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呉竹同窓会長の一人ごと

呉竹同窓会長より

みなさま、ホームページ上でははじめまして、呉竹同窓会長の田中俊宏です。
今回、学校のご理解、ご協力の元 学校のホームページの中に同窓会のブログへのリンクを作成させていただける運びになりました。
また、そのブログから私の個人的なページへのリンクを作らせて頂きました。


まだまだ、試行錯誤中ですがよろしくお願いします。


リンク いずれもpdf形式 (閲覧にはPDFリーダーが必要)

呉竹同窓会会則 (フリガナ付き)

呉竹同窓会会則

同窓会報 2020

呉竹同窓会案内について

やってしまった (正誤表)

 皆様に郵送させていただきました 会報 2020 に間違いがありました。

① 表面「会報発行にあったて」 5行目
  × 20以上前、 →  ○ 20年以上前、

② 同 10行目行頭
  × 呉竹支援学校 → ○ 呉竹総合養護学校

③ 裏面「新人卒業生」1行目
  × 大体的な → ○ 大々的な

です。
申し訳ございません <m(__)m>  pdf版は修正済 


会長の呉竹昔話

 今回のページ作成のきっかけは、昔の呉竹の姿を今に残したいと思い立ったからです。
 昔の卒業生の方には、「ああ、そうだった」と思い出していただければ幸いです。

 一回めは、私と呉竹との出会いです。

 私(田中俊宏)が呉竹養護学校に入学したのは、昭和30年代後半、当時呉竹には入学選考というものがあり、(障害児の就学免除や猶予があった時代)
 私の遠い記憶の中、6歳になった寒い日の朝早く父母に連れられて、北区の実家から伏見の学校まで入学選考を受けにいったのを覚えています。
 当時私はまだトイレに一人で行けなかったため、一回目の選考に落ちてしまい、一年間、北野白梅町にある聖ヨゼフ整肢園に入所し、やっとの事で二回目の選考で入学ができました。
 入学してみると、私のように年齢超過の方が多くおられてほっとした覚えがあります。
 この後、私が大学時代になって、やっとの事で養護学校義務制の議論が高まってきました。
 同窓会で「季節はずれの成人式」を行うに当たり、毎年「今の二十歳は学年単位で出来るから簡単でいいよな」「六十歳は生年月日から調べないとわからないもん」と思います。

 一回目の投稿いかがでしたか 不定期ですが少しずつ投稿を増やして行こうと思っています。なおみなさまからの投稿も歓迎しています。

 内容 運動場の思い出 学校行事の思い出 スクールバスの思い出 呉竹に関する歌の思い出 何でも結構 
      締め切りはありません

投稿は
 magunamu@nike.eonet.ne.jp
まで