玄関のドアを開けると、頭からズブ濡れになった少年がまるで幽霊のように立っていた。

 一目見るなり顔が引きつり、思わず新一は後退したくなった。

 その場でドアを閉めてしまわなかった自分を新一はえらいと褒める。

(なんだよ、こりゃ〜〜)

「おまえ、傘どうしたんだよ?」

 雨は朝から降っていた筈である。

 自宅から出るときも勿論降ってたろうから、傘くらい持って出ただろう。

 なのに、こいつはこの雨の中、傘もささずに歩いてきたらしい。

 それとも・・・

「川にでも落ちたか?」

 んなわけないだろ!と快斗は言い返すと、手に持っていた残骸を新一の目の前に突き出して見せた。

 なんだあ?とよくよく見れば、それはどうやら元は傘だったらしい。

「いきなり突風が吹いてさあ」

 飛ばされまいと力を込めたはいいが、傘は見事にオシャカになったのだと快斗はいう。

「へえ。そりゃ災難だったな」

 ってか、こんな天気にわざわざ来るなよ。

「来ちゃ悪い?」

 快斗はブスくれて、上目使いで新一を見つめた。

 いつもは跳ね回ってる快斗の猫っ毛は、今は濡れてペシャンコになっている。

 顔にベッタリ張り付いた様子は、まさしく塗れ鼠だ。いや、濡れた猫か?

 新一は噴き出しそうになるのを我慢した。

 とにかく、このまま入って来られちゃ家の中がびしょびしょになる。

「ちょっとそこで待ってろ。タオル持ってくるから」

 新一はそう言うと、外に快斗を残したままドアを閉めた。

(・・・おい)

 またも強い風が吹き、それも後ろから吹いてきたので快斗は押された勢いでドアに頭をぶつけた。

 ドアが開いて、タオルを持った新一が出てきた。

「なんか今、スゴイ音したけど?」

「・・・・・・・」

 快斗は無言で新一からタオルを受け取る。

「スゲえ降りになってきたな」

 新一はようやく快斗を家の中に入れドアを閉めた。

 快斗は雫が落ちそうになるくらい水分を含んだ髪をタオルでゴシゴシと拭いていた。

「丁度風呂に湯を入れてたとこだから入ってこいよ」

「うん。ごめん」

 新一は快斗の後ろに回って、たっぷり雨を吸い込んで重くなったジージャンを脱がせた。

「下着まで絞れそうなんじゃねえ?」

「だね」

「着替え持って行ってやるから、早く入ってこいよ」

 このままじゃ、やっぱり部屋に被害がいく。

「新ちゃんってば、オレの心配してくれないのね」

 オレ悲しい〜〜と泣きまねする快斗を新一は完璧無視してバスルームのある方へ蹴りだした。

「こんな日に来るヤツが悪い!」

 心配なんかするわけねえだろうが!と、新一はフンと鼻を鳴らし持っていた快斗のジージャンをハンガーにかけた。

 ジージャンからぽたぽたと雫が落ちてくる。

 やっぱり、このまま乾燥機にかけた方がいいかなと新一が思った時、ふと着メロが耳に入った。

 郷愁を感じる柔らかなメロディ。

(なんだよ?すげえ懐メロじゃねえ?)

 自分たちの親世代で流行っていた歌だ。

 勿論新一はこんな曲を着メロに入れてはいない。

 ということは。

 新一はジージャンのポケットを探った。

 他人の携帯を取るのはマズイが、かけてきた人物の名前を見た新一は気になった。

(相沢って・・・・)

 新一は快斗のいるバスルームの方をチラリと見てから携帯を開いた。

「はい」

『え・・と、キッド?』

 は?

 キッドってなんだ?

「相沢さんですね」

『そうです。良かった。教えてもらったものの、本当に君にかかるのか心配だった』

「・・・・・・・」

 間違いなく、新一も知ってる相沢の声だ。

 最後に会ってもう随分たつが。

 快斗のやつ、いったいどういうつもりなんだ?

「どうかしましたか?」

『実は新しいリストが手に入ったんだ。それで』

 リスト?

『この日本にもミステリアスブルーだと思われている人物が、予想以上にいてね。勿論、新一くんもその中に入っているんだが』

 新一の眉間が険しく寄る。

 なんとなく話が見えてきたような気がした。

『そのうちの何人かがもう標的にされているらしい』

 標的・・・!なんだ、それは?

 相沢は電話の相手が新一であることに全く気付いていない様子だった。

 まあ、自分たちの声は似てるようだし、しかも電話の声だけでは違いはわからないだろう。

 新一はそのまま快斗の振りを続けた。

「そのリストにある人物の所在はわかりますか?日本にいる人だけでいいんですが」

『ああ、わかった。調べてみよう』

「お願いします。それで、あれから命を狙われた人は?」

『いや、今のところはないようだ。でも、これからどうなるかはわからないな。組織内でも意見の違いから分裂してるようだし』

 ミステリアスブルーを殺そうと考えてる奴が出てきたってことか。

「相沢さん。すみませんが、今度からはこの携帯ではなく別の番号にかけてもらえませんか」

『ああ、いいけど』

「じゃあ、番号言います」

 新一は自分の携帯番号を相沢に教えた。

 これで、相沢からの連絡が快斗に行くことはない。

 新一は通話を切ると、相沢からの電話の履歴を消し携帯をもとに戻した。

(なんで・・・いつもオレに黙ってるんだ)

 新一はもう一度快斗のいるバスルームの方を見つめると、着替えを取りに二階へ上がっていった。



「ねえねえ快斗。進路どうするの?やっぱり東都大?」

 う〜ん?と快斗は首を捻り、眠そうな目で青子の顔を見あげた。

 さすがにこの時期になると教室では進路についての話題が多い。

 特に快斗のクラスは進学希望者が殆んどなので教師も必死だ。

 授業態度はあまり褒められたものではないし、授業をさぼることの多い快斗だが、それでも天下の東都大学合格間違いなしの能力を持つ彼には教師も何も言わなかった。

 たとえ、一日中机に懐いていようと、教師は快斗を起こす労力よりも授業を優先した。

「まあな。おまえの方はどうなんだよ」

「うん。一応センター試験は受けるつもり」

 さすがに東都は微妙な線だが頑張ってみるつもりだ。

「ま、気張れよな」

 快斗は欠伸をしながら、うん!と身体を伸ばした。

「あ、そうだ快斗。放課後ヒマ?」

「ヒマじゃねえよ。今日はバイト」

「ええ〜〜快斗ったら、まだバイトしてるわけ?みんな予備校行ったりして頑張ってるのに。だから受験生の敵だって言われるのよ」

 余計なお世話、と快斗は、んべと舌を出す。

「せーっかく映画の試写会当たったから一緒に行こうと思ったのに」

「何?一緒に行くやついねえのかよ」

「うん・・ほんとは恵子と行くつもりだったんだけど」

 言ってドン!と青子は拳で机を叩いた。

 およ?

「今夜、怪盗キッドが現れるからって、恵子ってばそっちに行くって言うのよ!」

「へえ?そういや予告出てたよなあ」

「お父さんも昨夜から警備のために帰ってないんだからあ!」

 キッドなんて、青子の幸せの敵!

「はいはい・・・」

 快斗は激昂する青子を宥めるように頭を撫でる。

 子供扱いされてムッと口を尖らせるが、内心はちょっと嬉しい青子だ。

 なんだかんだ言っても、快斗が自分のことを大事にしてくれるのを彼女は知っている。

 よほどのことがない限り、快斗は青子の気持ちを優先してくれるのだ。

「で?おまえも行くのかよ?キッド見物に」

 快斗は青子の背後に目を移し、クラスメートである少年に訊いた。

「あれ、白馬くん?」

 いたの?と青子は聞きようによっては失礼なセリフを口にする。

 でも、ついさっきまで彼は教室にいなかったのだからしょうがないとも言えるのだが。

「現場には行きますが、見物が目的ではないですよ黒羽くん」

「ああ、そうだったよな。おまえはキッドを捕まえるのが目的だったんだっけか」

 快斗はふふんと鼻で笑いながら白馬を見た。

「頑張ってね、白馬くん!青子は白馬くんを応援してるから!」

 青子は白馬の手をギュッと掴んで力強く訴えた。

「ば〜か。白馬のヤツは、いっつもキッドを逃がしてるじゃん」

 詰めが甘いんだよな、おまえはさあ。

 やっぱお坊ちゃんだから、と快斗が笑うとスパコーンと青子の手が小気味よく頭にヒットした。

「何すんだよ、この暴力アホ子!」

「青子だってば!もう快斗ってば信じられな〜い!あんな泥棒よりクラスメートの白馬くんを応援しようって思わないの?」

「はあ?んなこと思うわけねえじゃんか」

 何言ってんだよ、アホ子は。

「つきあってらんないぜ」

 快斗が溜息をつきながら席を立った。

「どこ行くの、快斗!もう授業始まるよ!」

「トイレだよ、トイレ!」

 快斗はそう答えると教室を出ていった。

 

 

「今夜はバッチリ自信作!」

 夕方からキッチンにこもっていた快斗は、テーブルの上に中華料理の数々を並べた。

 中華を食べたいと言う新一のリクエストを受け、快斗が時間をかけて頑張ったのだ。

 何もそこまで・・・と言いたくなるくらいどれもリキが入った料理に新一は目を丸くする。

 さあ、召し上がれ!とエプロンを外した快斗が新一を席につかせた。

「おまえ、マジでプロとしてやれんじゃねえか」

「かもね。オレもそう思うけど、マジックと違ってオレの料理は好きな相手だけのものだからさ」

 見も知らない人間のために作る気はねえの、と快斗は肩をすくめて言った。

 なんかもったいない話だが、本人がそういうつもりならしょうがないことなのだろう。

「でも、おまえ、慎二さんとこでお菓子作ってんだろ?」

「ん、まあね」

 あれは、ほんの気まぐれだからと快斗は言って新一のカップにジャスミン茶を注ぎいれる。

「マスターにはいろいろ借りもあるしね」

 新一はまず目の前にあるエビチリを口に入れた。

 結構大きなエビを使っているので一口では口に入らない。

「どう?」

「うん、うまい」

 新一が満足な顔で頷くと快斗は嬉しそうに笑った。

「じゃあ、とっておきをオーブンに入れてるから持ってくるね」

 おい・・と新一は目を瞬かせる。

「まだあるのかよ?オレ、そんなに食えねえぜ」

「全部食べろって言わないから心配するなって」

 残ったらオレが全部食べるから、と快斗はそう言ってキッチンに戻っていく。

「・・・・・・」

 新一はハァ〜と息を吐き出すと、酢豚を小皿に取り分けた。

 しばらくして、快斗が焼きたてのレモンパイを運んできた。

 レモンパイは新一の好物だ。

「デザートにねv」

 これも自信作だから食べてね。

 

 いったいなんのお祝いだというようなデザート付きのご馳走を食べ終えた新一は、ふぁ・・と欠伸を漏らした。

 お腹が一杯になって眠気をもよおしたのかと思ったが、それにしては眠気が急にきたことに新一は眉をひそめる。

 子供じゃあるまいし、満腹したからといって眠くなるなんて・・・・

「眠いなら部屋で寝たら?後片付けはオレがやっとくからさ」

 いや、と新一は頭を振りながら椅子から立ち上がった。

 まだやることがあるというのに、寝るわけにはいかない。

 第一、今夜はキッドの・・・・

 だが、もう目を開けていられないくらいの睡魔が襲い、足の力もなくなってフラリと身体が傾いた。

「新一!」

 快斗の腕が倒れかかる新一の身体を受け止め支えた。

 こんなばかな・・・・

「快斗、おまえ・・・?」

「うん、ごめん」

 顔をしかめる新一に対し、快斗は素直に謝罪を口にする。

 これがただの眠気じゃないことが新一にわからない筈はない。

 そして、今夜に限って何故快斗が自分に対してこんな真似をしたのかも新一には予想がついた。

「・・・・灰原か」

「うん、そう。哀ちゃんも心配なんだよ、新一のこと」

 わかるだろ?

「・・・・・」

 新一はまだ諦めきれずにもがいたが、結局灰原哀が調合した薬に抵抗できるわけもなく快斗の腕の中で意識を手放した。

 快斗は眠って力を失った新一を抱き上げると、そのまま寝室へ運んだ。

 壊れ物を扱うかのようにそっとベッドの上に新一をおろすと、ブランケットを引き上げる。

 そして、すぐに携帯電話で哀に連絡を入れた。

「哀ちゃん?そう、薬が効いて眠ってる。明日目を覚ましたら蹴りくらう覚悟がいるね」

 そう苦笑しながら快斗は窓から見える月を眺めた。

「うん・・・新一を危険な目にはあわせられないしね。でも、哀ちゃんも同じだよ。ジンって組織の男についてはなんらかの対策をとるから思いつめないでよね」

 怒鳴られようが、蹴りをくらおうが構わない。

 新一さえ無事なら。

 ピッと通話を切った快斗は、眠っている新一を見下ろし、指先で前髪をサラッと撫で上げた。

(ごめん・・・・)

 

 

 パタンとドアが閉じられる音が聞こえてから新一はそっと瞼を半分だけ開けた。

 バーロ・・・オレを舐めんじゃねえよ、バ快斗。

 最後に口にしたレモンパイの中になんらかの薬が仕込まれているだろうことは、初めから気がついていたのだ。

 先日、快斗が新一に化けてかかわった事件から、彼は神経質なくらい新一の行動を気にしていた。

 何があったのか訊いたって快斗が答える筈もない。

 一応、あの夜、快斗が参加したパーティで何があったかの情報は得たが、本当に知りたかったことはどうしてもわからなかった。

 それでも、快斗が隠していることを知る方法だけは手に入れた。

 新一はベッド脇のサイドボードにゆっくり手を伸ばす。

 しかし、薬が効いているせいか、腕を持ち上げるのも一苦労だ。

 快斗の目をごまかして体内に入る薬の量を加減したが、さすがに哀が調合したものだ、こればっかりは精神力だけではどうしようもない。

 かろうじて、意識を失うまでの時間を延ばせただけだ。

 快斗は気付かなかったようだが。

「ああ、くそ・・っ!」

 思い通りに動かない自分の手に歯噛みしながら、新一は引き出しから携帯電話を取り出した。

 先日新一は快斗にかかってきた相沢からの電話を受けた。

 何故相沢が快斗に電話をかけてきたのか疑問だったのだが、それ以上に驚いたのはかれが”キッド”と新一を呼んだことだった。

 相沢が何故キッドを知っているのか?

 その時、思い出したのは快斗が新一に化けて出たパーティのことだった。

 快斗は亡くなった父親のことを知ってる人物に会うと言っていた。

 それが、父優作の旧友である相沢のことだったのなら。

 とにかく、相沢は本物の新一だと最後まで気付かなかった。

 新一は、相沢から連絡が入るかもしれない携帯電話を抱え込むようにして握ると、もう限界だというように目を閉じ眠りに落ちた。

 

 

 今夜怪盗キッドが狙う宝石は、米花博物館に展示されたスタールビーだ。

 フランスの悲劇の王妃として有名なマリー・アントワネットの、最大のミステリーとも言われる首飾りの宝石の一つだと言われている。

 博物館の館長がオークションで一世一代の大博打で手に入れたものだ。

 それを盗まれてはたまったものではない。

 それこそ首をくくるしかないが、怪盗キッドは盗んだ宝石を何故か返却するという奇妙な泥棒だ。

 狙われてはいるものの、そのことがあるからか館長の表情はそれほど深刻なものではなかった。

 深刻なのは警備をする警察の側だろう。

 いったい何度警察の面目を潰されたことか。

「キッドめ〜〜!今夜こそぜーったいにこの手でとっ捕まえてやるからな!」

 覚悟していろよ、キッド!!

「・・・・・」

 白馬探は、吼える中森警部を横目で眺めながら、ふ・・と溜息をついた。

 初めて怪盗キッドを知った頃の自分は、あの中森警部となんら変わらなかったと思う。

 探偵としての自分は、それまでの経験から自信過剰ともいうべきプライドを持ってキッドを追っていた。

 それこそ、尊敬するシャーロック・ホームズのように華麗にあの怪盗と対決し勝利を手中にできると信じていた。

 あの頃の自分を思い出すと恥ずかしい気分になるが、しかし、今に比べたら幸せだったのかもしれない。

 何も知らなかった故に・・・・いや、今だって知っていることなど何もないに等しいのだが。

 白馬は、いつも持ち歩いている懐中時計を手にとって開いた。

 キッドが犯行を予告した時間まであと残り三十分余り。

 今だって怪盗キッドを捕まえたい。

 だからこそ、こうしていつも現場を訪れる。

 しかし捕まえて、その正体を暴くことがはたして自分にどんな意味をもたらすというのか?

 真実を暴くことがさあ、全てを解決させる方法だなんてうぬぼれなんじゃねえの?

(黒羽くん・・・・)

 

 

 

 突然鳴り出したけたたましい音に、新一は不機嫌に眉根を寄せた。

 せっかくの気持ちいい眠りを邪魔する騒音に新一は、怒りがこみ上がる。

 うるせえな、いったいなんだよ?

 怒りから苛立ちに変わって新一は眠りを邪魔する音の根源であるものを投げようとして、はたと動きが止まった。

 自分が投げようとした携帯電話を見つめ、そして思い出す。

 やべえ〜〜

 新一は慌てて電話に出た。

「はい?」

『あ、相沢だけど・・・忙しい時にすまない。実はリストに入っている藤井理沙が誰かに呼び出されたようなんだ。彼女は昨日から東都なんだが、呼び出された場所は取り引き先の会社が入っているビルらしい。名前は・・・・』

 新一は相沢が知らせてきたビルの名前を記憶した。

 調べればどこにあるのかすぐにわかる。

 新一は、わかったと一言答えてから通話を切った。

 今から向かって間に合うかどうかわからない。

 だが、行かないわけにはいかなかった。

 藤井理沙は”ミステリアスブルー”と思われている一人だった。

 そんなリストがあったなんて、相沢から聞くまで新一は全く知らなかった。

 確かに”ミステリアスブルー”が誰なのかを知りたい人間は多い。

 以前、ただ目の色が変わるということだけで間違われ被害にあった少女もいた。

 もっと早くなんらかの手を打っていれば、何も知らずに巻き込まれる人間は出なかった筈だ。

 しかし、快斗にそんなことを言えば怒鳴られるだけだろう。

”ミステリアスブルー”の正体は、絶対に誰にも知られてはならないんだと。

 新一はまだ眠りを欲してぐずる身体を無理やり起こした。

 頭から水でもかぶれば少しは目が覚めるか。

 くそ、時間が・・・!

 新一はベッドから飛び出ると、まっすぐ洗面所に向かった。

 

 

キッドを追えーー!

 中森警部の怒号が飛ぶ中、まんまとルビーを手中にした白い怪盗が金色の月が輝く天空を飛んでいった。

 もっとも、無数のダミーを飛ばされ、警察ヘリも翻弄し右往左往している。

 キッド!

 ただ一人、キッドが繰り出すイリュージョンに惑わされず白馬探は彼を追った。

 今は捕まえるより、彼の後を追いたかった。

 白馬は逃走する怪盗が向かう方向を読み取ってから、急いで自分の車に乗り込む。

 彼は十八になってすぐに日本で免許をとった。

 キッドを追うのに都合が良かったのと、彼を追うのに誰の手も借りたくはなかったからだ。

 

「おまえさあ、キッド捕まえてどうする気?」

「どうする気・・とは?」

「おまえ、警官じゃねえじゃん。警官とおんなじことしてたんじゃ、探偵してる意味ねえだろ。それとも、キッド捕まえて警察に引き渡すだけが目的ってわけ?」

「いえ・・僕は誰よりも早くキッドを捕まえて、そして聞きたいんです。彼が誰にも明かさず心に秘め続けている真実を」

「はあ〜?真実ねえ・・・んなの知ってどうすんだよ?結局おまえには関係ないことだし、裁いたり弁護したりする立場にもないから単なる好奇心で終わっちまうぜ」

 名探偵がそれでいいのかよ?

「好奇心・・・それもあるかもしれませんね。でも、それ以上に僕は彼、怪盗キッドを理解したいと思っているんですよ」

「理解だあ??相手は犯罪者だろ。青子が言うにはおまえは悪と対決する正義の味方ってことだからさあ。んなこと言ったらあいつ泣くぜ?」

「黒羽くん。君はキッドを犯罪者だと思っていますか?」

「思ってるぜ。けど、あいつのやってることは痛快だから好きだけどさv」

「何故、あんなことを続けるのか、と考えたことはありませんか?」

「白馬・・・・・」

「はい?」

 おまえって、すんごく欲張りだよな。

 キッドを確保した上に、内に秘めたもんまで欲しいのかよ。

 

 違う・・・違うんだ、黒羽くん!

 僕は・・・・・

 

 

 追ってくる警察をまいて、いつものように人気のない静かなビルの屋上でキッドは今夜の獲物を検分していた。

 明るく輝く月にかざして石が目的のものかどうかを確かめる。

「チッ・・やっぱハズレか」

 S・Jなのは間違いないが、その胎内に赤い輝きは見えなかった。

「マリー・アントワネットのルビーね。よく言うぜ」

 S・Jは偽造宝石の第一人者シャドウが作った精巧な偽物だ。

 よほどの目利きでシャドウジュエリーをよく知るものでなければ、まず偽物とは気付かない。

「ま、これはこれで価値があるもんなんだけどな」

 下手をすると、本物のジュエリーよりも高額で取り引きされる。

 とはいえ、こいつを本物だと信じて買った人間には不幸な代物だろうが。

「では、これはミスター李に送るとして」

 今夜は刺客の姿も見えないし、さっさと帰宅するとしますか。

 あの別荘でまだ眠っているだろう新一のもとへ。

 朝になって目覚めれば、きっと烈火のごとく怒るだろう姫君のために美味しい朝食を用意して。

 キッドは微苦笑を浮かべながらS・Jをハンカチにくるむと上着のポケットに突っ込んだ。

 と、上着の内ポケットに入れていた携帯がバイブで着信を知らせてきた。

 こんな時に誰だ?と内ポケットから携帯電話を取り出したキッドは驚きに瞳を見開いた。

 まさかっ!

『快斗か?オレだ!今、どこにいる?』

「え・・新一?目、覚めたのか?」

 もう?確か哀ちゃんは朝まで大丈夫だと言ってたのだが。

『バーロ!オレがそんな間抜けな筈ねえだろが!それより、藤井理沙が誰かに呼び出された!』

 は?とキッドは突然新一の口から出た女の名に瞳を瞬かせた。

 藤井理沙?誰だっけ?と首を傾げ、すぐにそれがリストの中にあった名前だと気付きギクリとする。

 何故新一がその名を知ってるんだ?

『彼女はホテルを出て古河ビルに向かっている!美術館の北側にあるビルだ!オレは今そこに向かってるんだが、近くにいるんだったら行ってくれ!』

「・・・・・・・」

 向かってる・・って?新一が?

 キッドはすぐには反応できず呆けたように携帯を握り締めていた。

 新一は寝室のベッドで眠っているはずだ。

 朝まで眠ってる筈で・・・だからオレは新一のために朝食を・・・・・

「ちょっと待て、新一!いったいなんで・・!」

『おまえが・・・・』

 え?

『おまえが何も言わねえからだろうが!』

「・・・・・・!」

 新一のその言葉にショックを受けたキッドは、すぐに答えを返せなかった。

 気付いた時にはもう通話は切れていた。

新一!

 キッドは悲鳴のような高い声をあげると、ビルの屋上からその身を躍らせた。

 白いハンググライダーが開き、キッドはビルの上を滑空していった。

(キッド・・・?)

 丁度近くまできていた白馬がキッドのハンググライダーを目撃する。

 見失った時点でもうキッドを見つけることはできないだろうと思っていた白馬には意外だった。

 いったいどこへ?

 外に出てキッドの白い姿を見送った白馬は、すぐさま車に戻ると後を追いかけた。

 

 

 

 古河ビルにたどり着いた新一は、シャッターが閉じられた入り口から入るのを諦め、非常階段から屋上へ上がっていった。

 前もって藤井理沙が泊まっているホテルのフロントに、彼女が出かけた時間を聞き、利用したタクシーにも確認をとっている。

 まだそんなに時間はたっていない筈だ。

 新一は急いで階段を駆け上がっていった。

 自分が行くまで何もなければいいのだが。

 八階建てのビルだから、それほど上るのが大変じゃないのが助かった。

 実はまだ薬の影響が完全に消えたわけではないのだ。

 隙あらば身体は眠ろうとする。

「くそ〜!」

 新一は時々自分の頬を叩きながら階段を上った。

 やっと屋上についた新一は、髪の長い二十代半ばほどの若い女性がびっくりしたように自分を振り返るのを見てホッと息をついた。

 幸い、この屋上には彼女以外に人がいる気配はない。

 藤井理沙はまだ少年の新一を見つめ、不思議そうに首を傾げた。

「あなたが電話をくれた人?」

「いえ、ボクは・・・・」

 息を整えていた新一は、彼女の背後に小さな光点を見つけ、ギョッとなった。

 まさか・・・・!

伏せて!

 新一は、とっさにその声に反応できずキョトンとしている藤井理沙に飛びついた。

 ビシッと発射された弾丸が屋上の壁に突き刺さる。

 あの角度で撃たれたとなると、間違いなく狙撃者は彼女の頭を狙った。

(殺すつもりなのか?)

 新一は信じられないというように瞳を瞠る。

 ミステリアスブルーが狙われているという自覚はあるが、その命を狙う者がいるとは思ってもいなかった。

 連中が”永遠”を手に入れるためには、ミステリアスブルーを生きたまま手に入れなければならない。

 殺してしまったら、その瞳にあるキーワードを解くことができなくなるのだ。

 新一はシャツの胸ポケットに入れていた眼鏡をかけ、狙撃してきたと思えるビルの屋上を見た。

 スイッチを入れると赤外線スコープと同じ働きを持つ眼鏡で狙撃者の正体を確かめた新一は、心臓が跳ね上がるのを覚えた。

 黒ずくめの髪の長い男。

 ジン・・・!

「逃げるんだ!早く!」

 新一は彼女を非常階段の方へ押しやった。

 非常階段はあのビルからは死角になる位置にあるから、彼女をそこから逃がせば心配ないはずだ。

 新一は彼女を背に庇う位置に立ち、ライフルでこちらを狙っている男をにらみつけた。

 こいつは驚いた。ジンはスコープの向こうから正確に自分を睨んでいる少年を認めフッと笑んだ。

 まさか、ここに工藤新一が現れるとはな。

 あいつも、自分の標的の一人だ。

 女の方はいつでも殺れるし、このチャンスは逃がさん方がいいな。

 ジンはそう考えると、ライフルの狙いを新一に向けた。

 赤いレーザーポイントが新一の額を狙う。

 新一は自分を狙うジンから視線を外さなかった。

 彼女が非常階段から下へ降りることができたら、奴の狙いを外して自分も屋上から離れなければならない。

 タイミングを少しでも間違えば自分は殺られる。

 あの男は、暗殺のプロなのだから。

 背後で、カン・・と階段を踏む音が聞こえた。

 彼女が非常階段にたどり着いたのだ。

 ひとまず安心した新一は、次にジンからの銃弾をかわす態勢をとった。

 下手に動けば殺られる。奴が引き金を引いた瞬間に・・・・

 凍りつくような緊張の中、新一はそのタイミングを図ろうとする。

 が、その時、くらっと意識に霞がかかったようになった。

(しまった!薬の影響が・・・!)

新一ーーーッ!

 ジンの放った銃弾が新一の身体を貫通した。

 

 

 空から舞い降りる純白の怪盗の姿を捉えたジンは、悔しげに舌打ちした。

 傷つけられた右腕からは血が滴り落ちている。

(くそっ!いったいどこのどいつが・・・!?)

 工藤新一に向けて引き金を引く寸前に、何者かに撃たれ狙いがそれた。

 それさえなければ、確実に仕留められた筈なのに。

 まあ、急所はそれたとはいえ、重傷であるにはちがいない。

(あのまま死んでくれれば)

 ジンはライフルを引くと、新たな攻撃を警戒しつつ、その場を離れた。

 それを別のビルの上から見ていた男がフンと鼻を鳴らした。

「あいつを傷つけた報いは受けてもらわないとな」

 工藤新一は、やっと見つけた同族、オレの唯一の存在なのだから。

 冥界の王ハデスの名を持つ男は、冷たい炎を纏いながらくるりと背を向けた。

 

 

 キッドがおりたビルを見つけた白馬は、非常階段から駆け下りてきた女性とすれ違った。

 こんな時間にいったい?と首を捻った白馬だったが、とにかくキッドの目的が何かを確かめるために階段を駆け上がっていった。

 と、半分ほど上ったその時、突然悲鳴が上がった。

「な・・なんだっ!」

 まるで正気を失ったような悲鳴が細く長く聞こえてきた。

 いったい誰の悲鳴なのか?何が起こったというんだ!

 白馬は階段を上る足を速めた。

 そうして、今にも心臓が破裂するのではないかと思うほどに屋上へ駆け上った白馬が見たのは、純白の衣装に身を包んだ怪盗のうずくまる姿であった。

「いったい何があったんです!」

 白馬が叫ぶと、背を向けていた彼がゆっくりと振り向いた。

 血の気の失せた、放心状態にも見える表情。

 あの自信たっぷりな怪盗とは思えない顔だった。

「白・・馬・・・・」

「え?」

 助け・・て・・・・

「助けてくれ、白馬!新一が・・・!」

 新一が死んでしまう!

 新一って・・・・

 キッドに近づいた白馬は、その時になって初めてキッドが腕の中に抱えている少年の存在に気がついた。

 うっ!と白馬は息を飲む。

 鮮血に染まって意識を失っている少年は、白馬もよく知る高校生探偵、工藤新一であった。

 何故彼が・・・・

「新一が死ぬ!死んでしまう!」

 嫌だ!絶対に新一が死ぬなんて駄目なんだ!

「新一が死んだらオレは・・・・」

 オレは生きていけない!

「な・・・!何を言ってるんです!しっかりしてください!」

 黒羽くん!

 ビクッとキッドの肩が震えた。

 すがりつくようなその表情は、ポーカーフェイスを得意とする怪盗が持つものではなかった。

 それは感情をそのまま表して素の表情。

 ああ、やはり黒羽くんだ・・・・・

「ボクが乗ってきた車はこの近くに止めてあります!これから行ってこのビルの下まで持ってきますから、あなたはとにかくこれ以上出血しないよう止血してください!」

「あ・・ああそうだな・・・」

 止血・・しないと・・・・・

 白馬はまだ放心しているキッドの肩を掴む。

「気をしっかり持ってください!工藤くんを救えるのはあなたしかいないんですから!」

「白馬・・・・」

 白馬はキッドに向けて頷くと、今のぼってきたばかりの階段を下っていった。

 何故工藤くんが・・・・

 いや、と白馬は首を振る。

 考えるのは後だ!

 

 白馬が車を非常階段のそばまで持って来た時、キッドは朱に染まってぐったりとした新一を自分のマントで包んで階段を下りてきていた。

 白馬はすぐに後部のドアを開けた。

 キッドが後部に乗り込むと、白馬はすぐさま運転席に座わる。

「どこへ行きますか?」

 本当ならすぐにも近くの病院へ向かった方がいいのだろう。

 だが、キッドを連れて病院へ駆け込むことはできない。

 いや、一刻を有する場合であるから、そんなことに構うべきではないのだろうが。

「・・・・倉多医院に行ってくれ」

「え?」

 白馬はキッドの口から出た名前に瞳を瞬かせた。

 

 

 倉多医院は内科の看板がある町の診療所だ。

 ここは初めてではない。

 前に具合が悪くなった黒羽快斗を連れてきたことがあった。

 確か、偶然出会ったイギリスから来たという青年が紹介した医院だったが。

 さすがにこの時間では明かりは消えている。

 でも、中に倉田医師がいる筈だ。

 白馬は診療所入り口にある呼び鈴を鳴らした。

「すみません!急患なんです!診察をお願いします!」

 彼の言う通りここへ来たが、本当にいいのだろうかと白馬は思った。

 ここは内科の診療所だ。

 大怪我をした工藤新一を治療できるのは外科設備のある病院でなくてはならない筈だ。

 しばらくして明かりがつき、閉じられていたカーテンが開いて中から扉が開けられた。

 出てきたのは見覚えのあるこの倉多医院の医師、倉多貴一。

 倉多医師は、あの・・・と言いかけた白馬ではなく彼の背後を見ていた。

 振り向くと、中で待っている筈のキッドが新一を抱いて立っていた。

 血で真っ赤に染まった二人の姿は、事情を知らないものには衝撃的な筈であるが、倉多医師の顔には動揺した様子は見えなかった。

 だいたい、キッドの姿を見て驚かない人間などいないはずだ。

 まさか・・・この人はキッドのことを?

「馬鹿者が」

「・・・・・・・・」

 彼は一言そうキッドに言うと、彼らを中へ入れた。

 驚いたことに、内科の診察室の奥には大病院並みの設備の整った手術室が隠されていた。

 内科なのに何故?

 白馬が驚きに目を丸くしていると、キッドはずっと離さずにいた工藤新一を倉多医師の手に渡した。

 その後、キッドは俯いて彼の腕をギュッと掴んだ。

「おまえは外に出ていろ。輸血が必要な時は呼ぶ」

 貴一は俯いたキッドの頭をくしゃりと撫でると手術室から追い出した。

 キッドの前で扉が音をたてて閉じられる。

 

 怪盗の衣装を解かずに黒い長椅子に座っていた彼だが、トレードマークともいえるシルクハットやモノクルは外されているのでキッドは素顔のまま白馬の前にいた。

 もはや、その正体を隠そうともしない。

 いや、ここに白馬がいること自体、今の彼には見えていないのかもしれなかった。

「黒羽くん・・・・」

 うなだれて椅子に座っているキッドに声をかけたが、彼は顔を上げようとはしない。

 彼の膝の上で堅く握られている両手はピクリとも動かなかった。

 白馬は彼の隣に腰を下ろした。

 それでも、彼は白馬を見ようともしない。

 怪盗キッド・・・・・

 彼はクラスメートの黒羽快斗だ。

 確かにずっとそう疑ってきた白馬だ。

 だが・・・

(こんな形でそれを知りたくなかった・・・・・)

 

 

 ふいに手術室の扉が開いて、二人の少年はハッとなって顔を上げた。

 壁の時計を見ると、もうここに座って二時間近くが過ぎていた。

「例の女と話をしたい。呼び出せるか?」

 あ、ああと快斗は頷く。

「新一は?」

「まだ、なんとも言えん。薬を使うのに彼女の助言がいる。できればここへ来させろ」

「すぐに呼ぶ!だから、新一を助けてくれよ!」

 頼むから!

 貴一は快斗の頬を軽く掌で叩くと手術室に戻っていった。

 再び閉じられる扉を見つめていた快斗は、すぐに診察待合室に設置された電話に向かった。

 快斗は彼女の部屋の直通電話にかけた。

 もう真夜中だが、彼女はまだ起きている筈だ。

「あ、オレ!新一が撃たれた・・・そう、撃たれたんだ!叱責は後で存分に受けるから、来てくれないか。今、倉多医院にいる。そう・・・叔父貴の所・・・まだ手術が続いてる・・・・頼むよ・・・・」

 相手の叩きつけるように受話器を置く音が快斗の手にしている受話器から聞こえてきた。

 連絡した彼女はこちらへ急いで向かってくるのだろう。

(叔父・・・あの人は、黒羽くんの叔父だったのか?)

 初めてここへ来た時には、そんなそぶりは全く感じられなかった。

 もしかして、あの青年と出会ったのも偶然ではない?

「黒羽くん・・・」

 白馬は、受話器を持ったままずるずると床に座り込んだ快斗に声をかけた。

 肩に手をかけると、彼の震えが伝わってきた。

「・・・オレを捕まえねえのかよ」

「ボクは警官じゃなく、ただの探偵ですから」

 だったら、と快斗ほ振り向きざま肩にある手を払って白馬を睨みつけた。

「さっさと警察にキッドの正体を教えたらいいだろう。そうしたら、一躍世界の有名人だぜ?」

 おまえが尊敬してるシャーロック・ホームズのようになれるんだ。

 嬉しいだろうが。え?白馬。

「・・・・・・・」

「もっとも、その時はもう・・・オレは生きてねえけどな」

「黒羽くん!」

「新一のいない世界で生きる意味なんて、オレにはないからさ」

 新一が死んだら、オレは狂うか死ぬしかないんだ。

 白馬は快斗の両肩を掴んで、まっすぐに彼を見つめた。

 快斗はびっくりしたように瞳を見開いた。

 白馬は快斗のアメジストの色を浮かべた瞳に思わず見とれた。

工藤くんは死にません!

 工藤くんが、あなたを不幸にすることも、死なせることもするわけがない。

 だから、彼は絶対に助かります!

 白馬は、朱に染まったキッドの衣装を身につけたままの快斗をきつく腕に抱きしめた。

 警察を翻弄し、危険な闇の世界の人間とも戦っているとは信じられないような華奢な肢体。

 とても少年から青年になろうとしているとは思えないような幼さすら覚え、白馬はその痛ましさに表情を歪めた。

「・・・・・・・・」

 快斗は白馬におとなしく抱きしめられていた。

 自分とは全く違う、大人になろうとしている逞しいその身体に何故か心が落ち着いた。

 認めたくはないが、自分は白馬のことが好きなのだと思った。

 白馬が自分のことを気にかけて、そして大切に思っていることが痛いほどわかる。

「生きてください!」

(・・・・白馬)

 生きてください、黒羽くん!

 

 

「白馬くん来たんだ!てっきりお休みかと思っちゃった」

 青子が教室に入ってきた白馬を見て声をあげる。

「おはようございます、中森さん」

「おはよう。どうしたの?」

「ええ。ちょっと用事があったもので」

 白馬くん、忙しいものね、と青子は可愛らしくニッコリ笑った。

「聞いてよ、白馬くん!快斗ったら、またズル休みなんだよ!おばさんに聞いたら、しばらく快斗の叔父さんと旅行なんだって」

「・・・そうですか」

「快斗の叔父さんなんて、青子聞いたことないんだけどなあ」

 青子は首を捻っている。

 白馬は誰も座っていない快斗の机を見た。

(そういえば、あの少女・・・・)

 倉多医院に血相を変えて現れたのは、まだ幼児とも見える小さな女の子だった。

 眼鏡をかけた小太りの男が彼女を連れてきたらしい。

 とても小さな子供とは思えないキツイ眼差しを向けて、彼女は手術室へ入っていった。

 いったい何者なのだろうか?

 夜が明ける頃になって、工藤新一の様態が安定し、もう大丈夫だと聞いた白馬はとりあえず自宅に戻り登校することにした。

 彼は、黒羽くんは当分工藤くんのそばから離れないだろう。

 とにかく、彼らが死ぬことはなくなったのだ。

 白馬は、ようやく、ほぉ・・と安堵の息を吐き出した。

 

 

 まるでゼリーのような液体の中で漂っているような気分だった。

 暖かくて、心地よくてこのままじっとしていたいようなそんな感じ。

 でも、急に彼は何か足りないようなもどかしさを覚え右手を伸ばした。

 すると、どこからか手が伸びてきて彼の手を掴んできた。

 力強く暖かなその手に彼はそこから引っ張り出される。

 新一・・・・・

 名を呼ばれて彼は、ゆっくりと瞳を開ける。

 最初に見えたのは、自分の右手を両手で包むようにして掴んでいる少年の顔だった。

 自分とよく似た顔立ちなのに、ちょっとだけ男の色気を感じる顔。

 快斗・・・?

 うん、と彼は新一の手を自分の頬に持っていきコクンと頷く。

「もう、大丈夫だよ、新一・・・・」

 快斗は口元に笑みを浮かべていた。

 だが頬に当てられた新一の右手は、彼の流す涙に濡れていた。

 

                                END

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