快斗と芳人が戻った時には
既に潮は新一から渡された英文を読み終えていた。
茶封筒にそれを入れているのを目にした芳人が眉をひそめたが
潮は何も言わずそれを新一に返した。

芳人は新一にぴったりくっついている白い髪の女の子にも驚いた。
「誰だ、この子?」
7人めの相続人、と新一が答えると芳人は目をパチクリさせた。

快斗がこちらに向かってくる船のことを知らせると
新一はわかった、と頷く。

「それじゃ、戻ろう」

全てはあの家に戻って明らかにさせる。

 


潮さん!

 なかなか戻ってこない4人を心配していた美貴は、潮の無事な姿を認めると飛びついていった。

 そして、美貴と一緒に心配しながら部屋で待っていた正人もホッと胸をなでおろした。

「・・えっ!?」

 正人は新一と手を繋いであがってきた白い髪の女の子に気がつくと驚きに目を瞠った。

 白い髪に赤い瞳ということにも驚いたが、それ以上にその女の子が子供の頃の美登利にそっくりだったことに驚愕した。

「その女の子はいったい・・・・」

 茫然としている正人とそして事情をしらない美貴の二人に新一は微笑んでみせる。

「それは森田弁護士が来てからお話しますよ」

 

 

 4人が地下へ入って既に5時間が過ぎていた。

 そんなに時間がたっていたとは思ってもいなかった彼らだが、確かに家に残っていた2人が青い顔で心配していたのも無理はない。

 実は、何度か美貴が潮を探しにいくと言って地下へ下りようとしたので正人は必死に止めたのだという。暗い穴に怯えていた彼女が、そこまで心配してくれたのだということに潮は感激し、そして申し訳なく思った。

 リビングに戻ると、彼らは美貴が用意していたコーヒーを飲んだ。

 昼食の用意もしてあったのだが、丁度船が島についたので食事は後でということになった。

「ああ、遅くなって申し訳ない。森田です」

 迎えに出ていた正人と共にリビングへ入ってきた森田弁護士が頭を下げる。

 彼は新一にくっついて椅子に座っている女の子を見て安堵した。

「良かった。ちゃんとこの子を見つけられたのですね」

 森田のその言葉を聞くと潮が顔をしかめ詰め寄った。

「見つけられたというのはどういうことですか?森田さんはこの子がこの島にいることを知っていたんですね」

「ええ、まあ・・・知っていたというか・・・・・」

「何故教えてくれなかったんです!わたし達が地下へ下りなければ、この子のことは知らないままだったんですよ!」

「おい。落ち着けよ。どうせ、森田弁護士が来たらわかることだったろうが」

「そういう問題じゃないでしょう!」

 潮はなだめる芳人を睨みつける。

 君は・・・と森田は芳人の方に顔を向けた。

「君が桐生仁(きりゅう じん)君だね」

 桐生?

 彼が真上芳人ではないことを知らない正人と美貴が首を傾げる。

「すまなかったね。私がもっと早くあのことを知っていれば、君に詳しく話してあげられたのだが」

「・・・・・・・」

「どういうことです?彼は芳人くんではないんですか?」

「ああ、彼は・・・・」

「オレは真上芳人の友人ですよ。本当は一緒にここへ来るはずだったんですけど、あいつは仕事でどうしても来られなくて」

「それで、あんたが芳人の振りして来たってわけ?」

「全くの他人が一緒にいるとわかるよりはいいだろが」

「結局は他人じゃない!初めっから本名名乗って、ここへ来た目的をちゃんと話してれば良かったのよ!」

「初めっからオレが芳人じゃねえってわかってたんなら、さっさとバラせば良かったろうが!」

「目的がわかれば、すぐにバラしたわよ!」

「・・・・・・」

 ここで会ってからずっと犬猿のように言い合いをしてる2人だが、まさかそういう理由があったとは気づかなかった美貴には驚きだった。

「潮さん・・・この人が芳人さんじゃないってこと知ってたんですか?」

 まあね、と潮は答える。

「美貴ちゃんを怖がらせちゃいけないと思って言わなかったんだけど」

 ごめんね、と潮は謝った。

「それで、この子はいったい?」

 巫女ですよ、と新一は言った。

「え?」

「昔、嵐の夜にこの島で行方がわからなくなった巫女がいると言われたでしょう?この子は、その巫女の遺伝子を持って生まれた子なんです」

 な・・・

なんだって!?

「全てはこの中に書かれています」

 新一は持っていた封筒をテーブルの上に置いた。

 正人がそれに手を伸ばし、中に入っているものを取り出したが、英文で書かれていることに眉をひそめる。

 大学の助教授である正人はともかく、英語が不得意というわけではないが、さすがに辞書がなければ読めない美貴にはお手上げの代物だった。

 森田さん・・と新一は真上家の顧問になった弁護士の方を向く。

「あなたは、どこまで知っていたんですか?」

「私が知っているのは、真上有人氏が10年前に小さな女の子を引き取ったということだけです」

 その子供を見たのは一度だけ。

 ある男が連れてきた子供を真上有人氏が引き取る時に立ち会っただけだと森田は言った。

 白い髪に赤い瞳をした幼い子供に森田はかなり驚いたのだが、その子供がいったいどういう素性なのかは知らなかった。

 真上有人氏は、彼に何も言わなかった。

 ただ、自分が亡くなった時、この子供にも遺産を相続させたいと森田に言ったのだという。

 その真上有人氏が突然亡くなったと知った時、一番気になったのは引き取られた子供のことだった。

 死亡した彼を見つけたのは、月に一度食料や生活用品を届けにくる男だった。

 その男も、調べにきた警察も子供の姿は見なかったと聞き、森田は心配した。

 子供が死んだという話は聞いていない。

 では、子供はまだあの島のどこかにいると森田は思った。

 だから、遺書の公開をこの島で行うことにしたのだ。

「子供を連れてきたという男は、ロナルド・ジェキンズ博士ですね」

 新一が口にした男の名に反応したのは、正人だった。

「ドクター・ジェキンズのことか?確か、ノーベル賞候補にもなった優秀な医学博士だが、その研究が人道上問題があるということで外されたという・・・」

 芳人を名乗っていた桐生仁が、険しい表情で正人が持っていた書類を奪い取り目を通す。

「まさか・・・!じゃあ、この子がそうなのか!」

 桐生仁は、新一にぴったりくっついているミドリという女の子を凝視した。

「何?どういうことなの?」

 潮が首を傾げる。

 確かに書類にはドクター・ジェキンズの署名があった。

 子供がどういう風にして生まれたのかも、そこに書かれていたが、それでも子供の素性はハッキリしていなかった。

 一番の謎は、子供を生んだ母親のことだ。

「真上有人氏が巫女の遺体を見つけたのが全ての始まりです。巫女は嵐の夜、誤って岸壁にできた亀裂に落ち込み命を落とした」

 遺体はそこへ流れ込む海水によって地下にできた川へと流れていった。

 そして、地下深い冷たい水の中で、奇跡のようにその遺体は朽ちずにいた。

 それを、偶然真上有人氏が発見したのだ。

 若くして命を落とした白い髪の巫女。

「調査していないので推測でしか言えませんが多分、真上家はその巫女の血を引いた子孫でしょう」

 え?

「何故そう推測できるかというと、彼女があの部屋にかかっている美登利さんの肖像画にそっくりだからです」

 子供は巫女の遺伝子を持って生まれている。

 つまり、巫女は真上氏の妹に、そしてその娘である美登利さんに瓜二つだったのです。

 新一の話に、皆茫然となって言葉を失った。

「誰も巫女の遺体が見つかったことを知らなかった。それは、真上有人氏が秘密にしたからです。彼は最愛の妹と彼女の娘にそっくりな巫女を誰にも見せたくはなかったのでしょう」

 既に、その時には一生手元に置いておきたかった美登利さんは島を出て行ってしまっていた。

 もし・・と新一は言う。

「もし、真上氏とドクター・ジェキンズが知り合いでなければ」

 彼がドクター・ジェキンズに連絡を取らなければ・・・・

 そして、ドクター・ジェキンズが彼の頼みを引き受けなければ・・・・・

「・・・・・・・・」

 やや俯いた新一が隣に座る快斗の顔を見上げるように見た。

 オレも快斗も・・・・今とは違う生き方が出来たのかもしれない。

 いったい・・と正人がようやくというように口を開く。

 何もかもが信じられない真実だった。

「いったい父はドクター・ジェキンズに何を頼んだんだ?」

「望んでいたのは、愛するものを再び手に入れること。ドクター・ジェキンズはクローンの研究で有名でしたが、その研究の過程で人体によるある実験に成功していたんです」

「ある実験?」

「人の遺伝子を、まだ胎芽の段階の子供に特殊な方法で取り入れさせ、その人間と同じ顔形の人間を作り出すという研究です。ある種、クローンといえるかもしれませんが。しかし子供は実の両親の血を受け継いでいるからそっくり同じ人間ができるわけではありません。まあ、その人間の子供かきょうだいくらいの相似だと言っていいでしょう」

「だが、その子は美登利さんに瓜二つだ」

「美登利さんにではなく、昔、この島で亡くなった巫女に似ているんです」

 この子は、ドクター・ジェキンズが初めて完全なコピーを写し取ることが出来たただ一人の成功例。

「そして、新聞にも載っていたのでご存知かもしれませんが、ドクター・ジェキンズは2年前にサンフランシスコに向かう途中、飛行機事故で亡くなっています」

 

 

「あ・・ら」

 船室をそっと覗いた潮は、そっくりな顔をした2人の少年が壁にもたれ寄り添うようにして眠っているのを見て瞳を瞬かせた。

 眠っている顔は年よりも幼く見えて思わず笑みが漏れるほどだった。

 そっくりな美しい顔立ちの2人。

(まるで、本物の天使みたいな子たちよね)

 あのミドリという女の子は、同一人物かと思えるほど美登利さんにそっくりだったが(いや、実際は巫女に似ているのだが)彼らは美登利さんに似ているという程度だ。

 どっちかといえば、この少年たちの方がよく似ていると言えるだろう。

(でも変よね。確か、彼って一人息子だったんじゃなかったかな?)

 双子ってことはないだろう。

 それとも、本当に双子なのだろうか?

 だったら、もしかして世界規模のすごいスクープになるかも。

 なにしろ、彼の両親は・・・・・

 甲板に戻った潮は、手すりにもたれて海を見ている桐生仁の隣に立った。

「あの子たち、眠ってたわ」

 仁は、手すりに頬杖をついたまま潮の方に顔を向けた。

「なんで、おまえも一緒なんだ?帰るのは明日でも良かったろうが」

「仕事があるのよ。それに、あんたと話をしたかったし」

「なんの話だ。文句なら聞かねえぜ」

 やあね、と潮は肩をすくめた。

「いつまでも突っかったりしないわよ。真面目な話。あの子、あんたの身内なんでしょ?」

「実は・・・ちょっと似てると思った」

「・・・・・・・・」

 仁はフンと鼻を鳴らして前に向き直る。

「俺はお袋似らしいからな。コピーしたのが容姿だけなら、それ以外のとこで似たとこがあるのかもしれねえな」

 俺にはわからねえけど。

「じゃあ・・・」

「妹ってことになるな。死産だったって聞いていたが、まさかああいう形で生きてるとは思わなかったぜ」

「あんた、もしかしてそれを調べに来たわけ?」

「まあな。ジェキンズの足跡をずっと辿ってた。ジェキンズはお袋の担当医だったんだ。あの男が事故死してからお袋が誰かに何かを聞いたらしく、埋葬したのは自分の子じゃなく生んだ子は生きてるとか言い出して。で、調べてみたら確かにおかしな点がいろいろ出てきた」

「芳人と友達だってのは嘘?」

「それはホント。まあ、ちょっとばかし偶然を装っての友人関係だけどな」

 あいつ、結構お人よしでいい奴なんで、すこ〜しばかり良心が痛んだかな。

 それは言えるかも。

 まあ、話したことはないから見た印象だが。

「あたし・・・・ちょっと気になることがあるんだ」

「あいつらのことか」

「あの子たちも、あんたと同様素性を偽ってやってきたわよね」

 仁はほお?と驚いたように目を見開いた。

「なんだ。気づいてたのか」

 あんたもね、と潮は言う。

「まあ、あれだけ有名な子なんだから、余程のことがない限り気づくわよね」

 正人おじさんと美貴ちゃんは知らなかったみたいだけど。

「潮、おまえ・・・・」

 怪盗キッドの正体を知って・・・?

「噂で聞いただけだけど、さすがよね。名探偵と呼ばれるだけあるわ。謎を解いていた時のあの子を見た時、ぞくぞくしたもの」

 マスコミが騒ぐはずだわ。

 だが、彼が名探偵としてマスコミに騒がれたのは一年くらいで、その後何故かパッタリとマスコミの前に出なくなった。

 丁度その騒がれていた一年に潮は海外に出ていたため、彼のことは人に聞くまで知らなかったのだ。

 どっちかといえば、人気推理作家である父親の方をよくしっていた潮だ。

「名探偵?」 

 仁はキョトンと目を大きく見開いた。

 誰が名探偵だって?

「おまえ、誰のこと言ってんだ?」

「誰って、シンくんのことじゃない。工藤新一。知ってるでしょ?」

 工藤新一?

 首を捻る仁の様子に、潮も首をかしげた。

「やだ、違うの?もしかして、あんたが知ってるのはカイくんのこと?」

「・・・・・・」

「あの子のことは、あたしも知らないんだけど・・あれだけよく似てるってことは、やっぱり兄弟か従兄弟かしらね?」

 いや・・と仁は首を横に振る。

「血は繋がってねえって言ってたぜ」

「誰が?カイくん?」

「何?呼んだ?」

 眠そうな声が2人の会話に割って入る。

 驚いて振り返ると、癖っ毛がさらに跳ねまくった頭をくしゃくしゃとかきまわす快斗が立っていた。

「あら、起きたの。シンくんは?」

「んー、まだ眠ってる」

 さっき覗いた時快斗が羽織っていた上着がない。

 多分、船室を出る時に新一にかけてやったのだろう。

「で、何?」

 小首を傾げて笑みを浮かべている少年は、どこをどう見ても普通の可愛らしい高校生だった。

 コレが国際手配されている犯罪者「怪盗キッド」であろうとは、さすがに潮も想像できないに違いない。

 それにしても・・・と仁は眉をひそめる。

 もう一人が探偵?

(いったいなんの冗談だ?)

「なんでもないわ。ただ、別れたっきりというのは寂しいから、また会いたいわねって」

 うん、と快斗は薄く笑いながら頷く。

「そうだね」

「その時は、またカイくんが焼いたパンを食べたいわ」

「あ、オレ、ケーキ作るのも得意だよ〜v」

「それ、すっごく魅力的だけど・・・あたし当分ダイエットするから」

「なんだ。それって本気だったのかよ」

「当たり前でしょ!女にとって深刻な問題なんだから!」

 快斗がなになに?という顔をする。

「地下に仕掛けがあったろう?そこを抜ける時、尻が引っかかったんだと」

「ちょっと!露骨な表現しないでよね!」

「ふうん・・そうなんだ」

 潮は嫌そうな顔でじっとりと少年を見る。

「カイくんもしみじみと納得なんかしないでくれる?」

 

 

 

 東都についたのは既に日付のかわる真夜中で、米花町の自宅よりフォックスのマンションの方が近いということで彼らはタクシーを拾いそっちに向かった。

 都内の超高級マンションの一室は、フォックスがチラシのコピーがいいという理由で買ったものだが、本人よりこの部屋を気に入った快斗が使う方が多い。

「な〜んか、身体がベタベタ・・・風呂の用意しとくからさ、新一はコーヒー入れてくれない?」

 船の中で眠ったせいか、体調の悪さがマシになったらしく新一は面倒くさがらずキッチンに入りコーヒーを沸かした。

 快斗が風呂にお湯をいれ着替えも用意しリビングに戻ると、新一はパソコンの前に座って一人コーヒーを飲んでいた。

 快斗の分もちゃんとテーブルの上に置いてある。

 快斗はカップを取ってパソコンの前に座る新一の傍らに立った。

 新一は島から持ってきていたフロッピーの中身を確かめていた。

 これだけは、森田弁護士にも言わずに隠していた。

 多分、そこには自分たちの秘密が書かれていると踏んだからだろう。

「ドクター・ジェキンズの実験記録?」

「そうだな。人体を使っての実験は20年前から始められている」

 ジェキンズは医師として病院に勤務し、実験に使えそうな母体を探していた。

 当然、選んだ女性に実験のことは教えていない。

 実験に使われた女性のリストもあった。

 42人。

 西洋人もいれば、東洋人もいる。

 その中に、予想はしていたが新一の母親と快斗の母親の名前を見つけるとさすがにショックだった。

 もう一人、桐生小夜子という日本人の名前がある。

 この女性が桐生仁の母親で、あのミドリという少女を生んだ女性だろう。

 リストは彼女の名前でおわり、それが最後であることを示している。

 実験は12年前で途切れているのだ。

 ドクター・ジェキンズが死んだのは2年前。

 空白の10年は、いったい何を意味しているのか。

「オレたち、血は繋がってねえけど、一人の女性の遺伝子で繋がってたんだな」

「ああ・・・・・」

 親しい幼馴染でさえ見間違えるほどそっくりな2人。

 血の繋がりはないのに、その偶然に驚きはしたが、フタを開けてみればそういうカラクリがあったわけなのだ。

「で、こいつにも礼司が絡んでんのかな」

「全てが偶然でなければ、パズルがあの場所にあったのも必然ってことだろう」

「あ〜あ、なんにでも絡んでんだよなあ、あいつは」

 ホント疲れる・・と快斗は肩を落として溜息をついた。

 と、ふいに新一の携帯が着信音を鳴らす。

「なに?誰から?」

 携帯を取った新一の表情が心底嫌そうに歪む。

「父さんからだ」

 快斗もゲッと顔を歪める。

 碧のプロフェッサーは心強い味方であるかもしれないが、2人には少々頭の痛くなる相手でもある。

「なんか用?」

『開口一番にそれはないんじゃないかな、新一』

 苦笑する優作だが、新一の素っ気無さは変わらない。

「帰ってきたばかりなんだ。疲れてんだから、長くなるようだったら明日にしてくれよ」

『機嫌が悪いな。まあ、いろんなことがあって疲れてるのはわかるがね』

「知ってることを全部話してくれない父さんが悪いんだろうが」

『謎は自分で見つけ出すというのがおまえの持論だろ?』

「わかってんなら、下手な企みは遠慮してくれよ。余計に混乱するだろうが」

『まあまあ。ちゃんと埋め合わせは考えているから機嫌を直して、新一。どうだ、また旨い中華料理を食べに行かないか?快斗くんも一緒に』

「ざけんな。お断り」

 新一は、まだ何か言いかける父親をバッサリ切り捨てて携帯を切る。

「優作さん、なんて?」

「明日、中華を食いに行かないかっさて。おまえも一緒に」

「中華・・ねえ。ミスター李んとこの料理人は一流どころか揃ってるからうまいんだよなあ」

「・・・・・・・」

 新一はジロリと快斗を睨むと椅子から立ち上がった。

「風呂に入る」

「はいはい。ごゆっくりねv」

 空のカップを押し付けられた快斗は、苦笑いしながらバスルームに向かう彼の背中を見送る。

 新一がバスルームに入ってしばらくしてから、今度は快斗の携帯が着信を知らせた。

 ったく、あの人は千里眼か?

 快斗は呆れながら、ズボンのポケットから携帯を取り出した。

 

 

 

 夕方、待ち合わせていた駅前のロータリーで父親の運転する車の助手席に乗り込んだ新一は、ずっと不機嫌な表情を崩さなかった。

 怒ってるだろうことは承知していたが、さすがにずっとだんまりされるのはキツイ。

 なんといっても、工藤優作にとってただ一人の溺愛する息子なのだから。

 クールな男という評価もある彼だが、実は人一番ホットな人間だった。

 特に、妻と息子には異常なくらいの愛情を抱いている。

 だが当の2人はそれを素直に受け止めてくれないというのが、優作には悲しいところだ。

「おいおい、新一。いい加減に許してくれないか」

 弱りきってそう苦笑いする父親に、新一は別に・・・と答えた。

「オレは父さんに謝って欲しいと思ってるわけじゃない。秘密を小出しにするのはやめてくれって言いたいんだよ。父さんが、オレの知らないことをどんだけ知ってるか知らねえけどさ。たとえ、どんな秘密を聞かされたって、動揺するほどオレは弱くはないつもりだ」

 結局、わかることなんだしさ。

「おまえの強さを信じない時など、この先もずっとないよ新一」

「オレは父さんと母さんの子だよな」

「勿論だ。DNA検査をしても、それは間違いのない事実だよ」

「快斗も?」

 ああ、と優作は頷く。

「オレと快斗が双子のように似た顔をしてるのは、実験体にされたせいか?」

「有希子には言うなよ」

 有希子は何も知らないし、これからも知らせるつもりもはないのだからと優作は言う。

「ドクター・ジェキンズの実験に選ばれた女性たちは、その事実を知らずに皆、平穏に生きている」

「生まれた子供は?」

「知らずに人体実験を受けた42人の女性のうち、半数以上が流産し、生まれても子供は1年以内でなんらかの障害で死亡している。殆どが内臓に疾患があったようだ。無事に生まれて育ったのは、おまえと快斗くん、そして島でおまえが会った女の子と、そしてアメリカに一人、スイスに一人(どちらも女の子だが)の5人だけだ」

「その2人もやっぱり、オレに似てんのかよ?」

「いや・・おまえたちほどは酷似してないようだ。写真で見ただけだが」

 やはり東洋人と西洋人の違いがあるからね。骨格とか。

「三雲礼司とはどう関わってるんだ?」

「ジェキンズとは、一時期同じ研究所にいたことがあったらしいな。彼はジェキンズの実験のことも知っていて、女性たちのリストも持っていた可能性がある」

「つまり、オレと快斗のことはそのリストから知ったってことだよな」

 おそらくな、と優作は答える。

「・・・・・・・」

 三雲礼司にとって、都合のいい何かがオレと快斗にあったということなのか。

 

 

 多くの会社や銀行の他に衣料や食料品などの店、そしてサラリーマンやオフィスレディが利用するレストランが入っている都心の高層ビル。

 その最上階に、香港から進出した超高級の中華料理店があった。

 香港でも客層は上流階級ばかりということもあって、その店は料理の値段が目玉が飛び出るほど高い。

 しかし、一度食べればもう他の店で中華料理は食べられなくなるというほどだという。

 それならば、なんらかの奇跡でこの店の料理を口にした一般人は不幸というべきだろう。

 なにしろ、もう二度と来ることはできないのにその味が忘れられず、そこ以外で料理を食べられなくなってしまうというのだから。

 その夜、店はオーナーであるミスター李の貸切りとなっていて、店内は静まり返っていた。

 いつもは明るい店内は電気が消され、この店に特別に作られたガーデンテラスにだけ明かりが灯されていた。

 まるで植物園のように木が植えられ、花壇まであるテラスに置かれたテーブルには、既にいつ客を迎えてもいいように準備がされていた。

 椅子は6つ。

「香港の夜景には負けるが、こっちの夜景も悪くないよな」

 木々の間から見える、まるで宝石のように輝いている街の明かりを眺めていた青年がポツリと呟く。

「多くの人間が生活している場は、どこもそう違いはないよ、仁」

 青い中国服を着たミスター李は、椅子の一つに座り、手持ち無沙汰のようにぼんやり頬杖をついている友人の桐生仁に、トレイに載せたジャスミン茶の入ったカップを差し出した。

 カップの一つを取った仁は、ミスター李のうしろに立つ見知らぬ青年に初めて気がつく。

 金茶の髪に金茶の瞳をした、育ちのいいお坊ちゃんのような西洋人だ。

 ミスター李はトレイをテーブルの上に置いた。

「紹介しよう。彼はジョシュア・圭・ベネット。フランスから来られたパリのジャーナリストだ」

 まだ、新米ですけどね、とベネットは照れくさそうに微笑む。

 確かにそうだろう。

 見た印象はかなり若い。多分、自分とそう変わらないに違いないと仁は思った。

「彼が先ほどお話した友人の桐生仁です」

 よろしく、と2人の青年は握手を交わす。

 と、そこで李がもう一つの紹介を付け加えた。

「ムッシュウ・ベネットのことは、裏の通り名の方が有名かもしれないな。仁、君も知ってるだろう?」

「 ? 」

 ”紅の牙王”だと李が言った途端、仁は思わずギクリとなって手を引きかけた。

 紅の牙王?

 マジか?と仁は、今自分の前にいるお坊ちゃんのような青年を凝視する。

 こいつが、あの”闇のデストロイヤー”とまで言われた傭兵の?

 おっとりと微笑む青年の顔を食い入るように見ても、そこに”紅の牙王”のイメージはまるでない。

「失礼ですけど、あなたは何歳?」

「先月21歳になりました。ムッシュウ・ジンと同い年だと李から聞きましたが」

「え、まあ・・・」

 そうなんだけどね。まだあと一週間あるけど。

 たちの悪い冗談かとも思ったが、李がそんな嘘を言う理由が仁には思い当たらないのでデタラメだとは言い切れなかった。

「ああ、もう一人の招待客が来たようだ」

 相変わらず時間に正確だな、とミスター李が言いながら顔を向けたのは、店の方ではなく夜景が広がるビルの向こうだった。

 金色の満月が輝く夜空に、純白の翼が広がっていた。

 そして、彼らのいるビルの上までくると、白い翼が折りたたまれ、真っ白な魔術師が重力を無視したようにフワリと舞い降りてきた。

 白いシルクハット、白いスーツ・・・・

 翻る純白のマントがバサリと音をたてただけで、彼の足が敷き詰められた石の上で音をたてることもない。

 まるで野生の猫のようなしなやかさだった。

 満月を背に立つ、稀代の怪盗の姿に仁は呆気にとられた。

怪盗キッド!?

 シルクハットの下から、薄く引き上げた笑みが見える。

 国際手配されていながら、その正体さえ掴めず日本警察を翻弄しまくる天才とも言える怪盗は、マントの両端を摘んで優雅に会釈してみせた。

「今宵はお招きに預かりありがとうございます」

「よく来てくれたね、キッド」

 ミスター李が平然と挨拶を返すのを見て、仁は眉間をさらにひそめていった。

 キッドはクスッと笑う。

「お久しぶりですね、ドラゴンボーイ」

 それやめろって、と仁は渋い顔になる。

「別れたのはつい昨日じゃなかったか?怪盗キッド」

 ああ、そうでしたねとキッドはクスクス笑った。

「なんだ、知り合いなのか?」

 事情を知らないベネットが、意外だというように瞳を瞬かせた。

 ええ、ちょっとねとキッドが答えると、今度は仁がベネットとキッドが知り合いらしいことに驚く番だった。

 紅の牙王に怪盗キッドというのが、いささか納得しがたい組み合わせに思える。

 いったいどういう?と仁が首を捻ると、ミスター李が、ところで・・と口を開いた。

「本当にあの2人は来て頂けるんですか?」

「ご心配なく。かなりグズってましたけどね」

「プロフェッサーがついてるから大丈夫ですよ」

 ピクンとキッドの眉が不本意そうに動いた。

「あのねえ、ムッシュウ。泣き落としまでして説得したのはオレなんだよ!オレ!」

 そもそも、姫がヘソ曲げちゃったのはプロフェッサーのせいなんだからね!

「泣き落としをしたのか?おまえが?ミスティに?」

「他にヘソ曲げたあいつを宥めて説得する方法があると言うなら教えてもらいたいもんだね」

 めったなことでは、人の言うことなんか聞きゃあしないんだから!

「フォックスはどうしたんだ?」

 フォックスの説得ならミスティも素直に聞き入れる筈だと思うが。

「あいつは仕事」

 なんでフォックスなんだ?オレの方がつきあい長いのに。

 いや、長さでいえば優作さんにかなう筈もないのだが。

「・・・・・・・」

 2人の間で交わされる会話の中に次々出てくる人物の名に、仁はますます首を捻らされた。

 ミスター李が晩餐に招待したのは5人。

 今ここにいるのは3人だから、あと2人来るということなんだろうが。

 姫?ミスティ?プロフェッサー?

 それにフォックス・・・・まるでコードネームのようだな。

 いや、それとも、本当にそうなのか・・・

「遅くなって申し訳ない」

 落ち着いた男の声に振り向けば、ようやく現れた招待客の最後の2人が立っていた。

 彼を見た仁は文字通り、心臓が飛び出るほどの驚きを覚えた。

 男は有名人だった。

 特に、彼の作品を一度でも読んだことがあれば、彼のことを知らないということは絶対にありえない。

 世界中にファンがいる超人気の推理作家、工藤優作のことを。

「新一!」

 仁の目の前を一人の少年が横切っていく。

 いつの間にか白い怪盗の衣装を解いた少年が駆け寄った先には、やはり昨日別れた少年がいた。

 今見ても、双子のようによく似た二人だ。

(あれ?そういえば・・・・・潮は彼のことを工藤新一だとか言ってなかったか?)

 同じ苗字・・・まさか・・・・・・

「本日はご招待頂きありがとうございます。遠慮なく来させて頂きましたよ」

「いえ。来て頂けて嬉しいですよ、ミスター工藤」

 仁、とミスター李はポカンとしている仁の肩に手を置いた。

「ああ、彼がそうですね。工藤優作です、よろしく」

 ハッとして、仁は差し出された工藤優作の手を握った。

 まさか、あの工藤優作と握手をかわせるとは・・・・

「これは、息子の新一です」

 優作が隣に立つ少年をそう紹介した時、仁の心境は複雑なものがあった。

 勿論、その少年とは初対面ではない。

 まさか、あの工藤優作の一人息子だったとは。

「では、どうぞ席に。すぐに料理を運ばせますので」

 ミスター李が自ら工藤父子をテーブルまで案内する。

「いったい・・・どういう集まりなんだ、これは?」

 少なくとも仁は、李から何も聞いていない。

 ただ、李の知人を招いた晩餐に招待されたという認識しかなかったのだ。

 仁は、背後から肩にポンと手をかけられた。

「今夜の晩餐はさあ、共犯関係を結ぶ者たちの顔見せなんだ」

「共犯?」

「犯罪ギリギリのことをやることになるからさあ」

 もっとも、オレはとっくに犯罪者だけどね。

 ふふっ、と少年は笑う。

「ミスター李は、あんたの能力を認めていて、オレたちに紹介してくれたんだ。でも、オレたちの仲間に加わるかどうかはあんたの意思次第ってこと。断ったって別に構わない、無理強いはしないよ」

 ま、その場合はなんにも言わないけどね。

「話を聞かなきゃ判断しようがないだろが!」

「聞けば抜けられなくなるぜ?だからさあ、胡散臭いことはゴメンだって思うなら、いますぐ帰った方がいいよ」

「・・・・工藤優作も加わってるのか」

「そう。だから、この場にいるだろ?優作さんはさあ、新一の父親だし」

「それが関係してるってのか」

 さあね?と快斗はくくくと喉で笑う。

「よく考えて」

 ドラゴンボーイ?

 快斗はそれだけ言うと、仁から離れテーブルへと歩いていった。

 そこには、紅の牙王と呼ばれていた青年と、世界にその名を知られる推理作家と、名探偵だという彼の息子が座っていた。

 そして、新一という少年と瓜二つの顔をした稀代の怪盗が席につく。

 あと一つの招待席が、彼が座るのをじっと待っている。

(きしょうめ・・・!初めっからオレがその席につかないとは考えてないってことかよ!)

 まあ、確かに思いっきり興味をそそられてしまう連中だが。

 しかも、仁が協力を約束したミスター李もいるとなれば、行かないわけにはいかないだろう。

 仁はチッと舌打ちすると、諦めたように彼らのいるテーブルへと足を踏み出していった。

 

                                                      (完)

                  

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