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地蔵菩薩(じぞうぼさつ)の願い
子児(こども)たちの死と母の願い      淡路 宏

地蔵菩薩(じぞうぼさつ)は、もともと庶民的(しょみんてき)な仏様である。大伽藍(だいがらん)の奥深く鎮座(ちんざ)ましますことはめったにない。一間四方位(いっけんしほうくらい)の粗末(そまつ)なお堂(どう)の中に祀(まつ)られていたり、あるいはお堂なしに路傍(ろぼう)にそのまま立っておられる。親しみやすく、近付きやすい仏様である。

 この石のお地蔵様(おじぞうさま)のまわりには、いくつもの小石が積み重ねられ、並べられていることがある。我々の子どもの頃は、よくこうしたお地蔵様があちこちに見られた。お地蔵様のまわりに、どうして小石を積み上げるのであろうか。そこには、我が子を失った母親の嘆(なげ)きと悲しみが秘められている。中世(ちゅうせい)にできた『賽(さい)の河原和讃(かわらわさん)』というのがあるが、これによると、子どもが母胎(ぼたい)に宿(やど)ってから産(う)まれるまでに、母親の受ける苦痛は計り知れないという。

 もし子どもが幼少のままで死ぬならば、この母親の恩に報いないで死ぬことになる。また、自殺などすれば、母親が苦労して産んでくれた恩に報えないことになる。そのため、その報いとして賽(さい)の河原(かわら)に連れて行かれ、そこで数々の呵責(かしゃく)を受けるという。子ども達は、小石を積んで塔(とう)を作り、その功徳(くどく)によって救われようとする。

 そのためになれない手つきで、昼夜四六時中(ちゅうやしろくじちゅう)に大石小石(おおいしこいし)を運ぶのである。しかし、地獄(じごく)の獄卒(ごくそつ)が出てきて、子どもを責(せ)めるという。『賽(さい)の河原和讃(かわらわさん)』には、鬼(おに)が「幼(おさな)きもののそばに寄り、やれ汝(なんじ)らは何をする。娑婆(しゃば)とおもおて甘えるな。ここは冥途(めいど)の旅なるど。」と言って、子ども達を脅(おびや)かし、「必ず我を忘れるな」と黒金(くろがね)の棒を振り回し、「積んだる塔を押し崩(くず)し、持ちたる花を奪(うば)い取る。またも積めよと責めければ、幼児はあまりの悲しさに、紅葉(もみじ)のような手をあわせ、許したまえと伏(ふ)しおがむ。」などと述べている。このとき、子どもを衣(ころも)の袖(そで)にかくまって、鬼から子どもを守って下さるのが六道能化(りくどうのうか)のお地蔵様であると信じられている。

 この信仰は、仏教が日本に来てからできたもののようであるが、しかし子どもを産む苦痛を実際に味わった母親にとっては、子どもが幼くて死んだ場合、子どもが死んでからどこへ行ったかと思って、その行方が気に掛かり、もし賽の河原で迷っているならば、子どもを助けて石の塔を積んでやりたいと願うのは、無理のないことであろう。この母親の悲しみが、お地蔵様のまわりに、小石積み上げる風習になったのであろう。

 昔は医学が幼稚であったから、小児(こども)のまま死ぬことが多かったのである。そのために、子を失う悲しみを味わう母親が多かった。現在では医学の進歩によって、子どもが病気で死ぬことは少なくなった。が、他面では、交通戦争といわれるように、交通事故で亡くなったり、心ない大人の虐待(ぎゃくたい)などで命を落とす幼児が多くなっている。踏切などに、お地蔵様が立てられているのが目に付く。何時(いつ)の時代にも、母親の嘆きは変わらないのであるが、こういうお地蔵様の信仰はには、悲しみの中にも母親の愛情の美しさが感じられて、人々の共感をそそるものがあるのでは・・・、と私は思います。

(参考資料) 「生活の中の仏教」平川 彰 著  

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