわりをわいわいと囲んでいた子供たちの中で、一番身体の大きな少年が平次に話しかけてきた。

「あ、その子ですね。大阪から一人で来たって女の子」

「きゃあ、可愛い!お人形さんみたいvあたし、歩美って言うの。よろしく」

 小さな男の子と女の子が平次の背中に隠れるようにして立つ毬乃に話しかけた。

「あたしたち、コナンくんの友達なの」

「コナンくんの・・?」

「コナンくん、今日用事があって出かけちゃったんだって」

「ホントは今日一緒に遊ぶ約束してたんだけどさあ」

「彼の場合こういうことって、ちょくちょくありますからねえ。もう怒る気にもなれませんよ。 毛利さんちに行ったら、蘭さんからあなたのことを聞いたんです。で、お友達になれたらなあと思ってこうして来たってわけです」

「もしかして・・・少年探偵団っちゅうのんは、おまえらか?」

「ピンポ〜ン!いくつもの難事件を解決した正義の味方、少年探偵団というのは僕たちで〜す!」

 ハ・・・さいでっか・・・・

 コナンにくっついて時々事件現場をチョロチョロしてるチビ共がいるということは聞いていたが会うのは初めてという平次だった。

 こんなチビ達を危険な目に遭わせたくはねえんだけどよ、とコナンがグチっていたのを耳にしたことがある。

 しかし、いくら中身が高校生でも見かけが小さな子供じゃ、そりゃ自分たちもってことになるだろう。

 それでなくとも、好奇心旺盛なチビたちのようだし。

「少年探偵団?」

 毬乃が興味をそそられたように平次の後ろから顔を覗かせた。

「コナンくんもメンバーなの。あたし達で強盗団を捕まえたこともあるし、TWO-MIXのみなみちゃん達を助けたこともあるんだよ」

「僕たちの活躍をお聞かせしましょうか?」

「うん!聞きたい!」

 毬乃は期待に頬を染めると平次から離れて子供たちの中へ入っていった。

「へえ、毬乃ちゃんっていうんですか。可愛い名前ですね。僕は光彦っていうんです」

「あ、オレ元太!」

 わいわいと子供同士で楽しく交流を始めた様子に、平次はホッとする。

 ずっと毬乃についててやるわけにはいかない状況になってしまったのでどうしようかと思っていたのだ。

 もしかしたら、新一が前もってこうなるように手を打っていたのかもしれない。

 ったく、相変わらず手回しのええやっちゃ。

「あの子は大丈夫だから、自分のやるべきことをしたらいいわ」

「え?」

 ふいにそう話しかけられた平次が視線を下に向けると、あの子供たちと同じ年頃の小さな女の子が冷ややかな瞳で彼を見上げていた。

「予告は今夜なんでしょ?丁度明日は創立記念日で学校が休みだからあの子たちもここに泊まることになっているし、帰りが遅くなっても心配はいらないわ」

「へ・・?そ、そう?」

 大人びた瞳。

 平次より年上のように話しかけてくる少女。

「あんたも・・・もしかしてコナンと一緒なんか?」

「ええ。彼とは立場は違うけど状況は同じ・・・あなたに一つ頼みがあるわ。彼から絶対に目を離さないで。あの姿は一時的なもの。江戸川くんに戻る時、彼の身体には相当無理がかかる。特に心臓にはかなりの負担がかかり一時的にだけど動けなくなるわ。だから、一人にすると危険なの」

「・・・・・」

 そういえば、と平次は思い出す。

 初めて工藤新一と出会った時、彼は苦しそうに胸を押さえていた。

 そして2度目では新一は平次の目の前で意識を失った。

「わかった。あいつを一人には絶対にせえへん」

 

 

 再び二階へ上がった平次が部屋に入った時、新一はノートパソコンで何かを調べていた。

「すまんかったな、工藤。あの子ら呼んだんはおまえやろ?」

「こっちの都合もあったんだから気にすんな。オレとコナンが同時に存在するなんてことはできねえからな」

 そりゃそうや、と平次は肩をすくめる。

「で、何調べてんねん?」

「あの子からエメラルドをだまし取ったという男のことをちょっとな」

「金村っちゅうたか。ったく、小さな子供の悩みを利用して宝石を奪い取るなんてとんでもないやっちゃで!」

 仕事のことばかりで家庭を顧みない父親に疲れきった母親の姿を何度も見、そして毬乃が必死の思いで交わした約束すら無視してのけたことに腹をたてた少女は優しく声をかけてきた顔見知りの男のたくらみについのってしまった。

『君のお父さんをちょっと困らせてあげればいい。簡単なことだよ。君のお父さんが持っている宝石を偽物と取り替えればいいんだ』

 毬乃は金庫の中のエメラルドを偽ものとすり替え、本物は一時的にという約束で金村に渡した。

「よくでけた偽もんやったんやな。今だに誰も気づいとらへんねんから」

「そのまま大場氏が知らずに持っていれば問題はなかったんだろうが、もとの持ち主に返すとなれば放ってはおけないだろう」

「偽もんやっちゅうのんがわかったら、大場氏の立場が悪ぅなるからな。そんで、ホンマのことがわかったら傷つくんは毬乃や」

 少女は自分のせいだからとけなげに覚悟を決めていたが。

「とにかく金村っちゅうオッサンから本物の“翠の夢”を取り返さんとアカンな」

 難儀なことやで。正面から返せ言うても、そう簡単にはいかへんやろうし。

 子供をだましてまで宝石を手に入れた男だ。

 といって、盗み出すというわけにはいかない。

 あの男なら簡単なんやろけどな、と平次の脳裏にふと浮かんだのは問題の有りすぎる白い怪盗の姿。しかし、すぐに頭を振ってその考えを打ち消す。

(あかん・・・アホな考えはやめや。今夜、そいつを捕まえんとアカンゆうのに)

「金村のもとにはもう“翠の夢”はないだろう」

「なんやて?なんでないんや?もう、どっかに売っちまったいうんか?」

「いや・・・宝石は盗み出された可能性が高いな」

「ハ?」

 目をパチクリさせる平次に新一はパソコンのディスプレイに映る新聞記事を見るように言った。

 正月早々、泥棒に入られた家の記事だ。

「これって、金村の家か?」

「ああ。最初、宝石を盗まれたと大騒ぎしておきながら金村は警察に事情をきかれる段階で何も盗まれてなかったと言い直した。実際、確認した家族も宝石は盗まれていないし、現金にも手をつけられていなかったと言っている」

「なんや、それ?」

「つまり家族の誰も知らなかった宝石だけが盗まれていたってことさ」

「それが“翠の夢”か」

「一応警察は家の中を調べたんだが、侵入者があったという痕跡は全くなかったそうだ」

「へえ?腕のいいちゅうたらなんやけど、相当なプロの犯行やったわけか」

 そう・・・と新一は頷くと、隣に立つ平次の方に顔を寄せていった。

「並はずれたプロの仕業だ」

 平次はギョッとなった。それは新一の言葉に対してではなく。

(ちょ・・そんなに顔近づけてこんといて・・・)

 新一が綺麗な顔立ちをしていることはわかっているが、間近で見るともう心臓が跳ね上がるほどの衝撃が・・・・

 迫力すら感じる綺麗さというのはあるもんだ。

「何?どうかしたのか、服部?」

 急に困惑した表情になって自分から目をそらす平次に新一が首を傾げる。

「あ・・いや・・・ちょお慣れへんもんやから・・・」

「ああ?もう3度めだろうが。なんで、慣れねえんだよ」

「チビの工藤の方が長いもんやからな・・・」

「フ〜ン。おまえはコナンの方がよかったってか?」

「んなこと言ってへんやろ!おまえ、自分の顔が他人に与える影響ってわかっとるんか?」

「顔?オレの顔がなんだってんだ?ショックを受けるほどブサイクじゃねえだろが」

 ムッとなって睨んでくる新一に、平次はこりゃアカンわと肩を落とす。

 こいつ、自分の顔立ちを知っとらへん。

 まあ、男に面と向かって綺麗だとか美人だとか言う奴もそういないだろうから、無理ないかもしれないが。第一、まわりや工藤自身が誰にも負けない自信を持っているのは顔立ちではなく優れた頭脳なのだから。

「・・・すまん。おまえがその姿になってくれたんは毬乃のためやったんやろ」

 毬乃は工藤新一に会うために東京へ来た。

 毬乃が秘密を打ち明けたかったのは服部でもコナンでもなく工藤新一だったのだ。

「どっちみち、この姿は長くもたねえよ。完全じゃねえからな」

「工藤・・・・・・」

 

 

 怪盗キッドが相手となると警察の警戒振りはケタが違ってくる。

 特に、自らキッドは生涯の敵だと公言している中森警部の執念たるや物凄いものがあった。

 並の泥棒なら、その燃えるような執念を向けられただけで萎縮してしまうだろうが、あいにくキッドはその執念すら楽しんでしまう性格の持ち主だった。

「お〜v今回も頑張って警官を集めたなあ。いいのかね?一カ所にこんなに集めちまったら他んとこがガラあきだぜ」

 泥棒はキッド一人ではないのだ。

 こうまでキッドに人手をさいては、他の場所で窃盗事件がおきても対応できないだろう。

 ま、そんなことは関係ないが。

 貰うもんさえ貰っちまえばね、と騒ぎの元凶である白い怪盗は高層マンションの屋上から下界を眺めながら楽しそうに笑った。

 今夜の獲物はすでに自分の手の中にある。

 今夜はいつもより楽しめると思っていたのだが、どうやら当てが外れたらしい。

「一休みするなら、ホテルかどっかにして欲しいもんだな。この手のマンションは入りにくいし、屋上に上がるには非常階段しかねえんだから」

 唐突に聞こえてきた声にキッドは振り返る。

 それは期待していた相手ではなかったが、だからといってガッカリするにはとびきりすぎる人物だった。

「ああ・・・やっぱりお小さいお子様には不向きな時間帯でしたか」

「おまえが遊びたがってたのはコナンの方かよ。そいつは残念だったな」

 フンと不敵に鼻を鳴らす少年をキッドは面白そうに見つめる。

 工藤新一・・・・・

 1度仕事場で鉢合わせしたことはあるが、こうして顔を合わせるのは初めてだった。

 月明かりと街の灯りに浮かび上がる黒いシャツとブラックジーンズの少年。

 対する怪盗は上から下まで白ずくめ。

 立場からすれば全く逆に思える服装だが、何故か不思議としっくりくる二人だった。

「いえいえ。お会いできて光栄ですよ、名探偵」

 キッドの瞳に白く浮かび上がるその顔が映る。工藤新一の。

 成る程、確かに似ている・・・とキッドは思う。

 年齢は同じ。背格好も似ているし、顔の造りも兄弟かと思えるほど似ている。

 新一の方はキッドの素顔を確認できないので気づいてはいないようだが。

 しかし、幼なじみの少女なら、似た顔でも工藤新一の方を美少年だと言うだろう。

 身についている雰囲気が違うのだ。

「“翠の夢”を返してもらおうか」

「ああ、あの宝石をお望みでしたか。そうですね。ここまで上ってきて頂いた努力に免じてお返ししても構いませんが」

「返すのは本物の方やで!」

 キッドが、おや?という顔を向けた先に、ようやく上り切ったという疲れた顔の平次がいた。

「これはこれは、西の名探偵もご一緒でしたか。それでしたら、現場でお会いしたかったですね」

 東西の名探偵が相手なら獲物を捕るのも緊迫感があって楽しめただろうに。

 数ばかりの警官相手というのもいささか食傷気味なのだ。

 せっかく予告状を出しているというのに。

「あいにくだが、窃盗はオレたちの管轄外なんだ」

「ほお?でも今回は特別だと?」

「知ってるくせに何とぼけとんねん!毬乃が言ってた“工藤新一”はおまえとちゃうんか!?」

「オヤ?あの天使のような少女とお知り合いでしたか」

「・・・・故意か?キッド」

「いいえ、偶然ですよ。クリスマスに天使を誑かすことなどできよう筈はないでしょう」

「だったら、なんで工藤の顔なんかしとったんや!」

 平次がそう問うと、キッドは薄く笑みを浮かべた。

「素顔・・・だった。そうなのか」

「なんやてえ!」

「その目で確かめてみますか、名探偵?」

・・・っ!こらあ!何さらすねん!

 平次が目を剥いて怒鳴ったのは、キッドがフワリと身を浮かしたかと思うと、信じられない早さで新一をその腕に抱き込んだからだ。

 慌てて新一の方へ駆け寄ろうとした平次だが、彼の手がその場にいるように指示したので仕方なく足を止める。

 何か新一に思う所があるのだろう。

 まさかキッドが危害を加えることはないだろうが、万一を考えて平次はいつでも駆け寄れる体勢をとった。

「・・・・・・・」

 キッドの腕に抱き込まれた新一は、最も近い位置で謎の白い怪盗の顔を見ることができた。

 初めて会った時に思った通りキッドは若い印象だった。

 おそらく、自分と殆ど変わらない“少年”だ。

 警察を翻弄し、確保不能ともいわれている怪盗キッドが年端もいかない少年だというのは詐欺もいいところだが。

 ま、16かそこらで日本警察の救世主とか呼ばれた自分も同様なのかもしれないが。

 シルクハットとモノクルではっきりした素顔は確かめられないが、アレ?と思ったのは目元やスッと通った鼻筋、口元がどことなく自分に似ていると感じられたことだった。

(そうか・・・あの子が会ったのはやっぱり・・・・)

「納得できましたか、名探偵?」

「ああ・・・意外だったぜ。まさか、本気だったと?」

「クリスマスに出会った愛らしい天使の頼みを無下にできる者などいはしないでしょう。

 私は真剣に彼女の話を聞き、彼女の頼みを受けましたよ」

「金村んとこから本物の“翠の夢”を盗んだのはおまえだな、キッド」

「そうですよ。いつかはアレをもとの場所に戻さなくてはなりませんでしたからね」

 二人の会話を耳にした平次は鼻の頭に皺をよせた。

 並はずれたプロ・・・工藤はとうに気づいとったってわけか。

「そのまま自分のもんにしようとは思わなかったのかよ?」

 まさか、とキッドは肩をすくめる。

「清らかな白き天使を悲しませることなどできよう筈はないでしょう」

 ケッ!キザなやっちゃで。

 つまり、予告状にあった真白き天使というのは毬乃のことだったってわけや。

 まあ、そう呼ぶのもわからんでもないけど。

「しかし、あのエメラルドは本来の持ち主である老伯爵より、麗しいあなたのもとにある方が似合いだと思うのですが」

 理不尽さにそう嘆くキッドに新一は瞳を細める。

 平次はというと、あまりのキザさに身震いがした。

 本気で言っとんのかい。

 いや、工藤が麗しくないっちゅうわけやないけど。

 自分がそんなことを言おうものなら、確実に蹴りが飛んできそうだ。

 キッドだからこそ聞き流せるというものだろう。

「似合う似合わねえの問題じゃねえだろ。そもそも宝石が人を選ぶもんじゃねえんだよ」

「その通りですね。世の中というのは、ままならないものです」

「宝石は一人の人間のもとにずっと留まるわけじゃねえだろ。人の寿命なんざ、たかがしれてんだからよ。輝きってのは永遠だ。人から人の手に渡ってもその輝きを失わねえものこそ不死なんじゃねえか?」

「・・・・・・・」

 何言っとんのや、工藤??

 キッドは満足そうに微笑むと、新一から離れスッと彼の足下に片膝をついた。

 そして、新一の白い右手を取ると、甲に恭しく口付けた。

 まるで気高い女王と、彼女に忠誠を誓う騎士のような場面を見せられた平次は絶句した。

な・・・何やっとんのや、おまえらあ〜!

 キッドはパニクっている平次に向け、ニッと笑ってみせるとフワリと宙に浮いた。

 羽根などある筈がないのに、キッドの身体は天空を飛び、輝いている月の中にその姿を消した。

 な・・・どうなっとんのや?

 夢でも見ているようだった。

 呆然と月を見ている平次の肩を新一がポンと叩いた。

「行こうぜ」

「え?けどキッドは・・・宝石はどないなったんや?」

 ここにある、と新一は右手を開いて見せた。

 そこには、翠に輝くビッグジュエル“翠の夢”があった。

「キッドはちゃんと約束を守ったんだ」

 平次は、ハァと息を吐き出した。

「なんや、めっちゃ疲れたわ」

「非常階段は結構キツかったからな」

 んなことやない・・・・・

「なあ、工藤。おまえら、ホンマ似とるかもしれんで」

「ん?」

「おまえと、あのコソドロや」

 

 初リクエスト小説完了です。遅くなってごめんね、翠さん。
 しかしリク通りとはいかず、外してしまったような気も・・・やっぱりキザなセリフってのは難しいですね(^^;とにかく平次くんだけ、ワリくってますわ。

 

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