ショコラ
2月に入ってからやたら寒い日が続いていた。 日中はまだマシなのだが、夕方になると気温が一気に下がり思わず首をすくめてしまう。 ついさっきまで時間つぶしをしていた図書館の暖かさが懐かしいと思うほどだ。 ほんの数分前のことであるのに。 とにかく早く家に帰ろうと決め新一は足をはやめた。 「あ・・・」 ふと目の前に白いものが落ちてくるのを見て、新一は顔を上げた。 図書館を出た頃には灰色の雲が空を覆っていたが、ついに限界を超えて降りだしたようだ。 初めはチラチラと可愛く降ってる程度だったが、そのうち前が見えないくらい降ってきた。 ゲ〜〜と新一は声を上げる。 まさに白い壁にはさまれたようだ。 おまけに風まで出てきて、雪が激しく顔にぶちあたってくる。 冗談じゃねえ、と新一は丁度見えたコンビニに飛び込んだ。 同じように突然吹雪状態になった外から飛び込んできた雪まみれの客が何人か店の中にいた。 新一は頭と肩に積もった雪を扉付近で払った。 ガラス越しから見た外は降り続く雪に真っ白だった。 こりゃあ、積もるかなと新一は眉をひそめた。 当分止みそうにないとなったら、やはり傘はいるだろうと新一は扉脇にかかっていたビニール傘の一つを取ってレジに向かった。 と、目に入った代物に新一は足を止める。 天井からぶら下がったピンクのハート。 その下の棚には中身を見せた見本と綺麗にラッピングされたチョコレートがギッシリと並んでいた。 ああ、そうか、今日は・・・・・ (忘れてたな・・・・) 去年はイベント好きな男が一週間前から騒ぎまくっていたので嫌でも覚えていたが、今年は連日忙しいらしくずっと自分の前に現れなかったから、すっかり忘れていた。 もともとがこういうお祭り騒ぎには興味ない新一だ。 ガキの頃、一度だけ蘭からもらったことがあるが、チョコは嫌いだと突っ返したら以後くれなくなった。 (しょーがねえだろ。そんなイベントがあるなんて知らなかったんだから) 中学に入ってもチョコレートを渡されて初めてバレンタインだとわかる新一だったから、いかにその日を重要視していないかということがわかる。 蘭から、チョコは嫌いだと突っ返したら承知しないんだからと言われていた新一は一応受け取るが、さすがに食べられず処分に四苦八苦した思い出がある。 なので、高校に入ってからはやんわり断ることにした。 新一は色とりどりのチョコを見、そして再び降り続く雪で真っ白になっている外を眺めた。 ん〜と新一は首を傾げて小さく唸る。
窓の外を見た時、心底予定をドタキャンしたいと快斗は思った。 朝のうちは、まあ晴れてたし天気予報も午後から曇る程度だと言ってたから安心してたのに、これはいったいなんなのだ? 自然現象であるから、気象庁に文句を言ってはならないのだろうが。 いや!公に予報するからにはしっかりしてもらいたいぞ、気象庁! ここんとこ外れっぱなしじゃねえか、と快斗は文句をたれる。 ゲタ飛ばした方が正確なんじゃねえの?と快斗はムッカリと口を尖らせた。 ああ、やだやだとグチる快斗であるが、それ以上にグチりたいのは警備に借り出される警察の方々であろう。 「今夜の仕事をキャンセルしたら、みんな喜ぶだろうなあ」 今日はなんたって、年に一度の告白タイムを持てる日である。 こんな吹雪などなんのその!とばかりに恋人たちがラブラブになれる日だ。 しかも、新しいカップルが生まれるかもしれないのだ。 警察の方々も人間である。 この雪の中、泥棒を追いかけて虚しい時間をすごすより、素敵な彼女と一緒にすごす方がずっといいに決まってる。 オレだって・・・と快斗は真っ白になっていく窓の外を眺めながら溜め息をつく。 (オレだって、できるなら好きな奴と一緒にいたいよなあ) それもこれも、予定をくり上げて明日には国に持ち帰るなんて言い出した奴が悪い! 20日までのはずなのに、契約違反じゃねえの? 14日だけは予定から外してたってーのにさ。 こんなことなら日本に来た時点で確認しにいきゃ良かった。 今更だが。 明日にしようか、と快斗はマジでそんなことを考える。 出国は明日の夕方だっていうし、ドタキャンで気が緩んでるところでこっそり確認に行くってえのもいいかも。 そうさ、今日は年に一度の! 「何、拳固めてるの?」 へ? いきなり声をかけられた快斗は、目を見開いて振り返る。 「なんだ、青子か。いきなり入ってくんなよ」 「おばさんが、上がっていいって言ったもん」 はいコレ、と青子はかわいくラッピングされた箱を快斗の前に突き出した。 なんだ?と聞くまでもないから快斗は何も言わずにそれを受け取る。 「今回は自信作なんだよ」 青子は快斗に向けてニッコリ笑う。 「手作り?」 「あったり前じゃない!」 快斗も笑みを返す。 「サンキュv」 学校では知らん振りされてたから今年はくれないかと思ったと快斗が言うと、青子は首をちょっとすくめた。 「だって快斗、下級生からも一杯もらってたし。その中に紛れ込まされたらヤダなあと思ったんだもん」 ふうん、と快斗は嬉しそうに鼻を鳴らす。 と、階下から、青子ちゃん夕飯食べていってね、という母親の声が聞こえてきた。 「ありがとう、おばさん!」 青子がそう返すと、快斗はやっぱりという顔をする。 「おじさん、今夜は徹夜?」 「しょーがないじゃない!あの泥棒が予告状なんて出すから!」 お父さんにはもうチョコ渡してあるけど、と青子。 こんな日に、ってお父さん物凄い形相で出かけていったんだよと青子が言うと快斗は、フ〜ンと首を縮めた。 「大変だよなあ、おじさんも」 ホントに大変・・・・ やっぱ、ドタキャンってのはマズイよなあ。
夕方から降りだした雪は、夜半になって一応の止み間を見た。 さすがに五時間近く降り続いた雪は、街を白一色に変えている。 積もった雪は音を吸収し街は静寂に包まれる筈であったが、ある場所ではこんな雪くらいで消せるものかってくらい騒々しかった。 バレンタインを挟んだ期間に行なわれた英国展で超目玉とされるブルーダイヤが、かの怪盗キッドに狙われたためだ。 ここ何ヶ月なりを潜めていたというか、海外での出没が多くなったためにキッドは日本を離れたのではないかという噂が流れていた。 もともとキッドはフランスに初めて現れてから、主にヨーロッパに出没していた怪盗だ。 ところが、八年間の沈黙の後に再び活動を始めたキッドは、日本で仕事をすることが多くなった。 それには何か理由があったのだろうが、そのことについては殆ど誰も口にしない。 ニュースとなるのは、華麗で大掛かりなマジックを披露して宝石を盗み出していく怪盗のことばかり。 雪を降らせた雲が消えて、空には凍てついた星が白く輝いている。 雪が止んで見通しが良くなったとはいえ、この純白に包まれた中、やはり純白の衣装をまとった怪盗を見つけるのはいささか難しいのではないかと思えた。 が、キッド逮捕は己の最大の使命であると信じて疑わない中森警部には、そんなことは問題ではない。 「絶対に捕まえてやる!」 雪が止んで確実に氷点下に下がった中、炎を吹き上げる勢いの中森警部を双眼鏡で眺めていた快斗は、くっくと咽を鳴らして笑った。 「この寒い中、ホント元気だよなあ」 オレなんか、さすがに寒くてホッカイロを持ってきちゃったよ。 まあ、服の下に仕込んどきゃわかんないし。 ビルの屋上で一番高くなっている場所にペタンと座り込んでいた快斗は、吹いてきた冷たい風に思わず首をすくめた。 今の姿はキッドではなく黒いダウンジャケットにジーパンだ。 母親と青子の三人でアツアツのおでんを食べ、風呂で身体を充分に温めてここに来た快斗だが、ここまで気温が下がれば忽ち身体は冷えてくる。 やっぱ、長く遊んでないで早々に仕事すませて帰るのが一番だよな。 警察の方々も早く帰りたいだろうし。 「さあて」 快斗はゆっくり立ち上がると、ダウンジャケットの前を開き襟元を掴んで引いた。 途端に、純白の衣装が真冬の空気を裂くようにして広がった。 キッドは手に抱えていたシルクハットを頭にのせると、上着の内ポケットから携帯電話を取り出した。 「ああ、新一?うん、オレ。・・・・勿論現場だよ」 『このくそ寒い中、ご苦労なことだな』 「しょーがないじゃん。今夜しかないんだから。無駄な事しないでちゃっちゃとやってそっち行くから」 だからまだ寝ないでね。 『オレに待ってろって?』 「いいじゃん。そんなに遅くならないからさ。せっかくの夜なんだから、大事に使おうよ」 『せっかくの夜だって思ってるのは、おめーだけじゃないと思うぜ』 「いや、だからさ」 『快斗』 「なに?」 『チョコレートなんか持ってきやがったら』 殺すぞ。 「・・・・・・・・・・・」
今夜の獲物であるビッグジュエルを手に入れたキッドは、早々にそれを月にかざしパンドラでないことを確かめた。 時間がたつにつれて雲が空を覆い始めたからだが、中森警部たちにとっては、短時間とはいえこれまで以上にキッドに振り回され、相当に疲れきったことだろう。 悪いなあとは思いつつ、こちらにも事情があるのだから許してね、と心の中で謝りキッドは純白に雪化粧した街中へとその姿を消した。 「うえ〜、マジで寒いよ〜〜」 キッドの白い衣装から、ごく普通の少年の姿に変わった快斗は、冷え切った空気にブルブル震えた。 仕事中は集中してるからそんなに寒さを感じることはないが、こうしてキッドから快斗に戻ると緊張も解けるせいか一気に寒さが身に染みる。 (っつーか、凍りつきそうじゃねえ?) 空を見上げれば、もう雲が空を覆い月は完全に隠れていた。 もう十分遅ければ月で確認をとれなかったろう。 そうなると、今夜中に宝石を返却できなくなっていた。 それは結構ヤバイことになる。 まあ、あれがパンドラであるなら返すつもりはないが。 「お〜、みっけv」 快斗は道路の反対側に自販機を見つけ、左右を確認してからタタタと道路を横切った。 ジーパンの尻ポケットから財布を出し、硬貨を入れる。 「ちぇっ、ココアは売り切れかよ」 しょーがねえ、と快斗はコーヒーのボタンを押した。 勿論ホットのである。 ゴトンと落ちてきた缶コーヒーを取り出し口から抜き出した快斗は、その温もりにホッと息をついた。 まずは両手で握り締め、続いて冷たくなっている頬に当てる。 「あったけえ〜〜v」 実は、ホットとはいえ手にもてないくらい熱くなっていたのだが、冷え切った快斗には気になることではない。 さあて飲むかとプルトップに指をかけた快斗であったが、突然の悲鳴にギョッとなった。 え?え?と首を左右に振れば、前方から黒っぽいミニバイクが走ってくるのが見えた。 そのバイクの後ろでは若いOLらしい女性が大声を上げている。 ミニバイクに二人乗りして、後ろに乗ってる男が不似合いなバッグを掴んでいる。 これで状況がわからないわけはない。 バイクは快斗の横を走り抜けていく。 白い息を吐きながら必死に追いかけている女性。 (こんな寒い夜に悪いことするしかねえのかよ、あいつら) 人のことは言えないけど。 快斗はまだプルトップを抜いていない缶コーヒーを持ったまま大きく振りかぶった。 まだそんなに離れてなかったことと、中身の入った缶コーヒーが的確に後ろの男の肩にぶち当たったことで、窃盗犯はカバンを落とした。 バイクはそれで一端止まったが、丁度騒ぎを聞きつけたコンビニの客が何人か顔を出してきたので慌てて逃げ去った。 邪魔されて頭にはきていたものの、それでもたついて警察を呼ばれたらヤバイ。 バイクが消えると、快斗は引ったくりが落としていったバッグを拾い、ショックと走り続けた疲れで青くなっている女性に手渡した。 「あ、ありがとうございます!」 彼女は快斗に向けて深々と頭を下げた。 「あ、うん。うまく命中したから良かった。ほんというと、あんまり自信なかったんだけど、つい投げちまってさ」 はは、と頭の後ろに手を当てて笑う快斗だが、せっかく買った缶コーヒーが衝撃で中身が飛び散り道路上に転がっているのを見つけ溜め息をついた。 あ〜あ、オレの缶コーヒー・・・・
あれから快斗はもう一度自販機で買う気がせず、そのまま工藤邸へ向かった。 ちょっとの間の缶コーヒーの温もりは既にどこかへ消えた。 もしかしなくても氷点下まで下がってるよなあ。 空を見上げれば、すでに雲がびっしりで今にも雪が降り出してきそうな気配だ。 まあ、降り出す前に工藤邸の門をくぐれたのは良しとしよう。 その前に、快斗は隣の阿笠邸の郵便受けにラッピングされたチョコレートを二個放り込んだ。 持ってきたら殺すと新一に前もって言われていて持ち込むことなど絶対にできない。 快斗だって命は惜しい。 いや、しょっちゅう命を狙われているキッドではあるが、新一の怒りの方がやっぱり断然怖いのだ。
「あれ?」 門をくぐり玄関に向かって歩いていた快斗だが、ふと見上げた部屋の窓が開いてるように見えて二歩三歩と後ろへ下がる。 月は雲に隠れ、明かりの乏しい工藤邸ではあるが、夜目のきく快斗には障害となるものではなく、見間違えでなくしっかり窓が半分開いているのを見て彼は頭を抱えた。 全開でないだけマシという問題ではない。 氷点下まで下がったこの夜に窓を開けてること自体が問題だ。 「もしかしなくても、新一の部屋だよな、アレ」 ひょっとして、ここに来ることになっている快斗を迎えるために窓を開けているってことは・・・・絶対ないよな。 快斗は自分で自分に突っ込みを入れて溜め息を吐く。 うげ・・・息が凍ってるよ。 身体はもう相当に冷たくなっている。 ホッカイロを4つも衣服の下に貼り付けた快斗であるが、そんなもんはもうとっくに役に立ってない。 快斗は開いている二階の窓を見上げた。 どうして開いてるんだろ? 疑問を覚えると、なんだかどんどん心配になってくる。 何かあったんじゃないか。 快斗は玄関から入るのをやめて、二階へと伸びる木の枝に飛びついた。 音も殆どたてずに二階の窓に足をかけた快斗は、ベッドに入って読書中の新一と瞳が合い唖然とした。 「なにやってんだよ?」 いや、それ聞きたいのはオレだし。 「なんで窓開けてんの?」 「オレの勝手だろ」 ほっとけ。 ふん、と新一にそっぽを向かれた快斗は呆れた。 とにかく、外気を遮断しなくてはと快斗は靴を脱いで部屋の中に入るとすぐさま窓を閉じた。 新一はベッドの上に半身を起こし本を手にしたまま、じっと快斗のすることを見ている。 文句を口にしないということは、別に何か目的があって開けていたわけではなさそうだ。 気まぐれか? 新一は時々、気まぐれにとんでもないことをすることがあるのだ。 実際たいした理由もなかったりするので、周りにとっては実にはた迷惑なことだったが。 「夏じゃないのに窓を開けてるなよ。なんかあったかと思ってビックリするじゃんか」 「部屋の空気を入れ替えるくらいいいだろ」 そういうことを夜にするんじゃありません。 「昼間にすればいいだろ」 「昼は出かけてたんだよ」 「・・・・・・」 ああ、もう・・・と快斗は自分の癖っ毛をかき回した。 ああ言えばこう言う・・・・・ 「心配しなくても暖房はついてるぜ」 「それで窓開けてたんじゃ不経済だろが」 「おまえが気にすることじゃねえよ」 新一はそっけなく答えるとサイドボードに手を伸ばし、トレイにのせていたポットの中身をカップに注ぎ入れた。 ほら、と新一はしかめっ面している快斗にカップを手渡す。 暖房はついていても窓を開けていたから部屋の温度は下がっている。 ベッドの上だけを照らす小さな明かりの中、カップからは白い湯気が煙のようにたち上っていた。 「ああ・・・サンキュ」 両手で包むようにして持ったカップの温もりは、寒さにかじかんだ手をたちどころに溶かしていくようだった。 しかも、新一が自らの手で渡してくれたことが余計に快斗の心をほんわかとさせる。 「これって・・・・・」 ホットチョコ? 新一が傍らに用意していたものだから、てっきりコーヒーだと思っていたのだが、それはなんと甘いホットチョコレートだった。 あまりにも予想外だったため、快斗は瞳を瞬かせながら新一の顔を凝視した。 「これ、新一が飲んでたの?」 そう問うと新一さも嫌そうに眉をしかめた。 「バーロ。んな甘ったるいもん、このオレが飲めるわけねえだろ。これは」 おまえに飲まそうと思って入れといたんだよ。 「・・・・・・え?」 ボソリと呟かれた新一の言葉に、快斗の瞳がさらに丸く見開かれた。 次にキラキラと嬉しそうに瞳が輝く。 「ひょっとして、これってバレンタインのかな?」 「んなわけあるかあ!」 新一はカッと顔を赤くしたかと思うと、バサッと布団を頭からかぶって隠れてしまった。 「ああ〜!なんで隠れんのさぁ?」 新一? 快斗はニマニマしながら布団に包まった新一を眺め、有り難く愛のこもった甘いカップの中身を飲み干した。 そして・・・ 「シンちゃんってば〜v」 「ひゃっ!冷て!入ってくんな、バカ!」 冷てえだろうが! 布団の端をまくって中に入り込んできた快斗に、新一は文句を言う。 実際、氷のように冷えきった快斗の身体はそばに寄られるだけでも冷たく感じる。 「いいじゃ〜んv」 あっためて、新一。 「バカ言うんじゃねえ!冷てえって!」 快斗ーっ! 文句を言いながらも蹴り落とそうとはしない新一に、快斗はクスクスと笑った。 今日はバレンタイン。 年に一度、おおっぴらに愛を告白できる日。 意地っ張りな新一の、それは精一杯の好きという表現だとわかるから快斗は嬉しそうに、喚いている彼の身体をギュッと抱きしめた。 |