闇の中〈その瞳に映るのは〉


 最初のメッセージが届いたのは、朝カバンを抱えて家を出る時だった。

 突然携帯が鳴ったので、すわっ事件か!?とつい身構えたが、取り出してみるとメール着信の表示。

 でもって、発信した相手は予想外の人物。

(おいおい・・オレ、まだ番号教えてねえぞ?どうやって知ったんだ、あんにゃろう)

 まあ、あいつなら・・と納得しないでもないが面白くないのも事実。

 別に秘密にしておくつもりはなかったが、あいつから携帯電話に連絡が入るなんてことは考えもしなかったから。

 だいたい、あいつの携帯の番号だってオレは知らないし。

「で、なんだよ、コレは?」

『白の魔術師から麗しのミステリアスブルーへ。

 魅惑のダイアナの矢が地上に届く時

 風使いが御身の前に現れん』

「ふうん・・で、これが単なる逢い引きのメッセージだとかだったら怒るぞ、オレ?」

 工藤新一はメールに眉をひそめながらそう呟くと、無造作に携帯を制服のポケットに押し込み門を閉めた。

 

 

 港を見下ろせるビルの屋上で白いマントが風になびく。

 つい先ほど太陽が海の向こうに沈んでいくのを見送った白い怪盗は、夜の闇がせまる中で小さく息を吐きだした。 

「まずったなあ・・・やっぱ、そう簡単にはいかないか」

 今夜、あの麗しの姫君にいい知らせを届けられるかと思ったのだが、やはりあの男の方が一枚上手だというか・・・

 オレだって、一応天才と言われてんだけどな、と白い怪盗は珍しくグチを口にする。

 しかし、あの男は天才という他に変人という名称もつけられているのだから追うのは至難のわざだ。黒の組織力をもってしても捕まらないという至極やっかいな人物。

 チッ・・出直すしかないか。

 ここで待っていても、もうあの男の情報は得られないだろう。

 白い怪盗は諦めて、その身を天空へ躍らせようとしたその時、突然鋭い痛みが右肩を貫いた。

 なっ・・・!

 そのまま前に倒れ込めば、フェンスのない屋上から地上に真っ逆さまに落下したろうが、キッドは衝撃に耐えて身を捻らせた。

 倒れ込んだのは、冷たい石の上。

 彼の肩を貫いたのは一発の銃弾だった。

 気配を全く感じさせず銃声まで消して正確に弾丸を撃ち込んだ男は、足音一つたてずに、倒れ込んだキッドの前に立った。

 濃紺のトレンチコートを身につけた長身の男。

 確実に殺せる位置にいながらわざと急所をはずし、純白の衣装を赤く血に染めた犠牲者を冷ややかに見下ろすその瞳は、くすんだ灰白色。

「ア・・ッシュ・・・!?」

 傷ついた肩を掌で押さえながら、キッドは上半身を起こして現れた男を睨む。

 闇の世界でトップクラスに位置づけられているスナイパー。

 暗号名《アッシュ》

 一時、キッドはこの最悪とも言える殺し屋の標的となっていたことがあった。

「また・・・オレを殺せという依頼を受けた・・・のか?」

 いや、とキッドを見下ろす端正な顔に冷たい笑みが浮かぶ。

「残念ながら標的はおまえじゃない。たまたまおまえの姿を見つけ、つい遊んでみたくなっただけだ」

 たまたま?冗談じゃねえ・・・!

 こんな奴にたまたま遊ばれちゃ、命がいくつあっても足りないぜ・・・っ!

「・・・・殺し屋が依頼された仕事もしないで遊ぶ気かよ?」

 キッドが顔をしかめて毒づくと、アッシュはクスッと笑った。

 男性トップモデルにもなれるだろう完璧なプロポーションと整った顔立ち。

 年齢不詳だが、見た印象からすれば30代前半。

 西洋人と東洋人の両方の血を引いているようだが、いったいどこの国の人間なのかその顔立ちを見てもさっぱりわからない。

 あいつは殺し屋という素性以上に危険な存在だ、と彼に言ったのは工藤新一だった。どんな敵であろうと一歩もひかないあの新一が、初めてコワイと言った男。

「あいにく、今回の標的が現れなかったんでね。そのかわりにおまえが現れたんでちょっと楽しんでみたくなったのさ」 

「・・・・・・」

 現れなかった標的・・・場所と時間の一致・・・

 まさか、とキッドはあって欲しくない想像に眉根を寄せる。

 と、ふいに男の強い手がキッドの胸ぐらをつかみ、ぐいっと自分の方に引き寄せた。

 乱暴な行為に激痛が走り抜け、キッドは顔をしかめた。

 血は今も白い布を赤く染め続けている。

 激痛に顔をしかめても苦痛の声をもらさないキッドに、殺し屋である男は薄く笑みを漏らした。強い人間には興味をそそられる。それが、たとえまだほんの子供でも。

「相変わらず綺麗な顔をしてるな」

 世界にその名を知られる怪盗キッドを標的にするのは楽しかった。

 それが、まだ十代の子供だとわかった時も、男は拍子抜けするようなことはなかった。

「次に依頼を受けたら、今度こそ確実に殺してやるよ。こんな痛みなど一切感じさせないでな」

「・・・・・・・」

 酷薄な笑みを浮かべたアッシュの薄い唇が、ゆっくりとまだ幼さの残るキッドの唇に重なった。

 その冷たい唇と、苦手な煙草の匂いにキッドはきつく眉をしかめた。

 

 

 クラスメート数人と学校の帰りに立ち寄ったファーストフードの店で、新一はテスト用のノートを回したり、ダベったりして久しぶりの学生気分を味わっていた。

 つい数週間前まではランドセルを背負って小学校に通っていた身だったというのがまるで嘘のような気がする。

 とはいえ、完全に戻ったわけではなかったが。

 灰原が偶然作り出した薬は新一の身体を完全に幼児へと退行させ、その状態を遺伝子が正常なものとして記録してしまったために、もとに戻すという行為自体が異常だということになってしまったのだ。

 だが、新一は大きなリスクを背負うのを承知で賭に出た。

 もう一度薬を使って17才の身体に戻る。そして、それが正常な状態であることを遺伝子に再度記録させようというのだが。

 一つの身体が繰り返しコナンと新一に変化し、そしてどちらが正常な状態であるか判断されればその身体で固定される。

 それが新一であればもとの生活に戻れるが、コナンであれば17年間生きてきた工藤新一という人間が永久にこの世から消えることになるのだ。

 何度繰り返されるのか、何年続くのか、それは灰原にもわからないという。

『苦しいわよ。これまでとは比べものにならないくらい。

肉体的にも、そして精神的にも』

 それでも、あの状態のままでいることは新一には許せなかった。

 たとえ確率は低いものであっても、可能性があるなら賭に出ることにためらいなどあろう筈はなかった。

「で、どうする、工藤?オレの行ってる予備校に顔だしてみるか?」

「う〜んそうだなあ。結構遅れちまってるからな。一人でやるにも限界あるし」

「おまえだったらすぐ追いつくって。そこ、わりといい教師揃えてっからさあ。大学行くんだろ、おまえ?」

「そのつもり。やっぱ、専門的に学ぶなら大学に行った方がいいもんな」

「おまえなら、ちょっと勉強したらハーバードでも行けんじゃねえ?おまえ、英語ペラペラだし」

「ハーバードかあ。いいけど、行くならオレはケンブリッジだな」

 新一が言うと夢や冗談に聞こえないから友人たちは何も言えなくなる。

 出来が違うのはわかっているし、といってそれを羨み嫉妬する気にならないのは工藤新一の持つ魅力だろう。

「ところでさあ、工藤。おまえ、なんでオレンジジュースなんだ?おまえって、甘党だっけ?」

 友人の一人がふと気になっていたことを口にする。

 それに対し新一は、ストローをくわえたまま軽く肩をすくめた。

「・・・ほんの気まぐれ。気にすんな」

 ついこの間まで甘いジュースが当たり前だった。

 で、味覚や好みが変わったかというとそうでもないのだが。

 ただ、つい注文してしまい訂正するのが面倒だっただけだ。

「アレ?携帯鳴ってるぜ?」

 着メロではない小さな機械音。

 工藤は制服のブレザーの内ポケットから自分の携帯を取り出した。

「なんだよ、工藤。おまえ、着メロやってねえの?」

「買ったばっかりだし、好みの曲もねえんだよ」

「え〜っ。ユキちゃんの曲なんかサイコーじゃん!」

「クッキーだっていいぜえv」

「オレのは、あゆの新曲だぜえ」

 わいわいと着メロで盛り上がりだした友人たちを横に置いといて新一は携帯を耳にあてた。

「はい?」

 新一が出ると、クスッと小さな笑い声が忍び出る。

『残念。ダイアナは今夜はお出ましにならないようですね』

 キッド?

 クスクスという笑い声。

 新一は眉をひそめ、暗くなった外を見た。しかし店の中からでは月がでているのかどうかは確かめられない。

「今朝のメール、おまえだろ?どうやって知ったんだよ、番号」

『秘密です。マジックもタネをあかしたら、つまらないでしょう?』

 耳につく笑い声。いったい何が楽しいんだか。

「いいけどさあ。で、なんの用だったんだ?」

『それはいずれまた。ダイアナのご機嫌がよろしい時に』

 電話はそれだけで切れた。

 その唐突な切れ方に新一は、思わずおいキッド!と叫びそうになった。

 しかし、学校の友人たちがいる前でその名を口にするわけにはいかないので急いで口をつぐむ。・・・ったく、なんだというのか。

 まあ、わけのわからない行動は、奴の場合珍しいことではないのだが。

 少々気にはなったが、こちらから電話で確かめることもできないので新一は携帯をもとに戻した。

 それから30分ほど店にいてから新一は友人たちと一緒に外へ出た。

 そして、ふと見上げた夜空に半分だけ姿を見せている月を見つけた時、急にわけのわからない不安を覚えた。

 薄い雲はかかっているが月を隠すほどのものではない。

 なのに、何故キッドはダイアナは姿を見せていないと言ったんだ?

 友人たちと別れた新一はすぐに携帯を手に取った。

「あ、灰原か?ん・・・まだ外。それよりおまえ、以前キッドのパソコンに侵入したことがあったよな?ちょっと調べてみてくんねえか。そう、今すぐ!緊急!」

 5分ほどたってから新一の携帯に哀からの返事が入った。

『工藤くん?なんとか入れたわよ。少々ヤバかったけど。驚いたわ。彼、ドクター三雲を追っていたのね。もしかして、あなたも?』

「まあな。で?」

『一番近い足跡があったわ。多分、これは今日のことね。場所もすごく近いわ。ドクター三雲が日本にいたなんて意外だったわ』

 てっきり外国に身を隠しているとばかり思っていたのだ。

 黒の組織が現在最もその行方を知りたがっているのは、ドクター三雲だろう。

 世界でも有数のその頭脳は組織にはなくてはならない存在。

 どうやら偶然に工藤新一はかかわってしまったようだが。

 怪盗キッドも?

『あなたたち、いったいどういう関係になったの?』

「互いに三雲礼司と繋がる微妙な関係・・・かな。事情はいづれ話すよ。おまえの協力もそのうち必要になるだろうし」

『さらに深みにはまってしまったようね、工藤くん。何故、回避しようとしないの?自分からわざわざ危険な場所へ向かうなど愚か者のする事よ』

「逃げてばかりいたら物事は何も解決しねえだろが。それより灰原、場所はどこだ?」

 哀は諦めたように溜息を一つつくと、残されていたデータから得た場所を新一に詳しく伝えた。

 

 

 哀から聞いた場所は港の西側、輸入業者が事務所を構えているビルと倉庫が連なっている一角だった。

 まだ8時を少し回った所だったが、ビルに灯りはなく、人気もなくてシンと静まり返っていた。

 新一は僅かな灯りを頼りにビルの非常階段を上っていく。

 屋上にも人の気配はない。

(いない・・か)

 ま、ここに目的の人物がいるとは初めから考えてはいなかったが。ただ、何か手がかりが残されていないかと思ってきたのだ。

 新一はカバンを小脇に抱えたまま腕時計のライトで暗い屋上を照らした。

 それほど広い屋上ではない。ぐるりと、フェンスのない屋上を小さな灯りで照らすとそれはすぐに新一の目に入った。

「血痕・・!?」

 屋上の床に真新しい血が染みをつくっているのを見た新一は、眉間に険しい皺を作り、ゆっくりと顔を上げた。

 月の光を受けた新一の瞳が、蒼い輝きを帯びる。

 

 

 

 身体がずれたせいで麻痺していた筈の痛みがぶりかえし、キッドは意識を取り戻した。また傷口から出血し始めたようだ。

 意識は戻ったものの、貧血のためか頭がボォっとしていてはっきりしない。

 アッシュに撃たれた後、キッドは倉庫の一つに放置された。

 確かに殺すつもりはなかったようだが、しかしこのままの状態で放っておかれればいずれは失血死だ。

 死ぬなよ、とアッシュは笑って背を向けたが、もしこのまま自分が死ねば奴はどんな顔をするだろうか。

 軽蔑か、失望か。

 どっちでもいいが、やっぱ今は死ねねえよな・・・とキッドは思う。

 最初に意識を失う前に、キッドは工藤新一に電話した。

 痛みでもう殆ど失神しそうな状態であったが、それでも相手にそれを気づかれるようなヘマはしなかったと思う。

 相手は名探偵だ。

 たとえ姿が見えなくとも、隠れた真実を暴くことにかけては天才的。

 本当なら、今の状況を脱するためには協力者である寺井に連絡するべきだったのだろうが。

(なっさけねえの・・・もう指の感覚がねえじゃん)

 出血が多すぎた上に、温度の低い倉庫内で意識を失ったことが最悪だった。

 体力を消耗し、立つこともできない。

 倉庫内は灯りもなく、まさに闇の中にいる状況であったが、普通の人間よりは闇に目のきく彼はまわりの様子をある程度見ることができた。

 まわりを大きな木箱に囲まれ、入り口からは死角になっている。

 ああ、寺井に連絡しなきゃあとは思うのだが、手が上がらない。

 今度意識をなくしたら、ホントにもう動けないことはわかっているので、行動をおこすのは今しかないのだが。

何やってんだよ!

 ふいに耳に飛び込んできた声にキッドは伏せていた瞳を開く。

 半分意識が飛んでいたのか扉が開いた音を聞き逃し、まるでその人物が幻のように唐突に現れた気がした。

「・・・新一?」

 右手に持った腕時計の小さな明かりがキッドの顔を照らす。

 傷ついた彼の前にしゃがみ込んだ新一の手にはキッドの白いシルクハットがあった。

 ああ、そういやどっかで落として被ってなかったっけ・・・

 モノクルも自分の足の上に転がっている。

「なんで電話してきたくせに何も言わなかったんだ?カッコつけてる場合じゃねえだろうが!」

 新一は怒っていた。

 自分の知らない所でキッドが傷ついたことに。

 そして、もし気づかないままだったらこの男を失っていたかもしれない現実に。

 キッドは薄く笑った。

「別に・・カッコつけじゃない・・・助けを求めるために電話したわけじゃなかったからさあ・・・・」

「じゃ、なんのために電話したんだよ?」

 声を聞きたかったから、とキッドは言った。

「意識をなくす前に、声を聞きたかったんだよ・・・」

 おまえの・・・・

 新一は顔をしかめた。

「なんだよ、それ?天下の怪盗キッドにしてはえらく弱気じゃねえ?自分に絶対の自信を持ってんだろ!?」

「・・・・うん・・そうだな・・・・」

 キッドは苦笑する。確かにどうかしている、と彼はくくと喉を鳴らした。

「どうやら・・・アッシュに出くわしたせいで妙な覚悟をしてしまったようだ・・・・」

 アッシュ!

「じゃあ、コレはあの男がやったってのか!?」

 新一は、キッドの肩に残された弾傷を見て目を瞠った。

「今回・・オレは奴の標的じゃなかったらしいからな・・・・」

 だから生きてる。もっとも、アッシュの標的になったとしても死んでやるつもりはなかったが。

「・・・・・・・・・」

 新一は“標的”というキッドの言葉につと眉をひそめ、考え込んだ。

 キッドが危惧するアッシュの今回の標的に新一も思いあたったのだろう。

「とにかく、オレ一人じゃ無理だから助けを呼ぶぜ」

 阿笠博士に車できてもらうのが一番いいだろう。

 問題は怪我の手当・・銃で撃たれた傷は警察に届けがいくから病院にはいけなかった。灰原なら、なんとかできるんじゃないかと考えた時、キッドが新一に向けて首を振った。

「おまえの側にかかわる気はない・・・・オレの言う番号に連絡してくれ」

「それって、おまえの方の協力者?」

 ああ・・・と頷いたキッドが突然クスッと笑った。

 なんだ、というように新一は瞳を瞬かせる。

「いや・・・おまえの声だけでいいと思った自分のバカさ加減が、今になっておかしくなってね・・・」

 でもあの時は真剣にそう思ったんだがな、とキッドは笑う。

 本当にオレらしくない、とクスクス笑うキッド。

 そんなキッドを見つめていた新一は、ふいに顔を寄せると彼の唇にキスした。

 軽く触れるだけのキス。

 しかし、触れたキッドの唇があまりにも冷たかったので、新一は自分の体温を与えるかのように深く唇を重ねていった。互いの舌が触れ、そして柔らかく絡みついていく。 

 

 血の繋がりはないのに双子といっても通る似通った顔立ち。

 三雲はそんな二人の少年を“ツイン”と呼んだ。

                                   

                               

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