令和2年4月号(第117号)     トップページ  年月別リスト 地域別リスト
飫 肥
OBI
 宮崎県 日南市飫肥 日南市HP

日南市観光協会HP
日南市飫肥

伝統的建造物群保存地区

 飫肥は江戸時代初期、飫肥藩に封じられた伊東氏によって整備された城下町である。
 以来、明治維新まで伊東氏の継続した支配のもと当初の町割りが維持され、さらに現代まで城下町の形状はあまり変化していないといわれている。安定した治世と都市化を免れた結果として、貴重な町並みが残されたといえよう。
 伊東氏は5万石余りの小藩だったので、その城下町は大きく湾曲する酒谷川に包まれるように小藩の規模に合わせてコンパクトに整備されていて、今訪れてものんびりと街中を散策できる。
 特徴的なのは、飫肥城近くの武家屋敷街とともに、坂道を南に下ったところに東西に走る飫肥街道沿い付近に、商人町もあわせて残されていることだろう。
 飫肥の町を一回りすると、飫肥城・武家屋敷街・商人町と江戸時代の町づくりの様子がリアルに体験でき興味深い。  

@大手門通り A横馬場通り B振徳堂 C本町通り   
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  @大手門通り 観光駐車場からまっすぐに伸びる緩い坂道を登っていくと、正面に飫肥城大手門が見える。この門は、明治初期に取り壊されたものを、昭和53年に復元されたそうだ。通りの両側には苔むした石垣が続き、その上は深い緑で覆われ、格好の散策道である。
A横馬場通り 飫肥城に近接するエリアで、上級武士の屋敷が整然と立ち並んでいるため「武家屋敷通り」とも呼ばれている。石垣の上に下見板張りと漆喰塗の塀が連続する。植栽もよく手入れされていて、武士の子孫たちが代々住み続けているのだろう。

B振徳堂(しんとくどう) 江戸末期に開校された飫肥藩の藩校。明治期に日露戦争の戦後処理のためのポーツマス条約締結で活躍した外交官・小村寿太郎は飫肥藩の出身で、この藩校で学んだ藩士の一人だったそうだ。幕末から明治へと激動の時代に生きた青年たちを育て今は静かなたたずまいをみせている。

C本町通り 現在国道222号線として整備されている本町通りは、昔商人通りとして商家が建ち並んでいたそうで、今もその何軒かは保存されている。手前の蔵造りの建物はその一つで、明治初期に建築された材木商家。現在は「商家資料館」として開放されている。