パスタ店の入り口が見える席に座った彼女は、コーヒーを頼んでからずっとガラスの向こうを見つめた。 白いスーツを着た憂い顔の美人に、客たちの視線がチラチラと集まる。 外を気にしている彼女を見て、いったい誰を待っているのだろうという好奇心が湧く。 恋人だろうか? しかし、そんな関心など知らぬげに須貝美夕はじっと少年が入った店の入り口を見つめていた。 警視庁であの少年を見た時、本当に驚いた。 ついさっき会っていた黒羽快斗にそっくりだったからだ。 瓜二つと言っていいほどよく似た二人。 名前はすぐにわかった。 工藤新一。 まだ高校生だが、警視庁では優れた推理力と行動力に一目も二目もおかれている名探偵。 以前はマスコミにもよく登場したということだが、美夕は知らなかった。 まあ、都会を離れひっそりと田舎の別荘で暮らしていた彼女であるから無理ないことであるが。 ただ、その名前は何度か白馬探から聞いたことがあった。 最初は日本に戻ってきた途端比べられて不愉快な思いをしたと言っていたが、次にはその探偵としての能力に感嘆したと彼は言っていた。 確かに事件において民間人の推理を頼みにするなど警視庁では考えられないことだが、それを可能にしてしまうほど工藤新一という少年は優秀なのだろう。 その少年が黒羽快斗という高校生にそっくりな顔をしている。 身長も体型も似ているとなれば、簡単にすりかわることができるに違いない。 髪型くらいは変えられるし、互いをよく知る間柄であれば性格や癖とかもごまかしがきくだろう。 しかし、何故工藤新一が身代わりなどしたのだろう? 美夕はあの夜のことで気になっていたことを一つ一つ思い出してみる。 紅子と一緒に自分にお祝いの言葉を告げたのは黒羽快斗ではない。 あの時、彼女はその少年と握手をかわしている。 彼は黒羽快斗ではなかった。 あれから一度もすりかわっていなければ、礼司がいた部屋を見たのは黒羽快斗ではない。 じゃあ、本物の黒羽快斗はどこにいたのだ? あの夜・・・もう一人訪問者がいた。 純白のシルクハットに白のスーツを着た怪盗。 そういえば、彼はどことなく黒羽快斗に似ていると感じなかったか? そんな子供を礼司が選んだとは思えず、自分はすぐに否定してしまったが。 もしあの怪盗が本物の黒羽快斗であるならば、彼の身近にいた人物がミステリアスブルーだという可能性は極めて高い。 実際、一瞬のことだったが、見上げてきた少年の瞳が青く光るのを彼女は目撃している。 ミステリアスブルーと呼ばれる人間の瞳は、礼司がある秘密をひそめさせたために、月の光により蒼の輝きを帯びるのだ。 そして、礼司がミステリアスブルーを守らせるために選んだ3人の守護宝石。 日本警察を翻弄する白い怪盗”KID”もその守護宝石の一人だ。 そして、日本警察の救世主とも呼ばれている高校生探偵が”ミステリアスブルー”なのか? 普通なら考えられない関係だが。 (本当は、わたしがなる筈だった・・・) 白(ハク)のミユウと呼ばれた時、自分は礼司に選ばれ彼のためにミステリアスブルーを守るのだと信じていた。 なのに、何故急に変わってしまったのか。 わたしが女だから? わたしにはそれだけの力がないと思ったの?礼司。 ・・・・・・幸せに・・・ 嫌よ。絶対に嫌。 これまでずっと信じてきたことを、こんなに簡単に終わらせることなんて出来ない!
美夕は店から出てきた二人を見ると、レシートを取り、結局口をつけることのなかったコーヒーを残したまま席を立った。 食事を終え、パスタ店くぉ出た二人は、そのまま並んで歩くことになった。 こっそり警護する筈が一緒に歩いているのだから、高木刑事もなんとやらの心境である。 まあ家mで無事に送り届けるという任務であるから、こっそりであろうと堂々とであろうと別に構わないのだが。 後で千葉刑事も来ることになっているし。 (結局、料理の殆どを食べたのは僕だもんなあ・・・) 小学生でももっと食べるんじゃないかと思うくらい、新一は小食だ。 そういえば・・と新一の横顔を見てふと思い出すのは、ある小学生のことだった。 小さくて可愛らしい顔立ちの子供なのに、大人顔負けの推理力と行動力を持った子供。 何度あの子供に助けられたことか。 どうしてるかなあ、コナンくん。 この前、同じ小学校に通っていてコナンくんと少年探偵団を結成している子供たちに会ったが、彼らの話によるとコナンくんは今、海外にいる両親のもとにいっていていないということだった。 最近、月に一度くらいはそういうことがあるらしい。 いつかは海外にいる両親のもとで暮らすことになるのだろうか。 そうなったら、もうあの子に会うこともなくなるのかなあ・・・ そう考えると、ちょっと寂しい気分になる。 「あ、あれ?」 ポツンと顔に当たった水滴に高木は顔を上げる。 暗くなっていたので気がつかなかったが、いつのまにか雲が広がっている。 「うわっ、今日雨が降るって言ってたっけ!」 「ああ、そういえば、所によってにわか雨が降るとか言ってましたね」 つまり、このあたりがその”所”に当たっていたわけだ。 「タクシーを捕まえてこようか」 「いいですよ。どうせ通り雨だからすぐにやむでしょうし。ほら、むこうの空は雲がないですよ」 「でも、雨で風邪を引いたら大変だし・・・あっちの通りにコンビニがあったから傘を買ってくるよ」 ちょっと待ってて!と高木刑事は走っていった。 新一は、フッと笑みを含んだ吐息を漏らす。 「本当に変わらないな、高木刑事」 彼とのかかわりは、新一の時よりコナンの方が多かったかもしれない。 小さな子供の意見をいつも真剣に聞いてくれた彼。 できればずっと変わらないでいて欲しい。 新一は暗い空を見上げる。 オレは・・・変わってしまったかもしれないけど。 雨はまだ小雨程度の降りだったが、既に髪は濡れてビルの間を通り過ぎる車のライトで黒く光っていた。 高木刑事が戻るまで、どこかで雨宿りした方がいいだろうかと新一が思ったその時だった。 ふいに背後に嫌な気配を感じ彼は振り向いた。 と、いつのまにかすぐ後ろに立っていた男から自分に向けて何かが振り下ろされる。 「・・・・・・!」 新一は反射的に身をかわしたが、濡れたアスファルトに靴底がすべり男が振り下ろしたスパナで肩を強打された。 痛みに顔をしかめたが、それでも倒れないよう足を踏ん張る。 ここで倒れてしまったら今度はかわせない。 「井村!」 「やあ探偵さん。久しぶりだね」 男はニヤリと笑って自分を睨む少年の顔を見つめた。 男はつい先ほど目暮警部から聞いて注意を受けた、脱獄犯の井村だった。 バカなことを・・・と新一が言うと、井村はふんと鼻で笑う。 「もう、俺はどうなっても構わねえんだよ。死刑にしたけりゃしたっていいんだ。けど、心残りって奴はどうしようもなくってな」 「おまえの心残りってぇのは、おまえに追い回されて悩んでいた彼女や、おまえの邪魔をしたオレへの逆恨みか」 「逆恨み?冗談じゃねえ!悪いのは俺をバカにしたおまえらだ!」 男はそういうと、持っていたスパナでまた新一に襲い掛かった。 新一は雨に滑りながらもそれをかわす。 足場の悪さという条件が同じなら、襲う相手も当然ふんばりがきかない。 新一は相手のふらついた隙をついて、スパナを持った手を蹴り上げた。 男の手からスパナが飛び、空中でクルクルと回転しながら大きな音をたてアスファルトの上に転がった。 男も雨に滑っていきおい尻餅をつく。 「誰もおまえをバカにしちゃいない。少なくとも友人や職場まで失った彼女は、おまえに怯えていた」 「・・・・・・・」 尻餅をついたままうつむく井村に新一がそう言った時、コンビニで傘を買った高木刑事が状況に気づき駆け寄ってきた。 「工藤くん!」 ふ・・と新一がそちらに気が行くと、井村はそれを狙っていたかのようにポケットからナイフを出し、新一に飛びかかった。 唐突な攻撃にかわしきれないと感じたその瞬間、目の前に白い姿が立った。 キッド? 新一は一瞬自分を庇ったのはキッドかと思った。 だが、それはキッドではなかった。 白いスーツを着た女性。 彼女は自らの身体でナイフを受け止めると、相手の手を掴み上げた。 骨が砕けるような音と共に、井村の口から凄まじい絶叫が迸る。 「彼を傷つけるものは絶対に許さないわ」 ほっそりした女性の、どこにそれほどの力があるのかと思えるほど容赦のない力が井村に向けられる。 腕の骨を砕いた反対の手が、今度は井村の首めがけて手刀を打った。 ゴキッと鈍い音がして、井村は濡れたアスファルトの上に崩れるようにして倒れた。 新一はほっそりした白い背中を茫然と見つめた。 顔は見えない。 だが、彼女の声には聞き覚えがあった。 「あなたは・・・・」 新一が声をかけると、その白いスーツの女性はガクリとひざを折ってその場にくず折れた。 新一はとっさに彼女の身体を支えたが、その時になって初めて腹部にナイフが突き刺さっていることに気づいた。 「美夕さん!」 ナイフが刺さったままなので出血はそれほどではないが、それでも白いスーツは血で赤く染まっていた。 「高木刑事!救急車を!」 「わ、わかった!」 高木刑事はすぐに携帯電話を出し救急車を呼んだ。 その後、警視庁の目暮警部にこの次第を連絡する。 新一は、とにかくこれ以上出血しないように応急処置をした。 ハンカチを当てて傷口を押さえる。 美夕は新一の手を握ると微笑んだ。 「やはりあなただった・・・・」 え?と新一は彼女の言葉に瞳を瞬かせる。 「紅子さんと一緒に来たのは、あなたでしょう?」 「いったいなんの・・・・」 美夕はクスッと笑う。 「わたしの名前を知っていて、とぼけるのはなしよ」 「・・・・・・・」 「わたしね・・・4才の時から十年間、病気で視力を失っていたの。そのせいもあって、一度触れた手の持ち主をずっと覚えていて間違えることはないのよ」 新一は眉をひそめ、この場では部外者となる高木刑事の様子を確かめた。 高木刑事は失神した井村の様子を引きつった表情で見ていた。 そりゃあ砕かれた腕や、脱臼した首を見ればゾッとするだろう。 しかも、それをやったのはほっそりした女性で、しかもナイフで刺され傷ついていたのだから。 「あなたは、いったい誰なんですか?」 彼から聞いてなかった?と美夕は苦笑を浮かべる。 「わたしは白(ハク)のミユウ・・・ミステリアスブルーを守る守護宝石の一人になるはずだった人間よ」
目が見えなくて、人とのかかわりに臆病になっていたわたしに希望をくれたのが三雲礼司だった。 手術でやっと見えるようになったわたしに、彼はいろんなことを教えてくれた。 知識やそして身を守るすべを・・・・・ 彼はわたしの才能を認めてくれて、ある日、白のミユウと呼んでわたしにある秘密を打ち明けてくれた。 わたしは、彼のためならどんなことでもしたかった。 守護宝石の一人となって、ミステリアスブルーを守れば、ずっと彼のそばにいられると信じていたから。 でも・・・結局礼司が選んだのはわたしではなかった。 礼司に恋をしていたわけじゃないと思う。 でも・・・わたしにはとても大事な人だったの・・・・・
とてもとても・・・大切な人だったのよ。
「工藤くん、彼女の身内は?」 高木刑事が病院の廊下でぼんやり立っている新一に尋ねる。 「あ・・ああ・・・ボクが連絡します」 「教えてくれたら僕がするよ。君はまだ肩の治療をしてもらってないんだろ?」 「大丈夫です。たいしたことありませんから」 新一は、引き止める高木刑事に首を振ると、電話のある病院の待合室の方へと歩いていった。
外来の診察室はとうに過ぎていたので待合室は人気がなく薄暗かった。 そんな静まり返った待合室で一人ポツンと立っている少年に気づいた新一が足を止める。 「新一・・・・」 「・・・・・」 新一は、その場に突っ立ったまま無言で黒羽快斗の顔を見つめた。 いつも・・・いつも快斗は何も知らせないのに自分のそばに来てくれる。 守ってもらいたいなんて思ったことは一度だってなかった。 でも、そばにいて欲しいと思ったことは何度もある。 新一の頬に涙が一筋流れ落ちる。 「快斗・・・おまえもそうなのか?」 おまえも、ミステリアスブルーを守るために自分の命を捨てるのか? 快斗は新一の前まで歩いてくると、そっと彼の頭に手を回し自分の方に引き寄せた。 「オレは死なないよ、新一。おまえを守ってそしてオレも生きる。オレって欲張りだからさあ。好きな奴と一緒に幸せな人生を送りたいじゃん」 なあ、新一・・・・一緒に生きていこうな? 「・・・・・・・・」 快斗の胸に顔をうずめた新一は静かに涙を流す。 めったに泣くことのない新一が、自分のために失った命と、もしかしたらまた同じように失ってしまうかもしれない命のために泣いた。
終 |