冬とはいえ、いつにも増して寒い大晦日だった。

 まだ朝方は日差しがあって良かったが、昼前から曇りだしあっという間に凍るような空気に包まれた。

 それでも正月準備に忙しない人々が道に溢れ、商売人の声が響き渡った。

 だが、それも日が落ちて暗くなれば人々は家に戻り、賑わうのは酒場ばかりとなる。

 日が変わる頃になれば、寺や神社に人が集まるが、店が立ち並ぶ通りはもう人の姿は全くなくなった。

 相も変わらず長谷川と呑んでいい気分で家路についた銀時が、そんな人気の無い通りに足を向けたのは、単に酔って通りを一本間違えたに過ぎない。

 本来通らない道だが、といってもときた道を戻らなければ帰れないわけでもないので問題は無い。

 今年の冬はことさら寒さが厳しく、銀時が長谷川と飲んでる間に雪が降り出して、店を出る頃は屋根だけでなく道にも白い雪が積もっていた。

 今の所、酒が入っているのでそれほど寒さを辛くは感じないが、といっていつまでも外でふらふらしていれば凍えることは必至。

 幸い雪はやんだが、日付けが変わる頃にはまた降りだすだろうと、銀時お気に入りのお天気お姉さんが言っていたから、早く帰るにこしたことはない。

 通りを半ば過ぎる頃、銀時はブルッとマフラーを巻いた首を縮めて震えた。

(う〜〜なんか寒くなってきたなぁ。さめるの早くねえ?)

 やっぱ、長谷川の言う通り、あの飲み屋で年越しして朝まで飲んでた方が良かったか。

 あ〜いやいや、と銀時は首を振る。

 明日の元旦は神楽たちと一緒に祝うってぇ約束しちまったから、朝帰りなどはとんでもないだろう。

 ここんとこ、約束を反故にすることが続いたから、スッポかすわけにもいかない。

(ああ〜家族なんつーもんを持つとメンドーでいけねぇ)

 そんなグチが出せる今は、きっと幸せなのかもしれないが。

 銀の癖毛をガリガリかきながら、銀時は薄く降り積もった雪の上を歩いた。

 ふと気づいたのは、黒い頭だった。

 道の上で膝を抱えて座る小さな人影を見てしまった銀時は、やれやれという顔をして近づいた。

「お〜い?何してんですかあ?こんなとこで寝てたら死ぬよ、あんた」

 抱えた膝の上に伏せていた顔が、銀時の声に反応して僅かに上がる。

 小さいのも通りで、僅かに上がった顔はまだ幼く、おそらく神楽とあまり変わらないだろう子供だった。

「何やってんの?ここって、徹夜で並ぶようなとこだっけ?」

 最近流行の福袋目当てに、徹夜で並ぶ連中が増えてるとは聞いているが、さすがにここらでそんなのはないだろう。

「腹減って・・・動けね・・・・」

 既に凍えてあまり唇がうごかないのか、子供は小さく呟くような声で言った。

「なに?おまえ、生き倒れ?」

 そりゃ困った。お巡りさん呼ぼうにも、この辺にゃ番所ねえし・・・・

 しょーがねえ、と銀時は溜め息をつく。

 見つけてしまったからには、放っておくこともできないし。

「おい、ガキ。飯、食わしてやっから来い」

 立てるか?と銀時が子供の腕を取ると、子供は眉をしかめた。

「おっさん・・・酒くせえよ」

「誰がおっさんだ、くそガキ。さっきまで酒飲んでたんだから、くせえのは当たり前。嫌なら、次誰か来るのを待ってるか?ん?」

 それならそれで構わねえがな。

 ぶぅ、と子供はむくれた顔で銀時を見るが、黙って立ち上がった。

「おっし。ついてこい」

 何。そんな遠くねえから安心しな。

 銀時は言って歩き出す。

 子供はというと、誰だかわからない、ただ声をかけてきただけの人間の後をとぼとぼとついていった。

 夜中というのに、何故かどの店も営業していて、まるで昼間のように明るい通りに驚きながら、子供は前を歩く銀髪の頭についいく。

 今更ながら、銀髪なんだと子供はもの珍しそうに見つめた。

 田舎育ちということもあるが、それでも銀の髪の人間って珍しいのではないか。

 江戸には天人という空からやってきた異人がたくさんいると聞いていたが、もしかしてこの銀髪は人間じゃなく天人ってやつなのでは。

「なあ、おっさんって天人か?」

 あぁ〜?と銀時は初めて顔を振り返らせた。

 ついてこいと言いながら、銀時はここに来るまでただの一度も子供がついてきているか確かめなかった。

 ついてくるか、離れるかは子供の自由意志とでも考えていたのか。

「俺が天人?んなわけあるか」

「だって、髪が銀色じゃん?」

「髪か・・・こいつぁ、ダチが言うには突然変異か先祖がえりかってやつだな。場所によっちゃ、銀だの金だの赤いのだのといろんな髪色した奴が普通に歩いてるってから変でもなんでもねえよ」

「そうなの?」

 銀時は目を細めて子供をじっと見た。

「おまえ、田舎から出てきたばっかか?ここらじゃ、髪の色くれえで天人かと聞くやつぁいねぇぜ」

「・・・・・・・」

「ま、どうでもいいけどよ。江戸ってのは他所から来た人間が腐るほどいて珍しいもんじゃねえし。どっから来たかしんねえけど、おめえと同じ故郷の奴も結構いると思うぜ」

 ほら、ここだと言って、銀時は外階段を上った。

「静かに上れよ。下のババァがうるせえから」

 下というのは、飲み屋らしい店のことだろうか。

 子供は言われた通り階段をゆっくりと静かに上った。

 銀時が開けた戸をくぐると、中は小さな灯りだけで薄暗かった。

 履物を脱いでこっちだという銀時の後をついて入ったのは、長椅子とテーブル、そして大きな窓のところに机がある部屋だった。

「椅子に座って待ってな」

 銀時は子供にそう言って、奥へと消えた。

 しばらくして戻ってきた銀時は、椅子に座る子供の前に丼が置かれた。

「まずは蕎麦だな。年越し蕎麦が残ってたのは奇跡ってもんだが。たいていうちのガキが、全部食っちまうし」

「うちの?」

 子供は目を瞬かせる。

「おっさんって、子持ち?」

「なわけねえだろ。うちの住み込みの従業員。もう寝てっから騒ぐなよ。起こすとうるせえから」

「う・・うん」

 子供は頷いて、目の前の白い湯気をあげている丼を見つめた。

 海老の天ぷらが二匹のっていて、ネギと蒲鉾も入っている。

 指で丼に触れると熱かった。

 ほれ、と渡された箸を受け取り、子供は蕎麦を啜った。

 喉から胃まで、熱が下りていくのがはっきりわかる。

 美味かった。

 こんな美味い蕎麦は初めて食べた気がした。

「今、風呂に湯を入れてっから、それ食ったら入れ。着替えはうちの従業員のがあるから貸してやる。俺のじゃ、でかすぎだからな」

「うん・・・ありがと」

 酔っ払いの気まぐれかと思ったら、意外と世話好きで親切なので、さすがに子供も素直に礼を口にする。

 銀時はニッと笑った。

「おう。素直で結構。ついでに、オッサンはやめろ。オレァ銀時だ。呼ぶときゃあ、銀さんでもいい」

「うん、銀さん。俺は・・・薫」

 銀時は自分から名前を言った子供の黒い頭を手のひらでぐりぐり撫でると、また台所に戻っていった。

 

「おはようございま〜す!」

 玄関の戸が開いて、そのまま廊下を歩いてくる足音に、長椅子で毛布にくるまり寝ていた薫は、ガバッと起き上がった。

 襖が開いて入ってきた、眼鏡の少年と顔が合う。

 眼鏡の少年、新八は、知らない顔に目を見開いた。

「あれ?誰?」

「なんだ、新八。はえーじゃねえの」

 台所にいた銀時が顔を出すと、新八は薫から視線を移した。

「あ、銀さん!明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」

 新八は、礼儀正しく、ペコリと頭を下げて新年の挨拶をした。

「おめっとうさん。あ、そいつ、昨夜生き倒れてたんで連れてきたんだが、面倒頼むわ」

「えっ!生き倒れって・・・ちょっと銀さん!」

「俺、お節用意してっから忙しいんだよ。あ、雑煮、餅二ついるか?」

 新八が頷くのを見てから、銀時は台所に戻っていった。

 新八は長椅子に座った薫の方に顔を向けた。

「え・・と、ここの従業員で志村新八。君は?」

「薫。辰見薫」

「生き倒れてたって、大丈夫?」

「大丈夫。腹減って動けなかっただけで。銀さんが飯食わしてくれたから」

「そうか。ならいいけど。銀さん、酔っ払ってなかった?」

「酔ってた。酒の匂いがすげえ臭くて・・・」

「でも、ちゃんと帰ってきたんだ、銀さん」

 元旦はみんなで一緒にお節食べて初詣に行くと約束していたが、どこまで守れるか実は半信半疑だった。

 なにしろ、ずっと自分たちとの約束はすっぽかされてばかりだったのだから。

 さすがに、元旦早々、約束破りはマズイと思ってくれたのなら嬉しいのだが。

 二人が長椅子を挟んで話をしていると、突然バタバタと走る音がしてパジャマ姿の少女がダッシュで通り抜けていった。

「銀ちゃ〜ん!お節ぃぃぃっ!」

 台所でまとわりつかれているのか、銀時の困った声が聞こえてくる。

「こら、神楽!邪魔だっつーの!」

「銀ちゃあん〜〜わたし、餅は三つね」

「わかったから、新八と待ってろ!こら!まだ食うな!」

 新八は、あ〜あと苦笑を浮かべると台所から神楽を連れ出しに向かった。

 

 

 皆と和室に移動した薫は、座卓に置かれたお重を瞬きすらできないほど真剣に見つめた。

 松竹梅の絵が描かれた三段お重には、とにかく隙間がないほどぎっしりと料理に埋められていた。

 定番の蒲鉾や伊達巻、黒豆から数の子・棒だらや海老、煮物の里芋や竹の子、金時人参に牛蒡。

 ハムや出汁巻き等など、おそらく数えたら三十以上の種類があるだろう豪華なお節に薫は息をのむ。

 貧乏で、正月のお節など全く縁の無かった薫であるから、驚くのも当然だったが。

 一番驚くのは、これを全て作ったのが、目の前にいる銀髪の男だという事実だ。

 初対面では、酔っ払ったウザイオッサンという認識しかなかった薫である。

 だが、これを見ればその認識は完璧に変わる。

「すっごい・・・・・こんなご馳走、初めて見た」

「僕たちも、早々見られるものじゃないよ。お金なくて、卵かけご飯だけって日が続くこともあるし」

「ん・・・まあ、今年は年末頑張った成果だな」

「お登勢さんが、いろいろ仕事紹介してくれたおかげでしょ」

 銀さんにまかせてたら、ほんと年末もどうなっていたことか。

 あと、吉原からいろいろ差し入れもらったことも大きい。

「怪我の功名ってやつだな」

 と、うんうん頷く銀時に、新八は苦笑いを浮かべる。

 それ絶対に違う。

「まあ、去年はいろいろあったけど、無事にみんなで元旦を迎えることができたから、いいですかね」

 今年もいろいろありそうだけど。

 三人だけの元旦が、今四人だというのも、いろいろありそうな予兆かもしれないが。

「ほれ、お雑煮だ。手ぇ出せ」

 銀時がお椀にお雑煮を入れると、新八・薫、そして、神楽に渡した。

 白味噌仕立てのお雑煮は、幼馴染みが好きだったので銀時が京にいた時覚えたものだった。

 白いお餅がそれぞれ二つ、神楽のには三つ入っていた。

 では。

「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」

 新八が言うと、それぞれ「おう」とか「あけおめ〜」で返す銀時と神楽。

 そして、三人にじっと見られた薫が、小さな声で「おめでとうございます」と言うと、一斉にお節に箸が伸びていった。

「薫くん。遠慮しないで料理取っていかないとすぐになくなるよ」

 うちは弱肉強食なんだから、と新八が言うと、ハッとした顔になった薫も料理に箸を伸ばした。

「おう、おまえ、一応お客だからわたしの好物ちょっと譲るね。銀ちゃんのこの煮物、とっても美味いアル」

 オレンジの不思議な髪色をした少女が、お重から煮物をパパッと取って薫の前の小皿に入れた。

「あ・・ありがと」

 薫は神楽に礼を言って、小皿にとられた煮物を口に入れた。

 噛み締めると、なんかとても懐かしい味がして、薫は目を見開いた。

 小芋を煮た料理は死んだ母親が得意で薫も好物だったのだが、その味になんだか似ている。

「おまえ、いくつネ?」

「十三」

「じゃあ、わたしが一つお姉さんネ!だったら神楽姉ぇと呼ぶアル!」

「・・・・・」

「僕は16だから三つ年上だな」

「こいつのことは、パチか眼鏡と呼ぶヨロシ」

「神楽ちゃん!そりゃないでしょ!」

 いつもこうなのか、少年と少女のボケとツッコミが軽快に続けられる。

 彼らの雇い主らしい銀髪はというと、知らん振りでお節を食べていた。

 薫はお雑煮の椀を手に取ると、始めてみる白い汁を啜った。

 カツオと昆布で出汁をとっているという雑煮は、どこか甘い味がした。

「そのお餅はね、去年僕の家でついたもんなんだよ」

「わたしも力ふるったネ」

 初めて餅つきした神楽が、エヘンという顔で言った。

「おかげで、臼が見事に真っ二つだったよな」

 てめえは今年こそ力の加減を学べと銀時は言うと、神楽はムッと唇を突き出した。

「あれは、古くてヒビが入ってたネ。わたしのせいないアル」

「薫くんは江戸の生まれじゃないよね。何か用があって来たの?」

 新八が問うと、薫は椀を置き、一呼吸置いてから口を開いた。

「俺・・・真選組に入るために江戸に来たんだ」

「え?真選組に?」

「物好きアルネ。真選組ってバカばかりネ」

 神楽ちゃん、と新八は目で窘める。

 確かに出会った頃はひどい目ばかりあったし、真選組の局長は今でも新八の姉のストーカーだ。

 でも最近は、姉に何度もこっぴどくやられながらも諦めない一途さにちょっとほだされ気味だ。

 ストーカーだが、いい人であることは新八も認めている。

「どうして真選組に入ろうと思ったの?」

「俺の父ちゃん、昔攘夷志士に殺されたから」

 え?

 新八と神楽は銀時の方に視線を向けた。

 銀時は何も言わない。

 新八は攘夷戦争を知らないが、あの頃は侍だけでなく、百姓や商人といった関係のない人も多く死んでいる。戦だったのだ。

「確かに真選組は過激な攘夷志士を取り締まってるけど・・・・」

「いいんじゃないアルカ。マヨラーが前に、うちは手が足りないとか喚いてたし」

「ああ、でも・・・あそこ年齢制限なかったっけ」

「大丈夫アル。あのサド野郎もいるネ」

「神楽ちゃん・・・沖田さん十八だから」

 でも、確かに年齢制限って聞いたことないなぁ。あるんだろうか。

「年齢より問題あんじゃね?」

「なんですか、銀さん?」

 ・・・・・・・・・

 銀時は、う〜んと小さく唸ってこめかみを指でコリコリかいた。

(ぜってぇわかってねぇよな、こいつ。・・・・ま、いっけどさ)

 

 御節を食べ終えると、よっしゃ次は初詣ネ!と神楽が張り切って立ち上がった。

 簡単に食器を片した銀時や新八もよいしょと立ち上がる。

 そして、ほれ、おまえも行くぞと銀時に言われた薫は、促されるままのろのろと立ち上がった。

「これ貸してやる」

 はしゃぐ神楽に引きずられるまま外に出た薫の首に、銀時は赤いマフラーを巻きつけた。

「・・・・俺も行くの?」

 薫は巻かれたマフラーを見、そして銀時の顔を見た。

 どうも、ここの三人のノリにはついて行き辛い。

 何故、知り合ったばかりの、おまけにどこの誰ともわからない自分を、まるでずっと以前からの知り合いのように扱うのか。

「初詣はやっぱ元旦だろうが。おめえにも予定があるだろうが、正月三が日くれえはゆっくりしてれば?」

「そうだよ、薫くん。真選組に入隊するにしても、すぐにってわけにはいかないだろうから、しばらく銀さんとこにいればいいよ」

「そうネ。わたしもいるから、安心するネ!お姉さんの神楽がドンと面倒みてやるネ!」

「でも俺・・・すぐにも真選組の屯所に行きたいんだけど」

 いいからいいから、と彼らは強引に薫の手を引いていく。

 ・・・・・

 彼らは人の言うことなんか聞いちゃいなかった。

 神社へ向かう道々で銀時に声をかける者が何人もいて、意外と顔が広いことに薫は気づかされた。

 ただのだらしない酔っ払いだと思っていたのだが。

 そういえば、なんの仕事をしているのか聞いてなかった。

「ああ、仕事?万事屋だよ」

 答えたのは新八だった。

「万事屋?」

 聞いたことの無い職種に薫は首を傾げる。

「つまり、頼まれたらなんでもやる何でも屋のこと。子守りとかペット探しとか。お店の手伝いや大工の仕事を手伝ったりすることもあるよ」

「へえ〜?江戸にはそんな仕事もあるんだ」

「ま、結局専門的に何かできるわけじゃないからやってるんだけどね」

「おまえも真選組に入るなんて言わずに、うちで働いたらどうネ?」

「やだ」

 即答かよ、と神楽は顔をしかめ、新八は苦笑いを浮かべた。

 彼らの前を歩く銀時はというと、子供たちの会話は聞いていても口を挟まなかった。

 鳥居が見えてくると、まばらだった人の行き来が急に多くなった。

 華やかな振袖姿の若い女や家族連れが目立つ。

 と、そんな参拝客とは明らかに場違いのような黒い制服がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。

 あれ?と思うまもなく、バッタリと鉢合わせた彼らだが、銀時を見た黒い制服の一人は嫌そうに顔をしかめ大きく舌打ちした。

「あれえ、旦那。これからお参りですか」

「ジミーくんは、お参りの帰り?早いねえ」

「山崎です、旦那。お参りってえか、警備の途中ですけど」

「土方さんも山崎さんも」

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 新八が二人に対して丁寧に新年の挨拶をするが、きちんと返したのは山崎だけで、土方は機嫌の悪そうな顔のまま、おうと答えただけだった。

「丁度いいネ。薫、こいつら新鮮組ネ」

 え?と薫は目を丸く見開く。

「おう。こいつ薫っていうネ。おまえらの新鮮組に入りたいって田舎から出てきたネ。入れてやるヨロシ」

「ああ〜?」

 土方は眉間を寄せたまま首を右に傾けた。

「まだガキじゃねえか。いくつだ?」

 ジロリと睨まれ薫はビクンと首をすくめたが、十三、と小さく答えた。

「十三だあ?ダメだなそりゃ。うちは十六才以上だ。三年たってからまた来な」

「あ、やっぱり年齢制限あったんだ」

 一才くらいなら押し切れるが三年も違っていればどうにもならない。

「残念だね、薫くん」

「何故・・・何故十三才じゃ駄目なんですか!俺、もう帰るとこないんです!お願いします!真選組に入れて下さい!」

 お願いします!

「おめえ、刀使えんのかぃ」

「使えます!真剣は持ったことないですけど、剣術を習ったこともあるし」

 俺、侍の子だから!

「・・・・・・・・」

 土方は、じーっと薫を見つめていたが、ふと目を細め首を振った。

「やはり駄目だな。おめえには入隊を認められねえ」

「どうしてですか!?」

「おいおい。そんなアッサリ切捨てなくてもいいんじゃね?帰るとこねえってんだから、入隊させられなくても置いてやったらいいんじゃん」

 たとえば、飯炊きにとか。

 はあぁ?と土方は何言ってんだテメーという顔で銀時をジロッと見る。

「行くとこねえってんなら、てめえんとこに置いてやりゃいいだろが」

「俺んとこじゃなく真選組に入りたいっつーんだからしょーがねえだろ」

 だいたい、ついさっきそれ言って、即答で断られたし。

「そいつ、飯作れんのか」

 銀時が、どうよ?と聞くと薫はご飯は炊けると答えた。

「だそうだ」

「何が、だそうだだ、てめえ!飯だけ炊けたらいいわけじゃねえだろが!」

「んじゃ、料理の基礎は俺がちょいと教えるってことで、オッケー?」

 何がオッケーだ!ざけんじゃねえ!

「・・・だったら、テメーがやりゃあいいだろが。飯炊きオ・バ・サ・ン」

 ムッと銀時は口を尖らせると、土方に向けて拳を突き出した。

「誰がオバサンだ、誰が!」

「おめえだ、おめえ!それとも何か?その年でオネーさんとでも呼んで欲しいってか」

「テメ・・喧嘩売ってんのか」

「いつも喧嘩売ってくんのはてめえの方だろうがあぁぁ!んなだからいつまでも嫁にいけねえんだよ!」

「んだと、てめえ!そいつぁ余計なお世話っつんだ!」

 激昂した銀時が土方の胸倉を掴むと、地味キャラ二人はギョッとなって青ざめた。

 さすがに元旦から、しかも参拝客が往来するど真ん中で喧嘩などマズイだろう。

 おい・・と胸倉を掴まれた土方が、銀時に向けて口を開いた。

”今夜、ツラ貸せ”

「・・・・・・・・」

 殆ど声には出さなかったが、正面から見ている銀時には土方が何を言ったかわかり、小さく瞬いた。

「ちょっとちょっと!」

 いきなり喧嘩を始めた二人を山崎と新八が慌てて引き離しにかかった。

「副長、こんな往来でやめて下さいよ〜」

「銀さん!元旦から喧嘩なんて駄目ですって!」

「止めるな、駄眼鏡!銀ちゃん、悪くないネ!このニコチンコ、言っちゃならないこと言ったネ!女に対する侮辱ヨ!」

 フン!と土方は山崎の手を振り払うと、煙草を口にくわえライターで火をつけた。

「行くぞ、山崎。こんなのを相手にしてる暇はねぇ」

 だったら、最初から絡まなきゃいいのに、と山崎はグチる。

「じゃ旦那。今年もよろしく」

 山崎は銀時に向けてペコリと頭を下げると、さっさと歩き始めた土方の後を追っていった。

「なんネ、あいつ。ほんとに無礼な奴ネ。いつか思い知らせてやるネ」

「やめてよ、神楽ちゃ〜ん。正月なんだよ。おだやかにいこうよおぉぉぉ」

「ほれほれ、初詣行くぞ。むかついたから、甘ぇもん欲しくなった。帰り、ぜんざい食ってくか」

「マジでか、銀ちゃん!」

 ひゃほ〜いv

 さっきまでの不機嫌はどこへやらで、神楽は満面の笑みで銀時の腕に飛びついた。

「ほら、行こう、薫くん」

「・・・うん」

 なんだろう?

 薫は、腕に神楽をぶらさげて歩く銀時の背中を、複雑な表情で見つめた。

 なんだろう・・・なんか、さっきの真選組の人との会話・・・変だった。

 何が変なのか思い出そうとしたが、どうもよくわからなかった。

 売り言葉に買い言葉。

 あんまり意味はなかったのかもしれない。

 

 

 首にマフラーを巻きつけて外に出た銀時の上に、白い雪がチラチラと落ちてきた。

 朝から寒い元旦だったが、それでも昼間は風もなく日差しもあったのだが、日が傾き始めた途端気温は一気に下がった。

 ブルッと銀時は首を縮めて肩を震わせた。

「ふぇ〜さみぃぃぃ。こんな夜はコタツか布団の中にいるに限んだけどさ」

 やっぱ、気づかなかった振りしてすっぽかすべきだったか、とちょっと後悔。

 だが、既に家を出てきてしまったからには向かうしかない。

 銀時の足は早くあったかい所に入りたくて自然と速くなった。

 土方は待ち合わせ場所など言わなかったが、ここ最近何度か顔を合わせる場所があったのできっとそこだろうと見当をつける。

 だいたい、待ち合わせなどしなくても、何故か入った店で会うことが多いのだ。

 好みが似てるというのか、はたまた呪われているのか(苦笑)

 案の定、引き戸を開け、のれんをくぐれば、カウンターに土方の姿があった。

 入ってきた銀時に気づいた土方が振り返って、よぉ、という顔をする。

「さむ〜い。なんだよこの寒さは!」

 身体を縮めてカウンターまでやってきた銀時を、店の主人がにこやかに迎える。

「いらっしゃい、旦那。元旦から来てくれて嬉しいねえ」

「ここのおでんは絶品だもんなあ。特に大根が!」

 目の前で煮える熱々のおでん、特に厚めに切った大根がよく味が染みていて美味いのだ。

 その大根に甘い味噌なんぞつけてくれるともう、銀時にはたまらない美味さだった。

 銀時は迷わず土方の隣に腰掛け、熱燗を注文する。

 日付けが変わろうとする時間帯のせいか、客は半分くらいだ。

 カウンターに座っているのは土方と銀時だけで、他の客は座敷に上がっていたり、テーブル席で鍋を突付いている。

 熱燗と一緒に、味噌をのせた厚切りの大根を入れた皿を目の前に置かれ、銀時の目が輝いた。

 これよこれv

 酒より先に大根を割り箸で割って口にほおばると、じんわりと身体中に熱が伝わってくる。

 大根の甘さと味噌の甘さがたまらない。

「あのガキはどうした?」

「家で神楽と寝てる。ま、当分はうちにいそうろうさせて料理を仕込むわ」

 おい・・・と土方は眉をひそめる。

「本気で飯炊きとして真選組に入れるつもりか」

「勿論。約束したからにはしっかりやるぞ」

「してねえよ・・・」

 ま、いいけどな。てめえが本気で仕込むっつーんなら。

 銀時の料理の腕は、高級料亭並とまではいかないが、客に出しても喜ばれるくらいには美味いことを土方は自身で確認済みだ。

 あの味には結構煩い沖田でさえ絶賛し、弁当に強請るくらいである。

「まあ、飯炊きはいいけどよ・・・・隊士にってのは無理だってえのはわかってんだろな」

 ん〜〜と銀時は小さく唸りながら、こめかみを指でこすった。

「女じゃ、やっぱ駄目かよ」

「決まってんだろが。本人は男のつもりだろうが、ありゃあ、テメーと違って、二〜三年もたちゃ誰でも気づくってーの」

「・・・だよなあ。既に胸もちょっぴり膨らんできてるし」

「十三だろうが。今からでも女に戻った方が本人のためだって言ってやれや」

「いやいや。あいつにはあいつの事情ってもんがあるようでさ」

「事情ってなんだ?」

 いや、知んねえけど。

「けど、親なくして故郷も捨ててきたってんだし、それなりの深い事情ってもんがな・・・・」

「んなガキなんざ、この江戸にゃ腐るほどいるぜ」

 ま、そうだろうけどね。

「料理仕込むってんならやってみろ。沖田の野郎が納得するようなら雇ってやってもいい」

 え〜〜と銀時は顔をしかめた。

 ハードル高ぇーんじゃね?

 ま、やれねえことはないけど。あいつの母親、結構料理上手だったしさ。

 遺伝受け継いでんなら、そう時間かからずにうまくなるかも。

 ん?と、猪口に酒を注いでいた土方が隣の銀時の方に顔を向ける。

「母親を知ってんのか」

「むかーし昔な。ダチに誘われて女買いにいった時に会った」

「ああ〜??てめーが女買ってどうすんだ?」

「どうもできねえから、うめえ煮物のレシピ教わった」

「・・・そうかよ」

 土方は、くだらねえと呟いて、くいと酒を飲み干した。

「じゃなくてえ、んな話するために俺呼んだんじゃねえだろ?」

 それとも、俺と差し向かいで飲みたかったとか?

 なら、遠慮なく呑んでやっけど?

「そうでなくても呑む気だろうが」

 土方は、ハァ・・と息を吐いた。

「ちょっとテメーに聞きてえことがあってな」

「何よ?」

「坂田伊織ってぇ侍、知らねえか」

 銀時は、はぁ?という顔になった。

「なんだよ、坂田伊織って?」

「知らねえならいいんだよ。てめえと姓が同じだから聞いてみただけだ」

「坂田なんて、そう珍しい姓でもねえだろが」

「だから、一応っつーか、念のためで聞いただけだ。忘れろ」

「まあ、忘れてもいいですけどね。がんもときくらげ、昆布巻きとちくわ、いいか?」

「好きに食え。呼んだのは俺だからな」

 銀時はニンマリ笑うと、菜箸を伸ばしておでんの具を皿に山盛り取り捲った。

「おやじ〜〜熱燗三本よろしく〜」

 んで?と銀時は煙草に火をつけた土方を見る。

「用ってのはそんだけ?」

「ああ」

「なんだ。やっぱ俺と呑みたかっただけじゃん。素直じゃねえよなあ」

「うるせえ」

「真選組は、その坂田伊織ってのを探してんのか」

「正確にはそいつのガキをな」

 息子か娘かわからねえが。

「へえ〜。依頼してくれたら、探してもいいぜ」

「アホ。死んでもてめえには頼まねえよ」

 

 

 

「今日のだし巻きはうまく巻けてるよ、薫くん」

 昼ごはんに出されただし巻きを褒める新八に、薫は、そう?と嬉しそうに笑う。

 銀時からまず言われたのは、朝飯メニューをきっちり作れということだった。

 ご飯を炊くことから、味噌汁の作り方、出し巻き卵の綺麗な焼き方まで銀時はきっちり指導した。

 もともと料理を作るのが嫌いじゃないので、薫は文句も言わずに毎日味噌汁と卵を焼き続けた。

 その甲斐あって、銀時が課題とした朝食メニューはほぼ完璧に作れるようになった。

「こういうのは、ほんとにやれば誰でも出来んだがよ」

 なんで妙にはそれが出来ないのかが不思議だ。

 これは七不思議の一つにならないだろうか。

 いや、料理と考えるから問題なのであって、食べれば記憶も吹っ飛ぶあのダークマターは、もしかして人類が作りえる最大の悪魔の発明かも(なんつって)

 しかし・・・と新八は苦笑する。

 ここ一週間ばかり、薫が作り続けた失敗作を片付けてきたんで、さすがに他の料理を食べたくなってくる。

 そうだ。今晩カレーでもと買い物リストを頭に浮かべた新八は、来客を知らせるチャイムに、は〜いと返事を返して立ち上がった。

 玄関に向かった新八が戸を開けると、そこに立っていた黒いもじゃもじゃ頭の長身の男がニッコリと笑って手を上げた。

 夜でもサングラスを外さない、どこから見ても不審者のようなこの男は、つい最近もこの万事屋に飛行艇を突っ込ませて滅茶苦茶にしてくれた前科の持ち主で、思わず新八がゲッと眉をひそめさせたのも無理からぬことだった。

 とはいえ、新八は、銀時とは昔からの知り合いという、この坂本辰馬という男が嫌いではない。

 ただ、現れると必ずなにかしらぶっ壊されるのが迷惑なだけで。

「お〜眼鏡くん。久しぶりじゃのお〜」

「はあ・・あけましておめでとうございます、坂本さん」

 新八が新年の挨拶をすると、おっととばかりに慌てて頭を下げる坂本は、基本人がいい。

 だが、いつも馬鹿笑いして軽薄そうに見えるこの男が、宇宙で手広く商売をして成功した快援隊の社長で、実際は相当腹黒いというのは昔馴染みである銀時の談だった。

「あれ?辰馬。いつ地球に下りてきてたんだ」

 聞きなれた声を聞いて玄関に出てきた銀時が、坂本の顔を見て目を瞬かせた。

「おお〜銀時!あけましておめっとうさんvやっぱり正月は地球で過ごすのが一番じゃろう。これから新年会やるんじゃ。一緒に行こうぜよ、銀時!」

 酒も料理も飲み放題ぜよ!

「おvそりゃいいな。勿論、そっち持ちだろうな」

「当たり前じゃ!高級料理と綺麗どころもちゃんと呼んであるぜよ」

 あれ?綺麗どころって・・・・・

 新八は首を傾げる。

 確か、坂本は銀さんが女性だってこと知ってるはずだよな?

「綺麗どころかvそいつあ、いいね!正月から目の保養〜〜」

「・・・・・・」

 銀さん、やっぱり自分が女だってことの自覚ないんじゃ・・・

 ま、自分もつい最近まで銀時が女だってことを知らなかったし、今も時々忘れるから仕方ないかもしれないが。

(だいたい何処から見ても銀さんって男にしか見えないもんなあ)

 だが、ふとした拍子にドキッとするような色気?を感じたりするのも否定できない。

 結局、今の銀時は存在が不安定なのかもしれない。

「ええ〜!わたし達はのけ者ネ」

 ぷ〜とむくれる神楽に対し、坂本は乾いた笑い声を上げながら謝った。

「許しとうせ、嬢ちゃん。未成年を同伴できるとこじゃないき」

 そのかわり、と坂本はポチ袋を懐から取り出した。

「お年玉は奮発したっちこれで勘弁しとうせ」

 ほれ、眼鏡くんにもと言って坂本は新八にもお年玉を渡す。

 二人の子供は、わあ〜と嬉しそうに目を輝かす。

「ありがとうございます!」

 いやいや、とドヤ顔で頭をそらせた坂本は、ちらっと見えた薫の顔におや?という表情を浮かべる。

「なんじゃ、もう一人おったんか。新顔じゃのう」

 坂本は、こいこいと手招きすると、おまんにもお年玉じゃあ、と薫の手にお年玉の入ったポチ袋を渡した。

「あ・・ありがとう・・・・」

「いやいや。子供にお年玉をやるのが大人の務めじゃからのう」

「わーるかったな。お年玉やらねえ大人で」

「なに言うちょーか」

 むくれる銀時の頭を坂本が撫でる。

「子供らがちゃんと正月迎えられるようすんのも大人の務めぜよ」

「正月は銀ちゃんの手作りお節を食べたネ。お雑煮もすごく美味かったアル」

「ほお〜銀時の手作りかよ。そいつあ、贅沢したのお。わしも食ってみたかったがよ」

「おめえは贅沢なお節を食べたんじゃねえの」

「なんの!銀時のお節は特別じゃないがか。噂ばかりで、わしゃあ、まだ一度も銀時の手料理を食べさせてもろたことないっち」

 そうだっけ?と銀時は首をかしげた。

 そういえば、坂本とのつきあいは、攘夷戦争の時の数年だけだった。

 あの頃はのんびりと料理など作ってる余裕はなかったし。

「だったら、弁当作ってやっから、艦に戻る時には連絡いれろや」

 おおっ!と坂本は満面の笑みを浮かべ、飛び上がらんばかりに喜んだ。

 

 

 坂本のお年玉効果で、すんなり外出を許された銀時が連れてこられたのは、静かな川べりに建つ料理屋だった。

 江戸に幕府が置かれてまもなくから営業しているという老舗で、勿論銀時には全く縁の無い店である。

 坂本というスポンサーがいなければ、絶対に足を踏み入れるところではない。

(ふえ〜マジで高そうな店)

 店に入ると、女将自らが出迎え、部屋まで案内してくれた。

 襖を開けると、部屋には既に先客がいた。

 背に流れるまっすぐな黒髪。女のように整った白い顔。

「あれ?ヅラ?」

「ヅラではない。桂だ。年の初めというに、口から出るのはそれか、銀時」

「だって、俺、ヅラもよばれてるなんて知らなかったし。あ、もしかして、綺麗どころってヅラのことかよ?」

 銀時が眉をひそめて坂本に聞くと、坂本はアハハと笑った。

「嘘じゃないろう?」

 ん〜〜と銀時は顔をしかめる。

 確かにこの幼馴染みは、そこらの女よりも綺麗だが、今更目の保養〜と喜べる相手ではない。

 納得いかない顔で銀時は部屋に入ると、桂の隣に座った。

 既に膳が三つ用意されている。つまり、坂本が言う新年会のメンバーはこの三人だということだ。

「ここの料理はとにかく美味いぞぉ。酒もじゃんじゃん持ってこさせるから、うんと楽しもうぜよ」

 なvと銀時と向かいあう膳の前にどっかりと胡坐をかいた坂本が豪快な笑い声を上げた。

 

 個別に置かれた一人用の土鍋の中には、豆腐と野菜が入っていた。

 豆腐は、京で修行した板前の自家製で、京から取り寄せた水を使っているという。

 大豆にもこだわりがあるということで、口に入れると滑らかな口当たりと適度な堅さに思わず唸る。

 次々と目の前に持って来られる料理を平らげながら、三人は酒を飲み、くだらない会話を交わして笑った。

「なあんか、デジャブ感じちまうなあ」

「そうじゃな。戦争やってる時、たまにこうやって酒飲んでバカ笑いしてたかいのう」

 ん〜それもあっけど・・・と銀時は坂本に酒を注ぎ足されながら目を細める。

「村出てから何年かして再会して、三人で酒飲んだなあって思い出した」

 桂は、ふっと銀時の方に顔を向け、手にした猪口から残っていた酒を飲み干した。

「ああ、あの時のことか」

「なんじゃ?三人っちゅうは、おまんらと高杉のことかや」

「十六か十七の頃だったか。まだガキだったよなあ、俺ら」

「そりゃ、わしと会う前のことかや」

 しかし、初めて会った時も、まだこの三人は子供のようだったが。

「何話したのか、もう覚えてねえけど、高杉の奴も笑ってて、なんか楽しかったことだけ覚えてる・・・」

「・・・・そうだな」

「あいつ、ガキん時からいつも機嫌悪そうな面してたから、たまに笑った顔見ると可愛いって思っちまうんだよなあ」

「今のあいつが笑ったら、凶悪そのもので可愛いどころではないぞ」

「確かにそうじゃ」

 坂本はアハハハと声を上げて笑う。

 そうだな、と銀時も笑って首をすくめた。

 高杉が知らないことだったとはいえ、銀時が奴の部下によって大怪我を負わされたのは間違いない事実だ。

 あいつは、もう幼馴染みで仲間だった頃の高杉ではないと桂は言ったが、銀時の中では今も高杉は幼馴染みであり、そして忘れられない唯一だ。

 昔、高杉が銀時に対してした約束が反故にされない限りは。

「そうぃあ〜、銀時」

 高杉の話題はすぐに消えて、またバカ話で盛り上がった頃、ふと思い出したように坂本が聞いてきた。

「おまん、坂田伊織っちゅう侍知らんか?」

 桂がハッとしたように視線を上げ、銀時は眉間を寄せた。

「何?おめえもかよ、辰馬ァ。それ聞かれんの二度目なんだけどさあ。なんかあるわけ?」

「ああ、なんじゃ?もう聞かれちょるんか」

 いや、なんかあるってか・・・と坂本は自分のもじゃもじゃ頭を撫でる。

「ちょいと噂が耳に入ってきてのう。おまんと姓が一緒やき、もしかして知っちょーかっち思うて。いや、知らんのじゃったらええんじゃ」

「坂本。噂というのはなんだ?坂田伊織が何かあるのか?」

 ん?と坂本は桂を見た。

「なんじゃ?ヅラが知っちょーんか?」

 坂田伊織は・・・と言いかけた桂が、ちらりと隣に座る銀時を見る。

 銀時はそんな桂に向けて軽く肩をすくめてみせた。

「知ってるかといえば知ってるし、知らねえっつったら知らねえし」

 なあ?と銀時に振られた桂は顔をしかめた。

「俺に振ってどうする。おまえの身内だろうが」

「だって、覚えてねえもん」

 確かにそうなんだろうが、と桂は溜め息をつく。

「やはり銀時の身内なんかや?」

「身内だったら、なんか問題あんのかよ、辰馬?」

「あ・・・いや・・・あるっちゅか、ないっちゅうか・・・・」

 やっぱりあるかのう?と坂本はわけのわからない答え方をする。

「まあ、それはまだ噂ちゅーやで、はっきりはせんのがや」

 で?と坂本は銀時を見て尋ねた。

「坂田伊織は、おまんのなんじゃ?ひょっとして、おまんの父親がか?」

 いや、と銀時は首を振る。

「俺の母親」

「・・・・・・・」

 一瞬呆けたように目を瞠った坂本は、は?とパチパチと瞬きをした。

「ははおや?坂田伊織は侍じゃち聞いたんが・・・・」

「前に言ったろう。銀時の家系は特殊なんだ。特に、直系の女はな」

 再び坂本は目を瞬かせる。

 そういや、そんなことを聞いたようなと坂本はコンコンと頭を叩いた。

 随分と昔のことだ。攘夷戦争の中、銀時が女だと初めて桂から教えられた日。

「坂田伊織が銀時の母親のう・・・・そうかそうか」

「それがどうかしたのか坂本。噂とはいったいなんだ?」

 いや・・・と坂本はガリガリと頭をかいた。

「話題を出しておいてなんじゃが・・・わしもチラと名前を聞いただけでのう、ようは」

 知らんという坂本に、桂は呆れたように溜め息を吐く。

「大方、銀時と同じ姓というんで関心を持っただけだろうが」

 ハハハと坂本は空笑いする。

「それでも、どういうところから出た噂くらいは話せるだろう」

「どういう所からと聞かれてもなあ・・・・まあ、この前商売で立ち寄ったとこで小耳に挟んだくらいじゃ。あんまし、詳しいことはわからんが」

 そういや銀時、と坂本が視線を向けると、銀時は栗の甘露煮を頬張った顔を上げた。

 自分の母親の話題が出たというのに、銀時は全く関心がないようだった。

 銀時は覚えてないと言っていたから、物心つく前に別れたか死別でもしたのだろう。

「坂田伊織の名を聞いたのは二度目と言うたが、最初は誰から聞いたんじゃ」

「土方」

「土方ってえ、新鮮組副長の土方十四郎かや」

「銀時」

 桂は嫌そうに顔をしかめると、深々と息を吐き出した。

「おまえは、まだそんなゴミとつきあっているのか。いい加減別れろ、銀時」

「は?はあ??なんじゃあ!?銀時はつきおうちょるのか!」

「辰馬。おめえ、誤解したろ。違うからね。単に飲み仲間ってえか、そういうんだからね」

「真選組の副長と飲み仲間というんも、問題あるように思うがのう。高杉あたりが知ったら目を吊り上げるんじゃないがか」

 知るかよ、と銀時はプイと横を向いた。

「まあ、その話は後でゆっくりするとして」

 しねえよ、と銀時は桂を睨む。

 その手には、また新しい銚子が握られている。

 じゃんじゃん飲めなどと言って坂本が次々と持ってこさせたが、そろそろやめさせた方がいいかと桂は思う。

 銀時は酒は好きなようだが、それほど強いわけではないのだ。

「土方はなんと言っていたのだ」

 銀時は桂の心配を他所に、また酒を注いでいる。

「別になんも。ただ探してるとしか・・・ああ、そういや、探してるのは伊織の子の方だとか言ってたか」

 二人は銀時の答えにギョッとなって表情を険しくした。

「伊織の子っちゅうんは、おまんのことじゃないがか。それとも、他にもおるのんか?」

「いねえよ。坂田の女は、生涯一人しかガキを生まねえんだって聞いた」

 だから、坂田伊織の子は、銀時一人しかいないということだ。

「つまり、真選組が探してるのは、おまえだということか、銀時」

「そうなんじゃねえの」

「なんで探しゅうんか、わかっちゅうんか?」

 知んねえ、と銀時は右手に銚子を持ったまま酒を注いでは飲んでいる。

「そういうことは聞いておかんか、銀時!おまえのことだろうが!」

「いや、俺、探すの手伝おうかって言ったのにさ、土方には死んでも俺には頼まねえと言われちまってよ」

「・・・・・・・・」

 桂は銀時の言い草に、はあ〜〜と頭を抱える。

 ああ、こいつは昔からこういう奴だった。自分のことにはとにかく無頓着というか。

「ヅラ。そいつはわしが調べてみるき。アテはいくらでもあるしのう」

「ヅラではない、桂だ。俺も調べてみるが、頼む。何かわかったら知らせてくれ」

 おう、と坂本が頷くが、目の前の銀時はというと暢気に欠伸をもらしていた。

 腹が一杯になり、酒も入って眠くなったらしい。

 ぐらりと身体が揺れて桂にもたれかかったかと思うと、ことんとその肩に頭をのせた。

 自分のことなのに、全く危機感のない銀時の様子に、二人はしょうがない奴だと苦笑を浮かべた。

 こうして見ると、昔と変わらない。

 戦争中は白夜叉と呼ばれ、仲間にも恐れられた銀時だが、坂本は銀時の容姿から性格、全てが好もしく愛していた。坂本は、銀時が女だとわかってもその愛情が変化するということもなく、ただ銀時という人間が好きで仕方なかった。

「そういやヅラ。おまんは銀時の母親んこと、どんだけ知っとうんじゃ?」

「ヅラではない桂だ。知ってることは殆どない。ただ、我らの師と幼馴染みで剣の腕は滅法強かったということくらいだ。我らの師も、勝てたことは一度もなかったらしい」

「ほう・・さすがは銀時の母親じゃのう」

「師も、ずっと男だと思っていたそうだ。銀時を身ごもって村に戻ってきた時、初めて幼馴染みが女だとわかったらしい」

 ほおほお、と坂本は面白そうに笑った。

 銀時のことも坂本は、桂から聞かなければずっと女だとわからなかったに違いない。

 再会した今も、銀時は誰が見ても男にしか見えなかった。

 しかし、坂本は銀時が女の表情をする瞬間を知っている。

(わしゃあ、やはり連れていくべきじゃったかのう・・・・)

 坂本の見てる前で、桂が自分の肩にのっている銀時の白い柔らかな髪を撫でていた。

 相変わらず、この二人は親子か兄弟のようでほのぼのとしちゅう、と坂本は思う。

 そして・・・・その光景は胸が痛くなるほど切なくもある。

 

 

 三週間たって、銀時に料理を仕込まれた薫は、見事沖田に美味いと言わせて真選組に入ることを許された。

 勿論、年齢からいっても隊士としては無理で、働く場所は主に厨房であったが。

 沖田に褒められた出汁巻き卵を毎朝作り、後は通いのおばちゃんたちの手伝いをすることになる。

 三年たって、十六になれば、隊士となれるかテストをすると言われた薫は、とにかく頑張ることにした。

「おう〜更に美味くなったじゃないかぃ、旦那直伝の出し巻き卵v」

 薫が膳にのせた朝飯を持っていく途中、沖田が皿の上の玉子焼きを摘んだ。

「何やってんだ、総悟!つまみ食いなんかやってんじゃねえよ!」

「いいじゃないですかぃ。こいつぁ、土方さんの膳だし」

「なんだと!」

 庭で素振りをしていた近藤を濡れ縁に立って眺めていた土方は、青筋たてて沖田に怒鳴った。

 最初は戸惑ったが、今ではいつものことと慣れた薫は知らん顔で放っている。

「総悟の言うとおり、本当に美味い出汁巻き卵だ。最近は味噌汁も薫くんが作っているんだって?」

「え・・と、三日に一度くらいです」

「そうかそうか」

 近藤は優しく笑った。

「そういや、薫。オメーの父親は攘夷志士に殺されたとか言ってたな」

 新しい煙草に火をつけた土方が薫の方に顔を向けた。

「なんで、殺されたんだ?」

「強すぎたから」

 は?と土方と近藤・沖田が目を見開いて薫を見る。

「父ちゃんは強すぎたから殺されたんだって、母ちゃんが言ってた」

「強いって、おまえの父親はいったい?」

「父ちゃんも攘夷志士だったって母ちゃんが」

 なに?と土方は眉をひそめる。

「ほお。薫くんの父上は侍だったのか?」

 薫は近藤に向けてコクンと頷いた。

「その強すぎたってえ薫くんの父ちゃんて、なんていう名前なんでぇ?」

 強すぎて殺されたという、そんな侍なら資料にあるかもしれない。

「名前は知らない。母ちゃんは教えてくれなかったし。でも・・・母ちゃんの友達からあだ名を教えてもらったことがある」

「あだ名・・・二つ名ってやつですかぃ」

「なんて呼ばれてたんだ?」

「夜叉」

 

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