「あ、多九郎さん。どうでした?」 店に出てきた多九郎に気がついた従業員がトレイを持って近づいてくる。 ひと月ほど前にウェイターとして入ってきた男だが、故郷が近いことがわかり多九郎とよく話をしていた。 頬に傷があり、それがなければホストとしても十分やれる男前であったが。 駄目だった・・・とガックリ首を落とす多九郎に、ウェイターの男はおや、という顔をする。 話しやすい男だったせいと、故郷が近いという親近感から、ポロ・・と己の性癖を打ち明けてしまったのだが、そういうことに偏見がない男らしく、そのことで多九郎を避けるようなことはなかった。 それどころか、何かと相談にのってくれたのだが。 「嫌われてもいい、告白して無理やりでも思いをとげるつもりだったんだが」 「失敗したんですか。でも、まだその方が好きなら諦めずアタックすればいいんですよ。そうしたら、その方もきっと」 「無理・・・男だとばかり思ってたあの人、女だった」 え?と男は目を見開いた。 「それって、オナベだったってことですか」 「いや・・そういうのとはちょっと違う気がするけど」 多九郎は、客ではないが好きな男がいると話していたが、それがどこの誰なのかは言っていない。 いくら気安くても、そこまではまだ話せなかったからだ。 「そうですか。それは残念でしたね」 ああ・・・と多九郎は頷く。 「けど、女だとわかっても、やっぱりまだ好きなんだよな。きっと俺は、性別など関係なく、あの人自身が好きなんだと思う」 諦められないと多九郎は言った。 「じゃあ、やはりアタックするのみですよ。頑張って下さい、多九郎さん」 う・・ん、と多九郎は苦笑めいた笑いを浮かべた。 頑張りたいとは思うが。 知らなかったとはいえ、自分はひどいことしたし。それに、銀さんを迎えに来たあの男。 もしかしなくても、顔だけ見れば向こうの方がランクが数段上だ。 障害はかなり大きいかもしれない。 多九郎が常連の客に呼ばれて行ってしまうと、トレイを持った男は、真面目そうな印象が一変するような笑みを浮かべた。 (そうか・・・白夜叉は”女”か)
人通りがなくなった暗い橋の上でばったり会った二人がピタリと足を止める。 「あれ、旦那ぁ?なんで、こんなとこ歩いてんです?」 「そういうジミーくんは、なんで歩いてるわけ?」 「山崎です、旦那。俺は局長に頼まれてちょっと調べものを」 「そうかい。そいつはご苦労さん」 じゃね、と手を上げて行こうとする銀時を、山崎は慌てて引き止める。 「待ってくださいよ、旦那ぁ!俺、送りますから!」 あぁ〜?と銀時は、なんで?という顔で振り返る。 「え・・・と、時間も遅いし。この辺は暗くて物騒だし」 「何言ってんの、おまえ?」 言ってることが、まるでうら若い女性が夜一人で歩いてるのを見つけ、おまわりさんは心配だから送っていきますよという感じだ。 およそ、銀時を知ってる山崎が言うセリフではない。 「副長から言われてるんですよ。一人でフラフラ歩いてる旦那を見つけたら、寄り道させずにさっさと家に送ってけって」 「なんだ、そりゃ」 嫌がらせか? 銀時は呆れたような顔で山崎を見る。 「知りませんよぉ。旦那、副長が機嫌悪くなるようなことしたんじゃないですか」 土方と銀時が、会うといがみ合うのは周知のことだ。 まあ、何かっていうと銀時がからかうせいもあるが、最近は一緒に酒を飲んだりすることもあり、二人の仲はちょっといい方に変わってきているようだが。 「この前、万事屋のくせに上等な酒かっくらって眠り込んでんじゃねえって怒ってましたし」 銀時は目をパチクリと見開くと、考え込むように顎に指を当てた。 「それって、三日前くらいのこと?」 「え?ああ、そうだったかな」 ふ〜ん?と銀時は顎を上げ、そして顎を引くと自分が今首に巻いているマフラーを右手の指で摘んだ。 「そうかあ。これ、土方のだったんか」 てっきり多九郎のだと思って、返すつもりでいたのだが。 「だったら返すことねえか」 へ?と山崎は目を瞬かす。 「ちょっ旦那ぁ。今のって・・・そのマフラー副長のなんですかぁ?」 そういえば、なんか見覚えがあるような。 「そうだ、ジミーくん。俺を送ってく時間あんなら、ちょいと飲んでかね?」 「はあぁ?何言ってんですか、旦那。寄り道させるなって言われてんですってば」 「いや、ちょっとだって。すぐそこにおでんの屋台あったろ。そこでちょいと暖まってから帰ったっていいだろ」 なvと銀時は山崎の肩に手をまわし向きを変えさせると、ニッと笑って歩き出した。 「ほんとにちょっとだけですよ。バレたら、俺、副長に殺されますから」 うんうん、とうなずく銀時に、山崎は諦めたように溜め息をついた。 並んで橋を渡りきろうとしたその時、ふっと銀時の表情が変わった。 眉間に皺を寄せ、楽しそうだった歩調が警戒するような足取りになったかと思うと、山崎の身体がドンと突き飛ばされた。 その瞬間、いきなり暗闇から現れた黒い影が銀時に向かって突進してきた。 銀時の腰にさした木刀が、目にも止まらない速さで抜かれ、相手の攻撃を受け止め、早い動きで弾き返すと相手の横腹に刃をくいこまさせた。 一人をあっけなく倒すと、次々と黒い影が銀時に襲い掛かった。 「なになに?今時覆面なんかしちゃって。頭から足まで黒ずくめって、どちらのレトロ忍者さん?」 銀時はせっかくの楽しい気分をだいなしにされ不機嫌な顔で、唐突に襲い掛かってきた黒ずくめ集団を倒していく。 「旦那!」 銀時に突き飛ばされ転がった山崎だったが、すぐに立ち上がって刀を抜いて駆けつける。 山崎が一人を相手に戦っている間に、銀時は残りを全て倒していた。 「でえぇぇい!」 山崎は銀時に一瞬気を取られた隙をついて、相手の首から胸にかけて切り裂いた。 ドッと相手が地面に倒れこむ。 山崎は、はぁはぁと荒い息を吐いた。 「な・・なんなんですか、これ?」 「知んねえな。追剥ぎじゃねえの?」 「そんな風には見えませんけど」 とにかく屯所に連絡入れて、と山崎は慌しく懐から携帯を取り出す。 山崎が真選組の屯所に連絡を入れていると、銀時はツイと背を向けて歩き出した。 「あ、旦那!どこ行くんです!?」 「帰る。なんか気がそれちまった。酒はまた、今度な」 銀時はひらひらと手を振った。 「帰るって・・・ちょっと待ってくださいよお。旦那ぁ〜。俺、送ってかないと怒られますってぇ」 「心配ねえって。なんか用がありゃ、家に来いっつーといて」 銀時はもときた道を戻るべく、渡ったばかりの橋を渡り始めた。 半分ほど渡ったところで、銀時は右手の甲に何かチクリとした痛みを感じた。 なんだ・・・? 銀時が痛みを感じた右手を見ようと視線を下に向けたとき、クラリと頭が揺れた。 やば・・と思った時には身体が前に倒れこんだ。 だが、うつ伏せに倒れこむ前に、誰かの腕が銀時の身体を受け止めた。 (だ・・誰・・・だ?) 確かめようと顔を上げかけると、首筋にまたも小さな痛みを感じた。 「坂田の女は、男を知るまでは女には見えんというが、その通りだな」 くくく、と笑う男の声は、聞き覚えのない声だった。 だが、と男の手が銀時の顎を持ち上げる。 霞む視線の先に見えた顔は、やはり見覚えのない顔だった。 「なかなかに美しい顔だ」 旦那! 屯所に連絡を入れていた山崎が異変に気づき、刀を抜いて走り出した。 それを見て、銀時を抱えていた男は不快そうに顔をしかめる。 「うるさい犬だ」 「・・・・・っ!」 男の手から放たれた小刀が山崎の肩を貫いた。 ぐわっ!と苦痛の声を上げて膝が崩れる。 と、山崎に気を取られた男の一瞬の隙を銀時は捉えて、いまだ握っていた木刀で男を振り払うと、橋の欄干を乗り越えて川にその身を投げた。 「しまった・・・!」 男は己の油断に舌打ちする。 まさか、まだ動けるとは思わなかった。薬に耐性でもあるのか。 すぐに後を追おうとした男だが、それを阻止するかのように飛んで来た手裏剣が欄干に突き刺さった。 「行かせねえぜ、摩芝っ!」 「くっ!・・・全蔵ぉぉぉっ!」
「だ・・旦那ぁ・・・」 山崎は霞む意識を必死に繋ぎとめながら、携帯を握った。 知らせなきゃ・・・副長に・・・・
ああ・・くっそ・・・息でき・・ねぇ・・・誰か・・誰か手を・・・手を引っ張ってくれよぉ・・・
水の中からうっすら見える明かりに向けて必死に伸ばした手を、水の外から伸ばされた手ががっちり掴む。 そのまま力強く引かれて、水の中から銀時の身体が引き上げられた。 「先輩ぃ〜白夜叉、どうスか?」 「ああ。大丈夫のようでござる」 小船に引き上げた銀時の息があるのを確かめた万斉は、とりあえず間に合ったことにホッと胸を撫で下ろした。 意識はないようだが、とにかく生きている。 自分たちが油断し一歩出遅れたせいで白夜叉を失っていれば、晋助に顔向けどころか、腹切って詫びるしかない。 (まあ、この白夜叉が、そう簡単に死ぬとは思えんがな) だが、さすがの万斉も慌てさせられた。 まさか、先に仕掛けられるとは。 (奴は忍び、か。いったい誰の命令で白夜叉を) 「じゃ先輩ぃ、行っていいスか」 万斉は、まわりの気配を探りながら、ああとまた子に向けて頷いた。 棹を操っていた来島また子は、意識のない白夜叉を乗せたまま小船を船宿へと寄せていく。 小船を船着場に入れると、万斉は銀時を腕に抱え上げ、また子と共に部屋へと上がっていった。 一週間前から、白夜叉確保のためこの船宿の一部屋を確保していたので、誰に見咎められることなく万斉らは部屋に入った。 「このままじゃ風邪を引くでござるな」 万斉は抱きかかえていた銀時を畳の上にゆっくりおろすと、また子に後はまかせたとだけ言って背を向ける。 慌てたのはまた子だ。 「ちょ・・先輩!何言ってんスか!?後を頼むって、それなんスか!」 「だから、そのままじゃ風邪を引くだろう。濡れた着物を脱がせて身体を拭いてやってくれということでござるよ」 「あたしがぁぁぁっ?」 また子は、なんで!?という顔で叫ぶ。 なんで、女の自分が白夜叉の着物脱がせて拭いてやらなきゃならないのか。 「拙者は晋助に事の次第を報告するでござる。遅くなると機嫌が悪くなるでござるからなぁ」 それと、自分も着替えたいしと万斉が言うと、また子の顔が引きつった。 タオルと着替えはクローゼットの中にあるとだけ言って、万斉はさっさと部屋を出て行く。 あっ・・・というまた子の助けを求める声が耳に入るが、無視して万斉は襖を閉めた。 (さすがに拙者がやると、マズイでござるしなぁ) 確かめたわけではない。 白夜叉に関しては、誰よりもよく知っている晋助だろうに、彼は何一つ話そうとしなかった。 なので、あくまで調べた結果からの想像でしかない。 もし外れたら、また子には気の毒なことだが。 さて・・・と万斉は顎をツルリと撫でた。 濡れた銀時を抱いていたため万斉の衣服も濡れて肌に張り付いていたが、着替える前に晋助に連絡を入れておいた方がいいだろう。 あんまり待たせると、また子に言ったように晋助の機嫌が悪くなる。 機嫌の悪い晋助は、どんなに話しかけても一切口を開かず無視してくれるので大変なのだ。 万斉は不機嫌な総督さまの顔を思い浮かべ、小さく苦笑いすると自分の携帯を手に取った。 そして、いざかけようとしたその時、あぎゃあぁぁぁぁっと、甲高い奇声が襖の向こうから聞こえてきた。 続いてダダダと走る音がして、背にしていた襖が外れるのではないかと思うほど激しく開けられる。 見ると、信じられないものを見たかのように顔を引きつらせたまた子が立っていた。 「せ・・・先輩ぃぃぃぃっ!なんスか!いったいなんなんスかぁぁぁっ!」 「なにが?」 「何がじゃないっス!先輩は知ってたんスか!?白夜叉は・・・白夜叉は・・・あれ」 女じゃないっスかぁぁぁぁっ! そんなの聞いてないっスよ! 「いや、拙者も半信半疑で。女かもしれないという疑いはあったでござるがな」 「だったら、一言言ってくれればいいじゃないスか!」 「だから、半信半疑だったって。ほんとに白夜叉が女だったら、拙者、晋助に殺されるでござるから」 「男だったら、殺されないって言うんスか!だからわたしにやらせたんスか!」 先輩、最低っス! また子は激怒し、再び壊さんばかりに音高く内側から襖を閉じた。 やれやれ、と万斉は息をつくと、携帯を持ち直した。 「晋助でござるか?白夜叉は無事確保し申した。いささか問題はあり申したが・・・・いや、先を越されそうになったでござるよ。どうやらアチラは忍びを使っているようで・・・ああ、怪我は心配ない。迎えが来たらすぐにそちらへ向うでござる」 万斉は簡単な報告をすませると、通話を切った。 さて。白夜叉を追う連中に気づかれる前に、早々にここを離れるか。 川向こうから聞こえてきたパトカーのサイレンに万斉は半分ほど開いた障子窓にサングラス越しの視線を向けた。 (真選組も面倒でござるな。特に、副長の土方十四郎・・・・)
迎えの車が到着すると、まだ意識を取り戻さない銀時を毛布で包み後部にまた子と一緒に載せると、万斉は助手席に乗り込んだ。 抱き上げて部屋から出る時や、後部に乗せる時にも様子を確かめたのだが、銀時が目を覚ます様子はなかった。 おかしいとは感じた。 あの白夜叉が、川に落ちたくらいでずっと意識を取り戻さないのはどうも納得がいかない。 気づいたのは、銀時の着替えをまかせたまた子だった。 銀時の白い首筋に、針に刺されたような小さい赤い傷跡を見つけたのだ。 (なるほど。意識をなくさせるような薬を注入されたでござるか) 忍びならやりそうなことだ。 拉致するのが目的であるから、毒針ということはないだろうし、呼吸にも乱れはないから心配はないだろうが。 だが、艦についたら医者に見せた方がいいかもしれない。 「先輩。やっぱりおかしいっスよ。眠ってるといっても、身じろぎ一つしないし、音にも反応しないなんて」 息をしてるのに、まるで死んでいるようだとまた子は言う。 「・・・・・・・」 (これは・・・マズイかもしれん) 「万斉さま」 運転していた男が前を指し示す。 見ると、一人の男が行く手を遮るかのように道の真ん中に立っていた。 万斉は無言でドアを開けると、外に出て車の前に立ち、男と対峙した。 「何か用でござるか?」 「わかってるくせに聞いてくる奴ぁ、俺はどうも好きになれねえんだな」 そうか、と万斉が肩をすくめると全蔵は両手を上げた。 その手にはいつのまにか数本のクナイがあった。 「忍びか」 「おめえらがどこの誰かは知らねえがな・・・あいつは返してもらうぜ!」 全蔵の手からクナイが放たれると、万斉は素早く抜いた刀でもってその攻撃を防いだ。 「返せとはどういうことでござる?奴がおぬしのものだとでもいうでござるか」 「俺のもんじゃねえがな。あえて言うなら、親父の遺言だ。俺は奴を守んなきゃなんねえんだよ」 守る? 「ちょっと待て!」 止まることなく攻撃を仕掛けてくる全蔵に、万斉は待ったをかけた。 「待て!おぬし、白夜叉の敵ではないでござるか!?」 「ああ〜?どういうこった?そういうテメーはあいつの敵じゃないってか?」 「以前敵としてやりあったこともあるが、今は違う事情があるでござる」 全蔵は眉をひそめた。 「あんた・・・そういや、見たことある面だな。・・・ああ、前に仕事でテレビ局に寄った時見たやつか」 「ツンボでござる」 「はあ?芸能人か?そんなんが、なんであいつを狙う?」 「拙者、おぬし同様保護するように言われたでござるよ」 「保護?誰にだ」 思いがけない展開に全蔵は戸惑ったが、しかし警戒は緩めない。 このサングラスの男は明らかに只者ではないし、それにあいつのことを白夜叉と呼んだ。 何も知らない民間人ではありえない。 「高杉晋助」 「高杉・・・あんた、鬼兵隊か?」 なるほど。 高杉晋助といえば、かつて銀時と共に攘夷戦争を戦った繋がりがある。 とはいえ、二人は紅桜の事件で敵対した筈だ。 「確かに敵対はしたが、晋助は白夜叉を憎んではおらんし、害そうとも思っておらん」 「・・・・・・」 「それより、おぬしが忍びなら聞きたいことがあるでござる。白夜叉の様子がおかしいのだが、心当たりはないでござるか?」 「おかしいって、どんな?」 「意識が戻らないのでござる。呼吸も脈も正常であるのに、まわりからの刺激にも一切反応しない」 「なに?」 まさか、摩芝の奴・・・・ 「傷は?」 「左手の甲と首筋に針でついたようなあとがあったでござる」 チッ、と全蔵は忌々しげに舌打ちした。 「あの野郎〜〜・・・わかった。調べて解毒剤を手に入れる。あんた方のことは一応信じるが、もし裏切ることがあれば、命はないと思えよ」 「それはこちらも同様でござるよ。白夜叉に何かあれば、晋助は絶対に許さんでござるから」 そちらも裏切るなと万斉が言うと、全蔵は一瞬驚いたようになり、そしてスッと姿を消した。 万斉は刀を納めると、携帯を取り出した。 「晋助・・・困ったことになったでござる」
この日、最後の患者の診察を終え、ようやく息をついた白衣の女医者は、くるりと椅子をまわし煙草に火をつけた。 軽く顎を上げて、ふぅっと白い煙を吐き出す。 「先生、お疲れさまです」 一服していると、若い看護士が入れたてのコーヒーを運んできた。 「ありがと。今日はもう予定ないから帰っていいよ」 はい、とまだあどけない顔をした看護士は、じゃあ帰ります、とペコリと彼女に向けて頭を下げた。 「ご苦労さん」 看護士がゆっくりドアを閉めると、女医者は足を組んだままコーヒーの入ったカップを手にとり、形のいい口へと持っていった。 男のように短くした髪に、やや骨ばったほっそりした身体。 ある時期から女らしい格好はいっさいやめて、常に男のような格好をして医療に携わってきた。 女には無理だと言われた手術も何度もこなし、今やその名も知られるようになってきた名医だ。 父親は小さな村の医者だったが、父親が死んだ後、自分が医者になるなど考えもしなかったのだが。 成り行きといえば成り行き。 運命といえば運命かもしれない。 一本吸い終わり、もう一本吸ってから家に帰るかと机の上のライターに手を伸ばした時、ふいに放り出したままだった携帯が小刻みに振動した。 なんだ?と手にとってかけてきた相手の名を確かめた女医師は、ほお?と目を見開いてボタンを押した。 「珍しいな、あんたがかけてくるなんて。てっきり忘れられていると思ってた」 携帯の番号を教えたのは、もう五年近く前になるか。 偶然再会した彼は体調を崩していて、一応診察して薬を渡したが、気になって自分の携帯の番号を教えた。 だが、彼からの連絡はずっとなかった。 相変わらず、低いシニカルな物言い。 幼馴染みだという、彼女の知るあの子とは全く違う話し方だが嫌いではなかった。 彼のもう一人の幼馴染みも、そして自分が医者になるきっかけを与えてくれた男も彼女にとっては忘れられない大切な存在だ。 彼の話を聞き終えた時、彼女の手の中にあった煙草は堅く握られてつぶれていた。 女医者は手の中のものをくずかごに捨てると、新しい一本を抜いて唇にはさみ火をつけた。 すーっと吸い込んだ後、煙を一度吐き、まだ長いままの煙草を灰皿に押し付けた彼女は椅子から立ち上がった。
診察用のカバンを持って自宅兼診療所を出ると、呼んでおいたタクシーがすぐにやってきた。 「先生、往診ですか?」 白衣姿の女医者を見た運転手が聞く。 、ああ、と女医者は頷いて行き先を告げた。 聞いた運転手は、え?と首を傾げるが、問い返すことはせずにタクシーを走らせる。 女医者は、後部座席にもたれるように深く座ると、腕を組み、ふぅぅと長く息を吐き出し目を閉じた。 「先生、お疲れじゃないですか。外来の診察が終わったばかりでしょ。昨日は、頼まれて大きな手術をしたって聞きましたよ」 「大丈夫──これくらいで参るほど、わたしは軟弱じゃないよ」 「いや、そうでしょうけどね。気をつけて下さいよ。先生のようないい医者は、私ら一般市民には本当に大事なんですから」 腕のいい医者は殆ど大病院に移り、このタクシーの運転手のような一般市民には診察すらしてもらえない高嶺の花になっているのだ。 彼女のように難しい手術もこなす医者が、街中で診療所をやっているというのは珍しいのだ。 「心配してくれてありがとう。ほんとに大丈夫だから。ちょっと眠るから着いたら起こしてくれ」 「わかりました」 女医者は、腕を胸の前で組んだまま目を閉じた。
ああ、あれからもう十年が過ぎるだろうか。 生まれて初めて己の手で絶ったのは、憎いと思い続けていたモノではなく人の命だった。 己の顔に、身体に飛び散った赤い血と、消えない血のり。 握り締めた刀は、離そうと思ってもいつまでも離れることがなかった。
(うるせえな……) 本陣に向かう途中、山中で休息をとっていた銀時は、さっきから聞こえてくる複数の怒鳴り声に抱えていた膝の上で伏せていた顔を上げた。 夕暮れになる前に野営の場所を決め、それぞれに休息をとっていた。 今回銀時が助っ人として加わっていた隊は、あまり馴染みのある人間もなく、しかも既に一人歩きしていた白夜叉の噂に怯えているのか、好んで近づいてくるものはなかった。 ま、面倒事はできれば避けたい銀時にとって、下手に接触してくれない方が助かっているが。 本陣には桂や高杉、そして坂本ももう戻っているかもしれない。 この連中は、とにかく銀時に対して口煩い。 特に桂に至っては、何かもめごとがあると、全て銀時が悪いと延々長時間説教をかましてくれるのだ。 全く、たまったものではない。 なので、できるだけ兵たちが集まる場所を避け、一人で休める場所に落ち着いたのだが、うとうとしだした所で、なにやら揉めているような声で起こされた。 むぅっと不機嫌に口を尖らせた銀時は、刀を掴んで休んでいた木の根元から立ち上がると、声のする方へと向かった。 声は、隊の連中が火をおこして休んでいる場所からは外れた所から聞こえていた。 争っているようにも聞こえるが。 (三人……いや、四人か?) 「何やってんだ?」 銀時が声をかけると、ギョッとしたように男たちが顔を向けてきた。 記憶にない顔。もっとも、人の顔を覚えるのは極端に苦手な銀時であるから、話もしたことのない人間の顔など覚えてるわけもなかったが。 「し……白夜叉」 銀時は瞳を細める。 どこか怖れているような、まるで化け物でも見るような顔を向けられるのは珍しいことではない。 鬼のように強いと噂され、実際の白夜叉を見て意外に思う者はあるが、しかし、ひとたびその戦いぶりを見れば、誰もが感嘆ではなく恐怖を抱くのだ。 その強さ、そして人とは思えぬ情け容赦ない凄まじさに誰もが怖気づく。 状況を見るに、三人のごつい男が、やや小柄な若い男をいびっているという所か。 「なんだ。新人いびりでもやってんのかよ」 「ち…違う!こいつが女だったんで……」 「女?」 銀時は眉をひそめ、男たちに囲まれている若い男(?)をジロジロ見た。 髪は、さも無造作に切ったような短い髪で、やや日焼けした肌に汚れがこびりついていて黒く見える。 着物は着古された男もので、膝あたりでざっくりと短く切られていた。 足首から膝下まで布をきっちり巻いているが、素足なので痛々しい。 細い顎にくっきりした目と通った鼻筋は、女と言われればそうかもしれないし、男だと言われれば、まあちょっと女みたいな顔した餓鬼で通用するかもしれない。 近寄ってきて無遠慮に見つめる銀時を睨みつける目は、なかなかに気性のキツさが見て取れる。 「ふ〜ん?」 銀時はふいに右手を伸ばしいきなり胸にタッチした。 胸にも布を巻いているようだが、それでも手のひらに柔らかな感触があった。 「あ、柔らけぇ…マジ女?」 ヒュッ!と鋭い拳が飛ぶが、銀時は軽く背をそらして交わした。 なかなかに攻撃が素早い。銀時にとっては子供相手のようでも、おそらく、この三人は何発かやられたのかもしれなかった。 今にも殺しそうな目で睨みつけられた銀時は口笛を吹く。 「おんもしれえ〜。こいつ、俺がもらってくぜ」 言うが早いか、銀時は男の格好をした女の腕を掴んでさっさと歩き出した。 せっかく見つけた女をあっさり奪われてしまった男たちは、不満そうだったが、相手が白夜叉では逆らえるはずもなかった。 力で奪い返そうなど、到底不可能なことで、逆にその命がなくなるはめになるのは明らか。 彼らも戦場にいる白夜叉を見て恐怖した一人だったのだ。 な…なに?なんなんだ!? 女は困惑していた。 あの三人に女だとバレ、乱暴されかけていた所に現れたのが、鬼だと恐れられている白夜叉だった。 簡単に犯されるつもりはなかったが、白夜叉が相手ではどんな抵抗も無駄なような気がした。 いや、確信だ。絶対無理だ。 歴戦の兵ですら恐れおののく"鬼"なのだ。 あ、と女の手を掴んでいた白い鬼が小さく声を出し足を止め振り向いた。 「思い出した。おめえ、昨日、天人と一戦やってた時いたよな。俺んこと、じっと見てた」 「………」 「なんか、ぼお〜っとした顔で突っ立ってっから、変な奴だと思ってたんだけど」 フーン、女かあ。 またも胸を触られた女はカッと赤くなって、また拳を突き出したが、やはり軽くかわされてしまう。 「触んなっ!わたしになんかしたら、舌噛んで死んでやる!」 「え〜〜胸触るくれーいいじゃん。減るもんじゃなし。女の胸って柔らかくてあったかいから気に入ってんだよな」 ずっと険しい顔で黙ったままだった女が抗議の声を上げると、目の前の夜叉と呼ばれる男は、まるで情けない子供のような文句をたれた。 なんだ、その言い草は。本当にこいつがあの"白夜叉"なのか? 「女の胸、触りたかったら商売女に頼めばいいだろうが!わたしはゴメンだ!」 「あ〜そうなんだけどさ……」 銀時は、奔放にはねた銀髪に手をやってガリガリかいた。 「俺、女抱けねえし。ダチが無駄なことすんなって怒るしなぁ」 女は目を瞬かす。 ─女が抱けない? 「おまえ、んな格好してんのは男避けか?」 まあ、確かに女だとわかると危険だからって男の格好してる女はいるが。 特に、親や身内を失った女は、幼女でも危険だからと男の格好をすることがよくあった。 女だとわかれば、乱暴されるか攫われるか、売り飛ばされるしかないからだ。 「身内はいねえのかよ?」 「……いない。わたしのいた村は天人に襲われて皆殺しになった。親も兄弟もみんな死んだ」 「そっ…か。だったら、一緒に来るか。俺の女ってことにしときゃ、誰も手を出してこねぇぜ」 「その代わり、胸を触らせろとか言うか?」 あ、それいいな、と言いかけた銀時は女に睨まれ苦笑しながら肩をすくめた。 ま、いいやと銀時は再び木の根元に腰をおろした。 「明日も一日山越えだし、おめえももう寝たら?俺がいたら、あいつらも寄ってこねえし心配しなくていいぜ」 「あんたがいるだろ」 「もう胸触らせろなんて言わねえよ」 言って銀時は木に背をもたせかけ、刀を抱きしめるようにして目を閉じた。 「………」 女はあっさり寝てしまった銀時を、どうしたものかと見下ろした。 月明かりも淡く、鬱蒼と葉を茂らせる木の下ではその顔ははっきり見えないが、それでも自分より若いのではないかと思える。 声はやや低いものの、まだ幼さの抜けない声音と、子供っぽい言動。 いきなり胸を触られて動揺したが、考えてみれば自分を犯そうとしていた男たちとは違い性的なものは感じず、どこか母親の胸に触れたがる子供のようだった。 (子供……) 昨日、攘夷志士と天人との戦闘に偶然出くわし、初めて殺し合いというものを間近で見た。 人の死に麻痺しかけていたため、その場から逃げようという気にもならず、彼女はただじっと殺し合いを眺めていた。 そんな彼女の目に映った、白く輝く異形とも言うべき者の姿。 白銀の髪を振り乱し、白刃をふるうたびに、真っ赤な血が吹き上がる。 誰よりも強く、誰よりも容赦がなく、そして誰よりも美しく思えるその姿に女の視線は釘付けとなった。 白い侍の戦う姿を見ながら、女はぼんやりと思い出す。 かつていた村で耳にした噂。 攘夷軍の中に、恐ろしく強い白い鬼がいるらしいと。 その者の名は。 (白夜叉……) 攘夷戦争では多くの侍が戦いの中で死に、長期に渡っている為に戦いに出る者たちはどんどん若くなっていると聞いていた。 だがまさか、こんな子供までが……もしかしたら、自分の妹と同じ年頃かもしれないと思うと、なんだか哀れに思えた女は、刀を抱えて眠っている夜叉と呼ばれる男の隣に座った。 すると、温もりに引かれるように銀時の身体が女の方にすり寄ってきた。 ビクッと女が身体を震わせ離れようとすると、銀時は彼女の腕を掴んで引きとめた。 「なんもしねえから。俺、女だし。さすがに同じ女抱こうとは思わねえよ」 …え? 驚いた女が思わず息を飲んで隣にいる銀髪を凝視する。 「女って……あんたがぁぁっ!?」 「ん…まあ一応…な。胸ねえけど。俺、家系的にいろいろ特殊でさあ」 目を閉じたままボソボソ呟く銀時に女は絶句した。 女……この子があ?まさか。白夜叉と呼ばれ敵だけでなく味方にまで恐れられている侍が? 女!?そんなことが── 信じられないというように目を見開いたまま、女は自分に寄りそう白い侍を見つめた。 「あったけぇ……」 女にぴったりと寄り添った銀時は、伝わる相手の温もりにふわりと笑みを零した。 その顔を見た途端、堅く緊張していた女の身体から、スッと力が抜けた。 「………」 女は銀時に掴まれた手をそのままにして、もう一方の手を伸ばすと銀色の頭に触れた。 見た目通りの柔らかい手触りに女は笑み、夜叉と恐れられる侍の髪を何度も優しく撫でた。
あれから山を二つ越え、三日かけて現在天人の軍と戦う攘夷志士たちの本陣にたどり着いた。 白夜叉が言った通り、誰も彼女に手を出すどころか近づこうとする者さえなかった。 本陣にしている山城の門をくぐると、兵たちはもとの部隊へと戻っていった。 白夜叉と二人で石段を上っていくと、大柄な男がにやにや笑いながら待っていた。 「おお〜銀時!そっちがおまんの女かや?噂を聞いて、おまんが戻ってくんのを楽しみにしちょったぞ」 「うわさ〜〜?何、もうおまえの耳に入ってんのかよ、辰馬。どんだけ早耳だよ」 「おまんに関することは、戦功だけでなく逐一耳に入ってくるぜよ」 それにしても、と坂本は銀時の傍らに立つ女をじーっと見た。 「ほんにべっぴんじゃあ。銀時、おまん、やっぱあ面くいじゃぞ」 「ちげぇよ」 銀時は嫌そうな顔をする。 「いやいや、おまんが気がついてないだけぜよ。だいたい、おまんのまわりにゃ、規格以上の美形が揃っておるからのう。慣れてもうてるのかもしれんがの」 ま、銀時自身も美形の範囲内だが。 「銀時!」 突然鋭い声が飛び、銀時はギクッと首をすくめ身体を堅くした。 「げ…ヅラの耳にも入ってんのかよ!」 「当たり前じゃ。ヅラもおまんが戻ってくんのを今か今かと待っちょった」 「好奇心垂れ流しのおめえとは意味ちげえだろうが!」 「銀時、貴様ぁ!いったい何をやってる!一度ならず二度までぇぇぇ!」 怒鳴りながら現れた長髪の男は、逃げかけた銀時の襟首をハッシと引っつかんだ。 「ちょ…ヅラ……俺、戻ったばっかで」 「ヅラではない桂だ!貴様にはじっくり説教してやらんといかんようだな」 「はぁ?いつも散々やってんじゃん」 「腰を据えてという意味だ。貴様が納得するまで繰り返し説いてやるから覚悟しろ」 ふえ〜と泣きそうな顔で引きずられていく銀時を見て、女は慌てて取り成そうとするが坂本が止めた。 「ありゃあ、奴らのコミュニケーションじゃ。心配いらんぜよ。なんしろ、あの二人は、こんまい頃からのつきあいじゃからの」 え? 「それって幼馴染み?」 「そうそう。仲がええてほんに羨ましいくらいじゃ」 「坂本」 二人の姿が建物の中に消えると、洋装のような戦装束を身に着けた男が入れ替わるように現れた。 「銀時は戻ってきたのか」 「おお、高杉。ついさっきヅラが連れていったぜよ。今頃は説教をくらってるんじゃながか」 「あぁ?またなんかやったのかよ」 「あや?高杉は聞いちょらんがか?銀時の女の話」 「ああぁ〜?」 高杉は眉をしかめると額に手のひらを当てた。 「またかよぉ。ったく、こりねえバカだな」 呆れたように溜め息をつく高杉のもとに男が走ってくる。 「総督!辰見が戻ってきました!」 「おう、やっと戻ったか」 言って向きを変えた高杉だが、再び坂本の方を振り返る。 「坂本。ヅラに言っとけ。説教もいいがあんまり長引かせんなとな。場合によっちゃ、九岐の守りに白夜叉の手を借りっかもしれねえ」 高杉は早口でそれだけ言うと、背を向けて部下の男と共に立ち去った。 「やれ、忙しいのお。ま、戦争やっとんのからのんびりしとられんがか」 坂本は、高杉が消えた方を見ている女に視線を向ける。 「ありゃ、鬼兵隊の頭じゃ」 女は目を瞬かせながら坂本を見た。 「鬼兵隊って、鬼のように強いと言われてる、あの?」 「そうじゃ。知っとったが。まあ、ここ最近えらい活躍しちょるからのう」 「………」 鬼兵隊……まさかあんなに若い男が率いていたとは思わなかった。 銀時にしても……いや、さっきの長髪の侍もかなり若く見えた。 「あんまり若くて驚いたがや?今や、ああいう若い連中が前線で戦っちゅう。高杉も銀時とは幼馴染みじゃ。あの三人と初めて会った時ぁマジで子供のようだったぜよ」 そう言う坂本も若い。 確かに今は若い侍が主流となって戦場で戦っている。 それは、あまりにも戦争が長引いたせいかもしれないが、優れた力を持った侍が若い世代に現れたからかもしれなかった。 「さて、飯でも食いながらおんしの話を聞こうかの。今んとこわしゃ暇じゃから、ゆっくり相談にのってやれるが」 坂本は女に向けて人のいい笑顔を浮かべてみせた。
ガクンと上半身が揺れて、女医者はハッと現実に立ち戻った。 まるで、たった今まで昔のあの場所にいたような感覚が残っていてぼんやりする。 「着きましたよ先生。ほんとにここでいいんですか?」 女医者を乗せた車が止まったのは、人家のない堤防沿いの道だった。 「ああ、いいんだ。迎えを出すと言ってたから探してみる」 「大丈夫ですか、先生?なんなら、待ってやしょうか」 「大丈夫。患者の様態次第では、何日か泊まりになるだろうから待っていなくていい。帰る時は連絡いれるから迎えに来てくれ」 「わかりました。じゃあ、お気をつけて」 ああ、と女医者は頷き、黒いカバンを持つとドアを開けて外に出た。 タクシーが女を残して走り去ると、若い女が近づいてきた。 「あんたが村田先生?」 「そうだ。見ての通りわたしは一人だ。あの子はどこにいる?」
若い女が彼女を連れて行ったのは、埠頭に停泊していた大きな艦だった。 幕府の艦に何度か乗ったことはあるが、それと同等か、やや大きいくらいの艦だった。 この艦も、海を走るだけでなく、空をも飛ぶことができるのだろう。 天人の技術は、ここまで人間の常識を変えさせた。 船が空を飛ぶとは。 こっち、と若い女に艦の中を案内された女医者が促されたのは、なんとも違和感のある座敷だった。 畳が敷かれ、行灯や小さな桐箪笥、低い机が置かれ壁には掛け軸がかかっていた。 一瞬、最新の艦だと忘れるほど古風な部屋だ。 よお─と声をかけられ顔を向けると、五年前に再会した時とあまり変らない印象の隻眼の男が、三味線を足の間に抱えこみ、壁にもたれるようにして座っていた。 高杉晋助── 攘夷戦争末期の頃、鬼のように強いと恐れられた鬼兵隊を指揮していた男。 「久しぶりだなあ、楓。相変わらず、男みてえな格好してんな」 いい女なのに、もったいねぇ。 「あんたは相変わらず派手な姿だね」 色男なのは、昔も今も同じだが、出会った頃は黒を好んで着ていたのに、再会した時は派手なカブキ者のような格好で驚いた。 終戦の頃、彼らに何があったのかなど、聞かなくても想像できる。 終戦の頃の攘夷志士狩りの凄まじさは、当時嫌でも耳に入ってきた。 だからこそ彼らのことをずっと心配し続けていた。 唯一連絡をとることが出来た坂本辰馬は、めったに地球に戻っては来ず、しかも途中で戦線を抜けた彼は仲間の安否を知らなかった。 五年前、偶然高杉に会うまでは、生きてはいないのではと彼女も諦めかけていたのだ。 女医者、村田楓は、畳の上に敷かれた布団の方に顔を向けた。 懐かしい銀色の頭が見える。 楓は黒いカバンを置くと、ひざまずいて寝ている人物の顔を見下ろした。 「ああ、記憶にある通りの顔だ。少しは大人になったみたいだけど、変わらないね」 「こいつは全然変ってねえぜ。相変わらず、バカで単純で能天気だ」 楓は微笑んだ。 わかってた。 この子はきっと、ずっと変らずにいてくれると。 楓は手を伸ばすと、その柔らかな銀髪に触れた。 ああ…これも記憶に残っている通り── そして、今堅く閉ざされた瞳は、昔と同じ色をしているのだろう。 「高杉──あんたは、やっぱりこの子の傍にいてやるべきだったんだよ」 たとえ、別れるという行動がこの子を守る為だったとしても。 「………」
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