「もしもし…あ、目暮警部ですか?ボクです」
恰幅の良い馴染みの警部の、豪快な声が聞こえてくる。
久しぶりか、元気か。電話越しで見えないとわかっていても、自然新一は微笑んでいた。
が、今回は世間話をするためにわざわざ忙しいであろう彼へ連絡をとったのではない。
「実は今回、お願いしたいことがありまして…実は―――」
付けっぱなしのテレビの中。淡々と事実を告げるニュースキャスター。中継先の人々は、キャスターとは裏腹に興奮気味だ。
『彼』の犯行予告が出たときは、いつもそうだ。熱狂的ファンもついているようだし。
「……そうですか。では、お願いします」
静かに受話器を置く。
画面に白い衣装が見えた瞬間、新一はリモコンで電源を落とした。
わずかな残像を残して、画面は黒くなり、沈黙する。
今は自分が映っている画面を見て、新一は笑った。
● ホンモノ ●●●
キッドからの予告状が届いた。そんな通報が来て以来、2課では恒例の騒がしさがやってきていた。
その筆頭はもちろん中森警部。彼につられて燃える人々。冷静に見つめれる人は、もはや片手で数えられるほどしかいないかもしれない。
今回のキッドの予告場所は、もうだいぶ前に経営していた会社を次世代に任せ、気ままな隠居生活を送っていた星という名の老人の屋敷である。彼の会社は大企業と呼ばれる部類に入るくらいのもので。当然会長である老人の屋敷もでかいし、中にはお宝がたくさん眠っている。
キッドが狙ったのはその中の1つ。やっぱり宝石で、その名も「太陽の涙」。
しかし残念なことにわかっているのはそれだけで、それがどんな種類の宝石であるとか、色とか形とか。詳しいことは一切わかっていなかった。
なにしろ「太陽の涙」は星老人が大昔に秘密裏に手に入れて、それ以来誰にも見せることなく、大事に大事にしまいこんでいたのだという。彼の子供たちや亡くなった夫人でさえ見たことはないという話だ。
警備のため、見せてはくれまいかと頼んだのだが、返ってきた答えは「絶対に嫌だ!」。まるで子供のわがままだとは中森警部の話である。
いわく、「あれは特別な人にだけ公開する」。そこに家族は含まれないらしく、警部と同じく長女や次男をはじめとして家族たちからも不満の声があがっていた。
何度も何度も説得して、ではしょうがないから当日にだけお見せしようと言われた。だいぶ譲歩したといわれ、特に感謝もしていないので半ばやけにそれはどうもと礼を言う。
おかしいのは屋敷の周りや中を警備することの許可はあっさりと出たこと。
なにか企んでいるのではないだろうなと思いつつ、それでもやっぱり目的はあくまで「キッドを捕らえること」なので、そこはなにも言わずにてきぱきと包囲網をしいた。
その日は晴天。見事な満月。
怪盗キッドの犯行日には、まさにふさわしい夜であった。
「ようやく獲物とご対面、か」
数人の部下を従えた中森と、父が心配と言いながら実際はお宝が気になっているのだろう星老人の次男と長女がそろって言われた場所へと向かっていた。
指定されたのは、星老人の書斎。
大きな屋敷の3階、突き当りにあるそこの扉を開くと、確かに白髪に見事な口髭をたくわえた星老人が待っていた。杖を突いているが、足腰はしっかりしている。
だが老人の姿に注目している者はおらず。
「お父様…いつのまに、こんなに…」
書斎というのは嘘ではないだろうか?中森は部屋の中を見渡してそう思った。
確かに中央には執務用と思われる大きな机があり、大きな本棚もある。だがそれらの存在はこの部屋の中ではおまけのように感じてしまうくらい、そこは他のもので占められていた。
絵画や剥製、銅像。そしてなにより目を引くのが。
「これ…全部ダイヤモンド、ですか」
部屋の右側、背の低い棚の上にはずらりと5体のブロンズの女神像が並んでいた。そして彼女たちは皆、ほぼ同じ色形の宝石を持っていたのである。
女神像の後ろには、彼女たちをまるで守っているかのように大きく羽を広げたワシ(?)の剥製。赤い両目がぎょろっと睨んでいる。
「…そこにあるのが、今回の獲物じゃよ」
髭を撫で、ふぉっふぉっと笑いながら星老人が言う。
「こ、これ全部ですか?!」
刑事の1人が驚いた声をあげた。
「違いますよ。ホンモノは1つだけ。あとはイミテーション…といっても、ダイヤであることに変わりはないですけれどね」
老人とは別の声が聞こえてきた。今中森たちが入ってきた扉、そこに視線が一気に集まる。
誰であるのかを認めて、中森は目を見開いた。
「な!お前は…工藤新一?!」
まさか出てくるとは思わない相手。はっきり言ってしまえば、自分の捜査の「邪魔」をしてくれる、中森にとっては歓迎できない存在である。
最近は大人しくなったと思ったのに…。
「なぜ…!」
「ワシが、呼んだんじゃ。彼のお父さんとは昔馴染みでね」
その父親の頭脳を引き継いだらしい息子の新一の知恵を借りようと思った。そう続ける。
「どういうことだ!」
中森の叫び声に、新一はブロンズ像のほうを指差した。
「その中に、ホンモノの『太陽の涙』があります。あとはすべて、ニセモノ…一応これは、罠ですよ。愚かな泥棒を捕らえるための、ね」
「バカな!キッドがこんなちゃちな罠にかかるはずはないっ!」
「ですから、その分を警部たちに補っていただきたいのですよ。そこにある宝石はすべて本物。いくらキッドといえども、判断するのは時間がかかるでしょう?その隙に…」
「なるほど!」
思わず同意してしまった刑事が、中森ににらまれて肩をすくめる。しかし新一の作戦にその時点で落ち度が見つからないために文句が出てこない。
「…それで、本物はどれだ?」
「それは秘密じゃ。どこぞでこそ泥が聞いているとも思えんしな」
また笑いながら老人が言った。人を食ったような笑いだと中森は思う。自分たち警察をバカにしているようにも感じる。
「…よろしい。確かに一理ある。そろそろ予告時間、ではここで見張らせていただこう」
いつもの調子を取り戻して、部下にあれこれ指示を飛ばす中森を見て、新一と星老人は顔を見合わせにやりと笑った。騒がしくなった部屋の中でそのことに気づくものはいない。
そう、キッドならば気づくだろう。…ホンモノならば、ホンモノに。
新一は星老人の後ろから、あわただしく動き回る警官たちを見つめ、笑った。
予告時間が近づく。1分経つごとに緊張感が高まっている気がする。
あと5分、4分、3分………5秒、4秒、3秒、2秒、1秒!
部屋の中の時計が、小さく音を立てた。緊張感も、最高潮に達するそのときに。一気に屋敷中の電気が落ちてしまう。
真っ暗な闇。この部屋には、月明かりさえ入ってこない。
「慌てるなぁ!!宝石を守れっ」
中森の怒声と、いくつもの足音が混ざり合って部屋中を包む。誰もが、焦っている。一気にブロンズ像に人が集まったのか、落ち着けという声も聞こえてきた。
そんな中で新一は、壁に寄りかかり静かに目を閉じていた。口元に笑みを浮かべたままで…。
どれくらい経った頃か。実際には短いのだろうが中森たちには非常に長く感じられた時間が終わり、屋敷内の電気がすべて復活した。
明るくなった室内、はっきり見えるブロンズ像。しかし…。
「警部!ダ、ダイヤが…」
「!!くそっ」
女神たちが抱えていたダイヤはすべてなくなっていた。5体、すべて。
どれがホンモノかわからないなら、すべて盗んでしまえばいい。逃げたあとで、どうにでもなる―――そういうことだ。
「っ、大した作戦だったな、名探偵!」
興奮していた中森は、吐き出すように焦る様子のまったくない新一に言い捨てて。
「近くを捜せ!徹底的にだっ。まだ遠くへは行っていないはずだ!」
部下たちに命令する。鬼気迫るものがある中森に、部下たちは蜘蛛の子を散らすかのように走っていった。連絡を受けた屋敷の外でも、警官たちが必死に動いている。
中森は冷静な顔をして腕を組んでいる新一に近づいた。
「ふん、もしや貴様がキッドではあるまいな」
今にも掴みかかってきて頬を引っ張りそうな中森を避けて、新一は残された女神たちに近づく。それらを見ながら、宝石を盗まれたはずの星老人もにこにこと笑っていた。
ここにきて中森は、ようやく何かがおかしいことに気がついた。
あまりにも、冷静すぎはしまいか?新一はともかくとして、この老人も……まさかキッドとその仲間か?!
「大丈夫ですよ、中森警部」
中森の考えを否定するように、新一が言う。女神たちの後ろ、剥製の羽に触れて、にっこりと笑った。
「作戦は、成功ですよ」
「なにぃ?!」
「予想通りでした。今回のキッドは―――」
キッドの名を語ったニセモノ、逮捕!
明日の新聞の見出しには、その文字が踊っているかもしれない。
撤収していくパトカーたちを、星老人と並んで見送る。
あのあと中森のもとに連絡がはいった。それは、目暮警部からのものだった。
ダイヤモンド5つを所持した不審人物を逮捕した、と。それは、「怪盗キッド」ではなく、キッドの名を語って「太陽の涙」を手に入れようとした「ニセモノ」君であった。
その正体は…星老人の次男。後に長女も協力者であったことが明かされた。
星老人は自ら努力するものを愛した。だから――息子、娘だからとなんの努力もせず彼の財産を得られると思っていた長女と次男には、会社1つ任せることはなかった。
血のつながりよりも、実力。それが彼のモットー。
おかげでほとんど星家の恩恵を受けられなかった長女と次男は、共謀して今回のことを計画したのだ。父が大事にしているという、見たこともない宝石を奪ってやれ、と。
キッドの名を語ったのは、そのほうが効果的であると思ったから、と。けれどそれは間違いだったと、なぜか怯えた様子で語った。
聞けば、次男は屋敷近くの河原で失神していたらしい。すぐ傍に盗んだダイヤモンドを散らばせて。だからこそ早く捕まえることができたわけだが…。
そのことを尋ねると、わけのわからない答えが返ってきたという。
ホンモノが、罰を下したのだ、と。
なぜニセモノだとわかったのかと中森に聞かれ、新一はキッドがもう盗むはずはないからと応えた。「太陽の涙」は昔、1度キッドによって盗まれたことがあるのだ、と。
彼は、2度も同じものを盗むことはない。
ならばなぜそれを言わなかった!と叱られた。だがもっとなにか言いたそうだった彼は、取調べなどのために、しぶしぶ警視庁へと帰っていった。
「さすがじゃのぉ。よく思いつくものだ」
星老人が笑う。いえ、と新一も苦笑。
「もしホンモノならば…これくらいの罠はすぐに見破るでしょうから」
「うむ、確かに」
昔、まだ現役だったころ、この宝石を盗まれた。泥棒ではあるのだが、その鮮やかな手口に思わず感心してしまったほどに。
いけないことだろうが、また会ってみたいと、思っていた。ニセモノで、残念だ。
中森には言わなかった罠がある。
「太陽の涙」は女神たちが抱いていたどのダイヤモンドでもない。あれらすべてがニセモノなのだ。
ホンモノは―――この剥製の瞳。
2つでひとつの、赤く輝くルビーのこと。
人とは、似たようなものが並んでいればそちらに目がいってしまう。その中のどれかがホンモノであると思ってしまう。
仲間はずれが、ホンモノであると気づきもせずに。
だがホンモノの怪盗キッドならば、そんなことには引っかからない。彼ならば、それがどんなものであるか、ここへ来る前に知っているのだろう。そして――鮮やかに奪っていく。
「今回は、世話になったのぉ。身内から恥が出たのは残念だが…」
「いえ……今度は、父と遊びに来ますよ」
手を差し出して言う。向けられる笑みに、翳りを帯びた老人の顔にもわずかに笑みが戻った。差し出された手に、皺にまみれた、それでも暖かい大きな手が重なった。
「ああ、ぜひとも!」
「お前、あいつらになにしたんだ?ずいぶん怯えてたって聞いたぞ」
家に帰ったとたん飛びついてきて懐く大型犬に尋ねてみる。べったりとくっつかれて、はじめは抵抗したのだが全部無駄だったので今は放っておいている。
ごろごろと喉をならしながら、ん〜?と犬が応えた。
「べっつにぃ?ただ、オレの名を語るのはどれだけいけないことかって説教してきただけ」
「………あっそ」
憐れなり。ま、自業自得だけど。
「それより!他のこと考えてないでかまってよ〜」
ここ最近、ずっと放っておかれたんだから!
………ホンモノの怪盗キッドは鮮やかに獲物を盗んで、誰にも確保不能で、賢くて………ホンモノの怪盗キッドは……ホンモノ……なんだか考えているだけ非常にむなしくなってきた。
まいっか。これがコイツの「ホンモノ」であることも知っているから。
新一は苦笑しながら、じゃれついてくるこの大型犬の柔らかい毛をくしゃりと撫でた。
おわり。
麻希利さん、70万ヒット&5周年、おめでとうございます!
お祝いですのに…こんなひねりのないしょーもないお話で申し訳ないです(汗)
これからもファンとして応援しておりますのでがんばってくださいね!ありがとうございます、友華さん!
お祝いを頂けて嬉しいです〜v
それも、キッドさまがニセモノをこらしめる話だなんてサイコーです!
そして、それに新ちゃんも絡むとこがいいですね。
構って〜〜と犬猫のように懐くキッドが実はホンモノ・・・ってまあ知らぬが花でしょうか(笑)楽しいお話をありがとうございました! 麻希利