act 11
+++ このお話は、V〜矢車菊の青〜 の後日談にあたります。+++
死闘はすでに始まっていた。 闇の中で交錯するのは、二つの黒い影。
その影の一つ。 青い目をしたその殺人鬼は、見る者すべてがすくみそうな形相でにやりと笑っている。 銀のナイフを持つ左手を、頭上高くに振り上げ、そして空気を叩き潰す勢いで振り下ろした。 空気が鳴る。 闇を切り裂く剣のように、ナイフは真っ直ぐにキッドへと向かっていた。
そのビスク・ドールの攻撃を、キッドは察知する余裕があった。 ナイフの速度と、自分の反応速度を計算にいれ、ナイフが届く寸前にかたわらの石柱の影へ入る。 それだけでは防ぎ切れないだろう攻撃の余波を予想して、両手で顔をカバーした。 だが、ビスク・ドールの攻撃はキッドには届かなかった。 キッドは柱から身を乗り出すと、ナイフがその柱を僅かに削ったあとを発見した。 どうやら、それでナイフの起動がズレたらしい。
「ラッキー。」 ぼそりとうれしそうでもなく呟き、2撃目が訪れる前にキッドは、細い隙間に身を隠した。 相変わらず、体に残る毒が体を蝕んでいる。 冷や汗が伝うその頬は、お世辞にも顔色がいいとは言えなかった。 床に刺さるいくつものナイフには目もくれず、キッドは背後にあるゴージャスなベットを振り返った。 「・・・・ひと眠りしたいなぁ。」 のんきにもそう言う。 体調不良からして、横になりたいというのは心底本音だったかもしれないが、この状況でそんなことを言えるとは、まったくふざけているとしか言いようが無い。
「いつまで、隠れているつもりだ?」 部屋の明かりはなくとも、窓から差し込む月明かりが、その人物を照らしていた。 キッドは柱と壁の隙間に体を預けたままの体勢で、その声の方に意識だけ集中する。 胸元には、トランプ銃を構えていた。
「オレと決着をつけるために、ここへ来たんだろう?キッド。出て来いよ?」 「・・・まぁ、そうなんだけどね。」
キッドがそう言った瞬間、即座にナイフがビスク・ドールの手から放たれる。 ナイフはまるで意志でも持つかのように、キッドが身を隠していたその場所へ忍び込んだ。 壁にナイフが突き刺さる。 キッドが床を蹴るのが少しでも遅かったとしたら、今頃串刺しだっただろう。 白いマントが闇いっぱいに拡がって、キッドは再びビスク・ドールの前に姿を見せた。
「さすがだな。オレのナイフをここまでかわせるとは。やはりお前は、どこか並外れたところがある。これから先、ますます楽しみだ。」 「先はないよ。」 キッドはのんびりと言うと、赤い唇が笑った。 「なぜだ?ここで死ぬつもりか?」 「冗談!」 やや不満そうに唇を尖らしたキッドを、ビスク・ドールはバカにしたように見返した。 「名探偵にも言っておいた筈だが。お前達が生き延びるためには、大人しくオレについてくるしか道はない。さもなければ、待っているのは死だけだ。」 蛇のようにその目が光るのを、キッドは何も言わずに見据えていた。
「どちらもイヤか?なら、道は一つだ。お前がこのオレを殺すしかない。ああ、それとも。相変わらず、コロシはできないとか、まだ甘いことを言うつもりか?」 ビスク・ドールは、手の中にある銀のナイフを器用に回しながら笑う。 「オレ一人殺す気でやれないで、どうやってあの組織に対抗するつもりなんだ? 復讐するつもりなんだろう?奴らに。」 赤い目が細められた。 キッドは、眉間に僅かにしわを寄せるだけで、やはり何も言葉を発しなかった。
やがて、キッドはそのシルクハットのつばをぐっと下げると、ようやく口を開く。 押し殺したような声だった。 「───その点について、お前と議論するつもりはない。」
赤い唇が斜めに吊りあがった。
「なるほど?ま、お前が復讐できようができまいが、オレにはどうでもいいことだ。」 「どうでもいいなら、放っておいてもらおう。本題から逸れてるぞ。」 「そうでもない。お前がここで死のうがどうしようが、それもどうでもいいのだからな。」
言われて、キッドはポカンと口を開ける。 呆れて物が言えない。 散々、人に執着しておいて見せながら、どうでもいいとはずいぶんな言い草である。
「・・・お前、どうでもいいくせに、今までオレにチョッカイを出してきたワケ?」 「単なるヒマ潰しだな。」 「・・・・・・・もう少しマシなヒマの潰し方を考えてくれると助かるんだけどね。迷惑だ。」 腕組みし頷いた上で、キッドは目の前の殺人鬼を斜めに見上げた。
ビスク・ドールはキッドの言葉に声を上げて笑う。 暗闇の中で、不気味な笑い声だけが響いていた。
ドアノブに手をかける。 鍵はかかっていなかった。 ドアの向こうに広がる新たな闇を、オレはごくりと生唾を呑んで見据えた。
オレに背を向けるようにして立つ、一つの影。 月の薄明かりが、その人物の金の髪を眩しく照らしていた。
・・・・・ビスク・ドールっっ!
そして。 ビスク・ドールからそう大して距離の離れていないところの壁に、だるそうに体を預けている白い怪盗の姿がオレの目に映った。
薄闇で、キッドがどんな状態なのかよくわからない。 もしかして、動けないようなケガをしているのかも。 そうだ。 アイツ、もともと調子が良くねーし!
「・・・キッドっっ!!」 思わず声を上げ、ヤツのもとへ近づこうとしたところで、オレの足は足元に刺さったナイフを前に踏みとどまった。 ゆっくりと、ビスク・ドールがオレを振り返る。 何度見ても見慣れないゾッとするような青い瞳が、オレを映していた。
「よく来たな、名探偵。遅かったじゃないか。」 「・・・・ここへ来るまでいろいろとあったんでね。」 「へぇ?それで?決心はついたか?大人しくオレについてくるか、それともここで死ぬか。まさかここまで来て、むざむざ殺されに来たとでも言うつもりか?」 赤い舌がチロリと動く。 ビスク・ドールは銀のナイフを翳し、オレを見据えていた。 ヤツの背後に立つキッドは、肩で息をしたままだ。
オレは、無言のまま銃を構える。 銃口を真っ直ぐビスク・ドールへと向けて。 すると、赤い唇が笑いを象った。 「・・・・・・答えは“イエス”か。」
間髪入れずに、オレをナイフが襲う。 転がるようにしてそれらを避けながら、オレはキッドの居る方へ回り込んだ。
「おい、キッド!」 「・・・よぉ、名探偵。」 間近で見たキッドの姿は、多少なりとも切り刻まれた跡があったものの、そう酷いケガはなさそうだった。 表情はいつもどおり人を喰った笑いで。 月明かりしかない部屋では、ヤツの顔色までは窺い知ることはできなかった。
「大丈夫なのか?」 「・・・ああ、コレ?別に、そんなにザックリやられたわけでもないし。」 キッドは僅かに血の滲んだスーツを見下ろすと、能天気に笑った。 そのキッドの顔が白いのは、単に月に照らされているからだけではないに違いない。 「お前、体調は?」 「・・・うーん。そりゃ良くはないけどね。とりあえず、そうも言ってられないだろう?」
確かにそうだが。 まぁ、コイツの場合、万一本当にダメでも絶対そうは言わねーだろうな・・・
キッドはトランプ銃のカードの残りを確認していた。 オレも銃のグリップを持つ手に力を込めた。 「動けるなら問題ない。」 「今のところはな。ただ、長期戦はヤバいかも。」 おちゃらけて、キッドは笑う。 だが、キッドの台詞はウソではないだろう。
「───さて。名探偵は、あの厄介な殺人鬼に対してどうやるつもりかな?」 シルクハットのつばをちょっと下げて、キッドはオレに訊ねてきた。 オレは視線だけ、キッドに向ける。 「別にオレは・・・・・。アイツを監獄にさえぶち込めれば、それでいい。」 「・・・というと、もしかして警察を呼んでくれているとか?」 「ああ、もちろん。だが、それだけじゃないぜ?ヤツを追ってFBIまでここへ来てる。」 「それはそれは。にぎやかになりそうだ。けど、アイツが捕まる保証はどこにもない。仮に捕まってくれたとしても、オレ達を諦めてくれるとは限らないが?」 「弱音を吐くなら、ホテルに帰ってカジノでもしてろよ?」 「この件を片付けてから、仰せに従うよ。」 ぺろっと舌を出しながら、間延びした口調でキッドは言った。
その時。 オレ達の会話に割って入るように、ナイフが飛んできた。 お互いに目だけで合図し、飛び退く。
オレは、再び銃を握る手に、力を込めたのだった。
「・・・・ぐっ・・っ!」 唸るような声を上げて、オレの体はそのまま壁まで吹っ飛んだ。 ビスク・ドールに蹴りを食らわせてやるつもりが、蹴り負けて、反対に鋭い一撃を腹にもらってしまったのだ。 ・・・・くそ。 腹を抱えるようにして、オレはヤツを睨みつけた。 しゃがみこんでるオレの代わりに、キッドが前線に出て攻撃を始めている。
悪いが、相手がビスク・ドールに限っての場合。 2対1でも、オレには良心の呵責なんてない。 これは、ルールのない命がけのケンカだ。
───にしても。 やっぱり、キッドの動きが鈍い。 アイツの言うとおり、やっぱり長期戦はヤバイな。
オレは、僅かに血の滴った傷へ手を添えると、立ち上がる。 と、飛ぶようにしながら、ナイフを避けていたキッドが、ちょうど、オレの前に舞い降りた。 そして着地と同時に、すぐ横にあった椅子を掴むと、キッドはそのまま窓へ向かってその椅子を投げた。 オレが椅子の行方を目で追う間もなく、それは大きな一枚のガラス板を割った。 瞬間、派手な音が部屋に鳴り響き、ガラスの破片が月光を綺麗に反射しながら、飛び散る。
その一瞬。 破片が、ビスク・ドールを襲うその時を、キッドは狙っていたらしい。 ヤツは掌に持っていた何かを床に叩きつける。 すると、今度は闇が目を覆うばかりの閃光に包まれた。
その白い光の中、キッドは果敢にもビスク・ドールに突っ込んでいく。 二つの影が交錯したのを、オレは見たような気がしたが、それ以上は目を開けていられなかった。
そして。
再び視界が回復した時、目の前に立っていたビスク・ドールの白い肌に赤い線が一筋入っていた。 オレの横には、キッドが立っていた。 右手のシルクの手袋が真っ赤に濡れている。 それもそのはず。 キッドは右手で、ナイフの刃を握り締めていた。 ・・・避け切れなかったナイフを掴んだのか!
「・・・・キッドっ!」 「ちぇ。今のは結構、本気だったんだけどね。」 血まみれのナイフを捨てて、キッドが苦笑する。 と、目の前のビスク・ドールも頬を伝う血を拭って、笑って見せた。 「・・・惜しかったな。さて、遊びは終わりだ。」
青い目がスッと細められた。 ヤツの纏っている殺人鬼のオーラが、一層高まる気がした。
・・・・くそっ!! 警察もFBIもまだ来ない。 ここは、もう少しだけ何とか踏ん張るしかないが───。
「キッド・・・・。」 オレは隣の怪盗を見る。 さっきから、ずっと戦い通しで体力もかなり消費しているはず。 ・・・コイツ、まだ、大丈夫か?
と、突然、何の前触れもなく、白いそのマントが闇に揺らめいた。
・・・・え?
風もないのに、揺れたマント。 いや、揺らめいたのはマントだけじゃない。キッドの体もだった。
オレのすぐ横に立っていたはずの、ヤツの体が。 そのままゆっくりと崩れるように、床に沈みこむ。
「───キッドっっ!!」 思わず叫んで、その体を抱き起こしたその時。 触れたヤツの肌のあまりの冷たさに、オレは驚いた。 氷のようだった。
「・・・・おいっ!」
やっぱり毒が! 当たり前だ。 ろくに治療もしないで、毒を中和できるわけがない。
無理しやがって!! ・・・のヤロウ!! ちっとも“大丈夫”なんかじゃねーだろうがっっ!! 堅く目を閉じたキッドに、オレは唇を噛んだ。
「やれやれ。これからって時に、キッドはダウンか。さて、名探偵、どうする?」 背後で笑うビスク・ドールの不気味な声がした。 オレは、ヤツを振り返った。
「ここでキッド共々死ぬか、それとも───。」
ゆっくりとビスク・ドールがナイフを構える。 オレは、いったんは抱き起こしたキッドの体を床に寝かせると、片膝をついた姿勢のまま、キッドを背にしてビスク・ドールを見据えた。 ガラス玉のような瞳が、愉しそうにオレを映している。 オレは、痛いくらいに銃を強く握り締めていた。
───どうする?! ヤツは、本気でオレ達を殺る気だ。 まさか、この状態でキッドかついで逃げるなんて、できない。 かと言って、キッドをこのままに戦いを続行したところで、ヤツがキッドに手を出さないなんて保証はどこにもない。 ましてや、オレとこの殺人鬼じゃ───。 悔しいが、どっちが有利かなんて、わかりきっている。 どうしたらいいっっ?!!
オレは、唇を噛み締めながら肩越しに倒れたままのキッドを見つめる。 堅く閉じた瞼はぴくりともしていなかった。
・・・・・いや。 答えはとっくに出ている・・・・か。
───今、ここで。 見す見す、コイツを殺されるわけにもいかないからな。 オレは、苦笑した。
銃を持つ右手の力を抜いた。 ゴトリという音を立てて銃が床に落ちた時、ビスク・ドールは僅かに目を見開いた。
「どうした?降参か?」 「───ああ。不本意だけど、仕方ねーな。」 オレは不敵に笑って見せた。 と、ビスク・ドールも目を細めて、僅かに微笑む。 「・・・いい判断だ。そうやって、せいぜい長生きするがいい。」
「だが、条件がある。」 「何だ?」
「・・・お前の言うとおり、大人しくついて行ってやる。だから、この場はとりあえず、オレだけで我慢しろ。」
オレは、ビスク・ドールを真っ直ぐに見つめて、そう言ったのだった。
To be continued |
2004.06.27
先週、UPする予定だった話。
そして、ついでにいうと最終回まで全部書ききるつもりだった話。
・・・・何やってんだか、自分。
そうか・・・暇つぶしで狙われていたのか。
確かに迷惑ですよねえ、キッドも新ちゃんも。
二度と会いたくない相手筆頭でしょう、ビスクドールは。
そしてやっと合流した二人。しかし目の前には強敵が!
まさにクライマックスというとこが嬉しい〜〜v
麻希利