ふ…と短く息を吐いて、読んでいた書物から、まもなく夕暮れを迎えようとする空に視線を向けた松陽は、突然静寂を破るようにドタドタと騒々しい音をたてながら廊下を走ってくる二つの足音に、おや?と首を傾けた。

「先生!」

 息を荒くしながら松陽の前に現れたのは、塾生である高杉晋助と桂小太郎の二人。

「どうしました?そんなに慌てて」

 まるで幽霊でも見たような顔の二人を落ち着かせるように、松陽は微笑んだ。

「先生!あいつ…あいつ!女だった!」

 いつもは斜にかまえたような目をすることが多い晋助だが、この時は本当に驚いているのか大きく目を見開いていて、いつもより子供っぽい表情を見せていた。

 ああ・・と松陽は笑う。

「銀時のことですか。どうしてわかったんです、晋助?」

「ど…どうしてって……」

 松陽に問われ、らしくなく口ごもった晋助が隣に立つ小太郎を見やる。

 小太郎も、うっという顔になったが、それでもまだ晋助よりは冷静なのか、一度目を閉じ深呼吸すると説明した。

「塾が終わってから、銀時と高杉の三人で川に行ったのです。魚とろうと思って。銀時がなかなか川に入ろうとしないんで、高杉がふざけて手を掴んだらよろけて滑って転んで……」

「おやおや」

 頭からびしょぬれになった銀時を川原に引き上げて、風邪引くからと取った魚を焼くためにおこしていた火のそばに連れて行って着物を脱がせたら。

「あいつ…下着もつけてやがらなくて」

 顔をしかめる晋助に、松陽は事情を察した。

「ああ、またですか。ちゃんと下着をつけるように言ってるんですけど、慣れてないためかすぐに脱いでしまうようですね」

 晋助は、さっきの光景を思い出したのか、カァッと顔を赤くした。

「先生は知ってたんですか、銀時のこと!?」

 そういえば、松陽は銀時を二人に紹介する時は名前だけしか教えてくれなかった。

 銀時は何処から見ても男の子にしか見えず、どっちですか?なんて師に訊くことすらばかばかしくて。

 なのに……!

 女の子だと言ってくれれば、晋助もあんな乱暴なことはしなかった。

 思い出す限りでも、銀時に対してかなり乱暴なことを晋助はしていたのだ。

 本気で殴り合いまでしたこともある。

 さすがに、喧嘩が嫌いな小太郎は銀時を殴ったりはしなかったが。

「女の子だと言っても、本人にその自覚がないのですから無駄なんですよ」

 は?と二人の子供は師の言葉に目を瞬かせる。

「そういう家系に生まれた子なんですよ、あの子は。銀時を生んだ母親は同い年の幼馴染みでしたが、私はずっと男だと思っていました。男同士だと思っていたから取っ組み合いの喧嘩もしたし、一緒に寝たりもしたんですけどね」

 せ…先生が取っ組み合い?

 驚く子供たちを見ながら松陽は、ふふ…と笑う。

「彼が(本当は彼女でしたが)ほんとは女性だと知ったのは、十年振りに(彼女が)村に戻ってきた時でした。ずっと会っていなかった幼馴染みは、子供を身ごもって村に戻ってきたんです」

 いや、本当に驚いたのなんの、と松陽は笑いながら言った。

 なにしろ、ずっと男の友人と思い込んでいたのに、実は女だったのだから当然だ。

「知らずに私は、十五の年まで同じ布団で寝たりしたのですからね」

「…………」

「十五歳なら、もう身体が全然違ってたでしょう?先生はわからなかったんですか?」

 小太郎が信じられないという顔で松陽に問う。

「わからなかったですね。確かに十五にもなれば男女の差がはっきりわかるのですが、彼女はまるっきり変わらなかったのですから」

 胸が膨らむこともなく、いつまでもやせっぽちで丸みもなく、声も低かったから、ほんの少しも男ではないと疑うことはなかったのだ。

「本当に彼女の家系は変わっているんですよ。直系に繋がる女子にだけ出る特徴らしいのですが、とにかく成長が遅い。しかも、本人が女だと自覚しない限り身体が成熟しないというものでね。死ぬまで自覚しなかった先祖もいると彼女から聞きました」

 じゃあ、と晋助はようやっと口を開く。

「あいつもおんなじ?」

「同じみたいですね。私の幼馴染みは母親からきちんと自分の身体のこと、他人への対応の仕方などを教わったそうですが、早くに母親を亡くした銀時はそれを全く知らない。だから、あなたたちに知られるようなヘマをする」

 そのうち、ちゃんと教えないといけませんね、と松陽は言った。

 そういえば師は、銀時には親はおろか、身内は誰一人いないのだと言っていた。

「あの子の家は、流行り病で血が途絶えてしまったんです。もともと、祖父母と彼女の母親の四人しか残っていませんでしたから。彼女が村を出て行ったのはそのせいです。彼女はただ一人生き残った坂田家の人間でした。母親が死んで、銀時は身内もなくたった一人です」

 松陽の口から初めて銀時の身の上を聞いた二人は、顔を見合わせた。

「先生……だったら、銀時が自覚するまでは、あいつのこと、男だと思ってていいんですか?」

「勿論構いませんよ。銀時もその方がいいでしょう」

 あなたたちにとっても。

「ところで、銀時はどうしたんですか?」

 姿が見えませんけど?

「銀時は帰ってすぐに風呂に放り込みました。ずぶぬれだったんで」

 ちゃんと暖まるまで出るなと言ってある。

 濡れた着物をまた着せるわけにはいかないので、小太郎が自分の羽織を着せ掛けて連れて戻ったのだと言った。

「そうですか。では、着替えが必要ですね」

「あ、俺が持って行きます」 

 でもって、人前で裸になるなと言ってやると晋助が拳を握った。

 松陽は、くすっと笑った。

「じゃあ、お願いしますよ、晋助。着替えは銀時の部屋から持っていってください」

 晋助は、ハイと頷くと部屋を出て行った。

 小太郎も松陽にペコっと頭を下げると、晋助の後を追うように廊下を駆けていった。

 

◇◇ 

 

 

 地を覆うかというくらい多くの死体が転がる場所に、その人はやってきた。

 人を食らう鬼がいると聞いてやってきたという、その人は明らかに常人とは違う感覚の持ち主だった。

 なにしろ、どう見ても身体に合わない着物は大人のもので、死体から剥ぎ取って着ているものだろうとわかる不気味な子供に平然と近づいてきて、にこりと微笑んだのだから。

 小さな身体に引きずるような刀を持ち、威嚇するような子供など、放っておけばいいものを、その人は手を差し伸べてきた。

 

 

 君が学びたければ、この手を取ればいい。

 

 

 

 

 

 

 

 先生を失ってしばらくは、何もできず力のなさに憤った日々を空しく過ごしていた。

とある日、高杉晋助が幼馴染みの二人にこう告げた。

「俺は京に行く」

 

 穏やかで静かな萩という土地にも、攘夷戦争の影響が徐々に出始めていた。

 多くの侍が、怒りに立ち上がり戦場へと向かっていった時代だった。

 ようやく十五になろうかとしていた彼らは、もうやるべきことは自分で決めねばならなかった。

 本当なら、まだ敬愛する師に教えを受けている年であったが。

 その師は永遠に失われてしまった。

 彼らが師の教えを受けた塾には、師の養い子が一人で住んでいた。

 多くの子供たちが学んでいた塾は閑散としており、何を恐れるか訪れる者も殆どいなかった。

 ただ、師の養い子である銀時と仲が良かった高杉晋助と桂小太郎の二人は、師が亡くなってからもずっと塾に顔を出していた。

 三人は師のいない部屋で話をしたり、ただ黙って本を読んだり昼寝をしたりと過ごしていた。

 だが、そんな日々ももう終わろうとしていた。

 最初に言い出したのは高杉だったのは、恐らく予想通り。

 三人は、濡れ縁に並んですわり、銀時が作った菓子を摘みながら暮れ行く空を眺めていた。

「京へ行って何すんだよ?」

 銀時が聞くと、んなの決まってんだろと高杉は、フンと鼻を鳴らす。

「俺は力が欲しい。戦える力が、な。京でそれを見つける」

「いつかは、言い出すだろうと思っていたが。いつ発つつもりだ」

 桂が聞くと、高杉は明日にでもと答えた。

「明日〜〜?急すぎんじゃね?」

「急じゃねえよ。去年からずっと考えてたことだ。準備もしてきた。元服前に出て行くのが一番いいんだよ」

 元服しちまったら、出て行くのがむずかしくなっちまうだろ。

「親には?」

「京に行くこたあ言ってある。ただ、親に言った目的とは違ってっけどな」

 ニッと、高杉は悪ガキのような笑みを浮かべる。

「俺も京に行きてえ」

 銀時は隣に座る高杉の袖を掴んだ。

「なあ。連れてってくれよ、高杉」

「おめえは駄目だ。京見物に行くってんならいいけどな。俺は戦う力を手に入れに京へ行くんだ」

 今の京は、攘夷の影響でかなり物騒な状況になっている。

 松陽のおかげで、人とは違う容姿の銀時をこの村の人間は受け入れてくれたが、京となればそういうことは望めない。

 危険だとわかっている場所へ、あえて連れて行く気は高杉にはなかった。

「だって、ヅラは長崎に行くし、晋助が京に行っちまったら、俺は一人になっちまう」

「銀時。俺たちがいなくても、ここにいればおまえは一人ではないぞ。みんなが、おまえを気遣ってくれる」

「わかってっけどさあ……」

 だが、ずっと身近にいた存在は、先生を除けば高杉と桂の二人だ。

 その二人がいなくなれば、銀時のそばにいてくれる者はいなくなる。

 たとえ気遣ってくれるとしても、この二人の代わりには誰もなれないのだ。

「銀時。おめえは、村に残れ。おめえが、塾を守ってくれてれば、俺たちは迷うことなくここに戻ってこれる」

「迷うってなんだよぉ。戻らねえってことかぁ?」

 だからあ、と高杉は大きく息を吐いてから銀時に答える。

「ちゃんと戻ってくるって言ってんだろが」

 おめえがここにいれば、ここが俺たちの帰ってくるとこになんだからよ。

「………」

「銀時。俺たちは帰ってくる。俺たちには、ここしか帰るところはないのだからな」

「ヅラァ……」

「ヅラではない桂だ」

 銀時は高杉の袖を掴んでいる手とは反対の手で桂の着物の脇を掴んだ。

 力いっぱい握っているから当然皺になるが、高杉も桂も気にしなかった。

 先生がいないこの家に、たった一人残される寂しさはわかる。だが、故郷を出て行く二人には帰るところが欲しいのだ。

 二人は家を捨てて出て行く。

 だから、彼らがいずれ帰るのは親兄弟のいる家ではなく、松陽先生のいた、そして銀時がいるこの場所なのだ。

 

 

 

 高杉と桂が故郷を去り、一人残った銀時は、家を守り、ささやかな畑を守って過ごす毎日を送った。

 何故、先生が死ななくてはならなかったのか、銀時にはわからない。

 高杉や桂にはわかっていたのだろうか。

 いつか、わかる時がくるのだろうか。

「いただきます」

 先生に言われた通り、ちゃんと手を合わせて感謝する。

 畑で作った野菜と、近所のおばさんにもらった米や卵で銀時は二人分の食事を作った。

 自分と先生の分。

 先生に美味しいと褒めてもらうために頑張って覚えた料理だから、毎日作る。

 もう、食べてくれる先生がいなくても。

いつか帰ってくる二人の幼馴染みに作ってみせて、すげえ美味いと言わせてやろう。

 それが、銀時のささやかな野望だ。 

 先生がいない。

 それは銀時にとっては大きな変化であったが、村の景色は先生や幼馴染みがいた頃と全く変わらなかった。

 咲く花も、眠気を誘う穏やかな風も。

 だが、やはり人の日常というのは変わっていくのは、どうしようもなかったのかもしれない。

 時代はもう泰平ではなく、激動の真っ只中にあったのだから。

 

 

 

 

 

 息、苦しい……

 

 床についてどのくらいたったのかはわからないが、銀時は何故か息苦しさに目を覚ました。

「何?」

 ケホッと乾いた咳を一つして起き上がった銀時は、部屋が白く煙っていることに気づき目を見開いた。

 火事!

 え!なんでぇぇぇっ!?

 火はちゃんと消した筈!

火が出るわけは絶対にないのに!

松陽がいる頃から、銀時は火の始末だけはきっちりしていた。

火の怖さは知っている。二人の幼馴染みに塾のことをまかされた銀時が火事など出せるわけがない。

「火、消さないと!」

 銀時は火元を探そうと、大事な刀を抱えて部屋を飛び出した。

 絶対にありえないと思うものの、火が出るとしたら厨房しかない。

 銀時は廊下を走った。

 暗い上に煙で視界がぼやけて走りにくいが、銀時はまっすぐ厨房に向かう。

 と、銀時は煙の向こうに人影を認め足を止めた。

 火事に気づいた村の誰かが来てくれたのだろうか?

「誰?」

 問いかけると、黒い人影はまっすぐに銀時の方へと近づいてきた。

 気づくと、人影は二人になっていた。

「………」

 銀時は、ギリッと歯を噛み締める。

 何故なら、銀時が見ている先でその二つの影が、ゆっくりと刀を抜いたからだ。

 銀時は眉間を寄せ、抱えていた刀の柄を強く握り締めた。

 

◇◇ 

 

 

 

 あれが高杉か……?

 男たちは、武勇の噂のみを聞き知る人間なら誰もが意外に思うその若さに目を瞠る。

 勢いがなくなりかけていた戦いに、突如その強さを見せ付けるように派手な登場をみせた鬼兵隊。

 精鋭部隊をまとめているのは、高杉という若い侍。

 確かに若いと聞いていたが、まさかあんなに若いとは男たちも思っていなかった。

 どう見ても二十歳を越えてはいまい。

 短くした黒髪に整った顔立ちの十七・八の少年。

 初めて会った鬼兵隊の総督は男たちの目にはそれだけにしか見えなかった。

 だが、見かけの年齢が当てにならないのは、実は男たちも経験済みだった。

 それは、彼らの隊にいる"白夜叉"と呼ばれる侍がそうだったからだ。

 たまたま戦場に一人でいた侍を隊に加えた。

 外見がとにかく異質であったが、信じられないほど強く、一人でも天人軍を翻弄させられるだけの実力があったからだ。

 坂田とだけ名乗ったその侍だが、いつのまにか人間離れしたその強さと外見から "白夜叉"という二つ名がついた。

 今ではその名が敵からも味方からも知られ呼ばれている。

 その白夜叉もまた若かった。

 初めて戦場で出会った時は、まだほんの子供のように見えた。

「白夜叉は、やはり見つからんのか」

 仁王隊を率いる男が部下に問う。

「はっ。朝から姿を見た者が誰もおらず」

 男は溜め息をつく。

 白夜叉は戦場では目立つが、戦いがない日は、フラリと姿を消して誰の目にも入らないことがよくあった。

 だいたい戦場でのあの鬼人のごとき戦い振りを目にすれば、近づこうと思う者もない。

 最初の頃は、まだ子供のような白夜叉の面倒をみていた男がいたのだが、数ヶ月前の戦いで戦死を遂げた。

 以来、白夜叉は仁王隊にいても一人で行動するのが常だった。

 それを仕方ないと放っておいたら、肝心な時に見つけられないこととなってしまった。

 それにしても、と男は思う。

 最近はとみに若い指導者が増えた。

 高杉もそうだが、最近存在感を増している隊をまとめている桂という男も若いと聞いている。

 時代は、自分たちのような壮年の世代から若い世代へと移ろうとしているのか。

 だが、そう簡単に世代交代を認めるわけには彼らもいかなかった。

 白夜叉がいることで、この隊の存在は広く知られている。

 あの鬼兵隊の高杉をも呼ぶことが出来るほどに。

 部下を二人連れた高杉は、現れた仁王隊の指導者と副官の方に顔を向けた。

 鬼兵隊は侍だけでなく、百姓でも力があれば加えているという。

 戦いは侍だけのものと固持している仁王隊には理解しがたいものだが、それでも勝ち続けている鬼兵隊の実力は認めないわけにはいかない。

 高杉は、洋風の黒い軍装を身に着けていた。

 あまり大柄ではなく、どちらかというと小柄な優男だが、見つめる目の鋭さはさすがに畏怖すら覚えるものだった。

 同行した部下の二人は、百姓ではなく侍のようである。

「お待たせした。私が間島宗次郎だ」

 高杉は組んでいた腕を解くと仁王隊の男と向きあった。

「高杉晋助だ」

 

 

 

 

 小物だ、というのが間島と会った高杉の評価だった。

 今も全滅せずに戦っている部隊だというのは評価するが、共に戦っていける相手ではない。

 あまり高評価はしていないが、ヅラの所ならまだしも、さほど優れた軍師もいない仁王隊では、この先戦っていくのは難しいだろう。

 天人はどんどん力のある兵を投入してきている。

 舐めてかかったばかりに全滅させられたことが大きな教訓となっているらしい。

 勝っていくことは、より自分たちを苦境に陥れることにもなるのだ。

 だが、まだ負けを認めることはできない。

「銀時。そこにいるか」

 部下二人を置いて、来る途中目をつけていた大きな楠を見上げた高杉が声をかけると、ガサリと風もないのに葉が音をたてた。

「ちぇ〜バレてたのかよ」

 茂った葉の間から白い手が覗いたかと思うと、ザザザと枝が大きな音を立てた。

 下りてきたのは、白い陣羽織を羽織った銀時だった。

 相変わらずの銀髪に、赤い双眸を高杉に向ける。

「バレねえわけねえだろ。その目立つ頭をしてりゃあな」

「ん〜〜そっか」

 銀時は自分の銀髪をくしゃりと掴んだ。

 しかし、朝からずっといたのに、隊の誰も銀時に気づかなかったのだが。

 やはり高杉だから気がついた。

「んなことより、てめえ…なんてぇ格好してやがる」

 戦場ではありえない白い羽織を着ている銀時に、高杉は眉をひそめた。

 銀髪な上に、肌も白いので白い羽織など着ていたらまさしく白づくめで目立つことこの上ない。

「へへ…すげえ目立つだろ」

「何喜んでやがる。目立ち過ぎだろが。それで戦場に出たらピンポイントで狙われんぞ」

「敵が向こうから来てくれんだから、いいじゃん」

「てめぇ…」

 高杉は顔をしかめた。

 幼い頃からずっと一緒だったから、銀時が何を思ってこんな白などと目立つ格好をしているのかわかってしまうのが高杉は嫌だった。

「それより高杉。おめえがここに来たってぇのは、うちと同盟結ぶ気になったからってぇことか?」

 アホかと高杉は吐き捨てる。

「んなわけねえだろ。俺が来る気になったのは、てめえがいるからだよ。白夜叉がオメェだってこたあ、すぐにわかったからよ」

「ええ?髪でか!銀髪なんざ、他にもいるかもしんねえじゃん?!」

「銀髪で天パなんざ、てテメェぐれえだろが」

 銀時はムゥッと口を尖らせた。

「天パで悪かったなあ!俺ぁ、いつかぜってえ、サラサラストレートヘアになってみせんだからなぁ!」

 突っかかってくる銀時に、高杉はフンと鼻を鳴らす。

「んなきしょいもんは見たかねえよ」

「あぁ?」

 銀時はパチパチと目を瞬かす。

 何がきしょい?

 俺のストレートヘアはきしょいってか??

「おめえは今のままでいいってんだよ」

 高杉は、銀時の頭を掴むと、ぐいと自分の方に引き寄せた。記憶にあるよりちょっと背が伸びた高杉の肩口に顔が寄る。

 高杉の洋装は初めて見るものだったが、よく似合っていると銀時は思う。

 まだ十代後半だが、肩幅も広くなったし、鍛えられた筋肉の感じが、既に少年から大人へと脱し始めている様相だ。

「銀時……いってえ何があった?何故、村を出た?」

 高杉の肩口に顔を押し付けている銀時は、高杉の質問に小さく息を吐いた。

「……今は言いたくねぇ」

「そうかよ…じゃあ今は聞かねえが、銀時。ここの隊はやめとけ。白夜叉をてめえらの広告塔のように考えてる連中だ。だいたい、おめえの使い方もわかっちゃいねえ」

 間違いなく早晩、潰れるぜ。

 銀時は困ったような顔を見せた。

「縁起でもねえこと、言うなよ、高杉ィ。俺ぁバカだからさあ、戦略とかわかんねえけど、戦うこたあ出来るわけよ。

 この隊は俺を拾ってくれて、飯食わしてくれて。村出た後、俺に居場所くれたとこだ」

 戦争やってるわけだから、全滅もありだたあ、わかってる。

 ずっと負けねえ戦いなんざ、甘い夢でしかない。

 銀時が仁王隊に加わってから、いったい何十人の味方の兵の死を見たことか。

 これからも戦場に向かうたびに兵は死ぬ。

 そして、いずれは自分の死と向かい合う時も来るだろう。

 そう簡単に死ぬつもりはないが。

「そいつぁ、ヅラの奴にも言ってやれ」

「ヅラ?」

 銀時は高杉と同じで久しぶりに聞く名に首を傾けた。

「奴ぁよ。一度村に戻ってんだよ」

 おめぇが村出て半年後くれえにな。

 長崎から一度村に戻った桂は、焼け落ちた村塾の無残な姿を見、村から姿を消した銀時のことを知った。

 村人の話では、塾が火に包まれた夜、銀時が刀を抱えて茫然と立っていたという。

 銀時はいつも寝巻き代わりにしている作務衣姿だったが、何故か血で汚れていた。

 怪我をしたのかと慌てて村人は駆け寄ったが、銀時は怪我はないと言ってフラリとどこかへ行ってしまった。

 その夜から、銀時の姿は村から消え、見た者は誰もいないのだと村人は言った。

 ヅラからその話を聞いたのは、ついこの間のことだ。

 互いのことは知っていても、戦場で会うこともなく、戦場以外で会う機会もなかった高杉と桂だったが。

 たまたま、陣が近かったため、会って話をする時間を得た。

 ほぼ、二年ぶりだったろう。

 桂も白夜叉の噂を知っていた。

 白夜叉は銀時ではないかと考えたのも同じだった。

 

「銀時…ヅラと三人で酒でも飲むか」

 

 

 

 

 

 二年ぶりに再会した三人の幼馴染みは、宿場の小さな宿の二階で酒を酌み交わした。

 別れた当時、まだ十四であったから、こうして顔を突き合わせて酒を酌み交わすなど初めての経験だ。

 三人はたあいのない会話をしながら料理を摘み、酒を飲んだ。

 部屋に差し込む陽が傾き、気づけば、銀時は畳の上で仰向けになり寝息をかいていた。

「もう潰れちまったのかよ。弱ぇな」

 手酌で酒を飲んでいた高杉が、酔って寝入っている銀時を見てフンと鼻を鳴らした。

「うわばみのおまえと比べるな。普通より飲んでいるぞ、こいつは」

 再会した時、高杉と初めて酒を酌み交わしたのだが、その飲みっぷりに桂もあきれ返ったくらいだ。

 桂は、脱いでいた羽織に手を伸ばし寝ている銀時の身体の上にかけてやった。

 別れた時から随分背が伸びたようだが、寝ている時の幼い顔は昔と変わらない。

 相変わらずの癖のある銀髪。そして、石榴のような赤い瞳。

 あちこち跳ねまくる髪は、今もコンプレックスのようだが。

 桂は銀時の柔らかな銀髪を撫でた。

 久しぶりの手触りが懐かしい。

 村に残った銀時のために買い集めた菓子を土産に村に戻った桂が、焼け落ちた村塾を目の当たりにして声も出ないほどの衝撃を受けてからまだ二年にもならない。

 村からいなくなった銀時を探したこともある。

 だが、状況はずっと探していけるものではなかった。

 死んだと思うことは断じてなかったが、こうして生きている銀時を見れば桂もホッとする。

「白夜叉……か」

「おう。たいした二つ名をつけられたもんだぜ、銀の奴」

「確かに銀時は我らの中で一番強かったからな」

「強いってえか、あの無茶苦茶な型には誰もついていけなかったんだよ。この野郎、手だけじゃなく、足も出やがるからな」

 女のくせに、癖がわりぃったらねえぜ。

「……高杉」

「ん?」

 杯を口に持っていきかけた高杉が桂の方に視線を向ける。

「塾が燃えた夜、いったい何があったのだろうな」

「そいつあ、こいつが話さねぇ限りわからねえことだな。まあ、今は話す気がないってえから、いつかは話すつもりなんだろうよ」

 いつになるかはわからないが。

「村長からの手紙で知ったんだが、焼け跡から、二人の死体が見つかっていたらしい。何者かはわからないが、どちらにも、刀傷があったようだ」

 高杉は目を細めた。

「殺ったのぁ、銀時か」

「………」

「何があったにしろ、こいつは生きてる。それで十分だろうが」

 ああ…と桂は頷いた。

「ああ、そうだな」

 たとえ、明日も生きていられるかわからない状況に身をおいているとしても。

 生きていればいい。

 

 

◇◇

 

 

 戦いに加わって初めて戦場に出た若者は、自分が戦うべき敵を見た途端、その恐ろしげな姿に恐怖した。

 まさしく、子供の頃に親から聞いた鬼そのものの姿。

 初陣は十六だったが、剣の腕はまさに神童と呼ばれるくらいで、初陣とはいえ自信はあった。

 だが、彼が敵として戦う相手は、想像を絶する相手だった。

 見上げるほどの大きさと、丸太のように太く堅い筋肉。

 醜悪なその顔。

 鋭い牙と尖った爪。そして、見たことのない巨大な武器。

 最初は恐ろしさのあまり、刀を抜くことすらできなかった彼に、先輩の侍たちはあざ笑うことなく慰めた。

 実は彼らも初めて敵を目にした時は恐怖で失禁する者すらあったという。

 勿論、逃げ出そうとした者もいたというが、彼らをまとめる年若い総督の戦い振りを見て、なんとか恐怖を克服したのだという。

 攘夷志士たちの間で、最強とも噂される"鬼兵隊"は、選ばれた精鋭部隊だと彼は思っていた。

 だが、皆が皆恐れを知らずに戦い続けているのではなかった。

 何度も戦って、そして侍としての自信をつけていく。

 そうやって、彼は逃げずに戦い続けてきた。

 彼が尊敬して止まない、若い指導者のために。侍の誇りのために。

(……しまった!)

 敵だけを見て戦っているうちに、仲間とはぐれてしまったことに彼は気づいた。

 この日の戦いは、鬼兵隊ではなく、別の隊を追っていた天人の兵と遭遇したための戦いだった。

 鬼兵隊が気づいた時には、天人が追っていた隊の三分の二は殺られていたが、それでも生き残った兵たちを後方に逃がし、敵の侵攻をくいとめるために戦った。

 それほど天人の兵は多くはなかったが、いずれも戦い慣れた連中で、簡単にはくいとめることはできなかった。

 まだ若く、初陣からまだ数ヶ月しかならない彼を、仲間は庇ってくれたが、さすがに混戦となると皆自分の戦いに必死となる。

 仲間の侍に、後方に下がれと言われたのだが、目の前に現れた牛頭の天人に追われ、気づけば仲間の姿は遠くなっていた。

「くそっ!」

 彼はニメートルはあろうかという天人に飛び掛ったが、あっさりと天人の斧によって刀を折られてしまった。

「弱い。弱すぎるな、小僧。弱いくせに我らに歯向かってくる、おまえらは、愚か者と言うんだ」

 牛頭の天人は、臭い息を吐きながら笑うと、斧を振り上げた。

 その動作は彼の目にはゆっくりと見えたというのに、かわす自信は全くなかった。

 足に根が生えたように、一ミリと動かない。

 このまま、あの巨大な斧によって、薪のように頭からまっ二つにされるのか。

 恐怖と、そして諦めで目を閉じた彼は、突然高い唸り声を聞いた。

 すぐさま受けるだろう衝撃は、何故か一向にやってこない。

 それどころか、明らかに人の声が自分に問いかけてきた。

「大丈夫か?」

 ハッとして、堅く閉じた目を開けた彼は、気遣うように顔を寄せてくる、信じられない人の顔を見た。

 白というより、銀色に輝く髪に、抜けるような白い顔。

 間近にあったために気づいた、甲冑姿の侍の、血の様に赤い瞳。

 普通とは違う色彩でありながら、その姿は侍で、そして間違いなく"人"だった。

「おい?どっかやられたかよ?」

「い・いえ…大丈夫です……」

 彼の答えを聞くと、白い侍は、そっかと口端を上げ、まだ戦っている彼の仲間の方に顔を向けた。

「もう、あらかた終わっちまったようだな」

 白い侍は呟くと、刀を一振りして鞘におさめた。

 侍の足元には、ついさっき自分をまっぷたつにしようとした牛頭の天人が倒れていた。

 頭がかちわられたその傷から、一刀のもとに殺されたことがわかる。

 なんという力だ……

 いったい、この白い侍は何者なのか。

 天人の兵を全て倒した鬼兵隊の一人が、彼の名を呼びながら駆け寄ってくるのが見えた。

「大丈夫だったか!?」

 その兵は、彼が隊に加わってからずっと何かと面倒をみてくれて、戦闘中後方へ下がれと言った男だった。

 なのに、牛頭の天人が彼を追っていくのを見て男は慌てたが、すぐに助けにいくことができなかった。

 敵と戦いながら、ずっと面倒をみてきた少年が殺されるのを覚悟すらした。

 だが、彼は大きな怪我もせず生きて立っていた。

 そして、そのそばには、点々と赤い血に染まった白い髪に、白い陣羽織姿の侍がいた。

 見たことがない奇妙な侍に兵たちは皆足を止めたが、彼らの後ろから歩みをとめることなくずいと前に出てきた黒髪の男がニヤリと笑って白い侍に声をかける。

「よお」

 黒い洋装の陣羽織を羽織った男を見た途端、白い侍はム〜と顔をしかめた。

「おっせーよ、高杉!約束は昨日だったじゃん!早めに来て待ってた俺がバカみたいじゃねえの!」

「あ〜?早めに来たってぇ、いってぇいつからいたんだ、銀時?」

「昨日の早朝からだよ。てめえ、時間までは知らせなかったじゃんか」

 だから気を使って早めに来たのに……と銀時はブツブツ文句を言った。

「兵を抱えてっと、いろいろあんだよ」

 なんでも予定通りにはいかねえ。

「けっ!どうせ、俺ぁ一人だから、気楽なもんだよ」

 やっぱ謝んないわけね。まあ、こいつぁ昔っから、先生以外の人間に謝るのは時間の無駄っつう奴だとわかってるから、銀時も気にしたりしないが。

「ああ、くそ!……腹減った〜〜なんか食いもん持ってねえ?昨日の朝からなんも食ってねえのよ」

 ぐったりと高杉の肩にもたれかかってグチる銀髪の侍に、その場にいた鬼兵隊の男たちは目を丸くした。

 年は若いが、統率力があり実力もある、この高杉晋助を男たちは信頼というより、もはや崇拝に近い感情を持っている。その高杉に、当たり前のように慣れ慣れしくする男の存在は驚きだった。

 しかも、高杉は全く気にしていない。

「おい、誰か食いもん持ってねえか?」

 高杉が言うと、ついさっき銀時に助けられた若い兵が腰にぶら下げていた袋から握り飯を取り出した。

 今朝もらったものだが、緊張していたせいか全く手をつけてなかったものだ。

 おお〜と銀時は嬉しそうに目を輝かす。

「白い米の握り飯じゃんか!おめんとこ、やっぱ贅沢だよなあ。俺、ここんとこマトモな飯は麦か芋だったぜ」

「俺んとこも似たようなもんだ」

 こんなのはめったにねえよ、という高杉に銀時は疑わしそうな目を向ける。

 女によくモテる高杉には、結構貢物とか多いのを銀時は知っていた。

 女だけでなく、金持ちの親父とか。かなりの人たらしなのだ、高杉という男は。

 

「で?ヅラは?一緒じゃねえの?」

 竹の皮に包まれていた握り飯三個のうち、二個をあっという間にたいらげた銀時は、指先についた米粒を舐めとりながら高杉に訊く。

 そもそも、会って相談したいことがあると言ってきたのは桂なのだ。

「ヅラは、予定が早まったとかで俺が約束んとこに着く前に出発しやがったよ」

「予定って…なんとかってえ土佐の男に会うってやつか?」

 高杉は苦笑を浮かべながら、まだあどけなさの残る幼馴染みの顔を見つめた。

「相変わらず、人の名前を覚えねえ奴だな。坂本辰馬だ。しっかり覚えとけ」

 銀時は眉をひそめる。

「なんで俺が覚えなきゃなんねーのよ。同盟結ぶのはヅラんとこの隊だろが」

「俺にも来いっつーてる」

「鬼兵隊とも組もうってか。そいつってば、意外と大物?」

「大物ってーか、最近、坂本が率いる快援隊の名はよく耳にすっから、そこそこなんじゃねーか。ヅラの奴も無視しなかったしな」

 ふ〜ん、と銀時はあまり興味なさそうに鼻を鳴らすと、最後の一個も腹におさめた。

 天人の血がまだらに染まっている白い陣羽織の裾が、時々吹く風にハタハタと揺れる。

 戦場ではあまりにも目立ちすぎるその色を、あえて身にまとう男に誰もが首を捻った。

 とはいえ、髪も肌の色も白いのでは、たとえどんな色の羽織をまとっても目立つことには変わりないが。

 その色を隠すなら、忍びのように頭からつま先まで布で覆うしかない。

 あれが白夜叉か……と鬼兵隊の中から聞こえてきた声に、握り飯を渡した年若い兵が目を瞬かせる。

 おそらく、二つ名であろうその名は、確かに銀髪の侍には似合った呼び名かもしれない。

 あの凶悪そのもののような天人を一刀のもとに倒した力は、並みの人間にはありえないものだ。

「ヅラが行っちまったんじゃ、もう相談もなんもねえじゃん。おめえも行くんだろ、高杉」

 ってことは、俺わざわざここまで来て待ってた労力と時間は無駄だったってことかあ?

 なんだよ、それ〜〜と銀時は、口を尖らせ、ただでさえ跳ね回った髪をぐしゃぐしゃとかき回した。

 そして一通り文句言ってから、ふっと真顔になると銀時はくるりと背を向け「んじゃ俺もう行くわ」と片手をひらひら振った。

 おい、と高杉は眉をひそめた。

「相変わらず人の話聞かねえな、おめえは。おめえも一緒に来んだよ、銀時」

 あ〜?と銀時は目を見開いて高杉を振り返る。

「俺も一緒って何?俺はおまえらのように隊持ちじゃねえぜ」

「おめえは、一人で一部隊の力を持ってんだろが」

 問題はねえ。

 高杉の言葉を聞いた銀時が目を瞬かせる。

「ほんとに俺が行っていいのか?俺、前に隊一つ潰してんだけど」

 ハン!と腕を組んで立っていた高杉は、バカにしたように鼻を鳴らす。

「ありゃあ、おめーの使い方を誤ったマヌケの自業自得だ。おめーが気にするこっちゃねえ」

「そう言っちゃえるのは、おめえだけだよ、高杉」

「だとしても、今回は俺やヅラもいんだから心配ねえだろ」

「ほんとに三人一緒?」

 銀時の瞳が輝く。

「久しぶりだよなあ。土佐の奴がどんな男か知んねえけど、おまえらがいるなら大丈夫か」

 ああ、と高杉は頷く。問題ねえ。

「わかった。行く」

 言って銀時は、チラッと高杉が率いる兵たちに目をやった。

 銀時は鬼兵隊だけでなく桂の隊ともあまり親交はなかった。

 故郷を出たのは三人バラバラだったせいもあるが、再会した時はそれぞれが別の隊にいて戦っていた。

 銀時がいた隊は、結局天人の奇襲にあって全滅し、以後ずっと一人で戦ってきている。

 いつからか銀時は白夜叉という異名で呼ばれるようになり、敵からだけでなく同じ目的を持つ者からも恐れられていることを知った。

 自分ではわからないが、戦っている銀時の姿はまさに夜叉のようで侍にすら恐れを抱かせるらしい。

 しかも、噂というのは尾びれがつきもので、今や白夜叉は頼れる同志と同時に、人間でなく魔物のように恐怖の対象だ。

 鬼兵隊は、さすがに高杉が率いているだけあって肝が太い連中が多いのか、銀時に対して恐れを抱いているようには見えないが、だからといって気さくに付き合えるものではない。

 彼らが自分を見て白夜叉だと囁く声も聞いている。

「行くにしても、おめえと並んで歩くわけにはいかねえから、俺は殿につくぜ」

「いいだろう。おめえの好きにしろ。こっちとしても、おめえに背後を守ってもらえば安心だ」

「ああ、まかせろ」

 銀時はニッと笑い高杉に向けて肩をすくめた。

「よし。じゃあ出発するぞ」

「総督」

 何か言いたげな副官を無視した高杉は、兵をまとめろと命じて足早に歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 桂の支援者から提供された豪商の別宅は、広大な庭と部屋数の多さに加え、周りを高い塀に囲まれているので陣としてはかなり適していたが、移動が多い状況のために桂はあまり利用したことがなかった。

 今回、土佐の快援隊と桂の隊が同盟を結ぶことになり、久々に長期の陣を張ることになった。

 とはいえ、天人の動き次第ではすぐにも移動することになるだろうが。

 昼過ぎに快援隊の坂本辰馬と桂小太郎は会談を行い、同盟を結んだ。

 攘夷戦争が始まって既に十数年になろうとしている。

 第一次と呼ばれる戦いは、幕府の後押しもあって、やってくる天人の軍と真正面からの戦いを挑んでいたが、幕府が天人に屈して以来彼らの戦いは一変した。

 天人だけでなく、幕府側からも邪魔者と見なされ追われるようになった。

 既に多くの侍が犠牲となっていた上に、天人の科学力と力は圧倒的で戦列を離れ逃げる者が日ごとに増え、一時は極端なくらいに兵が減ったが、ある時期突然彼らの戦いが盛り返した。

 それは、これまで使い捨てのようだった若い侍が、古参の侍が離脱していく中奮起して前面に出てきて戦うようになったためだった。

 しかもその若い世代から優れた指導者が次々に現れ、戦い方も正面からではなくゲリラ的な戦いへと変わり、もはや侍の敗北が決定的だった状況を意外にも覆すこととなった。

 その若い指導者が桂小太郎であり、坂本辰馬であった。

 桂も坂本もまだ若造と言える年だったが、それでも初めて会った桂の若さには坂本も驚いた。

 どう見てもまだ十代。本来なら一部隊を持って最前線を戦う年齢ではない。

 坂本も故郷の土佐ではその若さにいろいろ苦言を言われまくったクチだが、それでも目の前の桂よりは二つ三つ上だ。

「そぉやあ、高杉晋助が来ると聞いたが、ほんとがか?」

「ああ。呼びはしたが、あいつは他人に指図されたりするのが嫌いな奴だから、我らと共に行動するかどうかはわからん。俺の言うことは絶対聞くような奴じゃないから、全てはおぬしの説得次第だな」

 坂本は桂の話に目を丸くした。

「ほお〜。おんしは高杉と知り合いだったがか」

「故郷が同じでな。高杉とは同じ師に学んだ仲だ」

「幼馴染みというやつかのう。そりゃあ、わしとしてもサプライズじゃ」

 桂と高杉の名は、攘夷志士たちの間だけでなく、天人たちの間でもやっかいな敵として認識されている侍。

 その二人が昔からの知り合いだというのだから、坂本でなくても驚くというもの。

「鬼兵隊も加わってくれたら、最強なんじゃがのう」

「だったら、気合を入れて説き伏せてくれ」

「おんしは説得してくれんのかや?」

「言ったろう。奴は俺の言うことなど、全く聞かん」

 ま、頑張れと桂は言い、ふっと廊下を仕切る障子戸の方を見た。

「来たようだ」

 ほ?と坂本も顔を向けると、廊下を歩く足音と共に障子戸が開けられた。

 桂は眉間に皺を寄せこめかみを指で押さえた。

「高杉。貴様、礼儀はどこに置き忘れた。開ける前に一言声をかけるくらいせんか」

「うるせえな。着いたらすぐに顔出せなんてぇ勝手なことを言いやがるてめえに礼儀なんかいるのかよ」

 高杉はフンと鼻を鳴らすと、桂と向き合って座る坂本の方に視線を向けた。

 ほお〜、と坂本も見返して軽く息を吐いた。

(若い・・・・)

 鬼兵隊の高杉の名は、勇猛と共に賞賛の声を幾度も聞いていたが、まさかこんなに若いとは思わなかった。

 桂と同じくらいだろうか。となれば勿論十代後半。

 鬼兵隊の噂を聞いたのは二年くらい前であるから、高杉はもしかしなくとも十五〜六だったろう。

 しかも……と坂本は内心で溜め息をつく。

 桂の女のような美貌に目を見張ったが、高杉もタイプは違うもののかなりの美形だった。

(なんちゅーか・・・あれもこれもといいとこ取りした連中じゃのう……度が過ぎて妬む気も失せるわ)

 坂本がそんなことを思っていると、高杉の後から現れた人物がひょこっと顔を覗かせた。

「銀時。おまえも一緒に来たのか」

「来たのかってなんだよぉ、ヅラぁ。来ちゃあいけなかったのかよ」

 むぅんと口を尖らせた、こちらはまだ本当に少年のような顔をした男に坂本は呆けたような顔になった。

 誰でも驚くだろう。なにしろ、その男は白というか銀色の髪に抜けるような白い肌をしていて、さらに血で汚れてはいるものの白い陣羽織を羽織っていたのだから。

 銀髪の侍は、茫然としている坂本には目もくれずに部屋の中へズカズカ入ると、何故かペタンと桂の傍らに座り込み小さな子供のように袖を掴んで肩にもたれかかった。

 桂は溜め息をつく。

「銀時。来て悪いとは言うておらん。おまえと連絡がつけば一緒に連れて来いと高杉に言ったのは俺だ」

「………うん、知ってる」

 桂はもう一度溜め息をつくと、顎をくすぐる銀髪の頭を見下ろした。

「飯はちゃんと食ってるか、銀時」

 ん〜〜と銀時は小さく唸る。

「ちゃんとは無理だけど。昼は高杉んとこで握り飯もらって食った」

「だったらシャンとしろ。ここにいるのは俺たちだけではないぞ」

 桂は窘めるが、銀時は顔も上げようとはせず猫のように桂の肩口に顔を押し付けている。

「……甘味」

「は?」

「シャンとすんには甘味が足りねえのよ……なあヅラァ〜甘味、なんか持ってねぇ?」

「ヅラではない桂と呼べ。そんなもの、あるわけがなかろう」

 だよなあ、と諦めかけた銀時の耳に、初めて聞く声が入り、銀時はようやく桂の肩から顔を離した。

「甘味ちゅーか、氷砂糖なら持っちゅうが」

 これでもええがか?と坂本が懐から巾着袋を出した。

 ようやく自分の存在を認めてくれたような銀髪の侍、桂が銀時と呼ぶ男の視線が向けられる。

 またも坂本は驚いた。

 自分に向けられた瞳の色が、まるで血のような赤だったからだ。

 初めて見る不可思議な色彩。

「え…と。土佐のなんとか?」

「坂本辰馬じゃ」

「覚えとけと、念押しして教えておいたろうが」

 どんだけ名前覚えねえんだテメーは、と廊下に立ったままだった高杉も、呆れたような表情になって部屋の中に入ってくると畳の上にどっかと胡坐をかいた。

「俺は高杉晋助だ」

「おんしのことはよう聞いちょうよ。会えて嬉しいぜよ」

「俺も快援隊の噂はちょくちょく耳にしていたぜ」

 で、と高杉は氷砂糖につられ這うように寄って来た銀時の白い頭をコツンと叩く。

 いてっと、銀時は眉をひそめ、ムッと高杉を睨んだ。

「こいつは坂田銀時だ」

「なんだよ、高杉。なんで、さっさと言っちゃうの?自己紹介くれえ俺も出来るっつーの」

 坂田銀時。坂本には覚えのない名前だった。

 戦場で活躍している攘夷志士の名前は、殆ど覚えているつもりだったが。

 はて?と坂本は内心で首を傾げる。

 桂と高杉と親しいらしい男のようなのに、名前が出てこないなどあるろうか?

「銀時の場合は、本名より二つ名の方がよく知られているから、名は知らぬともそっちはおぬしも聞いたことがあるんじゃないか」

「二つ名?」

 ああ、と桂は頷く。

「白夜叉という」

 氷砂糖の入った巾着を銀時に手渡そうとしていた坂本の手がその名にギクリとして止まった。

 どちらかというと、ぼんやり気味だった坂本の目が驚愕に見開かれる。

 

 白夜叉……!白夜叉じゃとっ!?

 

 突然固まってしまった坂本に銀時は、なに?というように赤い瞳を瞬かせた。

(し…白…夜叉……)

 言われて見れば、確かに噂に聞いた通り、幽鬼のような全身白い侍だ。

 ただし、噂に聞くような恐ろしげな印象ではなく、かなり可愛らしい。

 珍しい銀髪に、やはり珍しい赤い瞳。

 そして、女にもめったにないような、透き通った白い肌。まだ少年ということもあるのか、身体つきもほっそりして見える。

 坂本は、巾着袋を覗いてから、嬉しそうにコロンと手のひらの上に一塊の氷砂糖を転がす"白夜叉"をマジマジと見つめた。

 いつの頃だったか、白い夜叉の噂が流れ始めたのは。

 戦場で戦う白夜叉を見た者は、一様に、あれは人ではなく鬼のようだったと恐怖を語るという。

 そんな強い侍が、敵ではなく味方であったことを喜ぶべきなのだが。

 噂というものは尾びれがつくので、会ったことがない者には相当に嘘臭いものでしかなかったが。

 坂本も、白夜叉のことは噂にしか聞いたことはなかった。

 なので、目の前で幸せそうに氷砂糖の甘さを堪能している男が白夜叉とはすぐには納得できなかった。

 だいたい、白夜叉のことはいわゆる都市伝説のようにしか考えていなかったのだ。

「白夜叉……」

 思わず口をついて出てしまった名に、銀時はつと眉をひそめた。

「別にその名で呼んでもいいけどさ」

「嫌いかや?」

「それ、俺の名じゃねえし」

「だったら、銀時と呼んでも構わんかや?」

 いいけど、と頷く銀時の手にはしっかり握られた氷砂糖入りの巾着袋。

 つい笑みがこぼれてしまう。

「銀時は甘味好きか。なら、次の物資調達ん時は、団子か饅頭もリストに加えておくかのう」

「マジでか!」

 坂本の言葉に、銀時は目を輝かせた。

「おうよ。マジじゃマジじゃ」

 坂本は笑いながら大きく頷いた。

 坂本は根っからの女好きなので男を可愛いと思ったことはなかったが、この時の銀時はつい目尻が下がるほど可愛く思えた。

 

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