トラブル発生!
名前を呼ばれた。 振り向くと、背広姿の若い男が立っていた。 何か?と問いかけようと口を開いた時、ふいに首の後ろに何かが突き刺さる。 チクリとした痛みに眉をひそめた少年は、次第に薄れ出す意識に舌打ちした。 (しまった・・!) 自分らしくない失態! 夜とはいえ、こんな人通りの多い場所で狙われるなんて予想もしていなかった。 手足の感覚もだんだんなくなり、グラリと傾いた細い身体を背広姿の男が手を伸ばして支える。 「どうしたんです?気分でも悪いんですか?」 抜かせ、バカやろう・・! しらじらしい台詞に彼は悔しげに顔をしかめた。 心配そうなその声は、あくまで回りにいる人間に聞かせるためのもの。 自分に針を打ち込んだのは別にいるとしても、こいつも仲間だと彼は確信している。 その証拠に、男は介抱する風を装いながら彼を車の後部座席に乗せようとしていた。 くそっ、このままじゃ・・・ 「工藤!」 待ち合わせしていた相手の姿を探すようにまわりを見回していた少年が、見知らぬ男に車に乗せられようとしている友人を目撃し大声をあげて走り寄った。 「ちょっと、待って!」 呼んでも顔を向けようとしない男に不審を覚えた少年はさらに足を速めたが、しかし彼がその場にたどり着く前に友人を乗せた車は走り出した。 「工藤ーっ!」 車の後を追いかけようとした少年のつま先が何かを蹴った。 拾い上げて見るとそれは、アクアブルーの携帯電話だった。 「工藤のか?」 顔を上げるともう友人が乗せられた車はどこにも見えなかった。 くそおっ! 少年は悔しそうに唇を噛んだ。
その夜、ハデスはある男から直接仕事の依頼を受けていた。 場所はいつもの幼馴染みの店。 その男とは二年前に二度ほど会っただけの関係であったが、ちょっとした因縁もあってこうして会うことになった。 ハデスは仕事の依頼人と直接会うことは殆どない。 依頼はすべて仲介人である多岐が聞いて受けるかどうかを判断するのだ。 もっとも最終的に決めるのは実行するハデスであるが。 「どうだ、頼めないか?」 切羽詰った目を向ける相手に、ハデスはゆっくりと紫煙を吐き出した。 「あいにく、俺はボディガードじゃねえ。おまえの弟を守ってくれと言われてもな」 「本職のボディガードに頼もうとも思った。実際、日本行きの飛行機に乗り込むまでは、俺もボディガードの力を頼った。だが・・・」 数も力もヤツらの方が上だったのだと男は言う。 「まあ、実戦を潜り抜けたプロ相手じゃ一人や二人のボディガードじゃ間に合わねえな」 「けど、あんたなら!あんたなら奴らに負けない筈だ!」 二年前のフランクフルトで起こった銀行強盗。 男は運悪くその場に居合わせ、しかもその目でハデスの犯行を目撃した。 あの時、人質になっていた人々が求めたのは、自分たちを救ってくれる神の存在。 だが、結果的に彼らを救ったのは”悪魔”であった。 本当なら暗殺の現場を目撃した男は殺されても仕方ない状況であったのだが。 「おまえの依頼は一度受けてるはずだ」 「・・・ああ」 現場を目撃した男は、ハデスのその優れた腕に感嘆し、なんとその場で仕事を依頼したのだ。 相手は、何年も共に研究を続けてきていながら、完成させた途端仲間を殺し自分に罪をきせようとした研究所の責任者だった。 ハデスはどういう気まぐれを起こしたのか男の依頼を受け、その研究所の責任者を始末した。 その後のことはハデスには預かり知らぬことであるから、男が日本に戻るまでどうしていたかは興味はない。 「俺にそんなことを頼んで金を使うより、連中が手に入れたがっている研究データーを処分したらどうだ。そんなものがなければ、そいつらも狙っては来ないだろう」 駄目だ!と男は激しく首を振る。 「そんなことはできない!この研究データは多くの犠牲のもとに得られたものなんだ。しかも、人類の未来に大きく関る貴重なものだ」 「人類の未来に、ね」 ふ・・とハデスは鼻で笑う。 これ以上、人類に未来ってもんがいるのか。 国の諜報組織やテロリスト連中に目をつけられ狙われるような研究だ。 どうせろくなもんじゃない。 ふと、携帯が着信を知らせ男は上着のポケットから携帯電話を出した。 「アキラか?どうした?」 動揺しているような少年の声に、男の表情が険しくなる。 何かあったのか?まさか、奴らが弟のことに気づいて・・・! 『兄さん!工藤が攫われた!』 は?と男は目を瞠った。工藤って・・・・ 『工藤新一!オレの中学ん時の友達なんだ!あいつ、探偵としても有名なやつでさ、兄さんのこと相談しようと思って待ち合わせしてたんだ!そうしたら、おかしな連中に連れていかれて・・・』 おかしな連中・・・・まさか! 「おまえは無事なのか、アキラ!」 『オレは大丈夫だよ。でも工藤が・・・!』 「わかった。今どこにいるんだ?」 男は弟から今いる場所を聞き出すと通話を切り携帯をポケットに収めた。 「どうした」 奴らだ!と男は顔をしかめた。 「奴ら、やっぱり弟を人質にしようとしたらしい!」 「ふん・・で?無事だったのか」 「弟はな。だが、どうやら弟の友達を間違えて攫ったようだ」 「人違いか?えらくマヌケな連中だな」 「ああ・・たまたまその子の名前が弟と同じ”工藤”だったから」 工藤? ハデスは眉をひそめる。 「辰巳じゃねえのか?」 「弟は母が再婚してから生まれたんだ。辰巳は死んだ俺の父親の名だ」 「工藤・・・なんていうんだ?人違いされたってガキ」 「確か・・・工藤新一といってたな。とにかく弟に会って詳しい事情を聞いてみる」 そう言って辰巳が慌しく席を立つと、ハデスも灰皿に煙草を押し付け立ち上がった。 「俺も一緒に行こう」 え?と辰巳はびっくりする。 全く気乗りしない様子であったから、もう駄目だと諦めていたのだ。 「引き受けてくれるのか?」 「それはおまえの弟に会ってからだな。ただし、ボディガードの件は諦めろ。そいつは俺の仕事じゃねえ」 「じゃあ、いったい何を引き受けてくれると言うんだ?」 俺がやるべき仕事さ、とハデスはニヤリと笑った。
携帯で兄に連絡をとった工藤アキラは、不安な気持ちを抱えながら兄が来るのを待っていた。 本当は警察に連絡した方がいのかもしれない。 だが、警察にどう説明したらいいのか。 友人の工藤新一は日本警察の救世主とまで呼ばれるほど警察との繋がりが深い。 誘拐されたと聞けば、警視庁は全力をあげて彼を探すだろう。 だが、その誘拐の理由を聞かれた場合アキラには説明できなかった。 兄がどこかの組織に追われているらしいことは知っていた。 しかも警察内部にも組織に繋がった人間がいる可能性があるからと、兄は自分の身を守るのに警察を頼れないでいるのだ。 だから、友人が自分に間違われて誘拐されたとわかっていても、勝手に動くことはできなかった。 (無事でいてくれ、工藤・・!) と、ジーンズのポケットに入れていた携帯が大きく震え出した。 慌てて取り出しボタンを押す。 兄さん!今どこ!?と叫ぶと、かけてきた相手は驚いたように息を呑んだ。 アレ?とアキラは両手に握っている携帯電話を見て首を傾げた。 その時になって、アキラは取り出した携帯が自分のものでないことに気づく。 これはさっき拾った新一の携帯だ。 『誰、おまえ?』 当然相手は不審そうに尋ねる。 どことなく、工藤新一の声に似てる気がした。 まさか・・と思いつつアキラは相手に返事を返す。 「あ、ごめん。俺、工藤の友達でアキラっていうんだけど・・・・」 『新一の友達?それ、新一の携帯だろ?』 「う・・うん、そうなんだけど・・・・」 『新一はどこ?』 「工藤は・・・・」 アキラは少し迷ったが、工藤新一の知り合いらしい相手に事情を説明した。 電話の相手は黙ってアキラの説明を聞いている。 どこかのビルの屋上に立っているその人物は、金色の月を背に、白いマントを風になびかせていた。 ビルの下ではパトカーがけたたましいサイレンを鳴らしながら走り回っている。 彼はチラリと白いシルクハットの影から、近づいてくるヘリに向け視線を流した。 「ふうん・・・・」 新一の友人だという少年が、理由は話せないが自分に間違われて攫われたんだと悲痛な声で言うのを聞いて彼は瞳を細め頷いた。 「警察には言えねえんだよな?わかった。心配すんな。新一はオレが助け出すから」 え? 「新一を連れてった車種とナンバー、それに向かった方向さえわかってりゃ見つけるのはそうむつかしくねえよ」 でも、連中はとても危険な・・! アキラは止めようとしたが相手はさっさと通話を切ってしまった。 「あ、ちょっと!」 (な・・なんだ?いったい誰なんだ?) 新一の知り合いだということはわかる。 しかも声からして自分たちと同年代の少年だ。 助け出すって・・・いったいどうやって!? 大人の兄でさえ、そいつらから逃げているというのに。 そいつらは人を殺すことなどなんとも思わない連中だと兄は言っていた。 「アキラ!」 「兄さん!」 二人は互いの姿を見てホッとする。 「兄さん、工藤が・・・!」 「わかってる。何か覚えてることはあるか?」 「車種とナンバー、それに走り去った方向ならわかるよ」 「ほお〜?咄嗟にそれだけ見て覚えてれば優秀だぜ」 その声で少年は兄の後ろに立っていた男に気がついた。 長い黒髪を無造作に一つに束ねた、まだ若い男。 多分兄よりも若い。 長身でどこかひょろりとした細いイメージ。 だがその顔立ちは整っていて、なかなかの美青年だった。 「間違って連れていかれたのは”工藤新一”なんだな?」 え・・そう・・とアキラは何者か知れない男を見つめ頷いた。 「オッケー。その身の程知らずの始末は俺がつけよう」 「おい・・!」 辰巳は驚いたようにハデスを振り返る。 「ボディガードは俺の仕事じゃねえが、始末するのは俺の仕事だ」 それでいいか?とハデスが口端を上げて言う。 ああ、と男は頷く。 「それでいいが、弟に間違われて連れていかれた子も助けてくれるんだな?」 それが一番心配だったが、ハデスはフッと笑って首をすくめただけだった。 「車種とナンバーだけで本当に探し出せるの?さっきの奴もそれで十分みたいなこと言ってたけど・・・」 「さっきの奴?」 ハデスは、なんだ?という風に少年を見る。 「実は工藤が落とした携帯電話にかかってきたんだ。知り合いみたいだったけど・・・そいつが何故オレが工藤の携帯を持ってるか聞いたから事情を言うと、自分が助け出すから心配するなって」 「なんだって?」 辰巳は驚いて弟を見つめる。 だが、ハデスの方はそれを聞いて、ああと喉を鳴らして笑った。 「そういや、今夜は月が綺麗だな」 空を見上げたハデスは何故かクッククと笑い続けた。
意識を取り戻した途端、新一は男たちの口調から自分が人違いされたことを知った。 てっきり、自分を狙う組織か、又は関った事件の関係者かとも思ったのだが。 (アキラがオレに相談したいって言ってたのはこいつらのことか) 偶然同じ電車に乗り合わせた中学の時の同級生。 一緒にサッカーもして、わりと気の合う奴だった。 たまたま同じ工藤だったので、部の連中は区別するためにそいつのことは名前で呼んでいた。 新一が名前で呼ばれなかったのは、蘭に遠慮したという話もあったがホントのことはわからない。 まあ、ずっと新一は名字で呼ばれてきたし、途中転入してきたのがあいつだったからそうなったのだろうが。 父親の違う兄が最近帰国してきたが、何かおかしな連中に狙われているんだ、と会った時そいつは新一に言った。 よくわからないが、兄の研究を狙っている連中がいるのだと。 新一は詳しい話を聞くために、日を改めあの場所で待ち合わせる約束をした。 それで、コレだってことは、問題はかなり深刻だったというわけだなと新一は思う。 いったい、あいつの兄は何を研究してたんだ? どう見ても、こいつらは産業スパイという感じじゃないぞ。 「さあ、おまえの兄貴に電話してもらおうか」 「・・・・・・」 新一は両手を前で手錠をかけられ椅子に座らされていた。 窓がなく、どこかの廃ビルの地下室という感じの部屋の中にいるのは、新一と屈強な体格をした三人の男。 一人は新一に声をかけてきた若い男だ。 拘束は手錠のみ。 まあ、華奢な少年一人の抵抗など頭から問題にもしてないのだろう。 だが新一にとっては手錠一つなどなんの障害にもならない。 それだけの訓練も受けてきたし、実戦も経験してきている。 (けど、こいつらもプロっぽいしなあ) 覚めたといっても、まだ薬が完全に消えたわけでなく、身体の痺れが少し残っている。 こいつらを相手にするなら、痺れが抜けるまで時間稼ぎする必要があった。 「おまえら、いったい何を手に入れたいんだ?」 新一が聞くと、携帯電話を持っていた男が太い眉を上げた。 「おまえの兄から聞いてないのか」 何も、と新一が首を振ると男はフッと笑った。 「まあ、いくら自分の弟でもガキに話せることじゃねえな。知らねえ方が身のためだぜ、坊や」 「・・・・・・・」 さあ、電話しろ!と男は新一の手にぐっと携帯電話を押し付けた。 (電話しろと言われてもなあ・・・・) 新一はアキラの兄の携帯番号を知らない。 まあ、知っててもかけるつもりはないが。 どうするかなあ・・・・ 「おい。強情は張らない方が身のためだぞ。痛い目にあいたくはないだろう」 う〜ん・・・ 一つ二つ殴られても時間稼ぎのために耐えるか。 しかし、こんなマッチョな奴に殴られたらかなりのダメージを受けそうだな、と新一は溜息を漏らす。 新一がここから逃げるタイミングをはかっていると、突然轟音と共に部屋が振動した。 強い衝撃で壁にヒビが入り、天井からはパラパラと崩れたコンクリートの細かい欠片が落ちてくる。 「なんだ!?」 いきなりの爆発音に扉近くに立っていた男が急いで扉を開けた。 だが男は扉を開けて外に出ようとした途端殴り飛ばされ、部屋の中に転がった。 ふいを突かれたとはいえ、190近い男を一発で殴り倒した相手に、残った二人の男は緊張する。 何者だ!? 「新ちゃん、無事?」 どこかのんびりしたような少年の声に、男たちは虚をつかれる。 快斗・・・・! 新一はスッと椅子から立ち上がると、背を向けていた若い男の足を力まかせに蹴り飛ばす。 「・・・・・・!」 ふいうちを受けた男は、体を支える余裕もなく固いコンクリートの床の上に思いっきり転倒した。 ぐわっと声を上げてひっくり返った男を飛び越えて新一は外へ出ようと走り出す。 「待て!」 残った男が、すかさず新一の腕を捕まえるが、その手をさらに扉の外から伸びてきた手が掴む。 まるで万力で締め上げられるような強い力で握り締められた男の手首が軋みを上げた。 信じられない怪力に顔をしかめた男は、その手の持ち主を見た途端驚きに目を瞠る。 手首を掴む手が、それほど大きくないのを見て眉をひそめた男だったが。 それも通り。 その手の持ち主は今自分が捕まえている少年と殆ど変わらない年頃の子供だったのだ。 しかも、迷彩柄のシャツにカーキ色のズボンという少年のその顔は、自分たちが誘拐してきた少年とそっくりだった。 だが、まだあどけなさをのこした少年の瞳には、実戦を潜り抜けてきた男をも戦慄させる冷ややかさが浮かんでいた。 「あんたさ、誘拐するならちゃんと相手を確かめてしろよな。一応プロの兵隊なんだろ?」 「なんだと・・っ!」 少年の言葉に驚きの声を上げる男は、次に捕まれた手首が鈍い音と共に骨を砕かれるに至って悲鳴に変わった。 鍛え抜かれているはずが、自分の半分もない華奢な少年によって手首を握りつぶされたのだ。 その驚きはすぐに恐怖に変わる。 少年は青紫に光る瞳で、潰された手首を押さえてうずくまる男を見下ろした。 「・・・・・・・」 これは子供が持つ瞳ではない・・・・なんなんだ? 行こう、と快斗は新一を男から離すと肩を抱くようにして階段の方へと歩いていった。 「まっ、待て!」 新一に蹴倒された男がようやく立ち直り銃を握って後を追おうとしたが、扉から出る前に額に冷たい銃口を押し当てられ、男はその場に固まった。 少年たちが立ち去った後、現れたのはもう一人の悪魔。 「間違ったとはいえ、攫った人間が悪かったな」 ”工藤新一”でなければ、俺がこうして出向くこともなかったんだがなあ。 黒い髪の悪魔はそう口端を引き上げて笑うと、躊躇うことなく冷酷にトリガーを引いた。 ハデスのサイレンサーつきの銃からは小さな音しか出ず、当然地下から出た新一の耳に銃声が聞こえることはなかった。
「工藤!」 アキラはタクシーから降りてきた工藤新一の無事な姿を見て、ようやくホッと息をついた。 相談など持ちかけたばかりに自分に間違われ攫われてしまった彼に万一のことがあったら、どう償っていいのかわからない。 兄はあの男にまかせておけば大丈夫だと言ったが。 (ホントに無事だったんだ・・) 良かった〜〜 三十分ほど前にアキラが持っていた新一の携帯電話に、彼自身から無事だという知らせが入った時は心にのしかかっていた重圧が消え一気に力が抜けた気がした。 「ごめん、工藤!本当に迷惑かけちまって・・・どう謝っていいかわかんねえよ」 すぐに新一の方へ駆け寄り頭を下げるアキラに、新一は微笑んだ。 「いいって。オレはこうして無事だったんだしさ」 それに話を聞きたいって言ったのはオレの方なんだし、と新一は肩をすくめてアキラを慰めた。 「気にすることねえって。それより、おまえの兄さんは?」 あ、と振り返るとアキラの兄、辰巳修一がすぐ後ろまで来ていた。 「アキラの兄です。本当に迷惑をかけてしまって申し訳ない。怪我はないですか?」 ええ、大丈夫ですと新一は頷くと辰巳修一に向け右手を伸ばした。 「初めまして。工藤新一です」 海外生活が長い辰巳は、すんなりと少年と握手を交わした。 この少年が・・・と辰巳はちょっと意外そうに目を瞠る。 弟のアキラから、工藤新一という少年は迷宮入りしそうな難事件を次々と解決し、今では日本警察の救世主とまで言われているのだと聞いた。 だがはっきり言って、今も半信半疑である。 警視庁が、いくら優秀とはいえ一高校生を捜査に加えるということが信じられなかった。 目の前の少年は弟と同い年で、しかも見た限り華奢で綺麗な顔は探偵というよりもモデルか芸能人のようだ。 弟と一緒に中学時代サッカーをやっていたとはとても思えない。 「お話を伺えますか?あの連中はどう見てもプロ。それも、かなりヤバイ。そういう連中に狙われる理由はいったいなんなのです?」 「・・・・・」 辰巳はいくら名探偵とはいえ、こんな子供に話していいものだろうかと迷った。だが。 「兄さん、工藤に話してくれよ」 オレも知りたい、とアキラが言うと辰巳は仕方ないという風に溜息をつき頷いた。
彼らは地下駐車場に止めてあった辰巳の車の中で話をした。 「俺のチームが研究していたのは人の記憶の保存だ。人間の脳に記憶された膨大なデータをコンピュータに移しとり保存しておく。そうすれば、たとえばなんらかの原因で記憶を失っても保存されたその人間の記憶を上書きすることでもとに戻すことができる」 他にも失ってはならない貴重な遺産も残しておくことができる。 ほんとにそんなことが出来るの!とアキラは信じられないというように目を丸くした。 マンガやSF小説などでそういう話を読んだことはあるが、現実にそれを行えるなんて考えてもみなかった。 まるでタイムマシンや鉄腕アトムが実際に作られたようなものだ。 しかし、考えてみれば百年前には人間が月に下り立つことなんて空想の中でしかなかったものだ。 「本来は記憶障害の治療のために始められた研究だった。だが、この研究のスポンサーだった人物には別の目的があったんだ」 「その人物というのは誰です?」 「研究の趣旨に賛同してくれたアメリカの富豪だというだけしか知らされてなかった。俺も他の研究員も研究が続けられればそれで良かったから気にしなかったんだが・・・」 それが最初からずっと一緒に研究してきた仲間の一人が、不審な人物の存在に気づき彼に研究データを預けたのだという。 その後、彼にデータを預けた研究員は殺され、自分が殺人犯として追われることになった。 「弁護士をしている友人の協力でなんとか疑いを晴らすことが出来たが、その後もずっと正体の知れない連中に追われている」 「連中はあなたが持っている研究データを狙っているんですね」 「・・・そうだ」 「研究は実用可能なまでになっていたんですか?」 「ほぼ実用可能だった」 「では、実際に誰かの記憶データを保存したのですね?」 ああ、と辰巳修一は頷く。 「研究員の誰かですか?」 「いや、研究チームに加わっていた人物ではないが、この研究の発案者でもあるドクターが連れてきた三人が実験に参加してくれたんだ」 「彼らの名前は?」 「わからない。名前は聞かなかった」 「じゃあ、保存した彼らの記憶データはどうなってます?」 「それもわからない。多分彼らを連れてきたドクターが持っていったのだと思うが」 そういえば・・・と今思い出したというように彼は口を開いた。 「確か一番若い感じの男のことをドクターが”レイジくん”と呼んでいた」 レイジ・・・・・ 新一は眉をひそめた。 「わかりました。ではここへ連絡してみて下さい。彼なら、あなたにとって一番いい解決法を示してくれると思います」 新一はそう言うと上着のポケットから一枚のメモを出し、隣の運転席に座る辰巳に渡した。 そのメモには電話番号だけが記されていた。 辰巳はそのメモをじっと見つめる。 書かれた電話番号は日本のものではない。 「誰なんだ?」 「警察関係者でも弁護士でもありませんが、今、あなたの置かれている状況において最も信頼できる人物ですよ」 じゃ、と新一は助手席のドアを開けた。 「ありがとう、工藤」 後部に座っていたアキラが感謝の言葉を口にすると、新一は彼に向けてニコリと笑った。 「ああ、そうだ。一つだけあなたに忠告しておきます。あの男にはもう二度と会わない方がいいですよ。今回あの男が動いたのはあなたのためじゃなく、自分のためだ。この先、不利益になると判断すれば、あの男はためらわずあなたを排除しようとするかもしれない」 「君は・・・彼のことを知ってるのかっ?」 驚いた顔で見つめてくる辰巳に、新一はふっと笑った。 気をつけて下さい、と新一はそれだけ言ってドアを閉め、兄弟が乗っている車から離れていった。
地下室から阿笠邸へ入った彼は、明かりの消えたリビングを抜け静かに階段を上っていった。 そして二階の部屋のドアを軽くノックして開けた。 「あら、お早いお帰りね。てっきり朝になるかと思ったわ」 入ってきた人物に皮肉めいた視線を向ける少女に、彼は首をすくめて苦笑する。 「やだなあ。早めに帰るって言ったじゃない」 そうだったかしら、と少女はあくまで冷ややかだ。 「じゃあ、後は頼むわね。わたしはもう寝るわ」 少女、灰原哀はそう言うと小さく欠伸をもらし部屋を出ていった。 「サンキューね、哀ちゃんv」 哀が出て行くと、今度はベッドに横になっている人物の冷たい視線を受け、またまた彼は苦笑した。 「具合どう、新一?」 ベッドの端に座って自分を見下ろす相手に、新一は不機嫌な眼差しを向ける。 「おまえ、灰原にオレを見張らせてどこへ行ってやがった?」 ちょっとね、と快斗はキュッと肩をすくめた。 「だって哀ちゃんが、使われた薬がわからないから抜けたとしてもどんな副作用が起こるかわからないって気になること言うんだもん」 実際、あの廃ビルから助けだした後、新一は眠ってしまったのだ。 「呼んでも揺すっても起きないしさ。心配で哀ちゃんに連絡したらそう言われるし」 でも、どうやら薬は完全に効果をなくし、副作用の恐れもなさそうだった。 「新一の友達の兄さんから話聞いてきた」 新一は目の前にある快斗の顔を睨みつける。 「またオレの振りして行ったな、快斗」 「んー、だって、やっぱり黒羽快斗の姿じゃマズイじゃん?狙われてる彼の研究については後で話すけど、一応優作さんの連絡先を教えといた」 「父さんの?」 「こういうことは、あの人が一番頼りになるでしょ?優作さんには先に連絡入れといたから、きっとうまくやってくれるよ」 「快斗・・・・」 「新一は関らない方がいいよ」 「・・・・・・」 黙り込んだ新一に、快斗はクスッと笑うとゆっくりと彼の上に身体を倒した。 不機嫌さを表している目もとにキスを落とし、それからむっつりしている唇に触れ、そして深く重ねあわせる。 閉じた唇を舌の先で割って、その奥にある柔らかな彼の舌を絡めとる。 「新一・・・・・」 耳元で名前を囁かれた新一は、ゾクリと身体を震わせた。 思わず手で押しのけようとするが、すぐにシーツの上に押さえつけられた。 キッドの仕事をこなした後はいつも身体が熱くなって興奮状態が続く。 そこへ新一が攫われたと知り、すぐに助けに走った快斗だった。 新一は気がつかなかったようだが、あの場にはハデスも来ていたのだ。 「んっ・・・・」 激しくなる口付けに、新一の口から小さな呻きが漏れる。 もうキスだけで収まらないことは新一にもわかっていた。 快斗・・・・ シャツのボタンが外され、快斗の熱い手が素肌に触れてくると、新一も先を促すように手を伸ばし快斗の頭を抱えた。 そうして何処までも深く繋ぎあおうと、彼らは長くキスを交し合った。
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