とある平日の昼下がり。

 それだけを楽しみに登校しているという者も少なくないと言われる昼食タイムも終了し、お昼ねタイムとも異名をとる5、6時間目。

 

 黒羽快斗は眉を寄せたまま、自分の机にかじりついて悩んでいた。

 彼のその状態は体育の時間以外は今朝からずっと続いていて、クラスメート達はそんな彼の様子を興味深そうに見ている者も少なくない。

 

 快斗は普段そんな風に何かを考え込む事など滅多にないし、仲良き(?)ケンカ友達の白馬探は近々戻ってくるらしいものの、しばらく前に渡英したまま。ファンであるハズの怪盗キッドも、つい先日の予告を見事に達成したばかりだ。

 級友達の見る限り、快斗があれほどに眉を寄せるような理由は見当たらない。だからこそ、彼をあそこまで悩ませているものの正体に興味を引かれていた。

 

 もちろん、快斗を悩ませているのは彼の大事な大事な名探偵でしかありえない。

 しかし、クラスメート達が分からないのも当前の事。快斗がかの有名な高校生探偵・工藤新一と深い関係である事どころか、知り合いである事すら誰も知らないのだ。

 

 今現在、黒羽快斗は本気で悩んでいた。

 

 

 

 

 

 それは昨日の事だった。

 

 快斗はキッドとしての仕事の為に留守にしていた同居先―――――工藤邸に3日振りに帰ってきた。

 

 新一は食事に関してはとんでもなくルーズである。それはもう呆れる程に。同居するようになって、それを嫌というくらいに実感していた快斗が、「飯はちゃんと食えって言っておいただろっ?!」と怒るのもいつもの事。

 

 

 昨日もそのお決まりの科白からコトは始まった。

 

 新一とて、もう訳の分からない事を言う子供ではない。自分の不十分な健康管理は自覚していたし、快斗が折角用意していってくれたものを無駄にしていた事に悪いという気持ちもあったのだろう。だから、最初はパソコンでしていた調べものの作業の手を止めて、快斗の小言を甘受していた。

 だがそれも何十分も続けば話は別である。新一は段々と機嫌を低下させていき、ついには「分かったって言ってるだろ?!」と、言い合いになってしまったのだ。

 双方共に引っ込みがつかなくなってしまったその言い合いにストップをかけたのは、新一の使っていたパソコンの横に置かれていた彼の携帯電話の着信音だった。結局、新一は不機嫌な様子のまま、目暮警部の呼び出しに出掛けていった。

 

 

 新一が出ていってから、即行で快斗は後悔していた。今回ばかりは言い過ぎたという自覚があったのだ。仕事の疲れもあって、多少イラだっていたのかもしれない。

 

 (あんだけ言われたら誰だって怒るよなぁ…)

 

 こういったケンカは二人にとって別に珍しい事ではないだけに、早々に謝ってでも和解しておいた方が良い事を快斗はよく知っていた。長引けば長引く程、状況は悪くなるだけなのだ。

 新一が帰ってきたら謝ろう、と決めて、快斗は持ち帰ってきた荷物の整理に取り掛かる事にしたのであった。

 

 

 ―――――が、しかし。

 数時間が経過し、夜も更けて、ようやく帰宅した新一を出迎えようと、リビングを出て玄関に向かった快斗は、彼の顔を見た瞬間、その場に硬直してしまった。

 

 (な、何で……?)

 

 新一の顔は明らかに不機嫌であった。それはもう出て行った時の比ではない程に。否、不機嫌と言うよりはむしろ、怒っている、しかも激怒していると言った方が相応しいであろう。

 

 何も言えずに固まったままの快斗を一瞥した後、その前を無言で通り過ぎた新一は、そのままバスルームへと直行してしまった。後に残された快斗はそんな新一に声を掛ける事すら叶わずに、彼を見送っていたのだった。

 

 (げ…現場で何かあったのか……?)

 

 もしそうなのだとしたら、いくら快斗でもその原因が考えて分かるハズがない。それでも考え込まずにいられるわけもなく、快斗は新一が風呂に入っている間もリビングのソファーでずっと頭を捻っていた。そして、その為に新一が風呂から上がって、リビングに寄る事もなく自室に引き上げてしまった事にも気付けず、結局謝る機会を逃してしまったのであった。

 

 

 しかも。

 昨夜の怒りの原因すら分かっていなかった快斗に、新一は翌朝、更に彼を不可解の渦に陥れる行動をとったのだ。

 

 

 新一が自室に戻ってしまった事に気付いた後、自分も仕方なく部屋に引き上げた快斗はどうしたものかと悩みながらも、仕事の疲れもあって、いつの間にか深く眠り込んでいた。

 

 そして、目覚めたのは午前7時30分。

 しまったぁ〜!!と飛び起きて、慌てて朝食の用意をしに階下に降りた快斗を待っていたのは、しかし、テーブルに見事に並んだ朝食と自分の定位置の席に座ってコーヒーを飲んでいる新一の姿であった。

 

 味噌汁やらお浸しやら、結構手の込んだおかずが並ぶ純和風の朝食は、寝坊して起きてこない快斗を待ちきれずに用意したという風ではない。明らかに作る意図を持って起床しなければ、これだけのものを作るのは不可能だ。しかも、この家には新一と快斗だけしか住んでいない現在、これを作れるのは、快斗を除けば目の前にいる彼しかいないではないか。隣からの差し入れ……というのも考えられなくもなかったが、昼食や夕食ならともかく、こんな朝っぱらではそれも考えにくい。

 

 これが常ならば、快斗は驚きつつも、「どうしたの??新一ッ?」と彼に詰め寄ったのだろうが、今はそれすら出来ずに、ダイニングの入り口に呆然と立ち尽くしたままであった。

 

 ―――――何故なら。

 快斗が降りてきても無表情を保ったままで、挨拶どころか一瞥すらしない新一の纏うオーラが昨夜と何ら変わらず、怒りの気配を漲らせていたからだ。

 

 凍り付いたままの快斗を完全無視で食後のコーヒーを飲み終えた新一は、自分の使った食器を片づけると、脇の椅子に掛けてあったネクタイを締め、カバンを取り上げて、そのまま玄関へ向かい、登校してしまう。

 

 「何で………?」

 

 また謝るキッカケを逃し、一人残された快斗は昨夜から幾度となく繰り返した疑問を呟いたのだった…………。

 

 

 

 

 

 はぁ…と快斗は本日何度目になるか分からない溜息を漏らした。

 

 ちなみに最終の6時間目は化学の時間。今日の授業はホームルーム教室での講義であって、硫酸なんかの劇薬を使う実験の日でなかった事を、担当教師とクラスメートは天に感謝すべきであっただろう。今の快斗では一体どんな実験結果が出るのか分かったのものではない。それだけ心ここにあらず、といった風だった。

 

 いつもならば寝ている快斗に怒鳴り散らし、懲りもせずに当てまくる化学担当の教師もあまりに奇妙な快斗の様子に、時折訝しげに見るだけだ。

 

 (いつもみたいに拗ねてるだけなら対処方法もいろいろあんのに……)

 

 今まで何度かしたケンカの後で、新一があんな行動に出たのは初めての事だ。普段でさえ新一が料理をする事など殆どない。実際には過去一回。快斗が風邪でダウンした時だけだ。快斗が長期に渡って不在となる時は、いつもコンビニ弁当か隣で世話になっていたから。

 加えて、新一が自分に対して腹を立てる原因には山ほど心当たりがあり、彼の不機嫌を助長させた事が何なのかも分からない。

 

 手先の器用な新一の作る料理は実はかなり美味しいので、手料理が食べられるのは本来ならば喜ぶべき事なのに、今の状況ではそんな訳にもいかなかった。

 

 快斗はぼけーっとした状態のまま、6限終了のチャイムを聞いていた。

 

 

 そして放課後。

 早々に帰りたいのに、最近付き合いが悪いとか言い出した何人かの級友に捕まっていた快斗の耳に、バタバタとどこかから駆けてくるような足音が聞こえた。

 

 何事?と廊下の方に視線の集中する中、足音はみるみる近付いてきて。ガラッと開いた扉の向こうにいたのは、息を切らせた現警視総監の子息の高校生探偵、白馬探。イギリスに帰還中のハズのクラスメートであった。

 

 「黒羽君っ!!」

 

 白馬は目を丸くしているクラスメートの中に黒羽快斗の姿を見つけると、飛び掛からんばかりの勢いで彼に近付き、その肩をがしっと掴んだ。

 

 「大丈夫ですかっ?!」

 「へ?何が?……って、テメー何しやがる!!」

 

 突然、学ランの上から腕やら上半身やらを撫で回されて、トリ肌をたてた快斗は慌てて白馬から身を引いて逃げた。そのいつもと何ら変わらない身のこなしにを見た白馬は、一瞬呆然とし、それから安堵したように肩の力を抜く。

 

 「………………無事だったんですか………」

 「何の事だよっ?!っつーか何でテメーがここにいる?!ロンドンじゃなかったのかよ?!」

 「一昨日帰国したんですよ。それより、本当に何ともないのですか?」

 

 いつものペースを取り戻した白馬は、それでもまだどこか疑わしげに快斗を見た。

 

 「だから、何が?!」

 「ケガを………したのではないかと………」

 「ケガぁ?何でだよ??」

 「一昨日、帰国してすぐに赴いたキッドの現場で、数人の警官と一緒に彼が何者かに狙撃されたのを見たんですよ。昨日その捜査で警視庁にいた時、工藤君に偶然お会いして、あなたが無事だとは聞いていたんですが、さっき下で中森さんからあなたの様子がおかしかったと伺ったので……」

 「ふ〜ん。それでキッドのオレがやっぱりケガしてたんじゃねぇかと思ったワケだ」

 

 はい、と首を縦に振った白馬に、快斗はフフンと笑って見せる。思いがけなく彼の言葉の中に悩み解決のヒントを得られた事で急きだした内心をきれいに隠して。

 

 「残念だったな、オレはいたって健康だぜ。今日の体育もちゃんと出たし。なぁ?」

 

 そう言って、傍で見ていたクラスメートに同意を求めると、その場にいた者は全員が頷いて、今日のサッカーの授業で快斗がハットトリックを決めた事まで話した。

 

 「残念なんて、そんな!安心しただけです!!」

 「あっそ。そりゃどーも♪気が済んだなら、オレもう帰るから。じゃ、悪いな、オメーら!また今度付き合うからよ。じゃーな!」

 

 あっという間に自分のカバンを取り上げた快斗は、呆気にとられる級友達を尻目に、驚くべき速さで教室を飛び出して行った。そのまま校舎を飛び出し、校庭を駆け抜け、街中を全速力で走る。

 

 

 白馬の言った事から答えを見つけ出すのは簡単な事だった。

 一昨日の仕事で久々に組織のヤツらに鉢合わせて狙撃された。急所は外れていて大事には至らなかったものの、そのキズから発熱した為、快斗は帰宅を1日延ばして、いつものように何食わぬ顔で工藤邸に帰った。もちろん新一にその事を言うつもりはなかった。

 でも。

 事件で警視庁に赴いた新一は白馬からキッドが狙撃された事を聞いたのだ。

 新一が快斗に対して怒るのは、当然の事だった。

 

 

 1日悩んでようやく得られた『答え』。見つかってしまえばあまりにも簡単すぎる事。

 

 一刻も早く新一に会いたかった。

 

 

 

 

 

 快斗は工藤邸への家路を大急ぎで辿った。そして、辿り着いた玄関で、ドアを開けようとして鍵が開いている事に気付く。

 

 (新一、もう帰ってんのか)

 

 ガチャッとドアを開け、新一を探してリビングへ入った快斗は、今朝と同じように大きな目を更に見開いて真ん丸くした。

 

 部屋の中に立ち込める食欲をそそる匂い。

 リビングと続きになっているキッチンへと行ってみると、鍋の中にはビーフシチューが出来ているし、冷蔵庫には手作りのジャーマンポテトサラダ。炊飯器はタイマーが入っていて、ご飯を炊く準備が万端に整っている。

 

 「……………………」

 

快斗はしばらく無言のままにそれらを眺めていたが、やがて踵を返すと、リビングのソファーにカバンを投げ出し、急ぎ足で二階へと上がって新一の部屋へ向かう。ドアの前に立つと、中からは確かに人の気配がした。

 そっと右手を持ち上げて、ノックする。

 硬質な音が廊下に響き、その後は沈黙が降りた。もう一度ノックするが、やはり応答はない。

 

 「新一」

 

 「……………………………何だよ」

 

 長い沈黙の後、ようやく返事が返された。

 

 「ごめんな?」

 「……………何が……」

 「ケガの事、黙ってて。オレが新一の事、怒る資格なんかないのに……」

 

 やや間が空いて、快斗の目の前でドアがガチャリと空いた。その向こうから姿を現したお姫様のきつい視線を快斗は真っ向から受けとめる。

 

 「…………………ようやく吐きやがったな」

 「……………………」

 「テメーがオレに仕事でのケガを隠したのは、同居を始めてからオレが知る限り今回で通算10回。オレにその事を言ったのはこれが初めて。オレがこうして行動に出なきゃ、お前は今回も何も言わないつもりだったんだろ」

 

 隠しても無駄なのは分かっている。快斗は無言で頷いた。

 

 

 「お前はオレの事ばっか心配するクセに、オレにお前を心配する事は許さない。オレがどんな気持だったか分かるか?」

 「…………………………ごめん」

 

 もう一度、謝罪を口にすると、未だ制服のシャツに包まれたままの新一の両腕が快斗の身体に回された。

 

 「………オレはお前の仕事を手伝うつもりも口出しするつもりもない。でも、お前がケガしてきて心配もせずに知らん顔出来るくらいなら、最初から同居なんかしてねぇんだよ……」

 

 ケガの面倒ぐらい看させろってんだ、バーロ……。

 

 「新一……」

 「もう謝らなくていいから。お前だって好きでしてくる訳じゃないだろうから、ケガしてくるなとも言わない。でも、お前がオレを好きだと言うなら、心配する事ぐらいはさせろ。オレもちゃんとメシ食うように心がけるから……。―――――――だから……」

 

 

 ――――――……絶対にオレの所に帰って来い。

 

 

 

 

 

 仲直りをして、新一の作った食事を二人で4日振りに一緒に取った後、リビングのソファーに座っていつものようにくつろぐ。

 しばらくして、ふと思い出したように快斗が新一に顔を向けた。

 

 「新一さ、わざわざご飯作ってたのってやっぱり……」

 「……お前への当て付け。お前悩ますのに恰好だったろ?」

 

 読んでいた本から顔を上げ、すました表情で返された答えに快斗は苦笑するしかない。そんな快斗の様子に新一はフフンと笑って。

 

 「……後は、お前のケガが右の上腕だったから、出来るだけ動かさない方が良いと思ったんだよ。朝はともかく、夕食はどうしようかと思ってたら、丁度午前中に警察から要請が入ったから、そのまま午後はサボって帰ってきたってワケだ」

 

 ケガをしていた事だけでなく、その部位までが昨日の時点で既に知られていた事に少し驚いたように目を瞠る。

 

 「キッドが狙撃された事は白馬に聞いたんだろ?アイツはキッドがどこを撃たれたかなんて知らなかったぜ?見ても分かんなかったみてーだし」

 「だろうな。でも、お前の事なんか、ちょっと注意深く見れば分かる。白馬も探偵としては優秀かもしれねぇけど、お前に関してはこのオレに敵う訳ねぇじゃねーか」

 

 不敵に笑って言い放たれた言葉に快斗はもう一度目を瞠って。それから、嬉しそうに笑った。

 

ありがとうございます、天野さまv
リク通りの地雷品ありがたく頂戴しました!
喧嘩する快ちゃんと新ちゃん・・やはり、互いのことが気になるし
心配で時には怒ったりしますよね。
うちの二人もよくやりますし・・・・
悩む快ちゃんも可愛かったけど、怪我したと知ってすっ飛んでくる白馬も可愛い〜v
いや、いいお話でしたvそして、やっぱり新ちゃんは無敵だ!!  麻希利

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