三日三晩、殆ど休まずに移動した先は、奥深い山の中にある無人の山寺だった。

 鬱蒼と茂る背の高い木々と、ごつごつした岩が山寺の存在を隠し、天人に見つかりにくいため、攘夷志士たちには貴重な宿営地の一つとなっている。

 長い間住職不在で管理する者もなく、里の者も近づかなくなったため朽ちる一方の山寺だが、そこそこの広さがあり、雨露もしのげるということで、移動することの多い彼らにとってはしばし身体を休めることのできる場所だった。

 しかも、今回は激しい戦闘の後の長い移動だ。

 兵はかなり疲労していたし、特に怪我人を治療しゆっくりと休ませなければならなかった。

 天人の軍は一向に減ることはなく、戦闘は激しさを増すばかり。

 兵の補充は間に合わず、精鋭部隊とはいえ兵の数は減る一方だった。

 それでも、今回山寺にたどり着いた部隊はまだ多い方だ。

 途中合流した部隊合わせて八十数名。

 途中で別れて、別の宿営地に向った兵たちもいるので、数日前の天人の軍との激しい戦闘のわりにはかなりの生存者といえる。

 ただ、怪我人も多く、他の生存兵と連絡を取り合わねばならないので、しばらくはこの場所に留まらなくてはならなかった。

 幸いにして、攘夷志士の中でも力のある部隊が二つ揃っているため、長く留まっていても危険率は普通よりは低い。

 先の戦闘で所属していた部隊が全滅した者も混じっていたが、名の知れた部隊長の存在に彼らはホッと息をついた。

 

「ヅラ?おんし一人かや。銀時ばどうしたがじゃ」

 大柄な土佐の男は、大股で廊下を歩いてきて、本堂を覗き込み、そこにいた長髪の男に声をかけた。

「ヅラではない。桂だ。銀時ならその辺にいなかったか。傷の手当てがすんだら、暇だなんだと煩くまとわりつくんで、さっき追い出した所なんだが」

「傷って……怪我してたんか!」

「怪我ってほどでもない。軽い打ち身と擦り傷程度だ。あいつは無茶な動きばかりするからな。それでいて、敵の刃を受けることはめったにない」

 つまり、着ているものが赤く染まっていたとしても、殆どが返り血だということだ。

 さすがは敵に夜叉と恐れられるだけはある。

 今回の戦闘も白夜叉がいるというだけで有利に働いた戦いだったといっていい。

 ここ数年、戦況は悪く負けが続き多くの兵を失っていたが、最近は戦い方を変えたこともあり勝利は得られないまでも部隊の全滅は避けられるようになってきた。

 それも、若い指導者が頭角を現し前面に出てくるようになったからだ。

「ここに来るまでの間では見かけんかったがの……」

 どこへ行きおったかのぉ、と坂本は自分のきつい癖毛を指でガリガリとかき回した。

「銀時になんか用か?」

「いや、ちょいと物資が入ってきたんでな」

 坂本が言うと、桂はすぐに察したのか困ったように眉をひそめた。

「坂本……あんまり、奴を甘やかしてくれるな。何かというとおまえが菓子をやるもんだから、銀時はおまえには懐くが嗜める俺には反抗ばかりだ」

「何言うちょるか。わしから見れば銀時はおんしに甘えちょるぞ」

 反抗も裏を返せば心を許しきった甘えの一種だ。

 坂本から見れば羨ましい限りだ。

 もっとも、今ここにいない高杉と三人、幼い頃からずっと一緒に育ったようなものだというから、彼らの仲がいいのも当然で坂本が割り込めないのも仕方がないのだが。

「銀時を見つけたら、暇つぶしもほどほどにして戻るように言ってくれ」

 放っておくと、どこまで行くかわからん奴だからな。

 踵を返した坂本にそう告げた桂に向けてニヤリと笑ってみせてから、再び坂本はドカドカと足音をたてて去っていく。

 

「さあて、銀時ばぁ、いったいどこにおるがかのう」

 坂本にすれば、まだ子供と言っていいような三人と出会ってからやっと半年というところ。

 突然表舞台に現れた三人は、これまで敗戦が続いていた攘夷志士たちの中でとにかく異彩を放っていた。

 三人のうち桂と高杉は、自分の部隊を率いていたので他の隊に加わって戦うことはなかったが、兵がどんどん減っていく中、もはや別々に戦うより一緒に戦う方が有効だと坂本が声をかけ同盟が成立した。

 そこに、当時既に白夜叉と呼ばれ天人たちの脅威となっていた侍も彼らと共に来たのは嬉しい誤算だった。

 まさか、桂と高杉に加え、白夜叉までもが同郷の幼馴染みだとは、さすがに情報通の坂本でも予想もしていなかったことである。

 だいたい、桂と高杉が別の部隊を率いていたことや、白夜叉が殆ど単独で戦っているように見えていたのだから、坂本が分からなかったのも無理はない。

 そして、天人だけでなく、その戦い振りを見た侍たちまでもが畏怖を抱く始末だった白夜叉が、会ってみるとまだ子供のように可愛らしく、無邪気で人懐っこかったのだから驚きだった。

 会ってみるまで、桂と高杉とは全く接点がないようだった白夜叉こと坂田銀時が、彼ら二人にはひどく心を許しており、かの二人も銀時を大事にしているのが坂本の目にもはっきりわかった。

 確かに幼馴染み。

 ただ、彼らの繋がりは子供の頃から一緒だったというだけではないようには思えるが、その辺のことは三人とも全く口にしなかった。

 慣れるとよく喋る銀時でさえも、過去については一切話さない。

 よほど深い事情があるのだろう、と坂本も無理に聞き出すことはしなかった。

 廊下を歩いてくる坂本に気づいた若い侍が、足を止めて頭を下げた。

 その侍は、以前、天人の奇襲にあった隊の生き残りで、たまたま近くにいた坂本の隊が助けて以来、坂本の兵として戦っている小山丈太郎だった。

 年も近いせいか、銀時はこの小山とよく話をしている。

「おう、小山。銀時を見んがったか」

「白夜叉ですか?つい先ほど声をかけられましたが」

「そうか。どこへ行くと言ってたがや?」

「温泉のことを話したんで、多分そっちに」

「温泉?ハテ?ここにはそがいなもんがあるがか」

「はい。以前、前の隊で立ち寄った時に見つけたんですが、寺の裏手になる岩場に温泉が湧き出ているんです。昔は寺の者が利用していたのか、石が綺麗に組まれていていい露天風呂だったようですが、今は足場が悪くなっていて。それに一人入るのがやっとの大きさなんで、入るなら寺の風呂の方がいいのですが」

「ああ、そうじゃな。ここの風呂はデカイ檜風呂でえろう気持ち良かったぜよ」

 今も数人の兵たちが入って疲れを癒している筈だ。

「そいじゃ、わしも見に行ってみようかのう」

 その温泉っちゅーのを。

 

 

 着ているものを脱ぎ、腰に手ぬぐいだけを巻いた姿で銀時は温泉にそっと足先を入れてみた。

 おおvと銀時は小さな歓声を上げた。

 聞いた通り、一人入るのがやっとの大きさだったが、とはいえ一人なら別に狭いと感じずに浸かることができる大きさでもあった。

 温度はやや熱めだが気になるほどではない。

 風呂が好きなのに、幼馴染みが煩いのでいつもこっそり一人で入り、しかもゆっくりできない銀時であるから、誰もいない温泉を独り占めというこの状況はマジで美味しい。

 ゆっくりと湯の中に入って両足をつけると、じんわりと温もりが伝わって気持ちよかった。

(おお〜vいいじゃねえの。いいとこ教えてくれたよ。小山さまさまだねぇ)

 坂本がどっかの戦場からつれてきた小山丈太郎は、銀時より一つ年上なだけの男で、性格はどちらかというと温和で人がいい。

 生まれは商家らしく、十の時に母方の実家である武家の家に養子になったという。

 しかし、生来商人気質という小山は、自分を拾ってくれた坂本と同様に戦略より商才に長けていて、話も合うようだった。

 あまり、幼馴染み二人の兵たちとは話すことはないが、小山とだけは坂本と交えて談笑することが多かった。

 今回坂本と合流できたのは、精神的に落ち込みかけていた銀時にはありがたいことだった。

「誰だ?」

 突然、背後に人の気配を感じて銀時は振り返った。

 気づかれたと知った男は、あっさりと木の陰から出てくる。

 灰色の着流し姿の中年の男。

 それほど大柄ではないが、がっちりとした体格の侍だった。

 この場にいるということは、兵の一人なのだろうが見たことがない顔だった。

 もともと、単独で戦うことが多く、幼馴染みの部隊ともあまり馴染んでいない銀時であるから、知らなくても当然なのだが。

「あんた、白夜叉だろ?驚いたなあ、こんな若造だったとは思わなかった」

 銀時は眉をしかめた。

「なんか用か?」

「いや、たまたまね、あんたがこっちに来るのを見たもんでね」

 男は下品な笑みを浮かべながら近づいてくる。

「白い肌だなぁ・・・白髪かと思ったら、銀色・・かぁ?綺麗な色だ。肌も滑らかで、まるで女みてえじゃねえか」

 思わずといった風に伸びてきた男の手に、銀時の顔が顰められる。

 男の無骨な手が肩に触れると同時に、銀時の右手が男の首を掴んだ。

「刀がなければ殺せないと思ったか」

 生憎だなあ。俺は右手一本で、てめえのこの首をへし折ることが出来るんだぜ?

 ハ・・まさかという顔で男は銀時の白い顔を見つめた。

 十代のまだ成長途中といえる細い体に見合って、その腕も細い。

 とても、自分のこの太い首をへし折れるとは思えなかった。

 だが、銀時がほんの僅かに力をこめると、男の顔から血の気が引いた。

「なにしとるがじゃ?」

 ただならぬ気配を漂わすその空間をふと破るように、どこか暢気な声が響いた。

 

 

 

「まったく、貴様という奴は・・・・」

 頭を抱えながら、くどくどと説教を繰り返す幼馴染みの顔を、銀時はうんざりした表情で上目使いに睨んだ。

 なんで怒られるのかわからない。

 自分は、ただ温泉があると聞いて入りにいっただけではないか。

「風呂ならあるだろう。なんで、一人でそんな場所に行くのだ」

「あんなあ、ヅラ……」

「ヅラではない桂だ」

「どうでもいいじゃん。だいたいさあ、ここの風呂に、俺はいつになれば入れんだ?誰もいなくなるのを待ってたんじゃ、夜が明けちまうぜ」

「皆寝てしまえば、一人でゆっくり入れるだろう。いい加減、自覚しろ。いつまでも小さな子供じゃないだろ、銀時」

「小さなガキじゃねえから、一応素っ裸になんのは避けてんだろが。それでなんで怒られんの?」

「………」

 どっかりと胡坐をかいて座り、ぶすくれた顔を隠しもしない銀時と向かい合う桂は、眉間に皺を寄せ深々と溜め息をついた。

 もうなんと言っていいやらわからない。

「ヅラァ、それくらいにしといてやってくれんか。銀時に温泉のことを教えたんは、ワシんとこの者だし、銀時にちょっかいば出したんも、ワシが先日戦場から拾ってきた男じゃ。悪いのはワシじゃ」

「ヅラではないと言ってる。ほんとに貴様も悪いぞ、坂本!取り残された兵を自分の隊に入れるのはいいが、慣れるまでしっかりと見張っててもらいたいもんだ。たった一人でも規律は乱れる。巻き添えはごめんだぞ」

「いや・・ほんにスマン!」

 銀時の傍らに座った坂本が、膝に両手を置いて深々と頭を下げた。

 あの光景を実際に見てしまった坂本としては、言い訳のしようがなかった。

 まあ、身体の大きな大人の男であっても、白夜叉である銀時に対して不埒な真似ができるわけはないと確信すらあるが(実際、銀時に首の骨を折られかけている)それでも、目にした時は驚いた。

 あの男が銀時に対して何をしようとしていたかは、勘違いしようがない光景であったし、坂本はひたすら頭を下げて謝るしかない。

「何頭下げんだよ、辰馬。おまえが悪いんじゃねえだろ」

「そうだ。一番悪いのは貴様だ、銀時」

「はあっ?なんでだよっ!」

 わけわかんねえ〜〜

 長々と説教されまくった上に、一番悪いと言われては銀時も腹が立ち、頭をガリガリとかきむしると、いきなりすっくと立ち上がった。

「てめえの言うこたあ、マジでわかんねえんだよ、ヅラ!」

「わからない内は、俺の言うことを聞け、銀時。貴様がちゃんと自覚を持ったら俺は何も言わん」

「………」

 背中を向けて出て行こうとした銀時は、ムッと口を尖らせたが、すかさず坂本から手渡されたものを見て、なに?と目を瞬かせた。

「おんしにやろうと持ってきたもんじゃ。珍しいもんじゃから一度味おうてみんせ」

「え?菓子?」

「異国のな。たまたま見つけて買い付けておいたもんじゃ。気に入ったなら、また手に入れてやるきに」

 ぶすくれた表情だった銀時の顔が、パァッと明るくなった。

「サンキュ、辰馬」

 銀時はニッコリ笑うと、スタスタと廊下の向こうに消えた。

「ヅラよぉ・・・やっぱり銀時を叱るんはおかしいんじゃないがか?悪いんは、銀時に手を出そうとした奴で、銀時は悪くないぜよ」

「………」

 桂はしばらく黙って考え込んでいたが、ふと顔を上げて坂本を近くに呼んだ。

 なんじゃ?と坂本は首を傾げながら膝を交互にずらしながら前に進んだ。

 桂は、廊下の方に顔を向け、近くに人の気配がないことを確かめると声をひそめるようにして坂本に話しかける。

「坂本。おまえにだけは教えておく。このことは俺と高杉しか知らないことだが」

「ほお?そりゃあ、もしかせんでも、銀時のことかや?おんしが、被害を受けた側である銀時を叱った理由とか」

「銀時自身が被害を受けたと思っているのは、温泉に入れなかったことだろうがな。まあ、確かにあいつに直接害をなせる者など、そうそういないだろうが」

 実際、坂本の声を聞いて驚いた銀時は、焦って自分の肩に触れている男の腕の間接を外している。

 へし折られなかっただけ、男にとっては幸運だったろうが、もう二度と銀時に近づくことはしないだろう。

「で、なんなんじゃ?おんしが銀時を心配する理由」

 桂が声を潜ませるので、つられるように坂本も小声で訊いた。

 桂は目を細め、少し間をあけてからゆっくりと口を開いた。

「坂本。銀時は……あいつは女だ」

 

 

 

「よお」

 寺の廊下を歩いていた銀時は、聞き覚えのある声に視線を向け、庭の木の下にもう一人の幼馴染みの顔を認め、裸足のまま庭に飛び出した。

「来てたのか、高杉!着くのは明日になるかと思ってた!」

 洋装の戦装束を身に着けた高杉晋助は、木に背をもたせかけ、腕を組んだまま駆け寄ってくる銀時を見つめた。

 顔を見るのは十日振りだ。

 常に一緒にいるわけではなく、作戦によっては戦う場所も宿営する場所も違う。

 今回銀時は桂の部隊と一緒に戦い、作戦上坂本の部隊の援護に回ったのでほぼ同じ時期にこの寺に辿りついたが、高杉の率いる鬼兵隊は別行動だったため、兵を引いた時期は同じでも数日遅れての到着となった。

「怪我ねえか、高杉」

 駆け寄った銀時に右腕を軽くつかまれた高杉は、ふっと口角を上げる。

 戦場から戻ると、銀時はまず怪我の有無を問う。

「あるわきゃねえだろが。今回はたいした戦闘じゃなかったからな。鬼兵隊も半数で十分戦えたぜ」

「そうか?」

 怪我は、おめえだな、と灰色の着物の袖から覗く白い包帯を指摘され、銀時は苦笑する。

「別に敵にやられたんじゃなくて、草で切ったり地面でこすった傷なんだけどさあ」

 ヅラがうるさくて、と銀時が文句をたれると、高杉はくくくと喉で笑った。

「ヅラの説教をくらってたんだろ、銀時ぃ。聞いたぞ。坂本んとこの兵に不埒な真似されたんだってなあ」

「不埒って・・・なんかやな言い方じゃね?なんもなかったからね、俺」

「んなこたあ、わかってら。てめえになんかできる奴ぁ、いやしねえよ」

 もしいたら、速攻で始末してやる、と高杉は凶悪な笑みを口元に浮かべ銀時の赤い瞳を見開かせた。

 

 

 

「銀時が女?」

 ハハ…と坂本は笑った。

「何言うちゅう。わしゃあ、銀時の裸を見たぜよ。女のふっくらした胸なんかどこにもなかったがよ」

 温泉に入ろうとしていたのだから、当然着ているものを脱いでいた。

 坂本が銀時を見つけた時は裸だったのだから、男と女を見間違えるはずはなかった。

 月明かりに浮かび上がった銀時の肌は女のように滑らかで白かったが、その胸に膨らみはなかった。

 銀時は桂や高杉と同じ十八歳であるから、もし女なら胸の膨らみがなくてはならない。

 たとえ、発育不良でもまっ平らな胸などありえなかった。

 第一、自他共に認める女好きの坂本が、いくら男の格好をしていても女だと見抜けぬ筈はないのだ。

「素っ裸を見たわけではあるまい。あいつはガキの頃から本当に無頓着でな。俺と高杉が口をすっぱくして注意していたから、その点は気をつけていたはずだ」

「………」

 そういえば、と坂本は思い出す。銀時は腰に手ぬぐいを巻いていた。

 まさか…ほんとに………

「銀時の家系は……特に女はなんだが、成熟に関して特殊でな。本人が女としての自覚をもたない限り第二次性徴期がこないのだ」

「つまり……自覚しないといつまでも子供の身体だというわけか?」

「銀時の先祖には、死ぬまで自覚せず男として一生を送った女性もいるという話だ。今のままなら銀時もそうなる可能性は大いにあるな」

「そ…そりゃもったいない!」

 坂本は銀時に女を感じたことは一度もないが、整った可愛らしい顔立ちの銀時が女として成長したらさぞいい女になるだろうという予想はできる。

「俺が奴を怒った理由が納得できたか」

 あ?と坂本は呆けたように目を丸く見開いた。

「あ、まあ…それじゃっち仕方ないがのう」

 いやいや、これはマジな話なのか。

 だが、くそ真面目な桂が、坂本にマジな顔で冗談を言うわけはなく、本当の話なのだろうなあと坂本は思う。

(やれ…銀時が女じゃとう?)

 坂本は空を仰いで溜め息をついた。

 

 

「で?何大事そうに持ってんだ?」

 問われて銀時は右手に持っている包みに目をやった。

「あ、これ、辰馬にもらった菓子」

 異国の菓子とか言ってたけど、と銀時は紙袋の上部をくくっている紐を解いて中身を確認する。

 袋を傾けて中身を手のひらに出してみると、黒っぽい、石のカケラのようなものが出てきた。

 なんだ?と匂いをかいでみると、甘い匂いがした。

「チョコレートってやつだな」

 高杉が銀時の手の中のものを見て言った。

「チョ…レ??」

「チョコレートだ。カカオとかいう実から作られる菓子だな。ちょっと苦いが、砂糖や牛乳を加えて甘くしたりするのもあるってーから……」

 言って高杉がカケラの一つをツマんで口に入れた。

「甘くしてやがら。おめえ向きだな、こりゃあ」

「甘いのか!?」

 銀時も一つ摘んで口に入れた。そして、そのとろけるような甘みに頬を緩ませる。

「うっま〜いv異国って、こんな美味い菓子を食べてんのか」

「天人が、こいつを使っていろんな菓子を作ってるって話だぜ」

「天人が?」

 銀時が知っている天人は、およそ人の姿をしていない怪物ばかりで、自分たちに襲いかかってくる敵という認識しかない。

 菓子を作る天人?

「天人といっても、いろいろあんのさ。俺たちが異国と呼んでる国があるように、あいつらが生まれた星も無数にある。でもって、好戦的な天人もいれば、料理好きな天人や、坂本のような商人気質の天人もいるってわけだ。実際、江戸では手広く商売始めてる天人も増えてるって話だぜ」

「へえ〜…」

 そんな天人ばかりなら、俺たちがこうして戦うこともなかったろうに、と銀時は思う。

 だが、人間だって好戦的なのもいれば、商人や芸術家もいるのだから、言ってもせんないことだろう。

「それより、銀時ぃ。温泉には入れたのかよ?」

「入ってねえよ!両脚つけただけだ!」

 くそ〜!と悔しげに声を上げる銀時に、高杉はくっと笑って首をすくめた。

「じゃあ、入ってこいよ。俺が見張っててやらあ」

 え?と銀時は目を瞬かせた。

「おお〜さすが晋助!わかってんじゃん!ヅラの奴ぁ、小言ばっか言いやがって、そういうこと全然言ってくんないんだよな」

「ヅラは頭がかてぇからな。おめえを女と見ねえくせに、女は守る対象だって教えだけはしっかり守りやがんだよ」

「 ? なにそれ?ヅラが俺を女と見てねえのはわかってっけど、なんでそれで守る対象になんだ?」

「だから頭がかてーんだよ。ま、奴の言うこたあ聞き流しときゃいいって」

「最初っから聞いてねえよ」

 桂が聞けば、ガックリするようなことを言っ放って銀時は歩き出した高杉の後に続いた。

 坂本からもらったチョコレートを口に入れながら幸せそうな顔をする銀時に、振り返った高杉は苦笑を浮かべる。

「てめえ、ほんとに坂本の野郎に餌付けされちまったな」

「餌付けって……おりゃあ、サル山の猿ですか!」

 むっと口を尖らせる銀時の顔はまだまだ幼い。

 十八になっても、まだ二次性徴を迎えない銀時は、本当に男にしか見えないが、色白の肌と、幼さの残る綺麗な顔立ちは、女だと知られなくても男の目を引く。

 白夜叉の戦い振りを一目でも見た者なら、近づくことなどしないが、今回のように戦う白夜叉を知らず、ただその見かけだけで寄ってくる輩もいるわけで。

 桂が気にしているのは、そういった連中なのだ。

 そのうち、坂本にだけは銀時のことを話しておくと言っていたから、今頃は意外な事実を聞いてたまげている頃だろう、と高杉は喉を鳴らして笑った。

 

◇◇ 

 

 

 少女の無邪気で可愛らしい笑い声が山間を吹く風に優しく運ばれる。

 まだ八歳になったばかりの少女は、大きな瞳をくりくりさせながら一杯の笑顔を浮かべ、それを銀髪の侍が微笑みながら相手をしていた。

 幼い少女にとっては背の高い銀髪の侍は大人と変わりないが、実際はまだ子供と呼ばれてもおかしくない年だった。

 少女はキャアキャアと笑いながら、銀ちゃん銀ちゃんと侍にまとわりついた。

「銀ちゃん、いい匂いする」

 銀時の腰に抱きついた少女が顎を上げ、くんくんと鼻を鳴らしながら言うと、銀時はふっと小さく笑った。

「いい匂いってなあ」

 これのせいかな、と銀時は笑いながら懐から白い花を取り出した。

 手のひらにのるくらいの小さな白い花だが、香りが良いので女が匂い袋代わりによく懐に入れている花だった。

 昔、先生の家に野菜を持ってきてくれた娘が持っていて、やはり今の少女のように問いかけた銀時に花を見せて教えてくれた。

 戦いにつぐ戦いに、そんなことなどすっかり忘れていた銀時だが、陣を張った寺でこの花を見つけ、つい懐かしく、摘んで懐に入れたのだ。

「いい匂い。甘い匂いだね」

 少女は、くんくんと花の香りを嗅いだ。

「そうだなあ。うん。確かに甘い匂いだ」

「なんて花?」

「え〜と・・・名前は知んねえよ。物知りのヅラなら知ってっかもしんねえけど」

 医者の息子のせいか、桂は小さい頃から薬草に関する知識が豊富で、それだけでなく花の名前にもやたら詳しかった。

 だから、よく女みたいだとからかわれ、その度に怒って訂正させていたが。

 今では懐かしい思い出でしかない。

 今のヅラを見て、かつての女の子のような可愛らしさを想像することは不可能だ。

(まあ、ヅラは今も女みてえな面してっけど)

 もう一人の幼馴染みの高杉も女顔だが、それを面と向かって言う度胸のある奴は、今も昔もいない。(ただしヅラと銀時は別格で、坂本はただのバカ認識)

 銀時も女みたいな顔だと言われたことがあるが、いつもぼお〜とした顔で受け流していた。

 昔から物事にこだわらないというか、何考えているかわからない奴というのが銀時という人間であったので否定も肯定もしない銀時に誰も突っ込もうとはしなかった。

 実際、銀時は見かけはどうあれ女なのだから、女顔だと言われても当たり前のことで怒る理由はない。

 銀時は片膝をつくと、視線を合わせながら持っていた白い花を少女の髪に差した。

「銀ちゃん?」

「やるよ。まあ、もって夕方までだろうけどな」

「もらっていいの、銀ちゃん?」

 ありがとう、と少女は嬉しそうな顔をした。

 貧しい少女の頭には、飾りらしいものはなく、無造作に髪をまとめているだけだったが、白い花を差すとその愛らしい顔によく映えた。

(可愛いよなあ。あ、そういやあ、辰馬から無理やり押し付けられたアレ、まだ持ってたっけな)

 高杉は使わねえなら、さっさと捨てちまえと言ったのだが、武器にならなくもないからとつい持ち続けたアレ。

 その発想はないだろうと桂には眉をひそめられたのだが、実際にそういう用途にも使われると聞いたことがある。

 とはいえ、アレは結構上等な代物で、銀時の目から見ても可愛かったから、この少女にも似合うだろう。

 そう思いつくと、すぐさま取りに戻りたくなって銀時は立ち上がった。

「銀ちゃん、もう帰るの?」

「ん。加絵にあげたいものを思いついたんだ。もらいもんだけど、いいもんだしさあ。俺はどうせ使わねえし」

「加絵に何かくれるの、銀ちゃん!」

 パァッと嬉しそうに笑う少女の頭を銀時は優しく撫でる。

「俺たち、明日になったらこっから離れなきゃなんねえし。今から取りに戻るから村の入り口んとこで待っててくれっか」

「うん!待ってる!でも、銀ちゃん……ほんとに明日には行っちゃうの?」

「ああ。待ってる奴がいるからさあ。いつまでもぐずぐずしてっとうるせえんだよ」

「銀ちゃんの友達?」

 そう、と銀時は頷く。

「ガキん頃からずっと一緒に育った奴。俺のこと、いっつもバカだバカだと言いやがるけど、ほんとは俺んこといつも気に掛けてくれる奴でさあ」

 俺のこと守ってくれてんだよなあ。

「守る?銀ちゃん、すっごく強いのに?その人、銀ちゃんより強いの?」

「強いよなあ。けど、俺、あいつと本気で戦ったことねえから、俺より強いかなんてわかんねえけどさあ」

「ふうん」

 銀時は、ニッと笑った。

「じゃあな。日が暮れる前に行くから待っててくれよな」

 銀時は小さな頭をもう一度撫でると、背を向けて仲間が宿営している寺に戻っていった。

 

 

 

「ああ、あったあった」

 これだと、割り当てられた部屋で私物をかき回していた銀時は、手に取った巾着袋から細長い木箱を出して蓋を開けた。

 薄い和紙を左右に開き、中に納められた簪を手に取る。

 赤い花の飾りがついた簪は、素人目にもよく出来た高そうな代物だった。

 こんなもんをポンと自分にくれる男の気が知れないが、まあくれたもんだからどうしようと自由な筈だ。

 簪など自分にはどう考えても不要なものだ。

 武器になると言いはしたものの、こんな綺麗な簪を粗末に扱うのは、これを作った職人に対しても申し訳なさ過ぎる。

 絶対に嘆くだろう。

 それくらいなら、可愛らしい少女の髪につけてもらう方がずっといい。

「何をやっているんだ、銀時」

 銀時が戻ってきたというのを聞いて部屋へやってきた桂は、なにやらごそごそと荷物をかきまわしている銀時に首をかしげた。

 声をかけると、銀時は驚いたように目を瞬かせて振り向く。

「何、ヅラ?」

「ヅラじゃない、桂だ。いったいどこに行っていた。誰かに探しに行かせようと思ってた所だぞ」

 毎度フラフラと出かけおって。行き先くらい告げていけ、と桂はくどくど説教した。

 銀時はウンザリした表情を浮かべる。

「なんだよ?俺に用?」

「用があるから探しにいかせようと思ったのだ。日が暮れる前にここを出るぞ。散らかした荷物をさっさと片付けて出る用意をしろよ、銀時」

「ええ〜っ!明日じゃねえのかよ!?」

「高杉が早めに本陣に着くと連絡が入ったのだ。坂本も補給が終わり次第本陣に入る筈だ。俺たちも行って体勢を整えねばならん」

「何?えらく早いじゃねえの」

 う〜〜と銀時は顔をしかめ、跳ね回った銀髪をかき回す。

 ん?と桂は銀時の手にある簪に目を止めた。

「それは確か……坂本が持ってきた簪か」

「ああ、そう。俺、やっぱ使うことねえから、加絵にやろうかと思ってさあ」

「加絵というのは、おまえが仲良くなったという村の娘か」

 侵略者と戦う攘夷志士を敬っても、一定の距離を置きたい村人が殆どの中、加絵という少女だけは銀時に懐いていた。

 ここに来て十日余り。長居する予定でもないし、彼らも好んで村人と接触することはないが、たまに銀時は加絵と会って遊んでいたようだ。

 銀時は、川におぼれ死に掛けた加絵を救ったという経緯があるので、村人も会うことに文句は言わなかった。

 ただし、村の中では会わない。加絵と会うのは銀時だけという約束であった。

「先に行っててくれよ。すぐに後を追うからさあ」

 俺の足ならすぐに追いつくし。

「わかった。別れるのが寂しいからと、長居するのではないぞ」

 わかってる、わかってると銀時は、にんまり笑い、桂に向けて、コクコクと頷いた。

 

 

 銀時が一人で陣を出て行った後、桂は出発準備をさせた部下たちを集め、後に何も残さないよう最後の確認をさせてから出立した。

「坂田さんの姿が見えませんが」

 桂の腹心の部下である伊木が列の後ろから駆けてきて尋ねると、桂は心配ないと答えた。

「あいつは、ちょっと野暮用でな。まあ、あいつの足だから、すぐに追いついてくるさ」

「はあ、そうでしたか」

 白夜叉と呼ばれ、攘夷志士たちの間でも別格のように考えられ怖れられている坂田銀時は、どの隊にも所属せず、もっぱら遊撃を主としている。

 なので、部隊と行動を共にする義務もなく、時に一緒に行動もするが勝手に動くことの方が多かった。

 ただ、伊木が所属する隊の長と鬼兵隊を率いる高杉晋助が白夜叉とは近い間柄ということでもっぱらどちらかの隊に混じっていることが多い。 それでも、常に一緒にいるわけではなく、こういう風にふらりと姿を消したり、いつのまにか姿を現したりするのが常だ。

 それを桂が気にしていないなら伊木には何も言うことはない。

 だいたい、白夜叉がいるというだけで、心強いのも確かだ。

「桂さん!」

 先に出立させていた部下の一人が、叫びながら桂たちの方へとかけ戻ってきた。

 桂は、血相をかえて走ってくる部下に嫌な予感を覚える。

 まさか……

「桂さん!やられた!やられました!」

 え?

「奇襲です!天人の!!」

 奴ら、待ち伏せしてました!

「なんだとっ!」

 バカな!いったいどこから来たというのだっ!?

 

 

 風が運んできた血の匂い………

 ついさっきは、少女の明るく無邪気な笑い声を運んでいたというのに。

 銀時は村へ入る道の途中で茫然と立ちすくんでいた。

 村から流れてくる、むせ返るような生臭い匂い。

 一人や二人が流した血の匂いではない。

 それは匂いだけではなく、恐怖に怯えた断末魔の声すら聞こえてくるようだった。

 そして、その場から一歩も動けない銀時の足元には、ついさっきまで自分の名前を呼んで、その暖かい手で抱きついてきた小さな少女の動かなくなった骸があった。

 少女の足には草履はなく、着物の裾が捲くれ上がらんばかりになっていた。

 うつ伏せに倒れた少女の身体は、真っ直ぐに村に向いていた。

 おそらく、何かを見て危険を覚えた少女はすぐに村に知らせようと走ったのだろう。

 だが、その前に少女は殺されたのだ。

 そいつらは、そのまま村に向かい…… 死の匂いを漂わす村から、大きな異形の姿をしたものが三体、のそりと姿を現した。

 夕暮れがせまり、あたりが薄暗くなりかけてはいたが、それでも異形のものたちが手にしている斧や巨大な剣が血でぐっしょりと濡れているのが見て取れる。

 奴らは、少女を殺して村に入り、そしてたった今虐殺を終えたのだ。

 異形の三体は、道の真ん中に突っ立っている銀時に気づき足を止めた。

 俯いて少女を見下ろす銀時をジロジロと見て確かめるとニヤリと笑った。

「白夜叉ダ〜〜」

「ソウダ。コイツワ白夜叉ダ」

「ヒトリダ。何故他ノ侍ドモト一緒ニイナイ」

「何故カハワカラン。俺タチガ殺ッテイイノカ」

「アアソウダ。俺タチガ白夜叉ヲ殺レルゾォォォ」

 銀時は武装した天人たちの会話が聞こえているのか聞こえていないのか、全く反応をみせず、じっと無言で立っていた。

 白夜叉を殺る。白夜叉を八つ裂きにしてくれようぞと口々に言い合う天人に向けて、銀時はゆっくりと赤い瞳を向けた。

「てめえら……てめえらぁぁぁぁっ!」

 

 

 白い月がぼんやりとした姿を、暮れかけた空に浮かぶ中、銀髪に白い陣羽織という夜叉が風のように走り、異形の天人に向かって白刃が閃いた。

 冷たく白い銀の光が残像と共に美しい軌跡を描いたかと思うと、天人の身体から鮮血が迸り、ドオッとばかりに地に伏した。

 なっ……!

 唐突ともいうべき速さであっけなく仲間の一人が倒れていくのを、残った天人たちが驚いたようにギョロリとした目玉を動かした。

 銀髪の夜叉の攻撃は一瞬も止まることはない。

 超人的な跳躍で、巨人ともいうべき天人の頭を叩き割る。

 その躊躇いも容赦もない的確な攻撃は、まさに殺すためだけにあり、だからこそ夜叉と呼ばれる所以。

「白夜叉ァァァァ〜ッ!」

 最後の一人が巨大な斧を振り回すのを、余裕で受け流した銀時は、感情すら見せない凍りついた表情をチラとも動かさないまま、握っていた刀でもって斧を持つ手を切り落とした。

 空気を震わす吼えるような悲鳴と、こんな貧弱な人間に自分がやられるという信じられない現実に怒りの唸り声を上げながら天人は片手を失ったまま夜叉に飛び掛る。

 捕まえたなら、この指先にひっかかりでもしたなら、その身体にある骨をことごとく砕いて、その白い肉を食い破ってくれようぞと牛のような顔をした天人が残った手を伸ばす。

 だが、簡単に捕らえられそうな小さな人間に指先すら触れることはできなかった。

 怒りの咆哮が止まることなく空気を震わせる。

 白夜叉アアアアァァァ!

 銀時は天人の手を軽くかわし、手にした刀でもって両の大腿を横一文字に切り裂いた後、バランスを崩して前のめりになった天人の太い首を斬りおとす。

 ゴロリと地に落ちた牛の首に僅かに遅れて巨体が音をたてて沈んだ。

 もはや空気を震わせる存在は無く、シン……と静まり返った場で銀時は刀を落とし、小さな亡骸の前に屈みこんだ。

(加絵………)

 抱え起こした小さな身体は赤く染まっていた。

 顔には傷一つないが、恐怖に見開かれたままの目が哀れだった。

 銀時は少女にやろうと持ってきていた簪を手に持つと、少女の乱れた髪を手で直した後、それを髪に刺した。

 思った通り、可愛い花の簪は少女によく似合った。

「嬉しそうに笑ってくれたかなあ」

 ちょっと照れたように首をすくめ、ありがとうと言ってくれたろうか。

 その笑顔を見たくて持って来たのになあ…… 銀時は見開かれた少女の目を静かに閉じさせると、その小さな身体を腕に抱きしめた。

「こいつら殺したって、戻ってこねえじゃん」

 加絵の笑顔が見れねえじゃねえか…!

 くそお……と唇を噛み締めた銀時の背後で、鈍い破裂音が聞こえた。

 銀時は抱きしめた少女から顔を離す。

 ああ…行かねえと……あいつら、ヅラを襲ってやがる………

 銀時は自分の白い陣羽織を脱ぐと、少女の亡骸を包んだ。

 まだ小さな身体は、十分にその身体を包むことができた。

「奴らの血がちょっと飛んじまってっけど、冷たい地面にそのまま寝るよりいいよなあ」

 銀時は自分でそんな言い訳を口にしながら加絵の身体をそっと横たえた。

 そして、再び刀を取ると、銀時は赤い目を光らせ、銀の髪を炎のように揺らしながら戦場目指して駆け出した。

 

 

 

 予定していたよりも半日早く本陣に着いた高杉と鬼兵隊だったが、そこには坂本の快援隊だけが留守を守っていた。

 坂本はというと、朝に数人連れて出掛けてまだ帰っていないという。

 新たな物資が手に入りそうだと言って出て行ったらしい。

 高杉が早く本陣に着くという知らせは桂のもとに伝わっているはずだから、今夜遅くまでには桂の隊も到着するだろう。

 銀時も入れて四人が揃うまで何もすることがないので、高杉はゆっくりと湯に浸かり疲れをとった。

 鬼兵隊の皆も、それぞれに身体を休めるよう言っておいたので、思い思いに休んでいるだろう。

 風呂から上がって赤紫色の着流しに着替えた高杉は、部下が酒と肴を用意している部屋に向かっていた。

 着いた時はまだ陽があり明るかったが、既に外は暮れて星が瞬いていた。

「坂本が先に戻ってくるか」

 桂が先にしても、煩いのには違いないから、その前に一人静かに月見酒としゃれこもうかと高杉が思ったその時、突然外が騒がしくなった。

「総督!」

 間髪いれずに高杉の部下の一人が、慌てたように廊下を走ってきた。

「どうした?何かあったか?」

「桂さんの隊が到着したんですが」

「ヅラが先かよ。坂本は?」

「坂本さんはまだです。総督、大変なんです!桂さんの隊が陣を離れてすぐに天人の奇襲にあったみたいなんです!」

「なに?」

 高杉は険しく眉をひそめた。

「しかも、桂さんが手傷を負われたようで」

「ヅラがぁ?怪我したってえのか?」

 なんだ、そりゃあ。

 高杉は戻ってきた隊がいるだろう入り口に早足で向かった。

 そこは修羅場と化していた。

 誰もが傷を負い、疲れきったようにその場にしゃがみこみ、放心したように突っ立っている者もいる。

 しかし、そこに桂の姿はない。

 高杉に気づいた一人が、傷の手当てもそこそこに駆け寄ってきた。

 桂の副官で高杉も顔を知っている伊木だった。

「高杉さん!」

「おう、伊木かよ。天人の奇襲にあったってな」

「はい。いきなり現れました。天人軍の動きはずっと探っていて、位置も確認がとれていたというのに。何故、我らの前に突然現れたのかわけがわかりません」

「フン。奴らを俺たちの常識に当てはめちゃいけねえってこった。奴らあ、空から来た連中だぜ」

「は…い……気を緩めた私の失態です。奇襲も予測しておくべきでした」

「奇襲を受けたってわりにゃ、被害はそれほどじゃねえな。ヅラはどうした」

「桂さんは、ここに着いた途端意識を失われまして……つい先ほど医師と共に奥へ」

「ああ〜?」

 高杉はなんだそれ?というように目を見開いた。

「意識を失っただあ?何やってんだ、ヅラの奴ぁ〜?そんなにひでえ怪我なんかよ」

 いえ、と伊木は首を振った。

 怪我は命に関わるほど深いものでは、と答える伊木から視線を外し、高杉は何かを探すかのように首を巡らせた。

「銀時が…いねえな」

 伊木がハッとしたように肩を揺らしたのを高杉は目の端で捉えた。

「奴ぁ、おめえらと一緒だった筈だな?ヅラについてったのか?」

「は…いえ…」

 腕を組んで立っていた高杉は、目を細めて伊木を見つめた。

「銀時はどこだ?言え!銀時はどこにいる!」

 

 

 

 

 

 目を開けた時、視界に映ったのは自分を覗き込む坂本辰馬の顔だった。

「ぁや。気がついたかや、ヅラ」

 ホッとした顔で覗き込んでくる相手に、いつものようにヅラではないと言い返そうとして失敗する。

 喉に何かがつかえたように、すぐには声が出てこなかったのだ。

 なんたるザマだ。意識を失うなど、あまりに無様すぎる。

「頭ん後ろにどでかいコブができちょった。医者の診たてじゃ、内出血もしとらんようじゃち、安静にしとりゃあ心配ないということじゃ」

 コブ…か。

 そういえば、天人が振り回していた棍棒が頭に当たったなあとぼんやり思い出す。

 まだ年若い兵を庇おうとして受けたのだが、あの時は一瞬ふらっとしただけで気を失うまではなかったのだが。

 なんとか本陣に辿りつき気が抜けたか。

「おまんが庇った兵のう。自分のせいじゃとえろう自分を責めちょってな。つい今しがたまで外におったんじゃが、怪我もしとるし、部屋に連れていかせたぜよ」

「……そうか」

 桂は細く息を吐き出した。

 なんとか声は出たが、息が抜けるような感じであまり大きな声は出せそうにない。

「本当なら殴られた時に意識を失っちゅう衝撃じゃち。じゃが、おまんは気合で意識ば保っとったんじゃのう」

 だが、本陣に着くと緊張が解け意識を失ったというわけだ。

 やはり、情けないと桂は溜め息をつく。そして。

 銀時は?と桂は一番気になっていることを坂本に問うた。

 銀時は、自分に懐いていた村の娘に簪をやると言って出て行った。

 すぐにも本陣に戻らねばならなかったが、銀時なら追いついてくるだろうと桂は兵たちを連れて出発したのだ。

「銀時は着いたか?」

「いや、まだじゃ」

 坂本が首を振ると、桂は両手で目の上を覆ってふうっと息を吐き出した。

「俺たちは……奇襲を仕掛けてきた天人に押され撤退を余儀なくされたが、気づくと追ってきているはずの天人の数が減ってきて、そのうち見えなくなった。奴らは、俺たちを全滅させる気だったから諦めるわけはない……だから、銀時が天人の奇襲に気づいて追ってきたのだと……あいつが追っ手をくいとめているに違いないと思った」

 いや、それは確信だった。

 天人の足を止めることができる者など、あそこには銀時しかいなかった。

「まあ、そうじゃろうな。だから、高杉がすっ飛んでいったぜよ」

 高杉が?

 桂は手をずらして傍らに座る坂本の顔を見上げた。

「丁度、出て行く高杉とすれ違ったがじゃ。馬を飛ばしてったち、そう暇ァかからずに会えゆう思うが」

 桂は驚いたように目を瞬かせた。

「一人でかっ?」

「高杉の奴ぁ、行動に移すと早いけのう。鬼兵隊の連中ば、己らの総督が一人で飛び出したと知って、大慌てで何人か後を追っていったき」

 まあ、高杉は馬だし、追いつくんはちょーちかかるじゃろうが。

 一応、足の速い連中が追っていったようだ。

「……」

 まったく…と桂は眉をしかめた。

 部隊を率いる長が、部下を放って勝手に飛び出してどうする。

 だが、桂とて高杉を窘めることはできない。自分も、もしこんな状態でなければ、銀時を探しに飛び出したかもしれないからだ。

 銀時に万一のことがあるとは桂も坂本も思ってはいないが、それでも無事な姿を早く見ておきたい。

「ヅラよぉ」

「ヅラではない。桂だ」

 こんな体調でも律儀にしっかり訂正する桂に坂本の口から苦笑が漏れ出る。

「奇襲を受けたんはおまんとこだけじゃない。この数日の間に、四つの攘夷部隊が天人共の奇襲を受けて壊滅しちょる。わしが聞いた情報ん中で、壊滅ぅ免れたんは、おまんとこぐらいじゃ」

「……そうか」

「天人の奴ら、わしらの殲滅に本気(マジ)になったようぜよ」

 これまでの戦いは、腹が立つが奴らの娯楽に近かった。

 戦うこと、殺すことを楽しんでいる奴らにとって、向かってくる攘夷志士たちは格好の獲物だ。

 だからこそ、徹底的に潰そうという考えは無く、こんなにも戦いが長期に渡った理由でもある。

 もっとも、最近では自分たちもやられることが多くなり、天人側も用心するようになっていたが。

「そろそろ、決着をつける時が来たということだな」

「終わりが近いちゅーことぜよ」

 とりあえずの(終わりが)……な。

 

 

 

 

 あまりに濃い血の匂いと異様な気配に馬が怯えまくったため、仕方なく高杉は馬を置いて歩くことにした。

 一時雲に隠れていた月が丸い姿を現したので、地上は明るかった。

 むっとするような臭気がたちこめたその場所には点々と天人の死体が転がっていた。

 どれも急所をことごとく突かれ切り裂かれ、生きて動くものは既に無く。

 そこには、人の死体は一体もなくて、すべて天人の屍ばかりが転がっていた。

(皆殺しか………)

 見てとれる死体だけでも十数体。

 この場所に辿りつくまでにも見つけた天人の死体も合わせれば、三十近くはあるだろう。

 それを、銀時一人でやったのだとすれば。

(相当にキレてたか)

 しかし、ヅラの隊を逃がすためというだけで、これほど暴走ともいえるキレ方を銀時がするとは思えないのだが。他に理由があったか?

 天人の死体の中を歩きながら探す銀時の姿を見つけられなかった高杉は、伊木が言っていた村の方に足を向けた。

 伊木の話では、銀時は村の幼い少女を助けたことで交流があったという。

 さすがに攘夷志士である銀時が村に入ることはできず、もっぱら村の外で会っていたというが。

 幼い少女……そういえば、子供の頃、自分より小さな子供を銀時は可愛がっていたし、よく懐かれてもいた。

 小さくても、女には母性本能があるのかと高杉がからかえば、銀時は、そうかなあ?と首をかしげていた。

 わかんねえけど、懐かれると、すげえ嬉しい、と銀時は笑って答えた。

「…………」

 高杉は、ピタリと足を止め、無言で地面を見下ろした。

 村の入り口が近いその場所に、羽織を脱いだ銀時が横たわっていた。

 銀時の白い陣羽織は、少女の小さな身体を包んでいる。

 少女の息が既にないのはすぐにわかった。

 銀時は銀髪から顔、手足から身に着けているもの全てを血に染め、青白い顔で身体を丸くして眠っている。

 死んだ少女の身体に寄りそうようにして眠る銀時の姿に、高杉は顔をしかめ小さく舌打ちした。

(バカが……)

 高杉は目を細め、銀時のそばに膝を折ると、死んだように眠っている銀時の方に手を伸ばした。

 そして、すぐに己れの間違いを悟る。

 天人の軍を皆殺しにするような戦いをした後の銀時に、安易に触れてはならなかった。

 たとえ無防備に寝ているように見えても、絶対に触れてはならなかった。

「……!」

 身を貫くような殺気に、高杉の身体は瞬時に動いた。

 動かなければ、高杉の身体は真っ二つにされていたろう。

「くそっ!バカ銀!」

 なにしやがる!

 高杉の手は、銀時の刀を持つ手首を強く握って地に押さえつけていた。

「銀!銀!俺がわからねえかっ!」

 両手で力いっぱい手首を押さえつけておかなければ、鬼兵隊総督である高杉でさえ命の危険を覚える。

 まさしく、死が口を開けているような状況だ。

 何度も名を呼んで、ようやく銀時の赤い瞳が高杉の顔をまともに見た。

「……しん…す…け?」

「ああ、そうだ」

 高杉は大きく頷く。まだ、押さえる力を抜くことはできない。

 銀時の白い手は、強く握り締められ押さえつけられて色をなくしている。

 普通なら、血の流れが止まり感覚がなくなっているところだが、それでもまだ銀時は刀を離してはいない。

「晋助?晋助……そこにいる?」

「いるに決まってんだろが。てめえ、何やってんだ」

 銀時の、押さえられていない方の手がゆっくりと持ち上げられ、その白い指が高杉の頬に触れた。

 ひやりと、氷のように冷たい指先だった。

「しんすけ〜寒い……」

「あたりめえだ!こんなつめてえ土の上で寝てんだからよ。凍死するつもりかよ、バカ銀!」

 うん……と銀時は小さく答え高杉の身体にしがみついた。

 刀が銀時の手から離れたのを確認してから、高杉は押さえていた手を離し、冷たい銀時の体を腕に抱きしめた。

 冷え切った銀時に体温を持っていかれそうな気がしたが、それでも高杉はしがみつく銀時を突き放すことはしなかった。

 背中に両手を回し、抱きつく銀時の背に高杉も腕を回して抱きしめる。

 微かな吐息が高杉の首筋にかかる黒髪を揺らした。

 しばらく黙って抱きしめていると、銀時は暖かさに安堵したのか再び寝入ってしまった。

 高杉は、両脚を投げ出した形で銀時の身体を受け止めながら、ハァ…と息を吐き出した。

「バカ銀が……俺に刃を向けようとしやがって」

 寿命が縮んだらどうしてくれる。

 

 意識が浮上してくると、現実が戻ってきたかのようにパチパチと火の爆ぜる音が耳に入ってきた。

 音に反応した意識が、さらに覚醒を促そうとするが、何度か目を開けた気になって、実はまだ夢の中だと気づくという繰り返し。

 まだ眠いと訴える身体を無理やり起こし、重い瞼をこじ開けた銀時は、自分が外ではなく屋根の下で寝ていることにぼんやりと理解した。

「よお…目ぇ覚めたかい、銀時ぃ」

「……」

 耳に馴れ親しんだ声を聞き、銀時は怠慢に首を巡らせて声の主を探す。

 そして、横になった自分のすぐ傍らで胡坐をかいて座る高杉の顔を確かめると、銀時は気の抜けた欠伸を一つ漏らし、もぞもぞと這うように身体を高杉の方へとずらしていった。

「おい?何してる?」

 眉をひそめる高杉の膝に手を伸ばした銀時は、目を瞬かせる高杉の膝にコトンと己の頭をのせた。

「てめえ……俺を枕にしようってか」

 睨む高杉に、銀時は、だってさみぃと呟く。

「火があんだろが。そんな寒くはねぇ筈だぜ」

 胡坐をかく高杉の前には囲炉裏があって、赤々と火が燃えている。

 火にかけられている鉄鍋には、湯が沸いていた。

 小さなぼろ小屋であちこちから隙間風が入るものの、震えるほど寒くはないはずだ。

 許可もなしに枕にされた高杉は文句を口にするが、といって銀時の頭を膝から落とすことはしない。

 高杉がそんな邪険に自分を払いのけることはしないとわかってての行動であるから、銀時も平気な顔だ。

「湯が欲しいなら入れてやるぜ」

 高杉が見つけた小屋は冬の作業小屋らしく、鍋や茶碗が残っていた。

 銀時は、いらないと答えてから、身体にかけられている着物と、自分が身に着けている覚えの無い着物に視線を落とした。

「着替えに村ん中でもらってきた。てめえの着物は血と泥でぐちゃぐちゃだったし、傷の手当てもしとかなきゃなんなかったしな」

 手当てと言っても、あれだけの天人と戦ったというのに、銀時の怪我はどれもかすり傷程度だった。

 まあ、一人であの倍の天人とやりあったことのある銀時であるから、それも不思議なことではなかったが。

 ついでに、銀時に抱きつかれたために、やはり血でぐちゃぐちゃになった自分の着替えも貰ってきた。

 自分たちが着ている着物の持ち主は誰だかわからないが、村の中で息絶えている死体のどれかで間違いない。悲惨な場面を見慣れた高杉でさえ、顔をしかめてしまうほどひどい惨状だった。

 村の入り口で死んでいた天人の死体は銀時が殺ったのだろうが、そいつらが村の人間にしたことを思うと、まだ易しい殺し方に思えるほどだ。

「加絵…は?」

「おめえが添い寝してやってた子供(ガキ)なら、おめえの羽織ごと土に埋めてやったぜ」

「………」

「それで良かったんだろ、銀」

「…うん」

 さすがに、殺された村人の埋葬は高杉一人ではどうにもならず、放置したままだが。

 だいたい、戦場で死んだ兵たちも埋葬してやれるのはごく僅かだ。

 殆どは、その場に残していくしかない。

 それがどんなに心残りで悔しいことか。

 高杉は自分の膝の上にある、柔らかな銀の髪を見下ろし、そっと指先を差し入れた。

 冷たかった頬も血の気が戻り、触れればほんのり暖かい。

 顔や手足についた血は、濡らした手ぬぐいで綺麗に拭えたが、髪だけはなかなか綺麗に落とせなかった。

 表面はなんとか落とせたが、中にしみこんだ血はまだ固まって残っているため指先に引っかかる。

 皮膚が引っ張られて痛いのか、眉間に深い皺を寄せるので高杉は苦笑し撫でるだけにした。

 銀時はあまり髪に触れられるのを好まないが、気を許した相手だと黙ってされるままになることもある。

 もっとも、敵だけでなく味方からも恐れられる白夜叉の頭に触れようという者など殆どいないが。

 触れるのは幼馴染みの二人と、坂本辰馬くらいだ。昔は、銀時を引き取って育てた吉田松陽が、銀時の銀の癖っ毛をよく撫でていた。

 幼い銀時が、師である松陽に撫でられ幸せそうに笑っている顔を、高杉は何度も見たことがある。

 ゆっくりと高杉の手に撫でられる感触が気持ちいいのか、銀時は再び眠りの中に入っていった。

 

 

 

 銀時の頭を膝にのせたまま、高杉もうとうとしかけていたが、ふいに人の気配を感じパチッと目を開けた。

 右手を背後に置いた刀に伸ばす。

 膝の上の銀髪は、外にいる気配に対してピクリとも動く様子はないから、危機感を感じていないのだろう。

 敵意や、害を及ぼそうとする者の気配をいち早く感じ取るのは決まって銀時だった。

 それは、たとえ寝ていても関係は無い。

 一応刀に手を置いたが、高杉も危険な感じはしなかった。

 だが、外にいる人間が、自分たちを見た途端どういう行動をとるかはわからないので気は抜けない。

 目の前の戸が、ギィ・・と軋んだ音をたてて開いた。

 隙間から見えたのは、大柄な三十半ばほどの男。腰に刀を差した侍だった。

 男は動きを止め、囲炉裏の火の明かりに浮かび上がる二人の姿を確かめた。

 子供か…と男は小声で呟く。

「明かりが見えたもので立ち寄らせてもらった。すまんが、夜が明けるまで休ませてもらえまいか」

「………」

 男が見た二人は、どう見ても二十歳にはまだ足りなさそうな子供で、身なりからこのあたりに住む村の者とも思えたが、子供の手には使い込まれたような刀があった。

 男は僅かに眉を寄せる。

 殺気は感じないが、もしやりあうとすれば、自分も刀を抜かねばなるまいと男は思う。

「俺たちは、ここのもんじゃねえよ。この小屋は空き家で、俺たちも休むのに使わせてもらってる」

「そうか。では一緒させてもらってもよいか」

 男を見てどう思ったのかは知らないが、高杉が刀から手を離したのを見て男は腰から刀を抜いて上がりこんだ。

 男は高杉たちと向き合うように腰を下ろす。

「湯をもらっていいかな?」

 男が聞くと高杉はそばにあった器を無言で差し出した。

 男は器を受け取り、湯気が上がる鍋から湯を掬い取り口に運んだ。

 冷えた身体に湯が染み渡り男は一息ついた。

「銀色とは珍しい色だな」

 男は、高杉の膝に頭を乗せて寝入っている銀時の髪を見て言った。

 高杉が黙っていると、男はふっと笑う。

「珍しいが綺麗な色だ」

 実際、白とは違う、鋭い刀の刃のような銀は男の好む色だ。

 それにしても、と男は銀髪の子供を見て首を傾げる。

 眠っているせいもあるが、抜けるような白い肌と整った顔立ちは女かと思えるが、しかし男に見えなくもない。

 いったいどっちだ?

 兄弟とは思えないが、といって単なる知り合いとも思えない二人だ。

 しかも、使い込まれたような刀が二本。微かだが血の匂いもする。

(こいつら、なんだ……?)

 

 

 最初に気づいたのは、やはり銀時だった。

 寝入っている高杉の膝から、はっとしたように銀時が頭を起こす。

 遅れて高杉が目を覚まし、ほぼ同時に腕を組んで座ったまま寝入っていた男が目を開け刀を取った。

「え?あれ?誰よ?」

 起きた途端、視界に見知らぬ男の顔だったので、銀時が目を瞬かした。

 それがひどく子供っぽく可愛らしくて、男はらしくない笑みを零しそうになった。

 外には殺気を漂わす荒々しい気配が複数。

「加賀ーっ!加賀恭史郎!出て来い!貴様がそこにいるのはわかっているぞ!」

 男は、ふっと鼻を鳴らすと、刀を持って立ち上がった。

「どうやら、俺の客らしい。おまえたちはここから出るな」

「ああ?何よ、晋助?俺ら、こっから出ちゃいけねえの?」

「らしいな。もっかい寝るか、銀?」

「いやあ、さすがにもう寝らんないわ」

 と言いつつ、銀時は大きな欠伸をもらした。

 明らかに外の剣呑な殺気を感じているだろうに、その暢気な態度は肝が太いのか、鈍いのか。

 いや、鈍ければ殺気を感じて飛び起きたりはしないだろうが。

「ひと晩世話になったな。もう会うことはないだろうが、達者でな」

 男が腰に刀を差して出て行こうとした時、ぐいと背後から袖を掴まれ引き止められた。

「今……出ていくな」

「なんだと?」

 男は袖を掴んでいる銀髪の子供を振り返る。

 そして、初めて自分を見つめる赤い瞳に男は気がついた。

 暗い、血の赤さに男は息を飲む。

 銀髪に抜けるような白い肌。そして赤い瞳。

 珍しいという以上に特殊な色彩だった。

 その色に意識を奪われた男が、不本意にも足を止めた僅かな後に、凄まじい悲鳴が響き渡った。

「な…なんだっ!?」

「銀…」

 高杉が置いてあった刀を取り、一本を銀時の手に渡す。

 二人は外で何が起きたのかわかっているようだった。

 男も、悲鳴の後静まり返った外で何があるのか悟った。

 これまで感じたことがないような異様な気配が、小屋の外にある。

「狂死郎」

 戸の向こうを睨んでいた男は、眉をしかめて顔を振り返らせた。

 銀髪の子供と並んで立つ黒髪の子供が、可愛げのない笑みを刻んで男を見つめている。

「ああ…やっぱりそうなんだ」

 フフ…と高杉は笑った。

「人斬り狂死郎。噂には聞いてたが、まさか会えるた〜なあ」

「……何者だ?」

 ただの子供ではないと思ってはいたが、自分のことを、噂としてでも聞ける人間は限られている。

 夜叉を知る者はやはり夜叉しかいない。

 高杉は答えず、軽く肩をすくめて男の傍らを通り過ぎ、戸を開けた。

 むせるような血の匂いが小屋の中に流れ込む。

 銀の髪も男の脇を通り過ぎる。

 男は小屋の外に異質な生き物を見た。

 ニメートルはあろうかという巨体に、牙を生やした異形の頭がのっている。

 手には幅の広い両刃の刀。

 明らかに人ではないものが二体、血管を浮き立たせた丸い目を、小屋から出てきた三人に向けていた。

(天人…か)

 突然空からやってきて、世界を壊し我が物顔で存在を誇示し始めた異形の生き物。

 一度も出くわさなかったとは言わないが、好んで関わりを持とうという気にもならなかった相手だ。

 それでも、目に余る暴虐には相応の対応を何度かした。

 天人の身体は、人斬り狂死郎を追ってきた侍の血で赤く染まっていた。

 転がる首に、男は顔をしかめた。

 自分を殺そうと追ってきた侍たちに同情はしないが、異形の輩に死を与えられた無念さは感じずにはいられない。

「白夜叉ダァ」

「アア…白夜叉ダァ。狂犬ノ野郎モ一緒ダァ」

 我らはツイている。こいつら二人を殺れれば我らは大出世。

 ニヤニヤ笑う異形の天人に、高杉はフンと鼻で笑い、銀時は眠そうに目を細めた。

「やれるもんならやってみな。腐れ外道ども」

「……」

 高杉と銀時は、スラリと刀を鞘から抜くと、天人に向かって突進していった。

 普通に見れば、あの二人に勝てる相手ではない。

 だが、二人は天人との戦いに慣れきっていた。

 男が手を出すまでもなく、天人に比べて小さな身体の二人は、敵とする相手を難なく斬り倒した。

(白夜叉……に、狂犬…か)

 二人が天人を倒してすぐに、五人の侍がやってきた。

「総督!」

 侍たちは、高杉の姿を認め駆け寄ってきた。

「ご無事ですか!?」

 五人の侍はいずれも若かったが、それでも総督と呼ばれた高杉よりはずっと年が上だった。

「おめえら、来たのか」

「当然です!我らは総督と共に戦うためにいるのですよ。だから勝手に一人で飛び出さないで下さい」

「へっ。晋助、怒られてやんの」

 おい、と高杉は眉をしかめて、己の銀髪に触れる銀時の血に染まった手を掴んで止める。

「汚れた手で頭触んな、銀時。せっかく綺麗にしてやったのに」

「頭、痒ぃんだよ。風呂、入りてぇ…」

「本陣に戻って入ればいいだろが」

 窘める高杉に対し、う〜〜と唸る銀時の顔を見て、狂死郎はようやく性別がわかった気がした。

(……女か)

 天人を倒した腕は、女とは思えないものだが。

 それに、天人が呼んだ"白夜叉"というのは、あの銀の髪の子供のことだろう。

 どうやら自分はすっかり見当違いをしたようだ。

 あの二人はもう子供ではない。

 たとえ、まだ二十歳にもならないとしても。

 彼らは既に一人前の侍だ。

「腹減った〜〜」

「ぐずるな、銀。本陣に戻れば食える」

「白夜叉。甘納豆なら少しですが持ってますけど」

 高杉を追ってきた鬼兵隊の侍の一人が、腰に下げていた兵糧袋から、紙袋に入った甘納豆を取り出した。

 おvと銀時は嬉しそうに笑い、両手を揃えて受け取った。

「甘やかすなっ!」

 ったく、どいつもこいつも!と高杉は、彼には珍しい仏頂面を顔に浮かべてグチる。

 坂本が何かというと銀時に菓子を与えるものだから、高杉の部下までが銀時に甘いものをやるようになってしまった。

 ふっという含み笑いを耳にした高杉が、不機嫌な表情のまま振り返る。

「狂死郎」

 なんだ?というように男は高杉を見る。

「俺は鬼兵隊という攘夷部隊を組織している。あんたの力は十分に知ってるよ。一緒に来ねえか」

「鬼兵隊か」

 なるほど、と男は頷く。

「天人を相手に戦っている精鋭部隊だってことは知っているが、生憎、俺にはおまえらとは違う目的があってな。一緒に行くわけにはいかない」

「そうか。じゃあ、ここで別れるか」

 ああ、と男は笑みを浮かべた。

「総督。馬は来る途中、我らが拾っておきました」

「おう。悪かったな」

 部下たちに囲まれた高杉の後について歩き出した銀時が、一度だけ男を振り返った。

 まだ幼さが残る顔立ちの中、赤い瞳で男を見る。

 珍しい銀の髪が、朝の光にキラキラ輝いて男の目に美しく映る。

 あんな、少女も攘夷のためにその命を賭していくのか。

 

 

 

 

 

 

「でっけえコブ〜〜」

「………」

 昼前に本陣に戻った銀時が、怪我をしたという桂のもとに現れたのは、昼も随分過ぎた頃だった。

 怪我といっても、頭を殴られて失神しただけで心配ないと聞くと、高杉は桂の様子を見にくることもせずに部下たちと酒盛りを始めた。

 そういう奴だとわかっているから、桂もなんとも思わないが、もう一人の幼馴染みの性格もわかっているから、渋い顔をしながらも怒れない桂だ。

 見舞いだとやってきた銀時は、来て早々に桂の頭の瘤を触りまくっては喜んでいた。

「もう触るな。痛いだろう、銀時」

「うん。こんだけデカけりゃ、いてえよなあ」

 銀時に労わる気配など全くなく、面白がるばかりだ。

 桂は深々と溜め息を吐いた。

 こうなったら、痛くても銀時が満足するまでやらせておくしかない。

「銀時。簪は渡せたのか」

 銀時が桂たちと共に本陣に向かえなかったのは、ある少女に簪を渡すためだった筈だ。

 先に出た桂は天人軍の奇襲にあい戦闘状態となったが。

 銀時は瘤から手を離すと、そのまま背中から桂の首に抱きついた。

 首筋に銀時の柔らかな癖毛が当たる。

「銀時?」

「高杉が……」

 高杉?

 桂は何故高杉の名が出てくるのかわからず首を傾げると、銀時は消え入りそうな声で言った。

「高杉が埋めてくれた……」

…………

 

「そうか」

 

 

 

BACK