シンちゃんの家出

 

 朝はいつも通りだったんだ。

 うんうん、と腕組みしたオレは誰も座っていない籐製の椅子を眺めながらそう自問自答して頷く。

 そう・・いつものように朝食の用意を終えてオレは新一を起こしに行ったんだよな。

 今、ねぐらにしてるのは工藤優作氏が面白半分に手に入れた別荘で、実は地元では幽霊屋敷とも呼ばれている曰くつきの屋敷だったりする。

 平屋で部屋数もそう多くはないが、リビングも寝室も普通以上に広いので狭い感じはしない。

 キッチンもアメリカ仕様のバカでかい冷蔵庫を置いても余裕があるくらいの広さがあったし。

 しかもサンルーム付きで、一人で住むには贅沢すぎる家だったりするのだ。

 そして今、ここの住人は新一一人。

 オレはたまに泊まったりするが、学校やバイト、それに怪盗の仕事もあるからずっと新一のそばにいるってわけにはいかない。

 でも、セキュリティーは万全だ。

 オレが数日こられない時は、必ず誰かが様子を見に来る。

 新一は過保護すぎだと文句を言うが、新一を狙う輩が日ごとに増えていってるのだから、そんな不満などオレたちは構っちゃいられない。

 しかし、だからってなあ〜〜

 くっそう!とオレは顔をしかめながら自分の癖毛をぐしゃぐしゃにかき回した。

 穴が開くほど睨みつけても、目の前の椅子に新一が戻る筈もなく、代わりに置かれたメモの内容が変わるわけもなかったのだが。

 と、突然リビングに置かれた電話が鳴り出したのですぐさまオレは受話器に手を伸ばした。

「はい!」

『おう、オレや。今新幹線の中なんやけど』

 服部?

「新幹線って、なんだよ?こっちに来んのか」

『あ?なんや、おまえ黒羽か?』

 電話やとまだどっちかよおわからへんな、と平次はブツブツ言う。

 新一とオレは顔も似てるが声までそっくりだからよく間違えられる。

 実際に聞けば微妙な声の違いがわかるんだろうが、さすがに電話だとわかりにくいらしい。

『そうや。ちょー用があってな。工藤には言うとったんやけど、おまえ聞いてへんかったんか』

「いや、聞いてねえけど・・・なに?新一に会うつもりだったのか?」

『ああ。用がすんだらそっち行くつもりやねんけど、構へんか?』

「新一はなんて言ってた?」

『来るなら手土産持って来い言われたわ。やっぱ、食いもんがええか?それとも推理小説の方がええやろか』

「来ても新一いないぜ」

『は?いないってどういうことや。出かけてんのか?』

 まさか事件ってことはないやろな。

「朝飯食べてしばらくはいたんだ。けど、ちょっと目を離した隙に消えた」

 はあ〜?と平次の声が間延びしながら裏返る。

『消えたあ??なんやそれは!』

「オレの前についさっきまで新一が座ってた椅子があるんだけどさ。今は誰も座ってなくてかわりにメモが一枚残ってんだ」

『メモ?なんて書いてあんねん』

「”探さないで下さい。新一”」

 電話の向こうで服部が絶句するのがわかった。

 そりゃあ絶句するだろうな、とオレは内心溜息を吐く。

 実際、オレもそのメモを見た瞬間頭の中が真っ白になったのだから。

 しばらくして服部が大きく息を吸い込んだのがわかったので、オレはすかさず受話器を耳から遠ざけた。

なんなんや、それはーっ!まるっきり書置きやないか!

 雷のような声が受話器から飛び出してくる。

 あのまま耳につけてたら、間違いなく耳がイカれてたろうな。離して正解。

「確かにりっぱな書置きだよなあ」

『何呑気にしとんねん!工藤のことが心配やないんか!』

「心配に決まってんだろ」

『それにしては冷静やないけ。おまえ、工藤になんかしたんか?』

「なんかってなんだよ」

 平次のセリフにオレはムッとなる。

『工藤が家出したくなるようなことをしたんかって聞いとるんや!』

「んなことするわけねえじゃん。オレをなんだと思ってんだよ」

『じゃあ原因はなんなんや?工藤が書置き残して出て行くやなんて変やないか』

 だよなあ、とオレはガックリ首を折る。

 一応、思い当たることがないわけじゃない。

 だが、こうして書置き残して出て行く理由としてはちょっと考えるが。

(だいたいだぜえ?あの新一が”探さないで下さい”って書くこと自体らしくねえ)

 謎かけでもされてるような気分だ。

「とにかく新一を探しだせないってことねえから心配すんな」

『あ、まあ、おまえのことやからちゃんと手は打ってるんやろうけど・・・』

 けど気になる。

 ああ、くそ!この新幹線、遅いやないけ!いっちゃん早いんとちゃうんか!!

 やっぱ飛行機にしたら良かったわ!と電話の向こうで大声でグチる平次にオレは苦笑する。

「じゃ、これから新一探しにいくから」

『見つけたら知らせてや、黒羽!』

 わかった、とオレは答えて受話器を置いた。

「さあて・・・と」

 オレは吐息を一つついてから新一の残したメモを取り上げる。

 どういうつもりなんだか知らないけど、舐めてもらっちゃ困るぜ、新一?

 オレは最もおまえに近い守護宝石”白の魔術師”なんだからな。

 

■□■

 

 新一の居場所を見つけるのに有効なのは、まず携帯電話。

 だが、電源を切られていてはなんの役にもたちゃしない。

 折角阿笠博士の協力のもと内緒で新一に取りつけた発信器も、アッサリバレて壊されたし、全く守られることを良しとしない相手を守るのはかなり骨が折れる仕事だ。

 もっとも、そんなことくらいでメゲるオレではないが。

 オレは自分の携帯を取ると、まず毛利蘭にかけた。

「あ、蘭ちゃん?」

『あれ?黒羽くんなの?』

 言ってから蘭はクスリと笑った。

『ほんとに電話の声、新一にソックリだね。さっきまで新一と電話で話してたからビックリしちゃった!』

「新一から電話あったの?」

『ええ。十分くらい前かな』

「どこからかけてたかわからない?待ち合わせしてたんだけど新一、全然来ないからさあ」

『え、そうなの?しょうがないなあ、新一。そういえば外からかけてたみたい、アナウンスが聞こえてたから』

「アナウンス?どんな?」

『う〜ん?あれ東都駅のアナウンスだと思う。でも結構遠そうだから駅構内じゃないと思うけど』

 言ってから蘭は、あっ!と声を上げた。

『そういえば、新しくできた駅前のショッピングモールに関西から進出してきたという大型書店が入ったのよね。海外の出版物もたくさんあるって話だから、新一そこに行ったのかも。新一って、本見ると時間全く気にしないんだもの。黒羽君との待ち合わせ、きっと忘れちゃってるよ』

「東都駅前のショッピングモールだね」

 サンキュー、蘭ちゃんv

『ねえ、黒羽くん。新一、明日にはアメリカに戻るらしいんだけど、わたし試合で京都だから見送りに行けないの。新一はそんなのいいから頑張ってこいよって言ってくれたんだけど・・・』

「うん。大丈夫、オレが見送りに行くから。もし何か渡したいもんがあったら、オレに言って。ちゃんと新一に手渡すからさ」

 オレがそう言うと、彼女はちょっと驚いたように息を詰めた。

『黒羽くんって、本当に人の心読んじゃうんだね。実は頼みたいことがあったの』

「わかった。今自宅?先にそっちに寄るよ」

『ありがとう。じゃあ、待ってるね』

 オレは通話を切った携帯を皮ジャンのポケットに突っ込むとヘルメットを被り、バイクのエンジンをかけた。

「東都駅か」

 

 

 週末の東都は人で溢れていた。

 乗り換えや私鉄駅も隣接してるせいもあるが、新しくできたショッピングモール目当ての人もかなりいるに違いない。

 ショッピングだけでなく、映画館やゲームセンターなどの娯楽施設やイベントホール・劇場などもある。

 人気歌手がコンサートを行なえる巨大ステージもあって相当気合が入りまくった商業施設だ。

 今のところ、まずまずの人気のようだが、成功かどうかは一年後にわかるだろう。

 オレは乗ってきたバイクを地下駐車場にとめると、書店のあるフロアに行くためエレベーターへ向かった。

「工藤くん!」

 エレベーターを待っていたオレは、突然背後から大声で声をかけられ、肩を掴まれた。

 振り向くと、見知った顔がまるで天の助けだというような笑顔を浮かべていた。

 警視庁の高木刑事だ。

 黒羽快斗としては個人的な面識はないが、キッドとしては何度か会ったことはある。

 変装して間近で会話したこともあるが、この高木刑事は知らないことだ。

 オレはちょっとびっくりしたように瞳を瞬かせて彼を見つめた。

 返事を返さない上に、オレのそんな反応に彼もなんかおかしいと感じたらしい。

「え・・っと、工藤くん?」

 オレは困ったように苦笑を浮かべて見せる。

「人違いです」

 そう言うと、目の前の高木刑事は、ハ?というように目を見開いた。

「人違いですけど、工藤新一のことはよく知ってますよ」

 オレがそう言うと彼はさらに頭上で?マークを飛ばした。

 まあ、わからない反応ではないけどね。

 オレと新一をよく知ってる人間でも間違えたりするくらいなのだから。

 もっとも、最近は違いがわかってきたのか、こちらが振りをしない限り間違われることはなくなった。

「工藤新一が高校生探偵として有名になってからオレ、よく間違われたから」

「じゃあ、本当に工藤くんじゃないのかい?」

 そう言ってんじゃん、とオレは首をすくめる。

「ごめん!悪かったね!」

 背後でせっかく下りて来たエレベーターがさっさと扉を閉じて上がっていくのに気がつき、さらに高木刑事は申し訳ないと頭を下げた。

 別にいいんだけどね、とオレはもう一度エレベーターのボタンを押した。

「でも、本当によく似てるね。双子だと言っても信じちゃうよ」

 親戚とかじゃないよね?とよく聞かれる質問に対し、オレは首を振った。

「血縁関係は全くないです。でもまあ、似てるってことで新一と知り合って今じゃ友人同士ですけどね」

「あ、そうなんだ。でも、君のこと全然知らなかったなあ」

「そりゃ、オレは普通の高校生だし、新一みたいに事件に首突っ込んだりしないから」

 ああ、そうかと高木刑事は納得したように頷いた。

 エレベーターが下りてきたので、オレは高木刑事と一緒に乗り込み五階のボタンを押してから、彼に何階で降りるのかを訊いた。

 あ、僕は・・・と言いかけた高木刑事はいきなり何を思ったのかガシッとオレの手を掴んだ。

 当然オレはギョッとなる。

 なんだ?

「ねえ、君!何か急ぎの用事があるかい?」

 え?とオレは突然のことに目を瞠りすぐには返答できなかった。

「ちょっとでいいんだ、僕と一緒に来てくれないかな」

 高木刑事は、オレを新一と間違えたときの、まるで救世主が現れたかのような表情をもう一度浮かべた。

「なんですか?事件だったら、オレは役に立ちませんよ」

「まだ事件にはなってないんだ。けど、事件になる前にそれを回避するには、工藤くんにそっくりな君の助けが必要なんだよ!」

 ダメかな?と高木刑事は必死な目でオレを見つめた。

 エレベーターの狭い空間の中でオレの手を握り迫っている高木刑事は、傍目から見れば高校生に告白している純情男か。

 はっきり言って有難くないし、誰にも見られたくない。

 チン・・とエレベーターが止まる音がしてオレは慌てた。

(ちょ・・ちょっと待てって〜〜!)

 この人、思い込むとまわりが見えないんだよな〜〜

「わかりました、ちょっとだけなら・・・・」

「ありがとう!助かるよ!君の名前は?」

「黒羽・・黒羽快斗」

 オレは本名を名乗ると高木刑事の手を外し離れた。

 同時に扉が開き、こちらを向いていた大勢の客がエレベーター内になだれ込んで来た。

 十八階でエレベーターをおりたオレと高木刑事はイベントホールと書かれた方に向かって歩いた。

 この階には大小のホールがあって、一般でも申し込んで借りることができる。

 結婚式も可能で、友人たちがお金を出し合って結婚式をセッティングした例もついこの間あってニュースになっていた。

 そういや、ここを借りて自分達で計画した独自の成人式をやらないかと言ってた奴もいたっけ。

 クラスの大半が結構乗り気だったが。

 そりゃまあ、市長だけでなく議員の紹介や退屈な話を延々と聞かされるより、同窓会みたいに自分達だけで成人を祝う方がずっと楽しいだろう。

 それに、選挙目当ての大人より、一足先に成人した先輩たちの話を聞く方が意義はあるかもしれない。

 まあ、オレには二年後の成人式なんて全く意味のないものだが。

「そういえば、黒羽くん。どうして僕が刑事だってことがわかったんだい?」

 高木刑事はそう首を傾げてオレを見た。

 オレが”事件”と口にした時は別に変に思わずに聞き流したようだが、よく考えれば初対面で、自分が刑事だとは言ってない。

 ギュウギュウ詰めのエレベーターの中で高木刑事は、ふとその疑問に思い当たったらしい。

「実はオレ、事件現場であなたを見かけたことがあるんです」

「事件現場って・・・もしかして工藤くんと?」

「いえ、オレは新一とは現場には行きません。っていうか、新一そういうのを嫌がるから。見かけたのはキッドの事件の時。ずっと怪盗キッドを追ってる中森警部を知ってるでしょ?あの人とは家が隣同士で、その一人娘はオレと同級生だから」

 ああ、青子ちゃんだね!と高木刑事は言った。

「そうだったんだ」

 納得できたとばかりに頷く人のいい刑事に、オレはクスッと笑った。

 まあ、一応納得できる理由を上げたのだから当然だが、新一だったら絶対に納得せず矛盾をついてくるだろうなとオレは思って首をすくめる。

 あいつの真実を見抜く目と追究は、嘘をついてる人間には恐ろしい。

「で、オれは何をしたらいいんですか?」

 それは・・と彼が言いかけたその時、右側の扉が開きショートカットの若い女性が廊下に出てきた。

「佐藤さん!」

「遅かったじゃない、高木くん。白鳥くんは?」

「警視庁です。職質かけた男が脅迫状を書いた男の仲間だってことは間違いないんですが、ずっとダンマリで・・・白鳥さんが意地でも吐かせるって頑張ってるんですけど」

 そう・・と答えた佐藤刑事はオレに気付きびっくりしたように大きく目を見開いた。

「工藤くん?」

「あ、違いますよ佐藤さん。僕も間違えたんですけど、彼は黒羽くんといって工藤くんとは別人です」

「え、そうなの?」

 警視庁のアイドルである女刑事佐藤美和は、オレの顔をマジマジと見つめた。

「そういえば髪の感じが違うかしら。それに、背がちょっと高い?」

 数センチですけどね、とオレはニッコリ笑って答えた。

「印象も違うわね。でも顔はよく似てるわ。双子みたい」

「よく言われます。新一と並んで歩いてたら絶対に双子だって思われるし」

「新一って・・・もしかして親戚なの?」

「全くの他人です」

 友達だけど、とオレが言うと、佐藤刑事はへえ?と大きな瞳を瞬かせた。

「でも本当にソックリですよね」

 高木刑事がそういうと、佐藤刑事はハハ〜ンというような目で彼を見た。

「そういうことね」

 まあ・・と高木刑事は肩をすくめハハと笑う。

「彼には悪いとは思ったんですけど、益田氏は全然僕たちの言うことを聞いてくれないし」

「そうね。ほんとに困ったものだわ」

 佐藤刑事はふっと息をついた。

「見て」

 佐藤刑事が開いたドアの向こうではお料理教室が行なわれていた。

 ガラスに仕切られた向こうでは五人ほどのエプロン姿の女性がチョコレートケーキを作っている。

(益田って・・・そうか、ジェローム・益田!フランスで修行し、渋谷に店を出したっていうあの・・!)

「黒羽くんって言ったわね」

 はい、とオレは佐藤刑事に向けて頷く。

「実はあそこで指導してる、ジェローム・益田っていうんだけど、彼に三日前脅迫状が届いたの。二度とケーキを作れないようにしてやるってね。渋谷に店を出すときに暴力団ともめたっていうからその関係らしいんだけど、何故か彼、すごい警官嫌いで」

「警官嫌い?」

「彼がまだ学生だった頃、警察に誤認逮捕されてひどい目にあったらしいの。やっと無実だとわかった時には、彼はもう高校を退学になっていて。しかも彼の妹は学校でイジメにあって登校拒否になっていたし、警官を嫌うのもわかるんだけど」

「警官の護衛はいらないって断られたんだけどね、でも放っておくわけにはいかないだろ?」

「わたし、彼のケーキって大好きなのよね。その彼のケーキを食べられなくなるなんて、絶対に許せないわ!」

「さ・・佐藤さん・・・・」

 高木刑事は、なんか問題が違うというように困った顔で、怒る彼女を宥めた。

 だが。

「あ、オレもそれ同感!みんなに愛される美味しいケーキを奪う権利なんて誰にもないんだ!」

 拳を握って主張したオレに佐藤刑事は、あら?という表情を浮かべる。

「黒羽くんも甘いもの好き?」

「大好きですv」

 おお、同志!とばかりに彼女はオレの手を握り締めた。

「佐藤さ〜ん〜〜」

 泣きそうな顔の高木刑事を無視して彼女は話を続ける。

「それでね、彼、警官は嫌いだけど探偵だったらそばにいても構わないって言うのよ」

「探偵?」

 なんか話が見えてきた。そういうこと・・か。

「そう、高校生探偵。彼、藤峰有希子の大ファンだったらしいわ」

 そういや、ジェローム・益田は三十五歳。

 彼が十代の頃、藤峰有希子は女優として全盛期だった筈だ。

「つまり、オレに工藤新一としてジェローム・益田のそばについて欲しいと」

 そうなんだ、と高木刑事は答える。

「危険な頼みだけど、僕たちは彼の近くにいられないから」

「・・・・・・」

 新一だったら絶対に断らないだろうなあ、とオレは内心で息を吐く。

「警官が一般の人に頼むことじゃないのはわかってるんだけど、他に方法がないの」

 工藤くんがいてくれたら、話は簡単だったんだけど。

「新一も探偵とはいっても一般人ですよ」

「ええ、そうね。わたしたちの甘えだってことはよくわかってるわ」

 日本警察の救世主だとか持ち上げて、わたしたちがあの子に頼りすぎているのも。

 う〜ん・・その通りなんだけど、結局新一は頼られなくても事件に首突っ込んでいく性格だからなぁ。

 他人が文句を言うことじゃないし、だいたい親である優作さんがアレなのだ。

 新一の話では、子供の頃から優作さんの後について事件現場にいってたというし。

 まさに環境が才能を開花させたという見本だろう。

 あれ?と中を覗いていたオレは瞳を瞬かせた。

 佐藤刑事の話では、応募者の中から抽選で選ばれた五人の女性が、ジェローム・益田の指導のもと、最高級のベルギーチョコを使ってケーキを作るという企画だったらしい。

 さすがにバレンタインデーが近いこともあって、二十倍近い競争率だったようだ。

 抽選といってもランダムに選んだとはちょっと思えないくらい、ケーキを作っている女性は美人ばかりのような気がする。

(そういや、女との噂が絶えないプレーボーイだって記事が週刊誌に載ってたっけ)

 そんなことを思い出したオレの目に、意外な人物の顔が映った。

 一人だけジェローム・益田の影になって見えていなかった彼女はまだ少女だった。

 他の四人の女性が皆二十代であるのに、彼女はどう見てもまだ十代という幼さだった。

 肩にかかるくらいまっすぐに切りそろえた、やや茶系のボブカット。

 彼女達の中では一番長身で、すらりとした体型はモデルのようだ。

 少女は、フレームのない眼鏡をかけ、シンプルなブルーのエプロンをつけていた。

 その下は白いシャツにジーパンだ。

 上から下までブランドものできめ、気合をいれておしゃれをしてきた他の女性たちと比べると見かけは質素だが、プロポーションのよさと、さらに目を引く美しい顔立ちが飛びぬけた印象をみせている。

「やっぱり目がいっちゃうわよね」

 綺麗な子だものねえ、と佐藤刑事はニッコリ笑ってオレを見た。

 え、まあ・・とオレは苦笑で返すが、内心では動揺しまくりだった。

 こういう時、ポーカーフェイスの得意な自分がありがたいとさえ思ったくらいだ。

「ところで、彼女達を見て何か気付いたことない?」

 高木くんも、と問われて彼はえ?となる。

「そういや、なんか似てますね、五人とも」

 オレがそう答えると佐藤刑事は、その通りと指先だけで音をたてずに拍手した。

「この五人、どうやって選択されたかというと、顔立ちが藤峰有希子に似てるってことなのよね」

「はあぁ?」

 あ、そうかと高木刑事は今気がついたというようにガラスの向こうでケーキを作っている女性達を見た。

 確かに藤峰有希子にどこか似ている。

 彼女たちが似てるのは、そのせいだったのだ。

「そして、一番似てるのがあの少女」

 眼鏡のせいで印象はかすれてるけど、顔の輪郭や目鼻立ちが藤峰有希子にそっくりなのよね。

「それでいったら、黒羽くんも藤峰有希子似かしら?」

「え〜?そうですかあ?」

 自分ではそう思ったことはないが、新一が母親似なら確かに自分も似てるのかもしれない。

 しかし、工藤新一に似てると言われても、彼の母親に似ていると言われたことは一度もなかった。

 単に身近に藤峰有希子ファンがいなかったせいか。

 ふ・・と、佐藤刑事に一番伝説の大女優に似ていると言われた美少女が、視線を感じたのかガラスの衝立の向こうに立っているオレたちの方に顔を向けてきた。

 彼女は、刑事二人と一緒にいるオレの顔を見た途端、綺麗な眉を思いっきりしかめた。

 その露骨さにはつい、おいおい・・・と内心で苦笑さえしてしまった。

 オレは気配を消してないから、ドアから入ってきた時からあいつは気がついていたのだろうけど。

”探さないで下さい”ね。

 納得、とオレが首をすくめると、美少女はムッとした顔になって背を向けた。

 怒ってるだろうなあ、うん・・絶対怒ってる。

 どうしようかなあ、と困るオレには全く気づかない二人の刑事を見た。

 あいつは、脅迫状のことを知ってるんだろうか?

 知ってたから、ここに来た?

「あの・・今回の企画の募集が出された時はまだ脅迫状は」

 出てないわよ、と佐藤刑事はあっさり答えた。

 そうなると、ちょっとわからなくなってくる。

 なんで、あいつがあそこにいるのか。

 出来上がったケーキを白い箱に入れ、可愛くラッピングする様子をオレたちはじっと眺めた。

 楽しそうな女性たち。

 彼女たちにはこのケーキを贈る相手がいるのだろうか。

(いるんだろうなあ)

 じゃあ、あいつは?とオレは親の仇みたいな顔でリボンを結んでいる美少女を見つめため息をついた。

「終わったみたいね」

 ジェローム・益田の指導のもと、最高級のチョコレートケーキを作った女性達は嬉しそうに箱を抱えて出てきた。

 彼女たちはオレたちの方を見たが、別に気に留めることなく部屋を出て行く。

 まあ、佐藤刑事や高木刑事は警視庁の刑事にはちょっと見えないし、オレにいたっては高校生だから当たり前かもしれない。

 彼女たちにちょっと遅れて出てきた藤峰有希子似の美少女は片手にケーキの箱を抱え、もう一方の手は立っていたオレの二の腕をガッチリ掴んだ。

 ・・・・ゲッ!

 その綺麗な顔はオレを見ずまっすぐ前を向いたままだ。

 オレはそのまま廊下に引きずり出された。

 あまりの唐突さに、二人の刑事もポカンとしたまま声をかけられなかったようだ。

「もしかして、あの少年は工藤新一くんですか?」

 最後に出てきたジェローム・益田が彼らに問いかける声が聞こえたが、オレにはもうどうすることもできない。

「あ・・あのさあ、新一・・・」

 オレは恐る恐る美少女に声をかける。

 と、そこにオレたちを呼び止めるジェローム・益田の声が聞こえ、それに気をとられた時、エレベーターから下りてきた男と丁度すれ違った。

 エプロンをつけ、大きな花束を抱えているのを見ると花屋の店員らしかったが、オレたちは一瞬でそいつが危険だと悟った。

 オレはスルリと手をふり解くと、花屋の店員の後を追い、滑り込むようにして足を出し相手の足を思いっきり払った。

 ふいをつかれたそいつは、ウワッと声をあげて仰向けにひっくり返った。

 その手から花束が吹っ飛び、床に落ち、少し遅れてカチンと金属が床に落ちる音が廊下に響いた。

 見ると、それは軍用のサバイバルナイフだった。

 人を殺傷する目的だけのナイフ。こんなもので刺されたら命はない。

 つまり、殺す目的で所持していたと思われても言い訳できない代物だった。

 佐藤刑事と高木刑事はすぐに男を取り押さえた。

「助かったわ、工藤くん」

 立ち上がったオレに向けて佐藤刑事が感謝の言葉を口にする。

 いえ、と苦笑を浮かべて肩をすくめたオレは、振り向けばあいつがエレベーターに乗り込む所だったので慌てた。

「じゃ、オレはこれで!」

 オレはクルリと向きをかえるとエレベーターに向かってダッシュした。

 閉じかけた扉をこじ開けオレは中に乗り込む。

 扉が閉じて下降を始めたエレベーターの中でオレたちは気まずげに押し黙った。

「え・・と、オレバイクで来てんだけど、乗ってく?」

「・・・・・ケーキ潰れない程度に安全運転するならな」

 返事を返してくれた相手にオレはホッとする。

「いつも、新ちゃん乗せてるときは安全運転でしょ?」

 地下駐車場までおりると、オレたちは並んで歩いた。

 オレたちがおりた時は駐車場に人の姿はなかった。

 もし誰かいて並んで歩くオレたちを見たら、どう思うだろうな。

 恋人・・・いや、顔が似てるからやっぱ兄妹だろうなあとか思うとついオレの口から吐息が漏れる。

 それをどう解釈したのか、新一は足を止めると眉間を寄せた顔でオレを見つめた。

「書置きを見てねえのか?」

「”探さないで下さい”ってやつ?見たけど、そんなの”はいそうですか”ってオレが納得できると思うか?オレをなんだと思ってんだよ」

「・・・・・・・」

「オレな、アレ見てすっごくショックだったんだぜ」

 まあ、その姿見られたくなかったんだろうけどさ。

 しかも、ケーキなんか作ってるしさ。

「あれ、新一が申し込んだの?」

「ああ・・・」

「優子って呼んでたよな、あのセンセ。それってさあ、優作さんと有希子さんから一字ずつとったわけだよな」

「偽名考えるの面倒なんだよ」

 新一らしいよな。

「で、名字は何?」

 新一の眉間の皺がさらに寄った。

 おいおい・・・相当に不機嫌?それとも照れか?

「なんだっていいだろ。それより、さっきのはなんだよ?」

「さっきの暴漢のこと?なんだ、新一やっぱり知らなかったんだ。あのジェローム・益田が暴力団に狙われてたんだよ。まあ、明らかな殺人未遂の現行犯だからこれから首謀者を検挙するんだろうけど」

「それで佐藤さんたちがいたわけか」

「うん、そういうわけ。で、その益田氏が警官嫌いなもんで、探偵の工藤新一に来てもらいたがってたんだよね」

 でも新一とは連絡とれないし。

「ここへ来た時、偶然高木刑事と会ってさ、オレが新一に似てるってんで代役頼まれたんだ」

「だから佐藤さんが”工藤くん”なのか」

 そういうこと、とオレは頷いた。

「じゃ、今度はオレが質問する番ね。そのケーキ何?あんなに嫌がる女装までしてやらなきゃならなかったこと?」

 新一は俯いて黙り込んだ。

 答える気はなしか。

 オレはバイクにまたがると、キーを差し込みヘルメットを被った。

 新一はケーキを潰したくないため、両足をそろえ横向きに乗ると、膝の上にラッピングされた箱をのせた。

 ケーキの箱を押さえる手の反対側は、オレの腰に回る。

 オレは身体を後ろにねじって新一の頭にヘルメットを被せた。

 うっすらと化粧もしてるので、どこから見ても女性に見えるから、そんな座り方をしても違和感はない。

 でもま、安全運転は守らないと。振り落としたりしたら大変だ。

「家に帰ったら、このケーキ、責任もっておまえが食えよ」

 ハ?とオレは目を瞬かせる。

「オレが食っていいの?誰かのためのケーキだったんじゃ・・・」

「ああ、そうさ。オレはチョコレートケーキなんか食えねえし。でも、おまえ、ジェローム・益田の幻のケーキ食ってみたいって言ってたろ」

 え?とオレはバカみたいにポカンと口を開けた。

「こいつがそうなんだよ。作ったのはオレだけど、レシピ通りに作ったからな。一番うまく出来てるって言われたから安心して食え」

 ジェローム・益田の幻のケーキ。

 彼が参加したパリのコンテストで審査員を唸らせた絶品のチョコレートケーキ。

 コンテスト以外で彼はそのチョコレートケーキを作っていないので、幻のケーキと言われていた。

 確かに食べてみたいと言ったことはある。

 でも、新一に直接言ったわけじゃない。いったい誰から聞いたんだ?

「募集記事見た時に、そのケーキを作るってわかってさ。でも応募できるのは女だけだってえし」

 まあ、バレンタインを狙っての企画だからしょーがねえけどと新一はブツブツ言う。

 それで競争率二十倍だったわけか。

 でも、どこで募集されてたんだ?その手のことは結構見逃さない青子も知らなかったみたいだし。

 よほどマイナーな雑誌にでも掲載されてたか。

「それで女装したってのはわかるけど、よく受かったよなあ。競争率高かったんだろ?」

「ああ、らしいな。で、募集記事載せてた雑誌の編集長がたまたま親父の同級生でさ、その人からジェローム・益田が母さんのファンだってことを聞いて、ちょっと言ってみたのさ。応募した中に、オレの従妹がいるってな」

「・・・・・・」

 そりゃ、絶対に選ばれるよな。ったく、やるとなったらホント手段選ばねえよな、新一って。

「それで、オレのために応募してオレのためにケーキ作ってくれたわけ?」

 それって、当然愛の告白だよなあ?とオレがニンマリして訊くと、新一はバ〜カと回した腕でオレの腰を締めた。

 胃が締め付けられてウゲッと舌を出すオレに、新一はクスクス笑った。

「バレンタインは山ほどチョコをもらう気だろ」

 だいたい、バレンタインってのは女が男にやるもんだ。

「それは違うぜ、新一。バレンタインは口に出して言えない告白をチョコにこめて渡す日なんだぜv」

 新一は、なんとでも言えとばかりに鼻を鳴らす。

「じゃ、早く食べたいけどケーキの安全のために、交通法規をしっかり守って帰りま〜す」

 オレは後ろに新一を乗せてバイクを走らせた。

 

 あ、そういや服部・・・ま、んなの後でいいか。

 


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