階段には薄く煙がのぼってきていて、下へおりるにしたがって視界が悪くなってきていた。

 佐藤刑事はハンカチを口に当てながら慎重に階段をおりていく。

「三十五階だったわね」

 さすがに新一の方が身軽なのか追いつけない。

(工藤くんが残ったのは、やっぱりそれなりの理由があったというわけなのね)

 そして、その理由を白鳥警部も知っていた・・・

「もう、どういうことよ!なんでわたし達に黙ってんのよ!」

 ・・・えっ?

 憤る彼女の足元から突然突き上げるような衝撃が起こった。

 そして彼女は悲鳴をあげる暇もなく階段から滑り落ちていった。

 

えええぇぇぇっ!

 白鳥警部から話を聞いた高木刑事は驚きの声を上げた。

「本当にそんなスゴイ殺し屋がこのホテルに潜んでるっていうんですか!」

 アッシュ・コクトーの名は彼も耳にしたことがあった。

 その名は通り名だという噂もあり本名は明らかになっていない上に、顔すらハッキリわかっていないという。

 年齢も国籍もわからないというところは、かの怪盗キッドと同じだが、決定的に違うのはキッドは人を殺さないがアッシュは殺しを仕事にしていることだった。

 受けた依頼は百パーセントこなすという超一流のスナイパー。

「工藤くんがアッシュの顔を知っているというのでつい残してしまったが・・・」

 今更ながらに後悔し白鳥警部は顔を歪めた。

「顔を知ってるって・・・工藤くんがですか?それじゃ、もし出会ったら危険じゃないですか!」

 白鳥警部は、ああ・・と低く答えた。

「避難の方はもう我々がいなくても大丈夫だ。工藤くんと佐藤さんの後を追おう」

「はい!」

 高木刑事は大きく頷くと白鳥警部の後に続くように駆け出した。

 だが数階下った所で彼らは足を止めざるおえなくなった。

「か・・階段がない!」

 なんでだあぁぁ!?

 高木刑事は目の前の信じられない光景にパニクった。

 あれは・・・・

「佐藤さん!」

 煙で視界がぼんやりしている中で白鳥警部が佐藤刑事を見つけ叫んだ。

 えっ!と高木刑事も目を瞬かせながらしっかりと佐藤刑事の姿を捉える。

 いった〜い、と彼女は自分を呼ぶ声に答えるよりも打ち付けた腰をさする方を優先させた。

「大丈夫ですか、佐藤さん!」

 頭上から聞こえる同僚の声に答えるように佐藤刑事は右手を挙げた。

「階段から落ちて腰をちょっと打っただけ。平気よ」

 足に力を入れてみるが、幸い捻ったりはしなかったのか痛む所はない。

「階段、崩れちゃったのね」

 背後を振り返り見た彼女は、自分がすべり落ちた付近の階段が崩れているのを見てゾッとする。

 あの時手すりにでもつかまって踏ん張ってたりしていたら、崩れた階段と一緒に真ッ逆さまだったろう。

(あ〜あ、おニューのワンピだったのに・・・)

 汚れた自分の服を見て彼女は溜息をつく。

 全く、高木くんとのデートがまともに終わったためしがないわね。

 そういえば、もう一組そんなカップルが・・・・・

「心配しないで、大丈夫だから!」

「気をつけてください、佐藤さん!相手は国際手配されている凄腕の殺し屋なんです!」

 殺し屋?

 高木の言葉に彼女は瞳を瞠る。

「何?そんなのがいるって言うの?」

「そうです!このホテルの中に潜んでいるかどうかはわかりませんが、注意してください!」

「わかったわ。じゃあ、行くわね!」

「佐藤さん!我々もなんとかして後を追いますから!それと、工藤くんから目を離さないで下さい!彼はその殺し屋の顔を知っている!」

 え?と佐藤刑事は足をとめて振り返った。

 そうなの?

(だから・・・彼、ここに残ったのか・・・・・)

 

 

 

 

「おまえ達、いったいなんなんだ!」

 消火のためにホテル内に入った消防士たちは、火災をおこしている階へ上がる途中正体の知れない男たちに突然行く手を阻まれ驚愕した。

 上から下まで真っ黒な服を着た四人の男たちはホテル内に取り残された客ではない。

 彼らは火を消そうとする消防士たちを邪魔するように立ちふさがり銃を向けた。

「まさか・・・この火災はおまえ達の仕業か!」

 ニヤリと笑う彼らの表情が一変したのは、突然背後に現れた人物からの攻撃を受けた時だった。

 目の前の消防士たちに気を取られていたとはいえ、その人物の出現は唐突だった。

 二人の男はあっさりと蹴りをくらって昏倒し、もう一人は首の後ろにエルボーをくらう。

「な・・!なんだ貴様ら!」

「意外とモロいな。素人専門か?」

 仲間を倒した金茶の髪の青年に目を瞠っていた男は、またも突然消防士の前に現れた長い黒髪の男に絶句した。

 一瞬でわかる。自分たちと同じ種類の人間だと。

 慌てて銃を向けるが、それよりも早く相手に腕をつかまれ銃を奪い取られた。

 その早業に唖然とする。

 ついさっきまで自分が手にしていた銃の銃口がピタリの自分の眉間に押し当てられていた。

「殺すなよ!」

 金茶の髪の青年に素早く止められ、長髪の男はクスリと笑う。

「殺すなってさ。ここが日本でよかったな。他の国なら、おまえらアッサリ消されてるぜ?」

「おまえ・・・何者だ?」

 脅しに慣れているはずの自分が、逆に恐怖を感じさせられている。

 つまりは自分とはレベルの違う相手だということを無意識に悟り、冷たい汗が流れ落ちる。

 ゴツッ!と鈍い音がして、悪魔に銃口を押し当てられていた黒ずくめの男は床に倒れ込んだ。

「・・・・・・・・」

 あっという間に銃を持った正体不明の男たちを倒したこの若い二人の男に、消防士たちは茫然となっていた。

「ご心配なく。私はベネットといいます。私のことは警視庁の目暮警部に聞いていただければわかりますので」

 警視庁の警部の名を出されたことで、消防士たちはとりあえずホッと息をついた。

「この男たちのことは我々にまかせて消火にかかって下さい」

 ジョシュアがそう言うと、消防士はすぐに仕事にとりかかった。

 さすがにプロだ。仕事優先を考えいつまでも引きずってはいない。

 さて・・とジョシュアは倒れている男の方に屈みこむ。

「こいつら、いったい何者だ?」

 ジョシュアは気絶している男の身体を探るが、さすがに正体がわかるようなものは見当たらなかった。

 黒ずくめというと、新一やキッドを狙う連中を思い出すが。

 まさか・・な。

「おい、どこへ行く?」

 ジョシュアは踵をかえし歩き出した長髪の男を呼び止める。

「そりゃあオトートを迎えに行くに決まってんだろ?」

「下手に動き回らない方がいいぞ。こいつらの仲間が他にいないとは限らないんだからな」

 心配ご無用、とハデスはニッと笑うと手をヒラヒラさせて行ってしまう。

 心配なのは相手の方だ、とジョシュアは眉をひそめる。

 一緒にここまで来たものの、得体の知れない奴だ。いったい何者なのか。

 

 

 

「工藤くん?」

 三十五階まで降りた佐藤刑事は、先に来ているだろう高校生探偵の姿を探した。

 さすがにここまでくると煙が濃くて視界が悪い。

 煙たさに咳き込んだ彼女の手がいきなり掴まれてギョッと瞳を見開く。

 思わず声を上げかけた彼女の耳に、少年のシッという声が入る。

 煙で潤む瞳に、整った少年の顔が映った。

「工藤くん・・!」

「先客がいるようです。用心してください」

 先客って・・・・

 佐藤刑事の表情が緊張して堅くなる。

「それって、殺し屋!?」

「いえ・・あの男じゃないようです。いるのは複数・・・彼女は”奴ら”といっていましたし」

「彼女って、いったい誰なの?」

「白鳥警部の話では、どこかの研究所で働いていた研究員だそうです」

「研究員?彼女は狙われているわけ?」

「詳しいことはボクにも・・・白鳥警部も事情を聞いていなかったみたいですし。ただ・・・・」

「ただ?何?」

「狙われる理由として考えられるのは、彼女がなんらかの秘密を抱えているか、もしくは何かを持っているかでしょう」

 新一はそう言うと、身辺警護をしていた男たちが殺されていた部屋で見つけたものを佐藤刑事に見せた。

「口紅?」

「発信器が仕掛けられていました。気づいて捨てたのか、偶然落としたのかはわかりませんが、ここへ来た”奴ら”は彼女を見失ってしまった」

 そういうこと・・と佐藤刑事は頷く。

「追っ手は彼女がホテルの外に出ていないことを確認し、各階の部屋を探してるということなのね」

「おそらく、三十階より下に彼女がいないことを確かめ逃げられないよう火を放った・・・・」

「そして、上にも避難できないようにしたってわけなのね。でも、そんなことをしたら自分たちだって逃げられないじゃない」

「自分たちが死んでも彼女を始末したいか、それとも脱出できる方法が奴らにはあるかのどちらかですね」

 どっちにしてもやっかいだ。

 できれば、その連中よりも早く彼女を見つけたい。

「でも工藤くん・・・それじゃ、殺し屋ってなんなの?その連中が雇ったってわけ?」

 佐藤刑事に問われた新一は、途端に眉をひそめ考え込んだ。

「・・・・わかりません。あの男は引き受けた仕事は単独でやると聞いてるし、それに・・・・・」

「工藤くん?」

 無言でいつもの推理モードに入ってしまった新一に佐藤刑事は慌てた。

「ご、ごめんなさい。なにもかも君に聞きすぎたわね。今は、やらなきゃいけないことをしましょ」

「え?あ、ハイ」 

 新一は彼女の声にハッと我に返って頷いた。

「この階にいるのは確かだけど、どこにいるのかよね」

 佐藤刑事がそう呟いた時、新一の上着のポケットに入れていた携帯が着信をバイブで知らせた。

 なに?と佐藤刑事が首を傾げる。

 新一は、彼女からですと答え携帯電話を手に持つ。

『工藤くんね?今どこにいるの?』

「三十五階です」

 新一の耳に彼女が苦笑まじりの溜息をつくのが聞こえた。

『やっぱり来たのね。白鳥警部も一緒?』

「いえ、警部はいません。ここにいるのはボクと佐藤刑事です」

 佐藤刑事は新一から携帯を受け取る。

「もしもし?警視庁の佐藤です。ご無事ですか?」

『あら、女の刑事さんね。ええ、無事よ。今の所はね』

「すぐにそちらへ向かいますから。どこにいるんですか?」

『奴ら、もうこの階に来てるんじゃないの?』

「ええ・・・なんとかします。どこにいるのか教えてください」

 彼女はしばらく考えていたようだが、心を決めたのか佐藤刑事に今いる部屋の番号を告げた。

「わかりました。すぐに行きます。動かないで下さいね」

 佐藤刑事は言うと、持っていた携帯を新一に返した。

「わたしが囮になってこの階にいる連中をおびき出すから、工藤くん、その後を頼める?」

「危険ですよ、佐藤さん!相手は銃を持ってるんですから!」

「危険でも、ここには工藤くんとわたししかいないでしょ?」

 片目を瞑ってニッコリ微笑まれては新一も否とは言えない。

(高木刑事もホント苦労するよなあ・・・)

 自分のことは完全に棚上げした新一がそう嘆息する。

 

 

 佐藤刑事は僅かに開いていた防火扉から一気に客室へと走り出た。

 音高く靴音を鳴らして廊下を走るとすぐに客室を調べていた男たちが姿を現した。

「止まれ!」

 その声に佐藤刑事はすぐさま足を止める。

 現れたのは銃を持った黒ずくめの男が二人。

「女か。何をしている?」

「あら、それはこっちが聞きたいことね。こんな所で銃なんかもって何をしているのかしら?」

 両手を挙げているものの怯えた様子が見られない彼女に男たちは不審げに眉間を寄せる。

 おまえ・・と言いかけた男が突然頭に衝撃を受けて引っくり返った。

 大きな音をたてて転がったのは、ガラスの花瓶。

 な・・!と驚いて振り返ったもう一人の男の目に少年が映った途端、女性の白い脚が深々と鳩尾に食い込んだ。

 ぐえっ・・とカエルのような声を上げて男が身体をくの字に曲げると、間髪いれずに首の付け根にエルボーをくらいそのまま男は悶絶した。

(スゲエ・・・蘭に負けてないな佐藤刑事・・・・・)

 新一と佐藤刑事は、気配に気をつけながら廊下を進むと目的の客室のドアを開けた。

 二人が部屋に入ると、若い女性がソファの陰から顔を見せた。

 わりと背の高いスラリとした女性だった。

 髪はボブカットにして栗色に染めている。

 紺色のスーツを身につけたややキツめの顔立ちをした彼女は、一見どこかの社長秘書という印象だ。

「あなたが工藤くん?」

 はい、と新一は頷く。

「で、佐藤刑事ね」

「そうです。あなたは?」

「わたしの名前は知らない方がいいわね。迷惑をかけたくないのよ」

 と言ってから彼女は苦い笑みをこぼす。

「この騒ぎの張本人が今更迷惑もなにもないわね」

「どうして狙われているんです?」

 彼女は笑みを浮かべながら、わたしが大事なものを盗み出したからと答えた。

「あなたが働いていたという研究所からですか?」

 ええ、と佐藤刑事に向けて彼女は頷いた。

「それが何かは言えないけど・・・でも、後悔はしてないわ。たとえ、ここで殺されることになってもね」

 新一と佐藤刑事は彼女の言葉に顔を見合わせた。

「じゃあ今ここで死んでもらおうか、シーナ」

 その声と共に部屋に入ってきたのは、さっきの黒ずくめとは違い灰色の背広を着た中年の男だった。

 髪をオールバックにし、銀縁の眼鏡をかけた男が銃口を向ける。

「やっとお出ましね、所長」

「おまえが奪っていったものは確実に取り戻しておかないといけないからな」 

 しかし、偉そうなことを言うわりには組織の人間もだらしないもんだと男は新一と佐藤刑事を見ながら言った。

「こんな小娘やガキにやられるとはな」

 まあ、おまえを見つけられただけマシかと男は口端を上げる。

「アレはどこだ?」

「さあ?ここじゃないのは確かね」

 どこだ!と男は声を荒げる。

「アレは”ミステリアスブルー”を得るためにはどうしても必要なんだぞ!」

「・・・・・・!」

 思いもよらず唐突に男の口から出てきた言葉に、新一の瞳が驚愕に見開かれた。

 な・・んで・・・・?

 

 火災を起こした米花プリンスホテルの三十五階、新一たちが今いる客室と丁度向かい合うオフィスビルの窓から狙撃用のライフルを構えていた男がニヤリと笑った。

 赤外線スコープからは、部屋にいる人物の姿がハッキリと見えている。

 背を向けている女と、その前にいる若い女、そして少年・・・・・

「ミステリアスブルーか・・・・あんな所にいるとはな」

 ガーディアンどもがさぞ慌てふためいていることだろう、と灰色の瞳をした殺し屋は面白そうに喉を鳴らして笑う。

 そうして、世界最高と言われるスナイパーはゆっくりと照準を標的に合わせた。

 

「やめなさい!」

 男が引き金を引こうとするのを見て佐藤刑事が止めようと動き、新一がシーナと呼ばれた女性を庇おうと動くが間に合わず放たれた銃弾は彼女の肩を貫いた。

「今度は脅しではすまんぞ!さっさとアレがどこなのかを言え、シーナ!」

 血に染まった肩を押さえて膝を折った彼女に駆け寄った新一は、背に庇うようにして男の方を向き、そして気づいた。

 男の額に見える赤い小さな点。

 新一は瞳を瞠り、すぐに背後のガラスの向こうを振り返る。

 黒っぽい高層ビルの窓からキラリと光るものを見た瞬間新一は悟った。

 ま・・間に合わない・・っ!

「佐藤刑事、離れて!!」

 え?と男の前に立っていた佐藤刑事は突然の新一の声に驚いたように顔を振り返らせたその時、男が突然額から血しぶきを上げて倒れこんできた。

「な・・何!?」

 倒れ込む勢いで男の指がかかっていた引き金が引かれ、銃弾が発射される。

 弾丸はガラスに当たり、二度の衝撃を受けた窓ガラスはたちまちヒビが広がって割れた。

 三十五階という高さ、しかもすぐ下で火災が起こり気流が渦を巻いている。

 ヤバイ!

 窓の近くにいた新一は傷ついた女性を安全な場所へと運ぼうとしたが、衝撃はさらに続き二人の背後のガラスも割れて凄まじい風が彼らを巻き込もうとした。

 新一は彼女を壁の方へと突き飛ばすのが精一杯だった。

 フワッ・・と身体が浮く。

 まるで無重力のように風に持ち上げられた新一は抵抗する間もなく割れた窓の外へと放り出される。

新一!!

 部屋に飛び込んだ途端、背中から窓の外へと飛び出す新一を見て快斗は大声を上げて走り出した。

 くそっ!駄目だ、間に合わない!

 かろうじて落ちようとする新一の手を捕まえたが、落下を止める余裕はなかった。

 チッ!と快斗は舌打ちすると、咄嗟に腰に装着していたロープの鍵爪を窓枠に引っ掛け、空中で新一の身体を引っ張り上げた。

「新一!オレの首にしっかり掴まってろ!」

 スルスルとロープがある程度伸びるとガクンと落下が止まる。

 続いて勢いで振り子のように振られ下の階の部屋の窓ガラスへと引き寄せられていく。

 快斗は新一を守るように腕にしっかりと抱きしめ、伸ばした足でガラスを蹴った。

「くそう、この程度じゃ割れねえか!」

「どいてろ」

 ふいに背後で声がし、え?と振り返るより早く快斗の目の前のガラスが割れた。

 飛び散るガラスから新一を庇いながらぶら下がった快斗が振り向くと、そこにはロープに掴まって下りて来たらしい長髪の男の顔があった。

 ハデスはニヤリと笑い、持っていた銃を懐のホルダーに収め先に割れた窓から中へ入った。

(あの野郎〜〜)

 快斗は渋い顔をすると、新一を抱いたまま身体を振り、窓から部屋に飛び込むと同時に腰に装着していたロープを外した。

 新一を抱いたままでも快斗はフワリと床の上に見事な着地を決めた。

「なんで、おまえがこんなとこにいるんだよ?」

「いて助かったろ?」

「おまえなんかいなくってもなあ!・・・・新一?」

 ハデスにくってかかろうとした快斗は、腕の中の新一の様子がおかしいことに気がついた。

 自分の胸を掴んで苦しげに顔をゆがめている。

 呼吸が乱れ、脂汗が流れていた。

「新一!」

 どうした?とハデスが二人の前に屈んで覗き込む。

「発作を起こしてる。ここ最近なかったのに・・・・」

「なんの発作だ?緊急を要するのか?」

「治まることもあるけど・・・わからない」

 そうか、とハデスは言うと新一の方に手を伸ばした。

「新一に触るな!」

「それどころじゃねえだろうが。心配すんな、こいつには何もしやしない」

 やっと見つけた同族だからな、とハデスは毛を逆立てて敵意をむき出しにしている快斗に向けてニッと笑ってみせる。

「同族?」

 ハデスは首を傾げる快斗の手から新一を抱きとった。

「どういう意味だよ、それ?」

「それはいずれまたな」

「・・・・・・」

 快斗は納得できなかったが、ハデスが新一を傷つけないということだけは信じられた。

 緊急時の妥協だと快斗は諦め、自分の皮ジャンをハデスが横抱きにした新一に頭から被せる。

「煙を吸わねえよう、しっかり俺の胸に顔を伏せときな」

 ハデスは腕の中にいる新一にそう言うと、ホテルから脱出するべく快斗と共に部屋の外へ出た。

 

 新一と快斗が無事に下の部屋へ入ったのを見届けたフォックスは、ロープを手繰り寄せた。

「ここにいたのか、フォックス」

 遅れてこの部屋にたどりついたジョシュアが惨状を見て眉をひそめ、まわりを見回した。

「ミスティは?」

「心配いりません。マジックと一緒ですから」

 そうか、とジョシュアはホッと息をつく。

「あなたはどうしてここに?」

「テレビのニュースで、おまえたちの姿を見て気になって来てみたんだ。そうしたら、やっぱりミスティがこのホテルに来ていたと聞いて・・・・」

「聞いて、ハデスと一緒にここまで来たわけですか?」

「ハデス?おいちょっと待て!じゃ、あいつ・・・!」

「知らなかったんですか」

「知ってるわけないだろう!」

 そうか、あいつが・・・・・

「あいつは弟を探しにいくとか言っていたが」

「弟?それってミスティのことですか?」

「はあぁぁ?なんでそうなる!?」

「何故かは知りませんが、彼はミスティのことをかなり気に入ってるようでしたので。多分、弟というのはそういうことでしょう」

 そう言ってからフォックスは、狙撃された男の下敷きになった佐藤刑事の方へと歩み寄っていった。

 自分の方に倒れ込んできた男をよける暇もなく彼女は押し倒されて、後頭部を打ち気絶したようだった。

 ザッと見た所外傷はないので、上にのってる男をどけて彼女を抱き起こす。

「奥にもう一人怪我人がいるので見てくれますか?」

「あ、ああ・・わかった」

 ジョシュアは言われたとおり、窓近くの壁にもたれるように倒れている女性の所へいった。

 肩を撃ちぬかれたのか出血が多い。

 ジョシュアはネクタイを解いて肩を縛り止血すると、ハンカチで傷口を覆った。

「・・・・ありがとう」

 意識のあった彼女が、見知らぬ金茶の髪の青年を見つめ礼を言った。

「気をしっかり持ってください。すぐに病院へ連れて行きますから」

「ごめんなさい、病院は駄目なの・・・・どこか、身を隠せる所がないかしら」

「え?しかし・・・・・」

「わかりました。わたしがお連れしましょう」

 いきなりの女性の頼みに戸惑ったジョシュアの後ろからフォックスが答える。

「わたしが彼女を誰にも知られずに外へ連れ出しますから、あなたはあの刑事さんをお願いします」

 フォックスは言うが早いか、撃たれた女性をすぐに腕に抱き上げた。

「おい、フォックス!」

「あの殺された男、眉間に一発正確に撃ち込まれています。倒れていた位置と傷の角度から狙撃された場所はわかるでしょう?」

 ジョシュアは険しく眉をひそめた。

「あいつか?」

 フォックスは微笑を浮かべる。

「今頃向かっても無駄でしょうけどね」

 わかってる!とジョシュアは言ってムッツリと口を尖らせた。

 ふふっとフォックスは笑う。

「では、後のことはよろしくお願いします」

 フォックスは傷ついた女性を抱きかかえたまま出ていく。

 ジョシュアは、はあぁぁ・・と息を吐き出すと気絶している佐藤刑事のそばにしゃがみこんだ。

 ようやく意識を取り戻したのか、佐藤刑事は顔をしかめツッ・・と声を漏らす。

「大丈夫ですか、佐藤刑事?」

 あら?と彼女はジョシュアを見て大きな瞳を瞬かせた。

「あなた・・・え?どうしてここに?」

「わけは後で。立てますか?」

 ええ・・と彼女は頷いてジョシュアに支えられながらも立ち上がる。

「いたた・・・コブ出来ちゃったみたい」

 佐藤刑事は痛む後頭部をさすった。

 まあ、それですんで幸いだったが。

 と、彼女は何か思い出したのかあっ!と声を上げた。

「工藤くんはっ?それに、彼女も!」

 部屋の中には自分とジョシュアしかいない。

 撃たれた男は当然ここに残っているが、あとの二人は!

「え・・と、私が来た時はあなただけでしたが?」

 嘘でごまかさねばならない面倒を考えれば、最初からその二人はいなかったと言っておいた方がラクだと思いジョシュアはそう答えた。

 しかし、佐藤刑事にしてみれば納得できるものではないだろうが。

(わたしが気を失っている間に何かあったというの?)

「とにかく、ここから出ましょう。まだ危険がなくなったわけではありませんから」

 ジョシュアが顔色をなくしている彼女を支えて部屋を出ると、ようやくこの階へと来ることが出来た白鳥警部と高木刑事が駆け込んできた。

「うわっ!佐藤さん、どうしたんですか!」

 顔や衣服が血に染まっている彼女を見て高木刑事はパニックに陥った。

「あ、大丈夫、大丈夫。コレ、わたしの血じゃないから」

「中で男が死んでいます。外から狙撃されたんです」

「狙撃だって!」

 そういえば、何故あの部屋を狙えたんだ?とジョシュアは首を傾げる。

 標的があの男だったのなら、あの部屋に必ず現れるとわかっていたってことなのか?

「君は確か、ジョシュア・ベネットくんだったね」

「ええ、白鳥警部」

「本当に怪我してませんか、佐藤さん?」

 心配そうに見る高木刑事に彼女は微笑う。

「大丈夫だって、高木くん。頭の後ろにちょっとコブ作っただけだから」

「佐藤さん、工藤くんと狙われていた女性は?」

 白鳥警部に問われた彼女は、ふっと表情をかえて首を振った。

「わからない。わたしが気を失ってる間にいなくなったのよ」

 そう言って彼女は悔しげに唇を噛む。

「わかりました。二人は探しますので佐藤さんは先にここから出てください。このすぐ下に消防士がいますから」

「消火もうまくいってるみたいですから心配ないですよ佐藤さん」

「え、ええ・・・」

「じゃあ、佐藤刑事は私が連れて出て構いませんか?」

「お願いします」

 ジョシュアはそのまま佐藤刑事を支えて階段の方へと向かっていった。

「高木くん、現場検証を始めるぞ!」

「はっはい!」

 

 

 

「セイちゃん、こっち!」

 消防隊や警官に加え野次馬と報道人でごったがえしている中に紛れるようにして火災現場を出た三人は、細い路地に止まっていた車のそばで手を振っている男の方へと向かった。

「マスター?」

「電話で呼んでおいたんだ。アシはあった方がいいからな」

 いつのまに・・と快斗は目を眇める。

「火事見物なんて趣味の悪いことをやるから怪我なんかする・・・」

 そう幼馴染みに説教しかけた慎二は、彼が誰かを腕に抱いているのと、快斗が一緒にいることに目を丸くした。

「あ・・あれ?怪我したんじゃないのか、セイちゃん?」

「悪いな。あれは嘘」

「うわっ!新一くんじゃないか!どうしたんだ?」

 まさか、ホテルにいたっていうのは・・・・

「ごめん、マスター。わけは後で話すから。乗せてもらえますか」

 慎二は急いで後部のドアを開ける。

 ハデスが新一を後部座席に寝かせると、すぐに快斗が中へ入り新一の身体を腕の中に抱えた。

「新一・・?大丈夫?まだ苦しい?」

 快斗の胸に抱え込まれるようにされた新一が、小さく息を吸い込んだ。

 顔色はまだ悪いが、呼吸はさっきよりラクになったようだ。

「快・・斗・・・アッ・・シュがATビルに・・・オレの・・目の前で・・・」

 悔しそうな顔をする新一に、快斗は宥めるように優しく背中をさすった。

「今は何も考えるなよ、新一。おまえのせいじゃないんだから」

「どうする?すぐに病院に行くか?」

「病院はいい。発作も治まりかけてるし。どっかで休ませてもらえたら」

 じゃあ、僕の店で休めばいいよと慎二は言って車を走らせた。

 火災を起こしたホテルが遠ざかり始めた頃、快斗の携帯が着信を知らせた。

 快斗はポケットから携帯を取り出す。

 そして声を聞いた途端、てっきりフォックスかと思って送信者が誰かを確かめなかった自分に後悔した。

『おまえの蒼い宝石は無事だったか』

 アッシュ・・・

「ああ、ここにいるよ」

『どうやら、俺もそいつとは縁があるらしい。おまえにとっては気に入らないことだろうがな』

「ああ、とてもね」

 アッシュは低い声で笑う。

『それにしても、意外な奴と一緒にいるもんだな。そいつも蒼い宝石に魅入られた一人ってわけか』

「らしいな。オレは認めねえけど」

 またアッシュが笑う。

『おまえ達は本当に面白い』

 快斗は眉間に深い皺を作りながら通話を切った。

「怖いダンナからか」

 愉快そうな声に快斗はさらに不機嫌そうに顔をしかめる。

「うるせえな。おまえなんか、さっさとやられちまえよ」

「そうはいかない。俺もゲームは楽しみたい方だし、あっさり負けちまったらツマんねえだろ?」

 最も、相手が奴でも負けるつもりはないがな。

「フン、たいした自信だよな。オレもゲームは得意だからさ、あんたにはやられたりしないぜ?」

「そいつは結構vせいぜい楽しもうぜ」

「・・・・・・・・・」

 快斗はやっと発作が治まり気が抜けたのか眠ってしまった新一の寝顔を見つめると、誰にも奪われないようしっかりと抱きしめた。

 

 

 

 火災もおさまりかけたホテルだが、騒ぎはまだ続いていた。

 殺人事件まで起こり、警察の動きも慌しくなる。

 そんな中、蘭は新一が戻ってくるのを一人待っていた。

(新一・・・・・・)

 バッグに入れていた携帯が鳴ると、蘭は急いで携帯を取った。

「新一!」

『蘭?おまえ、まだホテルんとこか?』

「当たり前でしょ!新一大丈夫なの?今どこ?」

『わりぃ。オレ、今もうそこにいねえんだ』

「え?どういうことっ?」

『ちょっと訳があってさ、ホテル出て今あるとこにいる』

「あるとこってどこよ?」

『ゴメン、言えねえ。また連絡するから心配すんな』

「ちょっと、新一!」

 じゃあな、と切れてしまった携帯に蘭は呆れた。

「もう!いつも勝手なんだから!」

 でも・・・良かった・・・無事なんだ、新一。

 

 快斗は通話を切った新一の携帯をサイドボードの上に置いた。

 新一はマスターの好意で彼の部屋のベッドに寝かされていた。

 車の中で眠ってからずっと新一は目を覚ましていない。

 発作を起こした後ということもあるが、かなりの緊張をしいられたことで身体に負担がかかったのだろう。

「新一・・・・」

 快斗は新一が眠るベッドの端に腰をおろすと、彼の額にそっと口付けた。

 

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