第一章   日本脱出
生い立ち
突然けたたましくベルが鳴り響いた。
午前三時、十分間休憩の合図のベルである。
真知子は部屋を出ると一さん走り砂山に駆け上り倒れ込むように大の字に寝ころがった。
冴え渡った夜空には煌々と月が照り渡り、幾万とも知れない星の光は惜しげもなく真知子の全身に降り注いだ。ひと時夜のしじまの中に身を委ねて真知子は身の行く末を思った。
この先一体自分はどうなるのだろう?「母は、姉たちは、何よりも私の青春は・・・・・・」そう思ってくると真知子の目から涙があふれ出た。
「そうだ!この日本から逃げ出そう」そのとき彼女は決心した。

真知子は神戸の下町で甘党屋の店の五女として生まれた。
父は彼女が生まれて間もなく他界し、母と姉たちの下で何不自由なく19歳になるまで成人して来たのである。
その当時は父の亡き後、明治生まれの母は、読み書きも、ろくに出来ない身で五人の姉妹を育てる為に身を粉にして働いて護り続けてきた店を、第一次疎開で立ち退きを命ぜられ、失い、途方に暮れていた。その時、知り合いの人に進められて、一先ず鳴尾に住居を移しその日その日を何をするでもなく失意の毎日を送っていたのだが、彼女の目から見てもメッキリ老け込んでしまった母があまりにも可愛そうに思えてならなかった。
当時真知子の家には母とすぐ上の姉と大阪に住んでいる長姉の息子二人(9歳と6歳)の四人暮らしだった。

川西航空での生活
真知子は一人会社の寮住まいをしていた。
真知子は思った「何としても失意の母を助ける為に沢山のお給料が欲しかった。
去年新聞広告を見て何か技術を身につければ稼ぎも多くなると思い、分析を覚えるため、1年間定性分析の授業を受け、この川西航空の分析課に入社したのである。
今はジュラルミンの中に含まれている銅の定性分析を受け持たされて顕微鏡との睨めっこの毎日を過ごしていた。
戦雲は日増しに広がり日本を破局へと導いて行った。
何もわからない真知子は恐ろしい穴が、真っ暗な穴が奈落の底に落ち込む様な一種異様な不安が行く手に待ち構えているような思いがしてならなかった。
当時会社内でも次々と男子に召集令状が来て、見る間に男の影がなくなり、必然的に真知子達女子社員に重労働が課せられ、塩酸の大きなビンを抱えて3階、4階と運ばされ危険な仕事に追い廻されていた。
始めは男子だけだった夜勤も遂に女子まで狩り出されるようになり、真知子たちも、夜中0時に出勤をさせられていたのだ。
夜の11時起床、30分で身じまいをし11時半女子寮を出発、全員必勝の鉢巻を〆てゲートルを巻いた男の隊員に引率されて会社の正門前で八列横隊に並べ変えられ門衛に向かって「頭右ッ」の号令と共に「歩調をとれ」と一喝され、皆一斉に右を向いたままダッダッダッと砂利を踏んで門の中へ入って行くのである。それからすぐ食事、昼食の替りである。
その上、ご飯といえば、獲たいの知れない金属製のお碗に大豆のヒシャゲタものが大方で黒っぽいご飯粒のようなものがチラホラ、全く犬の餌よりひどい、そんなものを真夜中に詰め込まれた胃袋もたまったものではない。
でもそこは若さ!お腹が減ってたまらない毎日なので食べられたものであろう。

寮は急遽開拓した土地にバラック建て、周囲は何一つないところなので買い喰いは出来ない、もっともあの時分は食糧不足で食べ物は何も売ってなかったのだが・・・
とにもかくにも一日の労働が終わると又隊長に引率されて、一隊ずつ、女子寮へ帰ってきて、畳表のついてない藁むき出し、丁度畳を裏がえしにしたような荒畳の上に疲れた身体を横たえ獣のように眠りこけるのだ。
無味乾燥、未来の希望もない何の感情も沸かないまるで虫けらの様な生活に真知子は絶望して行った。
お給料は真知子が期待していた様に、月、112円、12円は寮代に引かれたが残りの100円は丸々手つかずで休みの日に持って帰り母に手渡すことができた。
母はその度に押し頂いて神棚に祭った。
当時、他の会社に勤めていた姉は月、40円の給料だったので、母は、真知子の分が多いのでとても喜んでくれた。その姿が真知子にとってはせめてもの慰めだった。
そうした中で真知子が日本脱出を考えるに至った理由がもう一つ他にあった。

初恋
それは彼女が生きて来た暗い青春の中で唯一の慰めと喜びを与えてくれた一人の男性が死の前線基地へ飛び去って行ってしまった事に他ならない。
真知子は絶望と虚無感に苛まれ幾夜か泣き明かした。
でも当時の女性たちにとってはどうすることも出来ない現実であった。
彼は川田弘といった。真知子にとっては母方の従兄である。
高等小学校を卒業と同時に、真知子の母の店を手伝いにやって来たのだ。もっとも彼の兄も先に住み込んでいたので兄弟二人、夜は夜学に通うという、将来夢多き純朴な若者達だったのである。
彼等二人の男性は真知子姉妹達と年齢も接近していたこともあって、彼らを迎えた真知子の家の雰囲気は青春むんむんたるものがあった。
今まで、男気のない女世帯に育ってきた真知子とすぐ上の姉達は、田舎のポッと出で北陸弁丸出しのアクセントで話す彼等を何かというとカラかった。
でも彼等はおとなしく従順で真知子達姉妹の命令も「ハイ、ハイ」とよく聞いて働いた。
お風呂の水汲み、炊きつけ、使い走り等、それはよく動いてくれた。
真知子達は何かというと「田舎者」と言ってからかったが少しも怒ることなく従順だった。
今にして思へば真知子達は、男性に接したことがなかったので珍しくてどう扱っていいのかわからなかったのだろう。
やがてそうこうしている内に、戦争の呼び声が高くなり、弘は海軍の志願兵として入隊して行った。
弘が去って行ってしまってから真知子は急に淋しさをを感じだした。
同じ家に暮らしていながら、あまり話もしなかった弘が何だか懐かしく思えてならなかったのである。
二年程経って弘が一度帰省したときに立寄ってくれたが、彼はすっかり逞しく成長し、凛々しい海軍軍人振りであった。
真知子達は圧倒されて昔のようにからかうなんてことは全く出来なかった。
でもちょっとはにかんだような笑顔は昔のままであったので、余計、懐かしく好感が持てた。彼は相変わらず口数が少なく唯、ニコニコ笑っているだけで時間が来てしまい軍隊に帰って行ってしまうのである。
もっと色々話して聞きたいことも沢山あったのにと後で思ったものでだが・・・・・・・
やがて時が経ち、彼は下士官に昇格して行った。
其の頃真知子は老いた母と共に鳴尾に移り川西航空に勤め始めていた。
とある夏の日突然彼が訪れて来た。
戦局が一段と険しくなってきはじめて来た頃である。
整備兵であった彼は、軍の命令で川西航空が製作した飛行機の整備に派遣されて来たのだという。
その命令が下りた時、彼はきっと真知子の家に行くことが出来ると喜んだことであろう。何故なら、彼女の家はその飛行場のすぐ傍にあったのだから・・・

最後の別れ
彼は出張で来ている間、仕事の合間や休日には、何をおいても立寄ってくれた。
真知子も少し離れた女子寮から電車を乗りついではよく家に帰った。
母が作ってくれる食事を二人で囲み、とりとめのない話をしながら・・・楽しかった、嬉しかった、この時が少しでも長く続いてくれるように真知子は思った。彼もそう思ったに違いない。一つ年上の弘とは不思議に話がよく合った。そうだ何を話してもこんな時は楽しいものに違いない。

短歌
逢えば君 言葉少なに笑み浮かべ
   吾独りはしゃぐ 十九の青春

宿舎の門限ぎりぎりまで真知子の家に居て、弘は暗い夜道を帰って行った。勿論真知子が阪神電車の駅まで送って行った事は云うまでもない。
そうした楽しい日々が夢のように過ぎて行った。
或る日突然前ぶれもなく弘が訪ねてきた。
母は真知子が不在であると告げると彼はがっかりした面持ちで帰っていったと後で聞かされ、真知子は居てもたっても居られず、彼からの連絡を唯、ひたすら待った。
やがて彼から知らせがあった。
真知子はとるものもとりあえず暇をとり、息せき切って家に帰った。
彼は其の日一日帰ろうともせず真知子と家の中で話をして居た。

短歌
国憂い 散ることのみを語り給う
   君が横顔 淋しく見つめる


もう一日休暇があると弘は言った。そしてその夜真知子の家に泊まった。
無論真知子も寮には帰らなかった。二人は夜通し、しゃべった。
何をしゃべったかは、よくは覚えていないが不思議に疲れなかった。眠くもなかった。こんなに長い時間、話し合っていたのに二人にとって肝心な事を何も話していない事に真知子は気付いた。でも言い出せない。弘も同じ思いの様であった。
夏のむし暑い夜であった。二人はようやく疲れて来たのだろう。どちらからともなく沈黙の中に蚊帳の中に入って横になった。
団扇をつかいながら尚も話していたが、そのうち真知子の団扇の手が止まり眠りに入っていった。弘は、尚も眠れないのか寝返りばかり打っていた。
弘と真知子の間には6歳の甥が挟まっていて丁度川の字になっていたのだ。
ようやく意を決した様に弘の手が甥の体を越えて真知子の肩に伸びたが、また思い直して元の位置にひっこめた。
どうしても真知子を起して打ち明けることができなかったのである。
悶々とした一夜が明けた。
朝、腫れぼったい眼をして弘は目覚めた。ちょっと恥ずかしそうである。二人にとっては大切な時間が刻々と過ぎて行った。その日一日も呆気なく過ぎ去って行ってしまいそうだ。夕刻いよいよ帰隊の時間が迫って来た。
母の心づくしの手料理を早めに済ませた弘は帰隊の準備をはじめていた。
日暮れの遅いこの季節でも、早、暮色が辺りを立ちこめ始めていた。
二人は家を出て駅への道を歩き出していたが、何時もと違って急に黙りっこくなっていた。
弘も真知子も焦っていたが、何を話していいかわからなくなって居た。

短歌
刻々と 二人の命きざむ如
   なす術もなき 時は過ぎ行く

随分長い間一緒に居て何もかも話してしまったような気がして、でもまだ何か言はなくてはと思う気持ちも・・・そうしている内に駅の灯が見えてきた。
いよいよこれでお別れだと思った瞬間、弘の手が並んで歩いていた真知子の手に触れた。とたん、真知子の心臓が高鳴った。初めてである。弘が手を握って来るなんて・・・
と同時に弘はちょっと眩しそうな、はにかんだ様な顔付きで真知子を見てこう言った。
「これが最後やな、もう会うことは出来ないな、自分は命を捨てて皆を守るから、体を大事にお母さんに孝行してな」と、そしてきらきらした目で真知子を見つめた。

短歌
別れ道 寄り添う我が手そっと取り
   君が その頬はにかみ見せて


もうその時分には辺りは真っ暗になっていた。
近くで電車の走る音が聞こえていた。
真知子は何も言えず唯うつむいていた。きっと涙をこらえていたのだろう。やがてホームに電車が入ってきた。
「弘はきっと振り返ると軍人らしく挙手の礼をし、「じゃあ、元気で・・・」と一言、言い残して開いたドアの中に消えて行った。
真知子はドアに駆け寄った。
挙手の礼のまま弘は頬をドアにくっ付く程近寄って真知子の目を見つめた。
初めて見た、弘の目から涙が流れ落ちて頬を伝わっていくのを・・・こらえきれず、真知子も泣いた。滂沱(ぼうだ)と涙が流れ落ちるのを拭いもせず、そして叫んだ「死なないで・・・帰ってきて」と。電車が走り去った。真知子は思わずついて走った。ホームの中ほどまで・・・、

短歌     「さようなら」
一声残しドアに消ゆ
   君が頬に 涙ひと筋

挙手の礼 ドアに佇み 暫し君
   燃ゆる想いを 瞳に託して

「死なないで」後追う我に答えなく
   赤きテールの闇に消え行く

じっと弘はドアに立ち尽くしたままだった。こうして真知子のたった一つの青春の証だった初恋は終わった。


決心
二、三日して、真知子のもとに弘からの手紙が届いた。鹿児島の基地に帰る車中で書いたものらしい。
「真知子との楽しかった思い出に感謝し、自分は死を間近に控えた身なので真知子への思いをどうしても打ち明けられなかったこと。でも、どこに居ても死ぬまで貴女のことを想い続けて居る」と書かれて居た。
「今、糸崎に列車は止まった。小休止らしい。静かだ。周囲はみな、眠っている。自分一人起て、この手紙を書いている。貴女のことを思い続けながら・・・さようなら、いつまでも元気で、お母さんを大事に・・・糸崎にて」で終っていた。恐らく、このホームで投函したのだろう。
真知子は手紙を胸に号泣した。



短歌
切々と 最後のたよりに 愛を告げ
   帰らぬ旅路を 急ぎし君は

ひたすらに 唯ひたすらに国憂い
   尊きいのち 捧げし君は

[糸崎にて] 文字もうるみし その便り
   心中思いて 千々に乱れる

一晩中泣き明かした。その時に、真知子は思ったのである。弘の居ない日本なんて、何の未練もない。そうだ、この国を捨てどこか遠くへ行こう。何もかも忘れられる外国へ・・・真知子はその事が、いかに無謀なことか、少しも考えていなかった。そうして真知子はその計画の実行に着手し始めたのである。
それから、暫らくの間は、何をする気力も湧かず、寮から会社へ、ただ仲間の後へ体がついて行くという無気力な生活が続いた。でも、一つ違っていたことがあった。あれ以後、新聞の就職欄を見るようになったことだ。
そんな生活が一ヶ月ほど続いたある日、ふと、彼女の目にとまったものがあった。毎日気にして見ていた、就職欄の一隅に小さく記載されていた求人広告の文字である。
それは、中国大陸の北の果て蒙彊地区の宣化市という町にある、鉄鉱石を掘っている会社で、事務員を募集しているという記事であった。
真知子は少し和文タイプも心得ていたので、事務の仕事には自信があった。
それにその時期、南方では次々と決戦が行われ、芳しからぬニュースが続いていたので、幾ら、就職しても現地へ着くまでに輸送船が撃沈されて目的を達することができないと思っていた。その矢先、北方と、ただ漠然と望んでいた彼女だったので真知子の転職希望が急に現実味を帯びて心の中に広がり始めた。
彼女は早速行動を開始した。