COOL MOON
上空に輝くは、冴え冴えと輝く満月。
雲一つない夜空は無数の星々が瞬き、だがその鮮やかさがはっきりと見えないのは、都会の明るすぎる地上のせいだろう。
勿体ない、と思わずにはいられない。
ふと無辺の空に視線を向ければ、あんなにもキレイなものがあるのに。けれど人間達はそれを忘れ果て、偽りの灯りの中に身を浸している。そうしなければ、そんなに不安なのだろうか。
彼らには不可侵のあの果ての闇。自然の姿、というものが。
もっとも、その領域さえ現在は科学の力で侵されつつあるのだけど。
そもそも人は自分達の頭上をあまり気に留めない。自分達が生きるのに精一杯で、そんなところに目を向ける余裕がない、というのも要因の一つだろう。
ともかく、その夜、真白い翼がス・・・と飛び去ったのを見咎める者は、極々僅かな人間に限られていたのは確かだった。
「毎度毎度お気楽極楽な奴らだな」
鮮やかな動作でハングライダーを操作し、気流に乗りながら、彼は呟いた。
遙か眼下・・・つまり地上では赤灯が道々を行き交っている。あれがパトカーである事は、彼自身嫌というほど理解していた。ここではその音も些か遠いが、きっと地上はけたたましい事だろう。ある意味、騒音である。
そして、それらの直接原因は他ならぬ彼だった。
双でありながら、日夜涙ぐましい努力で(例えそれがカタツムリの歩みのごとく遅々としたものであっても)正義の為に活動している警察の方々をつかめて、お気楽極楽と言ってのけてしむあたりが、彼の性格を表していると言えるだろう。
彼は怪盗である。
ちゃんとした(まあ形式的なもので、つまらないが)犯罪者番号というものもつけられている。もちろん、日本などという島国に留まらず、世界的に立派に通用するものだ。けれどそれはあまにも無味乾燥で、彼としてはどうでも良いものだった。そんなものより通称である名の方が通りも良いし、気に入っているのだ。
そう、『怪盗KID』という名が。
今宵も仕事の帰りだった。
最近は相手をしていてもつまらないので、予告状の暗号も簡潔に分かりやすくして、ショーの時刻に観客達が間に合うように工夫している。
そうでなければ面白くない。せっかくのパフォーマンスもマジックも、これまでに幾度ふいにされた事だろうか。
まあ今夜は招待した観客達も間に合ったようで、十分のショーを展開させた後、目的の得物をいただいて、こうして帰路についたわけであるが。
「・・・・あれは」
見当違いの方向に追跡のパトカーを回している警察を尻目に、悠然と空中散歩を決め込んでいたKIDは、眼下のとあるビルの屋上に立つ人影を目ざとく見つけ、瞳を眇めた。
そこにいたのは、最高レベルの観客。
「これは素通りしちゃ失礼だよなv」
どうしてかは解らないが、不意に月が見たくなった。だけれど自宅では周囲の家屋に邪魔されて、月見には不適当。だから、夜間にも出入りの出来るこのビルの屋上へと足を運んだのだ。
現在の自分にとって、その行為が危険を呼ぶ事は十二分に承知していたが、それでも。
呼吸困難に陥りそうな息苦しい日々から、逃れたかったのかもしれない。
せめて今夜だけでも。
だから月に導かれてここを訪れた。もちろん、別に他意はありはしなかったのだけど。
「・・・これはこれは、このようなわびしい場所に麗しいお方が独りきりとは」
鳥の羽音のも似た音がしたと思った途端、それはそこに降り立っていた。
それが誰かは、既に分かっていた。分かりたくなくとも、そのキザな言い回しはあまりにも特徴的過ぎて、さらりと口にしてのけるような面の皮の厚い知り合いは一人しか思いつかない。
ふ・・・と、呆れ混じりの吐息をついて、工藤新一は声がした方へと向き直る。
「それとも、私を待っていてくださったのですか?」
「・・・誰もてめーなんか待っちゃいねえよ。妙な勘違いすんな」
そうでしたら凄く嬉しいのですが、と綴る怪盗の言葉を、速攻で否定する新一だ。 ビル風が彼の漆黒の髪をなびかせる。月光を受けて、ともすれば蒼さえ滲ませる双眸が、突然の邪魔者をただ物憂げに見据える。この男の対処に困っているわけではない。そうではなく、決して気を抜いて対峙出来ない・・・つまりは思考をフル回転させて相手をしなければならないという厄介さが、新一には面倒だった。
本末転倒もいいところだ。
独りになりたくて、何も考えたくなくてここに来た筈なのに。
それを、怪盗が邪魔をする。そうなったら、自分は探偵になるしかない。犯罪を暴き、真実を追究することを優先してしまう自分が、新一はイヤだった。
「相変わらずつれない方だ・・・」
反応が何時もと違うな、と思いながらもKIDは大仰な身振りで呟き肩を落とす。
なんか面白み半減だなあ。
随分とナーバスになっちゃって・・・ま、その憂い顔も干渉の価値ありだけどなv
白い顔と少しキツイ印象の双眸は、KIDのお気に入りだった。もちろん外見だけではなく、そのへんのぼんくらな警察官などよりも格段にキレる頭脳も同様である。多分、KIDの『言葉』を本当に理解出来るのは眼前の名探偵だけだ。
だからこんなにも固執するのだろうけど。
ではなければ、逃走途中にわざわざ彼の前に現れたりはしない。それが危険な事だと一番理解しているのもまたKID自身なのだから。
「そもそも、今夜が予告の日だっての、てめーが姿現すまで忘れてたんだよ。ここに来たのだって偶然なんだし・・・・」
探偵としては間抜けた事だが、これは事実だった。
若干違う点と言えば、正確には地上で小煩くく行き交うパトカーのサイレン音で思い出したという事だろうが、そんなものたいした違いにもなりはしない。
そう言うと、KIDはわざとらしく悲しそうな表情を作り、
「私にはもはや興味はありませんか?」
などと言ってのける。
「・・・・・だと言ったらどうする」
無表情に相手をためす新一の言葉に、そしてKIDの行動は迅速だった。
ふわり、とビルの縁に飛び上がったのだ。
鉄柵も何もないそこは、足を踏み外せば真っさかさまに地上へと失墜するデッドライン。
「哀しみのあまりに、この生命さえ砕けてしまうでしょう。貴方に見捨てられるくらいならばいっそ、夜露と消えた方が幸せというもの・・・」
「どうせハングライダー仕込んでるんだろうが。くだらねえ茶番かましてんじゃねえよっ」
マジックを得意とする怪盗ならば、そのくらいは造作もないだろう。
それはこれまでにも何度か目撃した手口だ。
「疑いますか?この私の真実を・・・」
現実と虚構の狭間に身を置く怪盗が投げかける言葉に、新一は息を飲んだ。
嘘だ、と心の何処かで呟く。どうせ何かのトリックを使うに決まっている。人をだますのは、この怪盗の得意とするところじゃないか、と。
けれど、どくん、と心臓が騒ぎ出す。
騙されるんじゃねえよ!
・・・だけどもし。
もし本気だったとしたら。
嘘も偽りも、そこにはないのだとしたら。
「・・・・・あ」
目を見開いた新一に、モノクルの向こうの瞳が微笑む。
「私の愛する名探偵。この身でもって、貴方への想いを証明してみせましょう」
強いビル風にマントがはためく。
そしてその身体が、不意に傾いだ。
「〜〜キッド・・・・ッッ!」
立ち尽くす、新一の眼前で。
鳥は悲しげに羽ばたいた。
優美な翼を持った鳥が羽ばたく。
純白のマントと装束がふわり、と闇空に舞おうとするのを、新一は驚愕と共に視界に映した。まさか、そんな筈がない。どうせこれはハッタリで、得意のマジックで自分を騙そうとしているのだと理性では思いつつも、身体が反射的に動いていた。
「〜〜キッド・・・!」
叫びが口をついて出る。
落下の衝撃はけれど訪れず。宙を舞うかと思われた身体は、その寸前でまだ地上の一部である屋上に留まっていた。
そればかりか。
「嬉しいですよ、名探偵。貴方自ら、私の腕の中に飛び込んできてくださるとは・・・」 くっくっとした笑い声と共に、耳元で囁かれる熱っぽい声。それが何処かうっとりしているように聞こえるのは、新一の錯覚ではないだろう。
ビルから身を投げ出すかと思われたキッドを、止める為に伸ばされた筈の手。
だが捕らわれたのは新一の方だった。怪盗の純白のマントに柔らかく包まれた自身に気づいた刹那、思わず愕然とする。
「腐ったセリフ吐いてねーでさっさと退きやがれっっ」
うんざりとした表情で命じる新一だが、それを言うには相手が悪すぎた。
「ご冗談を。せっかくこうして間近で貴方の顔を見ていられる機会を私が逃すとお思いですか?」
嬉しげな笑みを湛えるキッドの本心の、何処までが真実なのか。それを見定めようとする新一の探偵そのものの怜悧さを宿した眼差しに、それでこそ工藤新一だと怪盗は満足する。
やっぱりキレイだよな・・・
男にしておくには惜しい容貌は、鏡に見慣れたものである筈なのに、どうしてこうも印象が違うのだろう。
男として完成されていない身体は、かつての薬の影響でか未発達なままに、成長さえも止めてしまっているように感じられた。元々骨格自体が同年代の少年たちとは違うのだろう。線の細い造りが、こうして抱いてみれば衣服越しにでもわかった。 もちろん、それはそれで新一には相応しいのだが。
「分かりますか、名探偵。こうしているだけで貴方の体温が私に伝わってくる。濡れた吐息も、少し早い鼓動も・・・」
新一の手を取り、自らの左胸にそっと押し当てると、腕の中の存在が微かに震える。
「同様に私の鼓動も早くなっているのがわかりますか・・・?」
「ーキッド・・・」
「それもこれも全ては貴方のせいですよ。罪作りな、私の名探偵」
甘い囁きは、悩殺ものの威力を秘めていたが、生憎新一は女ではなく男だった。
マジかよ、こいつ・・・っっ
演技なのか元々の素質なのか、キザったらしい言い回しのセリフに、背筋にぞわぞわとしたものが走る。何が嫌と言って男に告白される事ほど嫌なことはない新一は、過去に数えきれないくらいそういう目に遭っていた。
両親が有名人と言うこともあって、必然的に普通の子供と同列ではいられない彼は、金目当てに誘拐されかけた事もあれば、乱暴されそうになった事もある。取り敢えず全て未遂に終わってはいたが、それらの出来事が心に許し難い事実として刻まれたのも確か。
そして現在、もっと最重要指定の危険人物が、怪盗キッドなのだった。
その認識は間違いなかったようだと、新一は内心考える。が、それよりも優先しなければならないのは、いかにしてこの変態怪盗を追っ払うか、という事で。
「〜〜いい加減に放しやがれっっそういうセリフは、おめーの事がだーい好きな警察の連中にでも言ってろ。勝手に俺を巻き込むな・・・!」
「私の事が嫌いですか」
「嫌いに決まってるだろ、このド変態・・・っっ」
キッと睨みつけると、キッドは一瞬悲しそうな表情を造った。
騙されるものか、と身構える新一に、ゆるゆると首を振り嘆息を一つ。
その美しい唇からそのような言葉が零れるとは。
溢れる吐息は宝石のようだというのに、何故自らを貶める言葉を紡ぐのか。
そんな物言いは貴方には似つかわしくない、と嘆く怪盗の大袈裟な言葉に、それを聞かされる新一は鳥肌を立てながら耐えるしかない。
拷問と言えば拷問。
それにしては、二人を包み込む空気は、甘ったるいものだったが。
何を思ったのか、ふとキッドが上空を見上げた。
東京の決して最高とは言い難い、それでも美しい夜空に輝く満月。だが月の女神は今にも雲に隠れそうで、怪盗はそれに瞳を眇める。
「・・・できる事ならずっとこうして貴方を抱いていたかったのですが、残念ながらタイムリミットのようだ。ダイアナが私を急かしている」
ふわり、とマントが翻り、新一は甘い牢獄から解放された。
不意の体温の消失が、何処か寂しい。ビル風が冷たく吹き付けるのを唐突に認識し、無意識に身体に手を回す。
「とっとと帰りやがれ、バカ怪盗」
罵倒である筈の言葉が甘く感じられるのは、果たして気のせいだろうか。
それを知ってか知らずか、キッドは微笑みを唇に湛え、
「本当につれない方だ。ですが、私は諦めませんよ、名探偵」
決意も熱く語る口調は、新一には理解不能の覚悟を秘める。
「満月はお気をつけなさい。今夜のように隙だらけでいられたら、私も自分を抑えようがない」
「そんなん、俺の勝手・・・・・ッ!」
キッドの忠告に気色ばむ新一の身体が、硬直した。
何時の間に接近したのか、視界一杯に白が広がったかと思った途端、唇に落とされた柔らかな温もり。時間としては、数秒にも満たない間。呆然とする新一が我に返ったのは、キッドが今まさに羽ばたこうとした瞬間だった。
「キッド、てめえ〜〜っっ」
「怪盗の心からの誓約です。私は必ず、貴方を手に入れて見せる。覚えておいてくださいね、名探偵vv」
恋した宝石は必ず落とすのが、怪盗キッドの信条。
相手が手強ければ手強いほどアタックのしがいがあるというもの。ましてやその相手が名探偵ともなれば、俄然燃え上がるのも当然というものだろう。
これからの事を思えば、鼓動が跳ね上がる。
こんな興奮は、誰にも抱けない。
多分、どんなビッグジュエルよりも魅力的な、至高のエモノ。
「それでは次の満月の夜にお会いしましょう。その日まで、もう少し私の想いを理解しておいてくださいね」
「するか、バカヤローっっ!」
ばさりと貪欲な鳥が月に促されて夜空に羽ばたく。ハングライダーを操縦する手付きも鮮やかに、制御の難しいビル間の気流に乗って消えていく怪盗。震える叫び声を投げつけた新一は、やがて彼の気配がすっかり消え去ったのを確認すると、ふ・・と吐息をついた。
「なんなんだ、アイツは・・・」
予期せぬ出会い。
キッドの犯行予告が、まったく頭になかったと言えば嘘になるが、それにしても。
立派な男を捕まえて、よくも恥ずかしげもなくあんなセリフを吐ける。
それを聞き流せない自分も結構翻弄されているなと思うのは、ここが現場ではないからだ。ここにいた自分が、探偵ではなかったから。
「俺がてめーなんぞにつかまるわけねーだろ。その、逆だ」
怪盗を捕まえるのは探偵の領分。
次に見えるときは、自分達に相応しい舞台で。そこに待っているのは、ゾクゾクするような高等の駆け引き。思い描くだけで心が高揚する。それはあの怪盗も同じ筈だと思うから。
「ー・・・待ち遠しいな。次の満月が」
独りごちる唇に落ちた柔らかな感触を思い出すように、そっと指先が押し当てられた。
有り難う蒼堂さんvvいやあ、ホントに頂けるとは!とってもとっても幸せです(^^)
キザで優雅な怪盗キッド。素晴らしいですよ。できれば次の満月の夜のことも書いて欲しいなあv蒼堂さんの書くものって、どれもドキドキするくらい好きなんです。
良かった〜コナンに転んでくれて。で、カップリングも一緒なのね?蒼堂さんv
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