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    ぎ  おん ご ず  てんのう  えんぎ
『祇園牛頭天王縁起


茅輪(ちわ)の由来(ゆらい)

                         平成(04)16年12月17日
                            (記) 淡  路   宏


 龍神(りゅうじん)と牛頭天王(ごずてんのう)

 ソシモリは新羅海人の崇拝した聖なる山で、『日本書記』に記すソシモリだとする高霊の加耶山(かやさん:韓国慶尚北道と慶尚南道の堺にある洛東江上流にある)のほかにも、ソシモリだと呼ばれる山は多島海岸地帯に存在したようだ。

 ソシモリは龍神信仰と重なって、インド南部から伝播し、新羅海人に信仰された山である。

 島根の出雲でのスサノオノのヤマタノオロチ退治は、日本神話のハイライトだが、「かくれ里伝説に龍神信仰がからんだものが母体となり、それに後世にいたって鉄器文化の発生談を結びつけて考えられるようになったもので、強いていえば、このような話を全国に広めたのは砂鉄や燃料を求めて放浪の旅を続けた金属集団・タタラ師や鍛冶師、鋳物師などの一行だったのであろう」と『鉄の考古学』を書かれた窪田蔵郎氏が記されている。

 南朝鮮〜九州島〜紀伊熊野と渡り移った新羅海人(倭国ではイズモ族となる)の二面性でもある。ソシモリをごとうさん牛頭山(ごずさん)と呼ぶのはスサノオを牛頭天王(ごずてんのう)の垂迹(すいじゃく)としているからだ。

 牛頭天王は、インドにおける大乗仏教運動の中で仏教に取り込まれて祇園精舎(きおんしょうじゃ)の守護神ということにされてしまったが、もともとはインド北方の九相国(きゅうそうくに)の土地神だった。

 牛頭天王は、京都・八坂神社の祭神で、平安時代に疫病退治に魔神的な霊力をもつとして信仰を集めた神である。神仏習合で牛頭天王はスサノオの垂迹ということになっている。八坂神社に伝わる『祇園牛頭天王縁起(ぎおんごずてんのうえんぎ)』や「大和の安居院(あんごいん)」(我が国最初の寺院である飛鳥寺の本尊・飛鳥大仏をその地で守る寺)に伝わる『神道集』の中の『蘇民将来伝説』が牛頭天王の由来を詳しく述べている。


 『備後の国風土記』(「風土記」は記・紀と同じく八世紀の文献)の逸文で、
鎌倉時代に作られた
『釈日本紀』に引用されている「疫隈社の由来」では

”疫隈社は昔、北海に坐した武塔神(牛頭天王)が南の海の女神に求婚しようと旅に出たとき、日が暮れたので蘇民将来(そみんしょうらい)と巨旦将来の二人の兄弟のところへ行って宿を借りようとした。兄の蘇民将来は貧しかったが、弟の巨旦将来の方は裕福で借家を百戸も持っているほどだった。そこで武塔神は、先ず弟の方へ行って宿を乞うたが、巨旦は断った。兄のところへ行くと「どうぞ、どうぞ」と言って歓待してくれた。彼は貧しかったため粟の柄(茎の藁)で座をつくり、粟飯でもてなすことしかできなかった。この後、年を経て武塔神は八柱の御子を連れて帰って来て、蘇民将来を訪れ「以前の行為に応えたい。汝の子孫は家にいるか」とたずねた。将来は「自分には妻と娘がいます」と答えると、「茅草で輪を形取ったものをつくり、それを自分の家族全員の腰の上につけさせよ。」と言った。将来がその通りにすると、茅輪をつけた将来一家を除く、その地のものは皆殺しにされていた。そこで武塔神は、初めて「自分は速須佐雄能神である。後の世に疫病が流行することがあったら、汝らは蘇民将来の子孫であると唱えるとともに、茅輪を腰につけよ。そうすれば疫病から免れるであろう。」と言って立ち去った。     ”


 『祇園牛頭天王縁起』では、次のようになっている。

 身の丈七尺五寸の大男・牛頭をした太子がインド九相国の王になったが、あまりにも怪異なので后(きさき)のなり手がなかった。あるとき、山鳩が飛んできて「八大竜王のひとり、南海沙褐羅竜王の三女の波利莱(はりめ)を后にするがよい」と教えたので、牛頭太子は后さがしの旅に出た。途中、日が暮れたので裕福な巨旦将来の所へ行き一夜の宿を頼んだが断られた。蘇民将来を訪れると、貧しかったにもかかわらず、粟の飯を炊いてもてなしてくれた。牛頭太子はおおいに喜び、竜宮からの帰途、弟の巨旦を滅ぼし、今後、お前の子孫を名乗るものは常に疫病や災厄から逃れられるように守護してやろうと約束した。

 我が国における茅輪の起源説話で、明治政府による神仏分離令で八坂神社となった祇園社が、悪疫が大流行した平安時代に庶民の爆発的な信仰を集めたのは蘇民将来伝説が信じられていたからだ。京都の夏の風物詩である祇園祭は、牛頭天王の加護を祈る御霊会が始まりで、疫病を克服したことの庶民の喜びの爆発でもあった。

 我々の町の淡島神社・伊太祁曽神社でも、毎年七月三十日には拝殿に臨時の祭壇を設け、茅(ススキに似た植物)を縄編みにした直径二メ−トルくらいの輪を作り、その輪をくぐって参拝できるようにしている。無病息災を願う和歌山市民の「夏越し」の行事として親しまれている。

 茅輪をくぐり、疫病から身を守る行事は、イズモ系の神社で全国的に行われているようだが、昔から九州地方で盛んだったことも、スサノオとイズモ系部族のル−ツを物語っていそうだ。                             以上


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