令和2年7月号(第120号)     トップページ  年月別リスト 地域別リスト
萩・平安古
HAGI-HIYAKO
 山口県 萩市平安古町 萩市HP

萩市観光協会HP
萩市平安古地区

伝統的建造物群保存地区

 萩城下町の武家屋敷町は堀内だが、堀内から少し南に離れた橋本川沿いのエリアに、もう一か所武家屋敷町があり、それが平安古である。
平安古が武家屋敷町として整備されたのは、堀内がいっぱいになりオーバーフローしたせいではなさそうで、橋本川沿いの美しい景観にひかれた藩の重臣たちが次々と別荘を構えたために生まれた町のようだ。
ところで平安古には明治維新以降、禄を失った武士たちの経済的窮地を夏みかんが救った、という逸話が残されている。今では想像できないことだが、当時夏みかんは高級品だったらしく、荒れ果てた武家屋敷跡に夏みかんを栽培して大成功をおさめ、窮乏した旧士族の生活を救い、やがて堀内地区にまで夏みかん栽培が広がったという。
 今も残されている石垣や土塀は夏みかんの風よけとして再利用・修理されたそうで、夏みかんは明治以降の萩の町並み景観づくりに大きな役割を果たしたといえる。平安古には夏みかん栽培の出発点となった土地が「かんきつ公園」として記念に残されている。

@瀧口家住宅 A旧田中別邸 B鍵曲(かいまがり) C旧児玉家庭園   
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  @瀧口家住宅 旧田中別邸の真向かいに建つ。反対側は橋本川に面している。外からうかがうだけで、広大な敷地に多くの建屋が配置されているのがわかり、やはり藩の重臣の別荘として利用されていたのだろう。門の前の側溝の上に小さな石橋と石の欄干がかかっているのが面白い。
A旧田中別邸 江戸時代には毛利筑前守の下屋敷があったところで、明治期には夏みかんの栽培を始めた小幡高政の住まいとなり、さらに大正に入ってから田中義一(第26代内閣総理大臣)が別荘として利用した。右隅に見える2階建ての建物は「五松閣」と呼ばれている。

B鍵曲(かいまがり) 城下町にはよく「桝形」と呼ばれる装置が造られている。真っ直ぐな通りをわざと直角に曲げ、敵の侵入を防止するための仕掛けである。この「桝形」を平安古では「鍵曲(かいまがり)」と呼んでいる。通りの両側が高い土塀で囲まれていて、まるで迷路のようだ。

C旧児玉家庭園  萩藩の重臣・児玉家の屋敷跡に残された庭園。屋敷自体は消失してしまっているが、橋本川の水を引き入れた池泉式庭園が残され、平安古かいまがり交流館が整備されて、観光拠点と地域住民の交流の場として利用されている。ちょっと贅沢な自治会館である。