銀髪の侍とオレンジ髪の少女が巨大な白い犬を散歩させている図というのは、かぶき町ではほぼ日常で珍しくもなんともない。 このとてつもなく目立つ奇妙な二人と一匹に驚く人間なぞ、新参者以外には殆どいないときてる。 この日の夕飯は従業員の新八が当番なので、急いで帰る必要も無く二人とものんびりムードだ。 ふと、オレンジ髪の少女が足を止める。 「神楽?」 何か気になるものがあったのかと銀時が見れば、そこは最近少女たちに人気があるというアクセサリーショップだった。 十代少女たちをターゲットにした店なので、可愛いものが多く値段も手ごろだ。 「なんだ、おまえ欲しいのか」 ま、女の子だもんなァ。 ダイヤのネックレスとかねだられたらとんでもないが、この程度なら買ってやれないこともない。 「どれがいいんだ?一つだけなら買ってやんぞ」 「マジでか、銀ちゃん!」 パッと少女の顔が輝く。 「買ってくれるなら、どれでもいいアル。銀ちゃん、選んで」 そうか?と銀時は店先に飾ってあるアクセサリーを眺めた。そして、目に止めたのは、赤い花飾りのついた簪。 銀時の脳裏に昔の思い出が甦る。 神楽よりも幼かったが、浮かべる笑顔は一緒で。 死んだ少女も、銀時のことを銀ちゃんと呼んでいた。 銀時は簪を取ると中にいた店員に金を渡した すぐに使うからと包装は断り、銀時は神楽の左のお団子に買った簪をさしてやった。 「銀ちゃん、似合うアルか?」 「ああ。似合ってんぜ」 銀時に褒められた神楽は、簪をさした自分のお団子の髪を弄りながら、へへへと嬉しそうに笑う。 その照れたような表情が、やはりあの少女と重なった。 (ああ…いつか墓参りしてやんなきゃなァ) 少女が死んだあの日から、さほど時がたたないうちに彼らはバラバラになった。 最初に戻ったといえばそうなのだが。 人々が末期の攘夷戦争と呼ぶあの戦いが、いかに悲惨なものに終わったか、語る者がいないので誰も知らないままだ。 だが、いかに悲惨だったとしても、銀時にとって四人が一緒にいたあの時間は幸せだった。 それは、今の穏やかな生活とはまた違う幸せだ。 「あれ?銀さんじゃねえの?」 コンビニから出てきたサングラスの男が、銀時に気づいて声をかけてきた。 神楽がマダオと呼ぶ長谷川泰三だ。 「よお」 「散歩かい。お、いい簪つけてんじゃないか」 意外と目ざとい長谷川が、神楽の髪にさした簪に気づいて褒めた。 長谷川に対しては、ややキツい態度の神楽だが、褒められるとやはり悪い気はしない。 「銀ちゃんに買ってもらったアル」 「ほう、そうか。良かったじゃねえか。じゃあ、おじさんはこれをあげよう」 長谷川は、コンビニ袋からクッキー缶を出して神楽に渡す。 「マジでか!もらっていいアルか!」 「昨日パチンコで大当たりしてねえ。お裾分けだ」 「ありがとう、オジチャンv」 神楽はご機嫌な顔でクッキー缶を受け取った。 「で、どうだい銀さん、暇なら飲みにいかねぇ?奢るぜ」 「マジでか!」 行く行く!と銀時は頷く。 「神楽。定春と帰ってろ。新八には、飯いらねえっつっといて」 「銀ちゃん、またアルか。銀ちゃん、そんなに強くないアルから、ほどほどにするアルヨ」 「ガキはそんな心配しねえの。おりゃあ、大人だからちゃんとわきまえてるってーの」 嘘ばっか、と神楽はプゥとふくれる。 でもまあ、酔ってもちゃんと家に帰ってくるから、神楽もそんなに心配はしてない。 ここんとこ、銀ちゃんも外で飲むのは減っていたから(無論金がないから)たまにはいいかと神楽は思う。 それに寛容になるのは、簪の力も大きい。 「いってらっしゃいネ」 長谷川と一緒に飲み屋へ向かう銀時を見送ると、神楽は定春を連れて万事屋に戻った。
「ただいまあ〜」 「あれ?神楽ちゃん。銀さんは?」 台所から顔を出した新八が、銀時の姿が見えないので首を傾げた。 「銀ちゃんは、マダオと一緒に飲みにいったネ」 「ええ〜またあ?」 あ、でも半月振りかな。 ここんとこ、仕事忙しかったし。 なのに、この前の仕事の代金は月末払いなんで金はないしで、珍しく万事屋の主人はずっと家にいた。 おかげで、暇してる銀時の手料理を堪能する日も多くて、新八と神楽も幸せにひたれたのだが。 また、当番押し付けられるのかなあ、と新八は溜め息をつく。 「神楽ちゃん。もうすぐご飯出来るから、手を洗っておいでよ」 ほ〜い、と神楽は手を上げると、ドタドタと洗面所に駆けて行った。
「何々?長谷川さん、ナミちゃんと付き合ってたんじゃねえの?」 「んな関係じゃないって、銀さん。おかしなこと言わないでよね!」 「おかしくねえだろ。今は一人なんだし、彼女ができたって、なんも問題ないんじゃね?」 そりゃそうだけどね、と長谷川は大きく息を吐き出した。 いつもの飲み屋ののれんをくぐった二人は、カウンターでつまみをいくつか頼んでから冷やで飲み合った。 最初は仕事のグチで、その後は噂話となり、今は女の話題へとシフトしている。 長谷川が最近通っている弁当屋のナミといい仲になっているらしいという噂で銀時は面白がって突付いてみたのだが、結局話は長谷川の出て行った奥さんの惚気で終わるといういつものパターン。 どんだけ逃げた奥さんが好きなの、この人。 まあ、家を出て行ったものの、長谷川のことを気に掛けているようなので、いつかは復縁ってことになるのだろう。 もっとも、今のマダオ状態が解消されることが必須だが。 「そういう銀さんはどうなのよ。好きな人いたんじゃないの?」 「うんうん。いたいた。でも振られちまったのよねえ」 「あ、そうなの。でも、まだ若いんだし、また新しい恋が見つかるって」 若いか、俺?と銀時は眉をひそめながら、コップの酒をぐいぐい飲む。 「若いじゃないの。まだ二十代でしょが」 「三十路間近だけどねェ」 「いやいや、若いって銀さん」 ん〜〜と銀時は唸ると自分の銀髪をガリガリ掻いた。。 「どっちにしても、もう新しい相手なんざ見つからねえよ。俺、そいつしかいねえと思ってたし」 長谷川は銀時の言葉に、うわ…と思った。 どこから見てもちゃらんぽらんのいい加減な男という感じなので、それは意外な告白だった。 結構、恋には純情? 「ん〜わかるわかる。俺も新しい恋見つけようとか思ったりしたこともあるけどさ。結局、最後に思い浮かぶのは別れた女房の顔だからなァ」 だよなあ、と銀時は長谷川の肩に肘をかけて頷いた。 「で?銀さんが好きだった人ってどんなのよ?」 「あ〜〜どんなって……俺と違って真っ黒なサラサラヘアで、切れ長の目っつーの?見られるとドキッとするような瞳でさあ。鼻筋は通ってるよな」 「そりゃ結構な美人じゃねえの」 「おう…ま、美人ってーのかな、うん。よくモテてたし」 「だろうなあ。美人てえのはモテるから、捕まえとくの大変だよな。で?かぶき町の人?」 「ちげえけど……ああ〜〜やっぱ俺、天パだから振られちまったのかなァ!」 ぐわあ〜と喚いて銀時は空になったコップをカウンターにドンと置いた。 「い・いや、それはないだろうけど」 長谷川は空のコップに酒を注ぎつつフォローするが、どうも銀時は天パにコンプレックスがあるらしく、頭から振られた原因の一つに数えているようだ。 長谷川はすぐ隣にいる銀時の横顔を見つめた。 珍しい銀髪にどうしても目がいくが、よく見ればこの万事屋の主人は規格以上に綺麗な顔をしている。 半分閉じてるような眠たげな瞳はやはり珍しい赤だが、鼻筋は通っているし、なかなかに整った顔立ちなのだ。 確かにこれでモテないというなら、髪でもなんでもモテない理由付けをしたくなるだろう。 銀髪に赤い瞳は、昨今どこ行っても天人を見かける江戸では、今更気にするものでもない。 「銀さん。そろそろ、帰ろう」 帰った方がいいって、と長谷川は銀時の背をぽんと叩いた。 「帰る?なんで?まだ宵の口じゃん」 「いやいや。もう遅いって。酔いつぶれたら帰んの大変だろ?誘っといてなんだけど、明日仕事あんだよね」 「仕事?」 「警備員の仕事なんだけどね。一人欠員出たってんで募集してたから駄目もとで受けてみたら受かってさあ」 はは…と笑って長谷川が首の後ろをつるりと撫でる。 「ん─そんじゃ仕方ねえか。お仕事だもんねえ」 銀時は、ガンバレ、とバンバンと長谷川の肩を叩くと、椅子から立ち上がった。 よろっと足がもつれ倒れかけるのを、長谷川が慌てて腕を掴んで支える。 (やっべ…思ったより銀さん酔ってるじゃん。読み間違えちまったか) 銀時は飲むのは好きなようだが、そんなに強いってほどではない。 さっきまでは酔ったようにみえなくても、突然酔いつぶれるから長谷川も気をつけていたのだが。 大丈夫大丈夫、とよろよろしながら店を出ようとする銀時に、長谷川は頭を抱えた。 やっぱり家まで送っていった方がいいだろうか。 長谷川は飲み屋の親父に金を渡すと、フラフラした銀時の後を追いかけていった。 「ほんと、大丈夫かい、銀さん。かなり酔っちまったようだけどさあ」 そんなに飲んでたか?と長谷川は飲んだ量を思い出してみるが、途中から自分もよくわからなくなっているので、銀時が許容範囲を超えたかどうか定かでない。 まあ、ちゃんと万事屋に向かって歩いているから、それほど心配しなくていいだろうが。 「銀さん銀さん。あんまり端歩かない方がいいって」 そこ川だから。 「川?かわ〜〜」 突然ケラケラ笑い出した銀時に、長谷川はぎょっとなる。 「丁度いい。眠気覚ましにひと泳ぎ……」 「じょ…冗談〜〜っ!」 何言ってんのぉ!? 長谷川は大慌てで、背中から銀時の身体を捕まえたが、勢い余って銀時を抱えたまま思いっきり尻餅をついた。 いい年した男の腰に手を回して膝の上に抱えた自分の状態は情けないが、暗くなった川に飛び込まれるよりはずっとマシだ。 とにかく川に飛び込まれずにすんだ長谷川だが、ふと自分の手の位置に気がついた。 思わず、わっ!と声をあげそうになったが、あることに気づき離そうとした手が止まった。 今現在、長谷川は尻餅をついたまま銀時を抱えている。 咄嗟に捕まえた形で、左手は腰に回っているが、右手は抱えた銀時の丁度アソコに。 (あれ?俺触れてるよな?) だが、何故か当然あるべき感触が手に伝わらない。 (あれ?な…んで?) 長谷川は首を捻り、何度も頭の中で疑問を飛ばした。 、と、そこへ唐突に手が伸びてくる。 「大丈夫か?全く何をやっているのだ」 へ?と顔を上げれば、目の前に坊さんがいた。 暗がりでしかも笠をかぶっているので顔立ちはよくわからないが、珍しい長い黒髪が見えた。 一瞬、女かと思えたほどだが、声は男だ。 声で誰かわかったのか、長谷川の体の上に座った形の銀時がニマ〜と笑うと、ふいに現れた長髪の坊さんの首に白い腕を伸ばした。 「ヅラ〜〜」 「ヅラではない。全くおまえという奴は。酒を飲むなとは言わんが、限度をわきまえろ」 それほど酒に強いわけではないというのに。 「あんた、銀さんの知り合い?」 桂は銀時に抱きつかれたまま頷いた。 「迷惑をかけた。コレは私が家まで送っていく」 「あ、知り合いなら構わねえんだけど……その…」 サングラスをかけているのでその表情はわからないが、かなり困惑している様子に桂はフッと息を吐いた。 「気づいたか。だったら、他言無用に願えんか」 ……おい…それって肯定してる?肯定してんの? 俺の勘違いっていうんじゃないわけ? 「銀さんフラれたって言ってたけど、まさか!それで自棄になって取っちまったってんじゃ…!?」 「取った?」 桂はなんのことかわからず首を捻った。 「取ったとはなんのことだ?」 「なにって……決まってんだろ!男のナニをだよ!」 「ナニってナニか?そんなもの、銀時には最初からないぞ」 へ?と今度は長谷川が何を言ってるのかわからないという顔をする。 (ないって…ナニが?え?最初からないって…え??) まさかまさか…いや、そんなことありえんだろう! 「ほら銀時。しっかり立て」 桂は、酔って力の抜けている銀時の腕を自分の肩に回すと立ち上がらせた。 「じゃあ、連れて帰る。おぬしも気をつけて帰れ」 銀時を抱えた坊さん姿の桂は、まだ頭の中をグルグルさせている長谷川を残し、万事屋のあるかぶき町に向かって去っていった。
酔った銀時を、なんとか万事屋へと連れ帰ると、新八と神楽が奥からバタバタと出てきた。 もうかなり時間は遅いが、新八は帰宅せず、神楽も寝ないで銀時の帰りを待っていたらしい。 「ああ〜やっぱり酔っ払っちゃって。すいません、桂さん」 桂に支えられた銀時の様子に、新八は頭を下げる。 「新八君が頭を下げることではない。いい年して、酒に飲まれる銀時が悪いのだ」 桂が上がり口に銀時を下ろした。 見ると銀時は地面を転がりでもしたように汚れている。 「あ〜あ、どうしたんですか銀さん。顔にまで泥がついてますよ」 そのままで布団に寝かせるのは、やはりマズイだろう。 と、神楽も同じことを考えたのだろう、私が銀ちゃんを風呂に入れて洗うネ、と半分寝ていてグラグラしている銀時の右手を掴んで引っ張ろうとした。 「え?ちょっとちょっと神楽ちゃん!それってマズイだろ!」 新八は、慌てて止める。 「何がマズイ言うネ。私、時々銀ちゃんと一緒にフロ入ってるヨ」 慣れてるから大丈夫ネ、と平然と答える神楽に、新八は驚いた。 一緒にお風呂入ってたって……そりゃないだろうぉぉぉっ。いくら神楽ちゃんが子供でも、二歳三歳の小さな子供じゃないんだよぉぉぉ! 「何言いたいネ、新八。私と銀ちゃんが一緒に風呂入ったら駄目アルか?」 「そりゃ駄目だろおぉぉ!」 大声で止める新八を見て、桂は、ああ、とわかったように頷いた。 「新八君はもしかして、銀時が女だって知らないのか」 へ?と新八がキョトンと目を見開いた。 「そうだったネ。新八、知らなかったアルカ。やっぱり駄目鏡アル。男か女かわからないアルなんて。最低アル」 「へ?」 「責めてやるな、リーダー。銀時を見て女だとわかる人間は十人の内一人いるかいないかだぞ」 「…………」 へ?…え? やっと頭の中で理解が追いついた新八は、カチンと固まってしまった。 (……うそ)
ええぇぇぇぇぇっ!?
──銀時…ずっと一緒に生きていくか
──あんたぁ邪魔なんだ あの人のそばには、もう俺たちがいる 時代遅れなあんたは、もういらないんだよ
──俺は邪魔なのか、高杉 あの時、死んだ方が良かったのか
なあ、高杉……
目が覚めて寝床から起きると、なにやらいい匂いが鼻腔を刺激した。 手早く着替えて台所へ行くと、珍しく早起きした銀時が朝飯を作っていた。 「お。起きたのか新八」 具が煮えた鍋に味噌を溶かしていた銀時が、新八に気づいて振り返る。 いつもと変わらない銀時の顔だ。 銀時が女性だと初めて知った新八であるが、あまりにいつもと変わらないので戸惑いすら感じない。 「銀さん、大丈夫なんですか、身体?」 「二日酔い?いやあ、途中から記憶ねえんだけど、気分は悪くねえかな。ってか、今朝は爽やかに目覚めちまったさ」 「え?そうなんですか?桂さんに送ってもらった時は、かなりフラフラしてたみたいですけど」 「ああ、やっぱ、ヅラの奴かあ」 ん〜〜と銀時は唸る。 桂と会ったような気はしていたが、夢見てたし、どこが現実で、どこが夢なのかさっぱりわからなかったのだ。 そういや、一緒に飲んでた長谷川はどうしたろう? (まあ、また飲み屋で会うから聞けばいっか) 「ヅラは?」 「銀さんを送ってすぐに帰りましたよ。酒を飲むなら限度を知れ、だそうです」 フン、と銀時は鼻を鳴らした。 桂の説教は子供の頃から聞きなれてて、役に立ったためしはない。 万事、右から左だ。桂には空しい現実だろう。 「もうすぐ飯用意できっから」 「はい。じゃ、顔洗ってきます」 新八は台所を出て洗面台のある方に脚をむけた。 と、そんな新八の横を、起きた神楽がドタドタと走り抜ける。 「銀ちゃあぁぁぁん!ごは〜ん!」 神楽が台所に消えると銀時の困った声が聞こえてきた。 「まとわるつくな、神楽!飯は出来てっから、おめえも顔洗ってこい」 うほほ〜いv
夜勤が五日続いて、ようやっと休みになった日、昼過ぎまで寝て、夕方まで部屋でごろごろしたり買い物に出たりしてすごしてから長谷川は久々に飲み屋に足を向けた。 次の勤務は明後日の夜からなので、今夜はゆっくり飲んで生気を養おうと長谷川は思った。 少しだが給料も出たので懐も暖かい。 ついついいつも飲んでる飲み屋に足が向いたが、ハタと思い直して店を通り過ぎる。 そこは長谷川も常連だが、銀時も常連なのだ。 まだ知ってしまった事実に適応できてない長谷川は、今銀時と顔を合わせたらどう接していいかわからなかった。 いやまあ、一年たっても、どう対応していいかわからないだろうけどね、と長谷川は思う。 しばらく歩いてから、ここならいいだろう、と長谷川は、石段を上がる手前にある小料理屋の引き戸を開けた。 銀時の好みは人が集まる飲み屋で、こんな静かな雰囲気の小料理屋は対象外だろうからと思った長谷川だったが。 (な…んで、銀さんがいるかな?) カウンターに見慣れた格好を見た長谷川はガックリと首を折った。 しかし、既にのれんをくぐっているので、理由もなく出て行くのはさすがに駄目だろう。 「あれ?長谷川さん。珍しいじゃん。飲み屋じゃねえの?」 長谷川に気づいた銀時が、意外なとこで顔を見たというように目を瞬かせた。 それはこっちのセリフだと長谷川は言いたい。 「銀さんこそ、なんでいるの?」 「なんでって……ここ、今日の仕事先だから。女将が急用で料理の仕込が間に合わないっつーんで、手伝いにさあ」 「ほんとに助かったわ、銀さん。今日は店を臨時休業しようかと思ってたから」 「いやいや。せっかくの花金で休業はないっしょ」 「え?もしかして、今夜ここの料理は銀さんの手作り?」 「レシピ用意してくれてたから簡単だったぜ」 まあ、味付けは微妙に違うかもしれないけどさあ。 「味見したけど、凄く美味しかったわよ。私なんかよりずっとうまいわ、銀さん。良かったら、ずっとここで仕込み手伝ってくれないかなあ」 女将は手放しで料理の腕を褒めるが、銀時は、俺のは単なる家庭料理だからさあ、と謙遜する。 「やあね。うちは高級料亭じゃないわよ。お客は家庭料理を望んで寄ってくれるんだから、問題ないわ」 そうか?と銀時は箸を口にくわえたまま考え込んだ。 「じゃ、仕事ない日は手伝いに来るってことで」 商談成立、と銀時と女将はカウンターを挟んで手を合わせた。 「………」 まるっきり、いつもの銀時に長谷川はなんだか気が抜けた。実は銀時が女だと知った長谷川だが、こんだけ見た目も言動も変わらなく見えるなら問題なんかないのではないかと思える。 長谷川は銀時の隣の席に腰をおろした。 「なんでもいい。お勧めいくつかと、ビール」 長谷川が注文すると、すぐに野菜の煮物やら酢の物やらが入った小鉢が置かれ、コップにビールを注がれた。 さして間を置かずに客がどんどん増えていき、気づけばカウンターは全部埋まった。 女将も忙しくなって二人の相手ができなくなった。 やはり常連の客なのか、女将は明るい笑顔を見せて相手をしている。 小鉢に盛られた料理に箸をつけた長谷川は、その美味さに感激した。 味付けは確かに家庭料理かもしれないが、馴染んだ美味さというか、ついつい箸が進んでしまう。 「銀さん、すげえよ。美味いよ。この煮た小芋なんて最高だよ」 「そりゃどうも」 「いやいや。こんな美味いもの食べれるなら、俺もここの常連になっちゃおうかなあ」 長谷川は、もくもくと小鉢を空にしていった。 「こんな美味い料理作れるんなら、銀さん嫁さん……」 いらないねえ、と続けそうになった長谷川は、慌てて隣で冷や酒を飲んでいる銀時を見た。 ば…かか、俺!銀さんに嫁さんって…… 「神楽がたまに、俺を嫁にするぅなんて言いやがるけど、さすがに無理ってもんでしょ」 「え?あ?ま、そうね……女同士ってのはちょっと無理あるよね……ハハ…」 あれ?という顔で銀時が長谷川を見る。 「え?バレちゃってた?」 は?と長谷川はサングラスの奥の目を瞬かせ、すぐに失言に気づいて固まった。 「気づく奴っていねえんだけどなあ。……あ、ヅラか。ヅラの奴か」 「ヅラって、銀さんの知り合いっつー若い坊さん?」 綺麗な髪してたけど、あれって鬘なのぉ〜? 「そっ。ヅラヅラ。奴ぁ、ガキん頃からヅラだぜえ」 銀時はケラケラ笑いながらコップ酒を飲む。 あ〜あ。今夜はしっかり気をつけとかないと。 「ガキの頃って、銀さんの幼馴染みとか?」 ま・な、と銀時は答える。 「いやほんと悪かったよ銀さん。俺、全然気がつかなくてさあ。銀さんに悪いことばっか言ってたんじゃないかと」 「気にするこたねえよ。俺見て、すぐにわかる奴なんかいねえもん」 「そうだけどさあ」 長谷川は溜め息を吐く。 しかし、銀時が普通に女性の格好をしていれば、絶対間違えることはない筈で。 よく見れば、本当に綺麗な顔してるし。 「なんでそんな男みてえな格好してんだ銀さん?」 「なんでって、似合わねえだろ?女ってのは、胸があって初めて女って認められるもんだし」 「いや、それないから」 長谷川は苦笑しながら手をひらひらと左右に振った。 胸がなければ女じゃないなんて言った日には、世の女性たちに袋叩きに合ってしまう。 「けど、好きだろ?ボンキュッボンってやつ」 そりゃあ、と言いかけて長谷川は、ぶるぶると頭を振った。 「そんなことないって、銀さん」 そんな男ばっかりじゃ…… あれ?銀さんが女性なら、銀さんが振られたっていう好きな人って、男? 「俺、マジで胸ないぜ。だから振られちまったのかも」 天パで胸ないなんて最悪だもんなあ。 ガックシと落ち込む銀時に、長谷川は必死に否定するが、全然説得力がない。 「ま、いいけどよ。もう望むべくことじゃなくなっちまったし」 「んなことないって。絶対、またいい人見つかるから」 あれ?前もおんなじこと言ったっけ俺? 「んなことあんだよ。そういう体質だし」 体質? どういう意味なのか聞こうとした長谷川だが、突然鳴り出した携帯に慌てて懐に手を入れた。 連絡用に会社に持たされた携帯を長谷川は首からぶら下げていた。 青い携帯を取るとすぐに耳にあてる。 「は・はい。はい。今外ですけど。……ちょっと飲んでまして……いえ、まだそんなには…ええっ、これからですかあ?いえ、行けなくはないですけど……」 長谷川は、通話を終えると、はあ〜と溜め息を吐き出した。 「どったの、長谷川さん」 「ちょっと会社でトラブルあったみたいでさあ。行かないといけなくなった」 「そりゃ大変じゃん。でも、仕事ちゃんとやってんだね」 「まあ、今度はなんとか続きそうなんだけどさ」 臨時でなく正式に雇われたらハツを呼び戻せるかもしれない、と長谷川は期待する。 「じゃ、またな長谷川さん」 言われて長谷川は、このまま銀時を一人残していいのだろうかが気になった。 時間を見れば、まだそう遅い時間ではないのだが。 今夜は家に帰るだけだしと、銀時が酔っても送っていけると考えたのだが、今出て行けばそれは無理。 「銀さんも、もう帰ったら?」 「はあ?まだ九時だぜ。今夜は好きに飲んでっていいつーし、もうちょい飲んでから帰るわ」 「けどさあ。この前みたいに酔っ払ったら」 「心配いらねえよ。ちゃんとわかってっから」 ほんとにわかっているのか。 (絶対わかってないよ、この人) 戸の前で迷っていたら、ふいに背後の引き戸がガラッと開いた。 入ってくる客の邪魔にならないよう脇に避けた長谷川の目に映ったのは、江戸で悪名を轟かす組織の黒い制服だった。 「おんや?大串くんでないの。それにジミーくんも一緒?」 「山崎です、旦那」 「なんだ?珍しいとこにいんじゃねえか、万事屋」 「たまには、ね」 (おいおいおい……真選組でないの。しかも、鬼の副長っつったら、銀さんと仲悪かったんじゃ……) こりゃ、やっぱ一緒に出た方がいいかも。 「銀さん。やっぱ、帰った方がいいって。お宅の娘さん、待ってんだろ?」 「娘〜??」 銀時は眉をひそめる。 「神楽のこと言ってんの?……娘・むすめ…ねえ。あ、なんかいい響きかも」 (ああ〜、一気飲みなんかしちゃって〜〜) 「万事屋のやつ、結構飲んでんのか?」 満席だった席がいくつか空き始めたので、山崎が席確保に行った。 「まだ大丈夫とは思うんですけどね。ただ銀さん、酔うと一気にヘロヘロになるから」 「酔ってヘロヘロは珍しいこっちゃねえだろ」 確かに珍しいことではない。 だいたい、こと銀時に関して危険という言葉はなきに等しい。 通り魔や強盗にあっても、返り討ちは当たり前なのだ。 だが…… まだ心配そうに銀時を見る長谷川に、土方は目を眇めた。 「おめえ、もしかして奴んこと、知ってんのか」 「え?まさか、副長さんも知ってる?」 ああ、と土方は頷きながら煙草をくわえライターで火をつける。 「偶然な」 あ、俺もと長谷川は答える。 「だろうな。奴ぁ、自分から言わねえしな。ったく、あれで男じゃねえたあ、誰も思わねえよ」 「ハハ…ですよね」 「なんか用があんなら帰りな。奴が酔っ払ったら俺が送っていく」 「そうしてもらえたら安心だ。頼んます」 「ああ」 土方が頷くと、長谷川は店を出て行った。 「副長。席三つ空いてんですけど?」 さっき長谷川が座っていた席と、その隣ニ席が空いていた。 迷わず土方は、銀時に一番遠い席を選ぶ。 しかし、山崎は銀時に腕を掴まれ強引に長谷川のいた席に座らされた。 女将が注文を聞きにくる。 実は、既に土方と山崎は店の常連だった。 奥に座敷が一つだけあって、時々山崎が得てきた情報を聞くのに使っているのだ。 今夜はそうでなく、たまたま夕飯を食いっぱぐれたので寄っただけだが。 「なんか腹にたまるもんがあるか」 「今夜はいろいろ種類ありますよ。そこの銀さんが作ってくれたもんで」 え?と山崎が隣の銀時を見た。 「旦那が料理したんスか?」 まあな、と銀時が肩をすくめると、山崎はへえ〜と目を丸くした。 「旦那の料理かあ。そいつぁ楽しみだ」 喜ぶ山崎とは対照的に、土方は殆ど表情を変えなかった。 「料理はまかせる。熱燗をニ〜三本くれ」 はい、と女将は頷くと、カウンターの奥に引っ込んだ。 あ、俺も今度は熱燗にする、と銀時が奥に声をかけた。 銀時の前には小鉢が三つほどと、コップがある。 チラリとそれを確かめて、土方は灰皿に煙草を押し付け、新しい煙草を箱から抜いた。
◇◇
肌を刺すような日差しが降り注いだ夏が通り過ぎて秋の虫が鳴き始めると、日差しは一気に和らいで日暮れが早くなる。 太陽が中天を過ぎたと思うと、気づけば日はぐっと傾いて夕闇が迫ってくるのがわかるので、旅人は今宵の宿を求めて誰もが足を速めていった。 そんな旅人に混じって歩いていた二人の女の足もつられるように心持早くなる。 彼女たちが街道に姿を現してから、同じ道を行く者も、すれ違う者もチラチラと女に視線を送っていた。 それも当然で、二人の女は若くそしてめったに見ないほどの美貌の持ち主だったのだ。 しかも、女二人で男がついている様子もない。 となれば、狙う男も出てくるわけだが、何故か遠めにチラチラ見るだけで、誰も彼女たちに近づく者はなかった。 話しかけても無視されるし、それでも強引に彼女たちに近づけば皆地に伏せるハメになったからだ。 さすがに人の目が多い街道で、そんな無様な姿を晒すのは御免被りたい。 とはいえ、既に片手ほどの男がそんな無様な姿を晒したわけだが。 「ここまで来てようやっとウザイ奴が近づいてこなくなったなあ、ヅラ」 「ヅラではない。姉さまと呼べと言ったろう、お銀」 近くに人はいないので会話を聞く者はないが、それでも用心のために小声で交わす。 それでも、なんか呼ばれると恥ずかしい。 お銀ってなあ……とまだ幼さの残る白い顔を歪めながら銀時はブツブツ呟き、ちらりと視線を流した。 隣を歩く幼馴染みは、うっすらと化粧をし、紅をつけた唇も色っぽく、どこから見ても女にしか見えなかった。 実際、女装したヅラを本当の女と思い込んで口説いてくる男はひっきりなしだ。 まさか、自分が口説いてる女が、女装してる男で、しかも部隊を率いている攘夷志士だとは思いもよらないだろう。 ま、そいつらは一人の例外もなくヅラによって地面に叩き伏せられたが。 銀時はあんまり続くもんで、一人適当な奴を虫除け用のボディガードにすりゃあいいじゃんと言ったのだが、潔癖なヅラに睨まれただけだった。 だいたい長く話していれば男とバレて疑われるに決まっているだろうと、桂は銀時の能天気振りを叱った。 長々と説教しまくられたので、うんざりした銀時は二度と提案する気はなくなった。 「しかし…おまえ、ほんとに色っぽいよなあ」 やるとなれば徹底的にというのが信条の桂は、声まで意識して高くしているから、ちょっとやそっとでは男とバレやしないと銀時は思うのだが。 自他共に認める女好きの坂本が選んだだけあって、桂が着ている濃紺の着物はよく似合っていた。 もともと長い黒髪は女のように艶やかな光沢があって絹のようだし、かるく首の後ろで束ねた赤い紐すら色気をかもし出す小道具となっている。 髭も薄いので、化粧すれば、全くわからない。 かくいう銀時の淡い桜色の着物は、色気とは無縁の清純さをみせて、まだ幼さの残る顔立ちの銀時に似合っている。短い上に銀髪では目立つので、長い黒髪の鬘をつけているので、印象はかなり変わっている。 二人の着物は、必要な資料が男子禁制の館にあるとわかってから、坂本が勝手に用意したのだが、明らかに桜色の着物は銀時のため用に用意されたものだった。 しかも、今回の件とは別口で用意されていたフシがあると言ったのは高杉だ。 確かに、誰かに借りたらしい桂の着物と違って、銀時に渡された着物は、明らかに仕立てられたばかりの真新しいものだった。 それを指摘すると、やっぱ女の格好した銀時が見たいじゃないかあと本音を吐露し高杉に殴られた。 で、女の銀時より男のヅラのが色っぽいなんて、なんの冗談なんじゃあ〜〜と叫んだ坂本のもじゃ頭を銀時は容赦なく蹴り飛ばした。 冗談はてめえの面だ!ったく! だが、確かに銀時の目から見ても、女装したヅラは色っぽい。 小さい頃から女顔だったし、成長しても細い身体つきは相変わらずで、下手すると自分の方が筋肉あるんでないのと銀時が思うほどだ。 子供の頃、女の子みたいに可愛い顔した一つ年下の男の子がいて銀時も可愛がっていたのだが、成長するにつれて筋肉もついて顔も丸みがなくなった上に、うっすらと髭まで生えてきたのにはさすがにたまげた。 今は高杉の鬼兵隊にいるが、かつては女の子のようだった面影は既になく髭面の豪傑だ。 その変貌振りには驚き呆れるが、全く変わらないヅラにも呆れてしまう。 まさかジジィになっても、このままなのかと怖い想像をしてしまうくらいだ。 ま、そんなことは絶対有り得ないが。 そんな失礼なことをつらつらと考えている銀時を、桂もちらりと見てから微かに溜め息を零した。 何故桂が女装して二人一緒に向うことになったか、この鈍い銀時は疑問にも思っていないだろう。 桂が着る着物は、急遽坂本が調達してきたものだ。 つまり、最初から予定されていなかったのだ。 坂本から報告を受けた時、桂もだが高杉も嫌な予感を覚えた。 男子禁制の館となれば、真っ先に浮かぶのは銀時なのは仕方ないとして(坂本は銀時が女だと知っている)いつかは着せたいと密かに用意していた着物を嬉々として出してきた坂本には心底まいった。 女好きの坂本だが、未だ二次性徴がきていない銀時は、好みの範疇外ではあるが、可愛い女の子を着飾らせたいという欲求は多分にあったようだ。 ほんのガキの頃から一緒にいて、銀時が女だという意識はなく男としてずっとつきあっていた高杉や桂と、会って間もない坂本では銀時を見る目が全く違うということだ。 そして、嫌な顔をしつつも、坂本に押し切られて女物の着物を着せられた銀時は、はっきり言って可愛らしかった。誰が見ても男にしか見えない銀時が、ただ女物の着物を着ただけで、美しい女にしか見えないなど、いったいどういう魔法だ。 ヤバイと思った。 男の女装であるならまだいいが、銀時は正真正銘の女だ。 たとえ"白夜叉"と恐れられる侍であっても、銀時は女なのだ。 高杉と桂は、銀時を一人部屋に残し、坂本の腕を掴んで外に引きずり出すと、アレは絶対駄目だと猛反対した。 だが、これからの天人との戦闘で、坂本が存在を見つけ出した資料は絶対に必要だった。 「では、俺も一緒に行く」 喧々囂々言い合った三人だが、最後に桂の意見で妥協して任務遂行が決まった。 銀時も、女装(?)にはいささか抵抗を感じていたものの、桂も一緒に女装すると聞き、渋々だが頷いた。 そういう経緯があっただけに、桂が道中銀時を気にするのは当然なのだが、当の銀時は全くと言っていいほど能天気だった。
どうしようかなあ・・・
日が暮れた後の宿場町は、旅人を呼び込む男や女の声も混じりあって随分と賑やかだった。 暗い夜道からは、篝火の灯りと宿の明かりによって、まるで別の世界のように見える。 反対に、明るい町から外を見ると、そこは闇に包まれていて、まるで世界がそこで終わっているようにも見えた。 ああ〜どうしよう〜〜と今度は声に出し、人が行きかう道のど真ん中に突っ立っていた男が迷うように左右に身体を揺らした。 人の流れを無視し、まるで障害物のように立っている存在は、実際邪魔以外のなにものでもなく、ぶつかりそうになって眉をひそめたり、睨みつけていく者も少なくない。 だが、そんな視線も悩みまくる男には届かない。 悩みを抱えるその男は、二十歳になるかならないかの若い男だった。 まだ顎の線にも丸みがあって少年っぽくはあるが、身体はもう大人の男に近づいていて肩幅も胸板も厚みがある。そんな男が、さっきから行きつ戻りつを繰り返し、立ち止まっては拳を作った両手をブルブルさせているのだから実に胡散臭い。 男の視線が向っているのは、立ち並ぶ宿の向こうに見える門の向こう側。 そこはさらに明るく、眩いばかりの光に溢れている。 通称、芙蓉と呼ばれる、そこは女の園。 極上の女が、男を夢幻の世界へと招く。ただし、誰でもというわけではなく、藩発行の許可証がなければ、たとえ身分の高い侍だろうが、大店の主人であろうが門をくぐることはできない。 しかも、一番奥に位置する館は完全に男子禁制であり、許可証があっても男は誰一人入ることはできない。 あそこには、天女がいると噂されるが、男で見た者は一人もいなかった。 とはいえ、あの門をくぐれば、極上の女と一夜を過ごせるのだ。 そして、男は許可証を持っていた。 二十歳になろうとしているのに、未だ女と全く縁のない情けない甥に、彼の叔父が呆れて許可証を押し付け送り出したのだが、ヘタレはやはりヘタレだった。 従兄弟にも檄を飛ばされ、よおし!と一大奮起でやってきたものの、宿場に入り、門を見た途端怖気づいた。 あまりにも眩ゆすぎて、足がすくむのだ。 (どうしよう〜〜行くべきか、やめるべきか……あ〜叔父貴のばかあ。俺一人じゃ、やっぱ無理だよ〜〜) ついにはその場で足踏みし始めた男に、皆が気味悪げに見ながら通り過ぎていく。 と、前から歩いてきた男がドンとぶつかってきた。 さすがに勢いよくぶつかったため、止まっていた男の方がよろめいた。 「バカやろう!道の真ん中で突っ立ってんじゃねえよ!」 着物の裾を絡げた三十半ばの男が、ぶつかった若い男に向って怒鳴った。 気の弱そうな男は、ビクッと首をすくめ、小さな声ですみません…と謝った。 男はフン!と鼻を鳴らして睨みつけると、それ以上文句は言わずに歩いていった。 若い男は、ほっと息を吐き出した。 「やっぱり、帰ろう……俺にはまだ無理なんだ」 けど、叔父貴は怒るだろうなあ。 う〜ん、と悩みが増えた男は、頭を抱えて唸り出す。 そんな男の様子を、さきほどぶつかった男がちらりと振り返りニヤリと笑ったことなど知るよしもなく。 マヌケな奴め、と男がほくそ笑んだその時、いきなり腕を掴まれ細い路地に引きずり込まれた。 なっ!と声を上げる間もなく、男は首の後ろに衝撃を受けてその場に昏倒した。 男はいったい何が起こったのか全くわからなかったろう。 それほどに素早い攻撃であった。 「人間ってマジ弱ぇのな」 男を昏倒させた女の傍らに立っていた女が面白そうに笑った。 そりゃそうだろう。 彼らが戦場で敵として戦っているのは、人でなく化け物の類なのだから。 桂は気を失った男のそばに屈みこむと懐を探り、手のひらにのるくらいの木札を抜き取った。 「それが許可証?」 「ああ。間違いない、これだ」 男子禁制の館へ行くには、この許可証も必要だった。 偽造できないこともなかったが、やはり問題を起こさないためには本物の方がいいからと桂は現地調達を提案した。 まさしく現地調達。 「こいつが許可証を掏り取ってくれたおかげで、かなり都合がよくなった」 本当は許可証を持つ人間から奪い取ろうとも考えていたのだが、後々問題が起きないとも限らない。 それからすれば、確かに都合がいい。 「んで、俺があいつを足止めしとくわけ?」 「そんなに時間はかからん。奴が札を盗られたことに気づかないよう、うまくあしらってくれればいい」 できるな?と言われた銀時は、軽く肩をすくめた。
何やってんだろな、こいつ?と思いつつ、銀時は許可証を掏られたことにまだ気づいていないらしい男に近づいていった。 ああ、どうしよう、どうしよう〜〜と銀時の視線の先で意味不明な叫びを繰り返していた男は、突然、そうだ!そうしよう!となにやら決断し急に向きを変えてきた。 当然、男の近くまできていた銀時と思いっきりぶつかる。 (おわっ!) 油断していたといえばそうなのだが、男に対して危険も何も感じなかった銀時はまともにぶつかってよろめいてしまった。 不覚だ……と銀時は内心舌打ちするが、男の方はそれどころではない。 まともに顔を押し付けてしまったのが、女の胸だと気づいた男のうろたえぶりは、いっそ気の毒なほどで。 真っ赤な顔をしてすみません、すみませんと頭を下げまくる相手に、さすがに引き気味となった銀時だった。 (いや…これ詰めもんだから・・・辰馬の奴が丁度いいからってふわふわ手ぬぐいを詰めただけだから) まあ、女といっても胸なんか全くない銀時だからしょーがないのだが。 「別に怪我なんかしてないから、そんなに謝らなくてもいいけど?」 「でも!俺は失礼なことをしてしまいました!」 顔を上げて見た相手が自分と同じか少し年下のような若い女で、しかも見たことがないくらい色白の美少女だったのだから、男は落ち着くどころかもう戸惑う一方だ。 「え〜と……ぶつかったのはオ…否、わたしも悪いし」 反応が大げさすぎて、さすがに困った銀時だが、ふと視線を感じて振り返ると、桂が足を止めてこちらを見ていた。 銀時がひらひらと手を振ると、桂は僅かに首を傾げてから背を向け、再び歩き出した。 「あの……」 「ああ、アレは姉。用事があって出かけた。でさあ、戻ってくるまで待ってないといけないんだけど」 今暇?と銀時が問うと、男は真っ赤な顔のまま、コクコクと壊れた人形のように首を上下させた。 「だったら、つきあってくれるかなあ。一人で待ってるのもつまんないし」 話し相手になってくれたら嬉しい、と銀時がニッコリ笑って頼むと、男はさらに激しく首を振り出した。 そのまま折れて飛んじゃうんじゃないかと思うくらいだ。 それから二人して歩き出し、丁度いい茶店を見つけ並んで腰をおろした。 男は山崎退と名乗った。 「退と書いて、さがると読むんです。珍しいでしょ」 「ん〜、人の名前って何が珍しいのかわかんないな」 さがる。いいんじゃない?と銀時が言うと、山崎退と名乗った男はパァっと笑顔を見せた。 どこか恥ずかしそうな、そして照れたような表情の方が銀時にとっては名前よりも珍しい。 なにしろ、銀時のまわりには自分の言葉一つにコロコロ表情を変えてくれるような可愛げのある人間は一人もいないし。 一番身近な幼馴染みの二人は、どっちも標準を大きく上回る男前で女にもてまくる。 桂は知ってか知らずか相手にすることは殆どないが、高杉は結構寄ってくる女と遊んでいるようだ。 だから、女の言動で真っ赤になるなど絶対にないだろうし、実際銀時も見たことがない。 「わたしは、銀」 「お銀さんか〜。いい名前。凄く合ってる」 そうか?と銀時は首をかしげた。 名前に銀とついたのは、色が抜けたような銀髪からだが、今は黒髪の鬘に隠されている。 なら、どこを見て合っているというのか。 「あ、美味い」 茶と一緒に運ばれてきた団子をパクリと口にいれた銀時は、ほんのりとした甘さと食感に瞳を輝かせた。 銀時の瞳は赤い。 だが、長めの前髪にごまかされ、さらに夜ということで赤い瞳に気づく者はなく、並んで座っている退も全く気づいていなかった。 銀時の赤い瞳は、普段は暗く沈んだ色なので、よく見ないとわからないが、光が当たると途端に赤が際立つのだ。 何故かはわからないが、日の光より月の光の方がより紅を増す。 この夜は新月で、月より星の瞬きの方が目立つくらいであるから、顔を覗きこまれない限りは気づかれることはないだろう。 辰馬は目に直接いれる色つきレンズがあると言ったが、さすがに目に入れるというのは怖いからやめた。 「お団子好き?」 嬉しそうな顔で団子を頬張る銀時を見て、退の表情がさらに緩む。 もはや、メロメロ状態。今にもとろけてしまいそうだ。 「もっと欲しいなら頼もうか」 「欲しいけど…お金あんまし持ってない」 「奢るよ!だから心配しないでいい!」 こういう時、男が金を出すのは当たり前! そうか?と銀時は長い黒髪をサラリと顔の前に流すとニマッと笑った。 そういや、辰馬も銀時のために甘味をよく買ってきてくれるが、代金を請求されたことはなかった。 喜んでくれたら、それでいいんじゃと辰馬は言っていたから、男はそういうもんなんだろうと銀時は納得する。 ただ、昔から二人の幼馴染みは、知らない人間からほいほいと物をもらうなと怒っていたが。
「ちょっと旦那〜聞いてくれてんですかぁ?」 山崎は、酔ってカウンターにベッタリと顔を張り付かせている銀時の肩を揺すった。 あぁ?と銀時は眠そうな目をうっすら開けて、隣に座る山崎の顔を見る。 「聞いてんよ…団子が美味かったってんだろ」 「旦那〜〜俺は団子の話してたんじゃないですよ〜〜」 山崎は泣きそうな声で文句をたれる。 「え〜と……ジミーくんの初恋の話だっけえ?」 「そうですよ。旦那が話せって言ったんじゃないですかあ」 「ん〜〜言った言ったァ。気の毒だけど、初恋は実らないって決まってんだよ、ジミーくん」 「山崎です、旦那。なんでもう振られた話になってんですか」 「あれ?振られたんじゃねえの?」 「振られたも何も……お銀さんとはそれっきり会ってないんです」 「じゃ…縁がなかったってことじゃん。やっぱ初恋なんざ実らないもんなんだよなあ」 「それって、旦那も実らなかったってことですか?」 「俺?俺はお天気お姉さん一筋よ?」 あの笑顔がたまんな〜いとケラケラ笑いながら銀時の手はまたも徳利に伸びている。 「だめですよ、旦那ぁ!もうこれ以上飲んだら、確実に潰れますって!」 山崎が銀時の手から徳利を取り上げると、ケチと罵られた。 ケチでいいです、と山崎が言うと、銀時はふ〜んと鼻を鳴らしパタっとまたカウンターに顔を伏せた。 普段抜けるような白い肌のせいか、酔いが回った顔はかなり赤くみえた。 こりゃもう、マジで潰れてるよ、この人。 「それで、てめえは団子を奢ったあげく、土産まで持たせたってか」 予想外の声に山崎はえ?と目を見開いた。 銀時とは反対側、椅子一つ空けた席には、自分と同じ真選組の黒い制服姿の土方が座っている。 土方と山崎が立ち寄った店に銀時がいたのは偶然だ。 軽く何か食べた後、山崎に調べさせていた案件の報告を聞く予定であったが、早速酔った銀時に絡まれ始めた山崎の様子に今夜は諦めた。 とはいえ、やはり面倒ごとはごめんだとばかりに土方は席を空け、酔った銀時を山崎一人に押し付けた。 まさか銀時に絡まれて仕方なく始めた昔話を、土方が聞いているとは思わなかった。 「え…まあ……」 山崎は口ごもる。 実はあの後、彼女は戻ってきた姉と共に去っていって、それっきりだった。 そういや……と山崎は思い出す。 一度戻ってきた姉の元に駆け寄った彼女が、再び山崎のもとに駆けてきたのだが、途中何かに躓いたように倒れかけ、慌てて手を出した。 彼女は山崎の胸の中に飛び込むように倒れてきて。 (ホントに、こうスッポリと腕ん中に納まったんだよなあ) 今思い出しても顔が赤くなる。 ただそれだけの関わりなのに、思い出すたびに甘酸っぱい気持ちになるのは、やはり初恋だからなのだろう。 あれから十年が過ぎる。 彼女はとっくに誰かのものになって、子供が生まれて幸せな生活を送っているに違いない。 あんなに綺麗で可愛い女性だったのだから。 「ああ〜〜旦那、やっぱり潰れちゃってるよ。どうしよう〜」 「俺が万事屋に放り込んでくる」 土方は言って椅子から立ち上がった。 「え?でも副長…」 あんたが旦那を?どういう風の吹き回し? 出会った時から険悪な関係だったと言っていたのは沖田だ。 なんと言っても、出会った場所が、あの攘夷志士桂とその一派を捕らえにいった先だったのだから、険悪にならないわけはない。 土方は今もって銀時を疑っているし、顔を合わせるたびにいがみ合うし。 (まあ、旦那がこの人をからかって楽しんでるのもいけないんだけどね。副長ってば、変に真面目で融通きかないとこあるし) だから、余計にちゃらんぽらんな銀時のことが気に入らないのだろう。 土方は酔いつぶれた銀時の腕を掴んで立ち上がらせると、そのまま背中に負ぶった。 山崎は信じられない光景に目をパチクリさせる。 そりゃあ、一人で歩けない旦那を引きずって歩くよりは楽でしょうけど。 でも、刀まで抜きそうになるくらい険悪だった相手を背中に負ぶうというのは、なんか信じられない。 どういう心境の変化なのか。 「やっぱり、俺が送っていきますよ、副長」 なんか心配。 「俺が行くっつってるだろう!てめえは、もっと情報を集めてきやがれ。時間はもうあまりねえぞ」 「はあ…」 「ここの払いはてめえにまかせる」 「は…あ……え?ええ〜〜っ!俺が払うんですかあ!?」 副長、ヒドイ……… 山崎の悲鳴交じりの抗議を背中に聞き流し、銀時を負ぶった土方は店の外へ出て行った。 閉店間近までいたので、客はもう彼ら三人だけだったし、とうに日付けが変わった時刻であるので、人通りも殆どなかった。 まあ、大通りに出て万事屋のあるかぶき町まで行けば、まだまだ人はいるだろうが。 (銀…か) 山崎が自分の初恋の話をしだしたのは、殆ど成り行きで、銀時もその話題を振るつもりはなかったろう。 ただ、酔っていて面白がってせがんだその話は、どうやら銀時にとっては懐かしい話だったようだ。 「ジミーはほんと、いい奴だねえ。あいつと一緒なら、平凡だけどいい人生送れたかなあ」 酔いつぶれて眠っているかと思っていた背中の銀時が話しかけてきたので、土方はちょっと驚いた。 ふっ…と土方は鼻で笑う。 「そりゃあ無理だろう。あれでも真選組の監察だ。てめえが思うような平凡な生活なんか送れやしねえよ」 「………」 「山崎には言わねえのか。てめえなんだろ、奴の初恋の相手ってのは」 いやいや……と銀時は土方の背中で首を振った。 「夢壊しちゃ駄目でしょうが。初恋ってのは報われないもの。でもって、美しい思い出ってなもんですよ」 現実は見せねえ方が幸せ。 「そうかい」 そうそう、と銀時は頷くと、肩にかけるだけだった腕を土方の首に回した。 「土方くんの背中、あったけえ。おぶってもらうなんて、ガキの頃以来よ、マジで」 「起きたんなら、自分で歩くか」 「いやいや。せっかくおぶってくれたんだから、家までよろしくv」 「よろしくってなあ……重ぇーんだよ」 土方は顔をしかめ、悪態をつくが、それでも下ろす気はないようだった。 よく考えなくても身長はあまり変わらない。体重は…銀時の方が軽いだろうが。 筋肉はついているが、そこはやはり男女の差だ。 日々鍛えている土方にとって、銀時の体重など苦でもなんでもない。 「土方くんって、意外と優しいよな」 最初の頃は、もう斬り合いになるくらい喧嘩ばかりで、こうして穏やかに話が出来るなんて想像すらしなかったことだった。 まあ、鬼と呼ばれるくらい怖がられる土方が、実は優しい人間だということは、銀時もうすうす気づいていたことだったが。 優しく、そして照れ屋だ。口に出して言えば、全力で否定するだろうが。 「おめえとなら、どうだろうなあ。もしかして、うまくいくんじゃね?」 本気か冗談か、なセリフを口にした銀時に対し、土方は即座に否定する。 「ぜってえ、無理だな」 「なんでよ?」 「てめえは、今も忘れられねえ男がいんだろが」 銀時は土方の首筋に顔を押し付け、目を閉じた。 「いるけどさあ……けど、振られちまったから」 一緒に生きていく筈だったのに、あいつは薄情にも俺を置いていったのだ。 ずっと一緒にいられる時を待っていたのに……結局俺は女になりそこなった。 「気づけばまわりにゃ誰もいなくなっててさぁ」 全てが真っ赤だった、と銀時の呟きを耳にした土方はピタリと足を止めた。 「万事屋」 「…………」 「振られたのか、置いていかれたのか知らねえが、てめえの唯一ってのは、やっぱりそいつしかいねえんじゃないか」 「………わかんね」
わかんねえよ……… |