『なあ、平次。頼みたいことあるんやけど』

「なんや?」

 丁度クラブ活動を終え帰宅しようとしていた平次の携帯にかけてきたのは、幼馴染みの遠山和葉だった。

『うちが今バイトしてる店のお客さんなんやけどな。急にいなくなった職場の同僚を探してはんねん。警察に捜索願い出してるそうなんやけど、ちっとも手がかりあらへんねんて。平次、相談のってくれへん?』

「ええけど・・・そのいなくなったって人の家族はどう言ってんのや?」

 普通は家族が探すはずだろう。

『うん・・・その人、両親はとうに亡くなってるそうや。兄弟もおらへんし、つきあいのない遠い親戚がいるくらいで殆ど天涯孤独なんやて。しかも、その人、記憶喪失なんや』

 記憶喪失?

「って、行方不明やて人がか?」

『うん。なんや北海道で見つかるまでの記憶があらへんのやて。たまたま、高校の同窓会の案内のハガキ持っててそっから身元がわかったらしいんやけど』

 それで、同窓会の連絡先になっていた人物に知らせが行って身元が確認されたのだという。

「わかった。引き受けるかどうかは別にして、話聞くわ」

『ホンマ!じゃあ、これからでも構へん?うちら、今駅前のマクドにおるんやけど』

 マクド〜〜?

 まあ、学生服着て入っても目立たへんからええか。

 平次は携帯を胸ポケットに入れると、学生カバンを抱え誰もいない教室を出て行った。

 

 

「で、結局引き受けたんだ」

 人探し、と平次に向けて入れたてのコーヒーを差し出した黒羽快斗はニッコリ笑って向かいの椅子に腰かけた。

 好奇心より面白がってるのがありありとわかる笑顔に平次は苦笑を浮かべた。

 ま、こういうヤツだ。

「せっかくの土日が東京に来てパァだな、服部」

「しょうがないわ。引き受けてしもたんやから」

 平次は長ソファに寝そべってコーヒーを飲んでいる、この別荘の主である工藤新一に向けて肩をすくめてみせた。

 新一の身体の上には、冷やさないようにと快斗が持ってきたハーフケットがかかっている。

 今の快斗は本当に神経質なほど新一を気づかっていた。

 まあ、わからないでもないがと経緯を知っている平次は何も言わない。

 平次自身、新一のことは気になっているし、元気な様子を見るとやっぱりホッとする。

 狙撃され重傷を負ったという知らせを受けた時は、心臓が止まりそうなほど驚いたのだ。

 そういう危険があることはわかりきっていた。

 しかし、快斗がそばにいて何故新一にそんな怪我を負わせたんだとつい責めるように思ってしまった。

 とにかく、連絡を受けてから即行空港に向けてバイクを走らせた平次だった。

 あの時ほど、大阪から東京の距離を大きく感じたことはない。

 新幹線より飛行機の方が断然早いと選んだ筈なのに。

 心配で頭がどうかなりそうだった。

 怪我をした新一も無論心配だったが、快斗のこともひどく気になったのだ。

 二人の繋がりが誰にも想像できないほど深いものだと気付いていたから。

「怪我はもうええのんか、工藤?」

 実は平次が上京した理由には、新一と快斗の様子を自分の目で確かめることにもあった。

 見た目は大丈夫そうだが。

「ああ。もう平気だ」

 痛みもそうないし、身体の調子も悪くない。

「けど、風邪を引きやすくなってるから気をつけるようにって言われてんだろ」

 なんだよ、と新一は眉間に皺を寄せて快斗を睨んだ。

「だから、こうしてじっとしてんだろうが」

「それがずっと続いてくれたら嬉しいんだけどなあ」

 そうやな、と平次も快斗に同意する。

「ほんまに、ちょーっと動けるようになったら人の言うこときかんと動き回るんやからな、工藤は」

 おまえまで言うか、と新一は渋い顔で平次を見る。

「今回はちゃんと聞くって」

 いろいろ怖いヤツがいるからな、と新一はブスッと口を尖らせた。

「それより、探し出せそうなのかよ?」

 新一が訊くと、平次はうーんと唸る。

「すぐには無理やな」

 そりゃそうだ。

「でも、手がかりがあるからこっち来たんじゃねえの?」

「そうなんやけど・・・実際手がかりっちゅーても殆どないようなもんなんやし」

 平次が聞いた一番新しい手がかりというのは、その失踪した男がどこかの会社にスカウトされていたというものだった。

「けど、そん人、大阪から離れとうないって断ったらしい」

「でも、相手は諦めずに口説き続けていた・・・」

 そういう訳か?と新一が訊くと、そういう訳やと平次はフッと息を吐く。

「その口説いてた男が何処の会社の人間かはわからへんねんけど、東京から来たらしいいうのんは確からしいんや。彼氏がそう言うとったって」

 なあ、と快斗が問う。

「いなくなったその人・・・え、と」

「窪田や。窪田ヒロキ」

「その窪田さんってさあ、何でスカウトされたわけ?そんな優秀な仕事してたの?」

 いや、それなんやが。

「窪田さんはスーパーで働いてたんや。小さなスーパーなんやけど、そこで商品出したり、レジ打ちしたりとか。仕事は真面目やったらしいけど、飛びぬけてなんか出来たわけやないそうや」

 それで、なんでスカウト?

「別のスーパーからの引き抜きとか」

 って、なんか変だよね。

「服部。おまえ、なんか気付いたことあるんだろ?」

「ん・・・実は窪田さんが住んでたアパートの部屋にパソコンがあったんで見せてもろたんや。そうしたら、窪田さん、ゲームを作ってたようなんや」

 パソコンにはデータ残ってへんかったんやけど、それを誰かに送って見せてたようでメールが何通か残ってたんや。

「黒羽。おまえ、ネットゲームとかやってる言うてたよな?」

「たまにやってるよ」

「ほんじゃ”教授”というハンドルネームの男、知らんか?結構有名らしいんやけど」

「教授?勿論知ってるよ」

「ホンマか!窪田さんとメールのやりとりしてたんが、その”教授”やねん!」

 ふ〜ん?と快斗は鼻を鳴らす。

「教授が興味持つくらいなら、相当なもんだね」

 一度見てみたいもんだ。

「ゲームか・・・・」

 新一が考え込むような仕草を見せたので、快斗と平次は、なんだ?という顔で彼を見る。

「どうしたの、新一?なんか気になる?」

「あ、いや・・・前にジンがゲームソフトを作っていた人間に関わってたことがあったから」

 ジン・・・

 その名を聞いた途端、快斗の顔が険しい表情に変わった。

 新一を狙撃し重傷を負わせた組織の男だ。

「組織が関わってるかもしれないって思うの?」

 可能性はある、と新一は答えた。

 もし組織が関係しているなら、突然窪田が誰にも知られずに失踪した理由が納得できなくもない。

 彼は拉致されたのだ。

「OK。教授にあたってみて、そのゲームを見せてもらうよ」

「できんのか黒羽」

「まかせといて。ただ、今日明日ってわけにはいかないけどね」

「ああ、かまへん。頼むわ黒羽。オレはそっち方面は全くやから」

 なんかわかったら、すぐに教えてくれ。

 ああ、と頷く快斗の顔を新一が何か言いたそうにじっと見つめている。

「快斗・・・・」

「新一にもちゃんと報告するよ」

 約束は守るから。

「ま、この件はオレの依頼やし、オレが動くから工藤は気にせんとき。で、もし、これが工藤の追ってる組織絡みやったとしても、おまえは動かん方がええからな」

「わかってる。心配すんな。今動けばおまえらに迷惑がかかるってことは、ちゃんと自覚してるって」

 アラ?

 平次は目を瞬かせた。

「えらい素直やな」

 てっきり文句が返ってくると思ったのだが。

 快斗はクスクス笑う。

「新一さあ、有希子さんには泣かれるわ、哀ちゃんには脅されるわでちょっとした地獄見たんだよ」

「へ?」

 ・・・・ああ、なるほど。

「うるせえぞ、快斗!」

 新一は笑い転げる快斗を真っ赤な顔でにらみつけた。

 

 

 夕方になって平次はヘルメットを抱え外に出た。

 夕飯を一緒にとしようと二人に誘われたのだが、東京に来た本来の目的は依頼によるものだからのんびりしてはいられない。

「今夜会う約束してる人もおるんでな。夕食はその人とすることになってる」

「依頼の関係者?」

「いや別口や。親父の大学の後輩で検事やってる人がおってな。いろいろ情報仕入れとこう思て」

「へえ〜。でも、検事って、そう簡単に教えてはくれないんじゃないの」

「そこはまあ、いろいろ抜け道があるんや」

 とはいえ、口は堅い人やけどな。

「それより、工藤はホンマ大丈夫なんか?」

「身体の方は心配ないよ。怪我の治りは普通より早いしね」

「ならええけど」

 平次はヘルメットを被ると、バイクに跨った。

「ほな、行くわ。なんかわかったら連絡してな」

「ああ。そっちも情報あったら知らせてよね」

 おお、と平次は大きく頷くと暮れかけた道を走り去った。

 

 

 夕食後、新一が自室に入るのを確認してから自分の部屋に戻った快斗は、椅子に腰かけ机の上のパソコンの電源を入れた。

「”教授”・・・か」

 本当の職業ではなく、それはハンドルネームのようなものである。

 初めてネットで彼を知ったのは快斗が中学生の時だ。

 ネットでパズルゲームのようなものを公開しているのを見つけたのがきっかけだった。

 彼とコミュニケーションをとることはなかったが、発想がなかなかユニークで面白いので殆どストーカーのごとく追いかけた。

 とにかく、特定の場所を作らないので彼の作ったゲームをやるためにはネット中を探さなければならないのだ。

 それもまた面白かったが。

 そのうち、大手のゲームメーカーが”教授”のゲームに目をつけ商品化した。

 それは発売前から話題になり、予約が殺到し今も人気商品として店頭にならんでいる。

 彼の次回作をみんな期待しているが、二年たった今もまだ実現していない。

 偶然というか、新一が絡んだある出来事から一度だけ”教授”と顔を合わせたことがある。

 彼は二十代後半のまだ若い男で、印象は赤い短い髪の優男で一見ホストのようだった。

 実際ホストも経験していたらしいが。

 別れ際に、今度自分が作ったゲームで勝負しようと彼は言ったのだが、実現はしていない。

 何故なら”教授”は唐突にネットから姿を消したからだ。

(考えてみたら、これもりっぱな失踪だな)

 だから思いがけず”教授”の名を平次から聞いたときにはびっくりした。

「快斗」

 ノックと同時にドアが開けられパジャマ姿の新一が入ってきた。

「どうしたの、新一?」

「今夜はこっちで寝ていいか?」

 いいけど・・・と快斗は首を傾けながら新一を見る。

 珍しいといえば珍しいが、全くないわけではないので快斗は気にせず椅子から立ち上がった。

「気分悪い?」

「いや、悪くない。ただ」

 これから調べるんだろ?と新一はパソコンの方に視線を流す。

「ん、まあ平ちゃんに頼まれたからね」

 言いながら快斗は新一の肩を押して自分のベッドに入らせた。

「眠かったら先に寝ていいからね」

 快斗は寝かせた新一の上に布団をかける。

 まるで、小さな子供に対するような扱いだが、新一は文句を言わなかった。

 言っても快斗はただ笑うだけだからだ。

 あの時、快斗を責めた自分を後悔していない。

 だが、快斗はいろんな意味で後悔しているのだろう。

 それはここずっとの過保護ぶりからわかる。

 しかし、後悔してるからといって改善するかといえば、答えはきっとノーだ。

 快斗はこれからも一人で動く。

 新一を守るために。

 なあ、と新一はベッドにうつ伏せて椅子にすわる快斗の背中に話しかけた。

「”教授”ってのはあいつだろ?あの時屋上で会った・・・」

「うん、そうだよ」

「あれから、あいつに会ったか?」

「会ってないよ。いろいろあって忙しかったからさァ」

 実は平次からその名を聞くまですっかり忘れていたのだと快斗が言うと、新一はふ〜んと鼻を鳴らした。

 ま、新一も忘れていたのだから、そうだよなとくらいにしか思っていない。

 もし、その”教授”の消息が不明なのだと知れば、新一もそれだけですますことはなかっただろうが。

「”教授”ってあんまり足跡残さないから探すの結構大変なんだよね」

「ああ・・・そういや、この前のゲームも完璧に消えちまったもんな」

「次、いつどこに現れるかわかんねえし。まあ、そいつを見つけるのも宝探しみたいで楽しいんだけど」

「へえ〜。それは知らなかったな」

 んじゃ、あのゲーム見つけたのは運が良かったってことか。

「あれは、マヌケな刑事が関わってたしね」

 オレは知らなかったけど。

「見つけにくいのは、偽者もたくさんいるからなんだけどさ」

 だから検索してもすぐに見つかるわけではないのだ。

 しらみつぶしに探すしかコンタクトをとる方法はない。

 そう答えてからネットに集中し始めた快斗を見て、新一は話しかけるのをやめた。

 会話がなくなると、カタカタとキーを打つ音だけが部屋の中に響く。

 ふと、快斗の指が止まった。

 探索に集中してはいても、ずっと新一の視線を感じていた。

 それがなくなったので快斗は作業をやめ、ベッドのある方を振り返った。

 新一はこちらに顔を向けたまま眠っていた。

 快斗は、ほぉ・・・と息を吐いてから立ち上がる。

「やっと薬が効いたか」

 傷は塞がったものの、今も新一は哀が調合した薬を服用している。

 完全に治癒するまでは服用し続けることと彼女に言われた新一は、嫌味を言われるよりはマシかと大人しく薬を飲んでいる。

 確かに、薬のおかげで体調も良くなってきていた。

 彼女の調合した薬には安定剤も含まれているので、新一の睡眠時間は格段に増えている。

 身体を治すには静かに休んでいるのが一番というのが、彼女の診断だ。

 徹夜など言語道断だと、哀は新一に確認も取らずに強引に安定剤を混ぜた。

 そのせいで、所構わず居眠りする新一の姿が見られた。

 ここまできたら新一にもわかっているだろうが、薬の服用をやめようとまではしないようだった。

 よほど、母親と哀の脅しが効いたらしい。

 ずっと新一のそばにいる快斗には、ありがたいことだ。

 それでも、今夜はしぶとかったよな、と快斗は苦笑して、眠る新一の顔を見下ろした。

 それだけ気になったのか。

 そっと快斗は指先で額にかかる前髪をかきあげ、熟睡しているのを確かめる。

「おやすみ、新一」

 快斗は新一の白い額に唇を軽く押し当て、そばを離れた。

 

 

 

 大阪に戻って十日ほどたった頃、突然平次は快斗の訪問を受けた。

 夕方、学校の帰りに待ち伏せするようにして通学路に立っていた快斗に平次は驚いた。

「なんや、黒羽。来るなら来るで連絡くらいせえや」

 びっくりするやんけ。

 何言ってんの平ちゃん!と快斗はケラケラ笑う。

「平ちゃんこそ、いつもいきなり上京してくるじゃん」

「そりゃま、そうやけどな・・・・けど、おまえ、大阪来た時は迎えに来いゆーて電話してくるやん」

 んーと快斗は口元に笑みを浮かべたまま首をすくめる。

「今日は寄るとこあったから、そっちの用を先に、ね。で、時計みたら丁度平ちゃんの帰宅タイムかなあって思って来てみた」

 来てみたって、おまえ・・・・

「よお、わかったな」

「そりゃあ、同じ高校生ですからv」

 時間の見当くらいはつくよ〜、と快斗は当然だろという顔で答える。

 すれ違う可能性は考えなかったんかい?と平次は聞こうとしてやめた。

 こいつに限って、きっとそれはないだろうから。

 腐っても現役怪盗やからな、とは思っても口には出せないが。

「じゃあ、ウチくるか?オカンも喜ぶ」

 いや、と快斗は首を振った。

「今日は日帰りの予定だから。報告だけして帰るよ」

 え?

「行方わかったんかい!」

「いや、それはまだ。ただ”教授”を見つけた」

 それで、ちょっと言っときたいことがあってさ、と快斗は言う。

 平次は目を瞬かす。

「そんじゃ、どっかでメシ食おか。、まだやろ?」

 ええとこあるねん、と平次はカバンを抱えて快斗を駅前の商店街へ連れていった。

 平次に連れられ暖簾をくぐった店は、路地裏にある小さな中華の店だった。

「コンチワ!オバちゃん、奥借りてええか?」

「あら平ちゃん!久しぶりやなあ。奥は今空いてるし構へんよ」

 おおきに、と平次はカウンターで料理を作っている中年の女性に礼を言うと、奥に一つだけある座敷に上がった。

 そこは六畳ほどの畳の部屋だが、真ん中に掘りごたつが作ってあって腰かけられるようになっている。

「オバちゃん、焼きソバとチャーハンを二人前頼むわ!あ、餃子もな!」

 勿論二人前で!と入り口から顔を出した平次が注文した。

「食えるやろ、黒羽?」

「勿論v」

 店員が水とお絞りを持ってきた。

「この店は、ガキん頃から世話になっててな。中学の頃は、よお学校帰りに食べさせてもろたわ」

「へえ。いいの?平ちゃんとこ、そういうの厳しそうだけど」

「この店だけは別なんや。ここの店長、さっきのオバちゃんやけど、オカンの幼友達やねん」

 たまにやったら、売り上げに協力したり、とオカンに言われとる。

「どっちにしろ、ここでメシ食っても家でも食うけどな」

 うんうん。さすが、体育系。ハハ・・・と快斗は笑う。

 自分も似たようなもんだが。

 育ち盛りはとにかくお腹が空くのだ。

 たいして待たされずに料理が運ばれてきて、二人はまず空腹を満たすことに集中した。

「なんか、平ちゃんといると食べてばっかりのような気がするよなあ」

「大阪は食い倒れの街やって言うやろ。うまいもん食って、うーんと楽しむのが大阪なんや」

 それいいよねえ、と快斗は笑ってコクコク頷いた。

「それで、黒羽。”教授”とは接触できたんか?」

「いや、接触はまだ。”教授”と会うには細心の注意を払って段取り整えなきゃヤバイからさァ」

「ヤバイってなんや?」

「拉致られるか、問答無用で殺される・・・とか」

 返された快斗のとんでもないセリフに平次の目が驚愕に見開かれる。

「なんやとお!」

 そりゃ、どういうことなんや?

「新一が言ってたろ?組織がゲームソフトの開発者を狙ってたって。どうやら”教授”もそいつらに目をつけられてたふしがあるんだよね」

 おい・・・・

「オレもここんとこずっと忙しくて見てなかったから気がつかなかったんだけどさ」

 ”教授”が最近出てこないなあ、となんとなくは思ってたんだよ。

 でも、それを事件と結びつけて考えなかったから面倒になった。

「まさか”教授”はもう・・・・」

「いや、大丈夫。”教授”はまだヤツらに捕まってない」

 思った以上にしたたかで、用心深い性格だったみたい。

 ヤツらがうろうろし出した頃にはもう自分から姿を隠してた。

「まあ、天才ハッカーとしてブラックリストに載ってた過去があるから用心深いのも当然かもしれないけどね」

「なんや、そいつ犯罪者か」

 犯罪っちゃ犯罪だよね、と快斗は首をすくめた。

 インターポールのコンピューターまでハッカーしてた快斗には何も言えないが。

 もとから犯罪者だしぃ、と快斗は短く咽を鳴らす。

「なんとか接触してみるよ。でなきゃ、窪田って人の消息がわかんないしね」

「すまんな、黒羽」

 平次は申し訳なさそうに快斗を見た。

 そもそも、これは平次が頼まれた依頼なのだ。

「気にすんなって。ひょっとすると、オレにとっても瓢箪からコマかもしれねえし」

 はあ?瓢箪からコマって・・・・

「なんやあるんか?」

「ほら、新一を狙った奴がかかわってるだろ。そいつらの尻尾を掴めるかも、ってね」

 平次の顔が曇る。

「危険なことすんなや、黒羽。おまえも狙われとんのやから」

「何をやったって、危険なことには変わりないよ」

 オレも新一もずっとそういう中で生きてきてんだから。

「黒羽・・・・」

「そろそろ決着をつけなきゃいけないなあ、とは思ってんだ」

 新一が撃たれて余計にそう思った。

「・・・・・・・」

「オレと新一が自分の名で生きていけるのは、あと二年くらいだ。二十歳越えても今と見かけが変わらないってのは、変だろ?組織だけじゃなく、まわりにいる人間も気付くって」

 オレたちが異常だってことをね。

「敵を叩き潰せなくても、オレと新一は近いうちに世間から消えなきゃいけない。その方法としては、事故死ってのが一番いいかなって」

「・・・・・そんなこと考えとったのか、おまえら」

「もう、どうしたって元には戻れないからね。遺伝子自体が変化しちまってんだ」

 けど、不老不死に比べたらずっとマシだぜ?

「少なくとも、オレも新一も、いつかは死ぬことができる」

 不死だったらもうサイアク〜〜

 そんなもんを望む人間がいるってんだから、信じられないよなあ。

「誰でも死ぬんは怖いってことなんやろ。けど、死ねない怖さってのはなってみなきゃわからんもんなんやろな」

 オレも想像でけへんわ、と平次は言う。

 うん、と快斗は瞳を伏せた。

「そうだよね。オレにもわかんないよ」

 

 店を出た二人は、裏手にある小さな公園に入っていった。

 ブランコと滑り台だけの公園だが、取り囲むように植えられた木は桜だ。

 きっと春になれば薄いピンク色の花をつけた桜が綺麗だろう。

 快斗はブランコに座り、軽く揺らした。

 なあ、としばらくブランコを揺らしていた快斗が口を開いた。

「服部はさあ、ずっとオレたちにつきあうつもりある?」

「当たり前や。オレをのけもんにしようとしたってそうはいかへんで」

 くくっと快斗は笑う。

「その言葉、後悔しないでね、平ちゃん」

 するか!

「それより、オレに言っときたいことってなんや?」

 うん・・・と快斗は俯くとブランコを静止させた。

「キッドの命を狙ってる奴のことだけどさ」

「ハデスのことか?」

「ああ、そいつもだけど。オレ、かなり派手に邪魔したり挑発したりしたから、この世から抹殺したいって思ってる連中がたくさんいるんだよね」

 たあ〜〜と平次は頭を抱える。

 わかってたことだが。

「おまえ・・・そんな危険なんやったら、キッドやめたらどうやねん。まだ正体は知られてへんのやろ」

 殆どはね、と快斗は答える。

 ん?

「ちょっと待て!正体知ってる奴が、もしかしておるんか?」

「ハデスは知ってるね、オレのこと」

 ゲッ!

「おまえ、そりゃメチャヤバいやんか!」

 世界レベルの殺し屋に正体を知られ、しかもそいつはキッド暗殺の依頼を受けているのだ。

「ハデスはね、いいんだよ」

 うん。

「はあ〜?何がええんや?」

「あいつは今、新一を傷つけられて頭きてるからさ。目下のところ標的はキッドじゃないのは確か」

「そうなんか?けど、他にもぎょうさんおんのやろ」

「そいつらもさあ、心配ない。オレ、ある男と契約してっから」

「契約って、なんの?ボディガードでもやとったんか?」

 違う、と快斗は薄く笑みを浮かべながら首を振った。

「殺し屋を雇ったんだ」

「なっ・・・!」

 平次はとんでもない話に目を瞠った。

「おまえ、なんてことすんねん!工藤は知っとんのか?」

「知るわけないじゃん。いくら新一でも、殺し屋雇うなんて許すわけないもん」

「当たり前や!」

 オレだって許さへんわ!

「で?その殺し屋にキッドを狙う奴を殺せって頼んだんかい」

「違うよ」

「じゃあ、誰を標的に・・・・・」

「オレを・・・・怪盗キッドを殺せと依頼した」

 平次は絶句した。

 まさしく呼吸が止まるほどに。

「黒羽っっ!!おまえ、正気かあ!?」

「正気だよ。オレにはオレの計算というもんがあってさ」

 ヘロッとした顔でなんでもないことのように答える快斗に、平次は理解不能に陥った。

 自分とは違い多くの修羅場をくぐってきた、この天才児は確かにやること全てに計算があるのだろう。

 だが、自分の命をかけて何をやろうというのか。

「実はさあ、ハデスがキッドを標的にしたって聞いて、じゃあ、この機会にうるさい連中を一掃しちまおうって思ったんだ」

「どう一掃するっていうんや?」

「腕のいい殺し屋ってのはさあ、結構プライドがあって、自分の標的を他の奴に殺されるのを良しとしないんだ。だから、キッドを狙う奴がいたらまずそいつを始末する」

「・・・・・・」

「で、やっぱキッドを狙うハデスってのは一流の殺し屋だろ。プライドのある一流同士がやりあえば、どっちも傷を負うか相打ちになるんじゃないかなあ、って」

 ま、そう考えたわけなんだけど?

 平次はマジで頭がクラッときた。

「おまえ・・・やっぱり正気やないで」

 そお?と快斗はニッコリ笑った。

「・・・・・・」

 正気じゃないが本気なのが恐ろしいと平次は思う。

「なんや聞くのが怖いが・・・おまえが頼んだっちゅう一流の殺し屋ってのは誰や?」

「アッシュ・コクトー」

 今度こそ平次は立ち上がれないくらいの衝撃を受けてその場にしゃがみ込んだ。

 

 

 駅で快斗と別れた平次は、帰宅すると誰にも顔を合わせずに自分の部屋へ入った。

 今、誰にも自分の顔を見られたくなかった。

 特に母親には。

 カバンを床に落とすと、平次は大きく息を吐き出しながらベッドに仰向けに転がった。

(アッシュ・コクトーやと?あのアホンダラが!)

 別れ際、快斗は平次に言った。

 

 服部、おまえはオレたちの中に踏み入った。だから、最後まで付き合う覚悟を持ってくれよ。

 途中でリタイヤは許さねえぜ?

 

 黒羽・・・おまえ死ぬ気か?

 

 なんで?オレは最後まで新一と一緒にいるよ。そういう運命なんだ、オレと新一は。

 

(何を考えてるんや、黒羽?)

 

 

 

 今夜は月がない。

 地上を照らす天空の光は散らばる星だけであったが、それでも都会は多くの光に包まれていた。

 そんな中、倒産して放置されたままのホテルが忘れ去られたようにポツリと建っていた。

 一時幽霊が出るというので夜中の肝試しにやってくる者もあったが、今は別の場所が話題になって誰も来なくなっていた。

 そんな中、久しぶりに静まり返ったホテルに一人の訪問者があった。

 迷彩柄のジャケットにジーパン、やはり迷彩柄の帽子を深く被ったその男は、無人のホテルを見上げると非常階段をゆっくり上っていった。

 途中足を止めて周りを巡らせると、高層ビルの明かりやネオンの明かり、空にはチカチカと光を点滅させながら飛ぶ旅客機が見えた。

 ここだけが静寂に包まれ闇にのまれているような感じがする。

 実際、幽霊が出る出ないに関係なく、夜中に一人で訪れるような場所ではない。

 男は、はぁ・・・と溜めていた息を吐くと再び階段を上り始めた。

 地上八階建てのホテル。

 屋上まで上がるのに、さほど辛いものでもない。

 しかし。

 全く無用心だな、と男は呟いた。

 こんなに簡単に侵入できて屋上にも上がれれば自殺も犯罪もし放題ではないか。

 いやいや。オレが文句を言うことでもないがな、と男はクスッと笑う。

 屋上に出た男はぐるりと見回し誰もいないことを確認すると、腕時計に目を落とした。

 遅くなったかと思っていたが、約束の時間まであと一分少々あった。

「来てくれましたね”教授”」

 ふいに頭の上から声が聞こえ、え?と視線を上げればそこに純白の翼が広がっているのが見えた。

 大きな鳥・・・いや、世間を騒がす超有名な犯罪者”怪盗キッド”だ。

 重力などまるで関係ないと言わんばかりの軽やかさで、白い怪盗は男の目の前に舞い降りてきた。

 何度見ても華麗で美しい姿だ。

 白のシルクハットに白いスーツ、白いエナメルの靴。

 白ずくめのその姿は、闇を行く泥棒にあるまじきものであったが、滑稽というより見とれるような印象だ。

「お久しぶりですね、教授」

「ああ、ホント。テレビでは見てたんだけど、顔あわせるのは、あの騒ぎ以来かな。探偵くんたちは元気?」

「お元気のようですね。白馬探偵は毎回顔を見せては追ってこられますよ」

「工藤くんは?」

 キッドは、ふっと笑った。

「さあ?最近お見かけしませんね」

「そうなんだよな。ここ最近、消えたように姿が見えない」

「消えたのは、あなたも同じでしょう?」

 ああ、と教授は笑った。

「何があったんです?」

「ちょっとヤバイ連中に目をつけられてね。最初は甘い言葉で勧誘してきたんだが、そのうち本性が見えてきたんで逃げた」

 一応相手が諦めるまで姿を隠しておくつもりだったんだが、そろそろ限界かもな。

「あんたに見つけられちまったし」

 教授が肩をすくめると、キッドはクスッと笑った。

「苦労しましたよ。隠れ場所がどうしてもわからなかったので、結局あなたに出てきてもらうしかなかった」

「接触された時にはギョッとなったよ。念のためにコードは残しておいたけど、まさかそこに入り込まれるとは思ってもいなかったしな」

 さすがは怪盗キッド。

「確かに複雑で簡単に見つけられるものではありませんでしたが、ある程度高度な専門知識があれば探し出せますよ」

 ああ、と教授は頷く。

「だから、あんたに返事を返してからすぐにコードを閉じた。もう、俺にコンタクトを取る方法はない」

 居場所を見つけない限りはな。

(しかし、高度な専門知識か。恐れ入るね)

「あんたが見たいと言ってたゲームだけど」

 わるいな、と教授は先に謝る。

「盗まれちまったんだ。俺が作ったゲームもプログラムも全部・・ね。最初は人のゲームで金儲けしようって連中かと思ったんだが、どうもそういうんじゃなさそうだ」

「ええ。たちの悪い組織ですよ」

 教授は目を瞬かす。

「やっぱり知ってんのか」

「教授にゲームを送った窪田という人ですが、今行方がわからなくなっているんです」

 たあ〜と教授は頭に手をやった。

「そうか。ゲームを盗まれたのがマズかったかな。なんか人が良さそうだったしなあ」

「会ったことがあるんですか?」

「いや。メールを何度か交換した程度。内容がね、くそ真面目というか」

 ありゃ、かなり人に気を使うタイプだな。

「ゲームの出来は?」

「かなりのもの。俺とはタイプが異なる天才だな。そいつ、何者?」

「彼はスーパーの店員だそうです」

 はあぁぁ〜?

「俺はてっきり、どっか大学の研究室にいる人間かと思ったぜ」

 スーパーの店員ねえ・・・・

「彼にはハンドルネームがありましたか?」

「ハンドルネームかどうかはわからないが”サイファ(暗号)”という名があったな」

 キッドはかすかに眉を寄せた。

(サイファ?)

 まさか・・・な。

「聞きたいのはそれだけか?じゃ、もう行くぜ」

 あんまり役に立たなくて悪かったな。

「あ、ちょっと待ってください」

 キッドは教授を呼び止めると、懐から携帯電話を取り出しどこかにかけた。

「・・・はい、彼はここに・・・・ええ、伝えておきますので、後はよろしく」

 キッドは短い会話で通話を切ると、怪訝な顔をしている教授を見た。

「下にインターポールから派遣された警部が待っています」

 は?

 教授は一瞬呆けたように口を開けた。

「なんだなんだ、それは!オレを売るってのか!」

「いいえ、とんでもない。彼はハッカーのあなたを捕まえるのではなく、組織に狙われている民間人を保護するために来ているんです。あなた自身も、一人で身を隠すのは限界だと思っているのでしょう?」

「そりゃあ・・・・」

「彼らがあなたをヤツらから守ります」

 教授は理解できないという表情でキッドを見つめた。

「怪盗キッドはインターポールが追ってる犯罪者なんじゃないのか?」

 なんでツーカーなんだ?

「組織を潰したいという目的が同じだからですよ。といって、別に馴れ合ってるわけじゃない」

 一時休戦しての共同戦線・・・というところでしょうか?

 インターポールにとっては、相当に不本意な選択だったでしょうがね、とキッドはクスクス笑う。

 う〜ん・・・まあ、そうなんだろうなあ。

「インターポールの保護を受けるか受けないかはあなた次第です。強制はしない。嫌ならそのまま背を向けて立ち去ってください。彼はあなたを無理やり確保しようとはしませんから」

 では、とキッドはその白い姿をフワリと浮かす。

 おい、と教授は去っていこうとするキッドを呼び止めた。

「また会えるか?」

「そうですね。次はゲームをしましょう」

 キッドはそう言うと月のない闇の中にその姿を消した。

 

 

 

 四時間目の授業が終って教室の中も外もザワついてる中、長身の少年が三年B組の教室に入ってきた。

「あれえ?白馬くん。今日はお休みじゃなかったの?」

 真っ先に気付いて声をかけたのは、親友の恵子と向かい合わせになってお弁当を食べている中森青子だった。

「おはようございます、中森さん。ええ、午後の授業が間に合いそうなんで登校しました」

「うわ。やっぱり真面目なんだァ、白馬くん!快斗だったら絶対面倒くさいって休んでるよ」

 ほんとに、この所の快斗は学校を休んでばかりなのだ。

「今日は黒羽くん、来てるんですか?」

「うん。今日は一緒に学校に来たの。早起きしたからって、青子の分もお弁当作ってくれたんだよ」

 えーっ?と恵子は今知ったというように、青子が食べている弁当を見つめた。

「それって、黒羽くんの手作り弁当なのぉ?」

「そうだよぉ。おばさんがいない時はいつも快斗が弁当を作ってるもん」

 あ、でも寝坊したり面倒くさかった時はパンですませてるけど。

「へえ〜。そういえば、黒羽くん、お菓子も作ってたよね」

 いいんだぁ、と恵子は羨ましそうに青子を見た。

「黒羽くんはどこですか?」

 教室を見回しても快斗の姿はない。

「快斗ならお弁当持って出ていったから、また屋上じゃないかな」

 なんか雨降りそうなのに、と青子が見た窓の外は灰色の厚い雲に覆われていた。

 そうですか、と白馬は答えるとカバンを自分の机の上に置き、教室を出ていった。

 屋上に上がると、広がる空が近く見えるせいか、余計に暗く感じた。

 今にも冷たい雨が落ちてきそうな感じだ。

 白馬はすぐに快斗の姿を見つけた。

 彼はフェンスの真下にしゃがみ込んでいた。

 立てた両膝の上に伸ばした両手を置き俯いている少年の姿はひどく静かだった。

「黒羽くん?」

 呼びかけると、快斗はふっと顔を上げた。

「なんだ、白馬かよ。休みじゃなかったのか」

「ええ。用事が片付いたので午後の授業だけでも出ようかと思って」

 真面目だな、と快斗は苦笑する。

「オレだったら、きっと家で寝てるぜ」

 白馬は快斗の隣に座った。

「お昼、もう食べたんですか?」

 いやまだ、と快斗は脇に置いていた弁当を取ると、包んでいたナプキンを広げた。

「おまえは、もう食ったのかよ?」

「ええ。家を出る前に食べてきました」

 ふうん、と快斗は鼻を鳴らすと、パカッと弁当の蓋を開けた。

 中には炊き込みごはんとアルミケースに丁寧に詰められたおかずが入っていた。

 野菜の煮物や、俵にしたクリームコロッケ、サラダにレンコンのキンピラなどなど。

 男子高校生の作ったものというには、なかなかに手が込んでいる。

「美味しそうですね」

 弁当の中身を覗きこんだ白馬が感想を述べると、快斗が、おまえも食う?と弁当を差し出した。

「え?でも黒羽くんの昼ご飯でしょう」

「オレ、二時間目の休み時間にパン買って食ったからさあ」

 ちょっとならいいぜ?と言われ、白馬はそれじゃ、と煮物の一つを摘んで口に入れた。

「・・・美味い」

 味付けが絶妙だ。

「ほんとに、これ黒羽くんが作ったんですか?」

「ああ?なんで?」

「中森さんからそう聞いたので」

 青子か・・・まあいいけどな。

「工藤くんの怪我、どうですか?」

「もう心配ねえよ。傷は塞がったし、今んとこ体調は悪くなってないしな」

「そうですか」

 良かった、と白馬はホッと息を吐く。

 新一が撃たれた時、白馬も丁度あの場に居合わせた。

 衝撃的なあの光景は今も忘れられない。

 そして、あの夜、初めて黒羽快斗が怪盗キッドであった事実をその目で見た。

「工藤くんは、今どこに?」

 あの夜、運び込んだ診療所に工藤新一がもういないことは知っている。

 あれ以来、新一の姿はかき消すように消えていた。

「そいつは、おまえにも教えらんないよ」

 わかんだろ?

「・・・・・そうですね」

 工藤新一は狙撃された。

 おそらくは、彼らが敵とする組織の人間だろう。

 だからこそ、快斗は誰にも知られないよう新一を隠した。

「黒羽くんは、大丈夫なんですか?あなただって、危険な筈でしょう」

「オレはいいんだよ。まだキッドの正体は知られてねえしさ」

 黒羽くん・・・・

 快斗は吐息がかかるほど近くに顔を寄せた。

「感謝してんぜ、白馬。あん時、おまえがいなきゃ、オレは壊れちまったかもしれねえ」

「・・・・・・・」

 

 新一が死んだら、オレは生きていけない!

 

 あの夜、もし工藤くんが死んでいたら、黒羽くんは間違いなく自我を崩壊させていた。

 そう確信できることが白馬には恐ろしかった。

 そこまで深いつながりを持った二人の人間を見たのは、初めてだった。

 いったい彼らに何があるのだろう?

「でも、ここまでだ。おまえはこれ以上オレたちに関わるんじゃないぜ?」

「え?でも・・・・」

「これはオレたちの問題なんだよ」

「だからといって、危険な集団を野放しにはできないでしょう!」

「戦いを始めたのはオレたちなんだ。だから、おまえには出てきて欲しくない」

「黒羽くん!」

 快斗はさらに顔を寄せると白馬に口付けた。

 掠めるように触れてから、深く唇を重ね合わせる。

 少し驚いたように目を見開いた白馬だが、誘われるまま彼は快斗と口付けをかわした。

 白馬は、快斗の細い身体を引き寄せ腕の中に抱きしめる。

 二人は互いに舌を絡め、吐息を貪り合った。

「白馬・・・・」

 口付けを解いてもまだ吐息のかかる位置に顔を寄せていた快斗は、色の薄い白馬の瞳を見つめた。

「オレは、おまえを共犯者にする気はサラサラねえからな」

 言ってから快斗は背に両手を回しコト・・・と白馬の肩口に顔を埋めた。

「ことが一段落したら、オレと新一はおまえらの前から完全に消えるから」

「何故ですか、黒羽くん?何故・・・」

「オレも新一も、もう普通には生きてはいけねえんだ」

 おまえらと時間が違うんだよ、という快斗の言葉に白馬は首を傾げた。

 時間?いったい何のことなんだ?

 突然白馬の耳に携帯の着信音が聞こえてきた。

「わりぃ・・・オレだ」

 快斗は白馬の腕におさまったまま、学生ズボンのポケットに突っ込んでいた携帯を取り出した。

 白馬の肩口に顔を置いたまま、快斗は携帯を操作する。

 メールは大阪の服部平次からだった。

 昨日、行方がわからない窪田の顔をメールで送ってくれるように頼んでおいたのだ。

 添付されたファイルを開けると、画面にフレームのない眼鏡をかけた若い男の顔が現れた。

(こいつが窪田・・・・)

 顔立ちは普通で、それほど個性は感じられない。

 教授が言ってたように、ただいい人という印象だ。

 勿論、全く覚えのない顔だった。

「あれ?それ、窪田さんですか?」

 え?と快斗は顔を上げる。

「あ、すみません。見るつもりはなかったんですけど・・・」

 ちょっと気になって顔を向けたら目に入ったのだと白馬は弁解した。

「いや・・・こいつ知ってんの?」

「ええ。窪田さんでしょう?半年ほど前から時々うちの研究所に顔を出す人です。なんというか、少し変わった人なんですけど、データー処理がものすごく早くて」

 間違いなく、こいつ?と快斗は確認するように白馬に携帯を見せた。

「間違いありませんよ。窪田さんです」

「ふうん?」

 快斗は白馬から身体を離すと、携帯に表示されている男の顔を見つめ首をかしげた。

「窪田さんがどうかしたんですか?」

「いや、ちょっと探してたんだ。どこ行ったらこいつに会える?」

「さあ、それは・・・どこかの製薬会社の開発研究員だということですが」

「なに?身元調べてねえのかよ?」

 それでいいのか?

 快斗は呆れたように白馬を見る。

「はあ・・・うちの研究所の所長がえらく気に入って連れてきたもんで。身元は確かだと太鼓判を押してましたから」

「おまえも人がいいよなあ・・・スパイだったらどうすんだよ」

「そうなんですか?」

 びっくりしたように瞳を見開く白馬に快斗は、やっぱりコイツお坊ちゃんだなあと溜め息をつく。

「可能性だよ。んじゃ、おまえんとこの所長に聞いてくれる?」

 はあ、と白馬は頷くと自分の携帯を手にとって研究所にかけた。

 簡潔に短いやりとりをすますと、白馬は通話を切り快斗に言った。

「彼は今研究所に来ているそうです」

「おまえんとこの?」

 ええ、と白馬は頷いた。

 快斗は弁当箱をナプキンに包むと立ち上がった。

「白馬。おまえんとこの研究所に案内してくれねえ?」

「はい?」

「そいつと話がしたいんだ。いいか?」

「・・・わかりました」

 せっかく午後の授業を受けるために来たのだが、やっぱり今日の授業は受けられないらしい。

 だが、白馬は授業より快斗の望みを優先させたかった。

 

 

 携帯電話が鳴る音で新一はハッと現実世界に戻った。

 ソファに寝転んで本を読んでいるうちに、つい居眠りをしていたらしい。

(ったく、灰原の奴・・・・)

 眠くなるのが、灰原が調合した薬のせいだということはわかっている。

 わかっていても薬の服用をやめることはできない。

 傷の治りが早いのは体質的なものもあるが、灰原の薬のおかげでもあるからだ。

 第一、飲むのをやめたと知れたらどんな報復が待っているやら・・・

 新一は溜め息をつくとテーブルの上に置いてあった携帯を取った。

「フォックスか?」

『ええ。マジックは帰ってますか?』

 問われた新一は部屋の中を見回す。人の気配はない。

「いや、まだ学校じゃねえの?買い物してくるんだったら、遅くなるかもしれねえけど」

『買い物はわたしがしました。マジックに頼まれてね。何か欲しいものがありますか?ついでに買ってきますよ』

「あ、それじゃさあ、映画のDVD頼めるかな。夏にやってた仏のサスペンス映画が出てるはずなんだけど」

『ああ、この間マジックと話してた映画ですね。わかりました、買って持っていきます』

「サンキュ」

『気分はどうですか、ミスティ?』

「悪くねえよ。たださあ、やたら眠くてしょーがねえ」

 ああ、とフォックスは笑った。

 彼女もキレた灰原が睡眠薬を薬に混ぜて渡したことを知っている。

『寝る時はちゃんと上に何かかけて眠ってくださいね。マジックに怒られますよ』

「んな都合よくいくかよ。意識しないで寝てんだから」

 新一はムゥと口を尖らせた。まあ、風邪は極力ひきたくはないが。

『とにかく、出来るだけ早くそちらに行きますから』

 フォックスはそう言うと通話を切った。

 新一は携帯をまたテーブルの上に置くと座ったまま大きく伸びをし、ソファから立ち上がった。

 授業はもう終わる頃か。

 フォックスに買い物を頼んだのなら、快斗はまっすぐここに来るだろう。

 泊まるんだったら、一緒に映画見てもいいな。

 新一はそんなことを考えながら、コーヒーをいれるためにキッチンへ入っていった。

 

 

 あれから自主早退して快斗は白馬が呼んだ車で研究所へ向かった。

 実際、快斗が白馬の研究所に足を踏み入れたのは始めてである。

 何をやってんだか知らないが、快斗は別段興味を引かれなかったので来ることはなかったのだ。

「さすがでけえな」

 個人が建てた研究所とは思えない規模だ。

「亡くなった祖母の遺志で建てたものです。誰にも束縛を受けずに人を救う研究を続けられるように、と」

 祖母は科学者だったんですが、スポンサーに気を使い、軍や政治家に口出しされて研究を握りつぶされることにひどく怒りを感じていて。

 何故、人を救う研究が金にならないくだらないものだと言われないといけないんだと、祖父によく言ってたようです。

 それで祖父は彼女のためにロンドンに研究所を作ったんです。

 でも十年前放火にあって建物は全焼しました。

「再建も考えたようなんですがうまくいかず、それで施設をそっくりここに移したんです」

 なんだ、と快斗が呟いた。

「おまえの趣味で建てたんじゃなかったんだ」

 は?

「違いますよ!」

 ボクをなんだと思ってるんですか!

「何不自由のない大金持ちの我侭お坊ちゃん」

「・・・・黒羽くん」

 白馬はガックリと肩を落とした。

 いや、そう思われてるだろうことは気付いていたが、面と向かって言われるとやはり落ち込む。

 けど、と快斗は白馬の顔を見てニッと笑った。

「それだけじゃねえことは、ちゃんと知ってるよ」

「黒羽くん・・・・」

 二重のガラス戸を通って吹き抜けの広いロビーに入ると、白衣を着た中年の男が駆け寄ってきた。

「お待ちしておりました、探さま」

「急にすみません、所長。それで窪田さんは?」

「丁度研究所を出るところで捕まえましてね。事情を話したら会うと言ってくれまして、今中庭に」

「そうですか」

 良かった、と白馬はホッと息をついた。

 電話するのが僅かにズレていれば、今日は会えなかったのだ。

「じゃあ、行きましょうか」

「あ、わりぃ。オレ一人で会いたいんだけど」

「え?」

 ああ・・・と白馬は頷いた。

「わかりました。それじゃ、この廊下の突き当たりを左に行けば中庭に出られますので」

「サンキュウ、白馬v」

 快斗は白馬に礼を言うと一人廊下を歩いていった。

 光を一杯取り入れた廊下を進み、左に折れるとすぐに中庭に出る扉があった。

 中央に噴水があり、そのまわりを花々が埋めている。

 白いベンチと丸いテーブル、奥には温室も見える。

(金かけてんなあ)

 目的の男はすぐに見つけた。

 思ったより長身で細身のその男は、現われた快斗に向けニッコリ微笑んだ。

 帰るところだったというのは本当らしく、彼はシャツに茶色のジャケット、ボトムという服装で白衣は着ていなかった。

「窪田さんですか?」

「ええ。僕に会いたいと言うのは君?」

「はい。黒羽といいます」

 快斗は男の方に歩み寄ると名前を名乗った。

 近くで顔を確かめる。

 間違いなく、平次が送ってきた窪田の写真と同一人物だ。

 フレームのない眼鏡に、ごく平凡な顔立ち。

 とてもあの教授が天才だと感嘆するような感じではない。

 本当に、彼なのか?

「僕になんの用かな?」

 実は、と快斗は簡単に事情を説明する。

「人探しを頼まれた大阪の友人から、その人が東京にいるらしいので調べてみてくれないかと頼まれたんです」

「大阪?」

「ええ。勤め先の同僚が突然行方がわからなくなったので、探してくれないかと」

「ほおう」

「心当たりはありますか?」

 快斗が尋ねると、男はまあね、と頷いた。

「そうか、彼女が気にかけてくれたのか」

 男は意外だという顔をする。

「それは悪かったな。僕がいなくなっても誰も気にしないと思ってたんだが」

 僕は目立たない寡黙な男だと思われてたからね。

「多分、僕に仕事を教えてくれた彼女だと思うが、仕事以外では話もしたことがなかったんだけどね」

「とても心配されてますよ。事件に巻き込まれたんじゃないかとも思ってたようです」

 ふうん、と男は首を傾げながら笑った。

「わかった。じゃあ、君のその大阪の友人に伝えておいてくれるかな」

 僕は元気にしていて、何も心配することはないと。

「あなた自身が伝えたらどうです?その方が安心しますよ」

「それはできないな」

 男はクスッと笑って肩をすくめた。

 なんだか、思ってた印象とは違う。

「もう、大阪にいた時の僕じゃないからね」

「どういうことです?」

 男は、快斗の顔を見つめ、フフッと笑う。

「もう、あの職場では働けないということだよ」

 快斗は眉をひそめた。

 なんだか、言ってることがよくわからない。

 真実を言ってるようで、なんだかはぐらかされてるような気もする。

「それでいいなら、そう伝えますけど・・・・」

「ありがとう。用がそれだけなら、僕は失礼させてもらうよ」

 男が中庭から立ち去ろうとすると、快斗はもう一つのことを問いかけた。

「”教授”を知ってますか?」

「教授?どこの大学のかな?」

「あなたが、ゲームを送った”教授”のことですよ」

 男は、ふむ?と足を止めた。

「ゲームを保存したディスクは盗まれたそうです。それで、教授は、そのことが原因であなたが事件に巻き込まれたのではないかと心配してました」

「へえ〜盗まれたんだ」

「あなたも・・・・連中につきまとわれていたんでしょう?」

 さあ?と男は僅かに首を傾けた。

「しつこい勧誘はあったけどね。心配されるようなことはなかったよ」

 男が止まっていた歩を進めるのを見た快斗は大きく息を吸い込んだ。

「ちょっと待て、サイファ!」

 快斗が男の背にそう叫ぶと、男はピタリと足を止めた。

「”教授”にゲームを送ったあなたのハンドルネームだ。けど、オレは、その名を使っていた男のことを知っている」

 ふいに男の肩が笑いに揺れた。

 ・・・・・・!

「サイファ!あんた、サイファなのか!?」

 男は、くくくと咽を鳴らすとゆっくり顔を振り返らせた。

「だとしたら、どうする?カイト」

「レイジ!」

 快斗は驚愕と怒りに顔を赤くすると男に掴みかかっていった。

「その顔はいったいなんだよ!あんた、何やってんだ!?」

 快斗の覚えている、繊細で整った美しい顔立ちは今目の前にいる男にはない。

 平凡で目立たない顔。

「なかなかいいだろう?」

 三雲礼司は面白そうに自分の顔を白い指で撫でた。

「誰にも知られず事故死した男の顔なんだが、道を歩いてても誰も関心を見せなくてね。とても気楽な気分だったよ」

 確かにもとの礼司の顔は、誰もが振り返る美貌だった。

 その美しい顔を平凡な顔に整形するなんて普通では考えられない。

「整形したのは、追われてたからなのか?」

 快斗は訊くが、礼司はただ笑っただけで答えなかった。

 組織に追われ、殺し屋にまで狙われていた三雲礼司が、顔を整形して逃れるというのはわからなくもない。

 だが、それだけか?

「だけど顔を変えたって、その瞳は変わんねえよ」

 平凡な顔に不似合いとも思えるしたたかな瞳の光。

「だから、こうやって眼鏡で隠しているだろ?」

 魔法の眼鏡v

「ああ〜?ほんと性格は変わんねえじゃん。よく誰も気付かなかったよな」

 スーパーでレジ打ちしてたって?

 全然似合わねえって!違和感バリバリだぜ。

「顔を変えた時、一緒に暗示で記憶を消したんだ」

 いわば、別人だったんだよ、と礼司は楽しそうに笑う。

(こおのぉ〜〜)

「てめーのせいで、オレと新一がどんな目にあってると思ってんだ!」

「この状況が最悪なことだったとしても、選んだのは工藤優作なんだよ」

 え?

「工藤優作は息子の死より、生を選んだ」

「・・・・・・」

 そういうことだよ。

 胸倉を掴んだまま、快斗は礼司の顔を凝視した。

 いったい・・・・

「それって、なんのことなんだ?」

 息子のって新一?

 新一の死って・・・・・

「彼に聞いてごらん」

 工藤優作に、ね。

 礼司は胸倉を掴む快斗の手を押さえるように自分の手を重ねた。

「カイト」

 俯いていた快斗は、名を呼ばれてハッと顔を上げる。

「パズルは全部集まったかい?」

「あ・・・」

 まだ、と首を振る。

「まだ、三分の二しか・・・・」

「充分だ。それを鍵にして追っておいで」

「え?」

「ゲームを始めるから」

 役者はそろったろ?

「・・・・・・・」

 礼司は静かに快斗の手を外した。

「新一を連れていくよ」

「・・・え?」

 快斗は大きく瞳を見開いた。

「彼はゲームの中心だ。彼がいなくてはゲームを終わらせられないだろ?」

「レイジ・・・・!」

 快斗は悲鳴のような声を上げた。

「・・・・・カイト」

 微笑を浮かべたレイジの白い手が快斗の片頬を包む。

「新一が欲しいならゲームに勝つんだ」

 勝ってゲームを終わらせろ。

 

 

 コーヒーを入れてリビングに戻った新一は、読みかけの本を取り続きを読もうとソファに腰かけた。

「あ、そういや早河のミステリー雑誌の発売日、今日だっけ」

 これも頼んどきゃ良かったと新一は後悔する。

 フォックスはもう無理かな。

 快斗に言う方が確実か、と新一はテーブルの上にある携帯電話に手を伸ばす。

 と、そこへ車が止まる音が聞こえ新一は手を止めた。

 フォックスが着いたのか。

 新一は本を置くとソファから立ち上がった。

 荷物があるだろうからと、フォックスを迎えるため玄関のドアを開ける。

 しかし。

(あれ?)

 止まっていたのはフォックスの車ではなかった。

 黒のBMW。

 後部のドアが開いて出てきた女性に、新一は瞳を瞬かす。

「シーナさん?」

 どうして、ここが?

 この場所を知っているのは、フォックスや快斗など身近にいる人間だけだ。

 まさか、倉多先生が?

 続いて下りて来た人物に新一は驚いた。

 三十半ばくらいの見知らぬ男だったが、彼の腕に抱かれていたのは、二歳くらいの小さな女の子だった。

 金髪の巻き毛に青い瞳。

 アンティークの人形のように愛らしい女の子。

 子供は新一を見ると、嬉しそうに声を上げた。

 小さな手を伸ばし、紅葉のような指で新一を指す。

「ミーティブーン!」

「・・・・・!」

 新一は息を呑み、茫然とその場に立ちつくした。

 

 

「黒羽くん?」

 二人の会話を邪魔しないよう離れた場所で待っていた白馬は、窪田を見送った後すぐに小走りで中庭へ出た。

 快斗は噴水近くで俯いてじっと立っていた。

 彼がどうして窪田に会いたがったのか、どのような会話があったのか白馬は知らない。

 だが、沈黙の中に立ち尽くす快斗の様子は、ついさっきまでの彼とはまるで違っていた。

 いったい何があったのか。

 白馬の呼びかけに一向に反応しない快斗に向けてもう一度声をかけようとした白馬は、ふいに携帯の着信音を聞き足を止めた。

 快斗は俯いたまま、ズボンのポケットに突っ込んでいた自分の携帯を取った。

 かけてきたのはフォックスだった。

 彼女は快斗が今どこにいるのか尋ねたが、それには答えず彼は状況を訊いた。

「・・・新一は?」

『わたしが着いた時にはミスティの姿はありませんでした』

「争った後はあったか?」

『それはないですね。ドアが半開きになっていただけで。彼の携帯に電話して話をしてから三十分もたっていません。僅かの時間で彼はここを出ていったとしか』

 タイヤの後が残っていたので、新一は車で連れ去られたようだとフォックスは言った。

 新一がなんの連絡もなしにそこから離れるわけはない。

 しかも、フォックスがすぐに来ることがわかっていたのだから、なおさらだ。

 となると、何者かに拉致されたと考えるしかない。

「追わなくていい・・・ああ、わかってるから。ムッシュウを呼んどいてくれるか」

 オレ?オレは・・・・プロフェッサーを捕まえてそっちに行く。

「ああ、そう・・・・ゲームが始まるんだ」

 絶対終わらせてやる・・・!

 快斗は携帯を切ると心配そうな表情で自分を見る白馬の方を振り返った。

「何があったんです、黒羽くん?」

 なんでもねえよ、と快斗は言って白馬の横をすり抜けた。

「黒羽くん!」

「たいしたこっちゃねえんだ。ただゲームするだけ」

 サンキュな白馬、と快斗は振り返らないまま右手をひらひら振って白馬の前から姿を消した。

 

 

 

 工藤優作の持ち物で、新一が身を隠す場所としていた別荘に奇妙な繋がりを持つことになった四人の男女が集まった。

 大き目の一人用のソファにゆったりと腰を下ろす男は、世界的な推理小説作家であり高校生探偵工藤新一の実の父、工藤優作だった。

 ローテーブルを挟んで彼と向き合う位置に置かれた同じ形のソファが二つ。

 右側に快斗が、左側にベネットが座り、彼らの背後に長身のフォックスが立っていた。

「新一は、本当は十年生きられなかったのだよ」

 新一はまだ胎芽といえる時期に、ある実験を施された。

 勿論、有希子は今も知らないがね。

 母親には知らせずに行なわれた実験で、何十人もの赤ん坊が胎児の段階で亡くなり、無事に生まれてもその殆どが障害を持って一年以内に死んだ。

「私たちの息子は、なんとか生き残ったが、やはり障害があった。症状が出たのは新一が五歳の時だ。内臓の機能が低下し、やがては心臓までも止めてしまう。治療法はなかった」

 優作の口から初めて語られる真実に、快斗は愕然となった。

「なんで新一が!オレだって・・・・!」

 オレだって、新一と同じ実験をされて生まれたのに!

「君は実験の唯一の成功例なんだよ、快斗くん。生き残った他の三人にも障害があり、おそらく成人することはないだろう」

「そんな・・・・」

「だが、せっかく授かった息子を、そんな身勝手な実験で失うことなど私は許せなかった。有希子は、もう二度と子供を生めなくなっていたからね」

 新一は私たち夫婦の至上の宝なんだ。

 そんな時、知り合ったのが三雲礼司だった。

 彼はアメリカにいる時に実験のことを知り、まず名前が知れていて接触しやすい私に手紙をくれたんだ。

 そして、彼が当時研究していた薬を使えば新一の命を救えるかもしれないと私に言った。

 だが、その薬は実際に効果が試されたことはなく、しかも新一の遺伝子自体を変えてしまうことになると彼に言われてね。

 死ぬことはない。

 だが、それは新一を別の意味で危険にさらすことになる。

 それでも私は迷わなかった。

 どんなリスクがあろうと、新一が生き続けてくれさえすればと思ったのだ。

 そのためには、何がなんでも新一を守り抜こうと決めた。

「まさか・・・僕を彼の守護宝石にしたのは、あなたですか?」

 ああ、と優作はベネットに向けて頷いた。

「君の事は傭兵に詳しい友人から聞いていてね。本気で新一を守るには戦闘のプロでないと駄目だと考えたんだ」

 それを言うと三雲礼司が面白がって、じゃあ三雲家に伝わる女王の宝石になぞらえて、ミステリアスブルーを守る宝石(ガーディアン)にしようと言ってね。

 私がエメラルド、ムッシュウベネットはルビー、そして怪盗キッドである快斗くんが帝王のダイヤモンドということにしたわけだ。

 しかし・・・と優作はふっと笑いを零す。

「まさか、怪盗シルバーフォックスや殺し屋のアッシュやハデスまでもが絡んでくるとは予想もしていなかったがね」

「類は類を呼ぶ、ですか」

 フォックスが言うと、優作はそうだなと笑った。

「レイジが新一を連れていったのは、どうしてですか?」

「彼はゲームを始めると言ったのだろう」

 つまり、そういうことだ。

「・・・・・・」

 マジック、とフォックスが快斗の肩に手を置いた。

「パズルの解読はできますか?」

「ああ。明日の朝までには解読してやる」

「ミスティは、今どこにいるのかわかってるんですか、ムッシュウ工藤」

「工藤くんの居場所はわたしが見つけ出すわ」

 突然、幼い少女の声が割って入ってきた。

「哀ちゃん?」

 彼らの前に現れたのは、小さな茶髪の女の子だった。

 彼女の後から、小太りで眼鏡をかけた初老の男が不安そうな顔で部屋に入ってきた。

「阿笠博士も?」

「優作くんから連絡をもらってな。慌てて来たんじゃ」

「工藤くんの拉致には、あのシーナという人が関わってるようよ」

 え?

「彼女のいた研究所か、もしくはその関連施設に工藤くんがいる可能性が高いわね」

「シーナって、ビル火災の時に助け出した女性だよね?彼女は何か理由があって研究所から逃げたようだけど」

 いったい?とベネットが少女に問う。

「彼女のいた研究所は、八十パーセント以上の確率で工藤くんの追っていた組織が裏にいる筈だわ」

 つまり、黒羽くん、あなたにもまんざら関係がないわけじゃないわね。

「オレと新一が追ってた組織がおんなじだってことかよ」

「指令系統は違っても根っこは同じね。たどっていけば、必ず同じところに行き着く筈よ」

 工藤優作は、この場に集まった彼らの顔を一人一人見た。

 もし、新一が処置を受けることなく八歳で亡くなっていれば、ここにいる彼らはこうして顔を合わせることはなかっただろう。

 これが運命なら、この先に起こることも運命だ。

 息子を失いたくないという親の身勝手さで、彼らを巻き込んだ。

 だが、彼らはきっとそのことに怒りを持つことはないだろう。

「ゲームを始めよう」

 

 負けはない。

 我々は勝つためのゲームを始めるのだ。

 

 

 金髪の小さな子供は、新一に手を繋いでもらって嬉しそうだった。

 シーナとアリスを人質に取られた形で連れてこられたのは、郊外にある小さな研究所だった。

 三キロ四方に民家は一軒もなく、三階建ての灰色の建物以外には何もない広大な敷地があるだけだった。

 建物の後ろには温室があり、どちらかというと研究所よりそちらの方が広く敷地をとっている感じがする。

 灰色の建物は建てられてからかなりの年月がたってる印象で、外から見た感じでは廃屋と変わらない。

 だが、中に入るとそれがただの見せ掛けであることがわかる。

 本当の施設は地下に広がっていたのだ。

 エレベーターで地下に降りると、四方に伸びた白い廊下で繋がった研究室がいくつもあった。

 セクションごとに分かれているらしいが、表にでていないだけに実際どのくらいの規模なのか、新一には把握しようがない。

 出入り口があのエレベーターだけということはないだろうが、これだけ深い地下施設から自力で脱出するのはかなり困難だ。

(快斗・・・・・)

 あの後、すぐにフォックスが来た筈だから、新一が拉致されたことを快斗はもう知っているだろう。

 あいつなら、この場所もそう時間をかけずにわかるはず。

「君のガーディアンなら、この場所もお見通しなんだろうね」

 新一を迎えに来たと言った白衣の男はそう笑みを浮かべて言うと、暗証コードを打ち込んで扉を開けた。

 その部屋はたっぷり二十畳はあるだろう広さはあったが、中央に敷かれた赤い絨毯の上に長ソファが置かれているだけの殺風景な部屋だった。

 白い壁には絵画の一つもかかっていない。

 新一は男に促され、アリスを抱き上げるとソファに腰かけた。

 状況がまるでわかっていないアリスは新一のそばにいられるのが嬉しいのか、なんの不安もない笑顔を向けてくる。

「その子が何故君のことがわかるのか、知りたいかね?」

 目の前に立っている男が新一に訊いてきた。

 新一は眉をひそめて男を見返す。

 自分を見る目は、まるで興味深い研究対象を見るような目で新一は気に入らなかった。

「それより、オレはアリスの親がどうしてるのか知りたいんだけどな」

 シーナは研究所からアリスを連れ出したと言っていた。

 つまり、アリスは研究所にいたということになる。

「親・・・か」

 男は笑った。

「その子に親はないな。いや、ある女の子宮は借りたが遺伝上血の繋がった親はいない」

 アリスは特殊な能力を持った四人の男女の遺伝子を使って人工授精させた子供なのだと男は得意そうな顔で答えた。

 いわば、アリスは一つの研究の成果によって作り上げたモノであって人間ではないのだという言い方に新一はむかついた。

 自分の研究のためなら、人の命をも自由にしていいのかよと新一は憤る。

 科学者というのが、みんなこういう人種だとは思いたくはないが、しかし、自分を神だと錯覚している人間もいることは事実だった。

 組織に命じられて研究を続けていた宮野志保が、結果的に暗殺の薬を作ってしまったことに罪悪感すら感じることはなかった愚かな人種なのだと自分を評したように。

 

 だって、毒薬を作ってるつもりはなかったもの・・・・

 

 神の領域を侵した結果は、自滅の道しかないのではないか。

「その子は、ある特殊な遺伝子を持つ人間を見分ける力を持っているんだよ」

 たとえば、君のように遺伝子を変化させてしまった者、とかね。

「月の光がなくとも、この子には君の瞳が蒼く光るのがわかる」

 そういうことだよ、と男は言った。

 新一の瞳が蒼く光るのは、礼司が作った薬と処置によって遺伝子が変化し、それが瞳に現れるからだった。

 突然変異で生まれつき瞳が青かったことも関係しているのかもしれないが。

「三雲礼司が作った薬のデーターを我々はずっと探し続けてきたが、どこにもなかった。彼はデーターを巧妙に分散させて隠してしまったのだ。そうなると、一番確実なのは君だということだ」

「オレの身体を調べるというわけですか」

 新一は、ふん、と鼻を鳴らした。

 どうせ、そんなこったろうと思っていた。

「言っときますけど、オレは不老不死なんかじゃないですからね。ちゃんと年をとるし、病気にもなる。事故で死ぬことだってあるんだ。年をとらなくて死ぬこともないなんて夢物語なんだよ」

 人間にそんなことが出来るわけない。

 もしそんなもんが作り出せたら、人間を捨てるようなものだ。

「ただ、そんな夢みたいな宝石があるそうだけど」

 パンドラか、と男は呟く。

「あれも三雲礼司が伝説を利用して作った目眩ましの一つだな」

 本当にそんな宝石があるかどうかは別にして、三雲礼司が宝石の中に完成した不老不死の薬を潜ませたと考えられなくもない。

 月にかざせばその中に赤い色が浮かび上がると言うのも、らしい話じゃないかと男は新一に言った。

「仮定ばかりだ。あんたたちは本当に三雲礼司がそんな薬を作ったと信じてるのか?」

「実際、ここに君がいるじゃないか」

 だから!と新一は声を荒げた。

「オレは不老不死なんかじゃねえって言ってんだろが!」

「それは十年たってから言うんだな」

 十年たっても、君は今と変わらないはずだ。違うかな?

「・・・・・・・・」

「たとえ不死でなくとも、充分興味深い対象なんだよ。工藤新一くん」

 

 

 パソコンの電源を落とすと、快斗は椅子の背に力を抜いてもたれかかった。

 新一が拉致されて十二時間以上がたつ。

 組織がバックについている研究所なら、新一が危害を加えられることはないだろうと優作は言ったが。

 科学者にとって、新一は貴重な宝石と同じだ。

 壊しでもしたら取り返しがつかない。

 彼らも自分のものにできるまでは下手なことはしないだろうと。

 それに・・・レイジもいる。

 だが、耐えられない・・・・

 新一を奪われたことが耐えられない!

 くそおっ!と悪態をつこうとした快斗の携帯が突然軽快な着メロを鳴らした。

「服部か・・・」

 そういえば、連絡を入れてなかったっけ。

 快斗が携帯を取ると、聞き慣れた大阪弁が耳に飛び込んできた。

『よお、黒羽。顔写真ちゃんと届いたか?』

「ああ、悪い。ちゃんと届いたよ」

『で、どないや?なんかわかりそうか?』

「うん。平ちゃんの依頼主宛に伝言頼まれた。”僕は元気にしてるから何も心配はない”」

 はあぁぁ?

 電話の向こうで間延びした頓狂な声が響く。

『ちょお待てや!それ、どういうことや?おまえ、窪田さんに会えたんかっ?』

「会ったよ。伝言頼まれたって言ったろ」

『おいおい、ホンマかいな・・・そない早ぅ見つかるなんて、詐欺みたいやんか』

「何が詐欺だ。手こずるとは限んないじゃん」

『そりゃそうやけど・・・オレが頼んでからそない時間たってへんで』

「大阪で探したって見つかんないよ。東京にいるんだからさ」

 だからオレに頼んだんだろが。

 そりゃまあ・・・と平次はボソボソと言う。

「でも見つけたのは偶然。白馬の奴がそいつのこと知っててさ」

『はくばぁぁ?そりゃまた、えらいフェイントやんけ。どうなってんのや?』

「白馬が研究所持ってるの知ってんだろ?そこになんか知らないけど出入りしてたんだ」

 で、丁度研究所に来てたそいつに会ったわけ。

 う〜ん、と平次は唸った。

『研究所っていったいなんなんや?窪田さんは何してたんや?』

「さあ。なんかデータ処理とかしてるみたいだぜ。ま、そういうわけだから、安心しろって言っとけよ」

『ん〜〜なんやおかしな話やが、おまえがそう言うんならそうなんやろうし』

 伝えとくわ。

『おおきにな、黒羽』

「ああ。じゃあな」

『そや、来月またそっち行くわ。工藤に手土産何がええか聞いとって』

「わかった。あ、オレはたこやき饅頭ね」

『相変わらず甘いもん好きやな』

「平ちゃん・・・・」

『なんや?』

「最後までオレたちにつきあうって約束、忘れないでよ」

 平次は明るい声で笑った。

『約束やない。誓いやで、黒羽。とことんつきあったる』

 快斗は携帯を握ったまま微笑をうかべる。

「さんきゅ、平ちゃん」

 快斗は平次との通話を切った。

 その途端、耳に痛いほどの沈黙が快斗を包み込んだ。

 

 

 組織が資金を提供し研究をさせている施設に向かって走る黒いポルシェ。

 乗っているのは二人の黒ずくめの男。

 帽子から靴まで黒で固めた二人の男は、ずっと無言だった。

 ふと、助手席に座っている長髪の男の携帯が鳴った。

「おまえか・・・」

 電話の相手が何か言うと男はフンと鼻を鳴らした。

「そんなに意気込むな。ああ、わかってる。おまえらの用がすむまでは手を出さねえよ」

 ジンは煙草を箱から一本口にくわえて抜き取ると、ライターで火をつけた。

「わかってる。そいつらの相手は俺たちにまかせておけ」

 ジンは相手がまだ話しているのを無視し通話を切る。

「チッ。えらそうなことを言うわりにはビビリやがって」

「兄貴、怪我はいいんですかい?」

「ふん。こんなもんは怪我のうちに入らねえよ」

(くそ・・・あの時ちゃんと始末をつけておけば、こんな面倒はなかったんだ)

 あの夜、工藤新一の狙撃を邪魔した男・・・何者か知らねえが、どうせ奴のガーディアンの一人だろう。

 きっちりと落とし前をつけてやるぜ。

 フフ・・・とジンはまだ痛む傷に触れながら冷たい報復の笑みを刻んだ。

 

 

 街外れの高台にある公園からは、都会のキラキラした光が見下ろせた。

 とっぷりと暮れた夜ともなると、眼下はまるで宝石箱をひっくり返したような色とりどりの煌めきが広がる。

 逆に、その公園は人の気配が全くなくなり、鬱蒼と茂る木々のために街灯すらあまり役に立たず暗闇に近かった。

 車で公園の入り口まできた男は、ゆっくりと石段をのぼっていった。

 そして、展望台にたどりついた時、丁度街を見下ろせる場所に一人の少年が立っていた。

 男に向けて背を向けて立っているのも、とっくに気付いているだろうに警戒一つ見せない少年に彼は苦笑を浮かべる。

「自分を標的にしている殺し屋を呼びつける人間は初めてだぜ」

 少年は男の方に顔だけ振り向かせた。

「いい経験が出来て良かったんじゃない?」

「ここで決着をつけるか」

 俺はそれでもいいぜ。

「・・・・・・」

 快斗はゆっくりハデスと向き合うように動いた。

「新一が拉致された」

 男・・・ハデスの眉間が僅かに寄った。

「だから、あんたとやりあう時間はない」

 じゃあ、何故俺を呼び出した?と答えがわかりきったことを聞くほどハデスも暇ではない。

「やっぱり、いい性格してんな」

「オレは利用できるもんはなんだって利用すんだよ」

 特に新一のためなら、な。

 バサッと羽音のような音と共に闇の中で白いベールが広がったかと思うと、突然その場に純白の怪盗が現れた。

 怪盗キッドはハデスに向けて一枚のディスクを投げて寄こした。

「先に行ってる」

 キッドは純白のマントを、まるで舞いでも舞うかのような仕草で翻すと眼下に広がる街のイルミネーションに向けて身を躍らせた。 

 ふわり・・・と重力に逆らうかのように一瞬浮いたように見えた。

 次の瞬間、白い翼が広がり白の魔術師は飛び去った。

「全く生意気なガキだぜ」

 この俺を利用するだと?

 フフン、とハデスは鼻で笑うと、キッドから受け取ったディスクを黒の皮ジャンのポケットに掴んだ手ごと突っ込むと、もときた道を戻っていった。

 

 

 

 スッと扉が開いて白衣の女が姿を見せた。

 すると、退屈しきって新一の膝の上に頭をのせながら、うとうとしていた子供がパッと目を開けた。

「シーナ!」

 子供はソファからトンと飛び降りると、両手を広げている彼女の方へと駆けていった。

「待たせてごめんね、アリス」

 子供を腕に抱き上げたシーナは、優しく頬にキスをした。

 それは、まるで本当の母子のようだった。

 そういえば、さっきの男が言ってなかったか?

 アリスはある女の子宮を借りて生まれた、と。

「シーナさん・・・アリスはあなたが生んだんですか?」

 ふっ、とシーナは小さく笑みをこぼすと新一を見つめた。

「ええ。研究のためだと信じてアリスを生んだわ。実の子じゃないけど、お腹を痛めた愛する我が子よ」

 研究以外には何も興味を持たない女。

 親に捨てられたわたしは親の愛を知らないし、異性に興味をもたなかったから男に興味もない。

 まるで氷のような機械人形だとまで言われていた。

「だから、わたしを母体に選んだんでしょうね」

 シーナは苦笑する。

 胎内で育つこの子は、ただの実験材料。

 血のつながりは勿論ないし、生まれてもわたしが育てるわけじゃないから母性本能など芽生えるはずはないと、彼らは思ったのでしょうけど。

「とんだ読み違いだったというわけよ」

「彼らはアリスをどんな実験に使うつもりだったんですか?」

「新しい人類の創造・・・かしら。植物でもいろんな遺伝子を使って新しい種を作るでしょう?それを人間でやろうとしたのよ」

 つまり・・・と新一は考えたくもないことを考えて眉をひそめた。

「変化したオレの遺伝子もその研究に使われるということですか」

 そうね、と彼女は頷いた。

「あなたは特殊だわ。特に、この研究所に多額の資金を出している組織にとっては咽から手が出るほど欲しかった素材なのよ」

「不老不死ですか」

「ええ。人類の見果てぬ夢ね」

 シーナは悲しそうに溜め息を吐いた。

「この研究所の最終目的だったわ。そのための研究をずっと続けてきたのよ」

「パンドラを探していたのも、その目的の一つ?」

「ああ、その伝説はわたしも聞いたわ。でも、ここでは一笑に付してたけど」

 でも・・・とシーナは言った。

「あの三雲礼司が絡んでいたのなら話は違ってくるわ」

 三雲礼司・・・・

「彼はいったいどこに?」

「わからないわ・・・組織も全力で探しているようだけど」

 もう、この世にはいないのかもしれないわね。

「・・・・・・・」

 

 

 純白の大きな白い鳥が闇の中から現れ、研究所の屋上に舞い降りた。

 監視カメラでそれを確認した所員は仰天した。

 屋上に降りられるまで全く気がつかなかったのだ。

 信じられない。

 とりあえず、ニキロ周辺の監視体制は万全だった。

 それは、空にも同様だ。

 今現在、この研究所に捕らえているミステリアスブルーの守護宝石の一人だとされる怪盗キッドが、常に空から現れることを考えて警戒網を張っていたというのに、なんとあっさり無効化されていた。

「怪盗キッドです!ヤツが来ました!」

「他は?他のガーディアンはいないかっ?」

「わかりません。今の所、どの監視カメラにも映っていませんが」

「注意しろ!キッドが一人で来るとは思えない。いや、もしかしたら、ヤツはオトリで、もう他のヤツらは侵入してるのかもしれん!」

 出入り口全てを固めろ!と警備責任者は叫んだ。

 一瞬で所内が騒然となるのを後ろで眺めていた男は、顔を顰めると舌打ちした。

 ついさっき工藤新一と会話を交わしたばかりだというのに。

(まさか、こんな早くに見つけられるとは・・・・・)

 予想を甘くしていたわけではない。

 連中の能力の高さを充分に考慮し予想をたてた。

 だが、ガーディアンの能力は男の予想を大きく上回っていたようだ。

「まあいい。ヤツらに入り込まれても、こちらには最強の防御システムがある」

 ガーディアンどもがこの地下施設に入れたとしても、もはや出る道はない。

 閉じ込められ餌食となるだけだ。

(あの眠る美少女”スリーピングビューティ”のな)

「行くぞ、窪田」

「はい」

 窪田は背を向けて歩き出した男の後をついていきながら、ニッと笑った。

 

 

 エレベーターの階表示が下がっていくのを男たちはじっと見つめていた。

 十数人の武装した警備員がエレベーターの扉に向けて銃口をむけている。

 扉が開いたと同時に一斉射撃で侵入者を排除するつもりだ。

 確保は初めから彼らは考えていない。

 今、この施設に侵入しようとしている連中は、いずれもプロであり、確保など絶対に無理な者たちなのだ。

 チン・・・とエレベーターが停止したことを知らせる音が鳴った。

 彼らは扉が開くのを待たないで一斉にトリガーを引いた。

 弾丸は次々に扉に穴を開けていく。

 何処にも避ける場所なく弾丸を撃ち込まれたエレベーターの扉が、ゆっくりと左右に開き始めた。

 普通なら乗っていた人間は蜂の巣だ。

 だが、中はカラッポだった。

 無数の穴だけが開いたエレベーター内部を見て呆気に取られていた彼らの目に、突然床に置かれていた代物が映った。

 ごくありふれた四角い目覚まし時計だ。

 沈黙した彼らの耳に、時を刻む音が聞こえてきた。

「爆弾だ!逃げろ!」

 彼らの一人が真っ青になって大声で叫んだ途端、エレベーター内部は大きな爆発音と共に吹っ飛んだ。

 警報が大きく鳴り響くが、設置されている筈のスプリンクラーは作動しなかった。

 煙がもうもうと立ち込める中、爆発で大きく穴のあいたエレベーターの天井から二人の人影がロープを使って下りて来た。

「ちょっと、やりすぎじゃねえの?」

「爆発はエレベーター内だけだし、それほど威力はないよ」

 まあ、音と煙は派手だけどね、と首をすくめたのは金茶の髪をした青年だった。

 色のついたゴーグルをつけているので顔立ちはわかりにくいが、それでも若い。

 そして、彼のすぐ後ろから現れたのは純白の衣装をまとった、あまりにも有名な怪盗だった。

 実際、衝撃で失神してるものの爆発によって死んだ人間はいないようだった。

 最悪でも骨折くらいだろう。

 新一のためだったら手段を選ばないのは、ガーディアンの共通なポリシーのようだ。

 どっちみち、問答無用で銃を乱射するような場所で気を使う必要はないだろう。

 二人は左右に長く伸びる廊下を眺めた。

 公の研究施設ではないから、当然内部がどうなっているかは調査できていない。

 だが、新一のいる場所はわかる。

 キッドはモノクルに触れて小さなポッチを押した。

 阿笠博士に頼んで作ってもらった、新一にだけ反応する追跡装置だ。

 作りは新一がコナン時代に作ってもらった追跡眼鏡と同じである。

 新一が狙撃され大怪我を負った時、内緒でミクロの発信器を埋め込んでもらったのだ。

 ただ機能はあまり良くなく、ニキロ圏内でないと反応しないのが難点だが。

 広いとはいえ、四方が二キロある地下施設などないだろうから、充分に役には立つ。

 こっちだ、とキッドは左側の廊下を進んでいった。

 ベネットは放り出された敵の銃を一丁拾い上げるとキッドの後についていった。

 

 

 カタ・・・と音がして格子が外れ、上も下も身体にぴったりした黒い服に皮のベストを着込んだ長身のほっそりした人物が壁伝いに下りて来た。

 地上に巧妙に隠されていた換気口から入ってきたのだが、途中巨大なプロペラを抜けるのにやや時間がかかってしまった。

 帰りは遠慮なくぶち壊そうと、さりげに物騒なことを考えながら、怪盗シルバーフォックスは音もなくその場を離れていった。

 その頃地上では、研究所に着いたジンとウォッカがエレベーターの前に立っていた。

「あれ?」

 地下施設へ降りるためにエレベーターを呼ぼうとボタンを押したが、明かりは消えたままだった。

「故障か?」

 ウォッカはエレベーター脇の壁に設置してあるインターフォンを押した。

「おい!誰もいねえのか!」

 ウォッカの背後でじっとその様子を見ていたジンは眉間に皺を寄せた。

「どうやら、ヤツらの方が先に着いていたようだな」

 ウォッカは驚いた顔でジンを振り返る。

「ヤツらって、あのガーディアンですかい?」

 まさか、こんなに早く!

 工藤新一を拉致してから、まだ一日しかたっていない筈だ。

 そんな短い時間で、この場所を見つけ強固な警備を突破し地下施設に侵入したというのか。

「ヤツらを甘くみたな」

 十年近く組織が追いながらも、その姿さえ見つけることができない、あの三雲礼司に関わっている連中だ。

 それなりのプロで、一筋縄ではいかないのは当然だろう。

「行くぞ。別のルートで地下へ降りる」

「へい」

 二人がエレベーターから離れようとしたその時、突然銃弾がジンの頬をかすめた。

「兄貴!」

「・・・・・・」

 ジンは険しく顔を歪めた。

 狙撃してきた人間は確認できない。

 だが、殺そうと思えば簡単に殺せたものを、威嚇だけにとどめた相手にジンは怒りを覚えた。

(ヤツか・・・・・)

 工藤新一の狙撃を邪魔した男。

「先に地下へ行ってろ」

「兄貴はどうするんですかい?」

「俺はヤツと決着をつける」

「そんな、兄貴!」

 行け!とジンに睨まれたウォッカは命令に逆らうことができず、中から研究所の裏手へと回っていった。

 ジンが一人になるのを待っていたのか、狙撃してきた男が軽い足音と共にホールに姿を見せた。

 まだ若い男だ。

 ひょろりとした痩せた印象だが、弱々しさはない。

 腰までの長い黒髪を首の後ろで無造作に束ねていた。

 顔に見覚えはない。

 だが、同類だとジンは思った。

 冷たい瞳は、人を殺すことになんの躊躇いを覚えない人間のものだ。

「あの夜、俺の邪魔をしたのは貴様か」

 ああ、と銃身の短いライフルを持った男がニヤリと笑って肯定する。

「おまえ、ジンっていうんだってな?酒の名を暗号名にするなんざ、おまえんとこの組織もシャレてるねえ」

 男はクスクスと笑う。

「貴様もガーディアンの一人か」

「ああ守護宝石ね!あれも面白いネーミングだよなあ」

 だが、残念ながら俺は違う。

「じゃあ、何者だ?何故俺の邪魔をした!」

「問われてほいほい答えるほど、オレは安っぽくなくてねえ」

 くくっと男は咽を鳴らす。

「ところで怪我はもういいのかい?」

「余計なお世話だ」

 ふ〜ん。

「んじゃ決着つけるか」

 俺もそんな暇じゃねえし。

「ヤツが来る前に終わらせようぜ?」

 ヤツ?

「ああ名前だけは教えておいてやろうか」

 おまえが生き残ったら、おまえが相手することになるだろうからな。

 何?とジンは眉をひそめる。

「アッシュ・コクトー。会ったことはなくても名前は聞いたことあるだろう?」

「・・・・・・!」

「キッドが面白い取り引きをしたもんで、俺もあんたもヤツとやりあうことは必至だ」

 わくわくするだろう?

 世界最高峰に立つスナイパーと言われてるヤツとやりあえるんだからな。

「貴様・・・・!」

 銃を抜こうとしたが、ガッと何かに弾かれる衝撃でジンは銃を取り落とす。

 カラン、と床に落ちる銃より僅かに遅れて音が響いた。

 見ると、大型のナイフが床に転がっていた。

「ナイフを使えるか?」

「・・・・・・」

「やるからには、楽しもうぜ」

 なあ?

 俺はあいつに傷を負わせたおまえを、あっさり殺す気はないぜ?

 ズタズタに切り裂いて、地獄を見せてやんないとなあ。

 ハデスはくっくくと楽しそうに声を上げて笑った。

 

「どういうことだ?」

 男はモニターに映っている侵入者たちの動きに目を瞠った。

 彼らは、迷いもなくまっすぐに工藤新一のいる部屋に向かっているのだ。

 多分、と窪田が口を開く。

「工藤くんに発信器がついていたんでしょう」

「発信器だと?」

 バカな!身体検査で何もないことを確認済みだぞ!

「身につけるタイプではなく、体内に埋め込むタイプでしょう。我々が感知できない微量の電波を出すものだったら、見逃してもしょうがない」

「しょうがないじゃすまないぞ!」

 男はバン!と怒りに任せて机を叩いた。

「・・・・ヤツらを甘く見たつもりはなかったが」

 それでもまだ甘かったか、と男は悔しげに顔をしかめた。

「まあいい。丁度いい実験体だ」

 連中なら、さぞ、いいデーターを残してくれるだろう。

 スリーピングビューティの、なと男は口端を引き上げた。

「窪田。スリーピングビューティーを目覚めさせるぞ」

「わかりました」

 窪田は頷くと、椅子に座り目の前にあるコンピューターを起動させた。

 ガラスの向こうにある巨大コンピューターが徐々に低い音を立てながら目覚めていく。

「解除キーをどうぞ」

 窪田が言うと、男はすぐに首にかけていたキーを取り、蓋を持ち上げキーを差し込んだ。

 男はモニターに映るガーディアンを見つめながら、くっとキーを回した。

 その途端、最新の思考コンピューター”スリーピングビューティー”は長い眠りから覚めた。

 一瞬、コンピューターが金色に光ったように彼らには見えた。

 

 

「なんだ?」

 突然、行く手を阻むように上から壁が落ちてきた。

 キッドは舌打ちし、まだ隙間があるうちに向こう側へ素早く滑り込んだ。

「キッド!」

 さすがにベネットは間に合わず取り残される。

 壁を叩くが、ビクともしない。

 かなり分厚い壁のようだ。

「くそっ。分断されたか」

 だが、キッドだけでも向こうに行けて良かった。

 新一のいる場所がわかるのは、あいつだけだし。

「しょうがない。こっちは敵の数を減らすか」

 向きを変え戻ろうとしたベネットは、ゲッと目を剥いた。

 またも行く手を阻むように壁が落ちてくるのが見えたからだ。

 おいおいおい。

(閉じ込めるつもりか!)

 ベネットは慌ててダッシュするが、僅かの差で間に合わず目前で閉じられてしまった。

「・・・・やばいな」

 まあ、このくらいの防衛システムはあって当然だが。

 ベネットは、やれやれと頭をかくと、扉のある方へ歩いていった。

 なんの部屋かはわからないが、こんな廊下の真ん中に突っ立ってるよりはいいだろう。

 扉はパスワードがないと開かないようになっていた。

「ちゃちいな」

 今更警報装置が鳴ったって意味はないし、とベネットは銃をホルダーから抜くと、パネルに向けて撃った。

 パシッとパネルから火花が散ると、扉はゆっくりと開いていった。

 中は何かの資料室のようだった。

 机の上にはノートパソコンがあり、左右の壁にはファイルがおさまった棚がある。

 え?

 部屋の中を見回したベネットは金色の瞳を驚いたように見開いた。

 入ってすぐに見たときにはいなかったのに、次に視線を戻した時、机にチョコンと女の子が座っていたのだ。

 柔らかく頬にかかったセミロングの黒髪に白いワンピースを着た十二〜三才の白人の少女だ。

 顔立ちは愛らしく、動かなければまるでお人形のようだった。

「君は?どうして、こんな所にいるんだい?」

 ベネットは不審に思いながら少女の方に近づいた。

 少女はベネットを見ても少しも警戒する様子を見せずに笑みを浮かべている。

 怖がらせないよう気を使いながら、ベネットはそっと右手を差し伸ばした。

 すると、少女はそれに合わせるように右手を伸ばしてきた。

 え・・・っ!とベネットは息を呑んだ。

 触れた少女の手はベネットの手をすり抜けたのだ。

 まさか・・・幽霊なんてことはないだろう。

 だったら、これは映像か?

(どう見ても生身に見えるぞっ?)

 驚くベネットに、少女はただ綺麗な微笑を浮かべていた。

 

 

「いったい、どうなってんだ!」

 コンピューターが起動したのはわかる。

 なのに、何故他のコンピューターが全て機能停止するのだ?

 監視カメラの映像も、今は全く映らない。

 しかも、外部とのコンタクトもとれないのだ。

「窪田!」

「ご心配なく。”スリーピングビューティ”はちゃんと目覚め正常に機能していますち」

「何が正常だ!どうなっているのか、全くわからないじゃないか!」

 ヤツらはどうした?ガーディアンどもは!

 それに、工藤新一は!

「ジェニファー。新一を映してくれるかい?」

 窪田がそう言うと、目の前の透明なガラスがスクリーンのようになって工藤新一の姿を映し出した。

 彼はまだあの部屋にいた。

 ソファに座った彼の前には、アリスを抱いたシーナがいる。

 今の所、何も変わった様子ははないようだ。

 これで工藤新一を奪い返されては、組織の怒りを買うことになる。

 なにしろ、導入した思考型コンピューターのテストを連中でやると提案したのは自分なのだから。

 そのために、ミステリアスブルーをすぐには組織に渡さずこの場所に連れてきた。

 失敗すれば、確実に処分される。

「監視カメラはどうして作動しないんだ?」

「見たいですか?」

 なに?と男は新参者だが、その能力を高く評価し連れてきた青年を訝しげにみる。

「ジェニファー、映像を映してくれないか」

 彼が見たいらしい。

 ふっ、と笑う青年に男はさらに疑問を覚え始めた。

 いったいなんなのだ?

「さっきからジェニファーって・・・・」

 何を言ってるんだ?と問おうとして男は絶句した。

 黒い画面だったいくつもの監視カメラのモニターに映し出されたのは、床に倒れて動かない研究員と警備員の姿だった。

 窪田は腰かけたまま静かに椅子を回すと、驚きで目を瞠りモニターの一つ一つを凝視している男と向き合った。

「ジェニファーというのは、彼女ですよ」

 ほら、今あなたの後ろにいる・・・・

「えっ!」

 男がびっくりして振り返ると、いつの間に入ってきたのか、十二歳くらいの白いワンピースを着た黒髪の少女が立ってこちらを見ていた。

(な・・・なんだ?いったいどこから?)

 この部屋には誰も入ってはこられない筈だ。

 第一、扉が開いた気配はない。

 じゃあ、どこから入って来た?

「あなたは知らなかったようですが、あの思考型コンピューター”スリーピングビューティ”は彼女が作ったプログラムを核として作られたものなんですよ」

 機械はどこまでいっても人間の持つ能力を超えることはできない。

「何故なら、人間にはものを考える柔軟性と無限に新たなものを生み出せる能力があるからです」

 だが、人間の寿命はたかだか百年余り。

 一人の人間が持てる能力を進化させるには時間がなさすぎるし、また人間は機械のようには生きていけない。

 その限界を補ったのが、このコンピューター。

「人間と機械が融合した、全く新しいコンピューターだったというわけですよ」

 ただし、これは実用化されることはないでしょうがね。

「何故・・・だ?」

「”スリーピングビューティ”という名がつけられたのは、別にシャレでもなんでもないんですよ」

 長寿ですが、その能力を保つためには眠りが必要なんです。

 長い長い眠りが・・・ね。

「それではとても実用的とは言えないでしょう?」

「・・・・・・」

 少女はじっと立ったまま男を見つめている。

 まるで人形のようだ。

「窪田・・・おまえは何者なんだ・・・・?」

 男は少女から目を離さないまま、背後にいる青年に訊いた。

 才能はあるが、ずっと平凡な害のない男だと思っていた。

 身元を調べても不審な点はなかった。

 ただ、数年前に北海道で記憶喪失という形で見つかったという過去以外は。

 さあ、と窪田は薄く笑った。

「何者でしょうねえ?」

 あなたや組織の存在にうんざりしている人間の一人・・・とでも言っておきましょうか。

 まさか、おまえ・・・・!

 窪田は少女に向けておいで、と両手をのばした。

 少女は嬉しそうな笑顔を浮かべた。

「三雲礼司か・・・・!」

 少女はまっすぐ礼司に向かって歩いた。

 彼の前に立つ男をなんの障害ともせずに。

 少女は男の身体を突き抜ける。

 男は恐怖の叫びを上げるかのように大きく口を開けると、そのまま床に倒れこんだ。

 少女は倒れた男を見向きもせず、礼司と向き合って立つ。

「さあて、ジェニファー。いよいよ最終段階だよ」

 組織のコンピューターを全て掌握し、破壊してやろう。

 

 

 新一は突然現れた少女に茫然となった。

「・・・・・ジェニファー?」

 まさか!

 彼女が生きてるわけはない!

 それに、目の前にいる彼女は自分が会った時の年格好だ。

 そんなバカなこと・・・・

 シーナも、いきなり幽霊のように現れた少女に息を呑んで立ち尽くしている。

 アリスは少女が見えているだろうに、ニコニコするだけでなんの反応も見せなかった。

 唐突に部屋の扉が開き現れた純白の怪盗は、やはり有り得ない少女の姿に気付き動きを止めた。

「キッド!」

 新一はソファから腰を浮かす。

 キッドはというと、眉をひそめて白いワンピース姿の少女を見つめていた。

「驚いたろう。あの時のジェニファーだよ」

「オレも見た。ここに来る前に、な」

 は?と新一は蒼い瞳を瞬かせる。

「こいつは、本物じゃない」

 キッドはスッと手袋をした右手を少女にむけて伸ばした。

 すると、その手は少女の身体を突き抜けた。

 新一は瞳を丸くした。

「立体映像か!」

「いや。それに近いだろうが、それよりも実体に近いものだ」

 映像のような不安定さがない。

 だいたい、映像なら向こう側がうっすら見えてもおかしくないだろうに、彼女の身体はちゃんと存在してるかのように透けてないのだ。

 こんなことができるのは、自分たちをゲームに引き込んだ元凶しかいないだろう。

 しかし、どうして彼女が。

 そういえば、とキッドは思い出す。

 以前”コクーン”の中でジェニファーに会ったと新一は言ってなかったか。

 それに、優作さんは、あの時使われたプログラムをなんと言った?

「とにかく、ここから出よう」

 もたもたしてたら、あいつの巻き添えを食いそうだ。

 何をするつもりなのか知らないが、どうせろくなことじゃない。

 キッドが促すと、新一はシーナたちを連れて部屋を出た。

 と、突然ドンという爆発音が聞こえ、廊下を吹き抜けるように爆風が彼らを襲った。

「なっ・・・!なんだ!?」

 新一はいったい何が起こったんだという顔になった。

 だが、キッドはわかっているのか平然とした顔だ。

「大丈夫。ムッシュウだ」

 キッドは新一たちを庇うように先に立って廊下を進んだ。

 

 

(くそっ・・・!)

 無数の、皮膚を裂かれた傷から血を滴らせた黒ずくめの男は、悔しげに唇を噛んだ。

 ナイフの扱いは素人ではない。

 もっぱら銃の腕を磨いていたが、ナイフを使った戦いも実戦で何度も経験してきた。

 なのに、この男には素人のように扱われる自分が腹立だしかった。

「貴様、何者だ?」

 自分と同じ匂いのする男。

 だが、腕が違う。

「あんたとは年季が違うんだよ」

 ハデスは咽を鳴らして笑う。

 人を殺したのはいくつの時だ?

 組織に飼われてから何人殺した?

「俺はな。実の親からも悪魔の子と忌み嫌われ恐れられた人間なんだよ」

 実際、俺は魔物だ。

「魔物・・・・」

 地獄の、な、と男がニヤリと笑った瞬間、ジンは男の正体に気付いた。

 こいつは・・・・この男は・・・・

 ジンは目を瞠った。

 まさか、この男が現れるとは・・・!

 まともにやりあって勝てる相手ではない。

 ジンはハデスのナイフを避けようと飛びすさった。

 が、端に追い詰められていたジンは状況を見誤った。

「・・・・・・・!」

 背中からぶつかったエレベーターの扉が、いきなり左右に開いたのだ。

 その向こうには箱はなく、深く暗い穴がぽっかりあいていた。

 ジンはそのまま後ろに倒れこみ、穴の中に落ちていった。

 それを見ていたハデスはフンと鼻を鳴らすと、血の付いたナイフをクルリと手の中で回し、ジンが落ちていった暗い穴の中に捨てた。

 

 

「ああ、君が来たのか」

 礼司は部屋に入ってきたフォックスにニコリと微笑んだ。

 事情を知らないフォックスは、椅子に座ってこちらを見て笑う見覚えのない男に首を傾げた。

「君と会うのは初めてかな。君のことは盗一から聞いていたよ」

「トーイチに?あなたは誰です?」

「三雲礼司、と言ったらわかるかな」

 顔はちょっと整形してね、変わってるが。

 礼司は自分の顔を撫でてクスッと笑った。

 はぁ?と珍しくフォックスは呆けたような表情になった。

 三雲礼司。その名は勿論知っている。

 マジックが全ての元凶だと言い続けた最強最悪の科学者。

 そして、自分たちを彼のゲームに引きずり込んだ人物。

 それが、今目の前にいる彼なのか。

「トーイチとお知り合いだったのですか」

「うん。僕は彼の大ファンでね。楽屋に花を持っていったこともある」

 その時、偶然だが、ようやく歩き始めたばかりの快斗と会ったこともあった。

「そうですか。それで」

 ここで何をしてるんです?

「破壊活動」

「・・・・・・」

「ずっとうるさい連中を黙らせたいと思っててね。とりあえず、連中の核となるものを破壊したところだ」

 組織のコンピューターを全て使い物にならなくした。

 そして、と礼司は手の下にあったボタンを押した。

「これで、連中から集めたデーター全てがインターポールのコンピューターに転送された」

 簡単だろ?

「確かに簡単ですが、ここまでくるのに相当な時間をかけたのでは?」

 まあな、と礼司は真実なので否定せずに頷いた。

「あなたのゲームは、これで終りですか?」

 いや、と礼司は首を振った。

「ゲームはまだ続くよ」

 

 

 地下施設の廊下は至るところが壁に閉ざされ、エレベーターのあるところまでは行けそうになかった。

 しかし、彼らは別の出口を見つけて地上へ上がった。

 教えてくれたのは、ジェニファーだった。

 彼女が彼らを出口のある場所まで導いてくれたのだ。

「サンキュウ、ジェニファー」

 新一がジェニファーの幻影に向けて礼を言うと、彼女は嬉しそうに笑った。

 

 

 新一を連れ戻してからの一週間は、彼らには平穏、世界は怒涛の一週間だった。

「はい、新一」

 快斗は入れてきたコーヒーを新一に渡した。

 新一は買い込んだ英字新聞も取り混ぜた十数種の新聞を朝から読み続けている。

 快斗は自分のカップを持つと新一の隣に腰かけた。

「インターポールもビックリだよな。いきなり、ずっと追いかけていた組織のデーターが自分とこのコンピューターに送りつけられたんだから」

 まあ、誰の仕業かはわかってるけど。

「これで、オレたちは組織に狙われることなく安泰だよね」

「だといいけどな」

 確かに、今の状況では新一たちを追う余裕などないだろう。

 完全に組織が消え去ることはないだろうが、当分は地に潜って出てこないに違いない。

 となれば、その間に身を隠し誰にも見つからない体制を整えればいい。

 それは・・・・工藤新一や黒羽快斗という一人の存在を消し去ることになる。

 大切な人間とも別れなければならない。

(蘭・・・・・・)

 新一の脳裏に、幼馴染みで、ずっと大切に愛したいと思い続けた少女の顔が浮かぶ。

 今もその気持ちは変わらない。

 でも、彼女と一生を共にすることはできないのだ。

「さて。じゃあ、オレ出かけるね」

 カップの中身を飲み干した快斗は腰を浮かした。

「なんだ。やっぱり行くのか」

「うん。今夜のダイヤは特別だしさ。もしかしたら、パンドラかもしれないし」

「組織はどうせ動けないんだし、パンドラは探さなくてもいいんじゃねえか?」

「う〜ん、そうなんだけどさ。でも、ちゃんと見つけておいた方が安心できるじゃん」

 なんつっても、オレたちに全く関係ないってわけじゃないしさ。

 そうなのか?と新聞を離して首を傾けた新一に快斗はふっと笑い、彼のこめかみに軽く唇を押し当てた。

「それにまあ、暇だし?」

「おい!」

 新一に睨まれた快斗はクスツと笑ってソファから飛び退いた。

「じゃね、新一」

 快斗は新一の蹴りを軽く避けると、素早く部屋から出て行った。

 

 

 都会の高層ビルの上で金色に輝く月を、いくつもの事務所が入った八階建てのビルの屋上で向き合った白い怪盗は、今夜の獲物だったダイヤを持った手をゆっくり下ろした。

 十五カラットのダイヤの中に、赤いパンドラは見えなかった。

 パンドラは三雲礼司の作った薬のデーターを閉じ込めたSJと、見果てぬ夢と欲望に捕らわれた者たちが二十世紀半ばからずっと追いつづけているという本物のビッグジュエルの二種類がある。

 後者はただの伝説と片付ければ別に探す必要のないものだ。

 だが、嘘だとも言い切れないなら、結局探すしかない。

(まあ、オレにはもう、どうでもいいことだけどな)

 今夜は白馬が来ていた。

 キッドを捕まえにきていながら、キッドの姿を見た途端ホッとした表情を浮かべていた。

 あんなあからさまに嬉しそうな顔していいのかよ?

 キッドは苦笑する。

 ずっと学校を休んでいたし、家にも帰ってなくて連絡もしなかったから心配だったのだろう。

 そんなだから、いつまでたっても、オレを捕まえられないんだぜ?

 キッドは背後から近づいてくる気配を捉え、瞳を伏せて笑いと共に軽く息を吐いた。

 持っていたダイヤを上着のポケットに入れると、近づいてくる相手と向き合うように動いた。

「もういいのか?」

 ああ、とキッドは灰色の瞳をした長身の男に頷いた。

「組織はしばらく動けないしな。体制を立て直すまで十年はきかないだろう」

 それだけの時間があれば、十分あいつが安全に生きていける条件が整う。

「もう、おまえがいなくてもいい、か」

 アッシュは純白の怪盗を眺めながらフッと鼻で笑った。

「いつまでも引きずっては生きていけないってことさ」

 ほおう、とアッシュは口端を上げ、銃口をキッドに向けた。

「それは、俺も同感だな。いつまでも、おまえにつきあってやるほど、俺も物好きじゃないからな」

 キッドはちょっと傷ついたように苦笑いを浮かべる。

「オレって、そんなに良くなかったか?」

 いや、とアッシュは首を振る。

「おまえは結構いい身体をしてたよ」

 

 怪盗キッドの姿が消えた地点から居場所を予想した白馬は、あるビルの前で車を止めると中へ飛び込んだ。

 エレベーターの電源が切られていたので白馬は階段を駆け上がる。

 このビルにキッドがいるという保障はない。

 ハンググライダーで逃走した彼が下り立ったのを見た者はいなかった。

 警察はもう遠くに逃走していると思っている。

 だが、白馬は知っていた。

 こんな月の夜は、ビルの屋上に下り立ち、まるで儀式のようにキッドは宝石をかざすのだと。

 もう一度・・・もう一度この目ではっきり確かめたい!

 彼がちゃんと今も存在しているのだということを。

(黒羽くん・・・・)

 六階を過ぎたあたりで白馬は銃声らしき音を聞いた。

 ・・・・・まさか!

 白馬は胸が締め付けられ鼓動が早くなる自分を感じた。

「黒羽くん!」

 白馬は階段を駆け上がった。

 屋上へ出るドアには鍵がかかっていた。

(こんなことはしたくないけど)

 非常事態だからと白馬は、手帳のしおりがわりにしていた細いペーパーナイフを抜き取り鍵穴に差し込んだ。

 ドアを開けた白馬は、自分もまた狙撃される可能性もあるということを無視して屋上に走り出た。

「黒羽くん!」

 白馬は、月明かりに浮かび上がる白い塊を見たとたん息が止まった。

 金色の月の光を弾くように浮かび上がる純白の輝き。

 白馬は足が震えるのを押さえながら、彼の方へと駆け寄っていった。

「・・・・黒羽くん!」

 白馬は瞳を閉じて動かないキッドを見下ろすと、すぐに屈んで右手を掴んだ。

 脈を打っているのを確認した白馬は、ホッと息を吐く。

 見た所、出血はみられない。

「おまえ・・・・バカ?」

 え?と白馬は目を瞬かす。

 キッドの瞳がゆっくりと開く。

「・・・・無防備にもほどがあるぜ。銃声聞いたんな・・・ら、いきなり駆け寄ってく・・・んなよ・・・」

「黒羽くん!撃たれなかったんですね!」

 良かった、と白馬は今度こそ安堵の吐息を吐き出した。

「撃たれたぜ?」

 キッドは自分の手首を掴んだまま泣きそうな顔をしている白馬に向けて笑うと、掴まれていない左手で自分の左胸を指した。

「心臓をですか!」

 白馬は仰天する。

「すぐに救急車を呼びますから!」

 白馬はおお慌てて携帯を取り出す。

 キッドは、くっくと咽で笑った。

「ホント、おまえ、バカ」

 心臓撃たれて喋るヤツがいるかよ。

 キッドは笑って、携帯を掴んだまま茫然としている白馬の顔を見上げ、上着の胸ポケットから何かを取り出した。

「あ・・・やべえ。変形しちまったな・・・・」

 あ・・・と白馬はポカンと口を開け、キッドがつまみ出したものを見つめた。

 それは一枚のコインだった。

「おまえがくれた幸運を呼ぶコインだ」

「・・・・・・」

 白馬は茫然と変形したコインを見つめ続けた。

(あいつ・・・・・)

 アッシュは、キッドの上着のポケットにコインが入っているのを知っていた筈だ。

 狙ったか・・・・

 あの男に偶然はない。

 殺すつもりなら、コインの位置を外したはずだ。

 とはいえ、コインに当たったからといって、心臓を撃ち抜かないという保障はどこにもない。

 確かに厚みがあって硬いコインだったが。

(・・・・・どういうつもりなんだか)

 キッドは苦笑を浮かべた。

 

 本気で死にたいと思ったらいつでも言え。苦しまずに殺してやるよ、キッド。

 

 

 

 ほら、と買ってきたソフトクリームを顔の前に突き出すと、ベンチに座っていた少女は嬉しそうに手を伸ばして受け取った。

「ねえねえ、快斗!今度はアレ乗ろうよ!」

 青子がアレと指差したのは観覧車だった。

 つい最近、これまであった観覧車よりもさらに高くしたもので、東都を一望できる上に、港の船まで見ることができるという話だった。

「ジェットコースターはいいのかよ」

「午前中、さんざん乗ったからもういい」

 んーと快斗はソフトクリームを舐めながら、赤い観覧車を眺めた。

 まあ、青子と個室に二人っきりってのもいいかv

 誰にも邪魔されねえし。

「じゃあ、行こうか」

「うん!」

 二人はソフトクリームを持ったまま並んで、観覧車の方に向かって歩いた。

 あれ?と先に気がついたのは青子だった。

「アレ、工藤くんじゃない?」

「え?」

「そうだよ!工藤くんだよ!蘭ちゃんもいる〜v」

 蘭も二人に気付いて、あら、と笑顔を向けた。

「なんだ、おまえらもデート?」

 新一は聞いてないぞ、という顔で快斗を見る。

 快斗は、お互い様だろ、と首をすくめて返した。

「青子ちゃんたちも観覧車に乗るの?」

「うん。蘭ちゃんたちも?四人乗りだし、一緒に乗ろうか」

 無邪気にそんなことを言い出した青子に呆れた快斗は、後ろから頭をはたいた。

「何?何するのよ、快斗〜〜」

「あんなあ、ダブルデートしてんじゃないんだぜ。邪魔してどうすんだよ」

 あ、そうか・・・と青子はやっと気付いたという顔で舌を出した。

「ごめん、そうだよね」

「ううん。わたしも青子ちゃんと一緒に乗りたいよ。でも邪魔しちゃ悪いから。あ、それじゃ、この後一緒にお茶でも飲まない?」

「あ、うんうん!いいよ〜」

 高校生カップルは約束を交わすと、それぞれの観覧車に乗り込んだ。

 観覧車はゆっくりと上に上っていく。

「うわあ、見て新一!どんどん小さくなっていく」

 うん、と新一は蘭と顔を並べながら下を見た。

「蘭・・・・」

 新一は蘭の唇にそっとキスをした。

「新一・・・・・」

 蘭は頬を染めたが、少し寂しげに瞳を伏せた。

「もう、会えない?」

「なんで?大学はこっちを受けるつもりだぜ」

「ほんと?」

「けど、同じ大学ってのは無理だな。おまえ、女子大受けるんだって?」

「うん。園子も受けるっていうし。でも、わたし、ちょっと迷ってる」

「何を?」

「わたしさあ、弁護士にもなりたいって思ってるの」

「おばさんの後継ぐのか」

「う〜ん、そういうつもりじゃないんだけど。ほら、お父さんが探偵やってていろんな事件に関わったでしょ。それで、犯罪を犯した人たちとも会ったりしたから、いろいろ考えちゃったんだ」

 だって、悲しい人も一杯いたから。

「・・・・うん」

「そんな人たちの役に立つのもいいんじゃないかなって」

 でもまあ、決めたわけじゃないけどね、と蘭は答えた。

「まだ考える時間あるよ」

「そうだね。新一はどうするの?」

「もう一度親父たちに会ってくる」

「またロスに行くの?」

「いや、今親父たち大阪に来てんだ。服部の両親に挨拶したいとか言い出してさ」

 それで、オレも行かないといけなくなった。

「いつ?」

「今日。この後、すぐに新幹線に乗るんだ」

 ええ〜っ!と蘭はびっくりする。

「それなら、今日わたしと出かけなくても良かったのに」

「今日しかねえんだよ。大阪行った後、親父たちとまたロスに行くから」

「そうなんだ・・・・」

「でも、帰ってくるぜ。試験受けなきゃいけねえしさ」

 うん。

「待ってるよ、新一」

 蘭はニッコリと微笑んだ。

 新一はもう一度、今度はちゃんとしたキスをした。

 

 

 東京駅、新幹線のホームに新一は息を切らせながら駆け上がっていた。

 蘭を途中まで送ってからタクシーで東京駅に向かったのだが、途中渋滞に引っかかってギリギリになったのだ。

 最終だから、乗り損ねるわけにはいかなかった。

「新一、こっち!」

 止まっていた新幹線から快斗が顔を出し、駆け上がってきた新一に向かって手を振った。

 快斗もいっしょに行くことになっていたのだが、別々に彼女を送ったので東京駅で合流することになっていたのだ。

 発車のアナウンスが流れると、新一はちくしょう〜と歯噛みしながら全速でホームを走った。

 快斗が手を伸ばす。

 新一は、走りながらその手を掴んだ。

 快斗は新一の手を掴むと中へ引っ張り込んだ。

 同時に、扉がゆっくりと閉まった。

「間に合ったね、新一v」

 快斗は引っ張り込んだまま新一を腕に抱きしめていた。

 新一はというと、もう呼吸を整えるのに必死で快斗にしがみついていた。

「ほら、新一。東京が流れていくよ」

 快斗が言うと、新一は視線だけ外に向けた。

「別れ・・・言えた?」

 おまえは?と新一が聞き返すと快斗はクスッと笑った。

 オレたち、やっぱツインだよな。

 二人はそんなことを思いながら、互いの温もりを感じて笑いあった。

 

 未来へ・・・・

 オレたちは、未来へ行く。

                                                 完

 

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