混 沌


 日本に来て江古田高校へ編入してからずっと白馬探は怪盗キッドを追い続けていた。

 そのせいか、最近では白馬はキッド専属の探偵とまわりで認識されるようになっている。

 だが、白馬が最初に手がけたのは、ロンドン郊外の寄宿学校で起きた殺人事件であったし、それ以降も関る事件は殺人が多かった。

 そのため、ロンドンでは殺人事件でお呼びがかかることが多い。

 つまり白馬は、この日本ではどっちかというと管轄外の事件を追っていることになるのだ。

「あれえ?白馬くんも新聞なの?」

 いつものように黒羽快斗と一緒に教室に入ってきた中森青子が、自分の机で新聞を広げている白馬の姿に目を意外そうに瞬かせた。

「ああ中森さん。おはようございます」

「おはよう、白馬くんv」 

 青子は変わらない無邪気な笑顔を白馬に向ける。

「ねえ?今朝はキッドの記事載ってなかったよね?」

 やはりというか、想像通りの疑問を口にする青子に白馬は苦笑を浮かべる。

「ボクはいつもキッドのことばかり考えてるわけじゃありませんよ」

「へえ〜そうなのか?」

 てっきり頭ん中はキッドのことばかりかと思ったぜ。

 カバンを肩に担いだ快斗が青子の背後から覗き込むようにして白馬を見、ニヤリと笑った。

「黒羽くん・・・」

「ごめん、青子もそう思ってた。でもそういえばキッドが出てくるまで白馬くんは殺人事件にも関ってたよね」

 ええ、と白馬が頷くと快斗が手を伸ばして机の上に広げられた新聞のある記事をコツンと指先で叩いた。

「おまえが気になってる事件ってこいつ?」

 はっとしたように白馬は快斗を見つめる。

 快斗が指差した記事は、一週間前にビルの屋上で殺されていた男の捜査状況についてのものだった。

 その夜は怪盗キッドの予告日で、翌朝の新聞では屋上で殺された男の記事は小さな扱いだったが。

 頭に一発銃弾を受け即死だったろうその男の身元は数日わからず、その後身内だという男が現れ引き取っていったという。

 明らかに殺人の様相であったのに、記事には自殺となっていた。

 借金を重ねての失意の自殺。

 確かに殺された男は銃を持っていた。

 だが、それはどう考えても自殺にはふさわしくないものであった。

 狙撃用ライフルを使って自殺する者などない。

 明らかに誰かを狙っていたのだ。そして、逆に殺されたという方が納得いく。

「最近、ホントに借金苦で自殺する奴が増えたよなあ」

 ほんとよねえ、と青子も快斗の意見にうんうんと頷く。

「悪徳金貸しが増えてるんだって!なんでそんなとこからお金借りるんだろう?青子だったら絶対に借りないのに!」

「そりゃ借りる必要がない人間ならそうだろうさ。切羽つまった人間なら、貸してくれるとこがあればまさに神さまってね。銀行は普通の人間には貸してくんないしさ」

 良心的な金貸しなんていねえって。

「まあ、腐るほど金持ってる白馬には関係ねえ話だよな。オレなんか最近バイト三昧でさあ」

「あ、そういえば快斗、今どこでバイトしてんの?青子聞いてない!」

 いろいろ、と快斗は首をすくめた。

「この前までコンビニでバイトしてたんだけどさ。夜中に強盗が入ってえらい目にあってすぐやめちまって、今は知り合いのコーヒー喫茶でウェイターやってる」

「快斗がウェイター?」

 似合わな〜いと青子が笑うと、快斗はムッと口を尖らせた。

「似合わないってなんだよ?この器用なオレさまに、こなせない仕事なんてないんだぜ?」

「黒羽くん・・・この記事の男、本当に自殺だと思いますか?」

 はあ〜?と快斗は眉をひそめた。

「なんだよ、白馬?自殺だって書いてあるじゃん」

「そうなんですが・・・実は殺人だということもあるでしょう」

「んなことオレに訊くなよ。オレは探偵じゃなくマジシャンなんだぜ」

「えぇ〜?快斗はただの高校生じゃない!」

 あのな〜〜

 快斗は、ふ〜んだと口を尖らしている幼馴染みを睨む。

「ンなこと言ったら、この白馬だってただの高校生じゃんか!」

「違うよ。だって、白馬くんはちゃんと探偵としてまわりに認められてるもん」

 ほお〜そうかい、と快斗は面白くなさそうに言ったが、もう青子に反論する気はないらしく肩をすくめて自分の席についた。

 

 

 今にも雨が降り出しそうな雲行きだというのに、快斗はいつものように弁当を持って屋上へ上がっていった。

 たま〜に青子がつきあうことがあるが、さすがにこんな天気に屋上へ行く気にはなれないらしく教室を出て行く快斗の後を追うことはなかった。

 だが一人だけ、物好きというか昼をすませてから快斗を追って屋上へ上がったクラスメートがいた。

 白馬探である。

 屋上は当然ながら人っ子一人いない。

 いるのは黒羽快斗だけということなのだろうが、出入り口の扉から出て見た限り、彼の姿は白馬の視界になかった。

「黒羽くん?」

「何、白馬じゃん。なんか用か?」

 快斗の姿を探してきょろきょろと周りを見回していた白馬は、突然頭の上から声が降って来てギョッとなった。

 顔を上げると、扉の上から快斗がひょこっと顔を出した。

「な・何やってるんですか、そんなとこで!」

「何ってメシ食ってたんだよ」

 わりぃか、と快斗は顔をしかめ、見上げてくる白馬の顔を見つめて嘯く。

「まったく、君って人は・・・・本当に高いところが好きなんですね」

「なんだよ?バカと煙はとでも言いたいわけ?」

「黒羽くんはバカじゃないでしょう?」

「・・・・・・」

「でも無謀ではありますね。今度の獲物はシャウロン伯爵夫人の持つ精霊石ですか?」

「何それ?」

 快斗は腹ばいになったまま白馬を見おろし、クスッと笑う。

「コリねえ奴だな。オレにんなこと訊いてどうすんだよ」

 うつぶせのまま腕を立てた快斗は、よっと声を出し、倒立からバック転で身軽に下へ降り立った。

「わかってるんでしょう?彼女の精霊石はビッグジュエルというほどのものじゃない。あなたが狙うにふさわしいものではないのに、いったい何故・・?」

「オレじゃなく、怪盗キッドがじゃねえの?」

 たまんねえよな、ったく・・と快斗はやれやれという顔をする。

「予告状は彼女宛に直接届けられ、伯爵夫人はそのことを警察には知らせていません」

 白馬と向かい合うように立つ快斗は、腕を組んで首を傾けた。

「警察は知らねえ話ってことか?それで、なんで民間人のおまえが知ってるわけ?」

「・・・・・」

「おまえが持ってる情報網からってわけか?確かに青子が言う通り、おまえは普通の高校生じゃねえよな」

 快斗はふ・・と笑ってそう肩をすくめる。

「オレがキッドだってのも、その情報網から得た結果?」

「違います。これはボクの勘です」

 ふ〜ん、と快斗は足を交差させ右のつま先でコンと床を蹴った。

「ま、いいけどさ。さすがにおまえにキッド呼ばわりされんのも慣れてきたし。それに」

 そんなに悪い気もしねえしさ、と快斗はニッと笑って綺麗にウィンクする。

「で、おまえが得たキッドの予告状の情報、警察に知らせたんだろ?」

 勿論です!と白馬は頷いた。

 や〜れやれ、と快斗は頭をかきながら溜息をついた。

「今度の休みさあ、青子の奴、親父さんと二人で今流行の海辺のレストランで食事するんだと楽しみにしてたんだけどなあ」

 えっ?と白馬はびっくりしたように目を見開き、そしてうろたえた。

 中森さんが?

「まあ、急に入った仕事で約束反故にされんの、青子も慣れてるからそう怒らねえだろうけど」

 キッドのばか〜〜!とまた怒鳴られるんだろうなと快斗は苦笑する。

 青子の中ではどんどん怪盗キッドの印象が悪くなっていく。

(いいけどな。キッドは英雄でもなんでもねえんだから)

「おまえも参加すんのか?」

「え・・ええ勿論・・・・」

 白馬は答え、背を向けかけた快斗の肩に手をかけた。

「黒羽くん!お願いです、シャウロン伯爵夫人の宝石は諦めて下さい!」

 はあ〜〜?と快斗は眉をひそめて白馬を振り返る。

「夫人が宝石を持って日本に来たのは、怪盗キッドの捕獲が目的だという噂があるんです!そのためのプロが大勢雇われているという情報も・・・」

「・・・白馬」

「・・・・・!」

 白馬は、急に快斗の細い身体が自分の方に寄せられたことに驚き息を呑んだ。

 身長差があるため、快斗の頭は白馬の肩の上あたりにある。

 腕は回されていないが、寄りかかるように身体を密着させた快斗に白馬は赤くなってうろたえた。

 自分は一度彼を抱いたことがあった。

 その記憶はまだ新しく、彼の脳裏から消えることはない。

 白くて華奢で滑らかなその肌の熱さを白馬は覚えているから余計に混乱する。

「く・・黒羽くん・・・・!」

 動揺をはっきり表現している心臓の鼓動に耳をあて、快斗は意地悪くクスリと笑う。

「雨・・降ってきたぜ」

 え?と軽く顎をあげれば、雨の雫がポツンと白馬の額に落ちた。

「無茶すんなよな、白馬」

 快斗は言って、唐突に身体を離した。

 黒羽くん・・・・

 

 二人はそれ以上会話することなく教室へ戻っていった。

 

 

 

 結局屋上ではごまかされたような形に終わったことに、白馬は悔しげに唇を噛み締めた。

 やはり彼を止めることはできないのだろうか。

 白馬が伝えた怪盗キッドの情報は、当然ながらキッドを追い続けている中森警部をすぐさま動かした。

 予告状を送られた相手が、今マスコミにもよく取り上げられているシャウロン伯爵夫人だということもあって中森はさらに熱血した。

 彼女の我侭振りはこの日本にも伝わるほどで、さすがに最初に電話を入れた時は、けんもほろろの素っ気無さだったが。

 しかし、それですぐにあきらめる中森警部ではなかった。

 彼女が宿泊しているホテルに出向き、強引に警備を承諾させたのだ。

 ただし、マスコミには一切伝えないという条件が出され、中森たち警視庁側はそれを受け入れた。

 もとからキッドは、マスコミどころか警視庁にも今回の犯行予告を伝えていなかったのだから、それはそう難しいことではなかった。

 予告日前日、白馬は二日振りに登校した。

 いろいろと調べることがあって白馬は学校に出てこられなかったのだが。

 教室に向かう途中の階段の踊場で白馬は降りてくる中森青子と出くわした。

「あ、白馬くん、お早うv」

「おはよう、中森さん」

 父親との約束を反故にされ、ガッカリしてるだろうと気になっていた白馬だが、明るい青子の表情にちょっと驚く。

「白馬くんもきっと知ってるよね?」

 突然青子に問われて白馬はえ?と首をかしげた。

「あの泥棒のことだよ。今回は極秘だから言っちゃ駄目だってお父さんに言われたけど」

 そう言うと青子はプッと頬を膨らませる。

「おかげで青子との約束駄目になっちゃったの」

 でも、と青子はむくれた顔から一変して嬉しそうな笑顔を見せた。

「快斗がお父さんの代わりに海辺のレストランに連れてってくれるんだv」

「黒羽くんが?」

「もともと前もって席を予約していたからキャンセルするのももったいないし」

 そこね、ホントに半年先まで予約で一杯ってとこなんだよ。

 だから、予約なしでは絶対入れないし。

「白馬くん、知らない?この前アイドルの沖野ヨーコちゃんがテレビでレポートしたとこなんだよ」

「すみません、ボクは見てないです」

 ふうん、と青子は鼻を鳴らす。

「そうだね、白馬くんが食事するならホテルとかだよね。あ、このこと誰にも言わないでね。内緒なん・・」

 ぎゃん!と突然青子は悲鳴を上げて前のめりになった。

「中森さん!」

 白馬はびっくりして青子を支えようと手を伸ばす。

 彼女の背後にブスッとした表情の快斗が立っていた。

 どうやら手に持っていたプリントの束で青子の後頭部をはたいたらしい。

「ほんとにアホ子だな。誰にも言うなっつーって白馬に言ってんじゃ、なんにもなんねえだろが」

「いいじゃない!白馬くんは言いふらすような人じゃないもん!」

「ほお〜たいした信用だよな白馬」

 快斗はフン、と言って掴んだ青子の手に持っていたプリントの束をのせる。

「ほら、おまえ今日日直なんだろ?おまえがもたついてるからオレが押し付けられちゃったじゃん」

 さっさと配ってこいって。

「わかったわよ!」

 ふーんだ、バカイト!と青子は快斗に向けて口を突き出すと階段を上っていった。

「中森さんとデートするんですか」

「そう言われるに決まってっから内緒にしとこうって言ったんだ」

 まあ、オレはさあ、デートでもいいんだけどな、と快斗は肩をすくめる。

「でもクラスの連中がうるせえからさ」

「ええ。大丈夫、誰にも言いませんから。でも、本当に中森さんと行くんですか?」

 なんだよ?と快斗は眉をしかめて白馬を睨む。

「あ、いや・・・その日は確か、キッドの予告日なので」

「んなの、オレには関係ねえって何度も言ってんだろが」

 しつけえな、まったく!と快斗は不機嫌な顔になり、白馬を残して階段を駆け上っていった。

 

 

 

 怪盗キッドの予告日当日、マスコミに知られないよう中森警部は信用できる部下を十数人連れてシャウロン伯爵夫人が宿泊しているホテルに入った。

 一応、夫人の警護という名目で制服警官も数人配置させている。

 後は私服警官をキッド対策のために警備につかせた。

「本当に大丈夫ですの?わたしが雇った者たちはすべて信用できる人間ですけど、あなたが連れてきた警官の中に怪盗キッドが混じっていたら目もあてられませんわよ」

 何度もそういう失敗をしてきたのでしょう?と夫人に嫌味を言われ、中森警部は心の中でむかついたが、そこはこちらがゴリ押ししたことであるから顔には出さない。

「ご心配無用!ここに来てからもキッドの変装でないことは確認済みです。予告時間前後も部下たちは二人以上で行動し、単独では動きませんから」

 なるほどね、と夫人は赤い唇を笑みに歪ませた。

 明らかにバカにした笑いに、中森は怒りに煮えくり返った。

(くそ〜〜!キッドが絡んでなかったらこんな女の警護なんぞ・・!)

 確かに社交界でもいろいろ噂されるだけのゴージャス美人ではある。

 その上、四十も年上の伯爵をたらしこむだけあって色気むんむんの女だが、中森にとってはただのむかつく嫌な女でしかない。

 中森警部が夫人と不毛な会話をかわしている頃、白馬はホテルの最上階レストランにいて、暮れゆく街を眺めていた。

 二時間ほどまえに、快斗と青子が一緒に電車に乗り込むのを白馬は自分の目で確認している。

 今頃は中森青子が楽しみにしていた海辺のレストランで夕食をとっている頃だろう。

(黒羽くんはどうするつもりなのか・・・・・)

 怪盗キッドが予告を違えたことはこれまで一度もない。

 偽の予告状でない限り、怪盗キッドは必ずここへ来る。

 だが、なんのために?

 夫人が持つ精霊石は、キッドにとっていったいどんな意味があるというのか?

 

 

 

 食事を終えた快斗と青子は、夜の海が間近に眺められるテラスでゆっくりとコーヒーを飲んでいた。

 当然ケーキつきで、二人は存分に海辺のレストランの優雅なひと時を楽しんだ。

 特に青子は最初から最後までご機嫌である。

 本当は父親と二人でここへ来る筈だったのだが、宿敵怪盗キッドのおかげで駄目になり、だがかわりに幼馴染みの快斗と二人っきりで素敵な夜を満喫できたのだから嬉しさの方が勝る。

 快斗とは、まだ幼馴染みの関係を超えることはないが、それでも青子にとって身近にいる大好きな男の子だった。

 勿論そんなことを口にしたりしないし、ムードたっぷりのこの場所で愛を語り合うことなどまずない。

 そして快斗はというと、青子が自分のことを好きだという確信はあるものの、この幼馴染みはまだまだ精神的に子供でもう少し見守っていかなければならないことをちゃんとわかっていた。

 キスすらまだ。

 無邪気そのものの顔で海を見つめている少女の顔を眺め、快斗はこっそりと息を吐く。

(まあ、いいけどさ・・・・)

 新一のことは好き。誰にも渡したくないほど愛してる。

 でも青子も好き。彼女はずっと身近で見守ってやりたい相手で、初恋の少女だ。

 

 

 レストランにいた白馬は、手首の時計に目を落とし、静かに席を立った。

(どんな罠が張られていようと、あなたは来るのでしょうね)

 黒羽くん・・・・・

 

 

 波の音がまるで夢の世界へ誘うように途切れることなく聞こえてくる。

 すでに空には金色の月と星が瞬き、青い海はその姿を闇に溶け込ませていた。

 少女はテーブルの上に伏せ、穏やかな寝息をもらしている。

 彼女と向かいあう席に座っていた少年は頬杖をついた顔に笑みを浮かべ、幼い寝顔で眠っている少女を優しく見守るように見つめていた。

 

 

 

 シャウロン伯爵夫人のいるホテルを正面に見ることが出来る高層ビルの屋上に、まるで幽霊のように唐突に白い影が現れた。

 白い手袋をはめた手の中には小さなリモコン装置があり、月下の奇術師とも呼ばれる純白の怪盗はその白い面に不敵な笑みを浮かべた。

「さあ、ショーの始まりだ」

 カチッとスイッチが押されると、目の前のホテルから明かりが次々と消えていく。

 タイムリミットは一分三十秒。

 キッドは白い翼を広げ、ビルの屋上から滑空する。

 真っ暗になったホテルの屋上に下り立ったキッドは音もなくすべるように走り、閉ざされていた扉をいともたやすく開けて中に侵入した。

 ・・・・・・・秒読み開始。

 

 キッドが予告した時間五分前に突然ホテル内の明かりが消えて暗闇になり中森たちは慌てた。

 停電したのはこのホテルだけだとわかり、キッドの仕業だと確信する。

「油断するなよ!もうキッドはこのホテルに・・・いやこの階に来てる筈だ!」

 懐中電灯を手に夫人がいる部屋へと走る中森だったが、すぐに明かりがついたのでノックもそこそこにドアを開けた。

「無事ですか、伯爵夫人!」

 開けたドアから部屋の中にいるはずの夫人に向かって叫んだ中森だったが、返事が返らないことに眉をひそめる。

 そういえば、ドアの前に立っていたSPの姿がなかった。

「伯爵夫人!」

 中森は無礼を承知で部屋の中に足を踏み入れる。

 だが、ほんの半時間前にこの部屋にいたはずの夫人の姿はどこにもなかった。

 しかも、彼女が雇った男たちの姿もない。

「警部・・・・」

「探せ!彼女をなんとしても探すんだ!」

「はいっ!」

 部下たちは中森警部の怒号に大慌てで駆け出していった。

(くそ〜〜。どういうつもりだ、あの女!)

 どう考えても自分から消えたとしか思えない状況。

 最初からあの我がままな伯爵夫人は自分たちのことを無視していた。

 毎度キッドにしてやられる日本警察など役に立たないなどとハッキリと抜かしてくれたのだ。

「おのれ〜〜!日本警察を舐めるなあぁぁ!!」

 頭から湯気を噴出させた中森銀三が吼えた。

 

 

 

「誰?」

 明かりがついた部屋に、それまで誰もいなかったはずの人の姿が白く浮かび上がり夫人はキツイ口調と共に相手を睨みつけた。

 透けたカーテンの向こうには、夜だと忘れる人工の明かりに照らし出された都会のビルがあり、金色の月がその間から僅かに覗く。

 そんな光景をバックにその男は静かに立っていた。

 純白のマントとスーツ、頭には白いシルクハット。

 顔の上半分はモノクルとシルクハットが影になってわからないが、鼻筋と顎のライン、やや薄い赤い唇からかなり綺麗な顔立ちだということがわかる。

 レトロないでたちでありながら、華やかで夢のような美しい印象に夫人は思わず息を呑む。

「あなたが怪盗キッド・・・・?」

「そうです、マダム。直々にご招待を頂きましたので参上致しました」

 招待ですって?

 優雅に会釈する怪盗に、夫人はクスリと笑った。

「そう。やはり知っていたのね、わたしの目的を」

 まあ、当然かしら。

 だって、あなたのことは”あの方”まで気に止められるのだから。

 そう、ただの泥棒じゃないわね、と夫人は笑う。

 ふっとドアの方に顔を向けた夫人に、キッドはニコリと笑みをみせる。

「外にいた方たちでしたら、マダムとお会いするのにいささか邪魔でしたので眠って頂きました」

 夫人はやや眉をしかめる。

 確かにキッドがこの部屋にいるということは、彼らが既に役に立たない状態にあるということだろう。

 それにしても、彼女が雇った男たちはいずれも軍などで専門の訓練を受けてきたプロ中のプロであった筈なのに。

 それをあっさりと片付けてしまうとは・・・・・

「確かに恐ろしい男ね、キッド」

 だからこそ”あの方”へ贈るにふさわしい。

「残念だわ、本当はあなたを生きたまま”あの方”に贈りたかったのだけど」

 ここまで手強いとなると、無理のようね。

「それとも、おとなしくわたしに捕まってくれる?」

 ご冗談を、とキッドはフッと鼻で笑う。

 仕方ないわね、と夫人が笑むと寝室のドアが開いて一人の長身の男が姿を現した。

 灰色がかった金髪に灰色の瞳をした、恐ろしいほど端正な顔をした男。

「この男は、腕は超一流なのだけど殺ししかやらないというから本当はあなたの前に出したくはなかったのだけど」

 でも、あなたが彼らを全員倒してしまったんじゃ仕様がないわ。

「・・・・・・・」

「どう?今からでも命乞いは聞けてよ」

 マダム・・・とキッドは呼びかけるように口を開くと、シルクハットをとった。

 そして、モノクルまで取り去ると彼女の前にその素顔をさらした。

 夫人は予想もしなかったキッドの行動よりも、その素顔に茫然となった。

 稀代の怪盗と呼ばれ”あの方”の組織までも気にし続けていたキッドの正体は、彼女の目が正しければまだほんの子供だった。

 幼さがまだ残る、しかし少女のように繊細に、そして美しい目鼻立ちの少年。

 その姿が現実離れしているからこそ余計にその美しさは際立って見えた。

「マダム・・・あなたはその男が何者かを知っているんですか?」

「え?」

 キッドの言葉に目を瞬かせた夫人は、頭に押し当てられた銃口に声を失う。

 な・・っ!

「なんなの!いったいどういうこと!」

 気丈にも男に問いかける彼女も、その声が震えるのは止められなかった。

「まだ連絡を受けてないだろうが、おまえの旦那、つまりシャウロン伯爵が滞在先のバンコクで殺された」

 何故殺されたかはわかるな?と灰色の目をした男は言った。

 夫人の赤い唇が震える。

「俺はシャウロン伯爵に頼まれておまえに雇われたんだ。もし自分が殺されたら、殺しを依頼したおまえを確実に殺せとな」

 ひっ!と夫人は悲鳴を上げた。

 まさか己の企みが夫に知られていた上に、その復讐までもが前もって計画されていたとは!

「ま・・待って!」 

 夫人が真っ青になって命乞いをしようと振り返るより先にトリガーがひかれる。

 こめかみにあてられた銃口から微かな音と共に弾丸が放たれ、強欲で残忍な女の頭部を砕いた。

 キッドの目前で、女は力を失って倒れていった。

 女の頭部から流れた血が絨毯の上に広がっていくのを、キッドは無表情に見つめる。

 人が死ぬのを見るのは初めてではない。

 目の前で殺された男もいた。

 今更お綺麗なことを言える立場ではない。自分は犯罪者だ。

 どんな理由があっても、法を犯し闇に生きる者なのだ。

 夫人を殺害した男は、キッドに向け何かを投げる。

 パシッと受け止めたキッドの手の中に光るのは、緑の精霊石。

 白馬が言った通りそれはビッグジュエルといえる大きさではない。

 だが、それは自分たちには必要な石だった。

 彼女は、この石の価値を全く知らなかったようだが。

 男は、女を殺した銃を持ったままキッドに近づく。

 その銃口が自分の心臓に向けられてもキッドは表情を変えなかった。

 灰色の瞳をした男はそんなキッドにフッと笑むと、腕を掴んで引き寄せ、彼の赤い唇に口付けた。

 深く重ねられ、喉が苦しげに鳴っても男はキッド・・快斗を離さなかった。

 快斗の手からシルクハットとモノクルが落ちる。

 柔らかな絨毯がそれらを受け止めると、その反対に快斗の身体が浮き上がり乱暴にソファの上に落とされた。

「アッシュ!」

 快斗はギョッとなって、自分を押さえ込む殺し屋を見つめた。

 まさか、こんな所で犯る気かよ!

 こんな・・・殺されたばかりの女の死体があるこの場所で・・・!

 さすがにそこまで無神経になれない快斗はアッシュに抵抗する。

 だが、どんな抵抗もこの男には通用せず、逆に相手を面白がらせるだけだった。

「契約に時と場所はない」

「ほ・・本気かよ!」

 快斗は目を剥いた。

 ポーカーフェイスなど、この男に対してはないも同然だ。

 ああ、くそっ!

「安心しろ。証拠は欠片なりと残さん」

 超一流の犯罪者はそう言って笑い、快斗の抵抗を完全に封じ込めた。

「・・・・・・・・!」

 ああぁぁっ!

 

 

 

 いったいどういうことだ?

 白馬は自宅へ帰るために乗り込んだタクシーの中で考え込む。

 唐突な停電。

 あれは怪盗キッドの仕業のはずだった。

 だが、中森警部たちも、そして他の誰もキッドの姿を見ていない。

 あれほどその存在を誇示し派手に動くキッドが、誰にも姿を見られず隠密に犯行を行うことなどこれまでになかったことだ。

 それからすると、今回の予告はキッドからのものではなかったとも考えられる。

 伯爵夫人が持っていた精霊石は、キッドがこれまで狙ってきたものとは違うものだと言ったのは白馬自身だ。そのことに対し、黒羽快斗は何も言わなかった。

 白馬は腕を組んで考え込んだ。

 別の部屋で殺されていた夫人・・・・

 気がついたのは、その部屋から火が出たからだ。

 おそらく夫人を射殺した後、犯人が火をつけたのだろう。

 今、ホテルは捜査二課にかわり捜査一課が指揮をとって捜査をしている。

 白馬はしばらくその捜査を見ていたが、口を挟むことなく現場から離れた。

 あの予告状は間違いなくキッドからのものだと白馬も、そして中森も思ったのだが。

 どういうことなんだ?と眉根を寄せた白馬は、ふとその目に見知った姿を捉え、思わずタクシーを止めさせた。

 白馬はすぐにタクシーから降りると、歩道を歩いていた人物を呼び止める。

「黒羽くん!」

 コンビニの袋を手に持って歩いていた少年が振り返った。

「なんだ、白馬じゃねえの。何やってんだ?」

「それはボクも訊きたいですよ!」

「オレ?見りゃわかんだろ、コンビニで食料の買出し!朝食うもんがなくってさ」

「中森さんと出かけていたんじゃ」

「出かけたよ。メシ食って、青子をちゃんと家まで送ったさ」

 言ってから快斗は顔をしかめる。

「まさか外泊するとでも思ってたんじゃねえだろうな?」

「いえ、そうじゃないですが・・・・」

 ふん、と快斗は鼻を鳴らす。

「で、おまえは?キッドは捕まえたのかよ?」

「・・・・いいえ」

「ふ〜ん。ま、気をおとすな!相手が相手だしさ」

 フォローにならないフォローをして快斗は白馬の肩を叩く。

「そうだ、これからカラオケ行かねえ?」

「え?」

「家帰ってもお袋、出張でいねえしさ。この際だ、歌いまくってストレス発散しねえ?」

「あ・・ええ、いいですけど」

 んじゃ!と快斗は白馬を連れてカラオケボックスに向かった。

 

 

 もう日付けがかわる時間帯であったが、カラオケボックスは週末のせいもあるのか混んでいた。

 二人は飲み物とカラ揚げやポテトを頼んで部屋に入った。

 ほら、何歌うのか決めろよ、と快斗は分厚い本を白馬の手に押し付ける。

 そして自分もポテトをつまみながらページをめくりだした。

 白馬はハァ・・と息を吐くとページをめくった。

 知らない歌が多かったがそれでも、いくつか歌えそうな歌はある。

 快斗が友人たちとカラオケによく行くらしいことは白馬も知っていた。

 音楽の時間に白馬は快斗の独唱を聞いたことがある。

 とても澄んで綺麗な声だった。彼は歌うことが好きなのだろう。

「黒羽くん?」

 ふと顔を上げると、快斗はいつのまにかソファに横になって眠っていた。

 白馬は、誘っておきながら歌うことなく眠ってしまった快斗に唖然となった。

(まったく、君って人は・・・・)

 白馬は溜息を漏らすと、立ち上がり自分の上着を彼の身体にそっとかけた。

 起きてしまうかもしれないと思ったが、快斗は目を覚まさなかった。

 静かな寝息をたてる快斗を見つめていた白馬は、何故か悲痛な思いを覚え顔をしかめた。

 

 黒羽くん・・・君の中にある全てを知りたいと思うのは、ボクの思い上がりでしょうか。

 

Fin

   

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