「あん?パーティーだあ?なあんで俺がんなのに出なきゃなんねえんだよ」

 受話器を握っていた新一は思いっきり顔をしかめた。

 電話の相手には勿論見える筈もないが、不機嫌なことは伝わった筈だ。

 だが、相手の口調は全く変わることなく話は続く。

『ええやんか。それともなんや抜けられん用事でもあんのか?』

「今はねえけど、先のことはわかんねえからな。だいたいオレはパーティーってやつは苦手なんだよ」

『アレ、そうなんか?結構好きやと思うてたけどな。まあそんな堅苦しいもんやないから、来いや工藤』

「・・・大阪までかよ?』

『ちゃう、ちゃう。会場は東京や。ほら、今度米花町の隣町やったかオープンするホテルがあったやろ』

 ああ、と新一は思い出した。

 確か、京都の有名な料亭の主人が、やはりアメリカで手広くレストランを経営している資産家と共同で建てたホテルだということで話題になっている。

 TVでも何度か紹介されていたんで新一も知っていたが。

「なんだ、そこでやんのかよ?」

『そうなんや。オレの中学ん時の友達がその共同経営者の次男やねん。で、明日オープン前に関係者を呼んでパーティーやるってんで招待されたんや。ホンマは和葉を連れてく筈やったんやけど、あいつ風邪ひいて熱出しよって行かれんようになってもうて。ほんで場所がそっちやし、おまえ誘たろ思て』

 その方が都合もええし・・と言う服部平次の呟きが耳に入り、新一はピクリと眉を動かした。

「なんの都合だ?」

『あ、聞こえてもうたか』

 ヘラヘラ笑う平次に、新一はとぼけやがってと小さく舌打ちする。

 つきあう義理もないし切っちまうかと新一が本気で思い始めた時、それを敏感に悟ったように平次がようやく本題を切り出してきた。

『実はな、そのパーティーでそいつん家の秘蔵品が公開されることになってんのや。まあ殆どが骨董品なんやろうけど・・・で、そん中に“蒼の龍玉”って宝石があってな。ご先祖様が中国に渡った時にある貴人から貰い受けたそうなんやけど、そいつを狙ってる奴がおるんや』

 ふうん、と新一は鼻を鳴らした。

「まさか、キッドだとか言うんじゃねえだろうな」

『そのまさかやvただし、キッドはキッドでも“レプリカ・キッド”なんやけどな』

「レプリカ?キッドの偽物か」

『そうなるんかな?どういうつもりなんかわからへんけど、そいつはそう名乗っとる。怪盗キッドの模倣犯をきどっとんのか・・・予告状まで送ってきよったみたいやし。けど、本物のキッドのようにキザなセリフを混ぜた暗号文やなかったけどな。用件のみが書かれた、いたってシンプルな予告状やったわ』

「見たのか?」

『ああ。その友達がコピーしたのをFAXで送ってくれよってん。なんと、英語で書かれた予告状や。ホンマに短文やったからすぐに読めたけどな』

 どうや?と平次が聞いてくる。

『ちっとは興味をそそられたか?工藤』

 あんなあ、と新一は溜息を漏らす。

「泥棒は管轄外だ。第一、こっちでやるなら茶木警視や中森警部が出張るんじゃねえか?邪魔はしたくねえよ」

 どうも新一は彼等には部外者と思われているようで(実際そうなのだが)あんまりいい顔をされないのだ。

『招待客として行くんやから別にかまへんやんか。それに、もしかしたら本物のキッドも出てくるかもしれへんで。なにしろ、蒼の龍玉は奴が狙いそうなビッグジュエルって話やからなv』

「・・・・・・」

 その可能性はないこともない。

 どうどうと自分のレプリカを名乗る泥棒にあのキッドが興味を引かれないわけはなかった。

 で?と新一は再び電話の相手に問う。

「なんでオレが行くんだ?」

『〜くどう〜〜〜』

 堂々巡りだ。

 


おう〜、服部!久しぶりやなあ!元気やったか?

 パーティ会場の受付けで名前を書いた平次と新一が、案内された部屋のドアを開けると威勢のいい大阪弁で歓迎された。

「おう!純平!ホンマ久しぶりやんvおまえが転校してってからやから3年振りかあ」

「あ、そうなんのかな。早いもんやで。お互い年くっちまったよなあ」

「ほんま、ほんま」

「・・・・・」

 おいおい・・それが現役高校生のする挨拶かあ?

「あ、工藤、こいつが中学ん時の友達で、岩佐家の次男の純平や」

 平次が早速新一を紹介した。

 純平のリスのような丸い目が新一に向けられる。

 岩佐純平は、京都の老舗の生まれにしては少々異質で、金髪に染めた短い髪に、耳にはピアスが光っている。

 一応パーティ主催者の身内ということで正装はしているが、いかにも押し着せという感じだ。

 身長はあるが、丸顔の童顔というのも影響しているのかもしれない。

「高校の友達か?」

「いや、こっちに来た時に知りおうたんや。結構気がおうてな」

「工藤新一です」

 新一が名乗ると、純平の丸い瞳が驚いたようにクルンと動いた。

「工藤新一って・・・もしかして、高校生探偵として有名な!」

「なんや、知っとんのか、純平」

「当たり前や!オレかて新聞くらい読むで!一時期えらい騒がれとったやんか ・・・・へえ、写真よりええ男や」

 ハンサムというより、美少年といった方が合うような新一を純平はマジマジと見つめる。

「そういや、服部も探偵ごっこが好きやったもんな」

「ごっこやない。おまえのなくした大事な宝ものを見つけたったやろうが」

「ああ、あれ驚いたわ。幼稚園の時のなくしもんやったのに、ちゃんと見つけてくれたんやもんな」

「おまえの朧気な記憶を繋いで推理した結果や。そういうのんは、ごっこではでけへん」

「う〜ん・・言われてみるとそうかも。そうかあ。つまり、おまえと工藤新一は類友ってわけやな」

 うんうん、と一人納得する純平の能天気さに服部は言い返す気力を失った。

「で?和葉ちゃんは?」

 純平は平次の後ろを覗くようにして尋ねてきた。

「和葉は風邪で寝込んどるわ。ホンマは来たがってたんやけどな。おまえによろしゅうって言っとった」

「え〜!和葉ちゃん、来てへんのかあ!?」

 そいつは困ったな、と純平は頭を抱えた。

「なんや?和葉に用があったんか?」

「んー、実はな。今日のパーティでマネキンやってくれる筈だった女の子が来られんようになってしもて・・・で、和葉ちゃんに頼もう思てたんや。中学の頃の和葉ちゃん可愛かったもんなあ。高校生になって色気も出てきたやろうし、代役にバッチリやと思ってたんやけど」

 和葉に色気・・?無茶言いよるな。

「そりゃ残念やったな。他に代役おらんのかいな?」

「いや・・代役になれそうな可愛い子ならいくらでもおるんやけど、ちょっとな」

「なんや?問題あんのか?」

「いやな。代役には蒼の龍玉をつけてパーティに出てもらうことになっとんのや」

「蒼の龍玉って、狙われてるアレか?」

「そう。実はレプリカキッドってのが、あの怪盗キッドを真似た愉快犯とかいうんやなく、どうも国際手配されてる犯罪者らしいんや。で、それを知ったマネキンの子が怖じ気づいて断ってきたんやけど」

「・・・その代役を和葉にやらせようとしたんか」

 だって!と純平が声を張り上げる。

「和葉ちゃん、むっちゃ強かったやん!それに、和葉ちゃんやったらおまえ必死に守るやろうし」

「純平〜〜」

「そんな、睨まんといてえな・・ホンマ、困っとったんやから」

「狙われているのがわかっているなら、人につけたりせずに防犯装置のついたケースに収めるか、それこそレプリカを置いたらどうなんだ」

 新一がそう言うと、純平は弱ったように首をすくめた。

「それがでけへんのや。共同経営者であるローデン氏がどうしても本物を見たいゆうてるし、おまけにうちのジーサンが宝石は置物やない、美しい女性が身に付けてこそ価値のあるもんやとか言うてきかへんし・・」

「おまえんとこのジーサン、頑固やもんな」

 おまけに、昔女遊びが派手なプレイボーイだったとも聞いている。

 だからこそのセリフなのだろうが。

「ジーサンの命令はうちでは絶対やねん」

 はあ・・と純平が溜息をついた時、ノックもなしにいきなり外からドアが開けられた。

「純平く〜んv代役の娘、来たの〜?」

 カン高いおネエ言葉で入ってきたのは、ラメ入りの派手なスーツを着た長髪の若い男だった。

「あ、悠ちゃん。ダメやったわ。彼女、風邪でけえへんかってん」

「ええ〜、困ったわねえ。アテにしてたのに・・・今から代役の娘探すのはむつかしいわよ」

「なあ、悠ちゃん、やっぱ悠ちゃんのお店の誰かに頼まれへん?」

「ダメ!うちの娘たちはデリケートだから、もし万一のことがあったら大変だもの」

 和葉はデリケートやないから大丈夫や言うんか・・・

 和葉が聞いたら怒るで。

「純平、この人は?」

「ああ、服部は初めてやったか。オレの従兄弟の松田悠也。こっちで美容室経営してて。結構有名なんやで、カリスマ美容師って」

「へえ〜」

「モデルも一杯抱えてんだよな。だからいっちゃん最初に頼んだんやけど、断られてしもて」

「当然よ。うちの娘たちは大切な預かりものなんだから危険な目にあわせられないわ。それ以外なら手伝いはするけどね」

「・・・・・・」

 顔立ちが混血っぽくて派手で整っているせいか、おネエ言葉にさほど嫌悪は感じないが、それでも慣れてないせいか戸惑いはどうしようもない。

「彼が純平くんの言ってたお友達?」

「そうや。服部平次。で、その友達の工藤くん」

 ふうん、と悠也は何を感じたのか新一の上から下までをジロジロ眺めた。

「男の子・・よね?綺麗な顔をしてるじゃなあいvお肌もスベスベで化粧のりも良さそうだし」

 け、化粧・・?

「身長もだいたい合ってるし、体つきも細めだから用意してたドレスも着れそうv」

「な・・何んですか?」

 新一はいや〜な予感を覚えて、思わず悠也から逃れるように後ずさった。

「そうよ。何もマネキンは本物の女の子である必要はないわけよね。やっぱり、いい素材があれば男だろうと女だろうと関係なく使うべきだわ。そう思わない、純平くん?」

「え・・まあ・・そうやろうけど・・・何企んどるんや悠ちゃん」

「あら、決まってるじゃない。彼に代役やってもらうのよ。細くても男の子だから力はあるだろうし。それに・・・・私、大学からずっとこっちに住んでるから“工藤新一”という名探偵のことはよく知ってるのよねえ」

 実物がこんな綺麗な男の子だってことまでは知らなかったけど。

 新一はゲッとなって顔をしかめた。

 何を言われるか予想はしていたが、実際面と向かって言われてしまうと顔が引きつる。

 このオレに女装をしろと?

「そりゃオモロイやんvやったれや工藤」

 思わぬ提案に喜んだ平次の頭に、新一の鉄拳が飛んだ。

 


 説得などないに等しく、殆ど強引に新一はカリスマ美容師の手によって女性へと変えられていった。

 メイクされる間ずっと鏡を睨みつけている新一に、悠也は苦笑し、それでも手を止めることはなく仕事をこなしていく。

 まさにプロ。

 急いではいても一切手は抜かない。

 そうして30分後に別室で待っていた平次たちの前に現れたのは、淡い水色のドレスを身につけた美少女だった。

 当然パットを入れているのだろうが、ふっくらと自然な形に膨らんでいる胸もとと細いウエスト。

 ごてごてした飾りはなく、いたってシンプルなデザインのドレスだが、それがかえって高貴なイメージを感じさせた。

 髪は両脇に細くたらしている以外はアップにしているので華奢な白い首がはっきりとわかる。

 新一の場合あまり目立つ喉仏ではないせいか、ドレスと同色のチョーカーをつければ全くわからない。

 平次と純平は、声もなくポカンとして新一の女装姿に見とれた。

 まさか、こんなに変わるとは想像もしていなかったのだ。

 そりゃあ綺麗な顔立ちだとは思っていたが、それでも男は男だ。

 そういや、ニューハーフでもホンマ女にしか見えん奴もおるもんなと平次たちは妙な所で納得する。

 でも、この美しさは・・・・

絶対詐欺やっ!!

 何が詐欺だ、こら?と新一は平次の顔を睨む。

 その瞳だけはやっぱり、よく知る新一のもので平次は何故かホッとする。

 親友だと思っている人間が全く別人に変わってしまうというのは、やはりいい気持ちではなかったから。

「いや、だってこないに綺麗になるやなんて思わへんかったから。その髪、カツラ?」

「いや、ヘアピース。カツラだと項が綺麗にだせないんだと」

 男の項をみせて何がいいんだかと新一は顔をしかめる。

 が、二人の関西人はもう大喜びだ。

「さっすが悠ちゃん!カリスマは伊達やないわ!もう天才!」

「そりゃどうも。でも今回は素材が飛び抜けてたからつい力が入っちゃったわ。彼だったら、いくらでも変えられるわよ」

 満足のいく出来映えだったのだろう。

 悠也はご満悦の顔でニッコリと笑ってみせた。

「ほんなら、エスコートはオレがやったるわv」

「何言うてんねん、服部。エスコートはオレにきまってるやろ」

「なんやてえ!そんなん、いつ決まったんや!」

「最初から。当たり前やろ。オレは主催者の身内やねんから。それに蒼の龍玉はオレがまかされとんのやし」

 ほら、と純平は手にもっていたセカンドバックから黒いケースを取り出した。

「おまえ、それ・・・」

 狙われてるという宝石をそんな無防備に持ってていいのか!

「はい、悠ちゃん。後頼むわ。オレ外で待ってるから」

 純平は、まだ納得いかない平次を部屋の外に連れ出した。

「おい、純平!」

「諦め悪いな、平ちゃん」

「平ちゃんって呼ぶな、ボケ」

「え〜和葉ちゃんだってそう呼んどったやん」

「和葉ももう呼んどらへんわ。ガキやないんやで」

「ふうん。和葉ちゃんならずっとそう呼ぶと思ってたんやけど。そうか、やっぱ女の子って年頃になると恥ずかしくなるんやな。じゃ、今は“平次さん”?」

「・・・おまえ、喧嘩売っとんのか」

「まさかあ。剣道の達人の服部に喧嘩売るほど身の程知らずやないて」

 純平は両手を上げて首をすくめた。

「純平・・・さっきの話ホンマか?おまえが蒼の龍玉をまかされてるって」

「ん、まあ一応そうなってる。なんか、あの宝石とオレ相性いいんやて」

「相性?なんやそれ。そんなんで決まったんか」

「言ったやろ。ジーサンの言葉は絶対やて。まあ、あれが盗まれても次男のオレなら責任も少のうてすむとか思うたんとちゃうか」 

「そんなことないやろ。まあ、おまえが持ち歩いてるというのが盲点になって安心だってことかな」

「う〜ん、そうか。てっきり嫌がらせとか思ってたんやけど・・・オレ昔ガキの頃、そんなたいそうなもんとは知らずに和葉ちゃんにお菓子と一緒にあげようとしたことがあるんや」

なに〜っ!

 平次はとんでもない純平の告白に目を剥いた。

「後でジーサンに滅茶苦茶怒られてさあ」

 当たり前だ。

 だが平次は、和葉に蒼の龍玉をあげようとした純平より、ガキである彼の手の届く所に置いていた家族に驚いた。

 もしかしたら、そんなに価値のあるものじゃないんじゃないか?

「そうや服部。パーティの招待客の中にもう一人高校生探偵がいるんやで」

「え?」

「こいつもさあ、一時期騒がれてたみたいやねんけど、活躍の場は殆どロンドンであんまし日本にいなかったみたいなんや。会ってみたら?オモロイ話きけるかもしれへんで。なんしろ、怪盗キッドを生涯の宿敵とか思うてるそうやからなあ」

 

 

 平次たちがいなくなると、新一はとりあえず緊張を解いた。

 やはり知ってる人間に女の格好を見られるのは恥ずかしいものだ。

 仮装だと思えばいいのだろうが。

 悠也が箱から出した蒼の龍玉は、新一が思い描いていたような形ではなかった。編み目のように小さなダイヤが繋がっていて、その真ん中に楕円形の蒼い石がはまっている。台になっているのはプラチナだ。

 確かに高価なものかもしれないが、これまでキッドが狙ってきた宝石よりやや小振りだ。

 しかし貴重なのは龍玉の、深海を思わせる深みのある蒼い輝きかもしれない。サファイアの蒼とも違うどこか神秘的な色なのだ。

「首飾りになってんのか」

「もとは石だけだったのを、今の岩佐家当主が首飾りに加工させたのよ。70を過ぎてから熱烈なファンになった若い美人女優に贈るつもりだったらしいわ。でもその前に彼女が結婚して引退してしまったんで渡しそびれたそうだけど。相当落ち込んだって話。頑固で偏屈なジーサンだけど、可愛いとこもあるのよねえ」

 悠也はクスクス笑いながらそう言った。

 結婚で芸能界を引退した若い美人女優?

(まさか・・・な)

 そこまで嫌な予感が当たるのはごめんこうむりたい新一だ。

 悠也が新一の後ろに回って首飾りをつけた。

 微かな石の重みが首にかかる。

 女の蘭ならきっと喜ぶんだろうが、あいにく男の自分には猫に小判という代物だ。まあ、確かに綺麗なもんだとは思うが。

 再び前に回った悠也は、出来映えを確かめるようにして人形のようにつっ立っている新一をじっと眺めた。そして微笑む。

「よくお似合いですよ。龍玉の蒼はあなたの瞳の奥に秘められた神秘な蒼にとてもマッチしている。あなた以外にこの蒼をつけられる人間はおそらく一人としていないでしょう」

 瞳を細め、微笑みを浮かべながら歯の浮くような感嘆の言葉を綴る松田悠也に新一はツ・・と眉をしかめた。

 口調が変わっただけでなく、雰囲気までもガラリと変わっている。

「おまえ・・・」

 チラッと悪戯っぽい瞳が新一の顔を見上げる。

 そして綺麗な微笑みを浮かべた顔で新一の左手を取った彼は、その白い甲に唇を押し当てた。

「どうぞ、お気をつけて」

 新一は顔をしかめたまま何も言わず、ただ小さくフンと鼻を鳴らした。

 


 パーティの会場は既に殆どの招待客が集まっていた。

 立食パーティの形式なので、テーブルには和食、洋食が所狭しと豪華に並べられている。

 岩佐家の秘蔵のお宝も展示されており、客たちは熱心にそれらを眺めていた。掛け軸や焼き物はまあ予想通りだが、他に絵画や調度品も数点あって結構楽しめる。

 会場に入った平次は、キョロキョロとまわりを見回した。

 刑事らしい人間を数人見かけたが、新一の言っていた警視庁の二人の姿は見あたらなかった。

 来ているのは確かだと思うが。

「えーと、どこにいるんやろ?」

 純平が言っていた高校生探偵。その経歴をザッと聞いただけでも興味深い人物だった。

 なんたって、警視総監の息子だというのだから。

 で、ロンドンに留学している間にさまざまな事件を解決した彼は、日本に一時帰国した時に怪盗キッドと何度か対決したという。

 ま、今だにキッドが掴まっていないということは、そのロンドン帰りの名探偵もあの怪盗にはかなわなかったということだろうが。

“オレたちと同じ年頃で、いやに気取ったキザったらしい男”というのが純平から聞いたロンドン帰りの探偵の印象だった。

 それでわかるのかと平次は首を捻ったが、そう長く探し回らずに彼はもう一人の高校生探偵〈白馬探〉を見つけ出した。

 薄茶の髪に整った顔立ちの少年。

 一目で一流の英国スーツとわかる仕立てのいい服を身につけ、優雅な仕草でワイングラスを傾けている。

 未成年の飲酒に顔をしかめるほど野暮ではない。

 自分もよく父親の晩酌につきあっているわけだし。

 共に父親が法を守るべき警察官というのが問題であるが。

(ホンマ、キザな感じやわ・・・)

 どうしてこうキザな人間が自分にかかわってくるのだろう・・・

 あの怪盗もだが、新一も時々こっちが脱力するようなセリフを真顔で言ってくれる。

 まあ、新一の場合は可愛いvですむんやけどな。

「白馬って、あんたか?」

 平次が声をかけると、少年はゆっくりと顔を上げた。

「オレは服部ゆうもんやけど」

「ああ、知ってますよ。関西の方で活躍している高校生探偵、服部平次くんでしょう?」

 アリ?と平次は瞳を瞬かせた。

「一応、怪盗キッドに関わった人間のことは調べておくようにしてるんですよ。その中からキッドの尻尾をつかめるかもしれないのでね。大阪でキッドとやりあったことがあるでしょう?」

 ああ、と平次は肩をすくめた。

 大阪じゃなく、現場は京都であったが確かに関わりはもった。

 インターネットに流された妙なパズルから思いがけずキッドが関わってきたのだ。もっとも、あの事件に深く関係していたのは工藤新一だったが。

 しかし、その事実を知るのは平次だけだ。

「白馬探です。よろしく」

 スッと自然に手を差し出され、平次は慌てて手を伸ばした。

 握手なんてめったにしないもんだから少々焦る。

「なあ、やっぱ例の予告状で来たんか?」

「ええ、そうです」

 白馬がうなずく。

「けど、あんたが追ってんのは怪盗キッドやろ?あいつが来るって思ってんのか?」

「さあ、どうでしょう・・・レプリカキッドが自分の名誉を傷つけるために現れるのなら彼は来るでしょうが」

 現に、キッドを名乗って窃盗を働こうとした不届き者はことごとく本物によって手ひどい制裁を受けている。

「そうゆうのんとちゃうんか?」

「レプリカキッドは明らかに怪盗キッドとは別人とわかりますからね。ただ、何故キッドの名を使ったのかはわかりませんが」

「国際手配されてる犯罪者なんやて、そいつ?」

「ええ。僕は間違いなく、レプリカキッドは“シルバーフォックス”だと確信しています」

「シルバーフォックス(銀狐)?」

「十年ほど前から主にヨーロッパで美術品を狙う泥棒のことですよ。その正体は不明。顔や年齢はもちろん、性別まで不明という謎の怪盗です」

「性別までわからへんのか?」

「怪盗キッドのように派手な仕事をしませんからね。無論、その姿を見た者もいません。影のように現れそして獲物とともに消えていくのです。僕も一度ロンドンでシルバーフォックスの仕事に出くわしたことがあるんですが。本当に、どこから侵入し、どこから脱出したのか全くわかりませんでしたよ」

「へえ〜。そんなスゴイ泥棒がおったんか。あ、でも予告状は出してくんのやろ?」

「ええ。でもキッドのように時間は指定してきませんから。油断を巧みにつかれるんでしょうね」

「油断・・ね。大丈夫なんかな」

 狙われている蒼の龍玉をまかされていると言っていた純平の、あの緊張感のない顔を思い出して平次は心配になった。

 おそらく、そんなスゴイ人間が相手とは想像もしていないだろう。

「なあ、レプリカキッドが狙うとる宝石のこと聞いてるか?」

「蒼の龍玉ですね。モデルにつけさせるとか言ってましたが」

 信じられませんね、と白馬は言った。

 全く、と平次も同意して頷く。

「今回の警備の打ち合わせの席に僕も同席させてもらったんですけど、そのことを聞いた警視が、婦人警官にまかせるよう提案したんですがあっさり断られてましたよ。もう決まっているからと」

「ああそれ、なんかダメやったらしいで。なんや土壇場で怖じ気づいて断ってきたそうや。で、オレの連れが代役にたてられた」

 えっ!?と白馬は驚いた顔で平次を見た。

 当然だろう。そんな話は全く聞いていないのだから。

「オレも急でびっくりしたわ。でもまあ、あいつならそう心配ないやろうけど。あ、でもそのシルバーフォックスって奴、人傷つけたことあんのか?」

「いえ。誰も姿をみていないと言ったでしょう。つまり、人を傷つける必要は全くないわけですから」

「ふ・・ん。んじゃ、あいつが無茶せん限りは大丈夫やってことやな」

 あくまでおとなしくしている人間なら、だ。

 しかし、あの工藤新一が自分が身につけているものをおとなしく盗られる筈はない。絶対に行動を起こす奴だ。

「心配ですね。本当に何を考えているのか・・・あなたの恋人ですか?」

 えっ?と思わず心臓が跳ねて平次の顔が強ばった。

 あ・・あ、そうか。女やと思ってるんか。

「いや、恋人とかそういうんやのうて・・・まあ大事にしたい相手っていうんか、その・・・かけがえのない奴なんや」

「大切な人というわけですね。わかりました。僕も全力をつくして今回の犯罪を防ぎますから」

「・・・・・・・」

 へ・・え。なんか、ええ奴やんけ。

 金持ちの坊っちゃんて感じだが、犯罪に立ち向かう気概は平次と通ずるものがある。

 と、突然会場のライトが入り口の扉に向けられた。

 見ると、髪を金髪に染めた岩佐家の次男が女性と共に会場へ入ってくる所だった。

 まだ若い、多分少女といえる年頃であろうが、その美しさは会場にいた招待客の目を釘付けにした。

 一瞬の沈黙の後、会場はざわめきに埋められる。

 彼女の首にかかっているネックレスの蒼い輝き。

 あれが岩佐家の秘蔵の宝《蒼の龍玉》だろう。

(やっぱ美人やあ〜純平の奴、羨ましいで)

 もう二度とあんな格好をしてくれないだろうから(当たり前だ)平次は心底残念で仕方なかった。

 ふと隣を見ると、白馬も突然現れた美少女に声もなく目を奪われていた。

 

でかした!さすがは我が孫!わしの好みをようわかっとるわい!

 無邪気な声を上げたのは車椅子に座った老人であった。

 80はとっくにこえているだろうが、まだまだ血色はよく、白くはなっているもののそれほど薄くはない髪に、若い頃はさぞ男前だったろう顔立ちのその老人こそ、岩佐家の当主、岩佐玄蔵だった。

 今だに一族の中では彼の言葉は絶対という権力の持ち主である。

 玄蔵は長男の子である純平が連れてきた美女にもう大喜びだ。

 この気むずかしい老人がここまでご満悦という顔を見せるのは至極珍しいことだった。

「やはり、おまえにまかせて正解だったわい。その金髪は気に入らんがの」

「いやあ、オレ、おじいさまに気に入られようとは思うてまへんので」

 純平はそう言ってヘラヘラ笑う。

 そばにいた彼の父親が驚いて咎めるように顔をしかめるが、純平は平然と無視してのける。現代っ子に家長制度など通用しないのだ。

 ジジィはジジィだというのが純平の考えだ。

 偉いとも思わないし、尊敬もしていない。

 だいたい、妾を何人も持って祖母を泣かせた遊び人を尊敬できる筈もないのだ。純平は昔からお祖母ちゃんっ子だった。

 しかし、玄蔵もこの孫の態度に慣れているのか怒りもしない。

 それよりも純平が連れてきた蒼の龍玉をつけた美女にもう夢中だ。

「ウ〜ム。本当によう似とるわい。まさか、彼女の娘というわけではないじゃろうが」

「似てるって、誰に?まさかおじいさまの愛人にとか言うんやないやろな?」

 そんなことだったら即座にモデルを連れて出てってやる、とばかりに純平は老人を睨みつけた。

「純平!いい加減にしないか!」

 さすがに父親も耐えかねて息子を叱るが、玄蔵も純平も聞いちゃいない。

「おまえの年代じゃわからんかのう。藤峰有希子じゃよ。女優として活躍した時期は短かったが、本当に素晴らしい女性じゃった。彼女こそ、まさにクレオパトラか楊貴妃かという絶世の美女といって良かったぞ。ああ、今も彼女のあの美しい顔が目に浮かぶわい」

 ケッ、色ボケじじぃと顔をしかめたものの純平は、へえ〜?と興味深そうに女装した新一を眺めた。

 新一はというと、的中して欲しくなかった予感にウンザリだ。

 ま、確かにおふくろはもと美人女優だったが。

 今も自分で、かつては世の男共を夢中にさせたのだと自慢している。

 だが、新一にとっては実の母親で、虚構ではなく現実に身近にいた有希子に対して美人だとかそんな感想を抱ける筈もなかった。

 幸いなことに、岩佐純平はその女優が工藤新一の母親だとは知らないようだ。

「名前はなんというのかな」

 玄蔵の顔はもう解けた砂糖菓子状態だ。

 ああヤダヤダ、と純平は眉間に深い皺をよせる。

「年は?誕生日は?サイズは?はては電話番号まで聞く気やないやろな?」

 この色ボケじじぃ、とこれは心の中。

 さすがに純平も、この場で口に出していいことかどうかの常識はわきまえているのだ。

「おじいさま。彼女は普通のモデルではなく、蒼の龍玉を見せるためのマネキンですよ。マネキンはしゃべりませんし、当然名前もいえません」

「おお、そうなのか」

 玄蔵は長女の子である悠也の言葉に目を瞬かせ、納得したように頷いた。

 悠也は何故か純平とは違った理由で玄蔵のお気に入りの孫なのだ。

 クスッと笑う悠也の整った横顔を見つめる新一の心境は複雑だった。

 正体はわかっているものの、完璧にその人物になりきっている所はサスガという他はない。

 身内である玄蔵や純平も全く気づいていないようだし。

 親をも騙せるなら、その変装はもう完璧と言えるだろう。

 しかし、新一が抱く感想はその技術に感嘆するのではなく、ただ一言なのだ。

 ・・・・・嫌味な奴。

「では皆さん。我が岩佐家の秘蔵品をとくとごらん下さい」

 玄蔵がそう言うと、招待された客たちは岩佐家秘蔵の宝石“蒼の龍玉”を見るためにわらわらと若い二人のもとへ集まってきた。

 しかし、宝石だけを見てくれるならいいが、どっちに関心があるのかと思いたくなるほど露骨に女装した新一に熱い視線を送ってよこす男たちには辟易した。

 こいつら、正気か?

 純平がそばにいなきゃ身の危険さえ感じられる雰囲気にはゾッとする。

 とにかく新一は、笑わず喋らずのマネキンに徹することにした。

 見かけだけはなんとか女に見えているようだが、キッドのように声色を使えない身では声を出せば一発で男だとわかる。

 それで正体がばれるまではいかないだろうが、やっぱり恥はかきたくなかった。

 それよりも、どんなことで蘭に知られるかわかったものではないし。

(やっぱり、こんなとこに来なきゃよかったぜェ・・・)

 今更後悔しても遅いのであるが、それでも思わないでいられない。

 

 

(ほえ〜〜)

 あっという間に客たちに取り囲まれ見えなくなってしまった新一に、平次は瞳を丸くした。

 そりゃまあ近くでみたいよな、と平次だって思う。

 秘蔵の宝石より突然現れた美女を、と。

「あなたのお連れは、とても美しい方なんですね。かけがえのない人だというのが納得できましたよ」

 白馬の言葉に平次は、そういうんじゃないんやけどな、と苦笑した。

 女装した新一があんなに美女ぶりを発揮するなど平次にとってはフェイントもいいとこだったのだから。

 別に顔が気に入ったわけじゃない。

 あいつの探偵としての優れた能力に平次は惹かれたのだ。

 まあ、顔も嫌いじゃないなかったが。

「今の所、不審な人物は見あたりませんね」

 そうやな、と平次も会場内を見回して頷く。

「純平の話じゃ招待客の身元は確かで、チェックも万全やということやけど」

「シルバーフォックスの場合、侵入経路の予測がつきませんから。一応予測できる限りの所は警官が張っていますが」

「それでも心配やっちゅう敵やのに、ようやるよなあ。ひょっとして、盗まれても平気な代もんやないんか?」

「そうですね。多分宝石としての価値は低いでしょう」

「え、そうなん?」

「珍しい石ではあるようですがね。翡翠に近い宝石だということですが、不純物がありすぎるそうです」

「へえ〜」

 ああ、それで扱いが雑だったってえわけか。ガキだった純平に簡単に持っていかれるように。平次は納得できた。

「あれは宝石としてではなく、美術的価値があるものなんでしょう」

「美術的?あの首飾りは後から加工したもんなんやろ?」

「ですから、あの石に何かあるんですよ。でなければ、あのシルバーフォックスが獲物として狙う筈がない」

「あ、そうか。美術品専門の泥棒やったな」

 美術的価値・・ねえ。

 宝石に関してもあまり知識がないのに、美術品ともなれば完全に専門外だ。

 え?

 ふいに背中がゾクッとするような威圧感を覚え平次は振り返った。

 白馬も同様のものを感じたのだろう。平次と同じ方向に顔を向けている。

 彼等が見たのは、二人の屈強な黒服の男たちを従えて会場に入ってきた一人の外国人だった。

 長身で、くせのあるブルネットの髪に茶色の瞳。

 年齢は30才くらいだろうか。

 甘いそのマスクは、この間第二弾が出たスパイ映画に出演していた男優に似ている。

 はっきり言って、この男の出現で女たちの目の色が変わった。

Oho〜!ビューティフル!!

 唐突に現れた外国人のその男は、女装した新一に気がつき歓声を上げた。

 男は西洋人らしい大袈裟なゼスチャーで新一の方へと近づいていく。

なんや、なんやあいつ!?

「ローデン氏ですよ」

 平次は思わず新一の方へ足を向けかけたが、白馬の声に立ち止まった。

「え?もしかしてアメリカの資産家っちゅう・・・」

 共同経営者のもう一方?

「後ろの二人はボディガードでしょう。ローデン氏ほどの資産家ともなれば、危険が多いですからね」

「誘拐とか」

「ええ。向こうは、ハリウッドスターでさえも狙われますからね」

 ふうん?

 だったら、もし工藤がアメリカにいたらかなり危険だったかもしれないなと平次は考える。なにしろ、世界的に有名な推理作家と元美人女優の一人息子なのだから。

 こっちに残っとって正解やったんかも。

 だが、両親と一緒にアメリカへ行ってれば妙な組織にかかわることも、巻き込まれることもなかった筈だ。

 こりゃ究極の選択やな、と平次は溜息をつく。

 しかし、もう工藤の身に起こってしまったことだ。

 選ぶという段階では既にない。

 遅れてやってきたローデン氏は、新一を前に早口の英語でしゃべりまくっていた。興奮している様子がありありとわかるが、まわりにいる人間は何を言っているのかさっぱりわからない。ただ、新一を除いては。

 ローデン氏は女装した新一の美しさを、そりゃもう恥ずかしくなるような形容で褒め称えているわけなのだが。

 当然女ではない新一には責め苦とおんなじだ。

 英語がわからなきゃ聞き流せたものを。

 ローデン氏はニッコリと微笑むと、新一の首にかかった首飾りに手を伸ばした。

「・・・・!」

 ハッとなり、思わず新一はその手から逃れるように身を引く。

「Oho〜sorry!驚カセテシマイマシタカ」

「満足して頂けましたかな、ミスターローデン。それが我が家に伝わる“蒼の龍玉”です」

 玄蔵の言葉を通訳の女性が伝えるとローデン氏は頷いた。

「本当ニ素晴ラシイデス。コノ蒼コソ奇跡」

 そして・・・と彼は新一の方に向き直ると恭しくその手を取った。

「レディ。アナタノ麗シキソノ瞳ガ本物デアルナラバ、ソレコソ奇跡ノ《ミステリアスブルー》我ガ望ミノ一ツニ他ナラナイ」

「・・・・・・っ!」

 なんだと・・!

何さらすんや、あの外人ーっ!

 いきなり新一の頬に接吻したローデン氏に平次は目を剥いて吠えた。

 新一はというと、すぐに身を離したがその顔は色をなくしている。

「お・・落ち着いて・・!ただの挨拶やから・・!なっなっ」

 すぐ隣にいた純平もタマげたが、それよりも新一のショックを気にしてか必死になって宥めにかかる。

 英語であったために、純平はローデン氏の言ったセリフの意味を全くわかっていなかった。

「オ〜、失礼!マタモ驚カセテシマイマシタカ」

「・・・・・・・・・」

 申し訳なさそうに詫びるローデン氏の顔を、新一は不審げに睨みつける。

 偶然か?

 いや・・・あのセリフは知ってる者にしか言えないものだ。

 チラッと一瞬だけ新一が確かめるように視線を向けたのは、車椅子の岩佐玄蔵のそばに立っている悠也の顔だった。

 その顔には見たこと以外の動揺は見られなかったが、さっきのローデン氏のセリフはしっかり聞いた筈だ。

 新一の耳につけられたイヤリングは盗聴器付きなのだから。

 ローデン氏は、ほんの僅かに動いた新一の瞳の動きに気づき、口端を引き上げた。それに新一が眉をひそめた時だった。

 突然会場の明かりが一斉に消えた。

なっ・・なんやーっ!?

 丁度、新一の方へと向かっていた平次と白馬の二人は驚いて立ち止まるとまわりを確かめる。しかし、突然の暗闇で目が慣れず何も見えなかった。

 ザワッと客たちの動揺した声が上がり、ホテルの従業員が慌てて明かりをつけるために走り出した。

怪盗キッドだ!キッドがいるぞ!

 誰かの叫びに驚いて首を巡らせば、窓の外に月を背にしたシルクハットとマントというシルエットが浮かび上がっているのが見え全員が息を呑んだ。

キッドだッ!捕まえろーッ!

 老人の扮装をして客の中に混じっていた中森警部が、白髪の鬘をむしり取ると大声で叫んだ。

 それを合図に、ホテルの従業員に化けて張り込んでいた警官たちが一斉にキッドに向かって突進していった。

 ありゃ〜と平次は意外な成り行きにびっくりして目をしばたたかせる。

 そして、ようやく目が闇に慣れてきた平次はすぐに新一の姿を探した。

 どうなっているのかわからないが、狙われているのが蒼の龍玉なのだからそれを身につけている新一を守ることが何にもまして最優先だった。

 純平じゃ役に立たないが、とりあえずローデン氏についているボディガードがそばにいるのが助かる。

 護衛に関してはプロだ。

 不審な人物が近づけばそれに気づかぬ筈はない。

 平次が走り出そうとしたその時、けたたましい破壊音が響き渡った。

 警官たちが向かっていた窓ガラスが、外からなんらかの衝撃を受けコナゴナに砕け散ったのだ。

 カン高い悲鳴が一斉に上がる。

 間髪入れずに会場内に白い煙がたち上った。

「なんや!?どうなっとんのや!」

 腕を上げて飛んできたガラス片を防いだ平次が、視界を塞ぎはじめた煙に顔をしかめた。

工藤ーッ!

 平次は急いで新一が立っていた方向へ駆けていった。

 白馬もガラス片と煙に行く手を阻まれながらも平次の後に続こうとした。

(まさか、キッドが・・・)

 レプリカキッドは怪盗キッドでは絶対にあり得なかった筈。

 では何故こんなマネを?

「これは罠だ。惑わされるな」

 白馬の傍らにスッとついた誰かが、彼の耳元でそう囁いた。

 ハッとなって顔を向けた白馬の目に、ふわりと翻った白いマントが映る。

「キッド!?」

 怪盗キッドの白い姿は、すぐに視界を塞いだ白煙の中へと消えていった。

 


 

 頭上の空には金色の丸い月がぽっかりと浮かんでいた。

 そこからの光だけが照らし出している高層ビルの屋上には、二つの影が向き合うように立っていた。

 一人は長身の西洋人で、整った甘いマスクには楽しげな微笑が浮かべられている。

 そして、対するもう一人は淡い水色のドレスを着た美少女で、険しく顔をしかめ男を睨みつけていた。

 不覚にもあの騒ぎにまぎれて、破壊された窓からこの場所へと連れてこられた工藤新一であった。32階からだ。高所恐怖症でなくても身がすくんだ。

「テメー、いったいどういうつもりだ?」

 どこから見ても美少女にしか見えない相手の口から出た不機嫌な少年の声に、ローデン氏は苦笑し肩をすくめた。

 これが女ではないとは、実にもったいないと彼は思う。

 だが、工藤新一の瞳が満月の光を受けて不可思議な蒼い輝きを帯びるのを見ると、ローデン氏はその美しさにうっとりと見とれた。

「まさに奇跡が生み出した芸術だね」

 そう思わないか?とローデン氏は、フワリと屋上へ舞い降りてきた白い怪盗に向けて同意を求めた。

 キッドが屋上に着地すると、白いマントがゆっくりと彼の背を覆う。

「芸術とは愛でるものであって、人の欲望の道具にするものではないというのがあなたの主義ではなかったのですか、シルバーフォックス?」

 ほお?とローデン氏は目を瞬かせる。

「私を知っているのか?私の知る怪盗キッドは君ではなかったが」

 二代目ですよ、とキッドは答えた。

「ああ、だろうね。ツインというには彼は年が離れすぎているからな」

 キッドは眉をしかめ、新一を背に隠すようにして男と対峙した。

「どこまで知っているんです?あなたは組織とは関係がない筈だが」

 組織・・ね、とシルバーフォックスはくくっと笑った。

「関係はないが、興味はあるよ」

 シルバーフォックスは意味ありげにそう答えると若い二人を眺めた。

 月明かりの中に立つ白い怪盗と、少女の姿をした少年の二人は、まるで美しい一枚の絵のようだった。

「確かに芸術は愛でるものだよ。その考えは変わっていない。だが」

「だが・・・なんです?」

 シルバーフォックスは、ニッと笑って首をすくめた。

「やはり見てみたいだろう?人が神の領域に踏み込んだ結果というやつを」

「・・・・・・」

「そうそう、それにこの龍玉もね」

 新一は男の手の中にある奪われた龍玉を見て前に出ようとしたが、キッドはそれを許さなかった。

「どけよ、キッド!」

「ご冗談。あなたを、何が目的なのかはっきりしない犯罪者に近づけられるわけないでしょう」

 成る程、とシルバーフォックスは短く口笛を吹いた。

「白の魔術師はミステリアスブルーの守り手というわけか」

「んなわけあるか。オレたちの立場は対等だ」

 新一の言葉に男はふ・・んと鼻で笑い、ゆっくり二人に近づいていった。

「日本に来るついでに昔なじみの怪盗キッドに会おうと予告状を出したんだが、いやはや面白い展開になったもんだ」

「レプリカキッドなんて名にしたのは、怪盗キッドを呼び出すためだったわけですか」

「ま、そういうこと。白の魔術師で思い浮かぶのは、あの男しかなかったんでね。だが早々に引退しているとは思わなかった」

「・・・・・・・」

 どうやらシルバーフォックスは、初代怪盗キッドが組織に殺されたことを知らないらしかった。

「いいことを教えてやろう。龍玉は二つある」

「二つ?」

「目は二つだろ?こいつは龍の彫像の目の一つだったんだよ。興味があれば探してみろ。面白いことがわかるかもしれないぜ」

「あなたは探さないんですか」

 男はフッと笑った。

「私の興味はたった今君達に移ってしまったんでね。興味が失せたことはやらない主義なんだ」

「シルバーフォックスってのは気まぐれなんだな」

 自分に正直なもんでね、と答えると美術品をこよなく愛する怪盗は新一の首に再び蒼の龍玉をつけた。

「よく似合う。これで口をきかなきゃサイコーの芸術品なんだがな」

 うるせー、と新一は鼻を鳴らした。

 泥棒を楽しませるためにこんな格好をしたわけじゃない。

 男の肩がおかしそうに揺れる。

「では、いずれまたどこかで」

 シルバーフォックスは魅力的な笑みを浮かべ、そう言い残すとホテルの屋上から姿を消した。

 

 

「・・・怪盗ってやつはどうしてああ意味ありげな口のききかたをしやがんだ」

 新一は眉間に深い皺を寄せると、残ったもう一人の怪盗を睨みつける。

 キッドはそんな新一に苦笑をこぼした。

 今だ新一は、どこから見ても美少女なのだから、睨みつけられても可愛らしいとしか思えない。

「そんな顔しないでほしいなあ。せっかくの美女がだいなし」

「さっきの泥棒とおんなじセリフを吐いてんじゃねえよ。まさか狙ってたわけじゃねえだろうが、テメー・・・面白がってやったろ」

 とんでもない、とキッドは肩をすくめニッコリ笑った。

「たとえ偽りであろうと、あなたをこの手で美しくできたことは私にとって最上の喜び。できたら、またさせて頂きたいくらいですよ」

二度とさせるかあ!

 そう新一が喚いた時、上がってきた警察ヘリの強いライトが屋上の二人を照らし出した。

「・・・・・!」

 ーーーーキッド発見!!

 キッドはニッと笑うとフワリと屋上の縁に飛び乗った。

「じゃあなv」

 肩ごしに振り返ったキッドの白い姿がスッと新一の前からかき消える。

 いつもながら、たいした度胸だと新一はこれだけは感心した。

 ハングライダーがあるといっても、この高さから飛び降りるにはかなりの勇気が必要だ。しかも、ビルやネオンの明かりがあっても夜の空を飛ぶというのは、普通かなり無謀なことなのだ。

工藤!無事か!?

 ようやく屋上にたどり着いた平次が新一を見つけて駆け寄ってきた。

「おせえんだよ、おまえ」

「すまん、工藤!怪我してへんか?」

 大丈夫というように新一は軽く首をすくめてみせる。

 その時、丁度月の光が新一の蒼い瞳を浮かび上がらせたので平次はドキッとなった。

 何度か見たことはあるものの、その蒼の持つ神秘的な輝きにはどうしても息を呑んでしまう。

 しかも、今の新一は絶世の美女の姿だ。

 顔とアソコが熱くなってしまっても仕方ない。

(・・・・カンベンしてぇな〜〜)

 


「へえ〜、これって龍の目やったんか」

 事件から二日たってから、新一は平次と共に再び現場だったホテルの喫茶室で岩佐純平と会った。

 そこで新一は、シルバーフォックスから聞いたことを純平に話した。

 一応岩佐家では彼が蒼の龍玉の管理をまかされているようなので。

 純平は新一の話に興味を示し、おおいに好奇心を刺激されたようだった。

「なあ、龍玉ってもう一つあるんやろ?で、その龍の像を見つけてこいつをはめたらいったい何があるんやろ?」

「ひょっとしてお宝があるんとちゃうかあ?」

「違うだろ、服部。あいつは面白いことがわかるって言ったんだ」

「あれ、そうやったか?それにしても、シルバーフォックスが獲物を盗らずに消えるやなんて珍しいんやてな。それに姿を見せたっちゅうのんも」

「・・・・・・」

 このホテルの共同経営者だったローデン氏が忽然と姿を消したのは事件のすぐ後だった。

 調べてみたら、ホテルが開業する前に共同経営者の権利は別の人間に移っていた。

 ボディガードの二人も日本に来る直前に雇われたので事情をまるで知らなかったらしい。

「どないする、工藤?探してみるか?」

「オレはパス。んな胡散臭いことにかかわる気はねえよ」

「そうかあ?けど、シルバーフォックスがおまえにそんなことを教えたっちゅうことは探してみろってえことやないのか」

「そんなこと知るかよ。探したきゃ探せば?」

 新一の素っ気ない返事に平次はアレ?と首を傾げた。

「どないしたんや工藤?いつもやったら、こういう謎解きにはすぐにとびついてきよるのに」

「興味が湧かないんだ。それだけ」

 新一はそう言うとストローでコップの中の氷をつついた。

(なんや、いったい?なんかあったんやろか?)

 そういえば、あの騒ぎの時、白馬の様子も変だったような気がする。

 それに、警察は屋上でキッドの姿を確認したとか言っていたが、新一はそのことも平次に言ってない。

(オレ、おまえに信用されてないんやろか・・・)

 だとしたら、かなり情けない。

 しかし、新一が何か隠しているのだとしても、それを問いつめる自信が今の平次にはなかった。

(おまえの抱えとる問題の深さがまだオレにはわかっとらんからな・・・)

 それは自分の力で調べるしかないのだ。

 気分を切り替え、平次はニマッと楽しそうな笑顔を新一に向けた。

「なあ、工藤vまたこの前のような格好してくれる気あれへん?」

 新一はジロッと平次の顔を睨む。

「バーロ。するわけねえだろ」

「あ、やっぱし?」 

 平次はガッカリした。

 

 

 
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