『昨日まではホンマ天気悪ぅてな、天気予報でも年末寒波や言うとったんやけど、今日の大晦日はええ天気なんやでえ』 「ふうん。そいつは良かったな。で?仕事は無事に終わったのか」 『犯罪はなくならへんから、無事にってわけにはいかへんねやけど・・・まあ、後は来年回しや」 なんとか今度の正月は自宅でゆっくり過ごせそうでなあ。 そう言って嬉しそうに笑う色黒の顔が電話越しからも想像でき、新一は肩をすくめた。 わりと電話やメールでやり取りはしているものの、最後に顔を合わせてからもうどのくらいたつだろうか。 日本にいた頃は、たいてい大晦日は工藤邸で快斗も交えての宴会を楽しんでいた。 そして、カウントダウンの後は二人に引っ張られて嫌々外に出た新一である。 くそ寒い中、なんで嬉々として外に出ようとするのか、新一には今もって理解できない。 しかも、毎回新一は押し切られていたのだ。 「じゃあ、今夜は自宅でのんびりと紅白でも見んのか」 『いや。もう最近の紅白はおもんないからなあ。そんでも、ガキん頃から大晦日は紅白を見んのが習慣みたいになっとったから見とったけど、なんや歌やのうてパフォーマンス中心みたいになってきたからやめた』 今はなあ、格闘やでvK1がサイコーにオモロイんや! そうなのか、と新一は首を傾げる。 昔から大晦日の夜にテレビを見る習慣のない新一には、はっきり言ってどっちでもいい話だった。 だいたい、中学に入る頃から一人暮らしをしてる新一の大晦日の夜は、クリスマスにどっさり送られてきた海外ミステリィ小説を読むことに費やされる。 父親が毎回セレクトして送ってくるので、好みにハズれた本はただの一冊もない。 大晦日の昼は、蘭がやってきて大掃除を強要するのでそれで時間が潰れる。 自分の所は30日までに終わらせているので、大晦日は工藤邸の大掃除だと蘭は勝手に決めていたようだ。 そんなのは業者に頼めばすむことなのだが、毎年蘭と一緒にする大掃除は楽しみでもあるので新一は文句を言いつつ断ったことはない。 そして、蘭は新一の分の御節の入った重箱を置いて帰っていくのだ。 小学生の頃から食事の支度は自分の役目だと頑張っていた蘭は、毎年一日がかりで御節を作っていた。 考えてみれば、新一の知る家庭の味は、母親の料理ではなく蘭の作った料理だった気がする。 コナンだった頃も、毎日蘭の作った料理を食べていた新一だ。 ごく普通の家庭料理で、プロ顔負けの料理をあっさり作ってしまう快斗とは違うが、優しくて暖かい味のする料理を蘭は作ってくれた。 (なんか、久しぶりに食ってみたくなったなあ、蘭の御節・・・) だが、既に彼女とは住む世界が違ってしまった新一が、気軽に蘭のもとへ顔を出せるわけはない。 もう二度と彼女の手料理が望めないとなれば、なんだか、コナンだった頃がとても幸せだったような気がしてくる。 『ところで、工藤。おまえ、今どこにおんのや?』 寒いのが嫌いなおまえのことやから、今が夏のオーストラリアで新年を迎えるっちゅーんやないやろな。 それともハワイか? 「・・・・横浜」 『ハ・・・?』 電話口で平次がマヌケた声を出す。 「なんだかしんねえけどよ、李家の双子をニューイヤーパーティに招待したいってアメリカの富豪がいてな。今夜入港する豪華客船に呼ばれてんだよ」 ほんとは香港に立ち寄って双子を船に迎えるとか抜かしたんだが、冗談じゃないっつーて先に横浜に来た、と新一が面白くなさそうに答える。 「香港から横浜まで狭い船ん中でまとわりつかれるのはごめんだ」 豪華客船を狭いと言い切るところが工藤新一らしい。 まあ、確かに出港してしまえば、船の中は密室状態になるのだが。 『ああ、そりゃあ・・・って、ちょー待てえ!おまえ、帰国するなんてひとっ言も言わへんかったやんか!』 横浜やて? そない近くにおって、なんも知らせんなんてどういう了見や! だから今電話したろ、と新一はケロリと返す。 『・・・・・・・・・・』 ああ、こういう奴や・・・昔とぜんぜん変わっとらへん・・・・ 『双子に用っちゅ−ことは、黒羽もおんのやな。だったらそないなパーティなんぞスッポかして三人でカウントダウンパーティやろうや。会場はオレが用意すんで』 馴染みの店を丸ごと借り切ってもええし。 「オレもそっちの方がいいんだけどさ」 『なんや?もしかして李家絡みなんか?』 「いや。快斗の都合」 『・・・・・なるほど。李家の次期当主としては、いろいろ大変なんやな』 おまえ・・・と新一は眉をひそめる。 「わかったようなことを言うんだな」 『こっちにおってもな、いろいろ情報が入ってくんのや』 というより、二人の親友のために平次は常に情報を集めている。 『丁度ええわ、黒羽おるんやったら報告したいことがあるんや』 以前頼まれてたことがあってな、それと文句も言いたいと平次が言うと、新一はわかったと答えた。 「平ちゃん、久しぶり〜v」 すぐに快斗に代わったところをみると、電話していた新一の近くにいたらしい。 もしかしたら、ホテルの一室に一緒にいて、ソファに並んで座っていたのかもしれない。 なんかムカつく、と平次はむ〜と口を尖らせた。 『黒羽、おまえ・・・久しぶりやないわ!こっちに来るんやったら、前もって連絡ぐらいしろや!』 そうしたら、こっちもいろいろ予定もたてられたし準備も出来たのだ。 「ごめん。急な話だったんでさあ。ほんとは新一とシドニーで正月過ごす予定だったんだけどさ」 いきなり割り込まれた、と快斗はため息をつく。 つられたように平次もため息をついた。 (ホンマにオーストラリアに行くつもりやったんか) 『まあ、ええわ。パーティに出席してさっさと帰るなんて薄情なことは言わへんやろな?』 「そ・だね。正月三が日の一日でも三人で会いたいよね」 予定しとく。 『三が日は空けとくから、絶対連絡せえ』 「わかった」 『じゃ、本題や。確かな話とは言いがたいが、李小龍の命を狙とる奴がおる』 「ふ〜ん。そんなの今さらじゃん」 李家の次期当主ということで、李小龍を取り込もうとする者や、逆にこの世から消そうと考える者がそれこそ数え切れないくらいいるのだ。 『そりゃそうなんやけどな。とにかく気ぃつけや、黒羽』 「ねえ、それってさあ、前に平ちゃんの情報網に引っかかった奴?」 『そうや。だからといって、軽はずみなことはすんなや』 「わかってるって。そのくらいのことでオレは怒ったりしないよ?」 快斗の明るい口調に平次は眉間を寄せた。 確かに、単に命を狙われるくらいでこの男は怒ったりしないだろう。 怪盗キッドとして活動していた、あの十七歳の頃から、快斗は命を狙われることなど日常茶飯事だったのだ。 快斗が本気で怒るとしたら、それは・・・・・ 「あ、どこ行くの新一?」 ふいにソファから立ち上がった新一に快斗が顔を向ける。 「下でコーヒー飲んでくる」 「んなの、ルームサービス頼めばいいじゃん」 「三日前から一歩も部屋から出てないんだぞ」 いい加減、飽きた。 ついでに本屋に行って物色してくると言う新一に、快斗は諦めたように息を吐く。 「わかった。気をつけて。最近こっちもかなり物騒になってるって話だしさ」 ああ、と頷くと、新一は上着を掴んで部屋を出て行った。 『工藤、出て行ったんか?』 「まあ、昨日から退屈してたからしょーがないんだけど」 本を物色するなら、近くにわりと大きな書店があったし遠出はしないだろう。 『ところで、黒羽。おまえら、いったいいつ帰国したんや?』 「先週の土曜日」 今度こそ平次は頭から湯気を吹き上げた。
エレベーターで一階まで降りた新一は、先に本を物色しようとホテルの出口に向かった。 ホテルの向かい側に書店があるのは来た時にちゃんとチェックしている。 ずっと部屋にカンヅメだったが、今日は出たいと思ったのは、昔から好きだった左文字シリーズの新刊が四年ぶりに出たという広告を見たからだ。 今執筆しているのは、新一が最初にファンになった作家の娘だが、彼女は父親に勝るとも劣らない才能で多くのファンを魅了している。 新一もずっと新刊が出るたびに手に入れて読んでいたのだが、結婚して子供を二人生んで間もなく体調を崩し、療養ということで休筆していたのだ。 休んでいた間、ずっと暖めていたネタということで、かなりの大長編になっているらしい。 読み応えは勿論、きっと新一をワクワクさせてくれる内容になっているだろう。 しかも、一番気に入っていた事件が絡んでいる話となれば、すぐにも手に入れたいと思うのがファンだ。 新一が昨夜からいらいらしていたのを快斗は、ずっと部屋から出られなかったからだと思っているようだが、実は好きな推理小説が出たと知ったからであった。 まあ、その真相を知っても意外だとは快斗は思わないだろうが。 新刊さえ手に入れたら、二〜三日また部屋から出られなくても苦痛には思わない。 (ってーか、外出なんかしねえ。ニューイヤーパーティなんか、誰が行くかってーの) 招待を受けたのは李家の双子だ。 つまりは、また新一は麗花にならなければならない。 二人を招待した富豪が、実は麗花に執着していることは噂として新一の耳にも入っている。 冗談ではない。 だから、理由をつけて先に横浜に来た。 まあ、麗花は身体が弱いということになっているから、すっぽかしても問題はないはずだ。 だいたい、今回の帰国は快斗の都合であるのだから。
「マジ、目立つっすね、あの人」 只今熱烈デート中です、というように赤い髪の西洋人の美女に腕を絡められた黒髪の若い東洋人が、オープンカフェでコーヒーを飲んでいる男を眺めながらため息を漏らした。 とにかく、誰の目から見ても美しい男で、身につけているのはスーツから装飾品まで全て高級品。 だが、それが少しも嫌味に見えず、それが当然だと思える優雅さを身につけた紳士の肩口に流れるように落ちている髪は金色。 赤や茶の混ざらない純粋な金の髪は、それだけでも目立つのに、その顔はギリシャ彫刻のように整っている。 これで、目立たないはずはない。 彼がその場所に現われてから、とにかくこの金髪の男は注目を浴びまくりだった。 さすがに、日本人はあからさまに相手をジロジロ見ることはしないが、それでも若い女性は吸い寄せられるかのように、この美青年を見つめた。 まあ、それが幸いし、彼をずっと追っている二人の奇妙なカップルが男をチラチラ見ていても誰も変には思わなかった。 「ディー・オードマン伯爵。見てるだけなら目の保養で最高なんだけど、仕事で追うとなればやっかいな人物よねえ」 とにかく、神出鬼没で、数時間後には別の国に姿を見せるという真似を平気でやってのける。 伯爵という称号は紛れもなく本物で、女王とも面識があるという。 王位継承権まであるのではないかという噂まで飛び交うほどだ。 まあ、それは身元はハッキリしているとういうのに、何故か謎を感じさせる男であるからだが。 しかも、超美形で大金持ち。 「同じ男としてはやな男って感じなんだけど・・・あそこまで飛びぬけてちゃ嫉妬すら感じないよなあ」 「最初から比べる方がおかしいでしょ」 赤毛の美女に言われた男は、む〜んと渋い顔になる。 「そりゃ、オレは落ちこぼれで平凡な顔のただの大学生だよ」 それなのに、なんの因果で香港からわざわざ日本に・・・・ 「確かに、せっかくケンブリッジ大学に入ったのに問題起こして帰国するハメになったってのは落ち零れよねえ」 IQ200を越えてるんじゃないかと言われるくらい数字に強く、子供の頃から神童ともてはやされたのに、今じゃ香港の大学に通う”ただの人”だ。 「知ってる?この国には”どんな天才も20歳こえればただの人”って言葉があるのよ」 「ネーさん・・・・オレいじめて楽しい?」 ガックリと首を折る青年の肩を彼女はポンポンと叩いた。 「しっかりしなさいよ。なんのためにあんたを連れてきたと思うのよ」 「オレが李家の双子の顔を知ってるからだろ?」 「そうだけど、双子を知ってるのは何もあんただけってことはないんだから」 連れてきたのにはそれなりの理由がちゃんとあるのだが、彼女は落ち込んでる青年にそれをまだ言う気はない。 青年は顔を上げ、自分に寄り添っている赤毛の美女を見つめた。 彼女は昔、彼アンディ・ローが家族と一緒に住んでいたアパートのお隣さんだった。 アンディが6歳の時、叔父だという男に連れられてきた彼より四つ年上の少女で、年が近いこともあっていい遊び相手だった。 だが彼女トーリアはたった一年で引っ越していった。 それが、二年前、アンディが英国から香港に戻る飛行機の中で偶然再会した。 それ以後、ずっと彼女の仕事を手伝っている。 トーリアは、フリーの記者だと言っているが、結構危ない目にも合うのでどこまで信用できるか。 疑えば、あの時帰りの飛行機で再会したのも疑わしいかも。 「あのオードマン伯爵が、李家の姫に懸想してるって話、マジもんかなあ」 李家の姫の年齢は、実は公けにされていなくてわからないのだが、見た感じではまだ十六か十七。 対して、伯爵は二十八歳と聞いている。 「恋に年齢は関係ないでしょ」 「そりゃそうだけどさあ」 確かに李麗花ほどの美少女なら誰でも心を奪われるだろう。 実際、アンディも麗花を見た瞬間胸が高鳴った。 艶のある黒髪に、抜けるような白い肌。 真っ赤なチャイナドレスがよく似合って、本当に美しい少女だった。 光の加減でアメジストの色を浮かべる瞳も魅力的で。 ひと言だけ声をかけられたが、よく通る綺麗な声だった。 「ほら、伯爵が立ち上がったわ。行くわよ」 トーリアはアンディの肩を叩く。 伯爵はオープンカフェをゆっくり離れていった。 どこへ行くのかと、とにかく気づかれないように二人は後を追う。 大晦日のせいか、人の通りが多い。 ホテルの周りも、人の出入りが多かった。 伯爵がチェックインしたホテルではないが、外資系の高級ホテルで彼らには到底泊まれるようなホテルではない。 「でも、新婚旅行でくらい泊まってみたいわね、こういうホテル」 「ねえさんの新婚旅行先は日本が希望?」 「そうね。キョートとかいいかも」 「ああ、綺麗で愛らしい舞妓がいるとこでしょ!オレも行ってみたいよなあ」 伯爵はホテルの前を通り過ぎ、ある店の前で中を伺うかのように立ち止まった。 本屋? 「入るのかな?」 アンディが首を傾げると、伯爵は書店の中へ入っていった。 「どうする、ネーさん?」 アンディが隣にいるトーリアに訊く。 わりと大きな店だし、別に彼らが入っても違和感のない場所だが。 「ここにいましょ。一応中が見えるし、他に出口はなさそうだし」 「尾行に気づいたってことないかなあ」 「気づいてたとしても、余程邪魔だと思わない限り、彼はまいたりしないわ」 実際、二人の存在など伯爵にとって障害でもなんでもないだろう。 透明なガラスの向こうに伯爵の背中が見える。 彼は別に本を探す風でもなく、まっすぐレジの方へと向かっていた。 丁度レジには三人ほど客がいたが、伯爵はそのうちの一人、多分少年だろう客の肩に手を置いた。 驚いたように振りかえる少年の顔に、アンディも目を瞠った。 「李小龍!?」
なんで、こいつがここにいんだよ? 唐突に肩を叩かれ、振り向いた先には金の髪の整った顔立ちの男。 肩に手を置かれるまで気配を感じなかったのは迂闊だったが、相手が伯爵なら仕方ないと言うべきだろう。 快斗でさえ、たまに不意を突かれるくらいだ。 だからこそ、警戒し近づきたくはない相手だと新一は思っているのだが。 当の伯爵は”麗花”に執着している。 麗花が男だと知っても、伯爵の態度はまるで変わらない。 いったい、どんな思惑を抱いているのか新一にはいまだにわからなかった。 快斗はというと、どこかハデスに似たものを感じているらしく、今のところ伯爵が新一に危害を加えることはないだろうと性急に対策をとろうとはしていない。 つまり、放っている。 快斗にしてみれば、自分の敵は多いし、しかも新一を狙う敵には優先的に気を配らねばならないから、伯爵がとりあえあえず新一を守ってくれるならそれで良いというくらいに思っているのだろう。 ただし、完全には信用していないようだが。 そこが、ハデスに対するものとは違っている。 「どうしますか?予約でしたら受け付けできますが」 店員の言葉に、新一はハッとしたように前を向いた。 店員は男だったが、それでも突然現われた金髪の美男子に呆然としたが、さすがプロですぐさま店員の顔に戻った。 「あ、いいです。予約しても取りにはこられないので」 新一は店員に向けて軽く手を振ると、くるりと向きを変えて出口に向かって歩き出した。 目的の本は売り切れてなかったが、こんな目立つ男をそばに置いて店の中を歩き回る気は当然ない。 どんなに無視したって、一端自分を見つけたこの男が離れていくことなどないとわかっている。 「欲しい本がなかったのか?」 「どうでもいいだろう、そんなこと。それよりなんで、あんたがここ(横浜)にいるんだ?」 快斗が調べたところによれば、伯爵はスペインで新年を迎えることになっていた筈だ。 彼にとっては、十分役に立つ富豪の未亡人との逢瀬とかいう話だったが。 「決まってるいるだろう。君と一緒に新年を迎えるためだよ」 そう言って恭しく新一の右手を取る伯爵に、新一はすぐさま顔をしかめた。 「こんなとこでキスなんぞしたら、マジで蹴るぞ」 「冷たいな」 伯爵は苦笑を浮かべるが、全く気にしてないのは明白だった。 いまだに新一と快斗は、余程親しい間柄でなければ瓜二つに見えて間違われることも多いのだが、伯爵は初めて出会ったときから二人を見間違えたことは一度もなかった。 たまに、快斗が麗花となって人の前に出ることがあるが、気づかれたことはない。 勿論、新一も小龍として動いたことは何度もある。 伯爵に言わせれば、自分が恋したのは蒼い瞳をした麗花であり、たとえ顔が似ていようと、変装の名人が化けていようと見間違えることはないという。 新一にしてみれば、勝手に抜かしやがれ、の心境だ。 「ホテルに戻るのか」 「いや。本屋はここだけじゃない。別んとこで探す」 たいした本でなくても、なければぜがひでも欲しくなるのが本好きのサガ。 ましてや、ずっと楽しみにしていた本が出たと知ったからには、手に入れるまでは何十件だろうと本屋を回るつもりでいる。 「そうか。ではお供しよう」 「いらねえ!ついてくんな!」 「そういうわけにはいかないだろう。見た所、君のガーディアンは一人もついていないようだし」 あの、常にそばにいる白のナイトが新一を一人で外に出したのは、書店がホテルの近くであったためだろう。 日本も最近は犯罪が多くなっているとはいっても、まだまだ欧州に比べれば平和だ。 それに、もともと日本で育った彼であるから、危険は少ないという判断もあったか。 「オレをみくびんなよ、伯爵」 だいたい、いつもガーディアンが自分についているわけではない。 ガーディアンが新一のために動くのは、今では快斗がそう判断した時に限っている。 そして今、日本にいるガーディアンは快斗だけだ。 「目立つあんたがついてる方が、トラブルに巻き込まれる確率が高いと思うぜ?」 そうかな、と伯爵は薄く笑う。 「どちらかというと、トラブルは君が呼び込むのではないか?」 新一はムッとなって伯爵を睨んだ。
「なんか、凄く険悪なムードだなあ」 書店から出てきた二人をずっと眺めていたアンディが目をパチクリさせる。 「そりゃそうでしょ。伯爵は大切な片割れの姫にまとわりついてる虫なんだから」 「虫って、ネーさん・・・」 アンディは苦笑いする。 まあ、確かにそうなのだろうが。 そういえば、李家の双子はいったいどっちが上なのだろう? 双子なのだから、上も下もこだわるほどのものではないのだろうが。 その辺りのことも、本当に謎の多い双子かもしれない。
ふいに伯爵が見上げた先に、街灯に止まる白い鳩がいた。 つられて見た新一が瞳を瞬かせ、そして眉間を寄せる。 伯爵がすっと優雅な仕草で右手を上げると、白い鳩は羽根を広げまっすぐに降りてきて、伸ばされた彼の手に止まった。 白い鳩の首には、目立たないよう白い細い輪がはめられていた。 輪には、銀色の金属板がついていて、伯爵はそこに向かって話しかけた。 「聞いていたろう?そういうことだから、姫のことは私にまかせたまえ」 月下の奇術師殿、と伯爵は言うと白い鳩を空に放った。
「・・・・・・・・・・」 ホテルの部屋で一人椅子に座っていた快斗は、むっつりした渋い顔になっていた。
書店を出て歩き出した二人の後を、若いカップルが追う。 「アンディ。あの子、本当に李小龍なの?」 「え?間違いないと思うけど・・・李家の若君には会ったことないけど、姫にそっくりだし」 男女の違いは無論あるし、化粧もしていないから雰囲気は異なるが、顔は瓜二つといっていい。 人違いということはないだろう。 「それに、伯爵と顔見知りのようだから李小龍に違いないって思うけど」 そうね、とトーリアは呟く。 「・・?」 アンディは考え込むような顔のトーリアに首を傾げた。 「なんか気になることでも?」 「別にそうじゃないけど」 「でもまあ、横浜に李小龍がいるなんて思わなかったからビックリだけどさ」 「彼らがいても不思議じゃないのよ。ラーディス氏が今夜、この横浜でニューイヤーパーティを開くことになってるから」 そのパーティに李家の双子も招待されているという情報は彼女の耳にも入っていた。 二人がパーティに参加するため、わざわざ日本に来るかどうかは疑問だったが。 どうやら、双子は参加するらしい。 「ラーディスって、あのアメリカの大富豪の?」 「李家の姫にぞっこんって噂よ」 うげげ〜〜とアンディは嫌そうな顔で呻く。 「そいつ、たしか五十超えてんじゃなかった?」 以前タイム誌に載ってたラーデスの写真を見たことがあるが、まあまあの美男子で実年齢よりはかなり若く見えた。 それでもやっぱり五十過ぎの男だ。 アンディにはロリコンのエロジジイとしか思えない。 伯爵の方がずっとマシ!とアンディが憤慨して言うと、トーリアはクスッと笑った。 香港では李家の双子のことは、一般庶民でもよく知られており愛されている。 彼らに対し下手なことをすれば、いっぺんに人望を失い怒りを買うことになるだろう。 美貌と教養と金を持ち、女には不自由しない伯爵が、李家の姫に夢中になっているという噂を聞いた時、トーリアは、まさかと思った。 あの伯爵が本気になるなど、到底考えられなかったからだ。
くそっ!と快斗は悔しげに顔を歪め、舌打ちした。 すぐさま快斗は、自分の携帯をとり平次の携帯にかけた。 平次はすぐに出た。 『なんや、黒羽?なんかあったか?』 ちょっとね、と快斗は不機嫌そうな声で答える。 「服部、今どこ?」 『タクシーで横浜に移動中や。なんもないと思うけど、なんや気になってな』 「平ちゃんの勘って、わりと当たるもんな」 『やっぱ、なんかあったんか?工藤は?』 「出かけた」 『なんやて?一人でか?』 「欲しい本があったみたいでさ。本屋が近くにあったから、まあいいかって出したけど、どうもなかったみたいで、本屋巡りに突入した」 平次はすぐにわかったらしく、あ〜あ〜と声を出した。 『それってきっとアレやで。新名香保里の探偵左文字の新刊』 「昔テレビでやってた?」 母親がそのドラマが好きでよく見ていたので快斗も知っている。 『その原作本や。最初は彼女の父親が書いてたシリーズなんやけど、病気で亡くなったんで娘の香保里が後を引き継いで書き始めたんや』 工藤もそのシリーズ、えらい気に入ってたからな。 「へー、そうなんだ」 『だったら工藤の奴、骨折り損のくたびれもうけになんで』 「なんで?」 『彼女、しばらく休筆してたんやけど、今月初め、三年ぶりに新刊を出したんや。けど、なんや出版社の都合で初版本の部数がえろう少なくてな。あっちゅーまになくなってしもたんや』 で、今は重版待ち。 書店に並ぶのは来月中旬って話やと平次は言った。 「じゃあ、新一がどんなに本屋を回っても今は手に入れられないってことか」 そりゃ、本当に骨折り損だ。 新一、がっくりくるなあ。 『だったら、持ってこよか。初版本、オレ買っとんねん』 「えっ、ホントか」 『本は家にあるから、一端戻るわ』 「頼む。新年祝いやるとこ、オレが用意するから」 『オッケオッケーvほな、とっておきの酒も持ってくわ。久しぶり三人で飲み会やろーで』 ああ、と快斗は答えて通話を切った。 さて、と快斗は椅子から立ち上がる。 新一は本が見つかるまで横浜中、いや下手すると東京まで出て行くかもしれないから、その前に捕まえないと。 「あ〜あ、新一の本好きには振り回されるよなあ」 快斗はため息をつく。
その頃、新一は五件目の本屋に入っていた。 初版本の部数が少なくて、既にどこの書店にも置いていないことはわかっていたが、それでもどこかに一冊くらい残っていないかと新一は諦めきれなかった。 そして、やっぱりなくて新一はガッカリして本屋を出た。 「デカイ本屋より、小さいとこの方が残ってる確率が高いかも」 「まだ探すのか?」 「手に入れるまでは探すさ。呆れたんなら、帰っていいぜ」 新一はさっさと次の本屋に向かって歩き出す。 伯爵はそんな新一に、フッと笑むと後をついていった。
「いったい何件本屋を回るつもりなんだよ〜〜」 もう疲れた、とアンディはガクリと肩を落とした。 この調子では横浜にある本屋という本屋を回るのではないかと思えるくらいだ。 「何を探してるのかしらね」 「なんだっていいよ。いい加減、諦めてくんないかなあ」 伯爵もよくつきあってるよ、とアンディは感心したように言う。 「そうね・・・・何か思惑があるのかしら」 あの伯爵があそこまで他人につきあうのはそれしか考えられない。 無償で何かする人間ではないとトーリアは思っている。 伯爵を追うようになってからそれがよくわかった。 初めて伯爵と接触したのは、五年前。 当時トーリアは仕事を始めたばかりで若く、到底彼に太刀打ちなどできなかった。 伯爵の女性の好みは、あくまで高級な美女だった。 見るたびに、ゴージャスな美女が彼に寄り添っている。 なのに、突然伯爵が李家の姫に求愛しているという噂が流れ、トーリアは驚いた。 姫はまだ十代の少女だと聞くし、確かに美少女だという噂だが、それにしてもこれまでとは一転したタイプである。 「本当に、何考えてんのかしら」 ネーさん、とアンディが小首を傾げながらトーリアを見つめた。 「もしかして、ネーさんも伯爵に惹かれてる?」 バカ言わないの、とアンディはコツンとトーリアに頭を叩かれた。 「仕事ならまだしも、あんなのに惹かれたら人生棒に振っちゃうわよ」 う〜む、確かにとアンディは納得するように頷いた。
「なんか、ずっとついて来てる二人がいるよな」 新一がひとり言のように呟くと、伯爵は気にするなと返した。 「アレは害はない」 なんだ、そっちの知り合いかよと新一は肩をすくめ、あっさり関心をなくした。 最初の書店を出た頃から気がついていた。 ずっとこちらを伺うようにして、新一たちが歩き出すと僅かに距離をあけながらついてきた。 気づかれないように確認すると、若い赤毛の白人の女と、一見大学生のような青年の二人連れだった。 女の方はわりと尾行に慣れてるのか、あまり気配を感じさせず動いているが、一緒にいる男の方がまるっきりの素人だから子供でも気づいたろう。 女の方が一応プロだとすれば、あんなど素人を相棒にしている段階で気づかれてもいいと思っているのか。 目的はなんなのかわからないが、伯爵の言葉で、少なくとも新一が目当てではないことはわかった。 まあ、香港ならともかく、この日本では歩いていて李家の双子の片割れだと気づかれることはないかも。 李家のことさえ知らないのが殆どだろう。 かつて日本警察の救世主と言われた工藤新一のことも、もはや覚えている人間は少ないかもしれない。 日本人はわりと作られたブームでも面白ければ乗るが、忘れるのも早いときている。 たとえ、マスコミ界ではまだ話題になっていても、興味のなくなったものにいつまでもしがみついていたりしないのが日本人だ。 新しいもの好きというか、その辺はシビアなのかもしれない。 「そろそろ休憩しないか。食事もとらなければ倒れるぞ」 伯爵にそう言われ、新一はようやく時間を確かめた。 「もうこんな時間かよ・・・・」 横浜港に停泊している客船で行なわれるニューイヤーパーティには、遅くとも午後八時には行ってなければならない。気乗りはしないが、参加すると答えたからには、行かなくてはならないだろう。 快斗も、本来の目的であるパーティの招待客の一人と接触する都合もある。 横浜中の本屋を回るのは無理だとはわかっていたが、それでも新一は諦めきれない。 (だって、気になってた事件の真相に繋がってる話だぞお〜〜諦めらんねえ!) 新名香保里が書く話は、どれもが新一の予想とは違う展開になるのだ。 意表をつく真相と意外なトリックは、彼女が父親以上の才能を持っているという証でもある。 「しょーがねえ」 ブツブツ言っていた新一は最後にそう呟くと、向きをかえて元来た道を戻り始めた。 尾行していた相手が、突然ヅカヅカと自分たちの方へと歩いてきたので、二人はギョッとなった。 「あんた達さあ、暇?」 は?と二人は、まっすぐに自分たちを見つめる少年に目を瞬かせる。 「あいつを追ってるんだったら、オレがちゃんと捕まえておくから頼まれてくれないかなあ」 「な・・・なにをですか?」 半分パニックに陥っているアンディが震える声で問うと、新一はあれ?という顔になった。 「君・・・もしかして香港から?」 「は・・はい」 アンディは壊れた人形のようにコクコクと頷いた。 「香港の大学に通っています」 その返答に新一は眉をひそめた。 「オレのこと、知ってる?」 「はい、小龍さま。あなたにお会いするのは初めてですけど、麗花さまには一度お会いしたことが」 「・・・・・」 覚えがねえ・・・オレじゃなく快斗の方に会ってんのかな。 「もしかして、あいつじゃなくオレをつけてたのか?」 とんでもない!とアンディは大慌てで手を振って否定した。 「な、なあネーさん!」 「ええ。わたしたちが追っていたのは、伯爵の方です」 トーリアは身元を証明するカードを新一に見せた。 「ふーん、雑誌記者か」 なるほどね、と新一はついさっきまで新一がいた場所でじっと立っている金髪の男に目をやった。 「てっきり探偵かどっかの諜報員かと思ったぜ」 そんなだいそれたもんじゃ、とアンディは首をすくめたが、新一の視線は赤い髪のトーリアに向けられていた。 (さすが、李家の次期後継者。油断できないわね) トーリアは新一から自分のカードを受け取った。 「それで、頼み事というのは?あなたが朝からずっと探しているもののことですか?」 トーリアが訊くと新一は、ああそうだと頷く。 「もう探してる時間がなくってさ。できれば、あんたたちに探してもらえないかと・・・」 言いかけた新一を遮るように、上着のポケットの中の携帯が着信を知らせるように振動した。 ずっと電源を切っていたのだが、さっき時間を見るためオンにしたんでかかったらしい。 快斗か・・・まあ、こんな時間だもんな。 新一は携帯を手に取った。 「ああ、オレ。わかってる、ちゃんと帰るからもうちょっと待ってくれよ・・・・え?服部が?マジで!?・・・ああ、それそれ!間違いねえよ!そうかあ、あいつが持ってたんだ。そういや、あいつの母親がファンだって言ってたっけ」 パァァと嬉しそうな笑顔を浮かべた新一に、目の前の二人は呆気にとられた。 事情がまるでわからないから当然なのだが。 「わかった。すぐにホテルに戻る」 快斗のホッとした声を聞いてから新一は通話を切った。 「帰るなら送っていこう」 「いらねえよ。そこらでタクシー拾って帰る」 素っ気ない口調ではねつけられても、伯爵は怒らなかった。 それどころか、口元には楽しげな笑みを浮かべている。 「では、今夜、会場でまた会おう」 伯爵から離れかけた新一は足を止め、え?というように振り返った。 「会場って・・・あんたもパーティに出るのかよ?」 当然だ、と伯爵は微笑んだ。 そういう約束であったろう?と言われた新一は思いだす。 そういや、そんな条件を前に出されたような・・・ あれから何も言ってこなかったから、すっかり忘れていたが。 「・・・・・・・」 思い出した新一はむっつりとした顔になったが、何も言い返さないでそのまま歩き出す。 ホテルに戻るなら反対側の道でタクシーを止めなければならないので、新一は横断歩道を渡った。 三分の一ほど渡ったその時だった。 新一の後から横断歩道を渡っていた十才くらいの男の子が、友達とふざけながら走ってきて背後から新一にぶつかった。 とっさに新一は、転びかけた子供を支えようと手を出したその瞬間、右頬にまるで焼けた火箸を押し付けられたような痛みを感じた。 「・・・・・・・!」 狙撃か!? すぐに、自分の身に起こったことを悟った新一は、子供を離すと走れ!と叫び、自分はもとの歩道に戻り建物の陰に飛び込んだ。 狙撃は無差別なものではなく、明らかに自分を狙ったものだ。 目標が見えなくなれば、もう撃ってはこないだろう。 (くそ〜〜どこのどいつだ!こんな人混みの中で狙いやがって!) 「どうした?」 横断歩道を渡っていて、ふいに駆け戻った新一に伯爵が声をかける。 銃声がしなかったので、さすがに伯爵も狙撃には気づかなかったようだ。 伯爵は顔を上げた新一の顔の傷に気づき、眉間を寄せた。 素人ではない伯爵なら、その傷が銃によるものだとわかったろう。 「血が・・・!」 驚いたトーリアが、急いでハンカチを出し傷口を押さえた。 アンディは状況が飲み込めてないのか、目を瞬かせて突っ立っている。 「やっぱり、彼が李家の次期後継者の命を狙っているという噂は本当だったみたいね」 子供がぶつかっていなければ、銃弾は確実に新一の頭に当たっていたはずだ。 つまり、彼を殺すつもりで撃ったのだ。 どういうことだ?と新一はトーリアの言葉を聞きとがめた。 命を狙われることなど、新一や快斗には今さら珍しいことではない。 だが、トーリアの言い方では、誰が暗殺を計画したか知っている口ぶりだった。 「君が気にするような相手ではない」 ただの雑魚だ、と伯爵は低い声で言った。 間近で伯爵の声を聞いたアンディは、何故かぞっとした。 殺気と言っていいような気配だ。 「・・・・・あんたも知ってんのか」 新一が眉をひそめると、君の片割れもなと伯爵は言って新一の顔をさらにしかめさせた。 「彼をホテルまで送り届けてくれ」 伯爵は二人にそう頼むと、人ごみの中へとその姿を消した。 「大丈夫?」 傷口をハンカチで押さえているトーリアが、心配そうに少年の顔を覗き込んだ。 まだ出血は止まっていない。 かすったとはいえ、銃弾による傷だ。 病院に行った方がいいんじゃ、とアンディも心配そうに言うが、新一はいや、と首を振った。 「銃弾による怪我は警察沙汰になって面倒だから病院にはいかない」 「そうね。日本は銃社会じゃないから、かなり面倒なことになるわ」 「でもねーさん!」 こっちは被害者なのに、とアンディには納得がいかない。 「そんなことより、タクシーを拾ってきて」 あの伯爵に彼をまかされたというのに、ここでグズグズしてるわけにはいかない。 わかった、とそれにはアンディも頷き、すぐにタクシーを拾いに走っていった。 傷口を押さえたハンカチは血で赤く染まっている。 痛そうにはしていないが、顔色が悪い。 ああ、悔しい、とトーリアは少年の顔を見つめながら唇を噛んだ。 間近で見てさらにわかる綺麗な顔立ち。 女のような美貌とか、目が醒めるような美少年とか、そういうものではないが、色の白い肌は滑らかで実際指で触れても小さな子供の肌のように柔らかい。 そんな肌に傷をつけられたことが悔しくてたまらない。 多分、薄くはなったとしても傷跡は残るだろう。 目鼻立ちは、やや冷たい印象はあるものの好ましく整っていて、特に瞳の色には驚かされた。 一見すると黒かと思えるのが、近くで見ると蒼いのだ。 東洋人に蒼い瞳はないから、蒼い瞳の西洋人の血が混じってるのだろう。 それにしても、なんて綺麗な・・・・ 引き込まれてしまいそうな色だ。
アンディが捕まえたタクシーに乗り、彼らは李家の双子が滞在しているというホテルに向かった。 そのホテルは、最初に彼を見つけた書店のすぐ近くに建つ、あの高級ホテルだった。 確かに、双子の片割れがボディガード一人つけないで外にいるというのは考え難い。 たとえ、日本人が李家の双子についての知識が殆どなかったとしても、この地に彼らに対して悪意を持つ者が全くいないとは限らないのだ。 だから、アンディが書店にいた彼を李小龍だと言った時は、にわかに信じられなかったのだが。 あの伯爵が接触しなければ、多分今もトーリアは半信半疑だった。 多分、その書店が滞在しているホテルのすぐ前だったから彼を出したのだろう。 まさか、その後書店巡りを始めるとは思っていなかったに違いない。 その証拠に、タクシーの中で彼が携帯で連絡した相手は、かなり驚いていたようだった。 タクシーを降りると、トーリアとアンディは怪我をしている少年を守るように両端についた。 また何かあれば、まかされた彼らが責任を問われることになる。 いくらなんでも伯爵だけでなく、李家まで敵に回す覚悟はない。 伯爵を追っていただけなのに、まさかこんな形で李家の双子にかかわるとは。 ロビーに入れば、少年の迎えが待っているだろうとトーリアはあたりを見回した。 と、彼女はゆっくりと近づいてくる少年に目を止めた。 彼らの前に立った少年は、白いシャツに黒っぽいボトムス、皮靴というごく普通の格好をしていたが、その顔を見た途端トーリアとアンディの二人は仰天した。 それも当然。彼はどう見ても二人が送ってきた少年に瓜二つだったのだ。 「送ってきてくれてありがとう」 その少年は綺麗な笑みを浮かべて彼らに礼を告げると、怪我をしている新一の肩を抱き寄せた。 そして、傷口を押さえているハンカチに手をのばすと、傷の状態を確かめるように覗き込んだ。 「ああ、たいしたことないな。これくらいなら、すぐに治る」 けど、おまえの顔に傷をつけるってのは許せないよなあ。 そう呟いた少年の顔は、笑顔でありながらさっき別れる前の伯爵と重なり、アンディはゾッとなって固まった。 見かけは自分より年下なのに、どこかずっと年上で危険な香りすら感じた。 「伯爵、怒ってたろ?」 ええ、相当にとトーリアが答えると、目の前に立つ少年はクスッと笑った。 トーリアは、怪我をした少年を大事そうに腕に抱いている、彼と瓜二つの少年を見つめた。 まさか・・・・ 「あなたが・・・李小龍?」 ええっ!とアンディが目を瞬かせると、少年はフッと口端を持ち上げ、名刺ある?と彼女に尋ねた。 トーリアが名刺を差し出すと少年は、後ほど礼をするよと言って二人に背を向けた。 二人は声もなく、エレベーターへと向かう少年たちを見送った。 よく見ると、髪形が違っている。 怪我をした少年は、艶のあるまっすぐな髪だが、もう一人の少年は少し癖毛だ。 「ちょっと、ねーさん!さっきの、なんだよ?」 「何って、聞いた通りよ。ここにいたのが、本物の李小龍だったってこと」 肯定はしなかったけど、まず間違いはない。 「え?じゃ、オレとねーさんが会ったのは影武者ってこと?」 さすがに双子の片割れだとは思いつかない。 なにしろ、小龍の片割れは麗花という少女なのだから。 「そうかあ、影武者か。そうだよなあ、いくらなんでも、李家の後継者を一人で外出させたりしないよな」 「・・・・・・」 確かに影武者だと考えられないことはない。 アンディが言うように、李小龍は、あの李家の後継者なのだから。 一人で外出となれば、ボディガードの一人や二人、ついていなくてはおかしい。 だが・・・・・ (じゃあ、伯爵のあの殺気のような怒りは何?) 彼を見つけた時の、あの優しい眼差しは?
部屋に戻ると快斗はそのまま新一を寝室へと促した。 ベッドに腰を下ろさせて、まずは傷の手当てをする。 「痛むか?」 「いや・・・じくじくするくらいで、たいしたことない」 ふ〜んと快斗は小さく鼻を鳴らすと手早く手当てをすませていく。 「まあ、かすっただけのようだから心配いらないだろうけど、発熱はするぜ?」 だから、おとなしく寝てろよと快斗は言って新一の肩を押す。 「大丈夫だって」 強引にベッドに押し込もうとする快斗に新一は文句を言うが、快斗に聞く耳はない。 が、怪我して帰ってきたんだから、新一には文句を言う資格はないと言われては、新一も口を閉じるしかなかった。 欲しい本を見つけるために、快斗の了解もとらずにうろうろしていたのは事実。 すぐに諦めてホテルに戻っていれば、こんな怪我をすることもなかった。 いや、かすり傷だけですんだのは実際運が良かったといえる。 飛んできた弾の角度から、頭を貫通するまでにはいかなかっただろうが、大怪我は免れなかった。 殺すつもりで撃ったのなら、失敗だったろう。 結果は顔にかすり傷を負っただけであったが。 快斗は新一が欲しい本を手に入れるために本屋を回ることを良しとはしなかったろうが、それでも引き止めなかったのは伯爵がそばにいたからだ。 快斗は伯爵を信用してはいないが、新一に関してだけはとりあえず信用している。 伯爵が李家の姫に懸想してることは既に有名な話となっているが、その姫が男であることを知っていながら伯爵が執着してることまでは知られていない。 だからこそ、快斗は伯爵が本気なのだと考えているのだが、しかし・・・・ (あの男は危険だ・・・) 「・・・快斗?」 黙り込んだ快斗を見て寄せられた眉間ごと、快斗の手のひらが新一の蒼い瞳を塞ぐ。 「寝ろ、新一・・・・あんまり熱が上がるようだったら哀ちゃんに連絡するからね」 新一は嫌そうに口を尖らせたが、反論はしなかった。 さすがに墓穴を掘るということは毎度のことなんで学習している。 母親と灰原哀にはどうしたって敵わない。新一にとっては天敵(?)なのだ。 新一が眠ったのを確認してから、快斗は一つだけ怪我をしていない頬にキスを落としてから静かに寝室を出た。 ゆっくりと、考え込むように暗くなった窓の外に目を向ける。 (おのれ・・・・どうしてくれようか) 運良く怪我だけですんだとはいえ、狙ったのは事実。 それも、自分と間違えられてだ。許せるものではない。 腹の中は煮えくり返り、頭の中は報復に燃えている。 雑魚だからと放っておいたのが間違いだったのだ。 「まあ、新一を見て麗花だと思うヤツはいないよな」 間違えたとはいえ、ヤツは新一を狙撃した。死ぬまではいかなくても、大怪我をしていた可能性はある。 現当主と濃い血のつながりがある家の人間だから、そう簡単には手を出さないと思ってたら大間違いだ。 先に手を出してきたのは向こうなのだから。 相応の報いは受けてもらわないと。 相手は、オレが気づいてるわけないと高をくくってるようだがな。 たとえ雑魚といえど、後の禍根はやっぱり早々に絶っといた方がいいなと呟いた時、マナーモードにしていた携帯が着信を知らせた。 快斗は、送信者が誰かも確かめずに出る。 確認しなくても、かけてくる相手が誰かは予想できた。 快斗の口元が笑みに引きあがる。 「ああ、ちゃんと帰ってきた。手当てすませて今は寝てる・・・残る傷じゃないけど、今夜のパーティは諦めてよね。あ〜オレは出るけど。目的は李小龍でなくてもできるしさ」 もちろん・・・と快斗は携帯を持ったまま頷く。 「怒ってるよ。あいつを撃ったんだ。許せるわけねえもんな。相応の報復は・・・・え?それって抜け駆けって言わねえ?そっちも許せねえって」 むっとしたように快斗は口を尖らせるが、相手の話を聞くと反論を飲み込んだ。 「・・・・・・・わかった。できるさ。騙すのはお手のモンだからな。貸しでいいのか?」 了解、と通話を終えた快斗は携帯をソファの上にポイと放り投げると、着ているシャツを脱ぎ、出かける準備のために新一が眠っている寝室に戻っていった。
目を開けると、気づかうように覗き込む自分と似た顔があった。 「・・・・なんだ、まだいたのかよ?」 新一が言うと、快斗はクスッと笑って彼の眉と眉の間に軽く唇を押し当てた。 「パーティにはちゃんと行ってきたよ。麗花としてね」 用事もすませた。 新一は驚いたように瞳を瞬かせる。 「オレ、そんなに眠ってたか?」 十時間ほどね。 実は、ついさっき戻ってきたとこ、と快斗は言ってベッドの中の新一から離れた。 「李小龍は体調が悪くなったので欠席すると言ったら、ほくそ笑んでた奴もいたけどな」 「誰だ、そいつ?」 新一はゆっくりと身体を起こす。 「ただの雑魚。怪我させられて頭にきてるだろうけど、まあそいつのことはまかせといて」 「狙われてんのは小龍だろう」 「うんそう。まさか新一が間違えられて撃たれちゃうとは思わなくってさ」 雑魚のくせに、と快斗は吐き捨てるように呟く。 新一が撃たれたと知った時、放っておいたことを悔いたのだが、目の前で新一を傷つけられた伯爵の怒りの方が凄まじく快斗に手を出させなかった。 暗殺されかけたこともだが、新一の顔に傷をつけたことも伯爵の逆鱗に触れたようだ。 近いうちに、身の程知らずなそいつはこの世から消えることになるだろう。 「平ちゃん来てるけど、どうする?この部屋で新年会しようか?」 本当は別の会場を用意するつもりだったが、新一が怪我をしたので平次をこのホテルに呼んだのだ。 まあ、三人でやる新年会だから、別にどこでやろうと構わない。 「平気だ」 新一は言ってベッドから離れる。 寝室を出ると、リビングになっている部屋のソファに平次が座っていた。 「おう、工藤!もう起きて大丈夫なんか」 「よお、服部。心配ねえよ。たいした怪我じゃねえし。なんか薬で爆睡しちまったみてえだけど」 「相変わらず睡眠が足りてなかったんやないんか」 まあ、そんだけ寝てたらこれ渡しても大丈夫か、と平次は笑って新一に本を渡した。 「おっvサンキュー、服部!」 新一は嬉しそうに、欲しかった探偵左文字の新刊を受け取った。 「新一。読むのは新年会終ってからだよ」 「わかってるよ」 新一は頷いたが、本を離さないところが新一らしい。 テーブルの上には平次が持ってきた日本酒と、何故か風呂敷に包まれた重箱があった。 「それなあ、本を取りに戻る途中、携帯に電話あってもらってきたもんなんや」 誰からやと思う?と平次が聞いてきて、新一はまさかと包みを解いた。 黒塗りで松竹梅の絵が入った三段重ねの重箱を開けると、そこには見覚えのあるお節がぎっしりと詰まっていた。 「お〜、すげえvうまそうじゃん!」 「蘭・・・か?」 「ああ、そうや。オレが実家に帰らず一人で正月送るってチラッと漏らしたら、お節を用意してくれたんや」 んで、どうせならおまえらと一緒に食おうと思ってな、手をつけずに持ってきた。 「・・・・・・」 「丁度良かったじゃん、新一。蘭ちゃんの手料理、食べたいって思ってたたんだろ」 「なんで知ってんだよ?」 新一は快斗を胡散臭げに睨む。 千里眼か、おまえは? 「新一のことはなんだってお見通しだよ。じゃ、始めようか。日本酒、お燗にしようか」 「ああ、この酒は冷やでやんのが一番うまいんや。グラスと割り箸、取り皿もちゃんとあんでーv」 平次は脇に置いてあった紙袋から取り出してテーブルに置いた。 「さすが、用意万端だね、平ちゃんv」 当然や、と平次はニマッと笑う。 「おまえらとまた飲むの、ホンマに楽しみにしとったんや」 平次は持ってきた日本酒をグラスに注ぎ二人の手に渡す。 じゃあ、と三人はグラスを前に差し出した。 「新年明けましておめでとうさん!今年もよろしゅうな!」 おめでとう、と彼らは互いのグラスをカチンと合わせた。 また新しい年が始まった。 |