そりゃそうだろう。見かけはたった7才の子供なのだから探偵だと名乗っても誰も本気にしやない。 第一、向こうの探偵は開業するにはライセンスが必要であるから、こんな子供の探偵などどこにも存在しないのだ。 「あなたが探偵?面白いことを言うのね、坊や」 笑みを浮かべそう言った彼女の目が、突如何かに衝撃を受けたかのように大きく見開かれる。 「な・・・!」 コナンの瞳も彼女とは別の意味で大きくなった。 コナンの肩を掴んでいた彼女の手から急に力が抜けたかと思うと、突っ伏すように前へ倒れ込んできたのだ。 ベランダの手すりに座らされていたコナンの小さな身体は、彼女の身体を支えることなど当然できはしない。 彼女の上半身に押されるようにしてコナンの小さな身体は後ろに反り返った。 背後には何も支えるものはないからたまったものではなかった。 「うわっ!」 とっさにコナンは手すりを掴もうとしたが、倒れ込んできた彼女の身体に阻まれ両足もあっけなく宙に浮いた。 心臓が痛いほどの鼓動を打った後、血の気が一気に引いていく。 もはや、どうやっても重力に逆らう術はない。 覚悟を決めたコナンの瞳にふいに思いがけないものが映った。 (あれは・・・!) 落ちていく寸前に、コナンはベランダに現れた二つの黒い影を認めた。 黒い服に、顔をかくすような黒い帽子。 見間違える筈はない。 ずっと、ずっと探していたのだ。 自分がこんな身体になってしまった張本人。 ジン!ウォッカ! なんでっ! なんでこいつらがこんな所にいるんだよ! 長身のウォッカが、手すりから下を覗き込んだ時にはもうコナンの姿は見えなくなっていた。 「兄貴。ガキが落っこちまったようだぜ」 「ガキなんかほっとけ。俺たちはこの女を連れて戻りゃあいいんだよ」 ジンはフンと鼻を鳴らすと、手にしていた麻酔銃を懐にしまった。 ウォッカが失神したドクターオハラの身体を肩にかつぎ上げた時、カチャンと何かが音をたてた。 「兄貴、フロッピーだぜ」 「その女が持ってたのか?だったら一応持ち帰っとけ」 わかった、とウォッカはうなずくとフロッピーを拾い上げそれを長いコートのポケットにしまった。 「行くぞ。警察が怪盗キッドにかまけている間にここから出ちまわねえとな」 「でも兄貴。ホテルの出入り口は警察に固められてんじゃねえのか」 「心配すんな。ちゃんとルートは確保してある」 二人の黒服の男たちの姿がベランダから消えると、一階上のベランダから白い影がまるで大きな翼を広げるようにフワリと下へ舞い降りていった。
「イ・・テ・・」 空中で体勢を変える暇がなかったコナンは、できるだけ衝撃が少なくすむよう受け身を取りながら転がったが、それでも息がとまるほどのショックを受けた。 明るければまだ対処のしようがあったろうが、こう暗くてはどうしようもない。 コナンは立ち上がるのを諦めて、そろそろと身体を起こし壁に背をもたせかけた。 どうやら、右足首を捻ったらしくちょっとでも動かすと顔をしかめるほどの痛みが走った。幸い骨は折れていないようだが、打ち身で身体中が痛い。 「大丈夫か、ボウズ?」 コナンは目の前にフワリと舞い降りてきた白い影を見ると嫌そうに眉をしかめた。 「・・平気そうに見えるかよ?」 自分の方にゆっくりと歩み寄ってくる白い怪盗をコナンは睨みつける。 キッドはそんな可愛くない子供に苦笑しながらすぐ前で片膝をついた。 十分に元気そうに見えるぜ、とキッドは肩をすくめると何を思ったのかコナンの足首に手をふれた。 途端に鋭い痛みが脳天にまで走り抜ける。 「触んな、バカ!」 「おやおや。足をやっちまったのか。そりゃお気の毒」 笑いながらすぐに手を離したキッドを、コナンは殺しそうな目で睨んだ。 「おまえ、どこにいたんだよ?」 「あの部屋の一つ上のベランダ。西の名探偵が下に飛び降りるのをしっかり見させてもらいました」 キッドは楽しそうにククッと笑う。 平次が聞けばさぞ殴り殺したくなるほどむかついたことだろう。 「いや、もう単純でいいねえ。マジックをやる者にはああいう観客が一番なんだぜ」 「つまり・・・オレが落ちるのもしっかり見てたってことだな。おまえの愛情なんて結局その程度だってことだ」 アレ?という顔でキッドはコナンの小さな顔を覗き込む。 「もしかして拗ねてる?」 コナンはハン!と鼻で笑った。 「おまえのヘリウムよりも軽い言葉なんざ、初めっからマトモにとっちゃいねえよ」 「それは心外だな。おまえはオレの特別なんだぜ?レイジもそれを認めてくれた」 「レイジ?ああ、あいつは人を見る目がなかったんだよ」 「言うねえ。まあ、おまえの口からそう簡単に本音がきけるとは思っちゃいないが」 そうキッドは肩を揺らして笑うと、手を伸ばしてコナンの眼鏡をとる。 おい?と眉をひそめるコナンに構うことなく、キッドはそっと唇を寄せた。 まだ幼い小さな唇に触れるだけの優しいキス。 一度軽く唇を押しつけてから、何度か啄むようなキスを繰り返す。 「・・・・おい、クロバカ」 嫌がりもせずにおとなしくキッドからのキスを受けていたコナンだが、低い声でボソリと呟く。途端にキッドはガックリと肩を落としうなだれた。 「それ、ヤメロって言ったろ?」 「オレはやめると言った覚えはねえよ。それよりおまえ・・・・あん時なにをするつもりだった?」 キッドは一瞬、ん?という顔になる。そして・・・・ 「ああ、パズルのことか」 キッドはニッと口端を引き上げた。 「組み上げてる途中で、ちょっと気になる箇所があってね。どうやらおまえも気づいてたみたいだが」 いきなり殴っちゃえだもんなあ、とキッドは声を上げて笑う。 「でまあ、あそこからなんか別のパズルが組めそうなんで試しに頭ん中でやってみたんだが、組めるどころかもうバラバラ。意味なんか読みとれやしねえ」 「あれは余分なもんを消去するんだよ。最初の7つを交互に噛み合わせて二つ以上重なった部分を消してみな」 フム?とキッドは顎に手をあてると、頭の中で言われた通りのことをやってみる。 「数字が全部消えて記号が48個残ったが、これになんか意味があるのか?」 さすがにIQ400と言われる天才児だった。言われたことをこなすのに十数秒しかかっていない。 「そのままじゃ意味はねえさ。だけどアレがあったろ」 「アレ?」 「レイジが残した暗号表」 キッドは瞳をパチクリさせる。 「これってレイジがかかわってんのか」 「こんな意地の悪いもんをつくるのは奴しかいねえだろうが。オレもまさかと思ってたんだが、あいつらが出てきて確信が持てた。パズルをつくったのは三雲礼司だよ」 「ふ・・ん。有り得ねえことじゃないな。だったら暗号表の解読が先か」 コナンは、なんだというようにキッドを見つめる。 「おまえ、まだやってなかったのかよ」 まあなとキッドは首をすくめた。 「なんのためのもんかわかんなかったし。無駄になるかもしれねえことはやらない主義なんだ」 だいたい、この前のことでレイジとの関係は絶ったつもりだったしとキッドが答えるとコナンはやっぱりクロバカだなと溜息をついた。 「おまえの手に渡すんじゃなかったぜ」 「すいませんね。オレは暗号といえば目の色変える人種とは違うもので」 どっちかというと、暗号を作って人を翻弄するのが好みなのだ。 「オレは謎をそのままにしておきたくないだけだ」 「そういう人間だってことはよーくわかってるよ」 キッドはニンマリと笑うと、自分がかぶっていた白いシルクハットをコナンの頭にのせビックリして上向いた子供に再び唇を寄せていった。 今度は触れるだけのキスじゃなく、深く重ねて舌を絡ませるキス。 小さな舌がキッドのそれに触れちょっと驚いたように引っこむが、すぐに目を閉じてキスに応え始めた。 キッドとのキスは嫌なものではない。 それは三雲礼司が彼等をツインと呼んだ通り、自分とキッドが深い所で繋がっているのだと自覚させるものだった。 「・・キッド」 さすがに子供にはきつい口づけにコナンは呼吸を荒げながらキッドの胸を押した。 他人が見たら、完璧にロリコンだなとコナンは思う。 キッド自身は、そんなことは微塵も思っていないだろうが。 キッドはシルクハットをそのままにしてあっさり離れると、モノクルを外し持っていたコナンの眼鏡をかけた。 顔の輪郭やら目鼻立ちが本当に双子のように似通っているからか、そうすると成長したコナンが目の前にいるような錯覚を覚える。 キッドは移動する赤い点滅を確認すると、ニッと笑った。 「OK。ちゃんと機能してんな。移動先も予想通りだぜ」 え? コナンは思ってもみないセリフを聞き、瞳を瞬かせながらキッドの顔を凝視する。 「キッド・・おまえ?」 「ああ。ドクターオハラの持ち物に、以前おまえからもらった発信器をつけて置いたのさ。あの女とはいわくがあるんだろ?」 「・・・・・・・」 もらった発信器なんてよく言える。 あれはコナンが密かにキッドにつけておいたものなのだ。 それを図々しく自分のために再利用する所がキッドらしい。 キッドはゆっくり立ち上がると、コナンにむけて片目をつぶった。 「しばらくおまえの眼鏡を借りるぜ」 「おい!こいつはどうすんだ?」 コナンは自分の頭にのっかったままのシルクハットを指さす。 「カタに置いてくから、預かっといてくれよ」 こんな目立つもんを? 誰が見てもキッドの持ちもんだってわかるもんだぜ? 警察に没収されても文句は言えないんだからな! 「気を付けろよ、キッド。無理する必要はねえんだから」 あいつらは組織の人間だ。 ただのチンピラや小悪党とはわけが違う。 一歩間違えれば命を落としかねない危険な連中なのだ。 「心配いらねえよ。やれるだけのことをやる。それがオレの信条さ」 じゃあな、と肩越しに笑みを浮かべて見せたキッドの姿が闇の中に消えた。 あれだけ目立つ白いコスチュームに包まれながら、闇に呑まれるというのは不思議な話だった。 それがマジックなのだと言われると、そうなのかなと思ってしまうが。 「・・・・・・・・・」 コナンはキッドの帽子を取ると、それを胸に抱え込み大きな溜息をもらした。
結局、ジンたちの後を追ったキッドがどうなったのかを確認することなくコナンは米花町へ戻ることになった。 蘭に黙っているわけにはいかないので、帰る前夜に連絡したのだが、当然というか彼女はびっくりし、大阪まで迎えに行くとまで言った。 それを、こっちの責任だから平次が東京まで送り届けるからと説得。 そうして今コナンと平次は新幹線の中にいた。 「盗んだダイヤを宅急便で送り返してくるやなんて、あの野郎どういう神経してんのやろ」 「そういう奴だよ。いちいち気にしてたら胃がもたねえぜ」 「そうやな。今回はホンマわけわからへんし。いったい、あいつの目的はなんやったんや?」 「・・・・・・・」 「結局、例の懸賞もうやむやになってしもたしな・・・」 なんのために苦労して覚えたんだか。 「悪かったな、服部。そのうち埋め合わせすっから」 「ええわ。キッドが出てくるやなんてイレギュラーやったんやし。おまえのせいやない」 そうとは言い切れないんだけどな、とコナンは思うがそれは口にできることではなかった。 「それより、どうすんのやそれ?」 「うん・・・」 コナンは膝の上にのせた大きな紙袋に視線を落とした。 その中に入っているのはキッドのシルクハットだ。 警察に没収されるわけにはいかないので、平次に無理を言って密かに持ち帰ることにした。 そして眼鏡なしで帰るわけにはいかないので大阪で似たのを買った。 「キッドの奴、おまえの眼鏡のかわりに預けていくやなんて、ホンマどういうつもりなんだか。信じられへんで」 「同感。こんなの寄越されても始末に困るだけだぜ」 「生ゴミと一緒に捨てたったらどうや?」 んなわけにはいかねえだろ、とコナンは苦笑する。 やってもいいのだが、こいつは父親の形見だとか言ってたしなあ。 「おまえんとこに取りに来るつもりなんやろか?」 「わかんねぇ。キッドのやることはオレたちの常識とは違うからな」 ふ・・んと平次は鼻を鳴らす。 「なんかあったら連絡しいや、工藤。一人で無茶すんやないで」 「ああ」 そうして二人は東京に近づいていく窓の景色を眺めた。 「おまえの蘭ちゃん、もう東京駅に迎えにきとるで」 誰の蘭ちゃんだって? 「叱られるんは、オレなんやろな・・・」 大事なコナンに怪我をさせた、と。 平次はふぅと溜息をついた。 「んなことねえよ。怪我したのはオレの責任なんだし」 「・・・・・」 平次は頬杖をついたまま、チラッとコナンを見ると、ガキはええなあと呟いた。 おい・・・
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