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(2)天照大神(あまてらすおおみかみ)

                          2004年(平成16)7月 13日           淡 路  宏

 皇室の祖先として、また美人女神として、ひとしく尊敬されている代表的な第一級の神さま。

誓約(うけい)の子生み

 天照大神(あまてらすおおみかみ)は、皇室の祖先、すなわち皇祖神とされている。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が、「黄泉国(よみのくに)」から逃げ帰り、筑紫の日向(ひむか)の橘之小門(たちばなのおと)の阿波岐原(あわぎはら)で
穢(けが)れを洗い清めた際、左の眼を洗ったとき、光とともに美しい女神が生まれた。そのとき光が天地いっぱいに燦々(さんさん)と輝いたため、非常に喜んだ伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は、この子を天照大神(あまてらすおおみかみ)と名付けた。

 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は、さっそく天照大神(あまてらすおおみかみ)に高天原(たかまがはら)の支配を命じた。この後に右の眼から月読命(つきよみのみこと)、鼻からは素戔鳴尊(すさのうのみこと)が生まれた。この三人を特に三貴子(さんきし)として、尊ばれた天神(あまつかみ)の最後の神である。

 高天原(たかまがはら)の支配に任じた天照大神(あまてらすおおみかみ)は、田畑を開き、養蚕(ようさん)・織物など授け、よく治めたので、神々も鎮まり平和に暮らしていた。

 あるとき天照大神(あまてらすおおみかみ)は、乱暴者として知られる素戔鳴尊(すさのうのみこと)と、大神(おおみかみ)に邪心のないことを誓約し、天(あめ)の安川(やすかわ)をはさんで、その証しとして双方が「子生み」をすることにした。

 まず天照大神(あまてらすおおみかみ)が、素戔鳴尊(すさのうのみこと)の腰につけている十拳剣(とつかのつるぎ)を取り、これを三つに折り、噛み砕いて一気に吹き出した。そのとき生まれたのが多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)、市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)、多岐都比売命(たぎつひめのみこと)の三神で、みな女神である。後に宗像三神(むなかたさんしん)となった神である。

 一方、素戔鳴尊(すさのうのみこと)は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の左の方の髪に付けてある勾玉(まがたま)をすすぎ洗ったとき生まれたのが、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)。右の方の髪に付けてある珠からは天之菩卑能命(あめのほひのみこと)、つづいて天津日子根命(あまつひこねのみこと)、活津日子根命(いくつこねのみこと)、熊野久須卑命(くまのくすひのみこと)等が、天照大神(あまてらすおおみかみ)の髪や左右の手に飾った珠から、それぞれ生まれた。

 後に生まれた五人の男の神が、大神(おおみかみ)の品物から生まれたので天照大神(あまてらすおおみかみ)の子、先の三女神は素戔鳴尊(すさのうのみこと)との子とされた。

 その後の素戔鳴尊(すさのうのみこと)は、先の誓約にもかかわらず、乱行はますます荒々しく、耕地を荒らし、水路を壊したりしたが、まだこの頃の大神(おおみかみ)は別に咎めることもなかった。ところが、ますます凶暴さを増した素戔鳴尊(すさのうのみこと)は、ついに神衣(しんい)を織る機屋(はたや)に火をつけたり、皮を剥(は)いだ天馬を投げつけたため、機(はた)を織っていた織女(おりめ)が驚いて死んでしまった。


天(あめ)の岩戸(いわと)がくれ

 この有様を見た天照大神(あまてらすおおみかみ)は、難を避け、天の岩戸に姿を隠し、堅くその戸を閉ざしてしまった。そのため天地はすべて真暗闇となり、善神は影をひそめ、かわって悪神は時を得たように横行したため、不幸や災害が続々と発生しだした。

 これではならぬと、憂(うれ)いた神々は、天照大神(あまてらすおおみかみ))の天の岩戸から出すために、天の安河川(あめのやすかわ)の原に集まり、色々と評議した。

 神々の名は、思兼神(おもいかねのかみ))(高御産巣日神(たかみむすびのかみ)の子・高天原の智恵の神)、伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)(鏡作りの神)、玉祖命(たまおやのみこと)(玉造りの神)、天児屋根命(あめこやねのみこと)(天の岩戸で祝詞(のりと)をあげた神)、布刀玉命(ふとだまのみこと)(天の岩戸で太玉串を捧げた神)、天手力男命(あめのたじからおのみこと)(腕力の強い神)、天宇受売命(あめのうずめのみこと)(神楽舞の神)、である。

 まず、常夜の長鳴鳥をたくさん集めて、一斉に鳴かせ、伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)は
八咫鏡(やたのかがみ)を作り、玉祖命(たまおやのみこと)は輝くばかりの勾玉(まがたま)を作り飾り立てた。こうして準備が整ったところで、大音声が自慢の天児屋根命(あめこやねのみこと)が、面白おかしく節をつけて祝詞(のりと)を述べる、布刀玉命(ふとだまのみこと)は大きな玉串を立て榊(さかき)の前で礼拝する。一方、高天原随一の強力無双を誇る天の手力男命(あめのたじからおのみこと)が天の岩戸の脇に隠れて、岩戸開きの時の至のを待つ。このとき、天宇受売命(あめのうずめのみこと)というおどけた女神が、桶を伏せてその上に乗り、足を踏みならしして踊り狂った。まるで神に憑かれたように(神さまが神さまに憑かれたは、ちょっとおかしいが)乱れ、ボインは踊り、腰を妖しく振っているうちに、だんだんと紐が解けて、陰部も現れたからたまらない。

 八萬百(やよろず)の神々も沸きに沸いて笑い転げ、高原は時ならぬ大騒ぎとなった。ちょうど、今のストリップ劇場そのままの様子と変わりがない。このどよめきを不審に思った大神は、天の岩戸を少し開けて「いま高天原も葦原の中国も暗く、みな暗く、みな困っているはずなのに、なぜ楽しそうに笑っているのか?」と言われた。そこで天宇受売命(あめのうずめのみこと)は「あなたより優れた尊い神様がいますので、みな喜び、こうして楽しんでおります。」と言った。この間に、天児屋根命(あめこやねのみこと)と布刀玉命(ふとだまのみこと)が例の鏡を差し出すと、その鏡に自分の姿が映ったので不思議に思い、岩戸から少しばかり乗りだした。


 天の岩戸開き

 この時、天の岩戸の陰に隠れていた天手力男命(あめのたじからおのみこと)が跳び出して、すかさず大神の手をしっかりと握って岩戸から出した。その後に太刀玉命(たちたまのみこと)が注連縄(しめなわ))(これが神社に着けてある七五三縄(しめなわ)の始まり)を張り巡らせて「もうこの中に入ってはいけません」と言った。

 こうして、暗かった高天原も葦原の中国(なかつくに)も、再び光り輝いて明るくなり、悪神はいずくへともなく去り、静かな世となった。

 ここで八百萬(やおよろず)の神々は、この事件の原因を作った素戔嗚尊(すさのおのみこと)の処置を協議した結果、髭(ひげ)は切られ、手足の爪も剥(は)がされて高天原から永久に追放になった。この後の消息(しょうそく)は「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」の欄を参照。

 それから後、天照大神(あまてらすおおみかみ)は、その子・正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)に、農作物の豊かな葦原の中国(なかつくに)(日本のこと)の支配を命じた。

 天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)は神勅(しんちょく)を受けて、天浮橋(あめのうきはし)から葦原の中国
(なかつくに)を眺めると、何やら物々しい様子なので、その様子を大神に告げた。それではと、大神は他の神を次々と送って、中国を支配している大国主命(おおくにぬしのみこと)(別に説明)を説(と)いたため、ついに大国主命(おおくにぬしのみこと)は大神の命を受け入れて、この国土を譲った。以後、天照大神(あまてらすおおみかみ)の子孫がこの日本を治めることとなった。


主なご利益と神社

 天照大神(あまてらすおおみかみ)は、田畑を耕して農作物を作り、養蚕(ようさん)・織物を奨(すす)めるなどして衣食住を満たし、安定した国土を経営した神徳に因(ちな)んで、国土安泰(こくどあんたい)
・福徳・・・開運・勝運・・・などが利益(りやく)とされている。


〔天照大神を祀る主な神社〕

・皇大神宮(内宮)・・・三重県伊勢市宇治館町
・芝大神宮・・・・・・・・・・・東京都港区芝大門
・四柱(よはら)神社・・・・・・長野県松本市大手
・六所神社・・・・・・・・・・・愛知県岡崎市明大寺町
・神明神社・・・・・・・・・・・岐阜県加茂郡八津町
・高浜神社・・・・・・・・・・・大阪府吹田市高浜町
・西宮神社・・・・・・・・・・・兵庫県西宮市社家町
・新田神社・・・・・・・・・・・鹿児島県川内市宮内町
・榎原(よはら)神社・・・・・・宮崎県南那珂郡南郷町
・普天間宮・・・・・・・・・・・沖縄県宜野湾市普天間
・その他、各地の皇大神社・神明社と呼ばれる神社。   以上

※(参考資料) 阿 部 正 路  監修 「日本の神様を知る事典」   

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